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パンアメリカン914便〜離陸して37年後に着陸した飛行機

パンアメリカン914便〜離陸して37年後に着陸した飛行機
離陸して37年後に着陸した飛行機
投稿者:Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2021年 5月22日(土)00時35分17秒  
掲示板の目次は以下をクリックし右側です
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/
https://www.youtube.com/watch?v=vZdqr6k1qgQ
別の街を目指していたはずが、全く別の国に着陸してしまった。そんなことが起こったら、誰もが混乱することでしょう。命知らずの冒険家だって、半世紀近くの時を超えてしまったら慌てるに違いありません。
1955年7月2日、パンアメリカン914便はニューヨークからマイアミへ飛行する予定でした。天候は良好。57名の乗客はフロリダの温かいビーチやヤシの木を心待ちにしていたのです。問題なく離陸した旅客機でしたが、その3時間後、マイアミに到着する予定時刻になっても、飛行機は姿を現さなかったのです。
914便は上空でレーダー上から姿を消した。これがニューヨークの管制塔からの報告でした……
タイムスタンプ:
墜落事故?1:19
37年後 2:46
なんだこの古い飛行機は? 4:05
「我々はどこにいる?」4:25
再び消えた飛行機 6:44
ただの都市伝説なのか?8:14
現場にのこされたものとは 9:02
概要:
-1955年7月2日、パンアメリカン914便はニューヨークを出発し、フロリダへ到着する予定でした-状況的に飛行機は失踪したかに思えました。レーダー上から消えただけでなく、パイロットとの交信も途絶えてしまったのです-やがて、乗客乗員全員死亡という公式見解が出されることとなりました-1992年9月9日、ベネズエラの首都カラカスは気持ちの良い朝を迎えていました-そこへどこからともなく、突如として飛行機がレーダー上に現れたのです-10分もしないうちに、その機影は視認できる距離にまで近づいてきました-パイロットは英語で、自分たちが今いる場所を訪ねました-パイロットは、その機が1955年7月2日にマイアミへ着陸するはずだった飛行機であると名乗りました-地上ユニットが召集され、飛行機は着陸しました。しかしその日の日付を知ったパイロットは大きくうろたえました-パイロットは、すぐに離陸すると叫び、再び飛行機を離陸させました-この話の信ぴょう性には賛否があるようですが、様々な新聞によって記事にされています-この話は伝える人によって、その内容が変わってもいます-飛行機が飛び去ったカラカスの空港の上には、1955年のカレンダーが残されていたとも言われています
関連記事:バーミューダ・トライアングル
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/195.html
北大西洋のフロリダ,プエルト・リコ,バミューダ諸島を結ぶ魔のバミューダ・トライアングルにおいて,しばしば船や飛行機が姿を消している。1945年以降100せきの船と1000人以上の乗員・乗客が行方不明になっている。その場所でしばしば磁気異常が発生し,羅針盤(方位を示すコンパス)が狂ったことが報告されている。
 そして,ニューヨークからマイアミに飛ぶ飛行機が,バミューダ・トライアングルにおいて,10分間レーダーから消えたという事件も発生した。ところがその10分後,その飛行機は消えた地点と全く同じ場所に現れたという。さらに奇妙なことに,着陸した時,パイロットの時計は10分遅れていた。パイロットの10分間は一体どこへ消えてしまったのか?この謎を解くことは,それほど難しいことではないだろう。図3の1より,飛行機が消えた時間を仮に,"午前9時00分”(映写機のあるところ)で現在だとする。その時点でのパイロットの時計は"午前9時00分”を示している。そこで,その飛行機はなんらかの磁気異常に巻き込まれ,飛行機の時間軸Tの周波数が変化し,4次元的に重なり合った"午前9時10分”のエーテルの空間で物質化したとされる。図3の1においては,上から下に流れているフィルムの中の未来として描かれているところを"午前9時10分”とする。消えた飛行機は,現在の"9時00分”と未来の"午前9時10分”の間を通っていないので,映写機の上の方に未来と描かれた"午前9時10分”のところに現れた時,パイロットの時計は"午前9時00分”のままである(この時点で,パイロットの時計は10分遅れていたことになる)。
 飛行機がレーダーから消えた映写機のあるところ(午前9時00分=現在)からは,それ以後も次々とフィルムが送られていくが,現在の"午前9時00分”から未来の"午前9時10分”の間は飛行機は存在していなかったため,レーダーには写らない。そして,"午前9時10分”の未来と描かれたところが,現在と描かれた映写機のところに来た時,初めて未来にタイムスリップした飛行機が現れ,レーダーに写る。
 その飛行機は,レーダーから消えた10分間を経過していないため,その飛行機の飛行距離は0KMである。従って,消えた地点と全く同じ場所に現れることになる。そして,パイロットの時計がレーダーから消えた時間と同じ10分間遅れていたことも,以上の理由によって説明できるはずである。(タイム・スリップによって時計が遅れる.....四次元時空理論本文32~34ページから)
もうひとつの「四次元時空理論」より
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/506.html
3次元空間ではないもう一つの空間
アインシュタインの相対性理論によると,物体が光の速度に近ずくにつれてその物体の質量が重くなるため,どんな推進力を使ってもどんなエネルギーを使っても,光の速度は越えられないことになっている。
1)アインシュタインの特殊相対性理論(光の速度を越える事は不可能)
2)宇宙の広がりは現在観測されているだけの広がりを持った空間であり,その三次元的な距離も宇宙全体の体積も現在観測されている通りである。
3)この宇宙はX・Y・Z(縦・横・高さ)の方向に距離によって広げられた三次元空間である。
この1)2)3)の定義は世界中の人々が絶対に正しいと確認しているはずである。しかしこの三つの定義の中に一つだけ間違っている所がある。
皆さんわかりますか?答えは本文中にあります。この理論が正解ならばノーベル賞を遥かに超えるものでしょう。
答えはここ~https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/41
以下の記事を書いた天才的な方は統一教会の信者です
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/41
この人は「四次元時空理論」の作者の多賀千明氏です。千明は文鮮明の鮮明からとったようです。UFOは地球に飛んで来れるのか?で明快な答えを出しています。理論はよく分かりませんが事実ならノーベル物理学賞をはるかに超えるものでしょうか
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/441.html
西方向に航行する飛行機の中に置かれた時計は,逆方向に進む飛行機に置かれた時計より早く進んでいることを知っていましたか?最近まで知りませんでした。東に向かって飛ぶ飛行機の乗客の時間は,西に向かって飛ぶ飛行機の時間より進みが遅い。勿論わずかな時間の遅れです。これをホーキンズ博士は「双子のパラドックスー矛盾ー」と呼んでいます。」
■タイムトラベルのパラドックス
神戸大学・理学部 松田卓也
バックトゥーザフューチャー
タイムトラベル(時間旅行)というのは、多くの人の夢であろう。実際、有名なH.G.ウエルズの「タイムマシン」(1895)をはじめ、多くのSFなどで取り上げられてきた。タイムマシンは時間的に過去や未来へ自由に旅行できる機械のことで、航時機などと訳されている。日本では小松左京の「地には平和を」などがタイムトラベル小説の代表であろう。映画でもいろいろ取り上げられてきたが、代表的なものにマイケル・J・フォックス主演、ロバート・ゼメキス監督の「バックトゥーザフューチャー・シリーズ」があげられる。タイムトラベルに関してもっとも有名なパラドックスは「親殺しのパラドックス」である。タイムマシンに乗って、自分が生まれる前の過去にさかのぼり、自分の親を殺すと、自分はいったいどうなるのかという逆説である。「バックトゥザフューチャー」(1985)では、親殺しのパラドックスが少し違った形で登場する。映画ではマーティーという高校生が主役である。彼はマッドサイエンティストのドクが発明したタイムマシンである自動車デロリアン号に乗って過去にさかのぼる。そして、マーティの父と母の高校生時代にたどり着く。父親となるはずの若者は恥ずかしがりで、なかなか母親となる女性に近づけない。それどころか、母親になるはずの女の子は、自分の未来の子供であるマーティーにほのかな恋心を寄せるのであった。両親が結婚しないとマーティーは生まれない。映画では、その危機が迫ると、マーティーの写真が薄れていくというように表現してあった。しかし、こんなことで問題は解決しない。写真が薄れようが、マーティー本人は厳然といるのだから。マーティーは、そこで未来の父親と母親の仲を取り持とうとする。映画ではマーティの努力は実を結び、両親はめでたく結ばれるのであった。「バックトゥーザフューチャー2」では、マーティーは今度は未来へと飛ぶ。そこで見かけた「スポーツ年鑑(1950-2000)」を持ち帰る。それで未来のスポーツの結果が分かり、大もうけできると考えたからだ。ところがその年鑑は悪い友達に奪われ、歴史が改変されてしまう。友達が大金持ちになり、マーティーの父親は死に、母親は悪い男と再婚させられる。マーティーは歴史を元へ戻すべく、活躍をはじめる。
■未来へのタイムトラベル
バックトウーザフューチャー2では未来へ行って未来の情報を持ってくるのだが、行くことは必須ではない。未来に自分が行かなくても、居ながらにして未来の情報だけを知ることができれば、未来のスポーツの結果は分かるはずだ。だから競馬などで大もうけできることは確かである。そこで私はタイムマシンを二つに分類したい。人間を含む物体を時間を超えて未来や過去へ送るタイムマシンを物体移動型のタイムマシンとよぼう。それに対して情報を未来や過去に送る機械、これを情報移動型のタイムマシンと呼ぼう。
タイムラベルの別の分類として、未来へのトラベルと過去へのトラベルがある。このなかで、未来へのタイムトラベルには原理的な問題は存在しない。冷凍睡眠という技術がある。人間を低温状態で保存して老化を防ぎ、未来に再生するという方法だ。ロバート・ハインラインの「夏への扉」というSFは冷凍睡眠を利用して未来へ行き、自分を裏切った恋人と友人に復讐しようと言う話である。SFレベルではなく、不治の病になった人を冷凍睡眠させて、その病気の治療法が開発されているであろう未来へ送り込むことを真剣に考えたり実行したりしている金持ちがいる。これは未来への物体移動型のタイムマシンである。未来への情報移動型のタイムマシンとしては、タイムカプセルというものがある。たとえば1970年に開催された日本万国博覧会のときにタイムカプセルが埋められた。最近、保存状況を調べるために発掘されたと新聞記事にあった。また実際、未来へのメッセージを送るためのタイムカプセルを販売している会社も存在する。これは未来への情報移動型のタイムマシンであり、ここに物理的、論理的な問題点は全くないことは容易に理解できよう。問題が生じるのは過去へのタイムトラベルなのである。
■ウラシマ効果と双子のパラドックス
冷凍睡眠やタイムカプセルは、真の意味でタイムトラベルではないと思われる人がいるかも知れない。真の意味で未来へタイムトラベルする物理的方法は存在する。それは特殊相対論によるウラシマ効果を利用する方法である。これは後に述べる、過去へのタイムトラベルでも利用される。特殊相対性理論では、高速で移動する物体に積み込まれた時計は遅れるという効果がある。実際、飛行機に原子時計を積み込んで、この効果を確かめた実験も存在する。大気上空で宇宙線と空気分子が衝突してミューオンという素粒子が発生する。ミューオンの寿命は非常に短く、たとえ光の速さで走っても地上には到達しないはずである。ところが地上でミューオンは観測される。その理由は、ミューオンが光速に近い速度で運動しているために、ミューオンの時計が遅れ、地上から見ると寿命が延びたように見えるのである。そのため地上にまで到達する。このように運動する時計の遅れという現象は、完全に確立した現象である。このことをことさら強調するのは、なかにはこれが常識に反するから間違いであると主張する反相対論論者がいたり、そんな本が出回っていたりするからである。ここに非常に高速の宇宙船が存在するとする。それは光の速さの60%もの速さで航行できるとする。その場合、宇宙船上の時計の遅れは0.8にも達する。つまり地上での10年が宇宙船では8年にしかならないのだ。双子の兄弟がいたとして、弟は地球に残り、兄は宇宙船に乗って6光年離れた星まで宇宙旅行をするとする。6光年を光速の0.6倍の速度の宇宙船で行くと、地球から見て10年かかる。しかし宇宙線の兄の時計では8年しかたっていない。兄は目的の星に到着した後、すぐに反転して地球に戻るとする。兄が地球にたどり着いたときに、地球では20年が経過したことになるが、兄の時計では16年しか経過していない。つまり兄が弟より4歳若くなる。これがウラシマ効果である。ここで双子のパラドックスについて少し説明しよう。上で述べたウラシマ効果は奇異な感じがする。なぜなら地球に残る弟から見れば、兄は光速の6割で運動して、その時計が遅れるかも知れないが、兄から見れば、地球と弟が反対方向に光速の6割で運動していることになるので、時計が遅れるのは弟のほうではないかという疑問が生じる。ポイントは兄が目的の星で宇宙船の方向転換をするところにある。この時点で兄とそのロケットは大きな加速運動をする。そして大きな見かけの重力を感じる。しかし弟と地球は、兄の方向転換時に加速運動をしないし、見かけの重力も感じない。つまり兄と弟は完全には相対的ではないのである。双子のパラドックスの解説に関しては、本書の佐藤勝彦さんの解説を参照のこと。私は雑誌パリティの「相対論の正しい間違え方」と題する連載記事で双子のパラドックスを詳細に解説している。(松田卓也、木下篤哉、2000年03,04号)
さてウラシマ効果を用いれば、未来へのタイムトラベルは可能であることはすぐに分かる。先の例では、兄は16年しか経過していないのに、20年先の地球にたどり着いた。ロケットの速度を上げたり、行き先の星までの距離が増えると、ロケットと地球の時間差は、原理的にはいくらでも大きくすることができる。浦島太郎が竜宮城から戻ってみると数百年たっていたという話は、原理的には不可能ではない。竜宮城は海の下ではなく、遠くの星にあったのではないだろうか。
■ブラックホールとワームホール
未来へ物体や情報を送り込むことに、なんの原理的問題もないことが分かった。問題は過去へ物体や情報を送り込むことである。これは一見不可能であるように思えるが、原理的には可能であると主張する物理学者もいる。その中でも有名なのは、アメリカの相対論の大御所であるキップ・ソーンである。彼はワームホールを用いたタイムマシンを1988年にフィジカル・レビュー・レターズ誌で提案した。一般相対性理論はブラックホールという奇妙なものの存在を予言する。これは重さの割には大きさが非常に小さなもので、重力が非常に強くなる。そこで光すらも、そのものから外へ出ることができなくなる。だからブラックな穴(ホール)なのである。ブラックホールは一般相対論がその存在を予言した非常に奇妙な存在ではあるが、宇宙にはたくさん存在していると考えられている。実際、X線星や活動銀河の中心核のいくらかはブラックホールの候補とされている。一般相対論はブラックホールのほかにホワイトホールというものも予言する。これはブラックホールとは逆に、重力はあるのに、何者もその中に落ち込めないと言う、さらに奇妙な存在である。もっともホワイトホールは理論的には存在しうるが、実際的には存在しないと言うのが普通の考えである。それはたとえば、熱が低温から高温に自然に流れることは、エネルギーの保存則とは矛盾しないと言う意味で、原理的にはあり得ても、実際的にはほとんどないのと同じことである。
さてそのブラックホールとホワイトホールをつないだものはワームホールといわれる。ブラックホールに飛び込んで、ホワイトホールから出ると、別の宇宙へ飛び出すことも原理的には可能である。
■キップ・ソーンのタイムマシン
普通ブラックホールには事象の地平面というものがある。これがあるワームホールは、問題のタイムマシンには使えない。なぜならワームホールを抜けることができないからだ。そこで何らかの方法で負のエネルギーを作り出すことができたとすると、事象の地平面のないワームホールを造ることが原理的にはできる。このワームホールは宇宙のある地点と、同じ宇宙の別の地点を結ぶトンネルのようなものである。宇宙を普通に航行すると、とても距離が遠いのに、ワームホールを通過すると、非常に近いということがある。SFによく使われるワープ航法というのは、このようなワームホールを使ったものが考えられる。宇宙船の速度は、ワームホール内では光速度を超えないとしても、外の宇宙から見ると、光速度を越えているように観測される。これは実は重大な問題で、後で述べるように、光速度を越えることが可能なら、タイムマシンが作れるのである。ソーンによるタイムトラベルの方法は、ウラシマ効果を利用するものである。何らかの手法で、負のエネルギーを作り、事象の地平面のないワームホールを造る。その一つを地球にとどめておいて、もう一方を高速度で宇宙旅行させ、遠くの星で反転させて再び地球へ戻す。するとさきほどのウラシマ効果のために、宇宙旅行した方のホールは時間があまりたっていない。そこで実験者はそのホールに飛び込み、地球においてあったホールから出てくる。すると過去へ戻れるというのである。この考えにはもちろん強力な反対もある。ソーンとならぶ相対論学者として高名な、英国のスティーヴン・ホーキングはその一人である。彼は時間順序保護仮説なるものを唱え、ソーンの言うようなタイムマシンはたとえできても爆発してしまって機能しないと述べている。
■負のエネルギーとワームホール
その問題を回避したとしても、ワームホールを造るには負のエネルギーが必要である。エネルギーがゼロである空間から正のエネルギーだけを引き出すことはできない。負のエネルギーとともにならば、エネルギー保存則に矛盾しないで、原理的には引き出すことができる。負のエネルギーというのは、質量が負であるから、重力が引力ではなく、反発力になるのである。そのためにブラックホールの事象の地平面ができるのを押さえることができる。ここで言う負のエネルギーはインフレーション宇宙論で現れるものとは異なる。負のエネルギーは実際、1948年にオランダのカシミールによって発見されたカシミール効果によって、その存在が確認されている。帯電していない2枚の平行な金属板を置くと、それが引き合うという現象がある。平行板の間の真空に揺らぎが生じて、空間のエネルギー密度が負になったと考えられている。平行板の間隔が狭いほど引き合う力も大きい。実はここが問題になるのである。つまり大きな領域で大きな負のエネルギーを作ることはできない。量子論に特有の、ハイゼンベルクの不確定性関係とある意味で似ている。負のエネルギーを作る別の方法として、スクイーズド真空状態を利用する方法がある。これは強力なレーザー光で物質を励起して一対の光子を作り出す。この光子が真空の揺らぎを押さえて、空間に正エネルギー領域と負エネルギー領域を作り出すというのである。ここでも問題は、負のエネルギー領域を作ると、必ずそれに対応した、あるいはそれ以上の正のエネルギー領域ができてしまうことだ。負のエネルギーを、そう都合良く作り出すことはできそうにもない。
■超光速通信
以上の話は、物体を超光速で運ぶとか、過去へ運ぶ話であった。先に述べたように、情報だけを超光速で運んでも、タイムマシンを作ることができる。その可能性について述べる。情報を運ぶ最も速い手段は光、電磁波である。光の速さは光速と決まっているようなものだが、そうではないという実験がある。それはドイツのニムツ教授による1992年の実験である。マイクロ波を発生させて、それを二つに分離する。一方は空気中を伝わって検出器に届くが、他方は障害を通過して届く。電波は障害を波の形では通過しないが、量子力学で知られているエバーネッセント領域の中を通過する。量子力学的に言えば、光子がエバーネッセント領域をトンネル効果で通過したわけだ。ところがこの光子の速度が光速度を超えているという。この実験はその後、世界のいろいろのところで追試されて、現象自体は確認されている。その速度は実験によっては、光速の1.7倍であったり4倍であったりする。さて問題は一つの光子が光速度より速く伝わったかどうかではない。量子力学的に言えば、それは不確定性関係の範囲で可能である。問題は情報を光速度より速く伝えることができるかどうかである。情報を伝えない超光速はいくらでもある。サーチライトのビームを回転させる。そのビームの当たったところは、光の点が通り過ぎる。この光の点の速さは、それが到達する距離を大きくすれば、いくらでも大きくできる。こんな超光速はなんの情報も運ばないので、タイムマシンにすることはできない。先の実験で電磁波が超光速で伝わったとして、問題はその速度が位相速度か群速度かということである。情報を運ぶのは群速度だからだ。位相速度は光速より速くなったとしても、群速度がそうならない限り、情報を超光速では運べないのである。NHKでも放映されたBBCの「タイムマシン」いう番組があった。ここではソーンがキャスターになって、彼のタイムマシンのアイデアを話し、ホーキングも出ていた。また負のエネルギーの実験も紹介された。その番組でニムツ博士も登場して、彼の装置を見せた。同じような実験をしたアメリカ系中国人のチャオ博士は、超光速現象は認めるものの、それは情報を運べないとする立場を述べた。それに対してニムツ博士は、マイクロ波にモーツアルトの交響曲第40番を載せて、それを障害を通過させた後、録音した。その音楽をパナソニックのテープレコーダで再生しながら、「モーツアルトはアメリカ人には情報ではないかも知れないが、ヨーロッパ人には情報である」という皮肉で応対した。この問題に関しては国際会議なども行われ、いろいろ議論されているようだが、決着はついていないと思う。もっともこの現象を利用して過去に情報を送ろうとすると、ニムツ博士も認めているように、地球からアンドロメダ銀河まで障害物をおいて、そのなかを電波を伝わらせる必要があるという。全くナンセンスである。ここでも分かることは、仮に過去に情報を送ることができたとしても、非常に近い過去、たとえば100億分の1秒前とか、であろう。意味のある過去に情報を送ろうとすると、非常に長い障壁を必要とするので、それを通過するには巨大なエネルギーが必要になる。負のエネルギーの場合と同様に、意味のある超光速を得るには、非常識に大きいエネルギーを必要とするのである。
■熱力学第二法則と時間の矢
ソーンのタイムマシンを含め、今までに提案されたすべてのタイムマシンには、時間の矢の考察がないことが筆者(松田)と東北大学の二間瀬敏史には不満であった。それで我々はタイムマシンに関する独自の考察をした。それを以下に紹介しよう。
そもそもタイムマシンに意味があるのは時間に方向があるからだ。時間は過去から未来に流れると感じられる、いわゆる時間の矢が存在する。人間は過去の出来事は変更できないが、未来の出来事は自由意志で選択できると信じている。昨日の夕食のメニューは変更できないが、今日の夕食に何を食べるかは自由である。過去の記憶はあるが、未来の記憶はない。いっぽう時間と対比して空間には、前も後ろも右も左も区別なく行くことができる。つまり空間はその方向に関して対称的である。しかし時間は後ろに進むことができず、常に前進しかない。タイムマシンがあれば強力だと思われるのは、このように時間に方向性があること、つまり時間が非対称的だからだ。時間を逆行できるタイムマシンができたら、昨日の夕食のメニューを変えることができるかも知れないのである。
先に述べたように人間の意識に関しては、過去と未来には圧倒的な非対称性がある。これを意識の時間の矢と呼ぶ。人間の意識だけではない。人間の歴史も、地球の歴史も宇宙の歴史もしかりである。これを歴史的時間の矢とよぶ。
時間の過去と未来の非対称性(時間の矢)の原因に関しては、19世紀のボルツマン以来、長い研究と論争の歴史がある。今までの多くの議論は時間の矢の原因を、熱力学第二法則に求めるものであった。熱力学第二法則とは、熱は高温から低温の方向に流れ、その逆は自然には起こらないというものである。「自然に」というところが重要である。冷蔵庫では熱は内部の低温部から周りの高温部に流れているが、それは電力を供給して冷却器を動かしているからである。熱力学第二法則は明らかに時間の過去と未来を区別する、つまり時間の矢を導入する。この法則は他の物理法則と比べて異質である。熱力学第一法則とはつまりエネルギー保存の法則であり、これは自然界の基本法則であると考えられている。この法則をなにか他の法則から導出することはできない。それに対して第二法則は、他の物理法則から導出可能ではないかと考えられてきた。ボルツマンはそれをニュートン力学から導こうとした。しかしそれは多くの批判にさらされて成功しなかった。しかしボルツマンの研究を契機として、その後さまざまな研究がなされ、決着を見ないままに現在に至っている。熱力学第二法則は、他の法則から導出できない基本法則なのか、導出可能な二義的な法則なのか。多くの物理学者は後者の立場をとっている。なぜなら、物理法則の基本法則はほとんどが、時間対称的なのである。ニュートン力学、電磁気学、相対性理論、量子力学すべてそうである。時間対称とは、難しく言えば、時間の方向を反転しても、物理法則を記述する方程式は形を変えないことである。わかりやすく言えば、ある現象をビデオで撮り、それを逆回しにしても、そのビデオの映像は不自然ではないということだ。たとえば太陽を回る惑星の運動がある。それをビデオに撮り、逆回しして、太陽系を知らない宇宙人に見せたとしたら、特に異を唱えないであろう。つまり物理の基本法則には時間の矢はないのである。しかしガラスコップが机の上から落ちて粉々になる現象、たばこの煙が広がっていく現象、これらをビデオに撮り逆回しすると、明らかにおかしい。宇宙人でもそのおかしさはすぐに分かるはずだ。これらの現象に熱力学第二法則が関与しているのである。基本法則はすべて時間対称なのに、第二法則が関与する現象は、時間非対称的である。そして我々の身の回りでおきる現象の多くは、ビデオを逆回しすると不自然な現象、つまり時間の方向がある現象なのだ。
波動の矢
時間の矢を示す自然現象として、もう一つ重要なものに、波動の矢がある。放送局のアンテナから電波を放出すると、その電波は「未来の方向に向かって」広がっていく(これを専門的には遅延波とよぶ。)決して過去の方向に向かって広がっては行かない。何を当たり前のことをと言われるかも知れない。しかしこれが当たり前ではないのである。先に述べたように電磁波を記述するマクスウエルの方程式は、時間に関して対称的である。すると未来に向かって広がる電磁波もあれば、過去に向かって広がる電磁波(先行波とよぶ)も同様にあってよいはずなのだ。過去に向かって広がるとはどういうことか。水の波で考えよう。水面に石を落とすと波紋が広がっていく。そして池の縁に達すると一部は反射し、一部は吸収されるであろう。これをビデオに撮り逆回しすると、池の周りから波がある一点に集中してくるように見える。これがつまり過去に向かって広がる波を、過去から未来の方向に向かって眺めた様子である。ところでこんな現象は、普通はないのである。マクスウエル方程式からは、先行波を排除する理由はないのに、自然界には存在しないのである。放送局のアンテナから放出された電波の大部分は宇宙に向かって広がっていく。もし先行波があれば、宇宙のかなたから電波が地球に集まってくることになるのだ。なぜ自然界に先行波が存在しないのか。それは熱力学第二法則から導かれるという説、それとは独立だという説などある。
■松田・二間瀬のタイムマシン
先にも述べたように、ソーンたちのタイムマシンには、時間の矢の考察が入っていない。もし時間の矢を考えないのなら、実はタイムマシンなんて比較的簡単に作れるのである。一つの電子を考える。これは過去から未来へと存在している。ところが電子が未来から過去へと存在したらどうなるか。それは我々の目からは陽電子と見えるということが素粒子論の知識から分かっている。陽電子、反陽子に代表される反粒子は、実はタイムトラベルしている普通の粒子であると解釈できるのである。そこでタイムトラベルするデロリアン号を作るには、反粒子を集めて作った反物質を材料にして、反デロリアン号を作ればよいのだ。反デロリアン号が過去から未来に存在することは、デロリアン号が未来から過去へとタイムトラベルしていることと解釈して問題はない。デロリアン号をタイムトラベルさせるには、具体的にはこうする。粒子加速器を用いて大量の反陽子、反中性子をつくり、それを集めて反原子核をつくる。それに陽電子を加えて反原子をつくる。反水素のほかに反鉄とか反ゴムなどもつくる。これらを集めて、もとのデロリアン号D1にそっくりのデロリアン号D3と反デロリアン号D2をつくる。このとき、D2とD3は対生成で作ったので、構造などは全く同じだが、材料はD3が物質、D2が反物質という点だけ異なる。反デロリアン号D2を他の物質と接触させないように大事に保管しておく。そして未来のある時点でデロリアン号D1と接触させる。物質と坂物質が接触すると、対消滅のため大爆発してエネルギーになってしまう。こうしてD1とD2は対消滅する。さてこれでタイムトラベルはできたのだ。どういうことかというと、デロリアン号D1が未来のある時点でタイムトラベルをはじめD2となる。それが過去のある時点で、タイムトラベルを中止して普通のデロリアン号D3になる。こう考えると、デロリアン号がタイムトラベルしたと解釈できるのである。ここで読者は疑問をもたれるであろう。そんなのはタイムトラベルではない。マーティーはどうしたと。そうマーティーをタイムトラベルさせるには、マーティと反マーティーを作らねばならないのである。そんなことができるわけはない。フランケンシュタインじゃあるまいし人権に反する。人間では問題が大きいので、ロボットで話をしよう。人間同様の知能があるロボットができる時代の話だ。そうするとロボットと反ロボットを作ることは、原理的には問題はない。しかし、このロボットのタイムトラベルは実は、魂のないロボットのタイムトラベルなのである。魂をタイムトラベルさせなければならない。具体的に言えば、未来から来たマーティーは未来の記憶を持っているのである。ここが重要な点で、先の知能のないデロリアン号とは本質的に違う点だ。タイムトラベルしてきたロボットには未来の記憶がなければ、常識的な意味でタイムトラベルしたと言うことはできない。そこでロボットに未来の記憶を持たせなければならない。どうするか。それは未来を予測してロボットD2の人工頭脳に入れておくのである。そうすると未来から来たと称するロボットD2は、未来はかくかくしかじかであるということができる。嘘臭い話しと思われるかも知れないが、矛盾はないのである。その未来予測が当たるかどうか。それは時間スパンが短ければ短いほど、良く当たるであろう。タイムトラベルするロボットが、狭い環境に閉じこめられて外界の影響が少ないほど、未来予測は当たるであろう。つまり松田・二間瀬流のタイムトラベルは、短期間、狭い場所に限定すればするだけ成功率が高くなるのである。ここにもハイゼンベルクの不確定性関係に似た関係が成立する。タイムトラベルの時間間隔をのばそうとすると、それだけ投入するエネルギー量を増やす必要がある。冷蔵庫は熱を低温から高温に流し、熱力学第二法則の時間の矢を逆転させているという意味では、一種のタイムマシンなのである。広い部屋を冷却するには、より多くのエネルギーが必要である。その関係と同じことなのである。私たちの主張は、タイムマシンを論じるには、時間の方向、つまり時間の矢のことを考えなければ意味がないということだ。タイムマシンを考えると言うことは、時間の本質を考えると言うことで、物理学だけでなく、生物学、脳科学、情報科学、哲学とも関連する実に奥の深い問題である。
科学朝日原稿・「時間の矢」
時間についての常識と、物理学における非常識
われわれは現在、過去、未来など時間に関してのさまざまな概念をもっている。しかしこういった概念は、現代の物理学と調和させるのが難しいといったら、驚かれるであろうか。常識では、過去は過ぎてしまったことで、それを変更することはできない。未来はまだ存在していないので、自由意思によってある程度は変更できる。昨日の夕食は変更不可能だが、明日の夕食はどうとでも決めることが出来る。過去の記憶はあるが、未来の記憶はない。このように過去と未来は対称的ではない。この一見、自明と思われる事実も、物理学においては自明ではないのである。時間は過去から未来のほうに向かって流れていくと、われわれの常識は告げている。この時間の非対称性をさして、英国の天文学者エディントンは「時間の矢」とよんだ。光陰矢の如しというくらいだから、時間の矢とはなかなかうまいネーミングである。時間の矢を物理学的にどのように説明するのか、というのが時間論の最大の問題である。
■ニュートン力学の時間対称性
まずは、物理学の基本であるニュートン力学から考えてみよう。ニュートンの運動方程式において、時間t を-tに置き換えたとしても、運動方程式の形は変わらない。時間を含む部分が二乗の形になっているからである。このことをさして、ニュートンの運動方程式は時間反転に対して不変である、あるいは時間対称であるという。ニュートンの運動方程式で記述される、例えば振り子の振動を考えよう。ここ では振り子に働く空気の抵抗とか、軸受けの摩擦は考えないとする。すると振り子は永久に振動を続けるであろう。この様子をビデオに撮り、それを逆回しする。ビデオを見ただけでは、それが順送りか逆送りかをいうことはできない。どちらの運動も自然だからである。つまりビデオを逆回ししたような運動も、ニュートンの運動方程式の解になっている。このことからして、ニュートン力学では過去と未来は対称的であり区別はつかず、時間の矢は存在しない。しかし、空気の抵抗や軸受けの摩擦を考えると事態は異なる。振り子の振動は、もしゼンマイのような動力源がないのなら、やがて停止するであろう。そのようすをビデオにとり、逆回ししたら、それが異様であることはすぐわかる。止まっていた振り子がだんだんと大きく振れだすからである。この現象には、摩擦とか抵抗といったものが関与している。それはあとで述べる熱力学第二法則と関連している。熱力学第二法則まで考えにいれると、時間の方向性が発生する。そのことを、熱力学的時間の矢という。

ここで問題ととなるのは、空気の分子までニュートンの運動方程式にいれて解けば、それは完全に可逆(時間対称)であるはずなのに、どこで非可逆性(時間の矢)が入り込むのだろうかということだ。

その他の基本法則の時間対称性
ここまではニュートン力学について述べたが、事態は特殊相対論、一般相対論になっても変わりないのである。つまりアインシュタインの方程式も時間対称になっている。一般相対論で現れるブラックホールというものがある。これを時間反転したものはホワイトホールとよばれている。
ニュートン力学とならんで古典物理学のもうひとつの柱に電磁気学がある。その基本はマクスウエルの方程式である。この方程式も時間反転に対して不変になる。このことを分かりやすくするためには、電磁波の伝播を記述する波動方程式を考えると、これは2階の偏微分方程式である。この波動方程式を解くと、二種類の解が得られる。それを遅延解と先行解とよぶ。池に石をなげいれると、波紋が外に向かって広がる。これが遅延解である。この様子をビデオにとり、それを逆回ししてみると、池の淵から波紋が、ある一点に集中してくるように見える。これが先行解である。先行解は過去に向かって波動が伝播していくと解釈することもできる。遅延解と先行解はそれぞれ、おたがいを時間反転したものになっている。遅延解も先行解も、波動方程式の解として、数学的にはどちらも許される。しかし、現実には先行解はない。もし電波の先行解があれば、過去に向かって通信を送ることができ、さまざまなタイムパラドックスを生じる。先行解を捨てて、遅延解をとるのは経験的な理由であるが、これを波動の時間の矢とよぶ。
ここまでは古典物理学であった。量子力学でも基礎方程式であるシュレディンガーの方程式は、時間対称である。電子の運動を記述するディラックの方程式も時間対称である。電子を考える。これを時間反転したもの、つまり時間を逆行する電子は、電子の反粒子、つまり陽電子とみなせる。このことはCPT定理から出てくる。以上をまとめると、ニュートン力学、電磁気学、相対論、量子力学、いずれをとっても、その基本方程式は時間反転に対して不変であり、時間対称的である。つまり時間の過去と未来の区別は、理論そのものからはでてこない。
熱力学第二法則と熱力学的時間の矢
物理学の法則としては、もっと経験的なものも存在する。熱力学第二法則がその例である。「熱は温度が高いほうから低い方へ流れる、その逆は自然には発生しない」という経験事実を定式化したものが、熱力学第二法則である。もちろん冷蔵庫やクーラーでは、熱を低いほうから高い方へ流すことができる。これは系が孤立していなくて、外部から手を加えているからである。熱力学第二法則は、厳密に言えば孤立系、つまり外界との物質やエネルギーのやり取りのない系で成立する。熱力学第二法則は熱の流れのほかに、たばこの煙の拡散現象、摩擦現象などにも適用される。熱力学第二法則は、非可逆な現象、つまり時間的に非対称な現象を記述している。このようにして現れる時間の非対称性を熱力学的時間の矢とよぶ。熱力学第二法則を、もっと定量的に述べたものがエントロピー増大の法則である。エントロピーとはクラウジウスという19世紀の学者が導入した熱力学的量である。これを用いると、熱力学第二法則は「孤立系のエントロピーは増大する(減少しない)」と言い表す事ができる。ボルツマンによる熱力学第二法則の「証明」 19世紀末、オーストリアの物理学者ボルツマンは、熱力学第二法則を気体の分子運動にニュートン力学を適用することにより証明しようと試みた。そして一見成功したかにみえた。ところが、その証明の問題点をさまざまな人により批判された。ボルツマンは統計力学を創始して、つぎのような結論に達した。エントロピーは確実に増大するのではなく、統計的に増大するのであると。つまりエントロピー増大の可能性は減少の可能性よりも圧倒的に高いと。そこで生まれたのが、ボルツマンによる有名なエントロピの定義式S=klogWである。ここでS,k,Wはエントロピー、ボルツマン定数、場合の数である。こうすると、低エントロピー状態とは場合の数の少ない、特殊な状態である。一方、高エントロピー状態は場合の数の多い、ありふれた状態である。だから初期に特殊な低エントロピー状態にあれば、その後はありふれた状態に移る可能性が高いのは当然であろう。しかし問題は、それではなぜ、初期の状態が低エントロピー状態なのか、ということである。それは宇宙が熱的に非平衡であり、そのような低エントロピー状態が用意できるからである。つまり問題は宇宙論にまで立ち入らねばならない。
進化の時間の矢
熱力学第二法則によれば、世界の状態はエントロピーの低い状態、つまりより整然とした秩序だった状態から、エントロピーの高い状態、つまりより秩序の無い状態に向かうはずである。ところが宇宙を見ると、宇宙初期の一様な状態から、銀河や星がうまれ、そのなかで惑星が生まれ、地球という惑星の上で生命が誕生した。生命も単純な単細胞生物から多細胞生物へ、低級な生物から高級な生物へと進化した。そして人間がうまれ、社会ができた。社会も単純な原始社会から、高度に発展した社会へと進化してきた。これらの事実は、エントロピーの増大というよりは、むしろ減少を思わせるものである。つまり宇宙全体のエントロピーは増大していくはずなのに、われわれのまわりではエントロピーはむしろ減少している。このような進化の方向を、進化の時間の矢とよぶ。これは、熱力学的時間の矢と矛盾しているように見える。ベルギーのノーベル賞物理学者プリゴジンたちは、熱平衡から離れた系における熱力学、つまり非平衡系の熱力学を展開し、そこでは秩序があらわれることをさまざまな例からしめしている。問題は、われわれのまわりが熱的に非平衡であるということだ。そうであるからこそ進化がおこり、さまざまな複雑なものが発生しうるのだ。
■宇宙論的時間の矢
われわれの回りがどうして熱的に非平衡かという疑問をつきつめていくと、宇宙の始めにまでたちいたる。宇宙の始まりは、高温、高密度の物質と光が一様に分布していた。通常の熱力学の常識では、この状態は熱平衡のはずである。すると、それ以上エントロピーは増大しない、いわば終局的な状態のはずである。ところが重力まで考慮に入れると、この状態は熱平衡どころか、それからもっとも隔たった状態なのである。重力まで考慮にいれた重力熱力学では、物質の密度分布は一様より非一様のほうがエントロピーが高いとされている。その究極はブラックホールである。宇宙は時間がたつにつれてブラックホールがごろごろある状態に進んでいくが、現在はその終局的状態からははるかに離れている。つまり熱 的非平衡な状態なのだ。このことが、地球、生命、社会の進化の根源的な理由である。結論をいえば、物理の基礎法則は時間対称であっても、その方程式にかせられる初期条件、境界条件といったものが時間非対称であるので、時間の矢が発生するのである。もっとはっきりいえば、宇宙の初期状態が、熱平衡から隔たっていたからである。
■世に擬似科学の種はつきまじ
筆者は科学朝日の4月号で、相対論は間違っているとする擬似科学説のいくつかを具体的に批判した。ところがそれが出版される前から、筆者のその議論を批判する本が出版されるしまつである。なんのことはない、筆者の文は擬似科学本の宣伝になり、かれらの飯の種になってしまっている。擬似科学者には、フリーライターといった人のほかに、物理学でない分野の大学教官も交じっている。かれらは専門書を勉強するのではなく、啓蒙書を読んで、それを誤解して、その誤解した理論を攻撃するというのがひとつのパターンとなっている。最近、熱力学第二法則を批判する擬似科学書もでた。しかも筆者の本を半分読んで誤解して、批判しているのである。もっときちっと読んでから批判して欲しいなあ。でも具体的に筆者が反論すると、また疑似科学の飯の種になるのでこれで止める。パソコン通信のニフティサーブの科学フォーラム物理会議室、SFフォーラム超科学会議室、インターネットのfj.sci.physicsには、これら疑似科学本を批判する文が山のように投稿されている。日本の若者の良識は健在である。オウムばかりが理工系エリートの集まるところではないのである。
文献
「時間の逆流する世界・・・時間・空間と宇宙の秘密」松田卓也、二間瀬敏史著、丸善、1987年。科学は言いっ放しではなく、観測、実験による実証が必要である。本書は時間 対称宇宙の実証可能性を論じた。ある疑似科学者は本書を攻撃しているが、本書 は知的冒険と考えるべきである。「時間の逆流のような問題を、そもそも問題と 考えるかどうかが問題である」とはホイラーの含蓄あることばである。
「時間の本質」松田卓也、二間瀬敏史著、講談社現代選書、1993年、熱力学第二法則と宇宙論の関係を論じた。
「皇帝の新しい心」ロジャー・ペンローズ著、林一訳、みすず書房、1994年、人工知能と物理学の関係を論じた大著。なかで著者独自の時間の矢の理論を展開している。それによれば宇宙の初期条件と終末条件の違いが、熱力学第二法則を規定しているとする。「時間の矢、生命の矢」ピーター・コヴニー、ロジャー・ハイフィールド著、野本陽代訳、草思社、1995年、化学と生物における時間の矢も論じている。プリゴジンなどブリュセル学派の立場に立つ。
藤村有弘~フランス語はあってます
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%9C%89%E5%BC%98
おまけ
ハーバード大学のチャールズM.リーバーは、5G放射線を使用して、事前設定されたナノチューブ容器からコロナウイルス粒子を振動させることで米国特許を取得しています。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2178534.html
注意:ハーバード大学の発表ではコロナは2024年まで続くとのことですがやっぱり5Gが絡んでいるんだ
ノーベル賞学者は警告する~ワクチン接種後死亡する
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2178396.html
ローマクラブと人工削減計画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37349295
ミンスキーモーメント接近中
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=1629&aq=-1&oq=&at=&ai=
二年前に警告
https://newspicks.com/news/4126692/body/

Legacy of Ashes
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4381


アロイス・アールメイヤ

アロイス・アールメイヤによる「第三次世界大戦の予言」の壮絶な描写
2013/4/11(木) 午前 2:08
アロイス・アールメイヤによる「第三次世界大戦の予言」の壮絶な描写
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/alois-2013-04-10.jpeg
そんな中で、ふとしたキッカケで、ドイツ人のアロイス・アールメイヤ(Alois Irlmaier)という人が 1950年代に語った予言を目にしました。
検索してみると、このアロイス・アールメイヤという人が日本語で紹介されているものはなかったので、ご紹介しておこうと思います。
ちなみに、このドイツ語での名前の読み方は正直これで正しいのかどうかわかりません。
アロイス・イルマイルとも読めそうだし、アーロイス・イルルメイヤというのもありそうですが、とりあえずここでは、アロイス・アールメイヤということで統一いたします。
ヨーロッパの予言によく出てくる「東」は、どこなのか?
なお、ドイツ人の予言者といえば、19世紀のアイラート・ジャスパーという人が下のように言っています。
東からこの戦争は起こる。
この戦争は急に起きる。
Visions from Central Europe より。
ロシアという単語も実際に出てきます。
しかし・・・よく読むと、「ロシアと想定した」という根拠は「旗」っぽいんですね。
予言の中にシンボル的な感じで、
「槍の先」が
とか「3つの槍が」というような表現が出てきます。
これはよく考えると「ソ連の国旗」だと思うんですね。
ソ連の国旗は下の図柄でした。
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/sor.jpeg
今の「ロシア」の国旗は下の図柄で「槍」は描かれていません。
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/Flag_Russia.png
ちなみに、ドイツ、あるいはヨーロッパから「東」を見ると下のようになります。
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/east-001.jpg
上のは世界地図をふたつくっつけてみたんですが、「東」といっても、たとえば、日本から見れば東は米国だし、当然のことではあるのですが、国によっていろいろではあります。
それで、ドイツから見て比較的「東」に槍のマークのある国旗はあるだろうかと探しますと、「イラン」くらいなんですね。
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/iran-flag.jpg
これは、剣と三日月を現しているそうですが、国旗からだけ考えると、むしろイスラム勢力のマーク(国旗ではなくとも剣や三日月はシンボルとして多い)のような感じもしないでもないです。
きわめて過激な状況が描かれる戦争の描写
しかし、結局は今回このアロイス・アールメイヤさんの予言をご紹介しようと思った理由は「内容がエグい」からなんです。
この戦争は(予言では)時間的に非常に早く始まり、そして終結するようなんですが、
夜明けまでには、これまでのふたつの大戦(第一次大戦と第二次世界大戦)で死亡した人の数より多くの人が死んでいる。
ようなことも書かれてあり、そして、
「建物を壊さずに人や動物や植物だけをたくさん殺す」
というような、大量死に結びつく不思議な武器のことも書かれています。
こういうのは水爆とか中性子爆弾とか、そのテのものしか思い浮かばないですけれども、
いずれにしても、なかなか凄絶な戦争の様子が語られます。
また、興味深かったのは、
私は赤い広場が黄色い顔で満たされる光景を見た。
とか、
黄色いドラゴンがアラスカに侵攻し、またカナダにも同時に侵攻する。
という、ちょっと意味がわかりにくい描写などがあることです。
結構長いですので、そろそろ本題に入ります。
アロイス・アールメイヤが予言する第三次世界大戦
ごく普通の敬虔なキリスト教徒であったドイツ人のアロイス・アールマイヤは、1950年代に作家コンラッド・アドルメイヤのインタビューを受けた。その際に答えた第三次時世界に関しての描写は、最近の世界情勢と照らし合わせると、もう一度振り返ってみる価値があるように思い、ここに全文を掲載する。
--
[ここからアロイス・アールマイヤの言葉]
何もかも平和だった時に、おお、それは起きてしまう。
まずは、新しい中東での戦争が急速に拡大し、巨大な海軍が地中海で敵と向かい合うことになる。状況は緊迫する。
しかし、実際に火花が散るのはバルカン半島だ。
私は「巨大な何か」が落ちてくるのを見た。
血まみれの短剣がその側に落ちている。
その「落ちてきたもの」の衝撃は巨大だ。
3人に2人を殺してしまう。
殺人者たちのうちのひとりは小さな黒い男だ。
もうひとりはもう少し背が高くて、明るい髪の色をした人物だ。
私はこれはバルカン半島の出来事になると言っているが、しかし、実際にそうなのかどうか正確なところはわからない。
3回目の殺戮の後、戦争は一夜にして開始される。
私は非常に明確に「3つの数字」を見た。
それはふたつの8と9(8・8・9)だ。
しかし、この数字が何を意味している数字なのかはわからない。
戦争は夜明けと共に始まる。
彼らは突然やって来る。
農民や市民たちがパブでカードゲームに興じている時に、窓の外に外国の軍隊の姿が映る。まだ外が真っ暗なうちに彼らは「東」からやって来る。
すべては突然に、そして急速に起きる。
私は数字の「3」を見た。
しかし、この数字が3日という意味なのか3週間という意味なのかわからない。
巨大な軍隊が東からベオグラードに入ってくる。そして、イタリアに向かって進軍する。事前通達なしに、ドナウからドイツのライン川まで一気に進む。
これらのことはまったく予想されていなかったことなので、人々はパニックを起こして避難する。多くの人々が家にいる時間で、みんなが車で逃げようとして、道路は渋滞する。また、一般の道路も高速道路も戦車が通過していく。結局、逃げようとした人々もほとんど戻るしかなくなる。
私には、あるはずのドナウ川の橋が見えない。そして、大都市フランクフルトは見る影もなくなっている。ライン渓谷の空気はよどんでいた。
私は3本の槍が迫ってくるのを見た。
ロシア軍だ。
彼らはどこにも止まらず進軍する。
昼夜を通して進行し、ルール地方に到達する。彼らの目的はルール地方の獲得だ。
直ちに、それに対しての復讐が大海の向こうからやって来る。
しかし、黄色いドラゴンがアラスカに侵攻し、またカナダにも同時に侵攻する。
彼らはそれほど遠くから来るわけではない。
そこで黄色い塵の雨が降る。
それは黄金の都市が破壊された時に起こる。
海の上の都市の上に、黄色いラインのように上ってくる。
よく晴れた夜だ。
戦車はまだ動いているが、その戦車の中で運転している人間は真っ黒になる。
黄色い塵の雨が落ちたところでは、あらゆるものが死んでしまう。
木も草も牛もだ。
建物だけが残っている。
私にはこれが何が起きた状況なのかわからない。
長い長い列が続いている。
人々の死体の列だ。
槍の先がすべてを破壊してまい、誰も戻ってくることはない。
航空機は黒海と北海の間に黄色い粉を落とす。
なので、この「死の列」は黒海から北海の間に長い距離につらなる。バイエルン地方と同じくらいの距離だ。
この地域では、草は育たない。
ロシアからの供給も中断される。
東から多くの車両がやってくる。しかし、それらの車両は徐々に停車し、運転している者はすべて死んでいる。ライン川で最後の決戦がある。兵士たちは誰ひとりとして戻ってこないだろう。
航空機のパイロットたちが、小さな「黒い箱」を投下する。それは、地面に触れる前に爆発する。そして、黄色や緑色の煙や塵を巻き上げる。
その煙や塵に触れると人間であろと動物であろうと、あるいは植物であろうと、すべて死んでしまう。1年間はこの場所にはいかなる生き物も入ることはできないだろう。立ち入ることは生死に関わる危険を伴う。
これらの「黒い箱」はまるで悪魔だ。
これらが爆発すると黄色や緑色の塵や煙が発生し、接触したものはすべて死ぬ。
人間は真っ黒になり、肉は彼らの骨から落ちてしまう。
兵士たちは誰ひとりとして戻ってくることはないだろう。
そして、私は東から誰かが飛んできて、海の中に何かを投下する光景を見た。
海の水はまるで塔のような高さまで立ち昇ってから倒れた。
これらのすべてのできごとは長く続くわけではない。
3日か、あるいは3週間か、あるいは3ヶ月。
それは私には正確にわからない。
戦争とは関係ないが、地震がある。
イングランドの東部の大地は海の中に消える。
海に面している国は海水にわって大きな危機に瀕することになる。
津波は家の高さほどの距離になり、それは沸騰している。
たくさんの島々がそれにより消える。
あるいは海の中に沈んでいく。
その後、塔の高さほどあった水はふたたび下に落ちる。
この海の現象が何なのかは私にはわからない。
これがいつ起きるのかもわからない。
戦争中に、大きな真っ暗闇がやって来る。
それは戦争の最後の 72時間だ。
昼なのに暗くなる。
その後、雷と共に雹(ひょう)が降ってくる。そして、大きな地震が地球を振動させる。
この時に外に出てはいけない
そして、ろうそく以外の電灯をつけてはいけない。
窓を開けてもいけない。
粉塵を吸い込むと痙攣して死ぬ。
窓は黒い紙で完全に覆うこと。
多くの人がこの 72時間のできごとの間に死ぬ。
繰り返し言うが、この 72時間の間に外に行ってはいけない。
窓を開けて外を見てはいけない。
そして、ろうそくの灯を消さないようにして、そして祈ること。
夜明けまでには、これまでのふたつの大戦(第一次大戦と第二次世界大戦)で死亡した人の数より多くの人が死んでいる。
鉄の塔を持つ都市の人々が犠牲になるだろう。
彼らはすべてに火をつける。
革命が起きる。すべてが暴力的だ。
鉄の塔を持つ都市が燃えている。
しかし、これは東から来た人々によっておこなわれたのではなく、その都市の人々自身がおこなったことだ。
イタリアでも暴力的な動きが激しくなる。
彼らは多くの人々を殺し、ついにパチカンでは法王が逃げることになる。
多くの教会が破壊され、多数の聖職者たちが殺される。
ロシアでは革命と内戦が勃発する。
死体の数が多すぎて、死体の山で道路から身動きがとれなくなるほどだ。
ロシア政党の指導者が自殺する。
私は赤い広場が黄色い顔で満たされる光景を見た。
それはひどい暴力と殺戮の光景だ。
ロシアの人々は改めて信仰に目覚めて、神の存在を信じるようになる。
彼らは神聖な画の前で復活祭の歌を歌い、キャンドルに火をつける。
キリストへの祈りによって、地獄から来た怪物は死ぬ。
若い人々もふたたび神の母の奇跡を信じる。
子どもたちに死をもたらす法律は無効とされる。
そして、平和がやって来る。
良い時代がやって来る。
法王が戻ってくる。
それから長い長い幸運な時代がやって来る。
終わり!
3年くらい前の記事で、
・北朝鮮は初めから水素爆弾を研究してきた
 2010年05月18日
というのがあって、北朝鮮から脱北した労働党秘書の黄長ヨプさん(2010年に死去)が、
http://oka-jp.up.seesaa.net/image/fan-jong-yop.jpg
「北朝鮮の大量破壊兵器(WMD)技術はすでにかなりの水準に上がっている。近い将来、水素爆弾の生産が開始されると発表することもできるはずだ。一度に発表しない理由は、国際社会の報復が怖いのだ。北朝鮮は初めから水素爆弾を研究していた」。
と言っていたことが紹介されていた韓国の記事を記したことがあります。
北朝鮮の初代総書記、金日成(キム・イルソン)の誕生記念日が 4月15日にせまっています。
これは、北朝鮮の大きな祝祭日ですが、その「大好きなおじいちゃん」と似るために太って顔まで整形したといわれるキム・ジョンウンさんには 4月15日は単なる日ではないかもしれません。
好きな人の誕生日・・・あなたなら何をしますか?
アイラート・ジャスパーの1833年の予言
私は東が恐ろしい。
というもので、今回のドイツのアロイス・アールメイヤさんの予言に出てくる表現とも、何となく似ています。
ただ、 1950年代という年代もあるのでしょうが、アロイス・アールメイヤさんの「東」は「ロシア」(当時のソ連)を想定しているようです。

203高地のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/k203keyboard/68022526.html







外した事がない預言の中に出て来る日本の軍隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/561.html
投稿者 オリハル 日時 2013 年 7 月 26 日 13:58:37: 3eVpHzO3Pti46
(回答先: 安倍晋三首相のことを「天も応援してくれている」と秘書 投稿者 オロンテーア 日時 2013 年 7 月 26 日 10:36:55)
安倍晋三総理へ
(1) 外れた事がないというウラジミール・ソロビヨフの預言:
http://oriharu.net/j2031.htm#asiarengoh
『やがて、日中が一丸となって、アジア大連合を作り、ロシアを越えてヨーロッパまで侵略するときがくる。』
【明確に日本の軍隊が預言(しかも外したことがないという預言)の中に出てきている】
(2) イエズス・キリストの出現を受けたポーランド農民ウラジスロウ・ビエルナッキの預言:
http://oriharu.net/jProphecy_WW3.htm#Chinese_Army
中国軍の「進出」が描写されている。
(3) アロイス・アールメイヤによる預言の中には「黄色いドラゴン」という描写がある。
http://oka-jp.seesaa.net/article/354797860.html
(4) ドイツ農民アイラート・ジャスパーの預言というのもある。
http://slicer190.vs.land.to/0-hl-space-11627.html
『東から、この戦争は起こります。 私は、東に恐怖します。』
これらの預言を外すように動くべきです!
憲法問題は最大の問題である。まだ、国民は事の重大さの認識が足りない。
http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/107.html
投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 7 月 04 日 22:00:50: sypgvaaYz82Hc
01. 2013年7月26日 23:09:45 : cB6g7lv146
ヨーロッパ行くのにロシアを越える必要がない。
02. オリハル 2013年7月26日 23:46:49 : 3eVpHzO3Pti46 : AmwoG4U4n2
意図する方向を「アラを探す」から「何を言おうとしているのかを追及する」に変換すればいいと思う。
03. オリハル 2013年7月27日 00:14:20 : 3eVpHzO3Pti46 : AmwoG4U4n2
何故、中国+日本軍が「西洋に」攻め込むのか?
Chinese Mafia destroy Illuminati
https://www.youtube.com/watch?v=tW4p9N2Ocs8
だそうですから、Chinese Mafiaがその方向を決めたのかも知れない。
「全てIlluminatiが悪いんだ!」
となって、「それまでの恨み」の力で西洋に向かって行く? 
静養に向かえばいいのに。
「それまでの恨み」って何?
日本軍と中国軍が小さな戦争をいくつかやった裏には「ある理由」がある?
その真相が暴露されたら、全部Illuminatiの策略だったり、とか?
それで日中軍事力が一体化するのかも知れない。
04. 2013年10月02日 09:34:46 : AzEIYK9yFI
西洋は東洋の歴史に介入しすぎです
そのために色々なところで歴史がおかしくなってしまっている
中国はアヘン戦争に負けてはならなかった
日本は第二次世界大戦に敗北してはならなかった
しかし麻薬や原爆などのイカサマ兵器の登場により
そうしたことが現実に起こってしまいました。
戦争なのだから勝てばいいのだというのは嘘であり、
戦争には大義というものがあり、それに相応しい勝ち方があるのです、
それがなければ真の勝利とは言えない。西洋は真の勝利を掴んではいない。
西洋が東洋から手を引かなければ
東洋は西洋を潰すしかなくなるでしょう。
日・中・韓はあっというまに団結できます、なぜなら敵対していたのは
アメリカの工作でありイギリスの工作であったことが明らかだからです。
そして戦争の裏には常に西洋のバチカンなり貴族なりがいます。
それらが明らかになれば東洋の人々は歴史を捻じ曲げられたことを怒りに思うでしょう。

★阿修羅♪  
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/561.html




ピリ・ライス(Piri Reis)南極地図





ANTARCTICA CASTLE DISCOVERY REWRITES HISTORY PART 2 !!! BREAKING NEWS

youtube.com
https://www.youtube.com/watch?v=goEULmbHQLE&feature=youtu.be




(大意)
ピリ・ライス(Piri Reis)南極地図
現代の測量による世界地図と重ねると、ぴったり重なるその正確性。
Piri Reisの地図には多くの謎がある。
Piri Reis地図の謎は、まず、描かれた南極大陸のかたちが、氷のなかにあるはずの陸地部分のかたちであるという事。
数千年昔の、まだ南極に氷がなかった時代の大陸のかたちである点だ。
ヨーロッパとアフリカ北部の沿岸線も正確に描かれているが、一方、南極の大西洋沿岸部のかたちは、古代の南極大陸のかたちを描いているといわれる。
数マイルの厚い氷床に覆われた南極の大西洋沿岸部エリアの調査がはじめて行なわれたのは1958年。この時の調査によってはじめてこの
エリアの沿岸線が解明されたが、1513年当時のPiri Reisの南極地図に、この沿岸線が正確に描かれているのは驚くべき事だ。
David Wilcock
南極に関する古典文献は、数に乏しく、当時の様子をうかがい知るのは難しい。
Piri Reisが地図を描いた16世紀当時の世界は、ヨーロッパ、アフリカ、南極ともに氷床下にあったのではないか。
その当時に南極大陸の沿岸線を知るのは今以上に困難な事であり、Reisの地図はおそらくReis自身の測量によるものだはないだろう。
何らかの文献を元に作った可能性がある。
最近の記事からいくつか引用する。
英EXPRESS誌
「南極の巨大構造物はUFOの発着基地か」
英Mail Online誌
「南極にピラミッド UFOの発着基地か」
米INQUISITR誌
「南極に古代遺跡?Google Mapに映る南極の構造物は歴史常識を変えるか」
今後の発見が楽しみだ。

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農業の起源
農業の起源は近代考古学においてもっとも難題とされてきた分野である。紀元前9600年頃に起きた気候の大変化の直後、世界各地で突如として農業が始まったという事実を説明するため、これまでにたくさんの学説が浮かんでは消えてきた。
1886年、アルフォンス・デ・カンドル(1806~1893)が植物学的見地からこの問題に取り組んだ。
「栽培植物の地理的起源を知るための最も直接的な方法は、その植物はどこの国で人の手を借りることなく自生しているかということを調べれば良い。」
ソビエトの著名な植物学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフ(1887~1941)は、カンドルの方法論に可能性を見出していた。バビロフは長い間かけて世界中から5万種類以上の野草を集め、この作業を通じて主な栽培植物の発生源として8つの場所を特定することに成功した。なんと、これらの全ての場所には地球上で最も高い山脈との直接的な相関関係がはっきり認められたのだ。
今日不可欠とされている栽培植物が最初に生えていた場所は、ヒマラヤ、ヒンドゥークシ、中近東、バルカン半島、アペニン山脈など、世界に冠たる山脈が集まる、北緯20度から45度の地域に集中している。ヨーロッパ、アジア、アフリカにおいてはこれらの地域は緯度に沿って伸び、南北アメリカにおいては経度に沿って伸びている。どちらの場合も、大きな山脈がある地域と一致しているのだ。
バビロフは、また、今日世界中で栽培されている植物が元々は海面よりはるかに高い位置にある山岳部に生えていた植物を源としていることを証明した。
アトランティスの伝説をエジプトの文献で知ったプラトンは、地球上を大洪水が襲った直後からの復興の最初の日々について、その最後の著作「法律」の中で記している。
アテネ人「大昔の話には真実が少しでも含まれていると思いますか?」
クリニア人「何の話に?」
アテネ人「人類がしばしば大洪水や疫病、その他の災害によって滅亡させられた結果、僅かの生存者しか残らなかったという話です。」
クリニア人「みんなが真実であると信じていることでしょう。」
アテネ人「それでは多くの災害を思い描いてみましょう。特にノアの洪水の時に起こった災害のことです。」
クリニア人「それについて何を思い描くのでしょうか?」
アテネ人「破滅を逃れた人々の多くは丘の上に住んでいた牧夫であり、人類のほんのわずかな生き残りがどこかの山の上に落ち着いたということです。」
クリニア人「明らかに」
アテネ人「平野や海の近くにあった街はその時全て壊滅してしまったと仮定しましょうか?」
クリニア人「いや、こう仮定しましょう」
アテネ人「それでは破壊が起こった時に、人類はどのような状態にあったとしましょう。陸地には無人地帯が広範囲にわたって存在していて、動物はほとんど死滅してしまった。ほんの少しだけ生き残った牛や山羊が、牧夫の手に渡っていったとしたら?」
プラトンのこうした記述は、家畜の出現に関して初めて理にかなう説明をつけたものである。彼の理論は、農業の起源や動物の家畜化の始まりが、アトランティス文明でかなり昔から実践されていた手段を再現したものだということを仮定している。史上最古の農業的実験が行われた時代は、アトランティスの滅亡した時代とぴったり一致するのである。
-MU BOOKS/アトランティスは南極大陸だった!! 1996年刊  

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By LavenderRose
13000 Year Old Satellite, The Full Story Of The Black Knight UFO HD Video
Sunday, June 8, 2014 0:50
(Before It's News)
Before It's News
http://beforeitsnews.com/space/2014/06/13000-year-old-satellite-the-full-story-of-the-black-knight-ufo-hd-video-2480068.html
(要約)
遺跡情報:13000年前の人工衛星「The Black Knight」
2014年6月8日日曜日0:50
(Before It's News)
The San Francisco Examiner
St. Louis Dispatch
1950年代から1960年代にかけ、南極や北極など、地球上空の衛星が飛ばないようなエリアを飛ぶ人工衛星が発見され、雑誌「Aviation Week and Space Technology」は1954年8月23日、この話題を記事に掲載、話題になった。
衛星は「The Black Knight」と名付けられた。13000年前の衛星で、地上で多くの文明が興っては滅ぶ千数百年の間、この衛星は地球上空を巡回してきたようだ。大きさは街一つ分の巨大なもので、人が住む宇宙ステーションのようなものであったのではないか。

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歴史情報 農業の起源


農業の起源
農業の起源は近代考古学においてもっとも難題とされてきた分野である。紀元前9600年頃に起きた気候の大変化の直後、世界各地で突如として農業が始まったという事実を説明するため、これまでにたくさんの学説が浮かんでは消えてきた。
1886年、アルフォンス・デ・カンドル(1806~1893)が植物学的見地からこの問題に取り組んだ。
「栽培植物の地理的起源を知るための最も直接的な方法は、その植物はどこの国で人の手を借りることなく自生しているかということを調べれば良い。」
ソビエトの著名な植物学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフ(1887~1941)は、カンドルの方法論に可能性を見出していた。バビロフは長い間かけて世界中から5万種類以上の野草を集め、この作業を通じて主な栽培植物の発生源として8つの場所を特定することに成功した。なんと、これらの全ての場所には地球上で最も高い山脈との直接的な相関関係がはっきり認められたのだ。
今日不可欠とされている栽培植物が最初に生えていた場所は、ヒマラヤ、ヒンドゥークシ、中近東、バルカン半島、アペニン山脈など、世界に冠たる山脈が集まる、北緯20度から45度の地域に集中している。ヨーロッパ、アジア、アフリカにおいてはこれらの地域は緯度に沿って伸び、南北アメリカにおいては経度に沿って伸びている。どちらの場合も、大きな山脈がある地域と一致しているのだ。
バビロフは、また、今日世界中で栽培されている植物が元々は海面よりはるかに高い位置にある山岳部に生えていた植物を源としていることを証明した。
アトランティスの伝説をエジプトの文献で知ったプラトンは、地球上を大洪水が襲った直後からの復興の最初の日々について、その最後の著作「法律」の中で記している。
アテネ人「大昔の話には真実が少しでも含まれていると思いますか?」
クリニア人「何の話に?」
アテネ人「人類がしばしば大洪水や疫病、その他の災害によって滅亡させられた結果、僅かの生存者しか残らなかったという話です。」
クリニア人「みんなが真実であると信じていることでしょう。」
アテネ人「それでは多くの災害を思い描いてみましょう。特にノアの洪水の時に起こった災害のことです。」
クリニア人「それについて何を思い描くのでしょうか?」
アテネ人「破滅を逃れた人々の多くは丘の上に住んでいた牧夫であり、人類のほんのわずかな生き残りがどこかの山の上に落ち着いたということです。」
クリニア人「明らかに」
アテネ人「平野や海の近くにあった街はその時全て壊滅してしまったと仮定しましょうか?」
クリニア人「いや、こう仮定しましょう」
アテネ人「それでは破壊が起こった時に、人類はどのような状態にあったとしましょう。陸地には無人地帯が広範囲にわたって存在していて、動物はほとんど死滅してしまった。ほんの少しだけ生き残った牛や山羊が、牧夫の手に渡っていったとしたら?」
プラトンのこうした記述は、家畜の出現に関して初めて理にかなう説明をつけたものである。彼の理論は、農業の起源や動物の家畜化の始まりが、アトランティス文明でかなり昔から実践されていた手段を再現したものだということを仮定している。史上最古の農業的実験が行われた時代は、アトランティスの滅亡した時代とぴったり一致するのである。
-MU BOOKS/アトランティスは南極大陸だった!! 1996年刊   

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By LavenderRose
13000 Year Old Satellite, The Full Story Of The Black Knight UFO HD Video
Sunday, June 8, 2014 0:50
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Before It's News
http://beforeitsnews.com/space/2014/06/13000-year-old-satellite-the-full-story-of-the-black-knight-ufo-hd-video-2480068.html
(要約)
遺跡情報:13000年前の人工衛星「The Black Knight」
2014年6月8日日曜日0:50
(Before It's News)
The San Francisco Examiner
St. Louis Dispatch
1950年代から1960年代にかけ、南極や北極など、地球上空の衛星が飛ばないようなエリアを飛ぶ人工衛星が発見され、雑誌「Aviation Week and Space Technology」は1954年8月23日、この話題を記事に掲載、話題になった。
衛星は「The Black Knight」と名付けられた。13000年前の衛星で、地上で多くの文明が興っては滅ぶ千数百年の間、この衛星は地球上空を巡回してきたようだ。大きさは街一つ分の巨大なもので、人が住む宇宙ステーションのようなものであったのではないか。

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2013年10月24日
突然のように始まった「不思議な海底の露出」はいつまで続く?
南太平洋の南回帰線近くの海底にある「塔」。そして、その周辺に広がる光景
米国アップルのパソコン Mac 用の OS の新しいのがリリースされまして、今日はそのインストールやら、他にもいろいろとありまして、あっという間に1日が終わってしまいました。それで、あまり時間がないのですが、過去、海底の遺跡「のようなもの」に関してふれることも多かったのですが、昨日、非常に興味深いものがグーグルアースに写っていることを知りまして、今回は短い記事となりますが、それをご紹介したいと思います。
座標もはじき出すことができましたので、グーグルアースを持ってらっしゃる方ならどなたでも見られます。残念ながら、ブラウザでのグーグルマップでは見られません。トップに載せた写真がその光景の一部ですが、自分でグーグルアースでそのあたりを見た時の様子を、多少記録してありますので、その動画を載せておきます。地球全体の姿から近づいていきますので(笑)、場所はわかりやすいかと思います。
南太平洋の海底
上の座標は大体、
32°30'05.64" S 149°52'47.17" W
となります。
写真のほうは見えやすいように、やや明るくしていますけれど、下の形だけならこういうような自然の地形はあるかもしれないとは思います。
ただ、方向を変えて見た、下の写真のこのあたりの形がどうも・・・。あと、上の動画ではちゃんと記録していないですけれど、このあたりはこの周囲の全体的な海底の地形もなんとなく、「自然を逸脱している」という感じもあります。場所は、大体、地図の下の赤い丸のあたりになると思います。
沈んでいった文明。そして浮上する大地
先日の、
・「瞬間的に略奪が発生するアメリカの現実」を目の当たりにしながら、グアム海底の構造物を眺めていた日
 2013年10月16日
という記事では、グアムのすぐ横にある海底の奇妙に規則正しい地形が写っていることをご紹介したことがあります。
あと、昨年の、
・アメリカ東海岸とバミューダ海域の間の海底にグーグルアースで確認できる「ピラミッド型の何か」
 2012年12月19日
という記事では、アメリカに比較的近い海域に、ピラミッドのような「地形」が海底にあるということをご紹介したこともあります。グーグルアースでの座標は「 32°25'55.70" N 72°04'38.03" W 」周辺です。これもひとつならともかく、規則正しく円錐形のものが海底に並んでいるというのが不思議なところでした。ちなみに、これは航空写真で見えるもののようで、下のように、ワシントン D.C. ともバミューダ海域の間の、やや南よりにあります。
昨日の「イスラエル・ガリラヤ湖が震源となる連続した地震の発生で気づいた地球上の大陸の分断の始まる地点」という記事で「大陸の分断」というものの可能性を書いたのですが、過去の地球では、それと共に「新しい島の浮上」と、そして、あるいは「旧来の文明と、その大陸の沈没」という出来事があったかもしれないということは、多くの人たちの潜在的な共通認識であるような気もします。
もしかすると、それほど遠くはないかもしれない、その「またやってくるかもしれない地質的な大きな変化の時代」というものを前にして、最近次々と見つかる、「もしかしたら、かつての人工の遺跡のようなものかもしれない」とも感じる海底の構造体にいろいろなことを思います。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/378433637.html





13000年前の人工衛星「The Black Knight」




「ブラックナイト」の3Dモデル
2016-05-11 11:36:22
1万3千年前の文明が遺した宇宙船「ブラックナイト」の画像を
詳細に調べて作成した3D画像を
「MUNDO DESCONOCIDO」(未知の世界)が公表した。
円盤という概念からはほど遠い、
メカニカルな形状で、
なんとなく好戦的な雰囲気も感じる宇宙機だ。

ゲルな夢日記
http://ameblo.jp/rakuouyotimu/entry-12158229267.html





遺跡情報:13000年前の人工衛星「The Black Knight」
2014/6/9(月) 午後 8:49
By LavenderRose
 13000 Year Old Satellite, The Full Story Of The Black Knight UFO HD Video
 Sunday, June 8, 2014 0:50
 (Before It's News)

 Before It's News
http://beforeitsnews.com/space/2014/06/13000-year-old-satellite-the-full-story-of-the-black-knight-ufo-hd-video-2480068.html

メモ帳
http://blogs.yahoo.co.jp/dojobzzzz/55044234.html






 (要約)
遺跡情報:13000年前の人工衛星「The Black Knight」
2014年6月8日日曜日0:50
 (Before It's News)
 The San Francisco Examiner
 St. Louis Dispatch
1950年代から1960年代にかけ、南極や北極など、地球上空の衛星が飛ばないようなエリアを飛ぶ人工衛星が発見され、
雑誌「Aviation Week and Space Technology」は1954年8月23日、この話題を記事に掲載、話題になった。
衛星は「The Black Knight」と名付けられた。
13000年前の衛星で、地上で多くの文明が興っては滅ぶ千数百年の間、この衛星は地球上空を巡回してきたようだ。
大きさは街一つ分の巨大なもので、人が住む宇宙ステーションのようなものであったのではないか。

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Kepleropolis 生命科学研究所

Kepleropolis 生命科学研究所
2010/12/28(火) 午前 0:30
近未来独り言 その他社会学
http://www.21stcenturysciencetech.com/
始めからやり直します
一連の世界的なクレジットベースの国際的な為替レートと貿易協定が、米国大統領フランクリン・ルーズベルトの政策に戻って、すばやい結論づけでエコノミストのリンドン・ラルーシュによって開始されました。
ラルーシュは、米国、ロシア、中国、およびインドの4カ国の間で力の協定を提案しました。
この取り決めを通して、それぞれの国が全体的に世界的な経済の再開に貢献することができました。
1つの当面の仕事は、崩壊への醜くて乱暴な暴徒の反応と、新しい暗い時代だった最初のアメリカ独立戦争の手紙と精神の復興の中に変えることでした。
インフラ整備の偉大なプロジェクトは、若い合衆国の経済基盤を建てた金融政策を設計して実行した初代米国財務長官のアレクサンダー・ハミルトンの足跡で地球の上に進行しました。
最初の仕事は2010年に、蓄積された物理的な腐敗の数十年を反転するために病気、飢餓と戦争によって壊滅的打撃を与えられた惑星を再製することでした。
しかし、宇宙空想家がその重大な瞬間に強く要求したように、ただ多世代の偉大なプロジェクトだけが人間の精神の長い眠りの創造的なリソースに挑戦して動員することができました。
このようなプロジェクトの科学的な発見は、技術の次の革命の世代を放って、そして地球上に経済の成長を促進させるでしょう。
政治家は同意するためにいやいやながら来ました。
その精神で、科学都市の火星を基盤として作るプロジェクトはフォーカスに入って来ました。
1960年代後期に定着し、そして50年間、世界の人口の多くについてのその把握を保持した文化的な悲観は解消し始めました。
実際、人類の自然な楽天主義は、ただ覆い隠されて、景気の悪化の暗い数十年の間に消されていませんでした。
人類は、もう一度、宇宙の秘密を見いだす過程途上のその本当の性質を見いだすでしょう。
世界のすべての市民にポーズをとった問題は次のことでした。
「あなたは人類の未来に何を寄付することができますか?」
そしてそれは、世界の人類のすべての必要な才能に協力している調和した努力を通して、それらの国ほとんどすべてによって、2010年早くに決められました。
50年以内に、人間の文明は火星に移動するでしょう。

メモ・独り言・戯言
https://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32343190.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jennifer1215b/32369383.html

















火星での生活
人類を火星に動かすことは、初めからその中央の目的として、人類のホームとしてのマルチ惑星を作ることによって、
宇宙のより大きい理解を獲得する能力を持っていました。
この理由で科学者が説明します。
赤い惑星の辺境の居留地、あるいは南極大陸のようなベースキャンプを準備することによって「金を蓄える」とする考えはあり得ませんでした。
火星の科学都市は、今50万人に接近している十分に多くの住民と一緒に、ただ Kepleropolis の科学的なスタッフと施設だけをサポートしないこと、しかし、結局は太陽系のそれ以上の範囲を開発することに対しての出発点として、独立した新世界を作るように意図されました。
科学者とエンジニアは、人間を外惑星に持って行く専門的な挑戦を解決することができると楽観的でした。
しかし、医学の専門家は、男女がそこに安全に住むことができると確信していませんでした。
彼らは月の6分の1重力圏、あるいは火星の3分の1重力圏に、どのように人体が順応するかについて不確かでした。
入植者が尋ねたように、地球の1重力の環境に戻ることは可能でしょうか?
彼らは、無重力地球軌道の6カ月後に、何人かの乗員が彼らの骨量の最大30%を失ったのを微小重力における前の研究で知っていました。
地球上の2年の回復の治療の後でさえ、若干の宇宙旅行者は完全に回復しませんでした。
・同じ全身衰弱は月と火星の上にわずかな地球重力圏に住んでいる住民に直面するでしょうか?
・彼らは戻ることが不可能な地球を去るでしょうか?
かなり多くの勇敢な人が、行くのを買って出る前に、これらの質問は答えられなければなりませんでした。
答えを見つけるために、宇宙ステーションの研究は、部分的な地球の重力の生理学的影響を決定するため、2012年に従って大いに加速されていました。
その2年前にヨーロッパと日本の宇宙局は、可能な限り速く、ステーションへの遠心分離機を配置することに決めていました。
遠心分離機のローテーションを通して引き起こされた遠心力は、回転のレートに依存して可変的な重力レベルをまねるでしょう。
何年も前にたくさんの苦悩がありました、そしてその時NASAは、宇宙ステーションのために開発された日本製の遠心分離機をキャンセルしました。
その後、クラッシュプログラムが着手されました、そして小さい、それでもなお能力がある遠心分離機を2012年までに部分的な重力のテストをしていました。
宇宙ステーション上の遠心分離機研究は、2012年からずっと、月の6分の1重力圏が、特に悪化を妨げる筋肉と骨のシステムについて負荷の限界に達しなかったことを示しました。
しかしながら、慎重に月の表面上飛んだり跳ねたりしているアポロ宇宙飛行士のフィルムを調査することから、医療の専門家が200ポンドの宇宙服の体重が宇宙飛行士の体重に加えられたとき、骨格のシステムに関する重力の負荷が重大な骨粗しょうを防ぐことができると決定しました。
しかし、もし月での長い滞在の後に、月の住民が地球に戻ることを望んだなら、宇宙船の外にいなかった人たちのためにいくぶん修理することが必要でした。
何十年間も、科学者が微少重力に体の調整の1つ1つと戦うために、予防と鎮痛剤処置を見つけるそれらの異なった医療の専門の中で働いていました。
それから、およそ20年前に、地球の軌道に戻る前、ただ変わりやすい月の重力の遠心分離機で時間を過ごすことによって、そして月の市民がすぐに身体を衰弱させる効果のほぼすべてと戦うことができたことが、新しい運動装置を開発していたエンジニアにわかり始めました!
科学者は彼らのリードに従いました。
彼らは、月の上でヒトの健康を推進することに対するガウス大学研究所で行われたそれらの実験の結果を、2041年半ばの医療の専門家の惑星間の電子会議に報告しました。
彼らはすでに何週間もの期間にわたって、遠心分離機で体に徐々に重力の負荷を上げることにより、日を通じて比較的短い投薬量、免疫機構反応性、骨と筋肉力を通して心臓機能と他の生理学システムが、次第に地球上のそれに相当するレベルに接近したことに気付いていました。
幸いにも、後続の部分的なgの研究が、遠心分離機で宇宙ステーションと、そして月の上で薄くなっている骨とカルシウム損失のような、最も手に負えないケース以外のすべてで、火星の3分の1重力がたいていの生理学の変更のために限界上にあったことを明らかにしました。
ミッション立案者が1950年代に戻って希望していたように、火星での延長滞在は、地球への帰還のために「拍手喝采ショー」を作らないでしょう。
しかし用心として、まだ今日、地球への休暇または出張を計画している旅行者は、 Kepleropolis 医療スタッフの指導の下で、1重力の「調整」ために、変数g遠心分離機で短い、周期的なセッションで2週間を過ごします。

メモ・独り言・戯言
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マルチ惑星の家族
しかしながら、 Kepleropolis 生命科学研究所には、まだ集中的な研究の下に1つの適用問題があります。
火星上で生まれ育てられた子供たちは、生理学の変更(彼らはより背が高い)を示します、しかし見たところでは地球と同等の重力荷に耐える能力を身につけないと述べられました。
幼年時代の間に重量を支える重力ストレスの下で、地球の上で発達する骨格のシステムは火星の上で積載量を減らしました。
いくつかの一時的な処置がテストされていますが、一つとして満足いく検証が出来ませんでした。
それで、今のところ、マルチ惑星の親族会は、月あるいは火星軌道などの重力に「中立の」土地で行なわれます。
※1966年、クラフト Ehricke がCBSTVで軌道の病院の設計を説明
これらすべての実験的な結果は、もちろん、地球上の同僚と共有されました。
2018年後半に、新しい実験室モジュール、より進歩した装置、原子力の供給、および6人の追加乗員がISSに加えられた後に、
1960年代の宇宙空想家クラフトEhrickeによってされた提案は、実を結びました。
それは、地球に戻ってくる乗員の健康に有害であった微小重力への適合が、人々のグループ全体の治療法であるかもしれないことがEhrickeの心に浮かびました。(人々にとって、地球の1-重力は負担でした)。
日本の航空宇宙と政府探究機関。
この遠心分離機デザインは国際宇宙ステーションのために計画された。
環境は種、プラント、微生物、あるいは小動物を保つよう設計される小さいモジュールです。
遠心分離機の回転のスピードによって、月と火星上のレベルにおける部分的な重力がシミュレートできます。
これは循環上の病気で苦しんでいる人たちを含みました、そしてそこで重力の撤去は、心臓のための作業負荷を減らすことができました。
背骨の延長、あるいは、重力によって引き起こされた圧縮が除去されるとき、微少重力(乗務員は1~2インチ成長する傾向がある)の中で見られ、手足を伸ばすことが神経痛と慢性の骨の痛みを和らげることができると Ehricke は推論しました。
そして地球軌道のマイケルDeBakeyメモリアル病院は、薬局と診療所と共に精密検査療法翼で建設されて、事故からの軌道における病気と負傷を治療しました。
類似の施設が月の軌道で繰り返されました
しかし、それほど容易に解決されなかったスペース放射能への露出に1つの非常に重大な、そして潜在的に生命にかかわる生物学的な危険がありました。
低い地球軌道で、ヴァン・アレン帯はクルーを保護して有害な放射能をそらします。
そして、宇宙線、太陽粒子、および放射能の絶え間ない砲撃から人々、植物、および動物を保護するために、惑星のボディーの上では、物資の欠如は全くありません。
最初の地球圏外の生活領域は、月と火星の土壌で単に覆われていました。
もっと最近の新しい資料では、都市を一面に覆うために開発され、それは自然光を入れる間に、有害な光線をろ過することができます。
しかし、乗務員が最高5千万マイルの放射能まみれの惑星間のスペースを通って操縦し、火星への旅行の間にさらされる放射能はどうでしょうか?
医療関係者は何十年間もこの危険について思い悩みました。
科学技術者は、乗組員を保護するために宇宙船の周りに放射線遮蔽を置く方法を理解しようとして長い間実験室で退屈な時間を費やしました。
しかしながら、解決はより単純でした。
可能な限り速く火星に着くことによって、危険な投与量の宇宙線に旅行者をさらすのを避けることです。   

メモ・独り言・戯言
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アポロ計画

隠されたアポロ計画、太陽系
2008/9/13(土) 午前 6:23
更新日時:H19年3月1日(木)
(一)アポロ計画とは
1954年2月20日アイゼンハワー大統領は 
エドワード空軍基地で 太陽系の惑星から来たという 5機の宇宙船で降り立った5人の宇宙人(人間)と会見をしている 
そこでは 物体移動 空中浮揚 テレパシー などの超能力を見せられ また月や火星 金星その他の太陽系の惑星の実態を教えられて たいへん驚き さらに宇宙人から 核実験の中止 を強く要請されている。
そこで翌年の1955年7月18日 米 英 旧ソ連 仏の四大国巨頭会談が行われた、この会談は当時の新聞各紙に軍縮会議の名目で掲載されていますが、
会談の中身は月や惑星の実態そして 宇宙人からの要請をどうするか ということでありました。
会談終了の翌日にアイゼンハワー大統領は 宇宙開発計画を発表し、その数日後、 各国もそろって 宇宙計画を発表しております。 
これは まず彼ら(宇宙人)の言う事が本当かどうかを確かめよう ということになったのでした。
 その内容とは
(1) 月や太陽系の惑星には、地球人と同じ姿で 超能力を有する人間が住んでいるのだろうか
(2) 彼らの文明は地球人より はるかに進化し 貨幣経済のない 戦争も犯罪も病気もない 平等平和な理想社会を作っているのだろうか
(3) 彼らは地球人の知らないエネルギー(宇宙エネルギー)を使ってUFOに乗って地球にやって来ている などである。
アイゼンハワーの後をうけてアメリカ大統領になった 
若き ジョン F ケネディは1962年3月24日ラングレイ空軍基地でジョージアダムスキー(コンタクティーとして有名 火星や金星を訪問している)の仲介で
太陽系内の惑星から来た宇宙人と会見しています 
ケネディは なんとアダムスキーを政策ブレーンにして地球改造計画をスタートさせたのでしたその一つがアポロ計画でありました。
ケネディの考えていたアポロ計画の本当の目的は、月に人間を送り込み 月の実態つまり月の裏側には都市があり高度に進化した人間がすでに住んでいること 
また金星や火星にも地球人よりはるかに進化した人間が住んでおり平和な理想社会を築いていることを全世界に知らせて 
地球人の意識改革を促し ローマ法王とも協力して世界の平和を実現しようとしたのでした 
しかし なんということか1963年11月22日ケネディはダラスで暗殺されてしまったのでした 
この事件は公式発表のオズワルドの単独犯行ということではとても納得できないことは周知の通りであります。
そして一番不可解なことは司法当局の詳細な調査記録は2039年まで封印されたことです 
これはなぜなのでしょうか。これについては新たなコラムで述べたいとおもいます 
ケネディ大統領暗殺事件こそ 人類の未来を決めるターニングポイント(分岐点)であったと思います。
非常に残念であります。
(二)アポロ13号事故の真相
トムハンクス主演のアポロ13号の映画がありましたが 
月へ向かう途中で酸素タンクの一つが原因不明の爆発を起こして月着陸を断念し命からがら地球に帰ったという内容でした 
しかしこの事故の真相は アポロ13号は月面で核実験をしようとして小型の核装置を積んでいたのでした 
それを察知した宇宙人が阻止するために酸素タンクを爆発させたということであります 
UFO 宇宙情報が隠蔽工作されている理由の一つにそれらが軍事機密と一体だからなのです 
他国より優位にたつため 最先端の科学技術を極秘に莫大な資金を投入して研究しているのが軍事というものだからです 
日本人宇宙飛行士も参加していろいろな実験をしている様子がテレビで見ますが
あれは表向きで裏では秘密の軍事的実験をしていると見るべきでしょう 
今日大国の宇宙開発は実態は軍事目的がほとんどなので反対すべきと考えます。
(三)月の真相 
ケネディ暗殺後に アポロ計画は 完成した宇宙船が10機も用意されていたにもかかわらず 
納得できる説明もないままに突然 17号で中止になりました 月は重貴金属の宝庫であることがわかっており 
まして人類は月へ行く科学技術をすでに手にして 人類の夢とアメリカの 国をあげての巨大プロジェクトだったのです 
突然中止する理由はどこにもありません 宝の山が目の前にあるのに手にしない人がいるでしょうか 
以後30年経った今日でも月にはぜんぜん行っていないのです これほど不思議なことも他にありません 
世界のマスコミはどうしてなにも言わないのでしょうか
月の真相は 高校 大学でも新聞 テレビやNASAの発表でも判りません
宇宙飛行士が月面に立てた星条旗が風になびいていることから空気があることが判っています 地球人も慣れると宇宙服なしで生活できます
月の裏側には多くの水があり植物があります 
また月面の静かの海の近くに8本の尖塔状の人工構造物が整然と立っており 
ドーム状の人工構造物があることをアポロ飛行士が報告しています(私は この尖塔状の物はマイナスイオン発生装置ではないかと思います 火星地上には高さ数十キロの同じような尖塔が建っています)
アポロ8号のボーマン飛行士が月の裏側にサンタクロース(宇宙人の月基地)が実在したと報告しています
アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン飛行士は 月面で宇宙人とコンタクトしたということをアームストロング船長の親しい友人が外部にもらしています
アダムスキーや他の情報によりますと月の内部は空洞になっており 
人工太陽や湖があり 快適な居住空間に人工的に作られていて多くの宇宙人が住んでいるという 
また月の裏側には大研究所があり 地球人の一人一人をたえず監視しているようです
NASAが写した月面での写真は数万枚に及びますが 公表したのは約千枚にすぎません これは写っていては こまるものが写っていたからに違いありません 空間物理研究家のコンノケンイチさんはNASAに乗り込んで 写真の修整や隠蔽工作などを詳細に本に著しています。
(四)火星や金星 その他の太陽系惑星の真相
アメリカの火星探査機バイキング1号がパラシュートを使って軟着陸に成功していますので火星は充分な空気があります 水もあり雲もあって気温も地球と変わらない バイキング マリナー マースオブザーバーなどの火星探査機から送られてきた膨大な数の写真には 幅数キロ長さ数千キロの大運河が縦横に交差した高度な農業灌漑システムが構築されています また多くの人工構造物や巨大ピラミッド(エジプトの10倍以上)も写真にはっきりと写っていたがNASAは画像修正して数値も改ざんしてすべて なし と公式発表しています
金星にはアメリカと旧ソ連で20機以上の金星探査機を飛ばして調査している 金星は太陽に近い為に摂氏470度の高温と発表しているが 探査機が軟着陸に成功して写真を送ってきているので コンピュータのICが正常作動した証拠なので 大気温度が470度のはずはない その他NASAの発表は検証していくとおかしなことが多く 嘘の発表と思われます。アメリカは月 火星 金星の他に水星 木星 土星 天王星 海王星などの惑星探査をしているが詳しい本当のデータは発表していません アダムスキーやそのほかの多くのコンタクティーたちは 太陽系のpすべての惑星には いずれも大気と水があり たくさんの生物が住む穏やかな環境で いずれの星にも 地球人よりはるかに進化した人間が住んでいる と言っております。さてあなたはアメリカや旧ソ連の公式発表を信じますか 信用できる国と思いますか。
(五)UFO情報も隠蔽工作されている
第二次世界大戦中に丸く輝く不思議な飛び方をする飛行物体 (これは無人小型UFOで調査専用 映像収集が目的) が数多く目撃されているが 米国ではこれをフーファイターと言って  敵の最新飛行機かもしれない ということで調査をしていましたが 1947年ニューメキシコ州ロズウェル近郊の牧場にUFOが墜落して四人の宇宙人の死体と一人の生きた宇宙人を回収するという事件が起きました その後に同様の墜落事故が何度も起きています。これはUFOは けして衝突 墜落事故は起きないように超高度な科学で作られていますので 宇宙人がワザと墜落させて 地球人にはとても理解不可能な高度な科学力を有する宇宙文明のあることを教え おごり高ぶる地球人を戒めようとしたものと思われます UFOに乗っていた宇宙人は実は生体ロボット(アンドロイド)で知能は地球人よりも高く とても地球科学ではチンプンカンプンであります 米軍の最新型爆撃機ステルスがUFOテクノロジーを搭載しているという噂がありますが 地球科学ではまだまだ無理と思いますので おそらく嘘と思います。今まで UFOは太古の昔から世界中で目撃されており 特に戦争地帯 大事故 大地震などの自然災害時に多く目撃されています 9・11米国同時多発テロの時も ツインタワーのすぐそばで半透明のUFOがビデオにとらえられています UFO出現の目的は おそらく事件事故の調査と 目撃者にとっての覚醒にあると思われます UFO目撃情報はたくさんあるのですが それが軍事機密と繋がっているために公式発表されません それどころか当局が わざとデマ情報を流してその後それはインチキだったと発表したりして情報のかく乱を行ったりしているのが実情です そのようにして専門家ですら 嘘か本当か判らなくしているので 一般人はUFOの存在と実態を当然知らないし否定しているわけであります。
http://www.hpmix.com/home/sennsinn2005/C6_1.htm#3

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/

朝鮮人民共和国

アメリカ軍に認められなかった左右ごちゃ混ぜ統一政権
朝鮮人民共和国
首都:京城(ソウル) 人口:2500万人
1945年8月15日 日本の敗戦により朝鮮人による 建国準備委員会が発足
1945年9月6日 朝鮮人民共和国の建国を宣言
1945年9月8日 米軍が南朝鮮に上陸
1945年9月11日 在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が発足。朝鮮人民共和国を否定し軍政を開始 
1945年10月10日 軍政庁が改めて朝鮮人民共和国にた だちに解散するよう命令
朝鮮全図 日本の植民地時代(1942年)の地図
「朝 鮮人民共和国って、北朝鮮のこと?」
と思えばさにあらず。
北朝鮮は正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」で、朝鮮の北半分を領有する左翼政権だが、朝鮮人民 共和国は朝鮮の南北一緒、そして左右一緒の政権だった。
もっとも、世界中どの国からも認められず、アメリカ軍に弾圧されてわずか数日で消滅してしまった。
戦前、朝鮮が日本の植民地だった頃、日本からの独立を求める運動が続いた。しかし朝鮮では日本の官憲に弾圧されたので、海外を拠点とす る組織ができた。
1つは大韓民国臨時政府で、1919年に 朝鮮全土で起きた
「三・一独立運動」
が鎮圧されたのを契機に、上海で設立された亡命政府で、自 由主義者の李承晩(イ・スンマン)が大統領に就いた(※)。
1932年に日本軍が上海を占領すると、蒋介石の国民政府とともに中国各地を転々と移動し、最 終的に重慶に拠点を移した。
※李承晩はアメリカ政府に朝鮮の委任統治を請願したとして 批判され、1925年に失脚。ハワイへ移りアメリカ政府へのロビー活動を続けた。
もう1つは抗日パルチザンで、これも 「三・一独立運動」の鎮圧を契機に、満州やソ連の沿海州を拠点に武力闘争を続けた。パルチザンを率 いたという「伝説の英雄」が金日成(キム・イルソン)だ (※)。
※金日成(本名:金成柱)は1912年生まれだが、抗日パ ルチザンを率いた「金日成将軍」の名は1920年代から知られており、金成柱は「伝説の英雄」金日成の名を襲名したものと 思われる。
さて1945年8月10日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏することを決めたが、これによって日本は朝鮮の独立を認め なけれ ばならないことになった。そこで朝鮮総督府は8月12日に呂運 亨(ヨ・ウニョン)と接触。行政権を渡すので在留邦人の安全を保障してほしいと打診した。
朝鮮総督府が大韓民国臨時政府や抗日パルチザンと接触せず、呂運亨を交渉相手に選んだのは、当時、満州を占領しつつあったソ連軍がその まま朝鮮全土も占領すると予想されたので、ソ連軍による占領前に朝鮮人に権力を引き渡してしまおうと焦っていたことや、2つの組織は海外で活動していたの で急に連絡が取れなかったこと、抗日パルチザンは八路軍(中国共産党軍)とともに日本軍と長年戦闘を続け、臨時政府も米軍の特殊訓練を受けながら日本に宣 戦布告していたが、朝鮮で憲兵隊に睨まれながらも政治・文化活動を続けていた呂運亨なら、朝鮮総督府と協調しながら「平和的」な権力移譲が望めそうだった こ と・・・などの背景があるようだ。
呂運亨は1886年生まれで、1914年に中国へ亡命し、大韓民国臨時政府が樹立されると外務次官に就任したが、帝政ロシアが中国に 持っていた租界や利権をソ連が中国へ返還したのを見て共産主義運動に共鳴。23年に臨時政府を離れてソ連に渡り、レーニンと会見(※)、その後上海のタ ス通信社(ソ連国営の通信社)で働いた。
※レーニンは呂に「朝鮮では共産主義運動ではなく、民族主 義運動に力を注ぐべきだ」とアドバイスし、呂はそれに従ったという。
しかし27年に蒋介石が反共クーデターを起こし、上海で白色テロが吹き荒れると、呂運亨は朝鮮に戻り、「民族主義運動の高揚は、まず言 論とスポーツから」と朝鮮中央日報の社長や朝鮮体育会の会長に就任した(※)。
※1936年のベルリン五輪で、「日本代表」として出場し たマラソン選手の孫基禎(ソン・ギジョン)が金メダルを獲得した際、朝鮮中 央日報は東亜日報とともに孫のシャツに描かれた日の丸を抹消した写真を掲載して廃刊となった。
そして太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった44年8月、呂運亨は「朝鮮独立の日は近い」と建国同盟を結成していた。
「占領軍はソ連じゃなくてアメリカ!」で態度を 変えた総督府
総督府との交渉結果を民衆に報告する呂運亨(8月16日)
さて1945年8月15日、呂運亨は再び朝鮮総 督府に招かれ、政務総監の遠藤柳作は治安維持に対する協力を要請。
呂は
(1)政治犯の釈放、
(2)京城(現:ソウル)の食糧の3ヵ月分確保、
(3)治安維 持活動への不干渉、
(4)青年・学生の訓練への不干渉、
(5)労働者・農民の組織への不干渉
など5項目の条件を出して了承し、その日のうちに建国同盟をも とに朝鮮建国準備委員会(建準)を発足させた。
同時に治安隊 を組織して警察署の接収に乗り出した。
建準の支部と治安隊は数日のうちに朝鮮各地で結成されていった(※)。
※呂運亨は民衆に日本への 報復を控えるよう自制を呼びかけ、混乱にもかかわらず日本人に対する暴行事件は少なかった。
建準は朝鮮総督府から行政機能を引き継ぐつもりだったが、朝鮮総督府は18日に米軍から
「38度線以南はアメリカ軍が占領する」
と通告 を受けると態度を一変。
行政権の移譲を拒んだうえに、建準の解散も命じた(※)
※これには建準が猛烈に抗議して2日後に撤回。
また建準内部でもゴタゴタが続いた。委員長に就任した中道左派の呂運亨は「左右合同による統一政権」を目指して、幅広い有力者に結集を 呼び掛けたが、副委員長に迎えようとした右派の宋鎮禹(ソン・ジヌ=東亜日報元社長)は、「朝鮮総督府と勝手に交渉して政権を作ったら、日帝の傀儡だと非 難される」「大韓民国臨時政府の承認を待つべきだ」と主張して参加せず、安在鴻(アン・ジェホン=朝鮮日報元副社長)が副委員長に就任したが、左派の勢力 が強まると保守派との提携を主張した安も離脱。宋鎮禹は韓国民主党を結成し、安在鴻は韓国独立党を結成して、建準を批判し始めた。
呂運亨もテロリストに狙 われて姿を隠さざるを得なくなり、建準内部ではまずます左派の力が強まり、副委員長には許憲(ホ・ホン)が就いた(※)。
※明治大学を卒業した弁護士で、「三・一独立運動」で逮捕 者らを弁護。25年には朝鮮共産党の結成に参画した。
一方、各地の建準支部でも、当初は日本統治下で議員などに任命された有力者や資本家、民族主義者、共産主義者らが集まっていたが、やが て治安隊を掌握した左派の力が強まると、保守派は離脱して韓国民主党などに加わっていった。
アメリカ軍が上陸する前に「豪華メンバー」で独 立宣言したが・・・
左右の大同団結が崩れ、総督府から行政権を引き渡されなかった建準だが、9月6日に全国人民代表大会を開き、朝鮮人民共和国の建国を宣言した。これは9月に入って米軍の飛行機が飛 来し、「近日中に上陸」「布告及び諸命令は現存する官庁(=朝鮮総督府)を通じて発布する」というビラをまいたため、米軍がやって来る前に政府を樹立し、 朝鮮人の団結と自治能力をアピールしようというのが狙いだった。
発表された朝鮮人民共和国の閣僚名簿は、
大統領に李承晩、
副大統領は呂運亨、
国務総理(首相)が許憲、
内務部長(内相)は金九(=臨時 政府大統領)、
外交部長(外相)に金奎植(=臨時政府副大統領)、
財務部長(財相)は曺晩 植(「朝鮮のガンジー」と呼ばれた朝鮮北部のキリスト教民族主義者)
で、55人選出された人民委員には金日成も含まれるなど、大韓民国臨時 政府から抗日パルチザンまで国内外の左右両派を網羅したそうそうたるメンバーだったが、実際には李承晩や金日成、臨時政府の関係者など大部分のメンバーはまだ海外にいて、本人の承諾なしに勝手に閣僚名簿に載せられていた のだった。 
もっとも、呂運亨と許憲を除いてはいずれも 本人の承諾なし。
同時に
(1)朝鮮の自主独立、
(2)反帝反封建の民主主義実現、
(3)民衆の生活向上、
(4)国際平和共存
という政綱4原則と、日帝や 民族反逆者の土地没収と農民への無償分配、諸企業の没収と国有化という施政方針を発表したが、これらは呂運亨と許憲、朴憲永(パク・ホニョン=朝鮮共産党 再建派の指導者)がまとめたもので左派色が強く、反発した宋鎮禹ら右派は翌7日、国民大会召集準備会を開いて
「大韓民国臨時政府が唯一の存在である」
と宣 言。
呂運亨を「血を流さずに政権を奪取しようとする野望を抱いて乗り出した、日帝の走狗」と非難した。
9月8日に米軍が仁川港に上陸すると、呂運 亨は米駐留軍司令官のホッジ中将に面会を申し入れたが、「日本の手先」だと拒否され、「朝鮮独立を助けてくれた米軍を歓迎しよう」と集まった建準治安隊や 労働者は、警備していた日本軍に発砲されて死傷者が出る事態になった。
朝鮮総督府を接収した米軍は、9月11日に軍政庁を発足させて「軍政庁が南朝鮮(38度線以南)における唯一の政府である」という布 告を発表。朝鮮人民共和国は政府としての実態がないまま存在も否定された。
ポツダム宣言で朝鮮の独立を日本に求めたはずのアメリカが、なぜ朝鮮人民共和国を認めなかったかと言うと、独立を認める政府はあくまで 連合国の主導の下で作られるべきであって、降伏した日本の総督府と勝手に交渉して作った政府など、認めるはずはないから。そしてポツダム宣言に先立つヤル タ会談 はで、米英ソが「朝鮮は信託統治を経てから独立させる」と決めていたのだ。
こうして朝鮮人民共和国と建準はアメリカ軍の弾圧を受けるようになった。朝鮮人民共和国は「来年3月に総選挙を実施して、独立しよ う!」と呼びかけていたが、米軍政庁は10月10日「総選挙は軍政庁に対する最も重大な干渉であり、公然たる敵対行為である」という声明を発表し、朝鮮人 民共和国の解散を改めて命じた。建準は再び「建国同盟」を名を変え、各地の建準支部は「人民委員会」と改称して活動を続けた。地方では人民委員会が自治を 行い、治安隊が日本の敗戦で崩壊した警察に代わって治安維持を担っていたが、10月から11月にかけて米軍は南朝鮮各地に進駐して軍政庁を樹立。日本時代 に官僚や警官だった朝鮮人を再登用していった。呂運亨を当初「日本の手先」と警戒していた米軍は、や がて「容共主義者」とみなすようになっていた。
呂運亨は海外にいる李承晩や臨時政府関係者らが朝鮮人民共和国に加わってくれることを期待していた。しかし、 10月16日にアメリカから米軍機で帰国した李承晩は、米軍政庁への協力と「反共統一」を訴えて朝鮮人民共和国を非難。自らが中心となって新たに独立促成 中央協議会を結成し、総裁に就任した。一方で、11月下旬から12月にかけて中国から帰国した臨時政府の関係者らも朝鮮人民共和国を無視し、「大韓民国臨 時政府こそが政府の役割を担う正統組織」だと主張した。
李承晩にしても臨時政府の関係者にしても、終戦まで海外を拠点に独立を掲げて闘い続けた自負があり、呂運亨たちは「終戦のドサクサで朝 鮮総督府と手を結び、血を流さずに独立の主導権を握ろうとした連中」と映った。朝鮮人民共和国に合流することはプライドが許さなかったのだろう。
一方、38度線以北を占領したソ連軍は、8月下旬に38度線を跨ぐ交通や通信を遮断した。朝鮮北部の建準支部は曺晩植を中心に北朝鮮五道人民委員会連絡会議を結成し、朝鮮共産党と協力しながらソ連 軍から行政権を移譲されていたが、10月にソ連から金日成が帰国し、民衆から熱狂的に歓迎されると、主導権は金日成の手に移って行った。
南北統一による即時独立が不可能になった呂運亨は、軍政下で政治活動を行う道を選び、11月に朝鮮人民党を結成した。しかし地方では人 民委員会による自治活動が続いていた地域もあり、米軍政庁は12月12日に改めて朝鮮人民共和国は不法だと宣言。「「『政府』として行動を企てるような 組織の活動は違法行為となる」として、人民委員会を非合法化した。
呂運亨はUP通信のインタビューに対して、「アメリカが軍政府を樹立すると知っていれば、人民共和国を創設するようなことはしなかった だろう」と述べたという。
植民地から解放されたのに、混乱の中で命を落と した「英雄」たち
その後、朝鮮ではヤルタ会談による信託統治案が明るみになり、各政治勢力は賛成と反対に分かれて争い、左右合同や南北統一をめぐる動きも、李承晩派や金九 ら臨時政府派、韓国民主党、朝鮮人民党、朴憲永や許憲らが結成した南朝鮮労働党などが入り乱れて激しい抗争が続いた。呂運亨は46年7月から再び左右合作 運動に取り組み、米軍政庁の支援を取り付けて南朝鮮過渡立法議会を 創設したが、1947年に入ると右派の韓国民主党と左派の南朝鮮労働党が離脱して頓挫した。
結局、朝鮮の独立は南側が1948年8月に大韓民国として独立し、李承晩が大統領に就任。北側は翌9月に朝鮮民主主義人民共和国として独立し、金日成が首相に就任した。
朝鮮人民共和国の閣僚に名を連ねた主要メンバーのうち、許憲は北朝鮮へ移り最高人民会議の議長に就任したが、朝鮮戦争最中の51年に病死。
金九は李承晩に とって最大の政治的ライバルと目されたが49年に暗殺され、金奎植は朝鮮戦争中に北へ連行され病死、曺晩植は信託統治案に反対したことで45年末に金日成と対立して軟禁され朝鮮戦争中に殺害された。また、宋 鎮禹は45年末にテロで殺され、安在鴻は朝鮮戦争中に北へ拉致され65年に死亡、
朴憲永は南朝鮮労働党を率いて北朝鮮へ渡り金日成の最大のライバルになっ たが53年に失脚し、「朝鮮戦争を失敗させた米帝のスパイ」として55年に処刑された。
呂運亨も47年7月に右翼のテロで暗殺された。
しかし、左右合同と南北統一に最後まで情熱を傾けた人物として、今日の韓国と北朝鮮の双方で高い評価を受け ている数少ない存在だ。

世界飛び地領土研究会
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/korearepublic.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/index.html







上海の大韓民国臨時政府

満州の抗日パルチザン

呂運亨

米軍を歓迎するため仁川へ出迎 えた朝鮮人民共和国の支持者たち







李承晩大統領
呂運亨副大統領
許憲首相
金九内相
金日成
曹晩植財相





参考資料:
パク・チョルギュ 馬淵貞利訳 「朝鮮解放直後の社会運動"慶尚南道馬山地域を中心にして"」『東京学芸大 学紀要第3部門第55集』 (東京学芸大学 2004)
ラテンアメリカの政治 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/
ナルゲ http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/index.html
wikipedia   http://ko.wikipedia.org/

世界飛び地領土研究会
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/korearepublic.html
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妄想の衝突
2019年09月12日 (木) 18:17
カテゴリ : 未分類
韓国人が1950年代以降、受け続けている歴史教育を概括的にいうと、
【李朝以降、朝鮮には「大韓帝国」という立派な独立国家があって、善政が敷かれ、国民は豊かな生活を謳歌していた。その素晴らしい国に、19世紀末に、突然、日本人がやってきて軍事力で朝鮮を占領し、文明を破壊し、資源を略奪し、植民地に変えた結果、朝鮮民衆は、幸せな生活を壊され、日本人の奴隷としての塗炭の苦しみに追い込まれた。朝鮮は、古代から優れた民族で、文化的にも高く、日本人に文字をはじめ文明を授けた。】というところで、こうした歴史観を、5歳くらいから、「パブロフの犬」のように、繰り返し繰り返し、教育によって洗脳され続けるのである。これでは、半数以上の韓国人が、「日本を懲らしめる」と、反日姿勢に凝り固まるのも当然だろう。
https://news.livedoor.com/article/detail/12846317/
https://ncode.syosetu.com/n4357cw/73/
実際のところは、どうか?
日清戦争の勝利を受けた下関条約で、それまで清の冊封体制隷属国であったのを、日本の介入によって独立させたのが大韓帝国で、李氏の血統を残して、日本皇室の血を入れるため、梨本宮方子が李垠=李朝27代=大韓帝国初代に政治的に嫁がされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%96%B9%E5%AD%90
18世紀の韓国は、ソウルでさえ、トイレのない家が大半で、道端がトイレ代わりになり悪臭に満ちていた。つまり、公共インフラらしき道路も上下水道もほぼ存在しなかった。およそ、文明国とはいえない現状はイザベラ・バードの探訪記にも詳しく書かれている。
https://www.youtube.com/watch?v=iWk3YmWQL5w
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C
為政者の両班階級は、とても残酷が好きで、激しい階級差別と奴隷制度があった。両班と手先は底辺の民衆を捕らえては拷問にかけ殺害したり強姦したりが日常茶飯だった。
https://hinode.8718.jp/photo_korea_torture.html
李朝は、見栄ばかりで無能な官僚によって自滅し、欧米が植民地にするために虎視眈々と侵攻を準備している現実を知り、日本政府は慌てて朝鮮を自国領とする工作を開始した。それまで、文明らしい文明の存在しなかった朝鮮社会に、短期間で近代文明のインフラを構築し、李朝下の奴隷制度や、「試し腹」といわれる近親相姦を禁止した。
https://leisurego.jp/archives/236281
日本が朝鮮社会を近代化したのは紛れもない事実である。その結果、わずか30年で、ソウルは見違えるような近代都市になり、世界のあらゆる文明都市と比肩しても見劣りしないまでになった。
https://www.youtube.com/watch?v=RMe07oF02Fg
https://www.youtube.com/watch?v=iWk3YmWQL5w
20世紀初頭、大韓帝国には小学校が40校しかなかったが、1940年代には1000校を超えている。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm
この結果、大半の朝鮮人は、日本人に対して、台湾と同様に、近代文明をもたらした日本に対し、強い好感を抱いていて、反日思想はほとんど存在しなかったともいえる。この時代、1920~30年代は、朝鮮の被差別下層大衆にとっては、日本社会は憧れの別天地であり、賃金が日本人の半分であっても、年間5万人もの人々が我先に日本に移住しようとした。徴用工・慰安婦問題には、こうした背景がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
しかし、日本が世界を相手に第二次世界大戦に突入すると、様相が一変し、1944年からは、徴兵代替としての強制徴用が開始される。戦争中の朝鮮民衆に対する扱いは、日本人でさえ450万人もの犠牲者が出たことから類推できよう。日本人は一等国民、朝鮮・台湾人は二等国民と区分され、日本人は生活を追い詰められるほどに朝鮮人を敵視し、友好的な姿勢を失っていった。こうした差別姿勢は、私の子供時代、1950・60年代ですら「チョンコロ・チャンコロ」などの差別用語が残るほど顕著であった。
すでに何度か書いたが、在日者は激しく差別され、まともな就職口はなく、唯一、プロスポーツ、芸能界、土建業界、ヤクザ社会、博打や歓楽街などの享楽業種のみに従事するしか生きてゆく手段がなかった。日本社会を熱狂させた、戦後、芸能界、プロスポーツ界のスーパースターの大半が在日者であった。力道山(金信洛)はもちろんだが、月光仮面のモデルも、原作者によれば大山倍達(崔永宜)だったそうだ。芸能界に至っては、今でも圧倒的な在日者の世界である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
当時の朝鮮・韓国人に対する差別の風潮を、私は、大阪西成区に類似した名古屋市中村区で、幼い頃から見聞きし続けた。同級生にはパチンコ産業開拓者であった正村の娘がいたし、歓楽街の頂点だった大門という赤線地帯を支配していたのは、大半が在日系ヤクザであり、同級生にも必ずたくさんの在日者がいた。彼らが、一様に在日者特有の差別を受けていた事実を私は目撃し続けた。だから、事情を知らない軽薄なネトウヨが、「在日差別は存在しなかった」などと主張するのには、怒りと軽蔑以外の印象はない。
だが、韓国本土の日本敵視は、李承晩時代から激しさを増した。それは、おそらく、戦時中の強制徴用労働者に対する人権無視の奴隷扱いに対する怒りが根底にあったのは間違いない。
日本人が韓国人と同等の待遇だったというのは、真っ赤なウソである。それは、例えば松代の天皇防空壕問題や雨竜ダム問題、など全国各地で、朝鮮人に対する虐待や虐殺があり、私の若い頃は、それを直接目撃した人もたくさん生きていて、証言している。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23704/20170503/matsushiro-daihonei.htm
https://toyokeizai.net/articles/-/185509
http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2008/06/0806j0121-00001.htm
https://johonage.exblog.jp/13655715/
これほどの国ぐるみの憎悪を引き起こすほど、戦時中の朝鮮人に対する扱いは苛酷だった。
「日本人と同等だった」と主張する者は、「日本人は偉大な民族だ」と勘違いしているネトウヨばかりで、実態をカケラも知らない者ばかりである。だいたい、今でもネトウヨが「チョン」という蔑称を多用している現実から歴史に向き合ってみたらいい。
しかし、一方で、韓国人による大韓民国発足後の歴史歪曲も甚だしいものがある。冒頭に紹介したように、「大韓帝国は素晴らしい国で、文化も高く人々が幸福な生活を送っていたのを日本人がやってきて、ぶち壊した」という主張も、ひどいウソであることは、上の方にリンクしたイザベラバードの紀行文を見れば一目瞭然だ
李朝も大韓帝国も文化的に極めて素養の高い国で、日本人に文明を教えた。古代でも、百済は王仁という博士を日本に派遣し、言語や、あらゆる文化を教授した。 https://www.shoai.ne.jp/hirakata-s/minwa/f151001/f151001.html
出口王仁三郎が名前を取った王仁博士というのは、実在の真偽は不明であるが、これは日本書紀に記録されている弓月氏らのことを指すのだろう。現実には、王仁博士が実在したとしても、百済人であるとするなら、それは韓国人の先祖ではない。むしろ、天皇家=騎馬民族の先祖であり、女真族である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
すでに、このことは何度も書いているが、現在の韓国人の先祖は、DNA検証によって、濊族=エベンキ族であることが明らかにされているが、この研究成果を韓国人学者が公開してから数日以内に、あらゆる文献から、このことが削除されてしまった。韓国は、自分たちを彩る空想小説に合致しない歴史的事実は、たちまち隠蔽し尽くすのである。あくまでも、自分たちを讃美し続ける夢の世界に住み続けたいのだ。
https://kirari-media.net/posts/184
http://check.weblog.to/archives/4051080.html
夢の世界に生きる「夢追い人」が韓国人の本質なのである。しかし、それを日本人が批判できるだろうか? 否!日本人もまた、優越的空想・妄想に酔い痴れ、ナルシズムに夢中になってきた。だからこそ、妄想どうしの衝突が起こり、日韓対立が生まれるのである。そもそも、平泉澄東大史学部教授が作り出したといわれる皇国史観は、優越妄想に満ちた虚構にすぎない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A6%B3
そもそも、万世一系、2600余年前に高千穂に降臨したという日本武尊なんて存在は、漫画の世界だけに存在する虚構であることは誰でも分かるはずなのに、本気で信じている人がいまだにいる。
私の推理では、2600年前に呉越戦争があり、呉国が破れ、当時の戦争の掟では、敗戦国住民は生き埋め(坑刑)で皆殺しにされることが多かったので、水郷地帯(蘇州)にいた呉人は、大量の船で日本や朝鮮南岸に移住したと考えるべきである。これは中国の史書にも、たくさん掲載されている歴史的事実である。
中国では早くから、日本は太伯の末裔だとする説があり、たとえば『翰苑』巻30にある『魏略』逸文や『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝などには、倭について「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とある。同様の記述は南宋の『通鑑前編』、李氏朝鮮の『海東諸国紀』や『日東壮遊歌』等にもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF%E3%83%BB%E8%99%9E%E4%BB%B2
つまり、呉は国ぐるみ敗戦により、船で移住し、一部は朝鮮南岸へ、多くは九州北岸や有明海に上陸し、弥生人国家を作り、やがて邪馬台国が生み出された。それから、ヤマト国・倭国(朝鮮南岸を含む)の800年くらいの歴史を経て、こんどはAD300年くらいから、百済が国ぐるみで日本列島に移住し、高句麗・百済由来の女真族=騎馬民族が大量に日本列島西部に流入し、江上波夫が明らかにしたように、ヤマト王朝を簒奪したと私は考える。反江上説については、DNA解析上の証拠が出されているが、私は信用できないでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
理由は、江上説を誹謗する学者の多くが、皇国史観系の影響を受けている人物ばかりだからである。そもそも、皇国史観=平泉澄の本質は、「豚に歴史がありますか?」なのだ。
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つまり、神武以来の万世一系伝説を壊す江上波夫説に対する敵意が満ちていて、DNA解析を根拠にしていても、いくらでも突っ込みどころがあり、民族学・民俗学と完全に矛盾する論理を見せているし、弥生人を蘇州由来でなく、朝鮮人とするようなトンチンカンな学説もあり、私には信用に値するものではない。私に言わせれば、皇国史観もまた、朝鮮・韓国人の「偉大な大韓帝国」とよく似た夢想・妄想にすぎない。どちらも、現実を無視した夢追い人であるから、夢同士が齟齬を起こし、矛盾の連続で不協和音を奏でている。
そもそも、民俗学をきちんと学んだ者なら、天皇が切れ長の目、一重瞼で、感想耳垢で、すらりとしていて、と知るだけで、ツングース由来とピンとくるものだ。由緒正しき皇族で二重瞼がいるか? つまり彼らは源平藤橘の末裔だからだ。目の大きな二重瞼の小柄で小太りな体型を見ただけで、これこそ弥生人と理解できるのであり、彼らこそ、日本に稲作を持ち込んだ救世主だった。だからこそ、天皇が高句麗由来の騎馬民族末裔であることなど一目瞭然なのである。こんな基礎的な民俗・民族検証も無視して、何が皇国史観だ、笑わせるな!そもそも、いずれも、人間は「ただの人」であるという究極の本質的な現実認識からかけ離れ、雲間を泳ぐ殿上人であるかのような勘違いの妄想から抜け出せないでいるのだ。
「この世には、地球と人しかいない」
という現実を直視できず、「偉大な大韓国」とか、「偉大な皇国日本」とかの現実には存在しえない軽薄な妄想に酔いしれているのだ。その意味では、「偉大なアメリカ」を連発するトランプも同じ穴の狢である。我々は、地球と人しかいない現実の上に論理を組み立てなければならない。イムジン河の上を飛び交う鳥も、魚も、獣も、国境など何の関係もない。実は人も関係ないのだという現実を認識することが、日韓共和の第一歩であり、妄想の夢から覚めて、惨めな弱い人間である価値観を共有することこそが、日韓問題解決の第一歩である。
 
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