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ピエール・ギルバート博士: 磁気ワクチンの警告(1995)


ピエール・ギルバート博士: 磁気ワクチンの警告(1995)
デルタ変異体から身を守る方法?
2021/08/01 02:26
面白い古い動画見つけました
ゾンビワクチン - 低周波数で制御されるマイクロ脳受信機 - (「これは行われている」ギルバート博士1995)
ピエール・ギルバート博士 1995年 磁気ワクチン
動画説明文
「生物学的破壊では、磁場上の組織的な天変地異がある。その結果、人類の血流が汚染され、意図的な感染症が発生します。これは、ワクチン接種を義務化する法律によって施行されるだろう。」
「そして、これらのワクチンは人々をコントロールすることを可能にする。ワクチンには液晶が含まれていて、それが脳細胞に組み込まれ、脳細胞が電磁場のマイクロ受信機となり、超低周波の波が送られます。」
「この低周波によって、人は考えることができなくなり、ゾンビになってしまうのです。仮説だと思ってはいけません。これは実際に行われたことなのです。ルワンダのことを考えてみてください」
※昔から注意されてましたな.....
デルタ変異体から身を守る方法
※デルタって低周波攻撃の感染症だったの? これは予想もつかなかったな.....
まあ最初のコロナ特定してないのに、それが変異して記号付けて特定してる話も変ですけどね...
 これキューバ大使館かどこかで米国職員が攻撃された奴ですかね??
ロックフェラー・プレイブック
オペレーション・ロックステップ  The Plandemic:
2010年著書
第1段階 一般的な風邪/インフルエンザ。せいぜい軽度の症状。
メディアは大衆のパラノイアと恐怖を支持する。欠陥のある検査システムが利用され、体内のあらゆる遺伝物質を拾って陽性結果を引き起こす。死亡証明書の書き換え、二重計上、他の病気や自然死を含むすべての死をCovid19に分類することで、Covidの症例数を膨らませる。ロックダウンは、私たちを厳格な法律の下で生活するように仕向け、抗議行動を阻止し、国民の抵抗を確認する。
第2段階: 第1段階では、食料の不足、社会的な距離の取り方、マスクの着用、太陽光や健康な細菌との接触の欠如などにより、免疫システムが損なわれ、虚弱になる。5Gの放射線を浴びると、さらに免疫系が攻撃される。こうして、人々が社会に再び戻ってきたとき、より多くの人が病気になるだろう。これはCOVID-19のせいだとされるだろう。これはすべて、予防接種が正当化される準備が整う前に起こるだろう。全員がワクチンを接種するまで、より長く、より強力なロックダウンが続くことになる。
第3段階:大多数の人がワクチンに抵抗すれば、兵器化されたSARS/HIV/MERSウイルスが放出される。大勢の人がこれで死ぬことになる。適者生存になるだろう。また、正常な状態に戻るために、全員がワクチンを接種するという究極の後押しにもなる。ワクチンを打った人と打たなかった人との間で戦争が起こる。どこまでも無政府状態になるだろう」。
"Covid-19とは、「人工知能によるワクチン接種の識別証明書」を意味し、「19」はそれが作られた年である
※2010年にこれを書き、世界の政府に配り、その通りになる訳です...
しかし、最後のワクチン戦争は外国での話でしょ?それが起きる前にバタバタと人々が死んで行くのでは?

メモ・独り言のblog
http://takahata521.livedoor.blog/archives/9649171.html
http://takahata521.livedoor.blog/archives/9351644.html
http://takahata521.livedoor.blog/archives/9337910.html



 

宇多丸: 古典SF『夏の扉』映画化〜タイムトラベルもの作品について考える


 

宇多丸: 古典SF『夏の扉』映画化〜タイムトラベルもの作品について考える
21.7.2   
6時30分になりました。7月2日(金)After6Junctionパーソナリティ・ライムスター宇多丸です。私宇多丸が自腹で鑑賞した映画を評論する「ムービー・ウォッチメン」。今日扱うのは,ロバートA.ハインラインの名作SF小説を映画化したラブストーリー『夏の扉〜君のいる未来へ』(公開:21.6.25〜)です。
ロバートA.ハインラインの名作SF小説『夏の扉』を舞台を日本に移した作品。1995年,ロボット開発に従事する科学者・宗一郎は恩人の娘リコと愛猫ピートとともに暮らし,研究の完成を目前に控えていた。しかし周囲の裏切りにあい2025年まで冷凍睡眠にかけられてしまう。全てを失った宗一郎は愛する者を取り戻すために1995年へタイムトラベルをする。。主な出演は山崎賢人さん,清原伽耶さん,藤木直人さんほか。監督は三木孝浩さん。
■リスナー評
ということで,リスナーの皆さまからお便りメール頂いています。ご報告ありがとうございます。メールの量は多めですが,賛否の割合は褒めの意見が4割弱。否定的意見と中間的意見が過半数を超えました。肯定的意見としては
「目新しさはないがそれ故楽しめた」
「原作からの改変がちょうど良かった」
「清原伽耶さんと山崎賢人さんが魅力的」
「藤木直人さんがよかった」。。
否定的意見としては
「SFものとしても恋愛ものとしても中途半端」
「盛り上がりに欠ける」
「新鮮味がない」
「時代設定が変わりSFとしてのワンダーが消えた」
などです。...SugyMouさんのご意見です。
「見終わって第一印象としては無難という印象でした。原作未読ですが,タイムトラベルもので新作ならもっと冒険してほしかった。1956年発表の原作では,1970年>>2000年にジャンプする設定に対し,2021年公開のこの映画では1995年>>2025年にジャンプします。原作では,未来からさらに未来へ飛ぶことにSF的な面白さがあったのではと推測しますが,この映画では,過去から近未来へジャンプするためセンス・オブ・ワンダーが失われている気がします。。またタイムトラベルものでは設定の説明に時間を要し,キャラクターがストーリー展開の上での駒になってしまう傾向がありますが,本作も登場人物の厚みのなさ,動機の薄さが気になりました。特に脇役にあたる人々は,主人公に異常な理解を示し,全面協力をする親切なキャラクターか,今時どうかと思うほどの悪役かの2極に分かれてしまっています。清原伽耶さんは後援してると取れなくもないですが,身の回りの世話まで焼いてくれる主人公に献身的なヒロインと,セクシーさを武器に男を騙す金にしか目がない悪女というのは,女性キャラクターとして今時どうなんでしょうか?なるべく上品にまとめようとしてる気がしましたのでそこは好感が持てました。VFX とか頑張ってると言えなくもないですが,私としてはイマイチ乗り気じゃなかった作品でした。。」
これ,SugyMouさんの言われてるキャラクター設定の部分は,ほぼ原作の設定の問題です。あと,こちらサニワさんのメッセージ
「映画冒頭で引用されるホーキング博士のメッセージが,映画のストーリーと合っていない」
に全く同感です。。なんかホーキング博士の台詞がカッコイイから引用したかしんないけど,『夏の扉』のストーリーと関係ナイ。一本道タイムトラベル話なんで。
■古典を映画化する難しさ
私は,東宝シネマズ日比谷で2回観ました。2回同じ場所になっちゃいましたね。。観客数はまーぼちぼちって感じでしたけどね。。まあ今このコロナ禍下で単純比較できないけど,客層はどちらかというと僕と同世代以上が目立ってました。多分原作小説を元々読んでた世代が「どんなもんか」と観に来たって感じなんじゃないかなと思います。。
原作小説『夏の扉』がとにかく超有名な作品です。
作者は『宇宙の戦士』『スターシップ・トゥルーパーズ』『月は無慈悲な夜の女王』『人形使い』等で知られる米国のSF界の超大御所・ロバートA.ハインラインが1956年に発表したタイムトラベルものの古典的名作とされる作品。また「ネコものSF」の名作ともされています。あと個人的には竹宮惠子さんの同名漫画『夏の扉』,松田聖子『夏の扉』。その他諸々の同名作品と混同してて。。でもこっちがむしろ元の世界で有名だったのか。。みたいな事で知った作品です。
世界でも初の映画化に伴い,ハヤカワ文庫では新版が刊行されましたが,翻訳者福島正実さんの解説では,『夏の扉(A Door into the Summer)』のここまでの人気は日本特有の現象だそうです。またそれは多分に福島正実さんの名訳によるところが大きい,訳が魅力的で,原作小説に長年魅了されてきたという1963年生まれ,ご自身でもオタク第1世代と称するプロデューサー小川真司さんが10年以上前から映画化の構想を進めてきたという事です。
映画『夏の扉』の話を火曜日に聞いた時,僕も宇内アナも「エッ」。。て正直,意外さと危惧感を同時に感じました。というのは日本映画でSFが難しいという通念,ハードルという以上にSF小説『夏の扉』の今の時代の映画化には多種の懸念が個人的にはありました。
タイムトラベルものとして有名な作品『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ドラえもん』。小説『夏の扉』の影響から生まれた有名作品が古典化している現在,僕の解釈で言うと,掘り下げればいくらでもディープな世界に行ってしまうタイムトラベルというテーマを,宇宙全体に関わるような大きな話にまで拡げずに,あくまで卑近な日常的テーマ,タイムトラベル技術を私有する主人公が,個人の問題の解決のために技術を使う。複集団が失った過去のものを取り戻そうという『巌窟王』的なテーマでもある。個人的な私的目的にタイムトラベル技術を使うというアイデアは小説『夏の扉』に始まって『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ドラえもん』へと継がれていった系譜,これを個人的には感じていて。でその元祖の小説『夏の扉』では「タイム・パラドックスとか気にせんでエエよ,全ては一本道で,なるようになるようになってるし,精神がへこたれない限り良くなっていくから」的なハインライン的楽観主義,そこが魅力なんだけど。でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』さえも古典となった,タイムパラドックスのアイデアが出まくる2021年の現在,一本道もの作品でさえ『テネット』みたいな複雑な作品がある2021年の現在に,物凄く単純な構造と思想のタイムトラベルもの作品『夏の扉』,直線構造でタイムパラドックスの影響も気にしないみたいな作品を新鮮に楽しめるのか?という懸念がひとつ。あと原作の小説『夏の扉』はキャラクターがコメディ化されデフォルメされている。悪役の企みも言っちゃえば幼稚で,それはコメディ的要素でもある。ちょっと雑さがあって個人的にはジュブナイル寄り作品ていう印象です。悪女キャラのセクシズム・ルッキズム,これは現代社会から見れば女性蔑視のテンコ盛りですし。その対局に置かれるキャラクター,主人公の恩人の妹(ストーリー後半では理想の恋人のイメージへ)のキャラクターリッキーのとことん主人公に都合の良いロリータ性。現在の社会性という括りを除いてなおのアウト感。。キャラクターに関するストーリーの「あの話を今やるの?」感を,原作の『夏の扉』に既に持っているワケです。今回の実写化にあたって,製作者サイドは勿論,どう原作をアップデートし補正して行くべきか?ってことを色々考えられてると思うんです。脚本の菅野ともえさんは2011年実写版『時をかける少女』2013年『陽だまりの彼女』などを手掛けた脚本家です。三木孝浩・菅野ともえコンビによるひとつのタイムトラベルものの正解,彼らにとっての『夏の扉』。。これは理解らないではないかな。。と思います。
■細部の甘さが気にかかる
では実写版を観ていきます。まず冒頭の1968年のシーン。古いテレビの映像と共に流れる3億円強盗犯人が捕まったシーンから始まります。これは映画の中で一番刺激的だったかも知れない。あの有名な未解決犯罪・3億円強盗事件の犯人が捕まったシーン。。これで現実と違う世界である事を観客は端的に認識する。。そして瞬間移動実験だの,民営のコールドスリープ(冷凍睡眠)の会社だのというSF的ガジェットが存在する1995年。2021年の過去である1995年に現実と異なるSF的ガジェットが存在するという入り組んだ設定。このおかげでストーリー展開に多少ギャップがあってもスルーしやすい。
現実と異なる過去というストーリーで言えば,小説『高い城の男』じゃないけど,違う過去が存在する理由がどこかで説明されているのか?これは無かったです。ていうのは,そういう考え方ほど『夏の扉』という話から遠いものはないからです。ハインラインは「そういうゴチャゴチャしたものはキライ」と言っていますから。
この実写版ならではの設定というと,山崎賢人さん演じる宗一郎,清原伽耶さん演じるリコ,この年齢が原作よりも大分引き上げられている点。状況に対して自主的に判断できる大人の女性も演じられる清原伽耶さん。一方の山崎賢人さんは20代後半だけど10代とカラんでいても違和感ない印象。なので原作のあからさまなロリコン感は中和されてはいる。かな。ただリコの年齢が原作よりも上な点,ストーリー後半で彼女の過去がねこそぎ消されていくシーン。彼女と彼女の人生にとってもっとも大きく,左右するような事が彼女の承認なく変えられてゆく。そこは「どうなの?」という印象になる。一方をカバーすれば他方に違和感が出るというところ。そして藤木直人さん演じるアンドロイド・ピート。これが後半の未来世界で主人公のバディとなり支えていきますが,このキャラクターは原作にはないオリジナルです。これは「エイリアン2のランスヘリックスだ」って思いました。ビショップ的存在を連想させる藤木直人さんの容貌,佇まい、見事にコントロールされた振る舞い。これが単調一方説明的に陥りかねない前半の真相調査パートにユーモラスなエンターテイメント要素を加えていて良かったです。ただ,それによって失われたもの。。何も知らない未来世界に放り出された主人公の絶望感が消えてしまった。。「アンドロイドの相棒がいればやっていけるんじゃね?」みたいな。。あとはアンドロイド的な振る舞いとらしからぬ振る舞いのギャップで 産まれる笑い。。これは一寸やり過ぎ感を感じました。
キャッシュレス経済,自動運転。。近未来2025年の世界の人が1995年の人から生じるカルチャーギャップを,我々観客はどちらかというと未来側から眺める構造になっています。のでSF的な楽しさというよりも,未開人が文明に戸惑う面白味になっていて,何故そうなったかの説明はないものの,金の価格差を利用して資金を作りタイムトラベル技術の研究資金にするなど,原作よりも無理のない設定のなっている。ただ,それによって,逆にこの博士は主人公のためだけにタイムマシンを作ったみたいな印象になっちゃってて,そのためだけに30年間待ってて,そこでお役御免になった後はどうするのか?みたいな矛盾が産まれる。加えてさっきも言ったように,タイムトラベルものが最も単純な構造として存在した当時のシナリオが今の観客に通用するのか?という点。前半でなぞかけ的に登場する黒幕的な存在の正体 ,これは最初からわかると思いますよ。少なくともタイムトラベルものだって知ってきてる観客には判るし,そうでない観客にはご都合的にタイムトラベルが出てきた印象を与えてしまう。で主人公が打つ策が色々出てくるんですけど,これは何で必要なのかあんまりちゃんと飲み込ませてくれないんです。パズルのピースがあるべき場所に収まっていくような,タイムトラベルもの特有の知的カタルシス,醍醐味がない。
強調されるのは主人公とリコとの情緒ですが,情緒演出という意味でも本作は個人的には決定的に不満が残りました。劇中ところどころに断片的に流れるミスターチルドレンの1993年のヒット曲『クロスロード』。当然のようにクライマックスでこれが流れて「ベタだけど気持ちいいー」となると思いきや。。観ていくと,未来に還った主人公。そこに愛するリコがいる。。そこで流れる曲は,もちろんミスターチルドレンの1993年のヒット曲『クロスロード』かと思いきや。。『鬼滅の刃』でお馴染みリサの新曲『サプライズ』!。。ってビックリ。。『クロスロード』やないんかーイ。って結局エンドロールまで流れませんでした。近年で一番のサプライズでした。悪い意味で。ガッカリだったなァ。あと猫演出難しいんだろうなと思いました。人が猫が動いてるように動いてるところとか。
...1から10まで全くダメなんてこと言ってません。演者の皆さん本当に素晴らしいと思いましたし,特に主人公二人と藤木直人さん本当に素晴らしいと思いましたし,アレンジも上手くいっているところはいっていると思いましたし。日本製SFとして問題なく観られるし、そもそもの原作のもつ『巌窟王』的な普遍的カタルシスもあるはある。ただ,ここまでやっているのに。。という物足りなさ,両手を挙げてとは言い難い感じ,そもそも『夏への扉』のチョイスが悪かったのか??という辺りは皆さんご自身の目で確かめていただきたいと思っております。是非是非劇場に足を運び頂きご自身の目で確かめていただきたいと思っております。
ーTBSラジオ,After6Junction

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Robert A. Heinlein「夏への扉」(1956)~夏への扉を探すネコと30年後のボク
Robert A. Heinlein「夏への扉」
僕が飼っている猫のピートは冬になると決まって夏への扉を探し始める。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのである。
1970年12月3日,この僕もまた夏への扉を探していた。。最愛の恋人に裏切られて,仕事が取り上げられて,生命から二番目に大切な発明さえ騙し取られてしまった僕の心は12月の空同様に凍てついていたのだ。。
そんな僕の心を冷凍睡眠保険が捕らえたのだが。。
ーRobert A. Heinlein, 夏への扉, ハヤカワ文庫SF,  1979年版,    

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6週間戦争の始まる少し前の冬,僕と僕のオス猫・護衛官ペトロニウスとはコネチカット州のある古ぼけた農家に住んでいた。
マンハッタンの被爆地帯の西の端にあったし,古い木造家屋というものはティッシュペーパーに火をつけたようによく燃えるから,今でもまだあの農家があそこに建っているかどうか疑問だ。
おそらくはないだろう。。そしてもし建っていたとしても,放射能の死の灰が降った後では高い家賃で貸すわけにはいかないだろう。
しかし当時僕らはーつまりぼくとねこのピートはこの家を気に入っていた。 下水がなかったので家賃は安かったし,居間だった部屋に置いた僕の製図机に冬の日差しがよく当たった。
しかし欠点があった。この家は何と外に通じるドアが11もあったのである。ピートのドアも勘定に入れれば12個のドアがあるのである。
僕はいつも猫のピートに専用のドアを開けて待ってやることにしていた。
この家の場合には,使わない寝室の窓に打ち付けた板切れでそこにちょうどピートのひげの幅に「猫越」を切ったのである。なぜこんな面倒をしたかといえば,今日まで僕はあまりに多くの時間を猫のためにドアを開けたり閉めたりすることを消費しすぎていたからである。。
僕が一度計算したところによると,文明の夜明けからこのかた,人類は972世紀分の時間を猫に費やしてきているのである。なんならもっと詳しい数字を見せてもいい。
私の猫ピートは,人間用のドアを開けろとせがむ場合には遠慮なく僕の手をわずらわせたが,それ以外は普通自分用のドアを使った。しかし地上に雪が積もってる間は絶対に自分のドアを使おうとはしなかった。
綿の化物のような子猫時代からピートは極めて単純明快な哲学を編み出していた。
家と食事と天気の世話は僕に任せて,それ以外の一切は自分持ちという哲学である。
しかしその中でも天気が特に僕の責任であった。
Connecticutの冬が素晴らしいのはもっぱらクリスマスカードの絵の中だけである。
その冬が来るとピートは決まっていまず自分用のドアを試して,ドアの向こうに不愉快な白いものを見つけるともう外には出ようとせずに人間用のドアを開けろと始終僕にうるさくまとわりつく。ピートはその人間用のドアの少なくともどれかの一つが夏に通じているという固い信念を持っていたのである。。
これは彼がこの欲求を起こす都度,家の11箇所のドアを一つずつ彼について回って彼が納得するまでドアを開けて,さらに次のドアを開けるという巡礼の旅を続けなければならないことを意味する。
そして一つ失望の重なるごとに,彼は僕の天気管理の不手際さに不快そうに喉を鳴らすのであった。
こうして見極めがつくとピートはそれっきり家の中に閉じこもって,生理的欲求がギリギリの線に来るまでは絶対外に出ようとしない。
外へ出て帰ってくると四つの足は雪で凍り付いていた。板敷の床の上に木靴でも履いてるような音を立てる。そして僕を睨みつけてその氷を残らず舐めてしまわないうちは僕がどんなに機嫌を取ろうとしても喉など鳴らさない。。
しかしピートはどんなにこれを繰り返しても夏への扉を探すのを決して諦めようとしなかった。
そして1970年12月3日。かくいう僕も夏への扉を探していた。。僕の場合のそれもコネチカットの1月にピートが夏を求めたのと引けを取らない儚い望みであった。。
冬が僕の心にあったのである。僕は健康を害してもいない。歳も30のこちら側であって,一文なしの貧乏人でもなかった。警察に追われる身でもないし,人妻を寝取ってその夫につけまわされているわけでもない。税金徴収人から逃げていたわけでもない。記憶喪失にかかってるわけでもない。
にも関わらず僕の胸には冬が住んでいた。僕はひたすら 夏への扉修 求めていたのである。
ーRobert A. Heinlein, 夏への扉, ハヤカワ文庫SF,  

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~2001年3月5日日曜日。冷凍睡眠から目覚めた僕は文化女中器(女中ロボット)の婦人科の事務所に出かけた。技術部門とは何ら関係のない事務系統の臨時の求人しかなかったので,仕方なく求職者の列に入った。しかし面倒な書類を1ダースも書かされた挙げ句に「追って通知します」という例の挨拶をされてみんな追い返されてしまった。
僕は係員の後を追いかけ回して,とうとう求人課の課長代理に会うことができた。
彼は面倒くさそうに書類をめくっていたが,やがて「30年も仕事にブランクがあったのでは技術者としての前歴も何の意味もないですな」
と言った。
僕は冷凍睡眠者であることを彼に念を押した。
「なお悪いね。いずれにしてもウチでは45歳以上の人を雇わない方針なんだ」
「だって僕は45じゃないですよ!まだ30になったばかりです」
「1940年生まれではどうしようもない。お気の毒ですが駄目ですな」
「それでは僕はどうすればいいんです?」
と言うと彼は肩をすくめて
「私なら養老年金を申請するね」
僕は急いで事務所を飛び出した。そして3/4マイル歩いて本社の建物の玄関から上がり込んだ。総支配人の名前はカーチスであった。僕は面会を申し込んだ。
僕は前から待っていた弁護人2人を飛ばして進んだ。女中ロボット製作会社のくせに受付嬢はロボットではなく生身の綺麗な人間の女の子である。僕は何十階かでエレベーターを降りた。~
ーRobert A. Heinlein, 夏への扉, ハヤカワ文庫SF,  

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バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機

バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機
バミューダ・トライアングルの名は1945年12月5日水曜日,6機の海軍航空機とその乗員が消滅した事件に由来する。
同時に消滅したらしい最初の5つの戦闘機は,その時三角のコースを取るように決めた飛行プランに従って,日課的な訓練飛行を行っていた。
それはフロリダのフォトローダーデール海軍航空基地を飛び立って,東へ160マイル,北へ40マイル飛んでから,南西進路をとって南西へ帰還するというプランであった。
これまで
「悪魔のトライアングル」
「災難の海」
「大西洋の墓場」
などとさまざまに呼ばれてきたものに,新たに
「バミューダ・トライアングル」
という名前が加わった大きな理由は,フォート・ローダーデールを起点とする三角形の飛行プランの頂点が,ぴったりバミューダと一致することが当時注目されたからである。
またバミューダはそれ以前も以後も極めて異常な状況下で船や航空機が消滅する海域の北限にあたるように見えたからでもある。
訓練中の飛行編隊が丸ごと14人しかもその救助に向かった巨大な救助機マーティン・マリナーまで,13人の乗員もろとも不可解な消滅を遂げたこの完全消滅事件ほど,世間の耳目をそばだてたものは後にも先にもない。
フライト19。
それが1945年12月5日の午後,フォトローダーデール基地を離陸したこの部隊の呼び名である。
搭乗員は士官パイロットが5人,下士官兵が9人。後者は各機2人ずつに分けられた。本来ならもう1人のはずなのだが当日その人物が不吉な予感を理由に航空機搭乗任務の免除を希望して,代替要員の派遣されなかったために欠員となったのである。訓練機はネイビーグラマンTBM3型アヴェンジャー爆撃機。各機とも1000マイル以上の飛行に耐えるだけの燃料を積んでいた。
気温は華氏65度。太陽が輝いて,雲はまばらで穏やかな北東の風が吹いていた。当日先に飛んだパイロットの報告では,理想的な飛行日和である。
この飛行の所要時間は2時間と算出された。
午後2時,離陸開始。10分後には全機が空中に舞い上がっていた。
飛行時間2500時間以上の指揮官チャールズ・テイラー中尉は隊機をビミニ北方のチキン浅瀬に誘導した。
そこでまず標的の爆撃訓練を行う予定であった。
パイロットも同乗員もベテランぞろいで,飛行中に異常な事態が発生しそうな気は微塵もなかった。
しかし起こったのである。それまでひどい形で。
午後3時15分,爆撃訓練を終え,隊が東に進んでいる頃,部隊からの帰還予定時刻報告と着陸指示を仰ぐ連絡を待ち受けていたフォート・ローダーデール管制塔の無電手は部隊の隊長からただならぬ報告を受けた。
隊長(チャールズテイラー) 管制塔へ。緊急事態だ。コースを外れたらしい。陸地が見えない。道が見えない。陸地が見えない。
管制塔 現在地はどこだ
隊長 ハッキリしない。どこにいるかもわからないんだ。迷ったらしい。
管制塔 真西を目指せ。
隊長 どっちなのかもわからない。何もかもおかしい。奇妙だ。。。方向がさっぱりわからない。海の様子もいつもと違う。
3時30分ごろ,フォト・ローダーデールの主席飛行教官は飛行実習生の1人パワーズを呼んでいる誰かの通信を傍受した。彼は羅針盤がどうなっているか聞いていたが,パワーズの返信はこうだった。
「どこにいるのかもわからない。。最後にターンして方向を見失ったらしい」。
フライト19の教官を呼ぶと応答があった。
「羅針盤が2つともいかれた。フォートローダーデールを探している。。
フロリダ小島の小島帯の中にいるのは確かであるが,どこにいるのかどの辺なのか全くわからない」。
そこで教官は太陽を左に見ながら北へ飛べば,ローダデールに出られると指示したが,相手は続けて言った。
「たった今小島帯の上を取りすぎた。他に陸地が見えない」。
これは教官の飛行機がフロリダ小島地帯にいるのではないことを示していた。
普通なら小島帯に続いて陸地があるはずなのに,それが見えないというからには,部隊全機が迷ってしまったのである。
フライト19からの連絡は空電のために,次第に聞き取りにくなった。
明らかに向こうではもう管制塔の声が聞き取れないらしいが,管制塔の方では部隊の飛行機同士の会話をかなり傍受できた。
「燃料切れーあと75マイル分しかない」とか,
「時速75マイルの風だ」とか,
「どの機も羅針儀が狂いをきたして,目盛りがまちまちだ」
というふうな会話もあった。その間,フォート・ローダーデールの強力な通信機をもってしても5機とも連絡を取ることができなかったものの,機間の会話だけはかすかに聞こえ続けていた。
その頃すでに基地ではフライト19が非常事態に遭遇したと言う知らせが広がって,てんやわんやの騒ぎになっていた。
敵の攻撃(とはいえ数ヶ月前に第二大戦世界大戦は終戦していたのであるが),あるいは新たな敵の攻撃などあらゆる可能性を考慮したうえで,ツインエンジンのマーティン・マリナー機が13人の乗員を乗せて,ハバナリバー海軍航空基地から救助に飛び立った。
午後4時,管制塔はテイラー中尉が上級海兵隊パイロットのスティーブ大尉に指揮を頼んでいるのを聞いた。
空電で聞き取りにくく,緊張に上ずってはいたが,ちゃんとした通信が彼から届いた。
「現在地がはっきりしない。北東225マイルの地点のはずであるが。。。
もうフロリダを通過してメキシコ湾に来ていなければおかしい。。」。
隊長はまもなくフロリダ上空へ戻れるのではないかと180度方向転換を決意したが,いざターンしみると無電は遠ざかるばかり。
その方向転換が誤りで彼らはフロリダ海岸から公海方面へ東へ飛び始めたようであった。。
報告によればフライト19日の最後の通信は
「我々のいる場所はどうやら。。。」。
だったという。
もっとも
「白い水に突入。。われわれは完全に迷った。」。
などと,もっと詳しく聞いたものもいるらしい。
一方その地点と遭遇する予想される海域に向かってマーティン・マリナーが機の乗員の1人コーム中尉から離陸数分後すぐに
「上空6000フィートは強風状態である」。
と言う連絡がはいった。救助機からの通信はこれが最後であった。
まもなく全捜索隊は遭難したのは5機ではなく6機であるとの緊急連絡を受け取った。救助機までが姿を消してしまったのである。
以後,フライト19からも救助機からも通信は来なかった。
しかし午後7時をまわった頃,マイアミの海軍航空基地は
「FT,FT,,」
というかすかな通信を傍受している。
これは発信者が本当に遭難機だったとすると,この部隊の燃料が切れたと推定される時刻から2時間もあとということになる。
失踪当日に始まった空からの捜索は日暮れとともに中断されたが,沿岸警備隊の部隊による捜索は夜を呈して続けられた。
翌木曜日,朝日のさすのと同時に大規模な捜査活動が開始された。
しかし
航空機249機,空母ソロモンから応援に駆けつけた67機,駆逐艦4隻,潜水艦数隻,沿岸警備隊18隻,
調査艇・救助艇多数,民間機,ボート数百隻,ハバナリバー海軍航空基地のPBM機数機,
バハマ諸島の英国空海軍
からの応援を含めた史上未増の大捜索陣が出動したにもかかわらず何一つ発見されなかったのである。
ー謎のバミューダ海域完全版,チャールスバーリッツ著,徳間文庫

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異次元への通路=魔の三角海域
2008/5/7(水) 午前 6:17
「魔の三角海域」で消えた米軍機、火星に出現?
【大紀元日本7月30日】
最近、インターネットサイトでは第二次世界大戦中にバミューダトライアングルで失踪した米軍の4機の爆撃機が火星の上空で飛行しているとの説が流れている。
米国「世界ニュース週刊」は、
「1995年、米国の天文学者コフント・ロディン博士は自分の発見を公表、火星を観察する際に、第二次世界大戦中に失踪した4機の米国爆撃機が火星上空で列を作って飛行しているのを発見したという」と報じた。
ロディン博士によると、彼はコンピューター制御の天体望遠鏡で火星を観察する際に、長年前に失踪した5機の米軍魚雷型爆撃機のうちの4機が、火星の数キロ高さの空域で列を作って飛行していたのを発見。コンピューター自動追跡機能で撮影した画像を分析した結果、これらの爆撃機の時速は4万キロだという。
同博士は、「飛行機は緊密な列を作って飛行している上、飛行状態は極めて良好。有人操縦の可能性が高い。機体にある米軍のマークもはっきりと見える。これを根拠に、1945年にバミューダで失踪した爆撃機であるのを判断した」と説明していた。
米国政府はこのことについて、コメントを拒否している。スウェーデンの科学者ウェルハム・グレード博士は、「ロディン博士が火星で観測した爆撃機は、旧ソ連が月で発見した飛行機と関連があり、「魔の三角海域」バミューダトライアングルとも関係がある」と見解を示している。
52年前に、第二次世界大戦が終戦直後の1945年12月5日、米国海軍第19爆撃機チームの5機の魚雷型爆撃機は、大西洋を巡回するためにフロリダ州のフォート・ローダーデール(Fort Lauderdale)空軍基地から発った。
この日は快晴だった。
しかし、爆撃機がマイアミ、プエルトリコとバミューダの三つの地点が構成する、いわゆる「魔の三角海域」バミューダトライアングル海域で忽然と消えた。
失踪する前にはまったく救援信号を発しておらず、失踪後もいかなる痕跡を残さなかった。
基地との連絡が中断したのは午後5時。現地の海域を調査するために派遣したPBM巨型水上飛行機も二度と戻らなかった。
失踪してから2時間後の19時4分、フロリダ州の空軍基地は微弱な救援信号「FT…FT…」を受信できた。
そのときには、爆撃機の燃料がすでに完全に使い果たしたはずで、居場所を確定できなかったため、捜索はできずに、5機の爆撃機と乗員が永久に軍の名簿から抹消された。
当時の現地メディアが報道したこの失踪事件
発見当時、ロディン博士は、「自分のこの発見は、旧ソ連が月で米国の爆撃機を見つけた以来の一大天文ニュース」と興奮気味に語った。
1987年3月、旧ソ連は、「衛星スキャン」で、月の上で第二次世界大戦中の米国旧式爆撃機を発見したと公表。
翌年の7月22日、旧ソ連の衛星が再び現地を経由、スキャンするときに、爆撃機の姿がなかった。
公表された衛星写真には機体の米軍マークが鮮明に写っていた。
また、ロディン博士の発見にも、コンピューター写真が証拠として残っている。
科学界からは、捏造ではないかと疑う声があがっているが、同博士は、「私は非難と障害に直面するのを予期していた。
しかし、私は迷わない。自分がなにを見たかははっきりと分かっている。
残念なのは、爆撃機はどうやって地球から宇宙に入り、宇宙でなにをしているのかを判明できないことだ」と話した。
2007年3月13日夜から14日の朝方にかけて、米国海軍のロサンゼルス級攻撃潜水艦San Juanは、この「魔の三角海域」で9時間失踪した。
艦内の乗員らはまったくこのことを知らなかったという。
魔の三角海域で9時間消えた米軍の潜水艦(米海軍サイト)
米国海軍の潜水艦指令センターは声明で、この一件は「空騒ぎ」だったと説明したが、外部からは疑問視する声が浮上。
この「魔の三角海域」では、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000人以上が消息不明となっているという。
その原因について、様々な説があるが、ある学者は、ここは人類と異なる空間に通じる通路と解釈している。
(07/07/30 08:23) http://jp.epochtimes.com/jp/2007/07/html/d26550.html

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/
















世見2016年12月10日
バハマ諸島沖
松原照子氏のスピリチュアル情報
<世見>
2016/12/10
バハマ諸島沖の海底は、実にロマンが広がります。
こんなことを書いたからといって、私自身すぐにはバハマ諸島がどこにあるのかわかりませんし、
冒頭に書いた言葉も自分でわかっているような、わからないような変な気分が残るものの、
興味津津で心の奥が動き始めます。
バハマ諸島沖にいったい何があるのか、心をくすぐるものに素直について行きたくなりました。
「未だに発見されていない寺院あり」こんな声も聞こえます。
「以前発見されたものより大きい」こんな声も聞こえます。
「えぇ! 発見されたんだ」私から出てしまった声。
「バミューダ島からイスパニョラ島の右沖にかけて真実が見える」
「四次元ミステリーゾーン」
いったい何のことなのだろうか?
フロリダ半島は、今日も美しい海とお日様とが仲良くしています
バミューダ海域と云えば“魔の三角地帯”。
私が今年にしたこととの関係はわからないものの、
マヤとの関わりのある何かが、今もあの海のどこかで眠っている気持ちがします。
ただ、多くの遺跡は固い花崗岩ではなく粘土のように軟らかな石だったので、
発見されにくいかもしれません。
もしも陸ならば空気と合体すると固くなるのですが、
海水に長い間浸かっていると細工された部分も消えているとも言われます。
玄武岩 花崗岩 それと粘土のように軟らかい石は、きっと大昔のことを覚えていることでしょう。
そういえば、随分と前に石を集めている方に見せてもらった“コンニャク石”を思い出しました。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/article/444754856.html



天体情報

朔旦冬至
1995年12月22日8:17(GMT)
2014年12月22日08:04(JST)

MoonLABO Cafe almanac ムーンラボカフェ 暦占茶室
http://www.moonlabo.com/cafe/almanac/?OpDv=essay141211







朔旦冬至
朔旦冬至、19年に一度、冬至の新月
古代中国(殷の時代)において、1年の始まりは冬至だった。
太陽が最も短くなる瞬間が1年の終わりであり、同時に、はじまりでもあった、ということ。
古い時代には、地面に棒を立て、南中した時の影の長さを計っていたわけであるが、寒くなるにつれて、太陽はだんだんと低くしか昇らなくなっていき、昼の時間は短くなり、日の出の方角も、日の入りの方角も南に寄っていく。そして南中の影はだんだんと長くなってくる。その影が、ほんの少し短くなった日があれば、その日を冬至と定めていたと考えられる。(観象授時暦であったため。古い時代には、月初は新月(朔)ではなく、月が見え始める朏(ひ)が、2日月か3日月であり、その見えはじめをもって新たな月がはじまっていたことと同様。)
弱まった太陽が再び蘇る冬至こそが、年初にふさわしい時であるとされていたわけである。しかしそのうちに、人々は1年が約365.25日であることを知り、毎年の観測記録から、冬至がいつやってくるのか、がだいたいわかるようになってくる。そして暦が作られるようになる。
古代中国では、天子(皇帝)は冬至には、臣下や属国に来年の暦を配った。暦は、天が定めた最高権力者しか作成することができなかったからであり、暦が作られたということは、政治が天文を把握したということでもあった。属国は、貢物を持って、暦を貰いにやってくる。これが冬至使(年貢使)であった。その後冬至は新年ではなくなり、立春が新年のはじまりとなったため、太陰太陽暦では、冬至を含む月は11月となった。が、冬至を暦計算の起点とすることには変わりない。また、日本でも「御暦奏(ごりゃくのそう)」といって、毎年11月1日に陰陽寮が宮廷に翌年の暦を奏進する儀式が行われていた。
さて、冬至を年初としていた時代のことであるが、太陰太陽暦なので、実際には、冬至の後の朔の日から、新しい年がはじまっていた。年のはじまり、元旦である。しかし、冬至の日が必ず新月になるというわけではない。冬至の日の月齢は、年によりさまざまに変化する。が、19年に1度、冬至の日が新月(朔)となる。これを朔旦冬至(さくたんとうじ)と称する。年のはじまりである冬至が朔と重なる、いかにも区切りがよさそうである。そしてこの区切りのよい朔旦冬至は、19年に一度、訪れる。
1年365日(閏は366日)の太陽暦と、朔望月の月齢とは、19年に一度、同じとなる。19年に一度太陽暦と月が一致するメトン周期である。つまり、19太陽年は365.242 194日×19=6939.601 686日という長さを持つ。235朔望月は29.530 589日×235=6939.688 415日であり、その時の長さがほぼ等しくなる。しかし、12か月×19年=228か月となるため、235には7カ月足りない。そのため、19年間に7回の閏月を入れることで、19太陽年の長さと等しく調整する方法がとられた。太陰太陽暦における19年間に7回の閏月を入れる、(19年7閏)、これを章法という。
そして、19年ごとに訪れる朔旦冬至から新たな章がはじまるとした。朔旦冬至は、章のはじまり「章首」でもあった。19年ごとに、冬至に朔が訪れる。これは、天文と暦が一致していることを示す吉兆であり、天文と暦が一致していれば、作物が実り、政治がうまくいくと考えられていたので、朔旦冬至を祝う儀式が行われた。ただし、章法ではなく、破章法を採用している暦法では(19年単位で調整しているわけではないので)、19年7閏とはならず、19年のうちに朔旦冬至が複数回発生してしまうようなこともありうる。
メトン周期によらない破章法として、玄始暦では600太陽年=7421朔望月、南朝の大明暦では391太陽年=4836朔望月などが用いられた。日本でも儀鳳暦(唐の麟徳暦)以後は破章法が導入された。それにより、冬至が旧11月2日になってからやってくるようなことも起こり、その場合には、冬至の前に大の月を1つ増やして11月2日を11月1日に修正するような改暦が行われている。日本では承平6年(936年)には、冬至が旧10月30日にやってきてしまい、「暦家の失」と非難され、不吉とされたことは歴史的に有名な事実である。
また、章首以外の旧11月1日が冬至になってしまうことを「臨時朔旦冬至」と称するが、これもまた不吉であるとして、改暦して1日にならないようにしていた。ただし、朝廷儀礼の衰退に伴い、応仁2年(1468年)以降は、章首を朔旦冬至とする改暦は、行われなくなった。それどころか、戦国時代の弘治元年(1555年)には、儀式を行うには財政難であるとして、朔旦冬至を回避したということである。
今回の冬至は2014年12月22日08:04(JST)である。
そして22日10:37(JST)が朔となる。
だから、日本においては(また、台北においても、北京においても)、朔旦冬至となる。
が、GMTでは冬至は2014年12月21日23:04(GMT)であり、そして朔は12月22日01:37(GMT)であるので、厳密には朔の同日に冬至があるわけではなく、旧10月晦日に冬至がやってきてしまうケースとなる。が、このような場合、(歴史的には)朔の日付を調整するなどして朔旦冬至とする操作を行うケースに当たっている。
なお、前回の朔旦冬至は、1995年、19年前に起こっている。その時、冬至は12月22日8:17(GMT)であり、朔は12月22日2:22であり、占星射手座宮の終わりに月がある朔であったが、同日に冬至と朔があればよく、朔と冬至のどちらが先になるかなどの順序については問題とはならない。
占術研究家 秋月さやか

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予知情報
予言抜粋
56 + 3:本当にあった怖い名無し
2013/02/11(月) 07:45:52.06 ID:adKV6n8N(21)
俺がガキの頃に古本屋でめちゃくちゃ分厚いスケジュール帳を買ったんだよ。 古本屋のおっさんが「君が50才になるまで使えるよ」って。 その言葉になんだかワクワクして980円で買ったんだ。 友達の誕生日とか家族の誕生日とかわざわざ書いて、日記を書いたりもしてた。 でもさ、古本屋にあったから真っさらじゃなかったのね。 破れてたり何か印があったりするんだけど、それが妙だと確信したのが2001年の9月11日。
 この日は俺、休みを取って一日中ネットとテレビを見てた。 何かあると思ったからなんだよ。 なぜかと言うと、例えば1995年の1月17日には×が書いてあったり 1995年3月20日は塗り潰されてたり、細かく言えば 湾岸戦争が始まった日は爪で引っ掻いてあったり、昭和天皇が亡くなった日は紙が破れてたり。
58 + 6:本当にあった怖い名無し
2013/02/11(月) 07:47:37.14
ID:adKV6n8N(21)
他にも年に何個かあるんだけど、それがある日は必ず大きい事件や事故などがあった。
だから9月11日に何かあると思ったらあのテロ。 スマトラ地震の日はAと書いてあったりもした。 それで2011年の3月11日 だよ、兒って書いてあったから警戒してたらあの地震。
2013年の2月13日には「Jタ」
6月17日には「耗」
10月29日には「爪かなにかでこすった跡」
これが今年の印なんだ。 時間ができたら先々まで画像上げるから検証してほしい。13日に何もなければこれまでは偶然ってことになるけどね。
479 + 3:本当にあった怖い名無し
2013/02/11(月) 22:28:10.03
ID:adKV6n8N(21)
すまんすまん
帰宅してから書けばよかったんだけど如何せん13日までに帰れなくて。
2014年も普通に書いてあって、一応携帯のスケジュールに入れてあります。2月22日に塗り潰し、8月14と15が「は」「あ」
599 + 3:日記帳 ◆D9TyhtHKVI [] 2013/02/11(月) 23:11:30.72 ID:adKV6n8N(21)
ただ大きな災害や事件全てじゃないんですよ。
新潟中越地震は空白だったし、政治とかでなにかあっても空白が大半。
トンネル崩落も空白、ただ広島の橋げた落下の日は何か書いてあったんですよ。
今文字までは思いだせないけど。

◎太陽地震予報官のブログ
http://gori10.iza.ne.jp/blog/entry/3038270/





スケジュール予言を検証してみた。
2013/03/31 21:39
ちょいと前にあったスケジュール予言の検証。やってないと忘れるからねぇ。
で、直近の予言だが、
2013年2月13日 Jタ
結果的にはグァムの殺人事件で良いかと思う。事件が起きたのは12日深夜だが、日本にニュースが伝わったのが13日になってからだから。
あとダニ感染症でも2人死んでるが、これも関連はあるかも。このスケジュール予言だが、絶対的とは言えないが、ある程度アテになるかと思う。
ただ次回の予言
2013年6月17日 耗
はなんだか津波地震ぽいけどねぇ。せめてコレが来る前に2回ほど予言の実績があれば良かったんだが。
ダニ媒介感染症で新たに2人死亡 厚労省発表
http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021301001078.html
 厚生労働省は13日、ダニが媒介するウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群」(SFTS)で、新たに2人の死亡を確認したと発表した。患者は愛媛、宮崎両県のいずれも成人男性で、昨年秋に死亡。最近の渡航歴はなかったという。
楽天トラベル “予約の2人が死亡” NHKニュース
東京・品川区に本社がある旅行会社「楽天トラベル」によりますと、ホームページを通じてホテルを予約した2人が死亡し、このほか5人がけがをして病院に運ばれたということです。現地に駐在しているスタッフが12日夜遅くに確認したということで、けがの程度など詳しいことはわかっていません。
連絡を受けて、楽天トラベルでは、13日、現地に責任者を派遣して情報収集や安否の確認を行うということです。
グアムで犠牲者の冥福祈りミサ 無差別殺傷事件
http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021701001167.html
 【グアム共同】米領グアムの無差別殺傷事件で、死亡した日本人3人の追悼ミサが17日午前、現場から約8キロ離れたグアム島中心部のカトリック教会で開かれ、参列した約500人が犠牲者の冥福を祈った。関係者によると、横田仁志さん(51)=茨城県潮来市=の遺族も出席、涙を流していたという。
それでスケジュール予言に出てた情報をリストにしてみた。
未確定部分はこれまでのパターンからの予想。
確定
1989年1月 7日 紙やぶれ   昭和天皇崩御
1991年1月17日 爪でひっかく 湾岸戦争開戦
1995年1月17日 ×      阪神・淡路大震災
1995年3月20日 塗りつぶし  地下鉄サリン事件
2001年9月11日 不明     米同時多発テロ
2004年12月26日 A      スマトラ島沖地震
2011年3月11日 兒      東日本大震災
2013年2月13日 Jタ     グアム無差別殺人
未確定
2013年6月17日 耗       311同等津波地震?
2013年10月29日 爪こすり跡  戦争開戦?
2014年2月22日 塗りつぶし  国内大型テロ?
2014年8月14日 は       地震のみ?
2014年8月15日 あ       地震のみ?
1文字は基本的に地震・津波関連だと思う。「6月17日 耗」はおそらく311地震と同等の津波地震。とすれば八丈島付近の線が考えられる。8月14日-15日の「は、あ」も地震だが、ひらがなであることから、強い地震だが津波は発生しないと考えてみた。震源地は西日本が怪しいね。
10月29日 爪こすり跡は、戦争に関することか、おそらく北朝鮮VS韓国・米か、イランVSイスラエルか、尖閣衝突のどれかではないか。
2月22日 塗りつぶしは、前回オウムサリン事件だったことから、国内大規模テロの可能性がある。北朝鮮のテロかも知れない。このように予測は立ててみたが、必ず当たるかは未知数だ。
2013年の様子を見るしかないね。スケジュール予言は必ずしも全ての事件、地震を書いてるわけでは無いので、とりあえず注意期間は今年の5月-12月にしておくのが妥当だろう。2014年は今年の年末から考えれば良いと思う。

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天体情報,天王星

天王星あれこれ
published on 2010-05-17 17:26:01
ただいま軸に土星天王星木星かかっております。
そのせいか、2008年末くらいから、人と連絡を取らなくなってるような、そんな気がします。
天王星がまもなく牡羊座入りします。天王星が運勢に大きな影響を与えているということについ最近気づき、
目からウロコでした。
注目される星座を示すので、世相と流行も表すのです。
冥王星は世代の雰囲気、時代を動かすのは天王星でしょうか。
これは、天王星のハウス移動もありますが、星座移動が大きいようです。
ハウスの働き方は人によって異なるので、何ハウスがダメというのはありません。
調べ方は、ハウスに入ってる星、アスペクト、ハウスの星座、アスペクト、ハウスの守護星、アスペクトなどです。
前回魚座に入ったのは、2003年3月。
そのあと戻って完全に入るのは2004年初めからですが、私的にはハウスには1月頃にはオーブ圏内。
ここに起きたことが、2004年に決定的になり今に至ります。
手元に、四柱関連で有名作家、漫画家のデス…いやデータノートがなぜかあります。
wikiなどで、いつ賞をとったなど見やすいからなのですが、(余談ですがグラトラもちの人が多くて驚きました。俺様陶酔モードの人の方がうまくいきやすいからか?スヌーピー、サザエさんなど過去のキャラが強烈なのは、あの辺の世代に世代相グラトラができやすいからみたいです)
この業界、2003年2004年頃に始まった、流行ったものが、今でも続いて持ちこたえている感があります。
それ以外は、あれ、萌え系で、ふわふわ魚座ちゃん。少年誌が少女漫画みたいでびっくりする方も多いでしょう。少年誌2つが魚、双子のラインをもっていたからというのもあるようですが。元々少年漫画は双子が強いと思うので、そこがやられ、双子座象徴のスポーツマンガもダメということでしょうか。
そして、蟹座のジャンプ一人勝ち。
さらに、この魚座でうまくいっている人にも共通点がありました。
魚座を活用できるホロスコープを持っているということ。
大体好調星座も決まってきます。
過去を振り返ると、その時代に人気の出やすい星座があってバブル?頃の牡羊座ブーム(と勝手に呼んでます)。
この時は天王星山羊座。牡羊座から10室に当たり、海王星もいました。
鳥山明氏、大友氏、全部牡羊座さんですね。
1995年は天王星と冥王星の星座移動が両方あった年。
天王星は水瓶座。日本は水瓶座です。
獅子座は向かいになり、いいことも悪いこともくるようになりました。
スクエア位置は他の変な配置がない限り仕事面ではいいようで、牡牛座、蠍座がたくさん活躍された時期。人によっては苦労の時期。トラインに入る双子座、天秤座などもよし。
2003年魚座に移動。今度は魚座双子射手座が、といいたいところですが、土星が来て、恩恵どころか悪かった人も多いことでしょう。ただ、主に乙女座の一部など、やたらと恩恵を受けている人たちも多かったように思います。獅子座も角度がいまいちなので、やはり変わりません。海王星のハード世代相を持つ人は、苦労した時代。という視点で例のノートを見ると、あー!という感じなんですね。ハウスは人によって違うので、個人差がありますが、一番よくないのは、対向を移動されてしまってる星座かな。獅子座(笑大体長年活躍してる印象の星座の人は、天王星の位置が1ハウス~3ハウス移動とか、9ハウス~11ハウス、が多いようです。
ただ、天王星は5月末に移動します。獅子座は、トラインの位置に来るのです。もっとこうスパッとした流行は来ないのか!と獅子座と火の星座月の我が家ではいらついてましたが、あつ~い、単純明快な時代が来そうです。
「今時代の分かれ目なのはわかるんだけど、いつかね?」
という話は、魚座が12星座最後だからか、魚座天王星まっさかりの頃からきいてましたが、5月末です。
どうやら、今マスコミなどで流れてきている新着は、出てくる人のホロを調べたところ、決定時期が土星天王星乙女魚オポモード時期なので、まだのようです。
早くて1、2ヵ月後に出てくるもの、これが来年以降の動きや流行になりそうです。

獅子の空占
http://cosmiclion.seesaa.net/article/150194134.html
http://cosmiclion.seesaa.net/

サブプライムローン問題

[経済メモ] サブプライムローン問題
郵政民営化法も成立して、小泉政権が佳境に入った2006年頃、日本経済は好景気に入っていた、というデータが残っています。
しかし実感した人はあまり多くないようです。
マスコミでも「実感なき好景気」といわれたその期間は、2002年2月から2008年2月の73か月間という長期にわたって続きました。
戦後最長であった「いざなぎ景気」を超えたことから、「いざなみ景気」という名称も使われたそうです。
ですがなぜ、それほどの長期間でありながら、実感がなかったのでしょうか。
理由のひとつは、表が示すように、実質GDPは成長したのですが、物価が下落するデフレであったために、成長分が相殺されたからです。数多く売っても、一つ一つのモノの値段が下がっているので、トータルの売上は伸びず、名目GDPの上昇は、ほんの僅かな数値でした。実際に、サラリーマンの平均年収は下降曲線を描いていました。
筆者の実感でも、
「良くもないけど、悪くもない、仕事はあれど儲からない」
といった程度の景気状況だったという感想です。
内需を拡大しないと好景気は実感できない
そしてもうひとつは、成長を牽引していたのが、一部の業種に限られていたからです。
2000年代前半から、住宅バブルに沸くアメリカに引っ張られ、世界的な好景気が続きました。
そして1ドル120円前後という円安傾向も追い風になって、輸出企業の業績がアップし、GDPが押し上げられました。
シャープ、パナソニックなどの家電メーカーが大きく黒字を計上し、株価も高値を付けた時期でした。
ですが元来、日本の外需依存度を示す輸出入総額の対GDP比率は20%台で、世界的にみても低い値であるので(参考サイト)、
多くの国民が好景気を享受できるまでには至りませんでした。
日本のGDPの大部分を占めているのは、外需ではなく内需であったからです。
「貿易立国」や「貿易摩擦」「加工貿易」といった、日本経済を形容する言葉が浸透しているため、日本は輸出で稼いで豊かになった、と思われがちですが、実際は国内で投資が起こりモノが沢山売れる、内需主導による成長のほうが大きかったのです。
一方で、この時期の好景気は、
「小泉政権の構造改革や規制緩和の推進によってもたらされた。だがしそれ以降、改革をやめたことで成長も止まった」、
という意見もあります。
しかし、規制緩和により民間の供給力を上げたことで、投資と消費が活発になった、と考えるより、
やはり貿易額の推移を示すグラフから読み取って、外需主導による成長だった、と理解するべきでしょう。
まず海外に需要があったから、それに応じて供給が増え、輸出も伸びたのです。
規制緩和は逆に、競争激化によって人件費を縮減させる圧力を生じさせ、平均年収が低下しつづける原因にもなったと考えられますす。
複雑に入り組んだサブプライム問題
実感なきまま進んだ好景気は、2007年アメリカで起こったサブプライムローン問題によって、アメリカ国内の投資と消費が急激に縮小したことで、後退していきました。そこに追い討ちを掛けたのが、2008年9月のリーマンショックです。
住宅バブルによって空前の好景気に沸いていたアメリカですが、その根本は、収入の低い(サブプライム)層でも住宅ローンを組むことができる、魔法のような金融商品の開発でした。そのサブプライムローンを複雑に組み込んだ証券化商品がウォール街の機関投資家を中心に世界中に売買されて、住宅投資が活発になり、日本のバブルよろしく、さらなる投資を呼んだことが原因です。
しかし2007年夏頃から、サブプライムローンの延滞による住宅ローン会社やヘッジファンドなどの破綻が相次ぎ、翌年に全米4位の投資銀行リーマンブラザーズが破綻、その後アメリカ政府による金融救済法案も下院で否決されてしまったことで、アメリカの住宅ローンの不良債権問題が世界中に波及してしまいました。そして日本でも一気に投資が収縮し、日経平均株価は第一次安倍晋三政権時代の2007年6月につけた18,138円をピークに、1年半後の2009年2月には7,568円まで急落してしまったのです。
急激な景気の落ち込みで、企業は非正規雇用の契約を打ち切る「派遣切り」を行い、
その年の12月には、職を失った派遣労働者たちが一飯の食を求め、「年越し派遣村」に集うという事態も起こったのは記憶に新しいところです。
アメリカの不況が日本に連鎖
この「実感なき好景気」とリーマンショックは、日本とアメリカという別々の国の出来事ですが、つながっています。
金融のグローバル化でカネの移動が自由になった中、日本は90年代のバブル崩壊後、デフレで内需が冷え込み、右図のように特に企業が投資を抑え、借金返済に励み続けました。そうなると銀行も預けられたお金を運用して利益を上げなければいけません。そのため、銀行からの貸出は、資金需要のない日本ではなく、海外に向かいました。低金利で貸し出された日本の金が、円キャリートレードという手法で、景気が良く高利益が見込めるアメリカの投資に活用されたのです。
また、企業が輸出や現地工場の直接投資などで稼いだドルも、日本で使わずにアメリカで投資する、という流れも常態化しました。
これは、先にも述べた日本財布論の考えが最高潮に花開いた状況、といえるでしょう。
それによって、日本では「実感なき好景気」でしかなかったのが、アメリカでは空前の住宅バブルとなったのです。
同時に中国や韓国など東アジアの各国も対米輸出が増えていきました。
アメリカは国際的なお金のやり取りである経常収支の赤字が続きました。
が、各国が稼いだお金が投資として還元され、マネーが集中することで不動産価格が上がる。
それによって、「バブル」にさらに拍車がかかりました。
右図に示したような、アメリカが貿易赤字を引き受けることで、各国の貿易黒字を貯めこみ続ける状態を
グローバルインバランス(経常収支不均衡)
といい、好景気だけでなく不景気も世界に連鎖する、構造的な問題であったといえます。
投機マネーが世界を回り、混乱を広げた
そしてアメリカのバブル崩壊後、投資家は危機回避で一斉にアメリカから資金を引き揚げました。
ドルから円へと回帰する、「円キャリートレード」の逆流現象が起こり、さらに世界主要国が金融緩和を実施したことなどで、急激な円高が進みました。それを機に、日本経済は特に輸出企業を中心に業績の悪化が進みました。
またアメリカから引き揚げられた投資資金が一時、石油や穀物の取引に向かったことで、ガソリンや小麦粉などの高騰を招き、消費者へも甚大な影響を及ぼしました。さらにその資金がヨーロッパに流れ、バブルを起こし、それがまたまた破裂して、ユーロ危機を迎えるなど、グローバルなカネの流れによって、気がつけば世界中に混乱が連鎖していったのです。

日本の30年
http://www.geocities.jp/sundayvoyager/lehman_shock.html
http://www.geocities.jp/sundayvoyager/
















19950000 日本経済:金融グローバル化>>カネの移動が自由化>>バブル崩壊>>>>>銀行は海外に貸出/日本円低金利貸出>>米投資に活用された
19950000 日本経済:金融グローバル化>>カネの移動が自由化>>バブル崩壊>>デフレ>>内需冷込>>企業は投資抑/借金返済>>銀行は海外に貸出
20010100 世界経済:2000年代前半から米国住宅バブルに引っ張られ世界的好景気が続いた
20020200 世界経済:2000年代前半から米国住宅バブルに引っ張られ世界的好景気が続いた
20020200 日本経済:2002年から6年続く実感なき好景気時代>>
20020200 日本経済:実感なき好景気{73ケ月間,2002年2月-2008年2月}
20020200 日本経済:実感なき好景気{73ケ月間:いざなぎ景気を超えた長さ}
20020200 日本経済:実感なき好景気{外需主導による成長}
20020200 日本経済:実感なき好景気{実質GDP成長xデフレで物価下落}
20020200 日本経済:実感なき好景気{世界的好景気x円安>>輸出企業業績向上>>GDP向上(外需による成長)}
20020200 日本経済:実感なき好景気{良くもないけど悪くもない,仕事はあれど儲からない}
20020200 日本経済:日本のGDP(内需80%+外需20%)
20020200 日本経済:日本のGDPの大部分を占めているのは、外需ではなく内需(80%)
20020200 日本経済:日本は内需(80%)型社会
20060000 日本経済:郵政民営化法成立,小泉政権が佳境に入った2006年頃,日本経済は好景気に入っていたというデータ
20070000 米国経済:2000年代前半にはじまる米国住宅バブル>>2007年サブプライムローン問題>>投資/消費縮小
20081000 米国経済:1992年日本バブル崩壊>>>円からドルへ流入>>2008年米国バブル崩壊>>ドルから円へ流出>>急激な円高
20081000 米国経済:2002年米国住宅バブル開始>>>2008年バブル崩壊>>ドルから円へと回帰する逆流現象
20081000 米国経済:2002年米国住宅バブル開始>>>2008年リーマンショック>>投資家は一斉に米国から資金引揚
20081000 米国経済:2002年米国住宅バブル開始>>2007年サブプライムローン問題>>投資/消費縮小>>2008年リーマンショック
20081000 米国経済:2008年米国バブル崩壊>>ドル投資資金が円へ流出>>急激な円高>>日本経済悪化
20081000 米国経済:2008年米国バブル崩壊>>ドル投資資金が欧州に流出>>欧州バブル>>ユーロ危機
20081000 米国経済:2008年米国バブル崩壊>>ドル投資資金が石油や穀物へ流出>>ガソリンや小麦粉などの高騰>>消費者へ影響

gfgdf pc

ドイツGleiwitz事件

New Material Controls Magnetism With Electric Fields
Tue Aug 23 23:03

Before It's News
http://beforeitsnews.com/story/993/842/New_Material_Controls_Magnetism_With_Electric_Fields.html








(要約)
歴史的事件のウラ
The Intel Hub
2011年8月29日
1939年8月31日
イベント:ドイツGleiwitz事件。ポーランド兵に装ったドイツ兵たちがドイツのラジオ局
を襲撃。ポーランド人の囚人開放を要求。
ウラの意味:ドイツ軍のポーランド侵攻の口実作り。
1941年12月7日
イベント:日本軍によるハワイ真珠湾侵攻。
ウラの意味:真珠湾侵攻を工作したのは米軍。米軍は暗号解析により侵攻を前もって知っ
ていたが基地の交通や電気やオイルの供給を遮断、日本軍の標的となるように仕向けた。
1946年
イベント:米ソ冷戦。米国とソ連( U.S.S.R. )の2国の関係悪化。
ウラの意味:でっち上げ。軍産複合体の構築発展。
1950年6月25日
イベント:南北戦争。北朝鮮と韓国の紛争。韓国による北朝鮮の空爆。初の国連軍( UN
global police force)介入。国連軍は韓国側を援護、中国、ソ連は北朝鮮側を援護した。
ウラの意味:国連にとり韓国を援護する事はメリットがあった。第一に間接的にではある
が北を援護するソ連と関われる。第二にロックフェラー一族、デューリー一族、その傘下
企業による韓国投資の口実。
1962年5月13日
イベント:米国防省によるノースウッド作戦(Operation Northwoods)。航空機テロ爆破事
件。リモート操作による航空機爆破による米市民殺害計画。米国防省上官とスタッフが画
策。キューバ人によるテロ事件とされた。
ウラの意味:キューバ戦争の口実作り。ケネディ大統領はこの作戦に反対、暗殺の原因の
ひとつになった。
1963年11月22日
イベント:ケネディ暗殺事件。ダラスでおきた大統領暗殺事件。殺されたのはJohn F.
Kennedy氏。暗殺者はLee Harvey Oswaldだとされた。
意味:Lee Harvey Oswaldは社会主義者だとされた。John F. Kennedyの次の大統領Lyndon
Johnson下、米国はベトナム戦争に向っていった。ベトナム戦争は「世界規模の社会主義
革命」に抗するための戦争であるとされた。Kennedyはベトナム戦争がおきないよう、CIA
が解散するよう、工作していた。
1964年8月4日
イベント:ベトナムのトンキン湾でベトナム船籍の船が米軍攻撃。
ウラの意味:McNamara氏の文献によると、この事件は偽装災害( a false flag operation
)。報道はされたが、実際におきていなかった。
1967年6月8日
イベント:イスラエル沖で船が沈没。
ウラの意味:Lyndon Johnson大統領が命令、イスラエル政府が実行した。犯行はエジプ
ト人によるものとされ、中東戦争の口実となった。
1968年4月4日
イベント:イスラエル沖で船が沈没。米テネシー州メンフィスでMartin Luther King牧
師暗殺。James Earl Rayによる犯行とされた。
ウラの意味:暗殺は米政府による。Martin Luther King牧師は存命中米政府による脅迫
をうけつづけていた。1999年、James Earl Ray氏は裁判で無罪とされ、米政府が有罪とされた。
1977年4月19日
イベント:ストックホルムで開催された国連会議で温暖化問題が議題になる。Maurice
Strong氏、政治アジェンダGreen Global Governanceを設立。後1992年リオサミットで「
気象異常」が議題になる。Al Gore氏は「気象異常」を訴えた。
ウラの意味:ホッキョククマの頭数はふえている。CO2は温暖化の主要因ではない。
1995年4月19日
イベント:オクラホマシティビル爆破事件。政府のビルが爆破された。容疑者はTimothy
McVeigh。
ウラの意味:世界的規模の独裁体制をつくるための基盤。
2001年9月11日
イベント:ニューヨーク貿易センタービルで同時多発テロ事件。
ウラの意味:世界的規模の独裁体制をつくるための基盤。第三次世界大戦の口実作り。
Clinton政権で計画されBush政権で実行された可能性がある。
2005年7月7日
イベント:ロンドンで列車爆破テロ、52人が死亡、700人が負傷。
ウラの意味:世界テロ戦争( GWOT、Global War on Terror )のシナリオの一環。恐怖に
よる人口削減計画、警察国家構築のための一手。
2008年11月26日
イベント:ムンバイでテロ、164人が死亡。
ウラの意味:西側情報エージェントによる計画。
2009年12月25日
イベント:デトロイトでジェット機爆破テロ未遂事件。若いナイジェリア人が機内に爆
弾を持ちこんでいた。パスポートはもっていなかった。
ウラの意味:世界テロ戦争( GWOT、Global War on Terror )のシナリオの一環。米国
で力を増すTSA、DHS、国内警備の理由付け。警備予算の増強の理由付け。
2010年から2011年
イベント:ファースト&フリアス作戦( Operation Fast & Furious)。米軍がメキシコ
製薬カルテルに武器を直接販売した。
ウラの意味:将来の北米同盟( North American Union )の防衛力強化に米政府が介入
するための口実作り。米国政府の薬品購入のルート作り。
2011年3月2日
イベント:Osama bin Laden殺害。
ウラの意味:CIAメンバーOsama bin Ladenが殺害されたと報道された。
2011年7月22日
イベント:ノルウェイオスロ(Oslo)で市民による銃乱射事件。右派のコーカサス系ノ
ルウェイ人の犯行。
ウラの意味:軍による工作。市民捕集の口実。

local pc

天体情報:冬至の新月

天体情報
1995年12月22日8:17(GMT)朔旦冬至
MoonLABO Cafe almanac ムーンラボカフェ 暦占茶室
http://www.moonlabo.com/cafe/almanac/?OpDv=essay141211






朔旦冬至
朔旦冬至、19年に一度、冬至の新月
古代中国(殷の時代)において、1年の始まりは冬至だった。
太陽が最も短くなる瞬間が1年の終わりであり、同時に、はじまりでもあった、ということ。
古い時代には、地面に棒を立て、南中した時の影の長さを計っていたわけであるが、寒くなるにつれて、太陽はだんだんと低くしか昇らなくなっていき、昼の時間は短くなり、日の出の方角も、日の入りの方角も南に寄っていく。そして南中の影はだんだんと長くなってくる。その影が、ほんの少し短くなった日があれば、その日を冬至と定めていたと考えられる。(観象授時暦であったため。古い時代には、月初は新月(朔)ではなく、月が見え始める朏(ひ)が、2日月か3日月であり、その見えはじめをもって新たな月がはじまっていたことと同様。)
弱まった太陽が再び蘇る冬至こそが、年初にふさわしい時であるとされていたわけである。しかしそのうちに、人々は1年が約365.25日であることを知り、毎年の観測記録から、冬至がいつやってくるのか、がだいたいわかるようになってくる。そして暦が作られるようになる。
古代中国では、天子(皇帝)は冬至には、臣下や属国に来年の暦を配った。暦は、天が定めた最高権力者しか作成することができなかったからであり、暦が作られたということは、政治が天文を把握したということでもあった。属国は、貢物を持って、暦を貰いにやってくる。これが冬至使(年貢使)であった。その後冬至は新年ではなくなり、立春が新年のはじまりとなったため、太陰太陽暦では、冬至を含む月は11月となった。が、冬至を暦計算の起点とすることには変わりない。また、日本でも「御暦奏(ごりゃくのそう)」といって、毎年11月1日に陰陽寮が宮廷に翌年の暦を奏進する儀式が行われていた。
さて、冬至を年初としていた時代のことであるが、太陰太陽暦なので、実際には、冬至の後の朔の日から、新しい年がはじまっていた。年のはじまり、元旦である。しかし、冬至の日が必ず新月になるというわけではない。冬至の日の月齢は、年によりさまざまに変化する。が、19年に1度、冬至の日が新月(朔)となる。これを朔旦冬至(さくたんとうじ)と称する。年のはじまりである冬至が朔と重なる、いかにも区切りがよさそうである。そしてこの区切りのよい朔旦冬至は、19年に一度、訪れる。
1年365日(閏は366日)の太陽暦と、朔望月の月齢とは、19年に一度、同じとなる。19年に一度太陽暦と月が一致するメトン周期である。
つまり、19太陽年は
365.242 194日×19=6939.601 686日
という長さを持つ。
235朔望月は
29.530 589日×235=6939.688 415日
であり、その時の長さがほぼ等しくなる。
しかし、12か月×19年=228か月となるため、235には7カ月足りない。
そのため、19年間に7回の閏月を入れることで、19太陽年の長さと等しく調整する方法がとられた。
太陰太陽暦における19年間に7回の閏月を入れる、(19年7閏)、これを章法という。
そして、19年ごとに訪れる朔旦冬至から新たな章がはじまるとした。朔旦冬至は、章のはじまり「章首」でもあった。
19年ごとに、冬至に朔が訪れる。
これは、天文と暦が一致していることを示す吉兆であり、天文と暦が一致していれば、作物が実り、政治がうまくいくと考えられていたので、朔旦冬至を祝う儀式が行われた。ただし、章法ではなく、破章法を採用している暦法では(19年単位で調整しているわけではないので)、19年7閏とはならず、19年のうちに朔旦冬至が複数回発生してしまうようなこともありうる。
メトン周期によらない破章法として、玄始暦では
600太陽年=7421朔望月、
南朝の大明暦では
391太陽年=4836朔望月
などが用いられた。
日本でも儀鳳暦(唐の麟徳暦)以後は破章法が導入された。
それにより、冬至が旧11月2日になってからやってくるようなことも起こり、その場合には、冬至の前に大の月を1つ増やして11月2日を11月1日に修正するような改暦が行われている。
日本では承平6年(936年)には、冬至が旧10月30日にやってきてしまい、「暦家の失」と非難され、不吉とされたことは歴史的に有名な事実である。
また、章首以外の旧11月1日が冬至になってしまうことを
「臨時朔旦冬至」
と称するが、これもまた不吉であるとして、改暦して1日にならないようにしていた。ただし、朝廷儀礼の衰退に伴い、応仁2年(1468年)以降は、章首を朔旦冬至とする改暦は、行われなくなった。それどころか、戦国時代の弘治元年(1555年)には、儀式を行うには財政難であるとして、朔旦冬至を回避したということである。
前回の朔旦冬至は、1995年、19年前に起こっている。
その時、冬至は
12月22日8:17(GMT)
であり、朔は
12月22日2:22
であり、占星射手座宮の終わりに月がある朔であったが、同日に冬至と朔があればよく、朔と冬至のどちらが先になるかなどの順序については問題とはならない。
占術研究家 秋月さやか

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異次元への通路=魔の三角海域


異次元への通路=魔の三角海域
2008/5/7(水) 午前 6:17
「魔の三角海域」で消えた米軍機、火星に出現?
【大紀元日本7月30日】
最近、インターネットサイトでは第二次世界大戦中にバミューダトライアングルで失踪した米軍の4機の爆撃機が火星の上空で飛行しているとの説が流れている。
米国「世界ニュース週刊」は、
「1995年、米国の天文学者コフント・ロディン博士は自分の発見を公表、火星を観察する際に、第二次世界大戦中に失踪した4機の米国爆撃機が火星上空で列を作って飛行しているのを発見したという」と報じた。
ロディン博士によると、彼はコンピューター制御の天体望遠鏡で火星を観察する際に、長年前に失踪した5機の米軍魚雷型爆撃機のうちの4機が、火星の数キロ高さの空域で列を作って飛行していたのを発見。コンピューター自動追跡機能で撮影した画像を分析した結果、これらの爆撃機の時速は4万キロだという。
同博士は、「飛行機は緊密な列を作って飛行している上、飛行状態は極めて良好。有人操縦の可能性が高い。機体にある米軍のマークもはっきりと見える。これを根拠に、1945年にバミューダで失踪した爆撃機であるのを判断した」と説明していた。
米国政府はこのことについて、コメントを拒否している。スウェーデンの科学者ウェルハム・グレード博士は、「ロディン博士が火星で観測した爆撃機は、旧ソ連が月で発見した飛行機と関連があり、「魔の三角海域」バミューダトライアングルとも関係がある」と見解を示している。
52年前に、第二次世界大戦が終戦直後の1945年12月5日、米国海軍第19爆撃機チームの5機の魚雷型爆撃機は、大西洋を巡回するためにフロリダ州のフォート・ローダーデール(Fort Lauderdale)空軍基地から発った。
この日は快晴だった。
しかし、爆撃機がマイアミ、プエルトリコとバミューダの三つの地点が構成する、いわゆる「魔の三角海域」バミューダトライアングル海域で忽然と消えた。
失踪する前にはまったく救援信号を発しておらず、失踪後もいかなる痕跡を残さなかった。
基地との連絡が中断したのは午後5時。現地の海域を調査するために派遣したPBM巨型水上飛行機も二度と戻らなかった。
失踪してから2時間後の19時4分、フロリダ州の空軍基地は微弱な救援信号「FT…FT…」を受信できた。
そのときには、爆撃機の燃料がすでに完全に使い果たしたはずで、居場所を確定できなかったため、捜索はできずに、5機の爆撃機と乗員が永久に軍の名簿から抹消された。
当時の現地メディアが報道したこの失踪事件
発見当時、ロディン博士は、「自分のこの発見は、旧ソ連が月で米国の爆撃機を見つけた以来の一大天文ニュース」と興奮気味に語った。
1987年3月、旧ソ連は、「衛星スキャン」で、月の上で第二次世界大戦中の米国旧式爆撃機を発見したと公表。
翌年の7月22日、旧ソ連の衛星が再び現地を経由、スキャンするときに、爆撃機の姿がなかった。
公表された衛星写真には機体の米軍マークが鮮明に写っていた。
また、ロディン博士の発見にも、コンピューター写真が証拠として残っている。
科学界からは、捏造ではないかと疑う声があがっているが、同博士は、「私は非難と障害に直面するのを予期していた。
しかし、私は迷わない。自分がなにを見たかははっきりと分かっている。
残念なのは、爆撃機はどうやって地球から宇宙に入り、宇宙でなにをしているのかを判明できないことだ」と話した。
2007年3月13日夜から14日の朝方にかけて、米国海軍のロサンゼルス級攻撃潜水艦San Juanは、この「魔の三角海域」で9時間失踪した。
艦内の乗員らはまったくこのことを知らなかったという。
魔の三角海域で9時間消えた米軍の潜水艦(米海軍サイト)
米国海軍の潜水艦指令センターは声明で、この一件は「空騒ぎ」だったと説明したが、外部からは疑問視する声が浮上。
この「魔の三角海域」では、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000人以上が消息不明となっているという。
その原因について、様々な説があるが、ある学者は、ここは人類と異なる空間に通じる通路と解釈している。
(07/07/30 08:23) http://jp.epochtimes.com/jp/2007/07/html/d26550.html

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/

ミトコンドリア・イブ

健康情報:パン
[第2回]星座はめぐる
歴史の真実
宗教と科学は一見対立する概念のようですが、実は共通の要素がたくさんあります。そのなかで最も注目すべきことは、両者とも人間の本質についての真実を隠蔽または曲解し、私たちが自分の現実を自在に創ることができる創造主としての能力を持っていることを否定している点です。共に、人間がその能力を持たずその資格もないことを、幼少の頃から脳裏に刻み込むシステムとして、役割を分担しながらこの社会に「貢献」してきました。それによって、人間の現実創造能力をまったく信じない強固な集合意識が、この社会全体に形成されてきたのです。信じていない力を行使することはないし、実際に、信じないことによって能力を発現することができなくなるのです。この状況によって得をするのは誰でしょうか?ここに至るまでには、人類の創造以来の長い歴史があります。
人間がサルから進化したというダーウィンの説明は、体形や遺伝要素の共通性から一時期主流となりましたが(そして「神」が創ったという宗教界の説明を粉砕したかに見えましたが)、現代科学の枠内でもだんだん旗色が悪くなってきています。もともとダーウィンの進化論を証明するデータは何一つなかったのです。例えば、サルと現代人との(「進化」の)中間の存在はまったく見つからず、サル(例えばチンパンジー)はいつまでもサルだし、現代人は最初から現代人であったことが化石などからわかります。またダーウィンが言う「生存競争」・「自然淘汰」による「適者生存」の証拠は乏しく、木村資生博士の「中立説(分子進化の中立説)」の方が事実に合っています。いくら観察と実験を繰り返しても、進化に直接つながるような「適応」は見つからないのです。
一方、近年の分子生物学の発展を背景に、人類の起源論争に衝撃的な一石が投じられました。カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャンたちによる「ミトコンドリアDNAに見る現代人の進化」という論文(ネイチャー誌、1987.1.1号)です。
細胞の核内でなく核の外の細胞質にあるミトコンドリアのDNAは、進化の研究をするのに便利ないくつかの特徴を持っています。核のDNAに比べて塩基の置き換わり(突然変異)が起こる速度が5〜10倍速い、母性遺伝で母親のものだけが子に伝わる、そして一つの細胞に千個以上もあるので組織から大量に収集することができるなどです。
キャンたちは、世界のさまざまな「人種」に属する百数十人のヒトの胎盤を集め、抽出したミトコンドリアDNAを分析して、塩基の置き換わりの程度を比較しました。するとアフリカ人でこの値が最も大きいことがわかりました。さらに、塩基の置き換わりの少ないものから順につないでいった分子系統樹をもとに、現代人のルーツはアフリカにあると考えました。そして、この置き換わりが起きる率(いわば「進化」の速度)から現代女性の祖先は15〜29万年前にアフリカに生きていたあるグループの女性だと結論づけました。
この論文は、その内容に加えて、「ミトコンドリア・イブ」というロマンティックなニックネームとともに、学会を超えて大変有名になりました。早速「アダム探し」の研究も行われ、アリゾナ大学のM.F.ハマーが、男性だけが持つY染色体に乗っている遺伝子の解析によって、「アダム」は約19万年前にアフリカにいた、と発表しました(1995年)。
その後、ペンシルベニア州立大学の研究グループによる更に大規模な遺伝子解析(アフリカ18地域とアフリカ以外45地域の男女計1700人について3種類のDNAを対象)などでも、ほぼ同様の結論を示しており、人類のアフリカ起源説(単一起源説)はほとんどゆるぎないものになったといえるでしょう。
これらの研究の副産物として、約100万年前にアジアにいたジャワ原人や北京原人、また30万年前頃から地球にいた、ネアンデルタール人を代表とする「旧人」は、現在の人類とのつながりがなく、この間に絶滅したことがほとんど確証されました。またいずれの研究も、現代人をサルに結びつけるものではありません。単に人類の出発点を示しているだけです。サルなど類人猿については、別に同様の系統類縁関係の研究があります。そして、魚や樹木についてさえも---。
このような状況においても、人類の起源を問われると、ほとんどの学者は「サルとの共通の祖先から分化して以来、現在まで進化してきた」と答えるでしょう(サルは進化しなかったのか?)。何しろ過去140年間(1859年ダーウィンの『自然淘汰による種の起源』出版)そのように思い込み「理屈」を積み上げてきたのだし、それ以外の説明は思いつかないから。しかし100万年の間にほとんど変化しなかった「ホモ・エレクトゥス(直立原人)」とは全く異なる、現代人の祖先(クロマニョン人を代表とする「新人」)の突然の出現(考古学では5〜6万年前とされている)を説明することはできず、「ミッシング・リンク(失われたつながり)」などという造語でごまかすしかないのです。一方、多少でも良識がある学者は、「アダムとイブ(原初のアフリカ人)が、その時そこにいたことは確かだが、どこから来たかはわからない」と答えるでしょう。
いずれにせよ、高度に進化した宇宙の存在たちの地球への関わりの事実が徹底的に隠蔽されている以上、「シリウス人などの宇宙種族が、当時地球にいた類人猿の遺伝子に自分たちの遺伝子を加えて人間を創り、アフリカに置いた」という歴史の真実が、地球の学者によって明かされることは期待できません。宇宙からの情報を総合すると、「旧人(ホモ・サピエンス)」は約20〜30万年前にシリウス人などによって「種まき」され、その後さらに改良された「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」彼らによって創られたとのことです。

アセンション・オンゴーイング
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/ongoing2.html