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予知情報

2006-12-22
大統領に御祓いを勧める男
私の大好きな占星術師にジェ-ムス・ブラハという人がいる。アメリカ人の有名な占星術師で、インド占星術を西洋に紹介した草分け的存在だ。この人がアメリカの占星術雑誌に6年前、面白い記事を書いていたのだ。
20年毎に選ばれたアメリカの大統領は必ず死ぬというジンクスがある。事実、1840から1960年の間に7人の大統領が怪死又は暗殺されている。占星術的には20年毎に木星と土星の合が起こるのだが、この2つの星の合が大統領の死をもたらすと言うのだ。
唯一、暗殺未遂に終わったのが、1980年に選ばれたレーガン大統領である。なぜ彼だけが生き残ったのかは少し説明がややこしくなる。1980年には、天秤座で土星と木星の合が起こったのだ。ジェ-ムス・ブラハによると、双子座. 天秤座. 水瓶座の風の3つの星座で2つの星の合が起こった時は大統領は死を免れるとしている。
そこで問題なのが、ジョージ・ブッシュJrである。彼は2000年に大統領に当選(?)したのだが、土星と木星が牡牛座(土の星座)で合の年なのだ。なので、アメリカの占星術師の多くは、ジョージ・ブッシュJrは暗殺されるのではないかと推測しているらしい。最近、D.O.A.P.というブッシュ大統領が暗殺されるというストーリーの映画が作られたのも、何か予言的だ。
ジェ-ムス・ブラハは記事で、もしジョージ・ブッシュJrが大統領になったら暗殺を避けるべく、自分の書いたインド占星術の本と御祓いの勧めを彼に送ると宣言している。その経過は知らないが、多分ジェ-ムス・ブラハはブッシュ大統領に送ったのだろう。でもブッシュ大統領は、死んでもインドの御祓いなんかしないだろうと思うのだ。

大統領怪死の法則 
http://www.marginal.com/n254.html


ジェ-ムス・ブラハ
http://www.jamesbraha.com/

スピリチュアル野郎の超常的日常 予言・未来予知

http://matrix80811.blog97.fc2.com/blog-date-200612.html





1960.11
1980.11
2000.11
2020.11
2040.11

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6月30日、世見の照さんは以下のように書いている。少し長いが全文引用する。
『「アメリカの陰謀」何だこれー、今日は変な日です。頭の中とは別に、手が原稿用紙の枡を埋める。目的は「アフガン」。
米軍の海外に駐留している兵力は27万人。軍事力は世界に突出していますが、軍事的な最大の競争相手の出現が迫っているのを察知したアメリカ?が計画したのが、9.11同時多発テロ事件です。
「ウソでしょう」「そんな馬鹿な」「強大な資源力を持つ国に対してのアメリカが打ち出した手段であった」一体、私は何を書いているのだろう。
多くの犠牲者を出してまでもやらなければならなかったのだろうか。「国際テロ集団アルカーイダのウサーマ・ビン=ラーディンはアメリカと手を組んでいた」なに書いているの。
私は、同じ事を言う私がいます。
核の問題もアメリカは当時抱えていた。その為の策を練らなくてはアメリカの存在がない。アメリカの世界での地位が脅かされるのである。
9.11事件を建前にブッシュ大統領は叫んだ。「テロ組織だけではない。大量の破壊兵器を持つ国には核攻撃をする」目的はこの核攻撃の言葉に隠されている。アメリカは9.11から対外の政策を大きく変えた。「では、何でツインタワーだったんだろう」私の心にこんな言葉が出てしまう。「ニューヨークで一番、誘導操作がし易い場所であった」為です。
もちろん、もう一つポイントが挙げられていた。1886年に建設された“自由の女神”である。だが、移民が始めて目にするアメリカのシンボルだけに、アメリカもウサーマ・ビン=ラーディンも、自由の女神には首を横に振った。
世界貿易センタービル・ツインタワーは世界の主なる企業が入っている。「これだ」すぐに決まった。9.11同時多発テロ後、アフガニスタンに軍事攻撃をアメリカは行った。テロ組織の壊滅が目的とばかりにである。
だが、その裏には「新政権成立」のシナリオがあった。アフガニスタン・イスラム共和国をアメリカは9.11同時多発テロで手に入れたのである。これで、インド・パキスタンだけではない、中国をも抑えられる。アメリカが抱く、核の脅威はこれで気が楽になると「計画を実行した」。
ハミド・カイザル大統領、あなたは全てこの事を知っていますね。でも「自分がトップになるとは思ってもいなかった。これが本音でしょう」」この裏事情を知らない、タリバンの残党や反米武装勢力は、今もテロや襲撃を繰り広げ、ウサーマ・ビン=ラーディンが得た物は、自分の命だ。当時、彼はアメリカの手におさめられていた。つまり、捕まっていたと言っていい。その後、アメリカの手で消えた。
ブッシュ大統領は自分の決断によって、世界は救われたと思っている。「核」の発射だけは、アメリカ大統領としてゴーは出せないと思っていたのである。それくらいブッシュ大統領は「核」問題を大きく心に持っていたと言う事になる。』
2007/07/03(火)

ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-date-200707.html


ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ~幻の古代ハイブラシル島の記録

ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ~幻の古代ハイブラシル島の記録
■レンデルシャム事件
1980年12月25日から28日の朝にかけて,英国サフォーク州にあるウッドブリッジ空軍基地(Woodbridge)に隣接したレンデルシャムの森の上空に色とりどりの光を放つ UFO が出現して,軍人や民間人による目撃が相次いだ。
当時ウッドブリッジ基地は米空軍によって使用されていたが,光る物体が森に降下していくのを見た警備兵が 「UFO が墜落していった」と通報。調査のために現場に赴いた兵士たちの証言で,実際は UFO の着陸であったことが明らかになった。その後「レンデルシャムの森のUFO着陸事件(レンデルシャムUFO事件)」として世界的にも知られるようになったこの事件は,米空軍基地近くで起きたこと,軍が事件を隠蔽したことから「イギリス版ロズウェル事件」と例えられているが事件の真相は謎に包まれたまま今年で40年を迎えている。
ウッドブリッジ空軍基地は かつて核兵器保管施設であって,ヨーロッパ最大のアメリカ陸軍所属戦闘機の駐機場でもあった。こうした背景がある場所で起きた驚くべき UFO着陸事件。
それを目の当たりにした友人の一人がジム・ペニストンだ。三等軍曹として長い間空軍に勤務してきたペニストンは1982年にサフォーク州のベントウォーターズ空軍基地の第81戦術戦闘機団に配属された。任務はアメリカ空軍基地における警備担当・地域管理であった。勤務地はウッドブリッジ空軍基地から約6.4 km 離れたレンデルシャムの森の中にあった。 
レンデルシャムUFO事件は翌年1981年1月13日,ウッドブリッジ空軍基地の副司令官チャールズ・ホルト中佐が公式報告書を作り,英国国防省に提出後そのまま極秘文書として処理されていた。
ところが1983年にアメリカの情報自由化法によって,この通称「ホルト文書」が一般に公開され注目を集めた。一早くこのホルト文書を入手してこのレンデルシャムUFO事件を初めて世に伝えたのがイギリスのゴシップ紙「ニューズオブザワールド(News of the World)」紙であった。
異星人の情報を紙に流したのは当時頻繁にマスメディアに登場した元兵士ラリー・ウォーレンである。彼は森の中で物体を間近に見たばかりではなく,調査のために事件現場に派遣されていたと公言し一躍脚光を浴びることになった。その後彼は1984年10月日本テレビの招きで来日。 筆者は彼に直接インタビューする機会を得ている。 
■未来人の文字コード
1982年12月26日,同じレンデルシャムの森でもう一つの事件が起きていた。これはジム・ペニストンの証言で詳細が明らかになった事件である。 
ジムは下士官のジョン・バロウズとレンデルシャムの森の中で三角形のUFOと接近遭遇していた。
ペニストンによれば1980年12月25日~26日にかけて夜勤のシフト中に事件が起きたという。最終シフトは12月26日午前6時30分に終了する予定であった。しかしハプニングが起きた。 UFOが出現したのである。
ペニストンは現場空域で民間機・軍用機ともに飛行していなかった事実を確認後,墜落事例用検査キット,懐中電灯,無線機などを用意してジープで現場に向かった。 
舗装のない道路をしばらく走って森に入った。森の中の開けた場所を走り続けたがやがて木々に遮られて前に進めなくなった。ペニストンたちはジープから降りて前方に見える光に向かって歩いていった。途中無線機での交信が不安定になって,空軍下士官をジープに待機させ,CSCに報告するように指示を出した。 
ペニストンは光に近づいていった。 森の中でパチパチと焚火の木が弾けるような音が聞こえ,針で突き刺されるような感覚に見舞われた。 周囲に静電気がみなぎっていた。 なんとか体を動かして光に向かって進んでいくが,方向感覚がなくなって,奇妙な陶酔感と時間が歪んで流れが緩やかになったような感覚に陥る。 明らかに光の周囲が異常空間と化していた。光に進むと黄色がかった白い色の光のドームが地表に出現していた。その明るい光が暗くなって灰色・白・黄色っぽい泡が暗い色の物体から発せられていた。 
ペニストンは勇気を振り絞って光のドームの中に入った。するとそこには表面がガラスに似た滑らかな黒い物体つまりUFOが存在していた。球根のような形で宙に浮いていた。ペニストンは機体が3箇所から発する光に支えられていることを確認した。地表には光の位置と一致する形で深さ5cmほどの円形の穴が三つあった。 物体の観察中に機体の左側に象形文字のような模様とも記号もつかないものがあるのに気づいた。 それぞれの記号の大きさは縦60cm横7.5cmほどだった。 
その後12月26日,ペニストンはUFOが着陸した地点を2度訪れた。2度目に行った時は現場の土壌に残っている少しへこんだ部分の石膏型を取った。丸く直径17.5cm,深さは3.5cmほどであった。注目すべきは三つ残されていた着陸脚部の痕跡の位置が3 m間隔で完全な正三角形を描いていたことである。
ペニストン調査チームは空軍特別捜査局の面談を受け,軍部が準備した証言書類の内容を暗記して,どんな組織や人から質問されてもその通りに対応するように命令された。
そして 1981年1月の終わり計画プログラムという新しい部署への配属に配属された。ペニストンは昇進したのである。しかしペニストンには特別捜査局の自白剤まで使った厳しい尋問にも屈服せずに明かさなかった秘密があった。
それはUFOの機体に触れた際に脳内に数列が刻印されてしまった事実についてである。ペニストンがUFOの機体に直接触れた時の状況を今一度再現しておく。まるで誘導されるように機体に近づいて手で触ったその瞬間眩しい白い光に包まれた。そして瞬間的に脳裏に0と1の数列が浮かんだというのである。ペニストンが触ったのは三角形が描かれている部分であった。どのくらい時間が経ったのかわからない。次に気付くと彼は機体のすぐ横に立っていたという。
翌日12月27日の朝,ペニストンは勤務後に帰宅したものの,とても眠れる状態ではなかった。前の晩の光景が脳裏を離れず,なぜか1と0という数列が繰り返し思い浮かぶ。それは心の目に映っていたというほうが真実に近いかもしれない。フラッシュのように目まぐるしく訪れるイメージに突き動かされて,彼はひたすら手帳に数字を書き込んだ。それは16ページにも及んでいた 。
この時点ではもちろん膨大な数列が何を意味しているのか全く分からなかった。不思議なのは,数列を書き終えたところで言葉では 表現できない焦燥感が完全に消えて全身が達成感で満たされたことであった。それ以来数列が脳裏に思い浮かぶことは一度もなかった。
賢明なる読者諸君は0と1から構成されるそうですという意味で「バイナリコード」を思い浮かべるだろう。これは0と1の組み合わせに意味を持たせるシステムであって,人間が作ったプログラムをコンピューターに理解できるように二進法のコードに翻訳したものである。コンピューターは二進数しか理解しないために,文字データも0と1で表現する。
1993年ペニストンは軍を退役した。 しかし数字を記録した手帳の存在は誰にも伝える事もなくひたすらに隠していた。その間 UFO事件に関する書籍やドキュメンタリー番組に関する書には接したもののペニストンが満足できるものは何もなかった。ペニストンの願いはただ一つ。全くバイアスがかけられない形で自分の体験をありのままに伝える方法を見つけることであった。
2010年,ペニストンはかねてよりコンタクトのあったリンダ・ハウに初めて数列を記録した手帳を見せた。リンダはフィールドワークを主体として活動中の UFO研究家で一方ではジャーナリストとしても第一線で活躍していた人物。 レンデルシャムUFO事件とペニストンの体験に着目していたリンダは手帳を見て瞬時にこれは事件の決定的な要素となると確信。この数字の羅列こそバイナリコードである可能性をすぐに悟った。リンダはその道のエキスパートとして名高いジョー・ルシアーノに数列の解読を依頼。物事が大きく動き出すことになった。2012年。ついに16ページにわたるバイナリーコードの内容がついに明かされた。
■ハイブラシル島
バイナリコードはペニストンがUFOの機体に刻まれた象形文字のような記号に触ったからこそ手に入れることができた情報に他ならない。記号に触れたことでバイナリコードを脳内にダウンロードできるシステムが作動したのだろう。
コードに示されていたのは,世界各地の聖地とされる場所,それも歴史的に大きな意味を持つ場所ばかりである。
ただし不明な座標があった。
北緯52.0942352
西経13.131269
という座標である。現在何もない北大西洋上の一点だったからだ。 なぜ何もない洋上の地点が含まれているのだろうか?それが2度も示されているのである。二度目は起源地となっており後日その場所にこそ事件の核心となる最重要な存在が示唆されていることが分かったのである。。
この座標は「ハイブラシル」という名前の伝説の島があったとされる。
アイルランドの西の沖合320kmの北大西洋上の位置を示していたハイブラシルこそ「アイルランドのアトランティス」「第二のアトランティス」と呼ばれる謎の島だ。1374年~1595年に作られた地図では必ずハイブラシル島が描かれている。 ハイブラシルは数年に一度深い霧に包まれた状態でしか姿を現さないと伝えられている謎とロマンに満ちた幻の島だったのである。しかしアトランティスと違いハイブラシルに関する文献は数多く残されている。
そこは豊かな自然に恵まれた島で,高度な文明が栄えた。島を訪れた人は口をそろえて,壮麗な建物が並ぶ都について熱っぽく語ったという。黄金のプレートが敷き詰められた屋根。まるまると太った牛の群れが飼われている広大な牧草地。そして裕福で知的な島民たち。島に関する神話や伝説は枚挙に暇がない。
 ペニストンが受け取ったメッセージには世界各地の有名遺跡や聖地が含まれていたということは,ハイブラシル島もまた聖地であって,同じ遺跡が存在したのではないか? 解読された座標には「起源地」と示されていた。つまりハイブラシル島はレンデルシャルUFOの起源だったことになる。
レンデルシャム UFO がタイムマシーンで,その乗員が異星人ではなくて地球の未来人だったとするならば,彼ら地球の未来人は1980年のイギリスだけに特化してやってきたとは思えない。バイナリーコードの座標に示された遺跡や土地にはその時代ごとにことごとく訪れていたはずである。。
その訪問は人類が誕生した過去にまで遡っているかもしれない。 フォン・デニケンやセカリア・シッチンが提唱するこの宇宙考古学では,異星人が大昔からこの地球に干渉して人類創造にまで関与したと言うか説が唱えられている。しかしそれは実際は異星人ではなく特には神として崇められた彼ら地球の未来人だったのではないだろうか?
その起源となるのがハイブラシル島である。この島の座標が念を押すかのように2度も書かれている。彼らの起源=故郷である。ハイブラシル は彼らタイムトラベラー達が太古~現在~過去の時代まで時空連続体をタイムワープしてきた原点であって,特別な場所なのである。
グーグルマップで見ると,ハイブラシルの場所はヤマアラシ錐とヤマアラシ海曲部といわれるアイルランド大陸棚の一部が盛り上がった海底地形になっている。現在はサンゴ礁が密集した絶好の漁場でもある。約12000年前に氷河期が終わって海面が上昇する以前は海面に出ていた可能性が高いという。海底地形が海面に出ていれば地図に描かれたハイブラシルの形状に近いといわれる。
伝説の島といわれるハイブラシルであるが,その名前は古くから文献に記録されており,1674年にはフランスからアイルランドへ航海中の船員がハイブラシル島に上陸したという記録を残している。上陸した船員は,島に石で作られた巨大な城のような構造物があって,馬や牛や黒ウサギがいたと証言している。さらに音楽や音波で大きな物体を動かしていたという目撃証言があり,ハイブラシル島には高度な科学技術と膨大な富が眠っていると信じられてきたのである。ハイブラシル島は宇宙のすべてを知り尽くした魔法の力を持つ聖職者が支配していたと言われる。
ー雑誌ムー,2020年,     


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.........
       ↓
・1ページ
EXPLORATION OF HUMANITY
(人間性の探求)
666 8100
・2ページ
北緯52.0942352
西経13.131269 
・3~5ページ
COUNINOUS FOR PLANETARY ADAN??
(惑星の進化のための連続的な4つの座標 )
・6ページ~13ページ
北緯16.763177
西経89.117768
(ベリーズのピラミッド)
北緯34.800272
西経111.843567
(米国アリゾナ州セドナの南,モンテズマ城)
北緯29.977836
東経13.1649
(ギザの大ピラミッド)
南緯14.701505 
西経75.167043
(ペルーナスカの地上絵)
北緯36.256845
東経117.100632
(中国山東省)
北緯36.110195
西経25.372281
(ギリシアナクソス島アポロン神殿の門)
・14ページ
EYES OF YOUR EYES
(汝の目の目)
・15ページ
北緯52.0942352
西経13.131269
ORIGIN
(起源地)
・16ページ
ORIGIN YEAR 8100
(起源の年8100年)

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ムー 2020年5月号 [雑誌] - ムー編集部
ムー 2020年5月号 [雑誌] - ムー編集部

スーパーマーケット人気





[市場]スーパーマーケットが進出
1981年
1930年代アメリカに生まれたスーパーマーケットは,第二次世界大戦後,流通革命の中心としてヨーロッパに波及して,わが国にも1960年代から生まれだして, 1970年代から1980年代に入ると,巨大スーパーは百貨店の売り上げを超えて全国に支店をはりめぐらせるするようになった。
ダイエー
イトーヨーカドー
長崎屋
ジャスコ
などがこれである。
スーパーマーケットは,セルフサービス方式をとることによって人件費を少なくして,これによるコスト低下によって薄利多売を図ろうとするだけではない。
百貨店の場合,10万種類程度の品物を揃えて,返品が効く形で問屋からものを仕入れて,問屋との了解をもとに価格を決めている。
ところがそれに対しスーパーマーケットは品物の種類を大きく制限して,ほぼ1万種類以下,本店に仕入れの専門家を置いて,これが大量買い入れ/仕入れる。従って低価格で仕入れ,これを各スーパーマーケットに回すなど,価格を自らの責任で決めていく。
こうしたシステムであるために,支店長制度の下,ベテランを配置しなければならない百貨店に対して人材供給が容易であって,また付近の商店よりも一段と安い価格で売ることができて,急速に支店網を広げることができた。
他方,既存商店はスーパーの進出によって脅威をうけるところから,一方でこれらの規制を求めて,1973年,「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大店法)」を整備させた。
このような規制法を成立させた背景には,1973年の第一次石油石油ショック以降,地方に進出するスーパーマーケットは都市中心部に立地するだけではなく,マイカーに便利な郊外の新興地に立地して,そのために伝統的な繁華街が衰退すると言う状態が見られた事もある。ファミリーレストランなどの普及もこうした傾向を強めている。
こうしたスーパーの攻勢に対して,夜遅くまで開店してるセブンイレブンや24時間営業を続けるサンチェーン等,連鎖店組織も生まれた。
また,スーパーマーケットをそれ自身も一方で高級化して,百貨店化する店を作って,他方でさらに安く売ることができるようにと商品を段ボール箱に入れたまま並べると言うボックスストアなども出現させた。
こうした流通業界の激しい競争の中で,1980年代にはスーパーマーケット最大のダイエーがフランスの名門百貨店オ・プランタンと提携して一方で百貨店への進出を用意すると同時に,アメリカのディスカウントストア・Kマートと連携して,国際的に共同仕入,共同開発体制を敷く反面,日本最大のボランタリー・CGCジャパンと連携して共同仕入,商品の共同開発法を図るなど,流通業界は競争と再編が進んで,新しい時代が訪れようとしている。
ー学研百科事典Brummell,1981年,       

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スーパーの販売額ランキング, 1979年度
ランク,会社名,販売額,テンポス,
01,ダイエー, 10兆2594億円,159
02,イトーヨーカドー, 05兆7353億円, 092,
03,西友ストアズ, 05兆2654億円, 144
04,ジャスコ, 05兆0238億円,127,
05,三越, 04兆9055億円,014
06,大丸, 04兆1277億円,007,
07,ニチイ, 03兆9692億円, 148,
08,高島屋, 03兆7501億円,005, 
09,西武百貨店, 03兆4111億円,010,
10,松坂屋, 02兆9869億円,009,
ー学研百科事典Brummell,1981年,       

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予知情報 シュミータ

l2015年09月03日
シュミータとは何か?:ユダヤ教のラビ、ジョナサン・カーンが語る「市場の崩壊、国家の盛衰、戦争、高い塔、9/11…etc」との関係についての全語録。そして「2015年9月13日の意味」
前回まで、
・2015年9月という「終末」の月(1)
・2015年9月という「終末」の月(2)
・2015年9月という「終末」の月(3)
という、9月に関しての、いろいろな噂や出来事を書きました。
その中で、ユダヤ教の安息日である「シュミータ」という概念を初めて知ります。
これは、7年ごとにおとずれるものです
(その翌年が「ヨベルの年」といわれる年で、イスラエルが 100年間以上にわたり再建し続けてきた年)。
このシュミータに関しての著作がある、ユダヤ教のラビであるらしいジョナサン・カーンという人のインタビュー動画があります。
これを最近初めて見たのですが、
思っていた以上に興味深いもので、
シュミータ、なんてものは、それまで曖昧に「へえ」くらいな関心だったものが、かなりの興味を持つに至りました、
これに、日本語の訳をつけてくれている動画がありまして、
基本的にはそれをご覧になればそれで済む話ではあるのですが、
動画は、何かのさまざまな理由で、消えてしまえばそれまということで、文字として残しておきたいと思いました。
ジェイコブ・バーネットさんの TED での講演をおこした記事と同じように、
このジョナサン・カーン氏のインタビューをすべて文字におこすことにしました。
20分のインタビューですので、文章としてはかなり長いものになりましたが、
足かけ2日間で、何とか形になりました。
参考にさせていただいたのは、YouTube の、
・「アメリカの未来は裁きか祝福か」 Jonathan Cahn-Is USA's future going towards
です。
上の動画とは、訳などやや違いますが、全体のニュアンスとしては同じだと思います。
特に、後半、「塔」というもものの概念について語られているところからは、とてもおもしろいです。そのように、いろいろと感想はあるのですが、とにかく長いですので、早速、そのインタビューの内容に入ります。
いろいろと書きたいことは後日の記事に書かせていただこうと思います。
『これが超自然現象だ( It's Supernatural )』という、おそらくアメリカのテレビ番組の中でのインタビューで、登場人物は以下のお二人です。
ジョナサン・カーン( Jonathan Cahn )氏
司会者 シド・ロス氏
番組自体が宗教がかったもののようですが、語られる事実は、とても興味深いものです。
興味深い部分は太字で示しています。
ジョナサン・カーン氏インタビュー「シュミータとは」
司会者 ベストセラー本『前兆』では、神の裁きの前兆を警告していますが、今、9つの前兆が再び現れています。その中のひとつに「シュミータ」( Shemitah )に関する啓示がありますが、ジョナサン氏にお伺いしますが、「シュミータ」とは何なのですか?
カーン シュミータは、3千年前から伝わるミステリーで、シナイ山にいるモーセの時代から、9月11日の事件や、経済の浮き沈み、あるいは、株式市場の暴落や、国家の浮き沈みにも影響を与えるものです。
第一次世界大戦や第二次世界大戦、あるいは現在起きていることや、これから起きることまでも、驚くほど正確に示されている聖書のミステリーなのです。
司会者 「前兆」という本を書いたとき、私たちの日常がここまで影響されていることをご存じでしたか?
カーン ある一定の時代においては理解していましたが、それが、たとえば、このテレビを見ているすべての人たち(現代の人たちに)までも、それが影響していることには気づいていませんでした。私たちの現代の生活も、そして、未来もシュミータに影響されています。その影響の大きさを最近まで私は知らなかったのです。
司会者 なるほど。そもそも、「シュミータ」とは、何を意味するものなのですか?
カーン これはヘブライ語の言葉で、「解放( release )」あるいは、「落下( fall )」、「崩壊( collapse )」や「揺さぶり( shaking)」などの意味を持ちます。シナイ山で神は、イスラエルの民に律法を与え、7年ごとに安息年をもうけることを教えました。その間は、種まきも収穫もしてはならず、「エルル 29 ( Elul 29 )」と呼ばれるシュミータの最終日には、すべての借金や国の負債がすべて帳消しになったのです。
シュミータは祝福ですが、イスラエルが神に逆らい始めたときには、シュミータは、神に背を向ける国への裁きの「しるし」として現れました。私たちの暮らしでいうと、シュミータは経済に影響を与え、現在では「不況」として現れます。ウォール街では、株の暴落などが起きます。
司会者 祝福ではなく、私たちが、崩壊や裁きを受けるということなんですか?
カーン 9月11日の事件以来、過去2回のシュミータが示す事柄は、より正確になってきています。
今、新たなシュミータの年(2014年~2015年)が来るのですが、
これが、私たちの生活をすべて左右するはずなのです。
シュミータの示唆は、本当に正確で、物事の日時や秒まで正確に記されているのです。
司会者 シュミータは7年ごとに起きるのですね?
カーン はい。シュミータは7年ごとの安息年ですが、
そのポイントは、7年ごとに起こるたびに、経済のすべてが消え去る( wipe out )のです。
司会者 それはつまり、聖書によれば、
7年ごとに神からの祝福が与えられるが、神に背いている場合は「裁きのとき」となると。
カーン 紀元前 586年にエルサレムが陥落したのは、シュミータを何回も無視した結果だと聖書にあります。借金が消えるだけではなく、街や国家が消えることもあるのです。
紀元前586年 エルサレムの陥落(ユダ王国の滅亡)
司会者 聖書を信じなくとも、私たちの暮らしを左右するこのパターンを見ると、歴史的に、実際にそのようなサイクルで国家の興隆や没落、あるいは、経済の上昇と下降が起きているわけで、やはり聖書を無視することはできないようですね。
過去40年の経済崩壊は7年サイクルで起きている
カーン 過去 40年の私たちの経済を振り返りますと、5つの長期的な市場の暴落があり、その後に不況が続きます。最初は 1973年で、二回目は 1980年、三回目は 1987年、四回目は 2000年、そして、五回目は大不況となった 2007年です。
これらはすべて7年間隔でおとずれています。1973年の7年後は 1980年で、その7年後は 1987年、2000年の7年後は 2007年です。
それぞれ、株式市場の暴落と不況があった 1973年はシュミータの年で、1980年もシュミータの年、1987年もシュミータの年、そして、2000年もシュミータの年でした。2007年もそうです。すべてが聖書に書かれてある通りに起きているのです。ものによっては「秒」まで記録されています。歴史上の大恐慌を見ると、そのほとんどすべてがシュミータの年に起きていることがわかるのです。
例を挙げますと、歴史上で三番目に大きな不況が 1937年~38年に起きました。これはシュミータの年でした。この時は、ウォール街が暴落した翌日にシュミータが始まったのです。 2007年~2008年の大不況もシュミータの年に起きました。この時は、借金を完全に消し去る「エルル29」の日に、株式市場が大暴落しました。
1929年の大恐慌も関連しています。この時には、シュミータのピークの日の直後に、アメリカ株式市場の歴史で最悪の暴落が起きたことは本当に驚くことです。
1929年の株式市場の暴落と大恐慌もシュミータの年
司会者 実は、私は、かつてウォール街の株のブローカーだったのですよ。もし、この聖書の原則を知っていたら、私は世界で最も仕事のできる投資信託のファンドマネージャーになっていたことでしょう。
旧約聖書に「罪人の富は神に従う人のために蓄えられる」(『箴言』13章22節)とあるように、富の移行があると思いますが、私たちは、聖書のこの原則を理解する必要があります。次は、この聖書の原則によるアメリカの未来を検証します。ところで、この原則は、すべてに影響を与えているものと考えていいのですね?
「高い塔」と国家の栄光と没落の関係。そして、ツインタワーとシュミータ
カーン シュミータには様々な側面があり、ここまでは、ウォール街のことなど、表面的な部分をご紹介しただけですが、シュミータは、物理的な現実にも影響を与えるのです。
最初に、「塔の謎( mystery of the tower )」というものがあります。聖書で「塔」には「 Migdal 」という語が使われており、これはヘブライ語で「偉大」という意味です。建造される「塔」と「偉大」であることは同等で、これは国の偉大さ、誇り、栄光などを象徴しています。
司会者 バベルの塔を思い出します。天にそびえ立つ塔によって、彼らは名を広めることを目指していましたね
カーン その通りです。それでは、世界一高い塔を持つことと、その国が力を増すことには関係が何か実際の関係があるのでしょうか? それを歴史から探ると、非常に興味深い事実に行き着きます。
たとえば、中世までは世界で一番高い塔はヨーロッパにありました。そして、世界の中でヨーロッパが最も力を握っていた。しかし、1870年になると、アメリカで高い塔の建設が始まります。その翌年、アメリカが世界で最も経済力を持つ国となるのです。
アメリカに高い塔がそびえ立ったことにより、権威が英国からアメリカに移ったのです。力を増すアメリカは、世界一高い塔を建設し続けました。
これをシュミータとの関連で見ますと、第二次世界大戦が終わる 1945年が、アメリカが最強のときでした。そして、アメリカでは、アメリカの偉大さを象徴する塔を建設する計画が立てられます。すなわち、ニューヨークの世界貿易センタービルの建築の構想が練られたのは、1945年のシュミータの年でした。
そして、世界貿易センタービルの建設が始まったのも、1966年のシュミータの年だったのです。世界貿易センタービルが完成したのは 1973年で、これもシュミータの年でした。すべてが、シュミータに沿った7年ことのサイクルになっています。
そして、世界貿易センタービルが崩壊したのもまた、シュミータの年の2001年の同時多発テロによってでした。
世界貿易センタービルの建設開始と完成(1966年、1973年)はシュミータの年
世界貿易センタービルが崩壊したのもシュミータの年(2001年)
カーン 塔は「上昇や勃興」を象徴しますが、
シュミータは「陥落」を象徴します。
塔は人の栄光を象徴しており、シュミータは人や国の高慢を粉砕します。
シュミータでは(金融・経済的に)口座を消し去りますが、人間が作った現実も一掃されるます。たとえば、シュミータがピークのときに 9/11 が起きたのです。これはシュミータの最後の週でした。
すべてを一掃して消し去る日の数日前に起きたのです。
ビルの崩壊は株式市場の暴落を招きました。
シュミータの日に、権力と経済力の両方が同時に崩壊したのです。
9/11が起きるタイミングも、古代からのシュミータによって決められていたのです。
塔を築くのが国家の台頭を象徴するなら、
塔の崩壊は、アメリカの将来に対しての警告なのです。
世界大戦と国家の台頭と滅亡とシュミータの関係
司会者 本に書かれてあるように 9/11 は警告ということなのでしょうか。
裁きの日が来るまで、私たちは一体どれくらいの警告を受け取るのですか?
カーン あの事件は前兆だけではありません。
今、同じ場所にビルが建設されていますね。
4つ目の前兆ですが、それもシュミータと関係しています。
私が書いた『前兆』が出た後も、シュミータに関連するできごとは起きており、
今、建設されているビルは「反逆」を意味します。
あのビルもシュミータの年に計画されたものです。
アメリカ議会で「抵抗」を誓った年に作られたのです。
おそらく、次のシュミータの年に完成するでしょう。
シュミータは、塔だけの問題ではなく、国家の浮き沈みにも関係があるのです。
シュミータが、アメリカの栄枯盛衰の時を告げるのです。
確かに非常に大きなミステリーですが、確かにすべてのことが影響されるのです。
「揺れ」「陥落」「崩壊」の意味を持つシュミータですが、
シュミータの年である 1917年にウォール街で暴落が起きましたが、
それと同時に、そのシュミータの年には多くの国々を揺るがした第一次世界大戦がありました。
シュミータは、崩壊を象徴しますが、この大戦では4つの帝国が崩壊しました。
ドイツ、ハンガリー、ロシア、オスマン帝国です。
シュミータは、国家の台頭も意味しますが、
1917年にはアメリカが台頭し始めました。
アメリカは第一次世界大戦で、世界の舞台に登場したのです。
ここに国家の浮上を見ますが、
それから4回目のシュミータを経た 28年後……聖書では「4」は王国の数字ですが、
1945年には、第二次世界大戦で、またもさまざまな国々が揺さぶられました。
ヒトラーが攻撃を始めたのは 1938年でした。
シュミータの年です。
そして、これは7年間続き、シュミータの年である 1945年に終わります。
ホロコーストも、シュミータの年の 1938年に始まり、1945年に終わります。
シュミータがピークのときは、第二次世界大戦は最も激しいときでした。
そして、「消滅」、「一掃する」日が近づくシュミータのピークの 1945年の夏、原子爆弾が落とされます。
この第二次世界大戦の終結も、7年間のシュミータの最後の週でした。
ベルリンで、連合軍が勝利のパレードをおこなったのはシュミータが終わる日だったのです。
それ以来、アメリカが世界で最強の国となり、冷戦(1947年 - 1991年)もシュミータの年に始まります。
それから4回のシュミータを経た 28年後、シュミータは国家の堕落も意味しますが、シュミータの年の 1973年、アメリカで子どもの中絶が合法になります。この罪により、古代イスラエルは裁かれたのです。同じ年の 8月15日にアメリカは、初めてベトナムで敗戦します。その7年前のシュミータの年の戦争では、8月15日に勝利を得たのに。
その 1973年の秋に世界貿易センターが完成しました。アメリカが中絶を合法化した年に、です。
2015年9月13日に終わるシュミータは「赤い月の時期」と重なる
司会者 確かに過去に関してのシュミータの示唆は驚くほど正確なことがわかりますが、
では、現在と、そして「未来」はどうなのでしょうか。
7年ごとに訪れるシュミータは、神からの祝福ですが、
神の律法に従っていなかった場合は呪いとなるというみことなのですよね。
今(2015年)はシュミータの年ですが、これはいつ始まったのですか?
カーン 2014年9月25日に始まり、 2015年9月13日に終わります。神がこのシュミータの時期に、毎回のように何かをなさるとは限らないでしょうが、「何かをなさる」こともあります。
司会者 私が神だったら、シュミータまで待たないでしょう。私たち人間の行いは神に逆らっているようなものです。アメリカが、国をあげて神を挑発し続けているのです
カーン だから危険なのです。アメリカが現在進んでいる方向、そして、現れている前兆、そして、そこに、シュミータの時期が重なるのです。2001年と 2007~2008年のシュミータでは、事柄がより正確に起きているのです。
2001年には、歴史上最悪の株式市場の暴落があり、聖書にある「エルル 29 」の当日に、口座からお金が一掃されました。7年後の 2008年には、また株式市場の暴落が起きました。聖書にある「エルル 29 」のその当日の同じ時間に起きたのです。ミステリーの形が、より鮮明になってきているのです。
そして、前兆は次第に増してきているので、国々は今、裁きに向かって進んでいるのかもしれません。アメリカというこの国では、特にそれが起きています。必ずしも、私がいうように神が行動なさるとは言いませんが、しかし、そのような可能性を認識することも大事なことです。
何かが起きるときは、徐々にピークに向けて高まってくるのです。今回のシュミータのピークは、2015年9月13日です。その時は、以前にもお話しましたが、「赤い月」の時です。この赤い月の期間は、1年半ほど続きますが、この期間の後半がシュミータと重なっているのです。
司会者 あらゆる警告がきているということなんでしょうか。
カーン 裁きの前兆として、聖書にあるのが太陽が暗くなることです。
今回のエルル 29 のピークの日は、日食の日と重なるのです。
「消え去る」日と日食が同時に起きるのです。
世界貿易センタービルの跡地に建てられた塔は、先端を取りつけて、
アメリカでは一番高い建物になりましたが、その先端を取りつけたのは、日食のときでした。
世界貿易センタービルの跡地に建てられているビル
最後にエルル 29 と日食が同時に起きたのは 1987年でしたが、
その直後に史上最大のウォール街の暴落(ブラック・マンデー)がありました。
もちろん、だから今年の9月に何かが起きると言っているわけではありませんが……。
司会者 質問があります。
あなたはこのことを学術的なだけではなく、啓示を受けながら研究していますが、あなたご自身はどんなことが起きると考えていますか?
カーン アメリカを揺るがすようなできごとが起きることを確信しています。
その「揺るがし」は、特に経済や財政に影響を与えます。
公共サービスや生活の基盤となる設備が滞るような事態が想定されます。
神は慈悲深いお方ですが、現時点では「揺るがし」なしに、再生は起こらないでしょう。
神は、再生を望まれており、そのために揺るがします。
「イスラエルの再建の歴史」と合致するシュミータの翌年のヨベルの年
司会者 7つめのシュミータとは何ですか?
カーン これは、話がいろいろと大きくなりますが、簡単に言いますと、1967年の「エルサレムの再建」から7年×7年= 49年目は「ヨベルの年」です。ヨベルの年は、土地や財産や遺産の回復を意味します。ヨベルの年は、シュミータの翌年です。
2000年前にイスラエルは土地と遺産を失いました。そして、イスラエルの土地の回復は、1917年のイギリスのバルフォア宣言から始まります。この 1917年は、シュミータの翌年でした。
イギリス政府のシオニズム支持表明「パルフォア宣言」(1917年)
カーン その後、7回のシュミータを経て、1967年(第三次中東戦争)で、
エルサレムの再建があり、これもシュミータの翌年に起きたのです。
そこから、2015年の7回目のシュミータを経ると、(エルサレムやイスラエルの復興と関係する)ヨベルの年は 2016年なのです。
神がまた何かをなさるとは言いませんが、過去には素晴らしいことをなさり、
すべては神の御手の中にあるのがわかるのです。
司会者 では、この7回目のシュミータというのは、もしかすると、ですが、
アメリカだけではなく、すべてに対しての締めくくりかもしれないわけですね。
カーン 私たち人間の頭で神を理解することはできないとはいえ、歴史のすべてのミステリーがシュミータに隠されていると思うのです。
タグ:ジョナサン・カーン ヨベルの日 エルサレムの再建 ユダヤ教の安息日 シュミータ

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月火水木金土日
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◇◇◇◇◇◇■(1901)
◇◇◇◇◇◇■(1908)
◇◇◇◇◇◇■(1915,7回目のシュミータ)
◇◇◇◇◇◇■(1922)
◇◇◇◇◇◇■(1929)
◇◇◇◇◇◇■(1936)
◇◇◇◇◇◇■(1943)
◇◇◇◇◇◇■(1950)
◇◇◇◇◇◇■(1957)
◇◇◇◇◇◇■(1964,7回目のシュミータ)
◇◇◇◇◇◇■(1973)
◇◇◇◇◇◇■(1980)
◇◇◇◇◇◇■(1987)
◇◇◇◇◇◇■(1994)
◇◇◇◇◇◇■(2001)
◇◇◇◇◇◇■(2008)
◇◇◇◇◇◇■(2015,7回目のシュミータ)
◇17◇◇◇◇■(2022)

※■(シュミータ)

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2015年09月05日
4連続する赤い月とシュミータが過去2000年で初めてシンクロした2015年の9月は、
史上最大級の「天空を暴力的に赤く染める妖精の登場」と共に始まった
最近は「この9月のこと」を少し書いていましたが、自分で書いたことが、何だか自分自身の心境にも多少影響を与えているようです。
ここ2日ほどは、何となくぼんやりと今後のことを考える時間が多く、
昨日はどうも「前向きであかるく」記事を書くというように感じの心持ちでもなく(ただ、暗くもないですが)、
なんとなく人生のいろいろななことを思い出したりしていました。
過去2000年で初めて「テトラッドとシュミータがシンクロ」
前回の記事、
・シュミータとは何か?:ユダヤ教のラビ、ジョナサン・カーンが語る「市場の崩壊、国家の盛衰、戦争、高い塔、9/11…etc」との関係… 2015年09月03日
では、今年 2015年9月13日(日本では 14日になるかと思います)は、「シュミータ」と呼ばれる7年ごとのユダヤ教の安息日の最終日であり、そのことが、過去どんなことと関係していたかについてのユダヤ教のラビの語りについてを書かせていただきました。
この年には、過去数十年、ほぼ正確に、株式市場や金融市場の混乱と暴落、大きな不況や恐慌、あるいは、戦争などの社会混乱が起き続けていた上に、この時期が、過去記事、
・赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった 2014年04月06日
から書き続けていました、4回連続する皆既月食(テトラッド)の最終月(今年の9月)と、現在のシュミータの時期がシンクロすることも、ここ数日の記事を書く中で、初めて知りました。
テトラッドという現象は、ものすごく珍しい現象ではないですが、それでも、過去 2000年で8回のみであり、ありふれた現象でもないと思います。
過去のテトラッドの時には、イスラエルの建国(あるいは、エルサレムの再建)に大きな影響を及ぼした出来事(第一次、第三次中東戦争、国家としての承認など)があっただけではなく、
世界各国が荒れまくった年となっていました。
特に、第二次大戦後の2回のテトラッド、
1949-1950年と、
1967-1967年
のテトラッドの年は激動で、また、「大量死の年」ともなりました。
西暦 1949 - 1950 年のテトラッドの年に起きたこと
・1949年5月11日 - イスラエルが国連の59番目の加盟国として承認
・1949年6月 - 第一次中東戦争停戦
・1949年10月1日 - 中華人民共和国成立
・1950年6月25日 - 朝鮮戦争が始まる
・1950年10月7日 - 中国によるチベット侵攻
西暦 1967 - 1968 年のテトラッドの年に起きたこと
・1967年6月5日 - 第三次中東戦争。イスラエルの圧勝で終結
・1968年1月5日 - プラハの春が始まる
・1968年1月29日 - 東大闘争始まる
・1968年1月30日 - ベトナム戦争でテト攻勢開始
・1968年5月21日 - フランスで1千万人参加のゼネスト
このようなことが「4回連続する赤い月」の中で起き続け、
そして、イスラエルは 1967年には、領土を4倍にまで拡大して現在に至ります。
しかし、調べているうちに、今現在の「赤い月」、つまり、テトラッドには、
過去 2000年の他のすべてのテトラッドと違う点があることに気づきました。
それは、2014年から 2015年のテトラッドが、
「シュミータと時期が重なっている」
ことです。
過去 2000年のテトラッドと、安息年のシュミータが重なる時があるかどうかを確かめてみました。
計算が間違っていることもあるかもしれませんが、参考までにという程度でご覧下さい。
過去2000年のテトラッドとシュミータの年
162-163年  直近のシュミータは 159年
795-796年  直近のシュミータは 797年
842-843年  直近のシュミータは 838年
860-861年  直近のシュミータは 866年
1493-1494年 直近のシュミータは 1496年
1949-1950年 直近のシュミータは 1951年
1967-1967年 直近のシュミータは 1966年
2014-2015年 直近のシュミータは 2014-2015年
ということになり、
少なくとも過去 2000年では、現在が唯一のテトラッドとユダヤ教の安息日シュミータがシンクロしている年ということになりそうです。
だからどうしたということでもないですが、1年半追い続けてきた「赤い月」に、こういう大きなオマケがついているとは思いませんでした。
まあ・・・これから、やって来る「かもしれない」ことが、
ブラックマンデー (1987年の株式大暴落)とか、
リーマンショック(2007年の市場の混乱から続いた不況)程度であるなら、そんなにどうのこうのという話ではないとは思います。
というのも、私を含む多くの人たちは 1987年も、同時多発テロのあった 2001年も 2007年も生きてきたと思いますが、
「その多くの人は今も生きている」からです。
生きているということは、苦しかったりした時もあったかもしれないですが、とにかく今は生活しているということです。
7年ごとに混乱が起きたとしても、
しばらくすれば、また元に治まってきているのが最近の歴史です(金融に関しては、歪みがどんどん増してきたこの7年でしたが)。
なので、ブラックマンデーとかリーマンショック程度のものなら、一時的に大変なことはあっても、わりとすんなりと元に戻れるものなのかもしれません。
あるいは、大恐慌( 1929年の株式の暴落から続いた世界的な大不況)のようなものも、結局時間をかけながら元に戻っていったわけで、
いろいろ大変ではあっても「いつかは戻ることができる」タイプのものでした。
しかし、そのラインを越えたものならどうなるのか。
そんなことをここ2日ほどボーッと考えていました。
数字や現象のシンクロに、さまざまな「かつてないような一致」を見せている今年のシュミータに何が起きるのか、
あるいは「起きない」のか。
今週は、株式市場の値動きも結構見ていました。
今や1日の値動きの大きさもすごいものですが、
一瞬で 300円くらいはあっという間に上げ下げするような大荒れの相場となっていて、それと共に、現在では証券会社などが「アルゴリズム取引」(コンピュータによる超高速取引)というものを使っていて、その機械取引がその荒れた相場を加速させているのかもしれません。
上がろうが下がろうが、一瞬で数字が吹っ飛んでいく様子は圧巻です。
もちろん、9月に何もなく、何ヶ月かして、また安定した株式市場に戻っていくのかもしれないですが、今の動揺がものすごすぎて、なかなかすぐ平穏に落ち着くということを考えるのは難しそうです。
そういえば、もともと「赤い月と黒い太陽」なんてタイトルの記事を書いたのは、
・赤い月
・暗い太陽
という表現が、さまざまな啓示書に登場することに興味があったこともあります。
旧約聖書「ヨエル書」3章4節
主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
太陽は闇に、月は血に変わる。
「日月神示」 紫金之巻第五帖
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、
人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。
新約聖書「ヨハネの黙示録」6章13-14節
また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。
そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。
読めば読むほど酔えると評判のヨエル書では、
> 太陽は闇に、月は血に変わる
とあり、日月神示では、
> 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ
とあり、ヨハネの黙示録では、
> 太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって
と、皆既月食と皆既日食が同時に、あるいは交互に起きるようなニュアンスを漂わせています。
その「皆既月食と皆既日食が交互に起きる」というのは、直近でいえば「今までの1年半」です。この1年半は、皆既月食と皆既日食(部分日食)が繰り返し起きた年でした。
テトラッドの間の月食(赤)と日食(青)
2014年04月15日 皆既月食(ユダヤ教の祭「過越」)
2014年10月08日 皆既月食(ユダヤ教の祭「仮庵の祭り」)
2015年03月20日 皆既日食(ユダヤ教暦新年の前日)
2015年04月04日 皆既月食(ユダヤ教の祭「過越」)
2015年09月13日 部分日食(ユダヤ教の新年祭)
2015年09月28日 皆既月食(ユダヤ教の祭「仮庵の祭り」)
4回続く「赤い月」の中に、規則正しく日食が挟まれているのは美しいといえば、美しいです。
いずれにしましても、オカルト系の話の域を出ないものかもしれないにしても、
今年の9月は、さまざまな「シンクロ」が終着点のように集合しています。

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国鉄経営状況

国鉄経営の現状
1981年
経営的には満身創痍
国鉄は1963年まで黒字を実現できていたが,1964年以降今日まで常に赤字,1971年からは償却前赤字に陥って,今日まで改善されるところはない。
ここ数年,赤字は年8000億円から9000億円を続けている。
1976年にはそれぞれの累計赤字3兆1600億円余りのうち2兆5400億円余りを棚上げして,資本金のうちの5604億円を減額して累積赤字の大部分を消した。しかしその年も9000億円を超える赤字を生んで,1979年には再び3兆5000億円の累積赤字となって,再びこれらの額の棚上げを余儀なくされた。
200を超える国鉄路線の家で黒字は
新幹線,
山手線,
他5社
のみ(1980年度),他はすべて赤字である。 
その内容を見ると,
1978年度の赤字8664億円
のうち,
貨物の赤字は6076億円,
営業ケースは297
となっている。つまり100の収入を上げるのに実に3倍近い費用を要しているのである。
なぜこのような状態になっているのであろうか。理由は明白である。1965年以降のわが国の自動車輸送の発達が国鉄貨物の競争者としてこれを圧迫したため,国鉄の使用は年々落ちて,しかも国鉄貨物は自動車との競争上料金を引き上げることが難しい状況に追い込まれたからである。
しかし国鉄の赤字のうち貨物の赤字が他を離して大きく,貨物の再建なしに国鉄の再建はないところから,国鉄再建は極めて困難であることがわかる。
国鉄貨物の全面廃止,それによる大幅経営縮小,これ以外経営の立て直しは考えられないのかもしれない。
確かに赤字に悩む国鉄の中にあって,新幹線は営業係数60前後を続けており黒字である。しかしそれは新幹線だけをとったからであって,山陽新幹線ができることによって従来まで経営が良かった山陽本線が大きく落ち込んだことを新幹線の投資効率の中に勘定しなければ,真の意味での新幹線の投資効率にはならない。
こうした計算の第一次接近として,もし山陽新幹線5在来線の複々線化と考えると,前者のみの営業件数約90に対して,両者合計130前後,つまり100の収入に対して130の経費を必要としているのはここ数年の平均的姿である。確かに東京〜大阪間は新幹線だけだと営業ケース50以下で在来線と合計した場合でも90付近であって,黒字である。しかし山陽新幹線にしてしかり,東北新幹線,北陸新幹線など営業は決して国鉄経営上プラスにはならないのである。
21世紀を担う国鉄。それは新幹線網であり,それのみがモータリゼーションの波と戦えるものであるにもかかわらず,経営的にこうした問題が存在するのである。
在来線の国鉄旅客を見ると,ここでは経営が過密・過疎の影響をまともに受けている。
地方交通線では沿線人口の減少,自家用車の普及などによって乗客は減少して,また定期客が全体の2分の1,そのうち割引率の大きい通学が約60%を占めている。こうした結果,地方交通線の営業係数は平均して427(1979年度)であってこれが1000を超えるところもある。
他方大都市においては人口集中に伴う混雑を緩和させるために,巨額の投資を必要として,これかろ経営を大きく圧迫する一因となっている。
加えて東京などのように国鉄と私鉄が平行して走っているところでは,国鉄の運賃は私鉄に比べて著しく高くなって,この面からも運賃の引き上げが難しくなっている。ただし地方の私鉄は概ね国鉄の2倍であって,国鉄の全国一律賃率が現状にそぐわなくなった面を無視することができない。
このような国鉄経営の悪化に対処して1980年11月「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」が成立, 1981年,経営改善計画が発足した。
この計画は,
経営の合理化に努め, 1980年度41万9,500人の職員数(予算人員)を1985年には35万人に縮小する,
鉄道特性の発揮しがたい路線輸送密度1日1キロ平均4000人以下の特定地方交通先は,順次バスに転換して縮小を図る(当面は輸送密度2000人以下を転換する),
地方交通線については特別運賃を設定してこれを引き下げる,
関連企業の利益のうちで1985年までに5000億円程度を吸い上げて,国鉄の赤字を埋める,
などを骨子とするもので, 1985年度には幹線における収支均衡を達成しようというものである。
この計画を「後のない計画」と国鉄自らが呼んでいるように,従来ない大胆なものであるが,こうした計画をもってしても,今後開業する新幹線(東北新幹線,北陸新幹線)に伴う赤字は除外されている。また特定人件費の増加によって7700億円の赤字が単年度で発生するなど,経営の改善は事実上実現できないものと思われる。
モータリゼーションの進行によって客と貨物を奪われて,飛行機の発達によって遠距離客を失う,という国鉄の姿は日本だけではなく,先進資本主義国一様の姿である。
しかし日本ではドイツ・イギリスなどの鉄道が輸送する重量貨物の多くを内国海運が分担して,加えてドイツ・イギリスの石炭のような特定物質をエネルギー革命その他によって失っている。しかも先進国のように鉄道特性のない路線からの撤収が政治的に制限されており,思うにまかせない。加えて,政治的要求が不採算の新規路線の建設をしている。
先進国では政策割引に相当する金額を鉄道に保障しているか,これも日本では実現されていない。
しかし問題はこうした客観的条件だけではない。
今もし首都圏等の過密対策として20年間にわたって年60億円程度の黒字を生んできた山手線の利益をこれに投入していたならば,第二山手線をはじめ一大都市交通網が整備されてそれなりの収益を得ていたであろうしかし実際にはその利益を吸い上げて地方線に授入していた。大都市から金を吸い上げて,それを地方が使うと言う戦後の政治がこれを加速したのである。
それと同時に地方交通線にしても私鉄の場合には(合理化のために運賃が国鉄の2倍であるため)に乗車密度4000人以上は黒字であるのに国鉄は8000人以下で赤字である。
大井川鉄道のごときは乗車密度2000人以下でも関連企業を含めることによって経営を維持している。もし地方交通線を国鉄から分離してそれぞれの地域で独立の形態として経営にいれれば廃止することなく維持出来る路線も多いと思われる。
またバスに転換すれば赤字が縮小すると言うけれども,その実態は両者の運賃,特にその定期代の違いである。
過疎地域で国鉄バスに転換すると1日何便も出せるようになって,しかも停車間隔も縮まる等の利便が生まれるが,運賃を定期代で見ると何倍にも跳ね上がる。もしこれだけの運賃を国鉄に支払う用意があるならば国鉄路線を維持することも可能であることをに注意する必要があろう。
国鉄再建計画では地方交通費のうち輸送密度1日8000人以下4000人以上の約2000キロは鉄道の方がバスなどよりも経済的であるために経営を続けて,また輸送密度4000人以下でもバス転換不可能な約2000キロも国の補助で運営を続ける。それ以外のもののうち輸送密度1日2000人以下のもの約2000キロは1985年度までに残りの約1000キロ(輸送密度1日4000人以下 2000人以上でバス転換可能なもの)は1985年以降にバスに転換することにしている。しかしこれに対する反対は政治家を巻き込んで実現は容易ではない。
それに国鉄経営上,大きな問題は労使関連である。
それは単に繰り返される春闘をめぐる対立を言うのではない。それは表面上の対立に過ぎない。なぜならもし労使のペースアップをめぐって合意したとすれば予算の修正を伴うことになって,国会でこれらを通すことが難しくなるのである。
しかし交渉が決裂して,公共企業体労働委員会が仲裁裁定を引き出すと,その決定を労使が尊重しなければならないならない事は法的に決められているために,予算修正が容易である。このため春闘がスト突入,直ちに中止と言うパタンを含んでいるのである。
しかしこの事態を知らない株労働組合は反発して一部は民社党組合のようにストに反対して, 一部は新左翼の組合のように労働組合幹部日批判を強めて,労働対立問題が起きている。これが「山猫スト」を生み,貨物輸送を混乱させて国鉄日木貨物衰退の大きな要因となったのである。
それゆえに国鉄再建計画では労使関係の改善が改めて問題にされて,労働組合の協力の上に合理化が行われようとしている。このことが反面では地方交通線の分離など大きな構造改善政策を難しくしたしたのである。
ー学研百科事典Brummell,1981年,       

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