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明治維新


 


昭和天皇に戦争責任はあった、しかし責任を追求していくと日本国民全てに責任は及ぶ(株式日記と・・・) まさちゃん
9. 中川隆[-6658] koaQ7Jey 
2017年8月16日 08:22:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
天皇制官僚国家が成立したのは、いわゆる「明治維新」。薩摩藩と長州藩を中心とする勢力がイギリスと手を組んで徳川体制を倒したのであり、誕生の瞬間からアングロ・サクソンの影響下にあった。その辺の事情は本ブログで何度か指摘した通りだ。
アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
1932年の大統領選挙でフーバーの再選を阻止したのは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルト。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人はニューディール派を排除してファシズム政権を樹立しようと目論む。このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で明るみ出て実行されなかった。当時、軍の内部で人望の厚かったバトラーを抱き込もうとして失敗したのである。その際、バトラーはクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えたという。この結果、日本の支配層が従属していたJPモルガンの影響力は低下してしまった。日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

★阿修羅♪ 
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100039.html
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c7
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c8


伝研騒動~国立予防衛生研究所(予研),伝染病研究所(伝研)の歴史


「デマを流すな」というデマ (^_^;)   
2020年04月01日 | SARS-CoV-2と情報戦
■日本における新型コロナウイルスの感染拡大
WHOが,アジアとオセアニアでの新型コロナウイルスの再流行を警告 4月 01, 2020 05:22 Asia/Tokyo Pars Today
WHO世界保健機関は,アジアとオセアニアでの新型コロナウイルスの再流行に関して警告しました。
イルナー通信によりますと,WHO太平洋地域事務局の葛西健局長は31日火曜,アジア諸国,特に新型コロナウイルスへの感染者が減少している国々に対し,このウイルスがこれらの諸国で再流行する可能性が非常に大きいため,過小評価しないよう警告しました。
葛西局長は,新型コロナウイルスの蔓延抑制に向けたこれらの国々の措置は,これらの諸国にこの致命的なウイルスの広範囲にわたる伝染に対処するための準備時間を与えるだけであると強調しました。
「脳内の悪夢や妄想」が,唐突に現実化する「恐怖の世界」
4月1日のエイプリルフール前日の3月31日のテレビニュースでは「デマに惑わされるな」(デマを流すな)と繰り返し強調されていたのです。
ところが,もし2カ月前に「4月1日にはニューヨークやロンドンが都市封鎖(集会や外出禁止)。日本も全学休校,外出自粛でアメリカやEUなど主要国との出入国を遮断。7月開催の東京オリンピックも延期」「90年前の世界大恐慌に匹敵する株価大暴落で世界も日本も青息吐息。経済崩壊寸前」と主張したら馬鹿馬鹿しいデマ(妄想,悪夢)だと笑われるだけ。
ところが日本でも世界でも,デマや妄想,悪夢の類が全部現実化。リアルな現実とバーチャルな空想世界とが合体していた無茶苦茶。ほぼ荒唐無稽な筒井康隆の「パプリカ」(脳内の悪夢が現実世界になだれ込んで実体化する)SF世界と同じなのである。
世界に先駆けて(誰よりも早く)中国武漢からアメリカ領事館職員や家族を脱出させた米チャーター機
視点,専門家の見解からー「新型コロナウイルスが,対中生物学的戦争か」1月 30, 2020 22:04 Asia/Tokyo Pars Today
マレーシア首相の特別補佐を歴任したマティアス・チャン氏が,「人工的に製造されたの新型コロナウイルスは,中国に対するアメリカの生物学戦争に等しい」と語りました。
マティアス・チャン氏は,マレーシア・クアラルンプールでIRIB通信との電話インタビューに,「研究所で製造されたコロナウイルスは,中国に対するアメリカの生物学戦争の手段に等しい」と述べています。
また,昨年10月に中国・武漢市にアメリカ軍300人が軍事計画への参加を目的に滞在していた事にも触れ,「この出来事からちょうど2週間後にあたる,昨年11月に武漢市で最初の新型コロナウイルスへの感染例が報告された」としました。
さらに,「この2週間という期間は,学術的な発見によればこのウイルスの潜伏期間に相当する」とし,「60の国際便,100の国内便,国内最大の特急列車網を備えた交通の要所である武漢市での感染例の報告から2ヶ月後,そしてちょうど中国の新年の前夜に,危険なウイルスの発生が発表された」と語っています。
そして,「新型コロナウイルスの蔓延は,アメリカの支持を受けた香港での民主主義支持者による暴動,および米中通商戦争の激化の時期とちょうど重なっており,またこの時期は豚インフルエンザや鳥インフルエンザによる経済損失が回復してきた時期にもあたり,現在では新型コロナウイルスという新しい形で中国を襲っている」と述べました。
チャン氏はまた,アメリカとの通商戦争を理由とした中国経済の没落,というタイトルでの報告の一部に,アメリカCNNが最近満足感を示している事に触れ,「このウイルスの蔓延は,中国に対抗する手段としてアメリカが必要としていたものだった」としています。
アメリカは,1940年代にもグアテマラで梅毒や淋病を,また2014年にはアフリカ・シエラレオネでエボラウイルスを,キューバではデング熱を多数の人々に意図的に感染させるなど,生物テロ手段の行使に関しても長い経歴を有しています。
1月30日Pars Today(全文掲載)
注,
イランの国営通信社ParsTodayは早い段階からSARS2についてアメリカ軍の細菌兵器説を報道していたが,もちろん欧米リベラルメディアや日本のマスコミが「荒唐無稽なデマ」と無視した。それから2カ月後,筒井康隆のSF小説「パプリカ」のように脳内の妄想(悪夢)が実体化して現実世界になだれ込んだらしいのである。(デマと真実,バーチャルとリアルが入り乱れて世界がぐじゃぐじゃ。まさに悪夢である)
同僚の教諭に激辛カレーを無理やり食べさせられる男性教諭
少し前にマスコミでは神戸市の教員間の「いじめ問題」が大真面目に論じられていた。ところが,内容的にほぼ同じことを公共物であるテレビ電波で全国放送されて日本人全員が喜んでいたのです。(★注,テレビのお笑い番組のほとんどが単なるイジメ。なぜみんなが仲良く笑えるのか。私には理由がさっぱり分からない)
今回のSARS2の感染で元ドリフターズの志村けんさんが死亡するが「誰からも愛された不世出の芸人」と最大級の賛辞がおくられているが,同じことをした神戸市の教員は懲戒免職である。(もし神戸市の懲戒免職が正しいなら,沢尻エリカが出演した番組を放送禁止にしたのと同じで,低俗お笑い番組も放送禁止にするべきである)
吉本新喜劇や志村けんを称賛する一方で,同じことをした(素人が真似た)ら罰するなどダブルスタンダードにしても酷過ぎる。
近ごろ都に流行るもの
「デマを流すな」というデマや,「陰謀論は認めない」という陰謀論。「いじめは許さない」というイジメまで世の中には不可解なものが多いが,小学生低学年定番の「アホ言うものがアホ」が大正解なのである。(★注,ただし,いくら正しくとも理論上これを言い出すと無限ループに陥り抜け出せなくなる)
■当時の日本医学会の最高峰を集めて編成された731部隊
帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」2020年3月5日掲載デイリー新潮
日本医師会,日本感染症学会,公益を代表する弁護士などを除くと,残る9人中8人が国立感染症研究所(感染研),東京大学医科学研究所(医科研),国立国際医療研究センター,慈恵医大の4施設関係者
4組織と無関係なのは押谷仁・東北大学教授だけ。珍しいことに委員の中に東京大学医学部出身者がいない。政府の医療の専門家会議で,東大医学部卒が皆無なのは極めて珍しい。
「731部隊」関係者「感染研」
なぜ,このようなグループが仕切るのだろうか。背景には,歴史的な経緯,特に帝国陸海軍が関係する。
感染研の前身は,戦後の1947年に設立された「国立予防衛生研究所」(予研),予研は戦後,GHQ(連合国軍総司令部)の指示により,「伝染病研究所」(伝研)から分離・独立した。伝研は現在の医科研だ。戦前,伝研を支えたのは陸軍だった。伝研は,1892(明治25)年に北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関だ。1899(明治32)年に内務省所管の「国立伝染病研究所」となり,1906(明治39)年に現在の白金台に移転する。伝研の性格を変えたのは,1914(大正3)年の「伝研騒動」で内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管される。
日本医師会の前身である東京医会や大日本医会のまとめ役の北里は退職し,職員も従った。困った東大が頼ったのが,当時,陸軍医務局長だった森鴎外。軍医を派遣して伝研を支え,伝研は陸軍との関係を深めていく。戦後,分離された感染研の幹部には,陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねた
軍医療機関と国立病院の関係
医療センターの前身は新宿区戸山に位置することから想像できるが陸軍施設だ。1868(明治元)年に設置された「兵隊假病院」に始まり,1936(昭和11)年には「東京第一陸軍病院」と改称された帝国陸軍の中核病院だ。
敗戦で帝国陸軍が解体されると,厚生省に移管され,「国立東京第一病院」に名称が変わった。そして1993年に「国立国際医療センター」となり,2010年に独立法人化され,現在に至る。
医療センターに限らず,多くの国立病院の前身は陸海軍の医療機関だ。たとえば,「国立がん研究センター」の前身は「海軍軍医学校」で,1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転した。現在の国立がん研究センターの場所だ。
敗戦で名称だけ変更
陸軍省,海軍省は1945年11月30日廃止,それぞれ第一第二復員省となる。両者は1946年6月に復員庁として統合後,1947年10月に厚生省に移管した。
(注,マザーテレサやシュバイツァー博士,ナイチンゲールなどの例を見れば明らかだが欧米一神教世界の場合,医療や看護は宗教世界と密接に結びついて発展している。そもそも歴史的にキリスト教の布教活動は都市部の疫病蔓延と関連していたのである。
ところが,日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展したので,今の厚労省は元々が陸,海軍省なのである。このことが原因して今でも厚労省が靖国神社の祭神を決めている憲法20条の信教の自由や政教分離の大原則に真っ向から違反する不思議とは,この歴史的出自に由来していた。厚労省の歴史を知れば少しも不思議では無かったのである)
「居抜き」物件。日本軍の優良医療施設を確保したGHQ
占領軍が先ず手をつけたのは,陸海軍が保有する医療機関の厚生省への移管だった。
この際,全国146の軍施設が国立病院,国立療養所となったが,注目すべきは,建物も職員も従来のままで診療が継続されたことだ。つまり,病院自体の組織は陸海軍のままで,名称が軍病院から国立病院に変更されただけ。
この影響が現在も残っている。感染症対策も例外ではない。(注,上昌弘は日本のPCR検査を牛耳る「感染研」は臨床医ではないので患者の治療より,研究に役立つデータ収集を優先している研究機関だと指摘している。そもそも感染研はPCR検査の大規模実施はやりたくない。今のようにサボるのは当然だったのである)
慈恵医大につながる薩摩の「海軍人脈」
1881(明治14)年「成医会講習所」が1903(明治36)年の専門学校令を受け日本初の私立医学専門学校「東京慈恵医院医学専門学校」となる。「慈恵」と名付けたのは明治天皇の皇后の昭憲皇太后。現在も慈恵会総裁に皇族が就任(現在の総裁は三笠宮家の寬仁親王妃信子殿下)。薩摩とつながる海軍との関係で明治期の海軍軍医総監の大部分は成医会講習所(慈恵医大)の関係者だ。
(抜粋)
上昌弘医療ガバナンス研究所理事長
               
逝きし世の面影
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/2fd887fd1fb54494cfee7f248658ba2b
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0a903c714cc4de4e50a7bda9da584594
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/
               
               
               
               



18680000 1868(明治1)年,兵隊假病院設置,帝国陸軍の中核病院 syokunin-2008
18920000 1892(明治25)年,伝染病研究所(伝研)設立,北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関
18990000 1899(明治32)年,民間の伝染病研究所>>内務省所管の国立伝染病研究所へ昇格,国家機関へ
19060000 1906(明治39)年,国立伝染病研究所,現在の白金台に移転 syokunin-2008
19080000 海軍軍医学校,1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転>>後に国立がん研究センターへ
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,指導役は北里から陸軍医務局長森鴎外へ syokunin-2008
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,伝研の性格を変えた syokunin-2008
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,東京医会(日本医師会)や大日本医会のまとめ役の北里は退職,職員も従った
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,民間の北里退職>>陸軍医森鴎外指導へ>>伝研は陸軍との関係を深めていく
19181000 スペインかぜ: 1918年から19年に流行し,全世界で5000万人が死亡したとされる「スペインかぜ」とほぼ同じ致死率
19300000 戦前,伝染病研究所(伝研)を支えたのは陸軍だった syokunin-2008
19360000 1936(昭和11))年,兵隊假病院>>東京第一陸軍病院と改称,帝国陸軍の中核病院
19360000 日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展した syokunin-2008
19400000 731部隊:「731部隊」関係者「感染研」
19400000 731部隊:2020年コロナ肺炎で帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ専門家会議
19450000 敗戦で帝国陸軍解体>>東京第一陸軍病院は厚生省に移管>>国立東京第一病院と改称
19451130 敗戦後処理:陸軍省,海軍省は1945年11月30日廃止,それぞれ第一第二復員省となる
19460600 敗戦後処理:「居抜き」物件。日本軍の優良医療施設を確保したGHQ syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:注目すべきは,建物も職員も従来の陸,海軍省のままで診療が継続された syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展>>今の厚労省は元々が陸,海軍省 syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:病院自体の組織は陸海軍のままで,名称が軍病院から国立病院に変更されただけ syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:米国占領軍は陸海軍が保有する医療機関の厚生省へ移管>>全国146の軍施設が国立病院,国立療養所へ
19460600 敗戦後処理:陸軍省,海軍省はは1946年6月に復員庁として統合後,1947年10月に厚生省に移管
19471000 国立予防衛生研究所(予研),戦後,GHQ(連合国軍総司令部)の指示により設立
19471000 国立予防衛生研究所(予研),伝染病研究所(伝研)から分離・独立
19471000 戦後の1947年に国立予防衛生研究所(予研)設立,感染研の前身
19500000 戦後,分離された感染研の幹部には,陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねた
19601000 伝染病研究所(伝研)>>医科研
19920000 1992年の地球サミット(リオ)で何が決まったか j-out-sider-zzz
19930000 国立国際医療センター:1993年に国立東京第一病院から国立国際医療センターへ改称
19930000 国立国際医療センター:もとは軍医療機関 syokunin-2008
19930000 国立国際医療センター:新宿区戸山に位置することから想像できるが陸軍施設 syokunin-2008
19930000 国立国際医療センター:兵隊假病院>>東京第一陸軍病院>>国立東京第一病院>>国立国際医療センター
19930000 兵隊假病院>>東京第一陸軍病院>>国立東京第一病院>>国立国際医療センター syokunin-2008
20020000 [SARS] 2002~2003年に中国で流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)
20020000 [SARS] SARSワクチン:SARSが流行した際にが作られましたが非常に危険なもの 英護婦Kate
20020000 [SARS] SARSワクチン:一度ワクチンを受けた人はSARSにはるかに感染しやすくなり酷いものになった
20020000 [SARS] SARSワクチン:実験で多くの動物が死亡した
20020000 [SARS] SARSワクチン:肺炎の患者の症状を見ていると、症状が急激に悪化する 英護婦Kate Shemirani
20081200 [H1N1インフル] 1918年スペイン風邪の猛威は3つの遺伝子による集団がウイルスを肺に侵入させ肺炎を起こしたことにある 河岡義裕
20090407 新型インフルワクチン、追加接種で幅広い免疫効果 厚労省(日本経済新聞) - そのまんま西 2009/4/07 00:36:04
20090425 [豚インフル] WHO緊急委開催へ メキシコの豚インフル(47NEWS) 
20090425 [豚インフル] WHO事務局長、豚インフル流行「深刻な状況」 パンデミックの危険性も指摘(AFP)
20090425 [豚インフル] ウイルス、人から人に感染=豚インフル、未知の混合型の可能性-米保健当局
20090425 [豚インフル] メキシコで60人死亡 800人に感染の疑い 
20090425 [豚インフル] メキシコなどで豚インフルが人間に感染、60人死亡の疑い - ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会
20090425 [豚インフル] 厚労省が情報収集 専門家ら大流行を警戒 - めっちゃホリディ
20090425 [豚インフル] 豚インフルで60人死亡か=メキシコ国内、疑い例943件-WHO -
20090425 [豚インフル] 豚インフル国際的緊急事態と認定 WHO、メキシコ死者81人に(東京新聞)
20090425 [豚インフル] 米で、豚?インフル7人感染「人から人」経路の可能性も
20090425 [豚インフル] 米国で新型の豚インフルエンザ、これまでに7人感染
20090514 カナダの微生物学研究者がエボラウイルスやHIVなどの実験材料を米国に「密輸」しようとして逮捕された - passenger 2009/5/14 22:06:21
20100000 国立国際医療センター,2010年に独立法人化
                   
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明治元年


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代年表
1868年(慶応4年・明治元年)
月日 出来事・事物起源・話題
1月2日 松平泰直全軍15,000余を引率して進軍を開始(鳥羽伏見の戦いの序幕)
1月3日 鳥羽伏見の戦い起る
1月3日 東郷平八郎、海軍生活の第一歩を踏み出す
1月6日 鳥羽伏見に敗れた幕府の軍、大阪に敗走(徳川慶喜、天保山沖の米艦に逃げる)
1月7日 勅して徳川慶喜の罪を声明し、征討の大号令下る(公卿大名の去就を決せしむ)
1月8日 長州藩兵、大阪城の幕軍を砲撃
1月9日 薩長藩の兵、備後福山城を降す
1月11日 神戸事件(明治最初の外交問題)
1月13日 徳川慶喜、江戸城中にて和戦会議
1月15日 明治天皇、元服
1月16日 親王及び大臣の席次定める
1月17日 外国総奉行堀直虎、江戸城において徳川慶喜に恭順を直諌し、潔く自刃
1月17日 勝海舟、軍艦奉行より海軍奉行並を命ぜられる
1月22日 大阪に鎮台を設置
1月23日 徳川慶喜、主戦論者を排除し、恭順論の主唱者勝海舟を用いる
1月27日 倒幕の官軍、菊花章の旗幕を用いる
2月3日 明治天皇、「徳川慶喜親征の詔」を発布
2月3日 新政府、官制を改め三職八局の制とする
2月9日 有栖川宮熾仁親王を東征大総督に、嘉彰親王を海軍総督に定める
2月12日 徳川慶喜、東叡山寛永寺に入り謹慎の意を表す
2月15日 堺事件(土佐藩兵とフランス水兵の衝突事件)
2月23日 渋沢成一郎ら旧幕臣、彰義隊を結成し上野を占拠
2月24日 柳川春三らにより佐幕派最初の機関新聞となる中外新聞発刊される
2月30日 英国公使パークス、京都で攘夷党の壮士数名に襲われるが、後藤象二郎らに救われる(陰暦30日)
3月4日 明治天皇、南殿に渡御し、公卿諸卿を率いて天地神祇を祭り、五箇条を誓う
3月5日 勝海舟、山岡鉄舟に会う
3月9日 山岡鉄舟、駿府城にて西郷隆盛と会見(勝海舟の和平解決の書面を提示)
3月13日 西郷隆盛、勝海舟の両雄、江戸の薩摩屋敷で会見
3月14日 西郷隆盛、勝海舟と再度会見(江戸開城の談判)
3月14日 明治天皇、五箇条の御誓文を下す
3月20日 徳川家処分に関し三職会議(三条実美、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、広沢正臣ら)
3月20日 秋山真之誕生
3月21日 明治天皇、親征の為車駕京都を発す
3月24日 パリにて初めて邦字新聞発行される(石版刷「世の噂」)
3月26日 日本最初の観艦式が行われる
4月2日 勝海舟らに江戸の取締りを命ず
4月2日 ストーンウォール号(甲鉄艦)、横浜に入港(官軍の海軍先鋒大原俊実これを抑留する)
4月3日 近藤勇、下総流山にて官軍に抗して虜となる
4月3日 福地源一郎、江潮新聞を発刊
4月3日 福沢諭吉、運営する英学塾を芝新銭座に移し、「慶應義塾」と改称
4月4日 江戸開城の勅使参向
4月5日 官報の始まりといえる太政官日誌発行される(毎月6回)
4月6日 明治天皇、大阪城中において諸藩兵の操練を観給う
4月6日 小栗上野介忠順、斬首
4月7日 勝海舟、江戸表取締りを命ぜられる
4月8日 大総督有栖川宮熾仁親王、本営駿府を発つ
4月9日 大久保利通、初めて明治天皇に参謁(無上の光栄に浴して感涙に咽る)
4月11日 江戸城無血開城
4月11日 徳川慶喜、水戸へ退去
4月11日 榎本武揚、大鳥圭介らの幕臣、海陸両軍を率いて江戸を脱走
4月11日 岸田吟香、新聞「もしほ草」発刊
4月20日 各国の領事、長崎裁判所へ邪蘇教伝道の禁の解除を請願する
4月21日 神戸に湊川神社を創建する
4月22日 伊藤博文(兵庫県知事)、木戸孝允を招き、国内で初めて馬車に試乗す(湊川神社参拝の折)
閏4月22日 公卿貴族大名などの行列のお先払い、並びに土下座の制を廃止
4月23日 東山道の官軍、下野宇都宮を復す(大鳥圭介逃れて日光山に入る)
4月24日 奥羽の官軍、白河城に迫る
4月24日 最初のハワイ移民
4月25日 京都裁判所を京都府と改め、最初の府知事に長谷信篤を任命
4月25日 近藤勇、斬首
4月27日 大村益次郎、新政府の軍防事務局判事に任命される
4月27日 坂本龍馬が率いた海援隊解散
4月28日 官許を得ざる出版刊行物の領布売買を禁じ、出版物の取締を厳にす
5月1日 江戸市中の警察権、官軍に収められる
5月2日 大阪府庁設置(醍醐忠順を知事に任命)
5月15日 大総督府諸軍に令して彰義隊を上野に討つ
5月15日 新紙幣太政官札(金札)発行
5月19日 仮に江戸に鎮台を置く(寺社、勘定、町の三奉行を廃し、南北市政、社寺、民法の三裁判所を置く)
5月19日 越後長岡城陥る
5月24日 徳川家達を駿府70万石に封ず
5月27日 広瀬武夫誕生
5月29日 官軍大挙し白河城総攻撃
5月30日 新撰組幹部、沖田総司死す
6月2日 江戸城内に戦没者慰霊祭行われる(現在の招魂祭)
6月12日 奥羽連合軍、白河城の再攻撃
6月17日 横浜裁判所を改めて神奈川府と称し、東久世通禧を初代知事に任命
6月19日 江戸の地名改称の議起る
6月26日 木戸孝允、大木喬任と共に三条実美に会し、車駕東幸並びに諸要件を議決する
6月27日 大久保利通、木戸孝允、大村益次郎、江藤新平宅に会し、近く京都より江戸城へ鳳輦を迎え奉ると祝杯を挙げる
6月29日 昌平黌を復興し、昌平学校と改称
7月8日 西園寺公望、越後長岡に入城
7月13日 幕臣天野八郎、本所にて捕わる
7月14日 出羽の庄内兵、新庄城を陥す
7月15日 大阪が開港
7月17日 江戸を東京と改称
7月19日 徳川慶喜、水戸より駿府に退く
7月23日 徳川慶喜、駿府にて謹慎
7月25日 河合継之助、越後長岡城奪回
7月29日 官軍、岩代の二本松を攻める
8月1日 相馬藩家老脇本喜兵衛の壮烈な最期
8月11日 大総督参謀西郷隆盛、官軍を率いて新潟に着す
8月11日 秋田兵、村上城を奪回
8月16日 河井継之助、戦死
8月17日 東京府庁開設(初代府知事に烏丸光徳任命)
8月19日 榎本武揚らの幕府の残党、軍艦八隻を率いて密かに品川湾を脱出、函館へ向う
8月20日 諸道の官軍、会津進撃を開始する
8月21日 南部兵の進撃に秋田兵大館に退く
8月23日 白虎隊全滅
8月25日 会津攻城戦
8月27日 明治天皇(17歳)、紫辰殿において即位の大礼を行う
8月29日 大阪造幣局に貨幣鋳造機舶来
9月6日 官軍、南部兵を破り大館城を復す
9月8日 明治と改元、一世一元の制定める
9月8日 大鳥圭介、会津より函館へ去る
9月9日 兵火のため会津城下、焦土と化す
9月10日 岩代の二本松藩主丹羽長国、羽前の天童藩主織田信敏、共に官軍に降る
9月12日 官軍、庄内を破り水澤を略す
9月12日 驛逓司、郵便規則布告
9月13日 大久保利通、京都において岩倉具視、木戸孝允と会し、車駕発輦を議す
9月20日 明治天皇、京都発輦、東幸し給う
9月22日 会津若松城落城、官軍に降伏(戊辰戦争平定)
9月24日 磐城の各藩主、官軍に降る
9月27日 明治天皇、農民の収穫を天覧
9月28日 スペインと通商条約調印
10月6日 鎮撫総督四条隆謌、仙台入城
10月13日 明治天皇、「東京」に到着(江戸城を皇居に事実上の遷都完了)
10月15日 万機御親裁の詔を下す
10月24日 大鳥圭介らの軍、函館に迫る
10月25日 幕府の残党榎本武揚、大鳥圭介、荒井郁之助ら、函館の五稜郭に籠もり陣を整う
10月27日 備前、津、久留米藩、函館に出征
11月1日 観音崎灯台(初の洋式灯台)着工
11月4日 東京遷都祝賀大会
11月9日 東京互市場を鉄砲洲に開き、外国事務局と称す(後の東京運上所)
11月13日 火焙(ひあぶり)の刑及び磔(はりつけ)の刑を廃止する
11月18日 新嘗祭遥拝の儀、東京城(江戸城)にて挙行
11月19日 函館地方、賊兵に占拠される
11月19日 東京築地に外人居留地をつくる
11月19日 新潟港開港
11月19日 燈明船、初めて横浜に設置
11月24日 徳川昭武に函館討伐を命ず
12月7日 陸奥国を分って磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の五国とし、出羽国を分って羽前、羽後の二国に定む
12月8日 明治天皇、東京を発輦、京都へ還幸
12月15日 榎本武揚ら旧幕府軍、蝦夷地占領
12月20日 沼津兵学校の開設
12月22日 明治天皇輦駕、京都に還幸
12月22日 歳末年始の官庁休暇制定
12月23日 各府藩県に仮に権知県事、権判県事を置き、その適任者を選んでこれを奏上せしむ
12月24日 府藩県に地方地図作製を命ず
12月28日 一条美子を皇后に冊立

明治時代年表
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