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ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ~幻の古代ハイブラシル島の記録

ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ~幻の古代ハイブラシル島の記録
■レンデルシャム事件
1980年12月25日から28日の朝にかけて,英国サフォーク州にあるウッドブリッジ空軍基地(Woodbridge)に隣接したレンデルシャムの森の上空に色とりどりの光を放つ UFO が出現して,軍人や民間人による目撃が相次いだ。
当時ウッドブリッジ基地は米空軍によって使用されていたが,光る物体が森に降下していくのを見た警備兵が 「UFO が墜落していった」と通報。調査のために現場に赴いた兵士たちの証言で,実際は UFO の着陸であったことが明らかになった。その後「レンデルシャムの森のUFO着陸事件(レンデルシャムUFO事件)」として世界的にも知られるようになったこの事件は,米空軍基地近くで起きたこと,軍が事件を隠蔽したことから「イギリス版ロズウェル事件」と例えられているが事件の真相は謎に包まれたまま今年で40年を迎えている。
ウッドブリッジ空軍基地は かつて核兵器保管施設であって,ヨーロッパ最大のアメリカ陸軍所属戦闘機の駐機場でもあった。こうした背景がある場所で起きた驚くべき UFO着陸事件。
それを目の当たりにした友人の一人がジム・ペニストンだ。三等軍曹として長い間空軍に勤務してきたペニストンは1982年にサフォーク州のベントウォーターズ空軍基地の第81戦術戦闘機団に配属された。任務はアメリカ空軍基地における警備担当・地域管理であった。勤務地はウッドブリッジ空軍基地から約6.4 km 離れたレンデルシャムの森の中にあった。 
レンデルシャムUFO事件は翌年1981年1月13日,ウッドブリッジ空軍基地の副司令官チャールズ・ホルト中佐が公式報告書を作り,英国国防省に提出後そのまま極秘文書として処理されていた。
ところが1983年にアメリカの情報自由化法によって,この通称「ホルト文書」が一般に公開され注目を集めた。一早くこのホルト文書を入手してこのレンデルシャムUFO事件を初めて世に伝えたのがイギリスのゴシップ紙「ニューズオブザワールド(News of the World)」紙であった。
異星人の情報を紙に流したのは当時頻繁にマスメディアに登場した元兵士ラリー・ウォーレンである。彼は森の中で物体を間近に見たばかりではなく,調査のために事件現場に派遣されていたと公言し一躍脚光を浴びることになった。その後彼は1984年10月日本テレビの招きで来日。 筆者は彼に直接インタビューする機会を得ている。 
■未来人の文字コード
1982年12月26日,同じレンデルシャムの森でもう一つの事件が起きていた。これはジム・ペニストンの証言で詳細が明らかになった事件である。 
ジムは下士官のジョン・バロウズとレンデルシャムの森の中で三角形のUFOと接近遭遇していた。
ペニストンによれば1980年12月25日~26日にかけて夜勤のシフト中に事件が起きたという。最終シフトは12月26日午前6時30分に終了する予定であった。しかしハプニングが起きた。 UFOが出現したのである。
ペニストンは現場空域で民間機・軍用機ともに飛行していなかった事実を確認後,墜落事例用検査キット,懐中電灯,無線機などを用意してジープで現場に向かった。 
舗装のない道路をしばらく走って森に入った。森の中の開けた場所を走り続けたがやがて木々に遮られて前に進めなくなった。ペニストンたちはジープから降りて前方に見える光に向かって歩いていった。途中無線機での交信が不安定になって,空軍下士官をジープに待機させ,CSCに報告するように指示を出した。 
ペニストンは光に近づいていった。 森の中でパチパチと焚火の木が弾けるような音が聞こえ,針で突き刺されるような感覚に見舞われた。 周囲に静電気がみなぎっていた。 なんとか体を動かして光に向かって進んでいくが,方向感覚がなくなって,奇妙な陶酔感と時間が歪んで流れが緩やかになったような感覚に陥る。 明らかに光の周囲が異常空間と化していた。光に進むと黄色がかった白い色の光のドームが地表に出現していた。その明るい光が暗くなって灰色・白・黄色っぽい泡が暗い色の物体から発せられていた。 
ペニストンは勇気を振り絞って光のドームの中に入った。するとそこには表面がガラスに似た滑らかな黒い物体つまりUFOが存在していた。球根のような形で宙に浮いていた。ペニストンは機体が3箇所から発する光に支えられていることを確認した。地表には光の位置と一致する形で深さ5cmほどの円形の穴が三つあった。 物体の観察中に機体の左側に象形文字のような模様とも記号もつかないものがあるのに気づいた。 それぞれの記号の大きさは縦60cm横7.5cmほどだった。 
その後12月26日,ペニストンはUFOが着陸した地点を2度訪れた。2度目に行った時は現場の土壌に残っている少しへこんだ部分の石膏型を取った。丸く直径17.5cm,深さは3.5cmほどであった。注目すべきは三つ残されていた着陸脚部の痕跡の位置が3 m間隔で完全な正三角形を描いていたことである。
ペニストン調査チームは空軍特別捜査局の面談を受け,軍部が準備した証言書類の内容を暗記して,どんな組織や人から質問されてもその通りに対応するように命令された。
そして 1981年1月の終わり計画プログラムという新しい部署への配属に配属された。ペニストンは昇進したのである。しかしペニストンには特別捜査局の自白剤まで使った厳しい尋問にも屈服せずに明かさなかった秘密があった。
それはUFOの機体に触れた際に脳内に数列が刻印されてしまった事実についてである。ペニストンがUFOの機体に直接触れた時の状況を今一度再現しておく。まるで誘導されるように機体に近づいて手で触ったその瞬間眩しい白い光に包まれた。そして瞬間的に脳裏に0と1の数列が浮かんだというのである。ペニストンが触ったのは三角形が描かれている部分であった。どのくらい時間が経ったのかわからない。次に気付くと彼は機体のすぐ横に立っていたという。
翌日12月27日の朝,ペニストンは勤務後に帰宅したものの,とても眠れる状態ではなかった。前の晩の光景が脳裏を離れず,なぜか1と0という数列が繰り返し思い浮かぶ。それは心の目に映っていたというほうが真実に近いかもしれない。フラッシュのように目まぐるしく訪れるイメージに突き動かされて,彼はひたすら手帳に数字を書き込んだ。それは16ページにも及んでいた 。
この時点ではもちろん膨大な数列が何を意味しているのか全く分からなかった。不思議なのは,数列を書き終えたところで言葉では 表現できない焦燥感が完全に消えて全身が達成感で満たされたことであった。それ以来数列が脳裏に思い浮かぶことは一度もなかった。
賢明なる読者諸君は0と1から構成されるそうですという意味で「バイナリコード」を思い浮かべるだろう。これは0と1の組み合わせに意味を持たせるシステムであって,人間が作ったプログラムをコンピューターに理解できるように二進法のコードに翻訳したものである。コンピューターは二進数しか理解しないために,文字データも0と1で表現する。
1993年ペニストンは軍を退役した。 しかし数字を記録した手帳の存在は誰にも伝える事もなくひたすらに隠していた。その間 UFO事件に関する書籍やドキュメンタリー番組に関する書には接したもののペニストンが満足できるものは何もなかった。ペニストンの願いはただ一つ。全くバイアスがかけられない形で自分の体験をありのままに伝える方法を見つけることであった。
2010年,ペニストンはかねてよりコンタクトのあったリンダ・ハウに初めて数列を記録した手帳を見せた。リンダはフィールドワークを主体として活動中の UFO研究家で一方ではジャーナリストとしても第一線で活躍していた人物。 レンデルシャムUFO事件とペニストンの体験に着目していたリンダは手帳を見て瞬時にこれは事件の決定的な要素となると確信。この数字の羅列こそバイナリコードである可能性をすぐに悟った。リンダはその道のエキスパートとして名高いジョー・ルシアーノに数列の解読を依頼。物事が大きく動き出すことになった。2012年。ついに16ページにわたるバイナリーコードの内容がついに明かされた。
■ハイブラシル島
バイナリコードはペニストンがUFOの機体に刻まれた象形文字のような記号に触ったからこそ手に入れることができた情報に他ならない。記号に触れたことでバイナリコードを脳内にダウンロードできるシステムが作動したのだろう。
コードに示されていたのは,世界各地の聖地とされる場所,それも歴史的に大きな意味を持つ場所ばかりである。
ただし不明な座標があった。
北緯52.0942352
西経13.131269
という座標である。現在何もない北大西洋上の一点だったからだ。 なぜ何もない洋上の地点が含まれているのだろうか?それが2度も示されているのである。二度目は起源地となっており後日その場所にこそ事件の核心となる最重要な存在が示唆されていることが分かったのである。。
この座標は「ハイブラシル」という名前の伝説の島があったとされる。
アイルランドの西の沖合320kmの北大西洋上の位置を示していたハイブラシルこそ「アイルランドのアトランティス」「第二のアトランティス」と呼ばれる謎の島だ。1374年~1595年に作られた地図では必ずハイブラシル島が描かれている。 ハイブラシルは数年に一度深い霧に包まれた状態でしか姿を現さないと伝えられている謎とロマンに満ちた幻の島だったのである。しかしアトランティスと違いハイブラシルに関する文献は数多く残されている。
そこは豊かな自然に恵まれた島で,高度な文明が栄えた。島を訪れた人は口をそろえて,壮麗な建物が並ぶ都について熱っぽく語ったという。黄金のプレートが敷き詰められた屋根。まるまると太った牛の群れが飼われている広大な牧草地。そして裕福で知的な島民たち。島に関する神話や伝説は枚挙に暇がない。
 ペニストンが受け取ったメッセージには世界各地の有名遺跡や聖地が含まれていたということは,ハイブラシル島もまた聖地であって,同じ遺跡が存在したのではないか? 解読された座標には「起源地」と示されていた。つまりハイブラシル島はレンデルシャルUFOの起源だったことになる。
レンデルシャム UFO がタイムマシーンで,その乗員が異星人ではなくて地球の未来人だったとするならば,彼ら地球の未来人は1980年のイギリスだけに特化してやってきたとは思えない。バイナリーコードの座標に示された遺跡や土地にはその時代ごとにことごとく訪れていたはずである。。
その訪問は人類が誕生した過去にまで遡っているかもしれない。 フォン・デニケンやセカリア・シッチンが提唱するこの宇宙考古学では,異星人が大昔からこの地球に干渉して人類創造にまで関与したと言うか説が唱えられている。しかしそれは実際は異星人ではなく特には神として崇められた彼ら地球の未来人だったのではないだろうか?
その起源となるのがハイブラシル島である。この島の座標が念を押すかのように2度も書かれている。彼らの起源=故郷である。ハイブラシル は彼らタイムトラベラー達が太古~現在~過去の時代まで時空連続体をタイムワープしてきた原点であって,特別な場所なのである。
グーグルマップで見ると,ハイブラシルの場所はヤマアラシ錐とヤマアラシ海曲部といわれるアイルランド大陸棚の一部が盛り上がった海底地形になっている。現在はサンゴ礁が密集した絶好の漁場でもある。約12000年前に氷河期が終わって海面が上昇する以前は海面に出ていた可能性が高いという。海底地形が海面に出ていれば地図に描かれたハイブラシルの形状に近いといわれる。
伝説の島といわれるハイブラシルであるが,その名前は古くから文献に記録されており,1674年にはフランスからアイルランドへ航海中の船員がハイブラシル島に上陸したという記録を残している。上陸した船員は,島に石で作られた巨大な城のような構造物があって,馬や牛や黒ウサギがいたと証言している。さらに音楽や音波で大きな物体を動かしていたという目撃証言があり,ハイブラシル島には高度な科学技術と膨大な富が眠っていると信じられてきたのである。ハイブラシル島は宇宙のすべてを知り尽くした魔法の力を持つ聖職者が支配していたと言われる。
ー雑誌ムー,2020年,     


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・1ページ
EXPLORATION OF HUMANITY
(人間性の探求)
666 8100
・2ページ
北緯52.0942352
西経13.131269 
・3~5ページ
COUNINOUS FOR PLANETARY ADAN??
(惑星の進化のための連続的な4つの座標 )
・6ページ~13ページ
北緯16.763177
西経89.117768
(ベリーズのピラミッド)
北緯34.800272
西経111.843567
(米国アリゾナ州セドナの南,モンテズマ城)
北緯29.977836
東経13.1649
(ギザの大ピラミッド)
南緯14.701505 
西経75.167043
(ペルーナスカの地上絵)
北緯36.256845
東経117.100632
(中国山東省)
北緯36.110195
西経25.372281
(ギリシアナクソス島アポロン神殿の門)
・14ページ
EYES OF YOUR EYES
(汝の目の目)
・15ページ
北緯52.0942352
西経13.131269
ORIGIN
(起源地)
・16ページ
ORIGIN YEAR 8100
(起源の年8100年)

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ムー 2020年5月号 [雑誌] - ムー編集部
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