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関東大震災>>米巨大資本の日本支配すすむ


 中川隆: 関東大震災>>米巨大資本の日本支配すすむ
昭和天皇に戦争責任はあった、しかし責任を追求していくと日本国民全てに責任は及ぶ(株式日記と・・・) まさちゃん
9. 中川隆[-6658] koaQ7Jey 
2017年8月16日 08:22:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
天皇制官僚国家が成立したのは、いわゆる「明治維新」。薩摩藩と長州藩を中心とする勢力がイギリスと手を組んで徳川体制を倒したのであり、誕生の瞬間からアングロ・サクソンの影響下にあった。その辺の事情は本ブログで何度か指摘した通りだ。
アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
1932年の大統領選挙でフーバーの再選を阻止したのは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルト。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人はニューディール派を排除してファシズム政権を樹立しようと目論む。このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で明るみ出て実行されなかった。当時、軍の内部で人望の厚かったバトラーを抱き込もうとして失敗したのである。その際、バトラーはクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えたという。この結果、日本の支配層が従属していたJPモルガンの影響力は低下してしまった。日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

★阿修羅♪ 
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100039.html
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c7
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c8




昭和天皇に戦争責任はあった、しかし責任を追求していくと日本国民全てに責任は及ぶ(株式日記と・・・) まさちゃん
8. 中川隆[-6659] koaQ7Jey 
2017年8月16日 08:20:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
戦前の日本はウォール街、つまりアメリカの巨大資本に支配されていた。その切っ掛けは1923年の関東大震災。その復興資金を調達するため、日本政府はアメリカの巨大金融資本、JPモルガンに頼ったのだが、それ以降、日本はウォール街の影響下に入り、最近の用語を使うならば、新自由主義を導入する。
その当時、日本で最もJPモルガンと親しくしていたのは井上準之助だと言われている。「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上がJPモルガンとの関係を深めるのは1920年の対中国借款交渉以降。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。
震災後、1925年に「治安維持法」が制定されて思想統制が本格化、27年には第1次山東出兵、翌年に第2次山東出兵と張作霖爆殺。日本共産党関係者らが大量に検挙されたのも1928年だ。
1931年には、関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)が立案した計画に基づいてい満鉄の線路が爆破され、いわゆる満州事変が勃発、32年には日本の傀儡国家である満州国の建国が宣言された。この1932年にアメリカでは大統領選挙があったのだが、ウォール街が支援していた現職のハーバート・フーバーがニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。ニューディール派は資本主義を延命させるため、大企業の活動を制限、労働者の権利を拡大しようとしていた。ファシズムや植民地にも反対している。
そうした事態に慌てたウォール街はJPモルガンを中心として、1933年から34年にかけて反ニューディール派のクーデターを計画する。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将の議会証言などで発覚、記録に残されている。1932年には、アメリカ大使としてジョセフ・グルーが日本へ赴任してくる。この人物のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻、つまりJPモルガンは自分たちの強力な代理人を日本へ送り込んできた。グルーと最も親しかった日本人のひとりが松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1932年までの日米関係は基本的に今と同じで、日本政府の新自由主義的政策は不況を深刻化させた。そのころ、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になっている。支配層は裕福になり、庶民は貧困化、つまり貧富の差が拡大している。こうした政策を推進した浜口雄幸首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺された。その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺され、5月には五・一五事件が引き起こされている。そして1936年2月には二・二六事件だ。
ウォール街の戦略に従うならば、攻撃する相手はソ連。1939年に日本軍は中国東北部とモンゴルの国境地域でソ連軍と衝突している。ノモンハン事件だ。参謀本部と陸軍省の意向に反して関東軍が戦闘を拡大したが、ソ連軍の機械化部隊が攻撃で日本軍は壊滅してしまった。このソ連軍との衝突は日清戦争、日露戦争、韓国併合、シベリア派兵、満州事変という流れの中で引き起こされている。
ドイツがソ連に攻め込むのは1941年。「バルバロッサ作戦」だ。当初、ドイツ軍が優勢だったが、この時にアメリカやイギリスの支配層は傍観している。ルーズベルト大統領はソ連を支援する意思があったようだが、実行できなかった。ところが、1942年の冬に形成は逆転、43年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏する。これを見てアメリカは慌てて動き出し、1944年6月にはノルマンディー海岸に上陸する。オーバーロード作戦だ。これを「反攻」と呼ぶのは適切でない。この時点でドイツ軍の主力は崩壊していたからだ。
バルバロッサ作戦が始まった半年後、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカとの戦争に突入するが、その翌年までグルーは日本に滞在、離日の直前に岸信介からゴルフを誘われて一緒にプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
グルー/JPモルガンという座標軸で流れを見るならば、松岡も岸も井上も浜口もウォール街の傀儡にすぎない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609040000/

★阿修羅♪ 
http://www.asyura2.com/acas/d/db/dbs/DbsSfawrpEw/100039.html
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c7
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c8

Takahata521: テスラ博士とトランプ博士

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Takahata521: テスラ博士とトランプ博士
テスラとトランプとルッキンググラス
2021/06/18 00:09
テスラはトランプがQを満たしている:Qは未来を見ることができるか?(C'mon!私たちは皆それを考えています!- レノア・トンプソン、作家 (lenorathompsonwriter.com)
愛国者:レノラ・トンプソン著書
2021年6月15日の時点で警告なし&説明なしでアカウントを停止されたと言います...
注):くだけた言葉遣いのせいか、翻訳が困難で少し変ですがご了承下さい。
Qは未来を見ることが出来るだろうか?
ああ、自分を乗り越えろ!あなたがそれを考えていることを知っています。Qは、X、Y、Zが実際に発生する何年も前に、X、Y、Zについて少し知りすぎているようです。
シンプソンズが未来を予測できるのなら、なぜQはできない?!笑 
私たちは皆それを考えているので、これについて話すこともできます:Qは物事が起こる前にそれを知る能力を持っているようです。しかし、それは可能なの!?! 
もしそうなら、私たち全員に「すべてがうまくいく」という落ち着きと安心感を与えるはずです。 さあ!陰謀論を始めましょう。楽しくなるよ。約束します。
■オーガニックタイムトラベル
私はこの記事を調査し研究したので、それは単に未来を見るタイムラインのための自然なことでした。ぼやけた未来へ旅行します。そして、タイムトラベルに関する1つの詳細が明確になりました。誰かがタイムトラベルを行ったと主張するすべての名声を行く場合、はい、彼らはおそらくそうではありません。さて、それはタイムトラベルが存在しないという意味ではありません。まったく逆です!
ちょうど今日、私の曽祖父ハロルドのように、雷に打たれた紳士についての1970年代の話を聞きました。私の曽祖父はひどく火傷を負い、その後癌を発症し、最終的に彼を殺しました。しかし、私たちの話の幸運な紳士は単に姿を消しました。彼の家族が必死に彼を捜した60数時間後、彼は突然、自分の庭の茂みの下に再び現れ、記憶喪失に苦しみ、失踪したときに履いていたものとは異なるズボンを履いていました。ゆっくりと彼の記憶は戻り、彼は60時間行方不明だった間に、その歩みをたどることができましたが、ショックで治療をした医師と彼が病院で着用するように与えられたズボンは両方とも1950年代のものであることがわかりました。その大きな電気の走る衝撃は彼を20年前に戻しました。
別の話では、1950年代の女性と一緒に1950年代の車が突然薄気味悪い空気から実体化したとき、男性が田舎道をうろついていました。彼女は現れたのと同じくらい早く消える前に彼を見つめていたので、彼女は非常に混乱しているように見えました。
それはタイムシフトと呼ばれている現象だと思います。時間と空間に問題があります。外部からの干渉なしに現実の生活の中で有機的に起こるとしたら、何が原因で起こるか想像してみてください...
■テスラ・ハプニング
マイケルは、政府/軍隊があなたにいくつかの高度な技術を見せることを許可しているかどうかを常に私に話します、彼らはすでに少なくとも40年前からそれを持っています。それは私たちをテスラに繋げて行きます。すべての道はテスラに通じていますよね?いいえ、爆発する電気自動車ではありません、テスラ!素晴らしいセルビアの発明家、ニコラ・テスラ。この写真は私の家の壁の名誉ある場所に飾っています。彼は私の素晴らしい夫、マイケルが実際に尊敬している数少ない人の一人です。
テスラは最初のACモーターを発明しました、そして彼の方法を持ってすれば、私たちは皆電気エネルギーを空中から無料で手に入れられたでしょう。
テスラは1926年に携帯電話技術とテレビがどのように機能するかを説明しました。そして彼はおそらく政府が明らかにイラクで敵の戦車を爆発させたり、カリフォルニアの山にピンポイントで火をつけたりする「デスレイ」(粒子ビーム兵器;指向性エネルギー兵器[DEW])を開発しました。
少し逸脱しますが、1943年にニコラテスラが亡くなったとき、外国資産管理局が急襲し、すべてを盗みました...テスラのメモ、手紙、図面、概略図、彼の甥であるサヴァコサノビッチに合法的に渡すべきだったすべてのものが汚されました。しかし、彼らは自分たちが何を持っているかを知る知識がありませんでした。FBIは、テスラのすべての論文を調べて、武器の設計が悪意ある人の手に渡らぬように調査して報告するため技術者を必要としていました。結局のところ、これは1943年であり、第二次世界大戦が本格化していました。
ここで物事が本当に興味深いものになっていきます。彼らはテスラの論文をレビューするためにMIT電気工学の教授を選びました。彼の名前はジョン・トランプ博士でした。そうです、ドナルド・ジョン・トランプ大統領の叔父は、テスラのすべての論文が分類されて消える前に最初の(そしておそらく唯一の)人であり、彼が見たものについて甥に率直に話しました。鳥肌はまだですか? 話はまだ始まったばかりです。
■過去、現在、未来
NewsPunchのショーン・アドル -タバイタイ は、「磁場と共に高圧電力でテスラの実験をしたところ、時間と空間が変形し、本質的に別の時間軸につながる可能性のあるドアが作られ変形する可能性があることを発見した」と書いています。テスラは記者に「自分の空間と時間軸から出て行ったことを発見し、電磁電荷からの共鳴と接触した。過去、現在、未来を同時に見ることが出来た」と言いました。それは1895年のことでした。その後、1943年には有名なフィラデルフィア実験が起こり、もちろん徹底的に非難され、宇宙だけでなく時間を通じて船員を甲板に同化させ打ち込みました。
※実際の記録写真、その後真ん中の軍艦は消えました
その後、タイムトラベルを含むモントークプロジェクト(1971-1983)がありました。1960年代の海軍の技術は、歴史的な時代の視覚的なシーンを見るために使用することができ、エリア51内部告発者ボブ・ラザールが「プロジェクト・ルッキング・グラス」に言及した1989年に再び現れます。悲しいことに、彼らはホームレスの子供たちを実験に使用し、毎年50万人の子供たちが米国でどのようにして行方不明になったかを部分的に説明するかもしれない「時間のポータルを通して」彼らを送ったと言われています。
ここでQポストに戻ります。
投稿#3585には、「Project Looking Glass?過去を振り返るために前進する」と書かれています。
Qはまた、「未来は過去を証明する」というフレーズを繰り返します。つまり、基本的に、Veritas LegioのFacebookの投稿が正しければ、ブラックハットにはこの未来のルッキンググラス/タイムトラベルテクノロジーがあり、ホワイトハットにもそれがあります。それは、現在猛威を振るっている善と悪の間の戦いに新たな顔色をもたらします。
今はここでの戦いだけでなく、未来からの戦いでもあります。5次元チェスゲームはさらにいくつかの次元を追加しました!
■ルッキンググラス・ハプニング
ドナルド・トランプはProject Looking Glassについて知っていますか?もちろん、彼はそうです。彼は大統領になる前のセキュリティクリアランスとブリーフィングを受ける前からジョンおじさんにそれを聞かされ知っていたと仮定しても不思議ではありません。
■インガーソルロックウッド・ハプニング
ニューヨークの弁護士で作家のインガーソル・ロックウッド(1841-1918)は、ドナルド・トランプが大統領になったとき、愛国者が彼の本を再発見していなかったら、おそらく安らかに休み続けたでしょう。
1889年、彼は大統領の息子バロン・ウィリアム・トランプのように見えるイラストを使って、「ウィルヘルム・ハインリッヒ・セバスチャン・フォン・トルーム」(一般的に「リトル・バロン・トランプ」と呼ばれる)探検に関連するバロン・トランプの素晴らしい地下旅行を書きました。少年とイラストは同じトランプ独特の口をしています。
※地下でのDS退治?
その後1896年に、インガーソル・ロックウッドは最後の大統領「政治的な部外者が、米国大統領に選ばれ厳しい反対を克服する」方法を詳しく書きました。彼はその後、ペンス農業長官としてLafeを任命し、暴徒が5番街のホテルを攻撃している間、銀の価値が高まり、最終的には誰かが国会議事堂を爆破します。
誰かが、ニコラ・テスラとロックウッドは歩いて行ける距離に住んでいたと投稿しましたが、それを確認する方法はありません。昨年、インガーソル・ロックウッド社がどこからともなく設立され、デラウェア州に組み込まれ、1717ペンシルベニア・アベニューで(おそらく仮設)オフィススペースを借りて、本当にキックa$のウェブサイトを立てました:https://ingersoll-lockwood.com
彼らは当時、インガーソル・ロックウッドが彼の知識を会長兼CEOのスティーブン・G・サミュエルズの家族に伝えたと主張しています。ウェブサイトは時々変わります。そして、それでも完全にあなたを納得させないのであれば、ここに時間の概念「トランプ」という名前に結び付けるものがあります。私はあなたにインガーソル・トランプ懐中時計をお見せします。
■そしてもう一つ
今、私たちは100%証明のない推測の領域にいますが、私はこれらの写真を見たとき、まあ!あごが床に落ちました。まあ、それなりに楽しかったですよね!? 私たちは陰謀論に満ちていて、ウサギの穴に飛び込んで物語を伝えるために語って来ました。あなたが言わないなら、私は言いません!;)
それが何を意味するのかを言うのは難しいですが、見たとおり、それ以上のことは何もありません。いつものように、シェイクスピアはそれを最もよく要約しています。
「あなたの哲学で夢見ているよりも、天と地にはもっと多くのものがあります。
信じるか信じないかはあなた次第です...
トランプにも当然ロック・ロス茶との繋がりがありますが、私にはこのファミリー達が他の歴代DS大統領のような悪人には見えません。

メモ・独り言のblog
http://takahata521.livedoor.blog/archives/9141101.html















トランプ男爵の素晴らしい地下旅行
Wednesday August 9th ,1215 mountain time
Just plain bizarre! - 124 year old books with VERY weird parallels to 2016-17
youtube.com
https://www.youtube.com/watch?v=F-bT8IPZ3Tg
https://www.youtube.com/watch?v=6_m1mFupmgM
Ingersoll lockwoodの2冊の本を紹介する。
1冊目のタイトルは「トランプ男爵の素晴らしい地下旅行(Baron Trump's Marvelous underground Journey)」。
著作年は124年前。
もう1冊は同じくIngersoll lockwoodの著作「最後の大統領(The Last President)」
著作年はほぼ同時期の124年前。
同じ著者による1800年代後半の作品。
だいたい1890年だろう。
どちらも米国議会図書館に納められている。
今,その本は私の手元にある。
■トランプ男爵の素晴らしい地下旅行
まず「トランプ男爵の素晴らしい地下旅行(Baron Trump's Marvelous underground Journey)」。
266ページの作品。
作者はIngersoll lockwood。
内容はといえば。。非常に奇妙な印象だ。
タイトルの偶然の一致というレベルではなく,トランプ・ファミリーと重なる点が奇妙に多い。
陰謀理論家に言わせれば,タイムトラベルしたトランプ・ファミリーが書かせた小説だという話にもなりかねないが。。
今の社会の非常に近いイメージ・パラノーマルな印象。
挿絵の下にある注釈はこう書かれている。
「トランプ・ファミリーのモットー:本の一つ,それは栄光への路,落し穴と危険がいっぱいの栄光への路。。]
ざっと読んで見つけたポイントのいくつかを紹介しよう。
改めて言うが,この作品が書かれたのは124年前だ。
あるところに「トランプ男爵(Baron Trump)」という名前の少年がいた。
少年の父親は現役の大統領。
裕福な貴族階級の少年・トランプ男爵はトランプ城(castle trump)から街にでて冒険をする。
「トランプ男爵は街にでた。全てが銀でできた街。
銀。銀。。トランプ男爵少年の目に映るものは全てが銀でできていた」。
[87頁]
少年「トランプ男爵(Baron Trump)」には「ドン(Don,the Master of all Masters by the name of Don)」という名前の先生/マスターがいた。。
ドン(Don)先生はトランプ少年に地図をわたしてある場所に行くための道を教える。
ある場所に行くための道の記述は7頁にもあるが,その場所は異次元世界/内部地球の入り口がある「北ロシア(Northern Russia)」。
だいたいの場所はロシア北部のウラル地方。
少年・トランプ男爵は,ドン先生に案内されロシアに旅にでる。
さらに同じ87頁にある記述は現代の世界を描いているように思えた。非常に奇妙な感じだ。
「ベッドのそばに細長い水晶の柱が立っていた。柱はゴーグル・ランド(Goggle Land)の終わりが記録されていた」。
「ゴーグル・ランド(Goggle Land)」の説明はこの章に数か所ある。
「ゴーグル・ランド(Goggle Land)」。
その響きから「Google」を連想する。
[98頁]
「大理石製のハイウェー(Marble Highway)」は現代世界の舗装のゆきとどいた道路の表現だろうか?
[100頁]
「ロンサム(long thumbs)」という男の想い出のシーン。
[105頁]
ドン先生に案内されてトランプ男爵少年はロシアに向かった。
トランプ男爵少年は贅沢な,しかし時代遅れの服と宝石をまとい,トランプ城からはるか遠くに来た。
トランプ男爵少年はの目指すのはロシア。異次元世界/内部地球の入り口だ。
■最後の大統領
「最後の大統領(The Last President)」もIngersoll lockwoodの同時期/1800年代後半の作品。
60ページの比較的短い作品。
この本で語られているのは崩壊寸前にある米国経済。
こちらの本も,現代とのリンクが半端ではない。
信じられないほどのパラノーマル感覚を味わえる。
ニューヨークの五番街に住んでいた裕福な男。
男は大統領選挙に立候補する。
完全な負け犬同然の状態ではあったが,大方の予想を覆して大統領選挙に勝って大統領になる。
(トランプ大統領の自宅・トランプタワーはニューヨークの五番街にある)
予想を覆して大統領になったこの男は,自分自身の通貨をつくる。
自分自身の通貨をつくったこの男は当時を回想する。
それがこの本の大筋。
崩壊寸前にある経済世界の中で,男は自分自身の通貨をつくる。
しかしこの新通貨がうまく機能しない。
[7頁]
「シカゴでは暴動が起きていた。男は大統領選に勝った時,シカゴについて語った。
[16頁]
前作品と同様,この章では奇妙な現代とのリンクがある。
選挙当時,勝利すると予想した人はほとんどいなかった。予想を覆して大統領になったこの男は就任後に組閣を行う。
国務長官:William Stewart(Secretary of State William Stewart)
農務長官:Lafha Pence(Secretary of agriculture Lafha Pence)
海軍秘書:John Garey(secretary of Navy John Garey )
(いずれも現役職についている人と同名!)
[18頁]
就任後間もなく,大統領は大統領令(executive orders)に署名する。
くりかえすが,どちらの作品も124年前に書かれたものだ。
その作品がこれだけ未来の現実にリンクしている奇妙さは驚愕に値する。

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「ジョン・タイター=トランプ大統領」説
2018/3/1
オーパーツ, 予言, 呪術・魔法ジョン・タイター, トランプ大統領
先日、アトラスでは1998年から2001年にかけて現代にやってきていた未来人ジョン・タイターが、2016年頃から再び活動を再開している事について報告した。
そんなジョン・タイターに衝撃の説が出てきている。その名も、
「ジョン・タイター=トランプ大統領」
である!
彼は自身が2036年の未来からタイムマシンでやって来たと主張していた。
1998年生まれの30台男性で、米軍に所属しており任務のために現代にやってきたとのこと。
そして、彼のいる2036年は第三次世界大戦で荒廃してしまっており、未来を変えるために訪れたとも述べている。
未来から来た証拠として、彼はいくつかの予言を残しているが、これは的中したものも外れたものも両方存在している。
外れた予言の中には
「アメリカが内戦状態になり多数の死者が出る」
などの予言もあるため、もしかしたら、彼が未来を変えることに成功した証左なのかもしれない。
一方でこれは現在のアメリカのトランプ大統領支持派と反支持派の対立を指し、北朝鮮に対する強硬姿勢を強めていることとも関係があると解釈する人もいる。
そこから転じて、ジョン・タイターの正体に関して衝撃的な噂が出てきているのである。
それが前述した「ジョン・タイター=トランプ大統領」説である。
イギリスのデイリー・スター紙等で紹介された説で、1943年に行われた
「戦艦をレーダーから感知できなくさせる」
ための実験「フィラデルフィア実験」の調査をトランプ大統領の叔父でありアメリカ国家科学賞を受賞した経歴もあるジョン・ジョージ・トランプ氏が行っていた事に端を発する。
フィラデルフィア実験の結果を検証した結果、彼らはタイムマシンの開発に成功。未来の惨状を目の当たりにしていたのではないか、というのだ。
トランプ大統領は「核兵器の恐ろしさを叔父から聞いた」と述べており、また幾つかの偽名も使い分けている。
その偽名の一つにジョン・タイターという名前があったともされているのだ。
様々な未来人の書き込みの中で、2016年のアメリカ大統領選挙に触れたものもある。
「未来を変えたい」と言っていた未来人の予言では、いずれも大統領に選ばれていたのはヒラリー・クリントン氏であり、トランプ大統領ではなかった。
未来を予め知ったトランプ大統領が、不幸な未来を変えるために出馬し、大統領の地位をもぎ取ったのだろうか?
しかし、世界情勢は未だに緊張したものとなっている。
第三次世界大戦への道をひた走っているのか、我々の目で確かめるしかないのかもしれない。
(加藤史規 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

ミステリーニュースステーションATLAS
https://mnsatlas.com/?p=32476




Top ten scary time travel urban legends

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アヘン貿易


アヘン貿易
戦前,日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)
2020年11月10日 (火) 12:52
カテゴリ : 未分類
「日本凄い病」の患者たちよ,太平洋戦争のすさまじい戦費は,どこから降ってきたのか?
戦艦ヤマト,零戦,膨大な兵器は,どうやって購入したのか?
戦前の日本は貧しかった。日本には,繊維産業以外,これといった金づるなど,どこにもなかった。それなのに,あの莫大な兵器をどうやって調達できたのか?天照大神や神武天皇が,空から金塊を撒いたのか?
違う……日本の資金の大半は,モルヒネやヘロインを東アジアで売りさばいて作られたのだ。
第二次世界大戦前の日本には麻薬の儲け以外にまともな収入がなかった。 (生糸の輸出はほとんど微々たるもので,大量の出費 (戦艦や戦闘機などの製造,鉄道,地下鉄,路面電車の建設) のごく一部でも賄うことができなかった。)
戦前の日本には製糸産業以外の産業がなかった。
第二次世界大戦前の日本では,大量の麻薬の儲けがある (東京裁判) 一方で, 財源が不明な大量の出費 (軍事,鉄道建設,地下鉄建設,路面鉄道等の建設) があった。
明治時代になってから,明治政府は矢継ぎ早に外国から色々なものを輸入しており, これに麻薬の儲けが大量に使用されたことは疑う余地がない。
それ以前はどうか ? 例えば明治維新の戦費はどうしたのだろう ?
これも随分輸入を必要としたはずだが,国内には貿易の決済に使える銀 (外貨) がほとんど残っていなかった。
銀を手に入れるための麻薬貿易は幕末から開始している必要がある。
アヘン戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89#:~:text=%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%86,%E5%88%A9%E7%9B%8A%E3%82%92%E5%BE%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82
1840年(江戸時代,天保11年),イギリスはインドで製造したアヘンを大量に清国に輸出していたが,清国政府がそれを禁止したため,イギリスが武力侵攻し,勝利を収めた。これが清国の崩壊につながった。
帝国主義諸国は,これを見て,アヘン輸出が倫理的問題である以上に,ボロ儲けのネタであることを知った。
とりわけ,明治維新のなかで,新政府側の官僚たちは,巨大な富を生むアヘン貿易に目をつけた。
その代表的人物が,後藤新平である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html
後藤新平は,明治新政府が台湾に侵攻するとともに,民衆に根付いていたアヘン吸引を表向き禁止したが,いきなり禁止すると反抗が起きるという理由で,暫時,禁止を進めるという政策を行った。
「阿片漸禁」による「専売」で「百六十万円の収入増」立案
阿片の吸飲は日本国内では厳禁だった。中国本土でも禁止運動が広がっていた。それを知りながら,後藤は,台湾では阿片を禁止せずに「漸禁」の専売政策を実施し,「医療用」に専売したのである。
「漸禁」の名による阿片許可の政策は,財政目的だけではなくて,現地人を阿片漬けにし,反抗を押さえる目的をも合わせ持っていた。イギリスと中国の阿片戦争の例を引くまでもなく,阿片は歴史的に,植民地支配の根幹としての役割を果たしてきたのである。
後藤の提唱したアヘン専売制によって,植民地現地から利益を吸い上げるというやり方は,当時の国際条約では禁止されていたので,明治政府は秘密裏に,子会社を作らせて民間委託するという方法で,台湾・満州・朝鮮で大規模に事業を進めた。その規模は,世界のアヘン生産流通量の9割にも及んだ。
**********************************************************************
アヘン帝国 --- 汚れた歴史
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm
「アヘン」というと,一般的には「アヘン戦争」の「英国」を思い浮かべる人が多いと思います。 しかし「アヘン帝国」と呼ばれる国があるとすれば,これは戦前の日本です。
一時期,日本のアヘンの生産量はほぼ世界のアヘン生産量に匹敵しました (1937 年には全世界の 90%)。 例えば,次の本で「アヘン帝国」の呼称を使用しています。(これは本の紹介ページです, 本の題目も訳してみました。1997 年に出版されたかなり有名な本のようです。)
Opium Empire: Japanese Imperialism and Drug Trafficking in Asia, 1895-1945
(アヘン帝国:アジアにおける日本の帝国主義と麻薬の取引,1895-1945)
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以下抄訳(原文が長すぎるので,一部だけ紹介した)
先進国 (G8) はすべて,中国への「アヘン」輸出に手を染めています。 従って「中国」を食い物にした点では先進国はすべて有罪です。
しかし 1913 年に英国はインドのアヘンを中国に出荷することを停止します。 一方 1911 年頃から,欧米 (特に英国と米国) は「モルヒネ」を東洋に輸出しますが,取引相手は日本でした。
「モルヒネ」は神戸を経由してそのまま「中国」に再輸出されました。 「モルヒネ」を直接「中国」に輸出することが国際条約で禁止されていたためのようです。 (モルヒネを製造していた英国の企業は日本が国際条約に違反していることを知っていたはずです。) もうこの頃になると,中国への「麻薬」の輸出はほとんどすべて日本の手によっていました。
あとはますますひどくなるだけのようです。「アヘン戦争」によって「アヘン」が 中国になだれ込みますが,それよりもずっとひどいことが日本によって引き起こされた。 にもかかわらず日本ではほとんど語られていません。
中心にある諸悪の根源は,「アヘンの専売制」です。 最初はこれは日本独自のものかと考えていたのですが, これはヨーロッパ各国が植民地でしていたことの真似のようです。
中国国内には例えば香港などでアヘンの専売制がありました。 恐らく英国が真っ先にしたことと思われ,日本国内におけるアヘンの専売制も 基本的には英国の真似であったことになります。
しかし,その規模では日本は他を圧倒的に凌駕しました。 日本は最終的には「満州帝国」でアヘンを生産し,関東軍の占領下におけるアヘン (あるいは広く麻薬 -- モルヒネ,ヘロインを含む) の流通を一手に独占します。
(ブログ主註=これには二反長音蔵という,芥子栽培,ヘロイン抽出技術の天才の存在があり,これに里見甫『上海アヘン王』が関与して,世界最大級の日本軍アヘンが成立する)
しかもアヘンの消費量を増やすために,アヘン中毒を大量に作ります。 中国侵略はむしろアヘンを売りさばくための戦争であったと考えたほうがよい。
Asian Holocaust : WMD Opium, Sex Slaves, Nanjing Massacre Pillage, Slavery, WMD Unit 731, 100, 516
このページでは,日本が中国でしたことを「国家によるテロ」(state-terrorism) と呼び, 米国は共産圏との対決の理由から「国家によるテロ」を隠蔽したのではないかと 言っています。
日本は中国の人を手当たり次第に麻薬中毒にして 搾り取るようなことをしています。これは地域住民に対する無差別攻撃です。 地域住民に対する無差別攻撃は通常「テロ」と呼ばれますから,確かにこれは「国家によるテロ」です。
日本を経由した麻薬
カルカッタのアヘン売り場で日本はインドのアヘンの重要な購入者の一つになった。...... 
インド政府によって売られたアヘンは日本政府の許可の下に神戸に船で送られ,神戸で青島 (チンタオ) 向けの船に積み替えられる。この貿易ではとても多くの儲けがあり,日本の代表的な企業のいくつかが 興味を示している。
訳注: 1913 年には英国は中国政府の要請の下に,インドのアヘンを中国に持ち込まなくなりました。 しかし,カルカッタではアヘンは販売され続けたのです。カルカッタにおけるアヘンの販売はオークションですから, 直接的に中国にアヘンを持ち込まずに, しかもアヘンで儲けるための極めて巧妙な方法を英国が取り入れたことになります。 無論,最終的にアヘンを中国に持ち込んだ日本も悪い奴です。
(中国における) 海関 (Maritime Customs) の日本人弁務官が事務所を持っている港では すべて,密貿易のセンターが設立され,アヘンやその派生製品がまったく堂々と密輸され, 日本が年間に持ち込むモルヒネは (これは国際条約によって禁止されてはいるが) 20トン程度であろうと 言われている。この量は一つの国を中毒にするに足るものである。
アヘン中毒 (opium habit) を撲滅しようとしたが,その結果モルヒネが流通することとなった。 北中国 -- とりわけ満州 -- におけるモルヒネ中毒はすでに広範囲になっている。
 中国政府はこの災いに警戒態勢を取っている。しかし抑圧する試みは麻薬業者 -- 主に日本人 -- の行動によって妨害されている。麻薬業者は中国政府,日本政府の規制をかいくぐっている ... 中国はモルヒネ漬けになっている。--- 中略 --- 営口では, 2000 人ものモルヒネ中毒が 1914 - 1915 に死亡した。モルヒネの場合にはアヘンよりもはるかに急速に中毒が進行する。
.... モルヒネはまだ東洋では,まとまった量では生産されていないし,モルヒネの摂取に必要な 皮下注射器の製造をすることが出来ない。 大量に生産されているのは,英国,ドイツ,オーストリアである... この取引には エジンバラの 2 つの企業とロンドンの企業が従事しており,貿易は日本の業者が実行している。 商業取引所の報告書によれば英国から東洋へのモルヒネの輸出はこの数年の間に極端に増大している。
1911 5.5 トン
1912 7.5 トン
1913 11.25 トン
1914 14 トン
アヘンの闇クロカル超人の面白半分日記
 星製薬は「ドイツの塩酸モルヒネ製造装置」を入手して,台湾にモルヒネ工場を作ったことと, 1917 年 (大正 6 年) に星製薬以外がモルヒネの製造に加わった。 次の項目「アヘン帝国の興隆 - 台湾」で詳しい議論をしますが,1919 年には日本のモルヒネが中国に怒涛のように 乱入しており,第二次大戦の終了まで続く「アヘン帝国日本」が牙をむいているのです。 その元凶を作ったのが星一のようです。この人は極悪人です。
1917 年に星製薬以外にモルヒネの製造に加わったのは 現在の大日本製薬・三共・武田薬品工業のようですから, 星一のみが悪い奴というわけでもないようです。
「第一次世界大戦でドイツからモルヒネの供給が途絶えたとき」に台湾でモルヒネの 大量生産に成功したとしています。 第一次世界大戦は 1914-1918 年ですが,1917 年に至るまでの数年間,モルヒネ製造は星製薬の独占 のようですから,第一次世界大戦に入った直後の 1914 年から 1915 年頃にモルヒネの 大量生産に成功しているのでしょう。
1879 アヘン専売法
1894 - 1895 日清戦争
1895 台湾が日本の支配下
1904 - 1905 日露戦争
1906 南満州鉄道 (満鉄), 日本の会社
1910 日韓併合(朝鮮半島が日本の支配下)
1911 辛亥革命
1914 - 1918 第一次世界大戦
1914 日本はドイツの租借地の青島を占領
1918 - 1922 外満州,内満州支配 (シベリア出兵)
1919 ベルサイユ条約
1922 青島を中国に返還
満州国 (あるいは満州帝国) は 1932 年にならないとできませんが,第二次アヘン戦争 (1858 年) の結果, 外満州 (現在のロシア極東) がロシアのものとなり, 19 世紀の終わりには,満州 (正確には内満州) はロシアの影響下にありました。
しかし,日露戦争の結果,日本はロシアに取って代わり,満州を影響下に置くことになりました。 具体的には南満州鉄道が日本のものになりました。
あとあと見るように 1911年に英国は中国と「インドのアヘンを中国に持ち込むことを禁止する条約」を結びます。 これで,中国は麻薬の空白地帯となりますが,同じ頃起きた 辛亥革命の結果,中国は内乱状態になります。
絶好の機会とばかりに, 日本が 1911 年から 1914 年に英国から神戸を経由して中国にモルヒネが持ち込んだのでしょう。 日本語の Wikipedia (南満州鉄道) によると,満鉄設立時の路線は下の図のようです。 南満州鉄道には
南満州鉄道附属地 - Wikipedia
があり,ここは外の法律が適用されない植民地のようなものであったようです。 警察もありましたが,これは日本の植民地であった関東州の警察です ( 関東州の警察 -Wikipedia )。 従って麻薬の密輸にはとても都合よくできていたのです。 関東州は日本の植民地でしたから,日本政府の許可さえあれば,大連に麻薬を持ち込み, それを更に南満州鉄道で搬入することなど造作もなくできたことでしょう。 南満州鉄道は「麻薬鉄道」と呼んでもよいかもしれません。
日本政府の公式な統計によると 1900 年には台湾に 169000 人の アヘン中毒がいた。
当初は,アヘンを吸うことは台湾では非公式に認められ,日本が軍事拡大のために多額の予算が必要となったときアヘン政策が変化した。
日本は台湾人がもっと多くのアヘンを吸うように奨励しようとした。
上の最後の三行はは恐らく日本語の Wikipedia では真っ向から否定することだと思われます。 そこで論理から話を進めることにしましょう。戦前の日本にはおよそ産業らしい産業がありませんでした。 日清戦争,日露戦争いずれの場合にも,英国から戦争のために艦船を購入しています。
この費用はどこから捻出したのでしょうか ? 民生段階の産業が発展してない限り,軍事予算に手が回らないはずです。 例えば,現在の北朝鮮には産業らしい産業がありません。 輸出できるとしたら,食糧です。しかし,食料を大量に輸出すれば 自国民が飢えます。それ以外には「麻薬の輸出」しかないと思われます。 北朝鮮には偽札の印刷もありますが,これは除外しましょう。
しつこく繰り返しますが,まだ日本では産業革命に至っていなかったというべきです。 産業に関してははるかに先進国である「英国」でもアヘン戦争後,アヘンの利益は 産業革命にまわりました。どうやって「産業革命」を遂行しながら 「巨大な軍事予算」を工面することができたでしょうか ?
産業革命にも「巨大な資金」が必要となります。1904 年に八幡製鉄所がようやく完成した ばかりで,まだ国内で機械を作ることができず,機械類はほぼ全部輸入品であったはずです。 民生用の機械も輸入品で軍事用の船舶も輸入品なのです。どのようにして 資金を工面したのでしょうか。アヘンに手を出したと考えるのが最も自然です。 しかも積極的に国策としてアヘンの輸出に手を出したというべきです。
「日本政府は秘密裏に中国および極東の他の国におけるモルヒネの流通を育成している」
と告発して,更に次のように続けている
「日本はモルヒネ及びその製造と摂取に必要な器具を中国に輸入することに関しての禁止条約の 加盟国であるにもかかわらず」麻薬の流通は日本銀行の資金援助および中国における 日本の郵便の援助を受けていると断言している。
もはやモルヒネはヨーロッパでは購入することができない(訳注: モルヒネの売買が規制されたことを意味する)
とレポーターは書いている。製造の中心地は日本になり,モルヒネは日本人自身によって製造されている。 毎年,文字通り何千万円もの資金が日本のモルヒネの代金として, 中国から日本に送金されている .....
(訳注: 金額は当時のものですから,今日では非常に大きな金額です)
と記述し,更に次のように述べています。
南中国では,モルヒネは中国人の行商人によって売られている。 彼らは台湾人であることを証明するパスポートを保持し,従って日本政府の保護下にある。
中国における日本の薬屋 (ドラグストアー) はすべて大量のモルヒネの在庫を かかえている。日本の薬の行商人は巨額の利益を生むモルヒネに目がいっている。
日本人が優勢な場所ではどこでも,(モルヒネの) 商売が繁盛している。
大連経由ではモルヒネが満州と隣接する省に流通し,青島経由ではモルヒネが山東省,安徽省,江蘇省に 流通し,台湾からはモルヒネはアヘンとそれ以外の禁制品と共に,エンジンつきの漁船で 中国本土のどこかに運ばれ,そこから福建省と広東省の北部の至る所に配布されている。 ありとあらゆる場所で,治外法権の保護の下,日本人によって売りさばかれている。(訳注: この場合の日本人は台湾人を含む)
ここに登場する台湾人は,台湾の暴力団だと思われます。アヘンは日本国内においては (当時の台湾を含む),アヘンは政府の専売ですから,この台湾の暴力団は日本政府の 方針で動いていることになります。また 1919 年頃,台湾系の暴力団が日本のパスポートを保持して,中国本土で活発に活動していたことを意味します。
現在では外交官用の パスポートを所持していない限り治外法権ではありませんが,当時はどうだったのでしょうか ? 暴力団が外交官用のパスポートを持っていたことも考えられますし, 日清戦争の結果日本のパスポートを所持していれば,中国で治外法権だったかもしれません。
日本の郵便局と麻薬
中国におけるモルヒネの主だった配布機関は日本の郵便局である。 モルヒネは小包として輸入される。 中国における日本の郵便局の小包は,中国の税関の検査を受けることが許可されていない。
中国の税関が許可されていることは,日本の送り状に記載されている小包の中身と称するものを知ることのみである。 にもかかわらず,モルヒネはこの方法で,何トンも中国に持ち込まれた。 消極的に見積もっても,1 年を通じて日本が中国に持ち込むモルヒネの量は 18 トン程度にのぼり, この量が着実に増加していることに関しての痕跡がある。
1898 年の台湾の民生長官であった後藤新平は 台湾人のアヘン使用に関しての方針を決め, 一方で中毒していないものが中毒しないようにし, 他方ですでに中毒になっている者に関しては政府の管理下で引き続き使用を 認めるものであった。
中毒している者は登録する必要があった。 しかしジェニングス (Jennings,本の著者) が説明するように, 1920 年代の後半には,アヘン中毒で登録していない者は登録している者と 同じくらいの数になった。台湾人の中にはアヘン使用を恥辱と感じる者はいなかった。 その結果,よく儲かる専売制となり,製薬局 (Medicine Manufacturing Bureau) -- 後の専売局 -- に協力をする御用紳士は国際市場から生アヘンを輸入し, 吸引用のペーストにして配布した。
一時期アヘンの売り上げは台湾政府(日本総督府)の 年収の 20 % 以上を占めるに至った。アヘンの売り上げは 1918 年にピークに達し, 800 万円以上であった。ジェニングズは 1897 年から 1941 年の 台湾政府の収入と,麻薬の収入を表にしている。
二反長音蔵 - Wikipedia
これによると,「二反長」の読みは「にたんちょう」で,二反長音蔵の子である二反長半次郎 (にたんちょう はんじろう) は小説家・児童文学作家でペンネームを「二反長 (にたんおさ) 半 (なかば)」というそうです。 二反長半の作品
『戦争と日本阿片史 阿片王二反長音蔵の生涯』 - 父・音蔵の生涯と彼が関わった戦前期のアヘン製造の記録。
から「二反長音蔵」のことがわかるようです。 「二反長音蔵」はケシの栽培とアヘン販売に携わったようで,英文の本の紹介ページでは「アヘン王」として 扱われています。しかも, 二反長音蔵 - Wikipedia には,「星一」,「後藤新平」がその協力者であると書かれています。 要するに,この 3 人は「麻薬王」なのです。「二反長音蔵」は満州,内モンゴルで 活発に行動したそうです。
後藤新平 - Wikipedia の記述が更に不正確であることも別の記述から見付けることになりました。 1898 年 (明治 31 年) に後藤新平は「台湾総督府民生長官」となっていますが,
後藤新平の阿片商売
によると,その 2 年前の 1896 年に「台湾総督府衛生顧問」になっているようです (但し,このページでは ミスタイプをしていて 1986 年になっている)。しかも,そうなった理由は,そのさらに前年の一九八五年,内務省衛生局時代に,内務大臣と首相兼台湾事務局総裁という立場の伊藤博文に対して, 大変な長文の「台湾島阿片制度施行に関する意見書」を提出していたからであった。
また,二反長音蔵もケシ栽培を管轄する内務省衛生局長・後藤新平に建白書を提出します。 台湾を専売制にするには,アヘンを輸入しなければなりません。 インド・イラン・トルコなどから台湾に輸入されるアヘンは 明治31年では149t・171万円になりました。 音蔵はこのアヘンを日本国内で自給すれば,貴重な外貨の流出を防げると建白し, そのケシ栽培を自分たちにやらせてくれと願い出て,認可されました。
つまりアヘンの専売制は,台湾でのケシ栽培禁止とセットになっていたので, 音蔵はそこに目をつけたのです。 こうして,音蔵たちの作ったアヘンは,台湾総督府に納められ, それを使って星一はモルヒネを製造し,音蔵・新平・一は旧知の間柄になっていきました。
要するに後藤新平はもともと「ケシ栽培を管轄する内務省衛生局長」であったのですが 「アヘンで儲けること」を提唱して「台湾府衛生顧問」となり「台湾総督府民生長官」と昇進したのです。 更に,後藤新平の阿片商売 では「アヘン漸禁策」は後藤新平の創意ではなく,考え方としては台湾総督府の前任者の時代からあったとしています。
もう一点, 後藤新平 - Wikipedia の記述から,満鉄総裁になってから
台湾時代の人材を多く起用するとともに30代,40代の若手の優秀な人材を招聘し, 満鉄のインフラ整備,衛生施設の拡充,大連などの都市の建設に当たった。
としています。「インフラ整備」ではほとんど確実にアヘンの儲けを使っているはずです。
こう考えると,後藤新平は「台湾総督府民生長官」であったときに,(英国の真似をして) アヘンの儲けで「台湾」 のインフラ整備を実行し,更に「満鉄総裁」となってからもアヘンの儲けで「満鉄」の インフラ整備をしたことになります。このようなことを積極的に推し進める考えを持っていたからこそ,「台湾総督府民生長官」にもなり「満鉄総裁」にもなったのではないでしょうか ?
後藤新平は 1919 年 (大正 8 年) に拓殖大学の学長になっていますが, 拓殖大学の前身は台湾協会学校ですから,これの設立にもほぼ確実に麻薬の儲けが使われている ことになります (植民地におけるインフラ整備は麻薬の儲けに依存している)。
「アヘン作戦」
必要とあれば,無料でアヘンを敵地にばらまきます。 (アヘン煙草とでも言ってよいと思うのですが, 箱に入っており,簡単に手渡しができたようです。)これでアヘン中毒を蔓延させます。
ころあいを見計らい,戦争をふっかけます。敵の兵士がアヘン中毒ばかりであれば, これで簡単に勝利できます。(これが関東軍の戦争の仕方でした。)
占領した地域で,更に大量にアヘン中毒を作ります。
これでいくらでもアヘンが売れることになり,戦費が確保できることになります。
これって,戦争ですかね ? 暴力団の手口と似ていると思いませんか ?
朝鮮では,アヘンが 1914 年に禁止されるまでに, モルヒネが麻薬中毒の選択肢として取って代わっていた。 そして 1929 年までは,支配国である日本はモルヒネを抑制する法律を 制定しようとはしなかった。
第一次大戦の終わる頃には, 日本の専売制の下における麻薬の生産は多量の余剰を作り上げていた。 これは,満州における日本の占領地 と北部中国を経由して,中国で成功裏に売りさばかれた。 日本が「中国」の至る所に麻薬を密輸することを止めさせようとしなかったため, 国際連盟でごうごうと非難を受けた。ジェニングスはいかにして 日本が,よく儲かる政府の専売によって,中国における麻薬の使用を 奨励したのかを説明している。彼は,中国における占領地から, 世界的な規模での麻薬の売買を遂行することが日本の計画であったと断言をしている。
ジェニングスの語るところでは,ラッセル・パシャ (Russell Pasha) は 1937 年の国際連盟の「アヘンに関しての諮問委員会」の議場で 「世界中の非合法の麻薬のほぼすべては日本に責任がある」と断言をしている。
注意
1912 年のハーグにおける 万国阿片条約 - Wikipedia の結果,見かけ上は麻薬撲滅に協力しなければいけないため,1914 年にアヘンが禁止されたのでしょう。 しかし,代わりにモルヒネとなっていますから,これは単に見せかけ以外の何物でもありません。
第一次大戦は 1914 年に開始して 1918 年に終了しています。第一次大戦の終わるころ 朝鮮で麻薬の余剰ができたと書いていますが, 1914 年にアヘンが朝鮮で禁止されていたと書いてありますから, この「余剰の麻薬」はモルヒネのはずです。 従って,第一次大戦が終了する頃には, すでにモルヒネ工場が朝鮮にあったことを意味しています。
ところが,日本におけるモルヒネの大量生産は第一次大戦開始後のことで,当初は星製薬の 独占でした (台湾)。これ以外の製薬会社がモルヒネの大量生産を開始するのは 1917 年です。
 おそらく,このときに朝鮮にモルヒネ工場ができたと思われます。 そうすると 1917 年までモルヒネをどのようにして手に入れていたのでしょうか ? 「日本を経由した麻薬」で紹介をした欧米のモルヒネの 一部が朝鮮に持ち込まれたのに相違ありません。
これは,第一次世界大戦で日本がドイツの植民地である青島などを占領したあとで, 中華民国の袁世凱政権に要求したもので,最大の要求は「ドイツが山東省に持っていた権益を日本が継承すること」 ですが,それ以外にも「日本人が南満州で自由に往来できて,各種の商工業などに自由に従事すること」があります。
 この日本人には朝鮮人が入ることに注意してください。従って朝鮮におけるヤクの売人が自由に行き来でき, また麻薬を自由に売りさばけることになり, 麻薬の密輸に極めて好都合であったことになります。 (日本はヤクの売人には日本人を使ってはいません。日本人が麻薬中毒になることを恐れたためです。)
「アヘン帝国の興隆 - 台湾」で述べたように 1919 年には日本のモルヒネが青島と大連経由で中国に なだれ込んでいますが,これは「対華21ヶ条要求」を中国が受け入れた結果ではないかと思います。 つまり,「対華21ヶ条要求」は軍事的な要求に見えますが,実は麻薬を中国に持ち込むことを 前提にした要求であったとも考えることができます。
少し疑問になることがあります。それは日韓併合が 1910 年である点です。 併合後わずか 7 年でモルヒネの製造を開始し,それを輸出に回している。 あまりにも事態の進展が急であるように思われます。 しかし,この疑問点は次の記事ではっきりしました。
Country Guide : KOREA (washingtonpost.com)
朝鮮の歴史について書かれている箇所を部分的に翻訳します。
日本の支配は日清戦争 (1894 - 95) と日露戦争 (1904 - 5) のあとで強化した。 日露戦争の時には日本の軍隊は満州を攻撃するために朝鮮を通った。 この軍隊は決して撤退することがなかった。そして 1905 年に日本は 朝鮮を保護国とすることを宣言し,そして 1910 年に正式に朝鮮を併合した。
つまり,日露戦争が始まってから,日本軍はずっと朝鮮に居座っていたのです。 日本は戦争をするたびに麻薬を持ち込んでいますから,1904 年以後,朝鮮は ずっと麻薬漬けであったと思われます。恐らく当初はアヘンで,そのうち 欧米のモルヒネとなり,終にはモルヒネを朝鮮で生産することになったのでしょう。
満州ではモルヒネどころかヘロインも登場します。これは,アヘンでは 中毒になるのに時間がかかるためなのです。多分同じ理由から,朝鮮でもアヘンよりは 効き目の速いモルヒネを使用したのでしょう。
最初は,中国に侵入したモルヒネは,欧米のもので,これは日本を経由していた。 日本政府は国内ではモルヒネ使用を厳しく制限していたが, 日本人たちは中国でモルヒネを販売するようになり,後には中国で生産するようになった。 1920 年までに,日本経由で一年間で中国に持ち込まれるモルヒネの量は,ある評価によれば, 中国人一人当たり 4 服分に足るものであるとされている。
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引用以上
全体では,優に百科事典なみの分量のある論文なので,ごく一部を紹介しただけだが,日本軍,麻薬販売組織の核心的人物である,里見甫,二反長音蔵,岸信介は,ごくわずかに紹介されただけで物足りない。
それに一番肝心な昭和通商の記述がない。それでも,戦前の日本政府が行っていた極悪麻薬政策を隅から隅まで暴こうとした労作中の労作であり,著者に心から敬意を表したい。
私が,これまで調べたことは網羅されているが,昭和通商に伴う文献は,実は,岸・安倍家・小泉純也や文鮮明,北朝鮮に関係しているので,表だって記述できない部分があったのかもしれない。
すでに何回も書いているが,実は,中国共産党や北朝鮮政府は,日本敗戦後,二反長らが作った巨大なケシ畑とヘロイン製造施設を,そのまま継承して,現在も外貨稼ぎの手段として温存している。
https://jp.yna.co.kr/view/MYH20081210001600882
この麻薬問題は,現在もなお,中国共産党・北朝鮮の闇を形作っている。
また,北朝鮮は,日本軍が湯川秀樹らに命じて開発させたウラン濃縮施設も,その人員と技術を継承しているともいわれる。
上に紹介したのは,どれも戦前の昔話だと思わないでいただきたい。
      
東海アマブログ
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良栄丸


名も無き哲学者: ミイラ船「良栄丸」~大西洋で1年漂流した地獄の惨状
2020年08月12日07:30
【都市伝説】地獄の惨状ミイラ船良栄丸
1927年10月31日、 カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、
行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。
ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。
a.. 重量は19tで1本マスト
b.. 船主は和歌山県の藤井三四郎
c.. 船長は三鬼時蔵
d.. 機関長は細井伝次郎
e.. 乗組員は12名
f.. 神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
g.. 約1年間漂流していた
ここで疑問が浮かぶ。
発見された死体は9体、記録には12名とある。
3名はどうなったのだろうか。
1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、
応答も無く通り過ぎてしまったという。
三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。
12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。
記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。
反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む・・・・。しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、
コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」
ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。
「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」
「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、《ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい》とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。
井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、《おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・・。》などと狂気を発して、
左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。
いよいよ地獄の底も近い」
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。
その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」
「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」 
「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。
同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。
ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。
山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。
あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。
白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・・」
日記はここで切れている
三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。
「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。
もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・・。私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。
カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。
いつまで書いてもおなじこと・・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・・帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・・」
しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。 
しかし、アメリカの貨物船「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。
「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
しかし、良栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、馬鹿らしくなって引き上げたのです」
だが良栄丸の記録にこのことは書かれていない。
一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。
真相は誰にも分からない。
良栄丸の遭難と漂流に関しては、1965年以降(昭和40年代以降)の児童向ミステリー事件の紹介本[要出典]、それらが情報源となっていると推察されるweb上の情報を中心に、事実無根の話が散見される。
その内容は「乗組員が半狂乱になって悶死した」「狂ったようになって仲間の死体を切り刻んだ」などで、web上に出回っている文章はほぼ同一である。児童書に慣れ親しんだ広い世代を通して、またひかりごけ事件と混同した誤解が長期にわたり語り継がれることになったと推測される[誰によって?]。乗組員が残した日記にはそのような内容は一切なく、ほぼ流言飛語のようなものである。[独自研究?]そのような事実無根のデマが流れた要因として、事件そのものは不幸な漂流の遭難で人目を引く事件とは言えず、正確に再度紹介される機会は少なかったこと、デマの内容がタブーの食人行為を巡るものであったことが大きい。[独自研究?]
「遭難の孤立状態で人肉食におよんだ」という話とその様子について描写したものの発端は、事件当時のアメリカの新聞の推測記事とみられ[要出典]、アメリカでの報道には、当時のアメリカで「悲惨な遭難の結果人肉食に至った」事件として有名な「ドナー隊事件」と結びつけるネガティヴな記事があり、備品の大漁旗も野蛮民風習と紹介されるなど、事実無根な報道も一部にあった[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/良栄丸遭難事故
都市伝説良栄丸ミイラ船良栄丸
  nwknwknewsComment( 51 )
コメント一覧
1. 名も無き哲学者 2020年08月12日 07:33 ID:oZ2MEZ4v0
5 1コメ\\\└('ω')┘////
2. 名も無き哲学者 2020年08月12日 07:37 ID:Us8E3tz30
エルダーガガーンは純粋なチー牛
3. 名も無き哲学者 2020年08月12日 07:43 ID:Lccvgyrq0
これ、作り話だと聞いたが、、
4. 名も無き哲学者 2020年08月12日 07:44 ID:eNU0ccM20
これはかなりデマが含まれる。
日誌は実際の記録からかなり改変されている。食人がなかった記録はあいにくないが、あった記録もない。船長の遺書を読めば面白可笑しく書き立てようという気分にはならない。
5. 名も無き哲学者 2020年08月12日 08:06 ID:EA8.3jGF0
フィクションと聞いた時のガッカリ感
こんな地獄みたいな状況が無くて良かったんだけども
6. 名も無き哲学者 2020年08月12日 08:18 ID:JYI35Zwz0
周りが発狂してる中、日記係だけ淡々と書いてたらそりゃ創作かもな
7. 名も無き哲学者 2020年08月12日 08:47 ID:o2JTWBOs0
ここも本当に堕ちたな
8. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:10 ID:zW3hDCPl0
水を差すわけじゃないけど創作だな
9. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:31 ID:CcaRrzv50
創作なのかもしれないがそれぞれの心情がリアルに想像できてしんどいな。しかも漂流し続けて誰一人生き残れなかったこと自体は事実のようだし。なんとも重苦しい話だった。
10. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:44 ID:CjXyyRe90
黄色人種を差別するのが初期設定として当然だった時代だからね
白人共がトンデモ報道するのは当たり前の様にあった
でそれを翻訳するのに「英語で書いてあるから真実に違いない!」って思考停止したお馬鹿さんは昔から多いって事でもある
11. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:49 ID:MvjwaeGU0
>>4
ホントに…。
てかWikipedia読んだ方が良いよね。
12. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:51 ID:UktP.vow0
>>6
動く力もないほど弱ってる割には、冷静でしっかりした筆致だもんね。
13. 名も無き哲学者 2020年08月12日 09:54 ID:H0fPoV160
日記のカタカナになるあたりから余裕を感じてしまった
14. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:06 ID:S4Y8RC0e0
地獄のミサワかと思った
15. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:10 ID:UgbHrmm00
この記事にちゃんと創作って書いてあるのにコメ欄で「これは創作」って言ってる連中は何なのか
字が読めないの?
16. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:12 ID:b9Xj7JCd0
漁師の過酷な環境も知らないバカが好き勝手に言ってろ
想像力の足りないヤツは日本に要らん
17. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:26 ID:HtgdLKIv0
創作なら創作でかなり優れた創作だと思う
18. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:38 ID:ySpWloHN0
今まさに命の危機に瀕してるぞ
次の瞬間には死んでるかもしれないぞ
って日記に書いてるフィクションはまれによくある
19. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:40 ID:.YSOr8Y60
リンク貼られてるWikipediaにデマと書かれてて笑う
20. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:52 ID:BWc7YnDC0
こういう嘘か本当かわからない
海洋ホラーすこ
21. 名も無き哲学者 2020年08月12日 10:56 ID:eNU0ccM20
>>15
もちろん読めている。ただ全員がケツまで読むわけではないからあえて書いている。創作ならスレタイ冒頭に【あくまで創作】くらい書いておかないとミスリードする人は出るよ。
22. 名も無き哲学者 2020年08月12日 11:10 ID:OkuQFxK40
「誰によって?」「独自研究?」とかマジで鬱陶しいな
下らねえタグ付けて悦に浸ってる暇あったらテメェで修正しろやって毎回思うわ
23. 名も無き哲学者 2020年08月12日 11:20 ID:.Q2dGuC.0
ミステリーゾーン系の話だろ
24. 名も無き哲学者 2020年08月12日 11:25 ID:i4vsK.yE0
遭難によるカニバリズムを扱った話は「海神丸」って小説になってるな
25. 名も無き哲学者 2020年08月12日 11:35 ID:vVg5aLxW0
>>21
そんなレベルの人達のことまで考えなきゃならないんだからネットは厄介だな。
まあこれは創作としてあまりに有名だから、都度の「これは創作だって聞いたが」という書き込みすらも目障りに映ってしまう。
26. 名も無き哲学者 2020年08月12日 12:25 ID:wn7pb9f40
>>10
この事件の場合は、当時は日米とも修正したのだが
①昭和後期オカルトブームの時に海洋奇談みたいな本で
初期のゴシップ記事を参考にした
②平成後期、ネットでガセ日記が生まれる
③今もネットで拡散、自国民の不幸を玩具にし続ける
なので英語(海外)信奉、アジア差別というよりは
昭和~平成に至るオカルト信者の罪深い合わせ技ですわな
創作だとわざわざ突っ込むな!という※もあるけど
突っ込むところまでセットにすべきだよ
あんまり玩具にしたらいかん、と気付くためにも
27. 名も無き哲学者 2020年08月12日 12:55 ID:hHqv7LyV0
逆に全く知らなかったから思ったより創作じゃない部分が多いのに驚いた
漁師になるなの遺言が事実とか
28. 名も無き哲学者 2020年08月12日 13:16 ID:IiZ65v6v0
アンデス山脈の飛行機墜落事故とマゼランの太平洋横断の話を合わせるとこんな感じになるのかな。とはいえ、両方とも結構生き残ってるから、極限状態で生死を分けるのは何なんだろう。
29. 名も無き哲学者 2020年08月12日 13:19 ID:481aq0mk0
独自研究?
30. 名も無き哲学者 2020年08月12日 13:40 ID:xWb.o.Gb0
>>22
下らねえタグ[独自研究?]付けて悦に浸ってる暇あったらテメェ[誰によって?]で修正しろやって毎回思う
31. へそ吉 2020年08月12日 13:43 ID:7W3aBxFc0
 Wikipedia の記事を書くに当たっては、かつて厳密な学術書で読んだ事であるが、その書名や著者名を忘れてしまって出典が明示できないという場合もかなりあります。でも学術書からの引用だから精度は高いはずですが、容赦なく「要出典」、「独自研究?」などと貼られるのですね。私も Wikipedian なのでよく分かります(HN は変えているので「へそ吉」では出て来ません)。そんなに出典が必要だとか独自研究がダメなのなら、Wikipedia は廃止して普通の百科事典を読めば事足ります。
 ……と、つい愚痴が出て失礼しました。遅まきながら本題に入ると、コメントにもある通り、良栄丸に関するネット上の記述にはデタラメが多く含まれているのは間違いない。紹介記事で、いかにも良栄丸の乗組員が書いたようになっている「漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」という部分は、実際にはこの事件を研究した有名な気象学者である藤原咲平の記述です。
32. 名も無き哲学者 2020年08月12日 13:51 ID:xWb.o.Gb0
>>31
ダメというか、そうしておけば出典元を知っている人が追記してくれるかもしれないんだから、それなりに意味はあると思うんだけどね
33. 名も無き哲学者 2020年08月12日 13:55 ID:5abykeiv0
で、三谷寅吉はどこ行った?
34. 名も無き哲学者 2020年08月12日 14:19 ID:j9Hp2Acb0
これ、載ってた児童書持ってたわ
気持ち悪い挿し絵が載ってたな
35. 名も無き哲学者 2020年08月12日 14:23 ID:j9Hp2Acb0
34だけど確かひばり書房の幽霊大図鑑に載ってたと思う
36. 名も無き哲学者 2020年08月12日 14:51 ID:MyQ.crRA0
これ完全に作り話だと思ってたけど良栄丸事件自体は本当にあったんだよな
37. 名も無き哲学者 2020年08月12日 15:02 ID:wR6i0Ca40
>>30
[要出典]
38. 名も無き哲学者 2020年08月12日 15:30 ID:m3oDyQ3u0
初代バイオの「かゆい うま」位でないと真実味が無い
39. 名も無き哲学者 2020年08月12日 16:14 ID:eqfvPcsa0
>>38
嫁の元同僚が妊娠を期にブログ始めたとかで嫁が読んでたんだが、
出産の時に経過悪くて輸血して、
輸血が原因で母乳があげられなくなり体調も戻らなかったり、
赤ん坊も寝ない子だったり、
お産の日に旦那さんがかなり無神経なこと言って不仲になったりしたりで、
徐々にノイローゼになったみたいなんだが、
リアルかゆうまブログやったな
妊娠の頃の日記は文章が整然としてるのに、
産後からはどんどん日本語崩壊して、
最終的には措置入院したらしいんだが、
最後あたりは、「めまめまふ、赤ちゃんに半はもっとん、禁止、見たいけど聞くな」みたいな意味不明な内容ですごいゾクゾクした
40. 名も無き哲学者 2020年08月12日 16:16 ID:v8xAP00T0
航海日誌の内容は子供向けミステリー本の創作だと何度書けば……。
41. 名も無き哲学者 2020年08月12日 17:17 ID:CZFcOLV.0
>>25
それな。こんなレベルでいちゃもん言う奴が一杯だもんね
42. 名も無き哲学者 2020年08月12日 17:58 ID:iHhMC.pR0
>>22
アホな創作のために労力かけることを強いられ続けた結果壊れたんじゃないかな
43. 名も無き哲学者 2020年08月12日 18:40 ID:xWb.o.Gb0
>>29
誰によって?
44. 名も無き哲学者 2020年08月12日 19:06 ID:lHSoLQ9o0
隆福丸っていい曲だよな
45. 名も無き哲学者 2020年08月12日 20:52 ID:cyNmL4sj0
これって元ネタはメデューズ号事件なんじゃないか
46. 名も無き哲学者 2020年08月12日 20:59 ID:9COUosLc0
>>25
今は俺は分かってる感を出すのが主流だね 一昔前はひぇーこわいーって乗ってる 他の例だと自分を良く語るね昔は逆に語る 不思議
47. 名も無き哲学者 2020年08月12日 21:14 ID:VFoEx1nM0
>>44
いい曲、すき
48. 名も無き哲学者 2020年08月12日 22:53 ID:BDFawfVv0
>木船に気付き近づくも乗員十名近く反応がなく馬鹿馬鹿しくなって立ち去る
いや、明らかに異常事態だろ
見なかった事にするなよ
49. 名も無き哲学者 2020年08月12日 23:32 ID:g7.GoA.A0
>>3
船が遭難して船員が全滅したのは事実。
日記の大半と、他の船が発見したけど船員が反応しなかったとかのエピソードが作り話。
50. 名も無き哲学者 2020年08月13日 04:03 ID:eqFEUYfT0
事実無根って…
51. 名も無き哲学者 2020年08月13日 13:30 ID:l7iaOH9K0
>>48
あ、そこはフィクションの部分なんでぇ
              
2ch
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シオン賢哲の議事録(シオンの議事録)

シオン賢哲の議事録(シオンの議事録)
悪魔の議事録
書庫日月神示
2011/9/21(水)午後10:40
「シオンの議定書」は、正しくは「シオン賢哲の議事録」と言う物で、これをロシア語に翻訳し、公刊したのが、ロシア人のエス・ニールスである。
ニールスは入手経路について、1901年
「これはある婦人が、マッソン(フリーメーソン)秘密結社の陰謀の策源地であるフランスの某地で開催された、ユダヤマッソン結社の秘密会議の終わった直後結社員中最も勢力がある賢哲の一人から盗み取った「シオン賢哲の議事録」の写しである」と語ったという。
1905年、ニールスは、自著の第2版中においてこれを発表したが、最初にロシアでニールスの訳が現れたとき、ユダヤ人側は大いに狼狽してこれを偽書であると宣伝する一方、黙殺、買占め、押収等の挙に出た。
(中略)
さらに、フランス語、スウェーデン語、デンマーク語、ポーランド語、イタリア語等々全世界で翻訳版が発行されたが、いづれもこのニールス版が元になっている。
「シオンの議定書」は第1議定書から第24議定書までの構成で発表されているが、その内容は明らかに「悪魔の征服計画書」と呼ぶにふさわしいものであり、その悪意に満ちた狡猾さ、執念深さには戦慄さえ覚える。
これを作成したものがユダヤ人であるかどうかはともかく、こうした内容の文書が出てしまったことは事実である。
議定書の全編に流れる政治、経済論は、まさに覇道の哲学であり、人間的感情を度外視した世界支配の方法論である。
いくつか抜粋してみよう。
「善良な性質の人間よりは、先天的不良性の人間のほうが、数において勝っているので、学理上の議論によるよりは、強制的威嚇を用いたほうが、はるかに政治上の好成績を挙げるものである。」(第1議定書)
「我々の活動に有効な計画を立てようと欲するならば、我々は、大衆が、下賤、無定見、無節操、であることを認識していなくてはならない。・・・・(中略)
尚、我々は、大衆の力は盲目で、非理知的で、判断力が無く、従って左にも右にも耳を傾けるものであることを注目しなくてはならない。
盲人が盲人達の案内役を勤めるとき、必ずや共に滅亡の淵に陥ってしまう。
従って大衆の中の者ども、または人民の中から成り上がり者は、いかに多才な者であろうとも、政治上の知識を持たぬ故に、ひとたび指導者として登場する時には、必ずや全国民を滅亡の淵に陥れないでおかぬのである。」(第1議定書)
大衆というものは、一個人レベルの利益や生活のことしか考えないか、それらを第一に優先して考えるものである。
従って、そうした大衆に主権を持たせては、良い政治など行えようはずが無い。
政治的なことはほとんど知識も無く、興味も持たぬ大衆が、選挙で選び出す代表者が、これまた自分達の小さな利益のことしか考えない利己主義者であることは、自明の理である。
ここに挙げた「議定書」の一部は、民主主義政治の有害性について、ズバリ指摘している。
真の賢人たちが集まって定めるべきである国家の方針を、無知なる大衆の「悪の多数決」により選ばれた指導者たちの手に委ねれば、確実に国は乱れるのである。
民主主義を導入した国家は、芯を失い、骨抜きにされ、やがては亡国の憂いき目に遭うことになる。
「議定書」には、恐るべき世界制覇のための経済論についても、あからさまに述べられている。
「国家機関の全ての輪転機は、我々の手中の中にある動力によって運転する。
その動力とは、即ち“黄金”である。
我々の賢哲の樹立した政治経済は、王者の威力が資本にあることを明示している。
資本が全世界に於いて絶対支配を獲得するためには、商工業企業を独占する自由を確保しなければならぬ。この計画を全世界に於いて実現すべく我々の間接直接の魔手が既にこの事業に着手している。
かかる自由は産業家に政治的勢力を与えるかこの勢力は民衆の圧迫に役立っている。」(第4議定書)
「非ユダヤ人に害を与えるために我々は、経済恐慌を惹き起こした。それが為にはただ手の届く限りの、金を全部を金融界から引き込めるだけで充分であった。かくて巨額の金額が我々の手中に貯蔵されたが、一方では非ユダヤ人国家は資金が全く枯渇したので、結局やむを得ず、我々に国債の引き受けを請わざるを得ないようになり、これが為非ユダヤ人国家はこの国債で多額の利子支払いの義務を追い込むに至った。
これは、彼等の国家経済のかなりの重荷となって、遂には国家そのものまでが、大資本家に全く依存することになってしまった。手工業及び中工業が大工業へ移るに従い、健全なる国民の全てのみならずしまいには国家までもが膏血を吸い尽くされてしまったのである。」(第20議定書)
国際事情研究センター所長の矢島釣次氏によると、1929年の世界恐慌に先んずること100年前から、イギリスでは産業革命と相前後して、約10年の周期で小規模な恐慌がおこっているという。
1925年、36年、47年、57年、66年と起こってきた恐慌は、1873~1896年にかけて起こったイギリス大恐慌につながっている。
これらの恐慌のたびに、資本を巨大化して世界の大富豪となったのが、あまりにも有名なユダヤ人のロス・チャイルドであると矢島氏は指摘する。
そして、1914年から1918年にかけて第1次世界大戦が起こり、戦後10年、1929年に世界恐慌が発生しているのである。
この歴史的な大金融パニックのピタリ10年後、1939年、第2次世界大戦が勃発している。
何者かが意図的に惹き起こしているとしか思えないこれらの周期的な経済恐慌で、世界の人々が財産を失い、貧困に喘ぐ中、
ロックフェラー家、モルガン家、シフ家、ヴァールブル家、ハリマン家、ミルナー家、ロスチャイルド家
といったユダヤ人ファミリーは巨大な富を蓄積していたのである。
■日月神示「金で世を治め金で潰す」
さて、現在の通貨経済について「日月神示」では次のように示されている。
「金では治まらん。悪神の悪では治まらん。ここまで申してもまだ判らんか。
金では治まらん。悪の総大将もそのことを知っていて、金で世を潰す計画ざぞ。
判っている守護神殿早う改心結構ぞ」
「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。
三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。
少し遅れると人間は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もづづけて嘘は云えんぞ。申さんぞ。」
「金はいらぬのざぞ、金要るのは今しばらくぞ、生命は国に捧げても、金は自分のものと思っている人間、気の毒出来るぞ。
何もかも天地へ引きあげぞと知らしてあること近づいてきたぞ。金がカタキの世来たぞ。」
「石屋の仕組みにかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。
日本精神ともうして仏教の精神やキリストの精神ばかりぞ。
今度は神があるかないかを、ハッキリと神力見せて、石屋も改心さすのぞ。」
上のように日月神示には、「石屋」という表現が良く出てくる。
(中略)
フリーメーソンとは、「自由石工」という意味で、「石屋」とはここからきているのである。
戦争や革命といったものは、それが大きなものであるほど、偶発的に起こるものではなく、何らかの意図をもって、トップエリートたちにより作成された“シナリオ”通りに行われるものである。
表面では、「正義」「自由」「解放」などの美辞麗句を標榜し、大衆を扇動しながら巧妙に自らの目的を達成し、利権を得ようとするものである。
ヒトラーは、「戦争とは、欺瞞であり、策略であり、詐欺である」と述べている。
「我々が、「大革命」の名を附したフランス革命を想起せられよ。この革命準備の秘密は我々の能(よ)く知る所である。何となればこの革命は実に我々の手の所業であるからである。
あの時以来我々は、諸国民を幻滅から幻滅へと導いているが、それは彼等が我々からも離反して、我々が世界の王として準備しているところの、シオンの血を受けた専制帝王を歓呼して迎えるようにするが為めである。」(第3議定書)
「我々に抵抗を試みようとする国家に対しては、我々は直ちにその隣接諸国との戦争を以ってこれに対応し得るよう準備していなければならぬ。
もしその隣接諸国もまた、その国と共同戦線を張って、我々に反抗する場合には、我々は世界大戦を勃発させて、これを反撃せねばならぬ。・・・(中略)・・・
欧州にある非ユダヤ人諸政府を屈服させる為の我々の計画を数語に要約すれば、一国、一国に対して、我々の威力を知らせる為には、暗殺計画、即ち恐怖政治テロを以ってするであろう。
しかし万一、全欧州諸国が我々を敵として共同戦線を張ることになった時には、日本、支那、米国の大砲をもってその諸国に答えるであろう。」(第7議定書)
「一時的には、全世界の非ユダヤ同盟が成立して我々を打倒することもあろう。
然し我々のこの危機に際しては、非ユダヤ国の間に抜くべからざる紛争の深き根底があって、間接直接に我々を保護していてくれるのである。
我々は二千年に亘って非ユダヤ人の心に扇動培養してきた個人的打算、又は民族的並びに宗教的憎悪を、彼等の間に対立せしめた。
ために、いずれの国家も何処からも援助を得ることは出来ない。何となれば各国家は何れも我々に反抗する協約を結ぶことは、自己に不利であると考えざるを得ない。
我々は実際にあまりにも強力であるので、何人も我々と妥協せねばならない。
今日に於いては、列強は如何なる些細な協約でも、我々が秘かにそれに関係することなくしては、相互に締結することはできないのである。」(第5議定書)
上に挙げた議定書を見るだけでも、フランス革命、ロシア革命、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の歴史的大革命や戦争が、偶然に発生したものではなく、意図的に起こされたものであることが判るであろう。
先に述べたように、「自由」と「平等」は、決して相容れることの出来ない非両立性を持った二つの標語である。
一人一人が本当に自由を求め続ければ、必ずやどこかに不平等が生じてくる。
またすべてを平等にとり計ろうとすれば、自由を制限せざるを得ない。ここに、不満が発生する要因が出てくるのである。
したがって、単純に良い言葉だからと言って、ろくにその意味を検討することなしに
大衆がこれらの二つを同時に手に入れようとすれば、当然社会は乱れ、国は乱れることになる。
「議定書」はそのことを知り尽くした上で、次のように述べている。
「我々が自由・平等・四海同胞(現在はグローバリズム)なる語を民間に放ったのは既に古代の事である。
それ以来、これらの標語は、無意識のオウム返しによって何度となく復習され、世界の幸福と、個人の真の自由とを破壊した。
所謂賢明なる非ユダヤ人の識者と言われる人々でさえも、難解な謎のごときこの言葉の抽象的なる意味を正しく理解し得ることが出来なかったし、又その内部に含まれている矛盾を勿論看破することが出来なかった。
彼等は悲しいことには自然なるものが、平等を知らず、又その中に自由があり得ないものであり、自然そのものが、理性と性格と才能との不平等を、その自然の法則として造った物である事に気付かなかった。」
(第1議定書)
「自由・平等・四海同胞なる語は、盲従的な我々の諜者によって、世界の隅々まで宣伝せられ、幾千万の民衆は我々の陣営に投じ、この旗織を狂気して担ぎまわっている。
然るに、実際を言うと、この標語は至る所で平和安寧を破壊し、国家の基礎をも覆し、以て非ユダヤ人の幸福を侵食する獅子身中の虫(内部から害を与えるもの)となっている。
これが我々の勝利を促進したと言う事を諸君は後日首肯(納得)さるることであろう。
(第1議定書)
(中略)
真の「自由・平等」について、日月神示では次のように述べられている。
参考までにいくつか抜粋してみよう。
「平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。
天地を良く見よ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな。一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるぞ。
一寸の草には一寸が、一尺の草には一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等と申すもの」
「平等愛とは、差別愛のことぞ。公平と言う声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあろうがな」
「区別すると力出るぞ。同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。」
「悪自由・悪平等の神が最後の追込みにかかっているなれど、もう悪の世はすんで岩戸がひらけているのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ」
「人間に自由はないのであるぞ、真の自由は、大神のみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、
人間自身は自由を持っていると信ずるのであるぞ。
本質的には自由はないのであるぞ。
人間には自由の影があり、反影あるのぞ。それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
人間は自由と心得ているが、それは自由ではなく、自分自身を首をくくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあろう」
「同じもの同士では和ではない。違ったものが和することによって新しきものを
生むのであるぞ。奇数と偶数を合わせて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。
それがマコトの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和することぢゃ。
和すには同じ在り方で、例えば五と五との立場で和するのであるが、位に於いて
は陽が中心であり、陰が外でなければならん。
天が主であり地が従でなければならん。男が上であり女が下ぢゃ。
これが和の正しきありかたぞ。
さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。」
「分け隔てするのは神の心でないと申す人民沢山あるが、世界は一平ぢゃと申して同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申しているが、頭は頭、手は手、足は足と申してあろうが。同じことであって同じでないぞ。悪平等は悪平等ぞ。
世界丸つぶれのたくらみぞ。この道理良く心得なされよ。」
日月神示ではフリーメーソンのことを「石屋」と称してその全貌を暴いている。
では、その起源とはいつなのであろう。
以下説明されている。
フリーメーソンの起源については、様々な説があって定説はない。もともとは古代の西洋において、石工同士が集まって組合(ギルド)をを創設したのが始まりとされてる。
石工というのは、言わば大工や建築家のようなもので、日本でいう石切職人の類とは少し違う。
西洋では昔からあらゆる建築物が石で造られており、石工というのは社会的地位も大変に高く、様々な特権をもっていた。諸国の王侯に重宝がられた彼等石工たちは、各国の王城、殿堂、寺院などの石造建築に従事するため、どの国でも自由に往来することが許された。
このような特権を持つフリーメーソンに、ユダヤ人達が、何とか入り込みたいと願ったことは、想像に難くない。自分達の国家を持たぬユダヤ民族は、ゲットーに閉じ込められ、国外通行はおろか国内の移動さえままならぬ状態にあったからである。
14世紀頃になると、建築家以外の各層にもフリーメーソンへの加入者が出始めたが、14世紀以降に入ってきた者は、ほとんどユダヤ人であった。
そして、18世紀になると、その実権はユダヤ人によって握られることになった。
1717年、フリーメーソンはロンドンとウェストミンスターにあった4つの古い組合を合同し、ヨハネの洗礼日(6月24日)に開かれた大晩餐会の席上で大棟梁を選出すると共に、組合の儀式、規約などを決定した。
これが、近代的フリーメーソンの誕生とされる。
マスメディアは悪神の宣伝機関
大衆を扇動し、思いのままに操る最も有効な手段は、新聞、雑誌を利用することである。新聞、雑誌、を傘下に収めることができれば、元来「右にも左にも耳を傾ける」
存在である大衆をコントロールすることはたやすい。
むろん、ここで言う新聞、雑誌とは現在ではテレビ、ラジオ等を含めたマスメディア
全般を指す。
「現代の各国家の手中には、民間思想の動向を創造する一大勢力がある。
これは、即ち、新聞、雑誌である。新聞雑誌の役割は、国民の要求を支持し、世論の声を伝え、不平不満を発表し、且つこれを創造するにある。
言論の自由の勝利は、新聞雑誌に胚胎する。
然るに各国家はこの勢力の活用方法を知らぬから、それが為に我々の掌中に帰したのであるが、新聞雑誌によって我々自信は背後に隠れ居つつ、この偉大なる勢力を得たのである。」(第2議定書)
「既に希望の彼岸に近づきつつある我々の深慮に基づく計画を愈々実現せすむる為には、我々の手中にある所謂「偉大な威力」と称せられる新聞雑誌によって、秘密に我々が醸成しておいた与論を以って各非ユダヤ政府を強制する事が必要である。この新聞雑誌は、一顧だにもしない少数のものの外、全て既に我々の掌中にある。」(第7議定書)
ゲイリー・アレンの著書である「ロックフェラー・ファイル」を読めばわかるように
アメリカの一流マスメディアは、いわゆる、“パワーエリート”たちの資本下にある
ものが多い。「ニューヨークタイムス」や「ワシントンポスト」なども、記者や読者に
悟られぬような形で、巧妙に利用されているという。
日本人はそうしたアメリカの一流マスメディアが言うことを、何の疑いもなくうのみにする。
「ニューヨーク・タイムズ」にこんな記事が出ている、「タイム」誌にこういうことが書かれているという、それだけで信用してしまうのである。
識者と言われる人々でさえそんな調子であるから、一般人においては言うに及ばない世界を牛耳るパワー・エリートたちの日本のマスメディアへの直接の資本投資は今のところはほとんどないようだが、思想的に自由に扇動されてしまっている以上彼らの傘下に入っているのも同然である。
■科学が常識を盲信させる
非ユダヤ人、特に日本人において、科学の“妄信的信仰”は功を奏しているようである。
幼い頃から唯物論(金、モノ主体)を叩き込まれ、学校の教科書で教えられることがすべて正しいと信じる。
科学的に証明されていないことは、決して耳を貸そうとしない。
こういった人々にとっては、権威ある有識者や学界が言うことのみが正しく、絶対なのである。
ところが、世界的、歴史的に有名で、偉人と称される賢人や、超一流といわれる学者、専門家等により構成される団体も、実は、本人の知る知らないに係らずシオンの賢哲らにより、彼ら自身の目的達成のため、利用されてしまっているのである。
そのことは、「議定書」に、次ぎように明確に記されている。
「非ユダヤ人は、歴史を基礎とする冷静な観察を練ることを知らず、専ら理論上の旧弊に囚われて、その結果に対する批判的工作を忘却している。それ故に我々にとっては、彼等のことを意に介することは無意味である。例え彼等が、いよいよの時が来るまで享楽にふけろうと、新たなる享楽を希望して生きようと、過去の享楽を追憶して生きようと、そんなことは問題ではない。
肝要なのは、科学の命令(理論)だとして、我々が彼らに吹き込んでおいたものが彼らの為に最も重大なる役割を演じて居ればよいのである。この目的の為に我々は終始我々の新聞雑誌を利用して、この命令に対する盲目的信用を鼓吹(吹き込む)する。
非ユダヤ人中の知識階級は自己の知識を誇りとして、「科学から」得た知識を巧妙に実現しようとするのであろうが、その知識を論理的に吟味もせず、またその知識なるものが、人間を我々に必要な方向に教育するため、我々の密使によって作り上げられたものであることに気が付かないのである。
我々の主張を根拠なきものと思ってはならない。我々が仕組んだところの、ダーウィン、マルクス、ニーチェの教説の成功に注意なさるがよろしい。
非ユダヤ人の心に及ぼした、これらの破壊的作用は、少なくとも我々には明白になっていなくてはならない。」(第2議定書)
「非ユダヤ人は、我々の科学的助言なしに物を考えることが出来なくなっている。
それ故に彼等は、我々の世界支配が達成された時に、我々が一歩も譲歩することなく確保するであろうものが、いかに痛切な必要事であるかを認めていない。
即ち小学校に於いては、唯一の真実な科学、何よりも重要な科学、換言すれば人生の機構、即ち分業を要求し、その結果として人間が階級又は身分に分類されるに至る事を要求するような社会生活の機構に関する科学を教授しなくてはならない。」
(第3議定書)
ダーウィンの進化論は、いまだに公然と義務教育課程の中で教えられており、
常識ある一般大衆は皆、人間は猿から進化したものと思い込んでいる。
ところが、最近ではこの「進化論」に関して異論を唱える学者が増え始めている。
「自然界では、同じ種は変化はするが、絶対に進化はしない。小麦はグレープフルーツにはならず、豚は決して羽は生えない。」と言っている。
人類は、猿から進化したものであるとするダーウィンの説は、完全なでっちあげであった。とすれば、類人猿と人類の祖先、クロマニョン人とを結びつけるはずの
“ミッシング・リンク”など初めから存在しないことがわかってくる。
なお、マルクスが高級フリーメーソン結社員であったことはすでに述べたとおりであるし、ニーチェ哲学にしてもその通りである。
さらに言えば、アインシュタインの相対性理論も、もともとは夫人の空想だったものをアインシュタインがわざわざ難解な理論をこじつけ、編み出したものであるとする説も出てきているようだが、相対性理論の虚構性についても、おそらく近い将来に証明されることになると思う。(つい最近それが、日本人によってくつがえされようとしている。厳然たる事実がここにある。)
(中略)
ここにも、石屋(フリーメーソンとは「自由石工」という意味で日月神示ではここから石屋として良く出てくる)の悪だくみが見事に功を奏している一端を伺い知る事ができよう。
フリーメーソンは現在でも公然と存在するし、これからも世界の歴史に大きな影響を及ぼしていくことであろう。
してみると、今後の国際情勢を分析し、正しい判断を下すためには、フリーメーソンの実態を把握することが絶対に不可欠である。
「世界を思うがままに操る影の世界政府」、
「ユダヤの国際秘密結社」
として知られるフリーメーソンは完全なる秘密主義を伝統としており、その末端や公にされている部分はともかく、最奥部については今だ明かされていない。
また、所謂秘密結社組織というのは、当然フリーメーソンだけではなく、他にも数多く存在する。一部にはフリーメーソンなどよりも、イルミナティーだとか、ビルダーバーグ・ソサエティーなどのほうが重要だとする研究家もいるようだが、日月神示の観点
からすれば、そうしたことはどうでもよいのである。
ただ、歴史を操る「国際的秘密結社」は事実存在するし、それを霊的に自由に操っているのが、悪神、悪霊である。
その秘密結社の代名詞として使われているのが、最大級の組織力を誇るフリーメーソンなのだ。
■悪の仕組みが日本魂を根絶やしにする
戦後半世紀近くが過ぎ、敗戦の痛手から見事に立ち直った日本は、現在、これまでにないような経済的、物質的な繁栄に酔いしれている。
個人の生活が豊になり、国が富み栄えること自体は、決して悪いことではない。
しかし、この繁栄がこれから先も末長く続くかといえば、はなはだ残念なことではあるが、悲観的な結論を出さざるを得ない。
日本ほど、見事にフリーメーソンの占領政策にはまり、隷属国家と成り下がった国はないのである。
現在の日本にとって、「豚は太らせてから食え」という言葉は、まさにピッタリと当てはまる。
それは、次に挙げる「議定書」をみれば明らかである。
我々の原則を非ユダヤ人に適用するに当たっては、その国民の性情を考慮に入れなくてはいけない。
我々の原則の一律的な適用は、その国民が我々流に再教育されていない間は成功をもたらすことはおぼつかない。然し慎重に仕事に懸かるならば極めて強固な性格も十年そこそこで変えることが出来るのを知ることであろう。
かくなる時我々は、既に我々に屈服してしまっている諸国民の間に、新しい国民を一つ編入することが出来るのである。(弟9議定書)
「我々が国家体制の中に自由主義(民主主義)なる猛毒を注入してからは政治上の全組織が一大変化をもたらした。
これが為、今日では非ユダヤ人のどの国家も、余命いくばくもなき壊血病にかかっている。
我々はただ非ユダヤ人国家の、断末魔の速やかに来ることを待てばよいのである。」(第10議定書)
「我々は非ユダヤ人の青少年を愚昧にし、誘惑し、堕落せしめた。我々がこの目的に達したのは、青少年の教育を誤れる原則との教説との上に樹立した為であって、我々はこれらの原則と教説との欺瞞性をよく承知していながら、なおそれらを
適用せしめたのである。」(弟9議定書)
「思想を隷属化させることは、既に“視覚教育”と称する方法で実行に移されて
いるが、視覚教育の主たる使命は、非ユダヤ人を、思索力のない従順な獣と化し
絵に描いて見せなくては物を理解することの出来ないような愚鈍な動物にすることである。」(弟16議定書)
これはつまり、テレビや漫画などによる「一億総白痴化」を予告したものである。
また、フリーメーソンの3S(スポーツ、スクリーン、セックス)政策により、日本の青少年は骨抜きにされ、堕落せしめられた。
現在の日本の若者で、国家や世界をまことに論じることのできるものが、果たして何人いるというのか。
人間的に優秀な青少年が育っていないということは、そのままその国の将来が危ういということを証明しているのである。
そして驚くべきなのが、次に挙げる「議定書」である。
「自由がもし、敬神を根拠とし、天地の法則に背反した平等の観念を去った同胞主義に立脚する時は、国民の幸福を阻害することなく、国家組織の中に無害なる物として存在することが出来る。
斯くのごとき宗教と信仰を持っている時は、国民は地上に於ける神の摂理に従い教会に統制せられ、謙遜、従順に、精神的慈父たる牧師の指導に従うものである。それであるから我々は宗教の根底を覆し、非ユダヤ人の脳裡から神霊の観念を奪い取り、その代わりに個人主義的打算的利欲と肉体的享楽主義的欲求とを植えつけねばならぬ。
非ユダヤ人がこれに気がつかぬようにするには、彼らの心を商業と工業方面に向けねばならぬ。
斯くすれば各国の非ユダヤ人等は国家社会など眼中になく、唯々自己の利得のみを追い、利害戦に夢中になって、自己の共同の敵に気付かなくなるであろう。
(中略)
優越を得んがための極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動とは絶望的な、しかも悲惨極まる冷酷な社会を実現するであろう。
否な既に実現したのである。斯くしかの如き社会は高等政策と宗教とを全然忌み嫌うようになり、これを指導する者は、ただ利得打算即ち金力のみとなり、金力によって享受できる物質的快楽の為に、黄金を完全に偶像化するであろう。
(弟4議定書)
まさにこれこそが、戦後、フリーメーソンの占領政策により国体を破壊させ、民族意識を退廃させられた日本の姿のほかならない。
今時、精神主義に立ち返る重要性や、敬神の必要性を説いてみたところで耳を傾ける人はほとんどいない。皆己のみの利益のことを考え、利害戦に夢中になっている。
全く「議定書」に記された通りの社会が現出している。
しかもこの「議定書」は19世紀末期に書かれたものなのである。
心ある者は、もう一度この「シオンの議定書」を読み直し、正しい社会のあり方、国家のあり方というものを真剣に検討すべきでないだろうか。
日月神示には、こう示されている。
悪の仕組みは、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて一呑みにする計画であるぞ。
日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれても、まだ気付かん。
上からやり方変えて貰わねば、下ばかりではどうにもならんぞ。
上に立ちいている人、日に日に悪くなりてきているぞ。
メグリある金でも物でも持ちいたらよい様に思うているが、えらい取り違いであるぞ。
早う神の申すこと聞きてくだされよ。
ここまで述べてきたように、「シオンの議定書」には、実に狡猾、陰険極まる悪神の世界征服計画が書かれており、それが着々と実現していることがわかる。
現在の日本は、経済的には「大国」と呼ばれるようになり、物質の面では何一つ不自由することのない、恵まれた国家と変貌したように見えるが、
実はこの豊かさの背後に、世界を動かす悪の勢力が存在することを見逃してはならない。
日本は、彼らのモデル的隷属国家として、見事にその術中にはまり、滅亡の崖っぷちへと突き進んでいるのである。
国家存亡のその危機は、ある日突然やってくるだろう。
ところが彼等によって骨抜きにされた日本民族は、もはや「石屋の仕組」(フリーメーソンの陰謀)の前に、なす術を知らないのである。
大神は、こうした悪の経綸(しくみ)を太古の昔よりすでに見通し、明治、大正、昭和と、因縁の御魂を使って天啓の形で警告を与えてきた。
その『艮(とどめ)』の啓示が、日月神示である。
悪神、悪霊たちによる世界征服計画は、今やその最終段階に入っている。
この逼迫した状況を察知し、警告を与える書物は数多く出回っているが、そのどれもが、明確な対策を打ち出せていないようだ。
人間の、平面的な考えでは、行き詰る一方なのである。
「悪を殺せば善のみが残る」というような善悪二元論に基づいたやり方では、絶対に
道はひらけない。善も悪も、高い次元から見れば、“現れ”の違いであり、“働き”の
違いであり、もとは一体のものである。
これら別々に分かれていた“善”と“悪”が、一つになることによって、いわゆる
「ミロクの世」「地上天国」「至福千年王国」が顕現するのである。
そのところは、日月神示にこう示されている。
「今に世界の臣民人民誰にも判らん様になりて上げも下ろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやっているのではないのざということハッキリして
来るのざぞ。
何処の国、どんな人民も成程なぁと得心のゆくまでゆさぶるのであるぞ。
今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根本のお土の御先祖様の御霊統とが
なりなされて、スメラ神国(日本)とユダヤ神国と一つになりなされて末代動かん
光の世と影のない光の世といたすのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光て輝く御代ぞ楽しけれ。
悪いもの殺してしもうて善いものばかりにすれば、善き世が来るとでも思うているのか、肉体いくら殺しても霊までは、人民の力ではどうにもならんであろうがな。
元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ。
元の霊に改心させずに肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ。
それくらい判って居ろうが、判りて居りながら他には道ないと、仕方ないと手つけずにいるが、悪に魅入られているのぢゃ、
悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊から改心させなならんぞ、
善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(あめつち)ぢゃとくどう知らしてあろが。」
この先どうなるかということは、この神示を読まない限り絶対にわからない。
また実際に大変が起きた時にどうしたらよいかということも、この神示によらずして
わかるものではない。
何故、そこまで言い切れるのかと言うと、この神示とは、「実行する側」からの直言
だからである。従来の予言書や宗教書のように「こうなるのではないか」という受身的
立場からの推測ではなく、「こうするのである」という断定的口調をもって世界の
大改革を宣言する主導者としての立場からの警告だからである。
人間的知識や学問も必要であろう。しかし、何よりも肝要なのはまず、神霊界の
実在を知り、神界の経綸を知ることなのである。
神はどのような計画をしておいでか、その神(真)意をよく把握することである。
これなくして、人間界の動きを読み取ることは不可能と断言できる。
その経綸の一端を明らかにしたのが、日月神示である。
「艮(とどめ)の啓示」と言われるように、後にも先にも、この神示を超えるものは、
もはや出ないであろう。
「この神示、腹の中に入れておいてくれと申すに、言うこと聴く臣民少ないが、
今に後悔するのが、よく判りているから神はくどう気つけておくのぞ、
読めば読むほどに神徳あるぞ、
どんな事でも判るようにしてあるぞ。」
「向こう(悪神、悪霊)の言うこと、まともに聞いていたら、尻の毛まで抜かれてしまうのが、神にはよく判りて気つけていたのに、今の有様その通りでないか。
まだまだ抜かれるものあるぞ。延ばせば延ばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。延ばせねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、
言うこと聴いて素直にいたされよ。神たのむぞ。」
「御神示通りにすれば、神の言うこと聴けば、神が守るから、人民の目からは
危ない様に見えるなれど、やがては結構になるのざぞ、
疑うから途中からガラリと変わるのざぞ。
折角縁ありて来た人民ぢゃ、神はおかげやりたくてうづうづざぞ、
手を出せば直ぐ取れるのに、何故手を出さんのぢゃ、
大き器持ちて来んのぢゃ。
神示聴きて居ると身魂太るぞ、身魂磨けるぞ。」
「身魂みがけたら、どんな所でどんなことしていても心配ないぞ」
「我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云う事聞いてやるぞ、
雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地霊の神と申してお願いすれば、万里先に
居ても、この世の荒れ、地震逃らせてやるぞ、
神々様に届く行で申せよ。
こんな善き世は今までになかりたのぢゃ、
膝元に居ても言葉ばかりの願い聞こえんぞ、
口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。」
「平成」という字を注意して見て頂きたい。
一八十成=岩戸成る
と示されているではないか。
平成で岩戸が成るのである。ミロクの世と、いよいよひっくり返るのである。
一体人類の何分の一が、ミロクの世の実現を目の当たりにするのであろうか。
抜粋文献:日月神示(宇宙意志より人類へ、最終の大預言),中矢伸一著

本物を探す旅
https://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/folder/498588.html?m=lc&p=2
https://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/




朝鮮人民共和国

アメリカ軍に認められなかった左右ごちゃ混ぜ統一政権
朝鮮人民共和国
首都:京城(ソウル) 人口:2500万人
1945年8月15日 日本の敗戦により朝鮮人による 建国準備委員会が発足
1945年9月6日 朝鮮人民共和国の建国を宣言
1945年9月8日 米軍が南朝鮮に上陸
1945年9月11日 在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が発足。朝鮮人民共和国を否定し軍政を開始 
1945年10月10日 軍政庁が改めて朝鮮人民共和国にた だちに解散するよう命令
朝鮮全図 日本の植民地時代(1942年)の地図
「朝 鮮人民共和国って、北朝鮮のこと?」
と思えばさにあらず。
北朝鮮は正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」で、朝鮮の北半分を領有する左翼政権だが、朝鮮人民 共和国は朝鮮の南北一緒、そして左右一緒の政権だった。
もっとも、世界中どの国からも認められず、アメリカ軍に弾圧されてわずか数日で消滅してしまった。
戦前、朝鮮が日本の植民地だった頃、日本からの独立を求める運動が続いた。しかし朝鮮では日本の官憲に弾圧されたので、海外を拠点とす る組織ができた。
1つは大韓民国臨時政府で、1919年に 朝鮮全土で起きた
「三・一独立運動」
が鎮圧されたのを契機に、上海で設立された亡命政府で、自 由主義者の李承晩(イ・スンマン)が大統領に就いた(※)。
1932年に日本軍が上海を占領すると、蒋介石の国民政府とともに中国各地を転々と移動し、最 終的に重慶に拠点を移した。
※李承晩はアメリカ政府に朝鮮の委任統治を請願したとして 批判され、1925年に失脚。ハワイへ移りアメリカ政府へのロビー活動を続けた。
もう1つは抗日パルチザンで、これも 「三・一独立運動」の鎮圧を契機に、満州やソ連の沿海州を拠点に武力闘争を続けた。パルチザンを率 いたという「伝説の英雄」が金日成(キム・イルソン)だ (※)。
※金日成(本名:金成柱)は1912年生まれだが、抗日パ ルチザンを率いた「金日成将軍」の名は1920年代から知られており、金成柱は「伝説の英雄」金日成の名を襲名したものと 思われる。
さて1945年8月10日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏することを決めたが、これによって日本は朝鮮の独立を認め なけれ ばならないことになった。そこで朝鮮総督府は8月12日に呂運 亨(ヨ・ウニョン)と接触。行政権を渡すので在留邦人の安全を保障してほしいと打診した。
朝鮮総督府が大韓民国臨時政府や抗日パルチザンと接触せず、呂運亨を交渉相手に選んだのは、当時、満州を占領しつつあったソ連軍がその まま朝鮮全土も占領すると予想されたので、ソ連軍による占領前に朝鮮人に権力を引き渡してしまおうと焦っていたことや、2つの組織は海外で活動していたの で急に連絡が取れなかったこと、抗日パルチザンは八路軍(中国共産党軍)とともに日本軍と長年戦闘を続け、臨時政府も米軍の特殊訓練を受けながら日本に宣 戦布告していたが、朝鮮で憲兵隊に睨まれながらも政治・文化活動を続けていた呂運亨なら、朝鮮総督府と協調しながら「平和的」な権力移譲が望めそうだった こ と・・・などの背景があるようだ。
呂運亨は1886年生まれで、1914年に中国へ亡命し、大韓民国臨時政府が樹立されると外務次官に就任したが、帝政ロシアが中国に 持っていた租界や利権をソ連が中国へ返還したのを見て共産主義運動に共鳴。23年に臨時政府を離れてソ連に渡り、レーニンと会見(※)、その後上海のタ ス通信社(ソ連国営の通信社)で働いた。
※レーニンは呂に「朝鮮では共産主義運動ではなく、民族主 義運動に力を注ぐべきだ」とアドバイスし、呂はそれに従ったという。
しかし27年に蒋介石が反共クーデターを起こし、上海で白色テロが吹き荒れると、呂運亨は朝鮮に戻り、「民族主義運動の高揚は、まず言 論とスポーツから」と朝鮮中央日報の社長や朝鮮体育会の会長に就任した(※)。
※1936年のベルリン五輪で、「日本代表」として出場し たマラソン選手の孫基禎(ソン・ギジョン)が金メダルを獲得した際、朝鮮中 央日報は東亜日報とともに孫のシャツに描かれた日の丸を抹消した写真を掲載して廃刊となった。
そして太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった44年8月、呂運亨は「朝鮮独立の日は近い」と建国同盟を結成していた。
「占領軍はソ連じゃなくてアメリカ!」で態度を 変えた総督府
総督府との交渉結果を民衆に報告する呂運亨(8月16日)
さて1945年8月15日、呂運亨は再び朝鮮総 督府に招かれ、政務総監の遠藤柳作は治安維持に対する協力を要請。
呂は
(1)政治犯の釈放、
(2)京城(現:ソウル)の食糧の3ヵ月分確保、
(3)治安維 持活動への不干渉、
(4)青年・学生の訓練への不干渉、
(5)労働者・農民の組織への不干渉
など5項目の条件を出して了承し、その日のうちに建国同盟をも とに朝鮮建国準備委員会(建準)を発足させた。
同時に治安隊 を組織して警察署の接収に乗り出した。
建準の支部と治安隊は数日のうちに朝鮮各地で結成されていった(※)。
※呂運亨は民衆に日本への 報復を控えるよう自制を呼びかけ、混乱にもかかわらず日本人に対する暴行事件は少なかった。
建準は朝鮮総督府から行政機能を引き継ぐつもりだったが、朝鮮総督府は18日に米軍から
「38度線以南はアメリカ軍が占領する」
と通告 を受けると態度を一変。
行政権の移譲を拒んだうえに、建準の解散も命じた(※)
※これには建準が猛烈に抗議して2日後に撤回。
また建準内部でもゴタゴタが続いた。委員長に就任した中道左派の呂運亨は「左右合同による統一政権」を目指して、幅広い有力者に結集を 呼び掛けたが、副委員長に迎えようとした右派の宋鎮禹(ソン・ジヌ=東亜日報元社長)は、「朝鮮総督府と勝手に交渉して政権を作ったら、日帝の傀儡だと非 難される」「大韓民国臨時政府の承認を待つべきだ」と主張して参加せず、安在鴻(アン・ジェホン=朝鮮日報元副社長)が副委員長に就任したが、左派の勢力 が強まると保守派との提携を主張した安も離脱。宋鎮禹は韓国民主党を結成し、安在鴻は韓国独立党を結成して、建準を批判し始めた。
呂運亨もテロリストに狙 われて姿を隠さざるを得なくなり、建準内部ではまずます左派の力が強まり、副委員長には許憲(ホ・ホン)が就いた(※)。
※明治大学を卒業した弁護士で、「三・一独立運動」で逮捕 者らを弁護。25年には朝鮮共産党の結成に参画した。
一方、各地の建準支部でも、当初は日本統治下で議員などに任命された有力者や資本家、民族主義者、共産主義者らが集まっていたが、やが て治安隊を掌握した左派の力が強まると、保守派は離脱して韓国民主党などに加わっていった。
アメリカ軍が上陸する前に「豪華メンバー」で独 立宣言したが・・・
左右の大同団結が崩れ、総督府から行政権を引き渡されなかった建準だが、9月6日に全国人民代表大会を開き、朝鮮人民共和国の建国を宣言した。これは9月に入って米軍の飛行機が飛 来し、「近日中に上陸」「布告及び諸命令は現存する官庁(=朝鮮総督府)を通じて発布する」というビラをまいたため、米軍がやって来る前に政府を樹立し、 朝鮮人の団結と自治能力をアピールしようというのが狙いだった。
発表された朝鮮人民共和国の閣僚名簿は、
大統領に李承晩、
副大統領は呂運亨、
国務総理(首相)が許憲、
内務部長(内相)は金九(=臨時 政府大統領)、
外交部長(外相)に金奎植(=臨時政府副大統領)、
財務部長(財相)は曺晩 植(「朝鮮のガンジー」と呼ばれた朝鮮北部のキリスト教民族主義者)
で、55人選出された人民委員には金日成も含まれるなど、大韓民国臨時 政府から抗日パルチザンまで国内外の左右両派を網羅したそうそうたるメンバーだったが、実際には李承晩や金日成、臨時政府の関係者など大部分のメンバーはまだ海外にいて、本人の承諾なしに勝手に閣僚名簿に載せられていた のだった。 
もっとも、呂運亨と許憲を除いてはいずれも 本人の承諾なし。
同時に
(1)朝鮮の自主独立、
(2)反帝反封建の民主主義実現、
(3)民衆の生活向上、
(4)国際平和共存
という政綱4原則と、日帝や 民族反逆者の土地没収と農民への無償分配、諸企業の没収と国有化という施政方針を発表したが、これらは呂運亨と許憲、朴憲永(パク・ホニョン=朝鮮共産党 再建派の指導者)がまとめたもので左派色が強く、反発した宋鎮禹ら右派は翌7日、国民大会召集準備会を開いて
「大韓民国臨時政府が唯一の存在である」
と宣 言。
呂運亨を「血を流さずに政権を奪取しようとする野望を抱いて乗り出した、日帝の走狗」と非難した。
9月8日に米軍が仁川港に上陸すると、呂運 亨は米駐留軍司令官のホッジ中将に面会を申し入れたが、「日本の手先」だと拒否され、「朝鮮独立を助けてくれた米軍を歓迎しよう」と集まった建準治安隊や 労働者は、警備していた日本軍に発砲されて死傷者が出る事態になった。
朝鮮総督府を接収した米軍は、9月11日に軍政庁を発足させて「軍政庁が南朝鮮(38度線以南)における唯一の政府である」という布 告を発表。朝鮮人民共和国は政府としての実態がないまま存在も否定された。
ポツダム宣言で朝鮮の独立を日本に求めたはずのアメリカが、なぜ朝鮮人民共和国を認めなかったかと言うと、独立を認める政府はあくまで 連合国の主導の下で作られるべきであって、降伏した日本の総督府と勝手に交渉して作った政府など、認めるはずはないから。そしてポツダム宣言に先立つヤル タ会談 はで、米英ソが「朝鮮は信託統治を経てから独立させる」と決めていたのだ。
こうして朝鮮人民共和国と建準はアメリカ軍の弾圧を受けるようになった。朝鮮人民共和国は「来年3月に総選挙を実施して、独立しよ う!」と呼びかけていたが、米軍政庁は10月10日「総選挙は軍政庁に対する最も重大な干渉であり、公然たる敵対行為である」という声明を発表し、朝鮮人 民共和国の解散を改めて命じた。建準は再び「建国同盟」を名を変え、各地の建準支部は「人民委員会」と改称して活動を続けた。地方では人民委員会が自治を 行い、治安隊が日本の敗戦で崩壊した警察に代わって治安維持を担っていたが、10月から11月にかけて米軍は南朝鮮各地に進駐して軍政庁を樹立。日本時代 に官僚や警官だった朝鮮人を再登用していった。呂運亨を当初「日本の手先」と警戒していた米軍は、や がて「容共主義者」とみなすようになっていた。
呂運亨は海外にいる李承晩や臨時政府関係者らが朝鮮人民共和国に加わってくれることを期待していた。しかし、 10月16日にアメリカから米軍機で帰国した李承晩は、米軍政庁への協力と「反共統一」を訴えて朝鮮人民共和国を非難。自らが中心となって新たに独立促成 中央協議会を結成し、総裁に就任した。一方で、11月下旬から12月にかけて中国から帰国した臨時政府の関係者らも朝鮮人民共和国を無視し、「大韓民国臨 時政府こそが政府の役割を担う正統組織」だと主張した。
李承晩にしても臨時政府の関係者にしても、終戦まで海外を拠点に独立を掲げて闘い続けた自負があり、呂運亨たちは「終戦のドサクサで朝 鮮総督府と手を結び、血を流さずに独立の主導権を握ろうとした連中」と映った。朝鮮人民共和国に合流することはプライドが許さなかったのだろう。
一方、38度線以北を占領したソ連軍は、8月下旬に38度線を跨ぐ交通や通信を遮断した。朝鮮北部の建準支部は曺晩植を中心に北朝鮮五道人民委員会連絡会議を結成し、朝鮮共産党と協力しながらソ連 軍から行政権を移譲されていたが、10月にソ連から金日成が帰国し、民衆から熱狂的に歓迎されると、主導権は金日成の手に移って行った。
南北統一による即時独立が不可能になった呂運亨は、軍政下で政治活動を行う道を選び、11月に朝鮮人民党を結成した。しかし地方では人 民委員会による自治活動が続いていた地域もあり、米軍政庁は12月12日に改めて朝鮮人民共和国は不法だと宣言。「「『政府』として行動を企てるような 組織の活動は違法行為となる」として、人民委員会を非合法化した。
呂運亨はUP通信のインタビューに対して、「アメリカが軍政府を樹立すると知っていれば、人民共和国を創設するようなことはしなかった だろう」と述べたという。
植民地から解放されたのに、混乱の中で命を落と した「英雄」たち
その後、朝鮮ではヤルタ会談による信託統治案が明るみになり、各政治勢力は賛成と反対に分かれて争い、左右合同や南北統一をめぐる動きも、李承晩派や金九 ら臨時政府派、韓国民主党、朝鮮人民党、朴憲永や許憲らが結成した南朝鮮労働党などが入り乱れて激しい抗争が続いた。呂運亨は46年7月から再び左右合作 運動に取り組み、米軍政庁の支援を取り付けて南朝鮮過渡立法議会を 創設したが、1947年に入ると右派の韓国民主党と左派の南朝鮮労働党が離脱して頓挫した。
結局、朝鮮の独立は南側が1948年8月に大韓民国として独立し、李承晩が大統領に就任。北側は翌9月に朝鮮民主主義人民共和国として独立し、金日成が首相に就任した。
朝鮮人民共和国の閣僚に名を連ねた主要メンバーのうち、許憲は北朝鮮へ移り最高人民会議の議長に就任したが、朝鮮戦争最中の51年に病死。
金九は李承晩に とって最大の政治的ライバルと目されたが49年に暗殺され、金奎植は朝鮮戦争中に北へ連行され病死、曺晩植は信託統治案に反対したことで45年末に金日成と対立して軟禁され朝鮮戦争中に殺害された。また、宋 鎮禹は45年末にテロで殺され、安在鴻は朝鮮戦争中に北へ拉致され65年に死亡、
朴憲永は南朝鮮労働党を率いて北朝鮮へ渡り金日成の最大のライバルになっ たが53年に失脚し、「朝鮮戦争を失敗させた米帝のスパイ」として55年に処刑された。
呂運亨も47年7月に右翼のテロで暗殺された。
しかし、左右合同と南北統一に最後まで情熱を傾けた人物として、今日の韓国と北朝鮮の双方で高い評価を受け ている数少ない存在だ。

世界飛び地領土研究会
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上海の大韓民国臨時政府

満州の抗日パルチザン

呂運亨

米軍を歓迎するため仁川へ出迎 えた朝鮮人民共和国の支持者たち







李承晩大統領
呂運亨副大統領
許憲首相
金九内相
金日成
曹晩植財相





参考資料:
パク・チョルギュ 馬淵貞利訳 「朝鮮解放直後の社会運動"慶尚南道馬山地域を中心にして"」『東京学芸大 学紀要第3部門第55集』 (東京学芸大学 2004)
ラテンアメリカの政治 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/
ナルゲ http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/index.html
wikipedia   http://ko.wikipedia.org/

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妄想の衝突
2019年09月12日 (木) 18:17
カテゴリ : 未分類
韓国人が1950年代以降、受け続けている歴史教育を概括的にいうと、
【李朝以降、朝鮮には「大韓帝国」という立派な独立国家があって、善政が敷かれ、国民は豊かな生活を謳歌していた。その素晴らしい国に、19世紀末に、突然、日本人がやってきて軍事力で朝鮮を占領し、文明を破壊し、資源を略奪し、植民地に変えた結果、朝鮮民衆は、幸せな生活を壊され、日本人の奴隷としての塗炭の苦しみに追い込まれた。朝鮮は、古代から優れた民族で、文化的にも高く、日本人に文字をはじめ文明を授けた。】というところで、こうした歴史観を、5歳くらいから、「パブロフの犬」のように、繰り返し繰り返し、教育によって洗脳され続けるのである。これでは、半数以上の韓国人が、「日本を懲らしめる」と、反日姿勢に凝り固まるのも当然だろう。
https://news.livedoor.com/article/detail/12846317/
https://ncode.syosetu.com/n4357cw/73/
実際のところは、どうか?
日清戦争の勝利を受けた下関条約で、それまで清の冊封体制隷属国であったのを、日本の介入によって独立させたのが大韓帝国で、李氏の血統を残して、日本皇室の血を入れるため、梨本宮方子が李垠=李朝27代=大韓帝国初代に政治的に嫁がされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%96%B9%E5%AD%90
18世紀の韓国は、ソウルでさえ、トイレのない家が大半で、道端がトイレ代わりになり悪臭に満ちていた。つまり、公共インフラらしき道路も上下水道もほぼ存在しなかった。およそ、文明国とはいえない現状はイザベラ・バードの探訪記にも詳しく書かれている。
https://www.youtube.com/watch?v=iWk3YmWQL5w
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C
為政者の両班階級は、とても残酷が好きで、激しい階級差別と奴隷制度があった。両班と手先は底辺の民衆を捕らえては拷問にかけ殺害したり強姦したりが日常茶飯だった。
https://hinode.8718.jp/photo_korea_torture.html
李朝は、見栄ばかりで無能な官僚によって自滅し、欧米が植民地にするために虎視眈々と侵攻を準備している現実を知り、日本政府は慌てて朝鮮を自国領とする工作を開始した。それまで、文明らしい文明の存在しなかった朝鮮社会に、短期間で近代文明のインフラを構築し、李朝下の奴隷制度や、「試し腹」といわれる近親相姦を禁止した。
https://leisurego.jp/archives/236281
日本が朝鮮社会を近代化したのは紛れもない事実である。その結果、わずか30年で、ソウルは見違えるような近代都市になり、世界のあらゆる文明都市と比肩しても見劣りしないまでになった。
https://www.youtube.com/watch?v=RMe07oF02Fg
https://www.youtube.com/watch?v=iWk3YmWQL5w
20世紀初頭、大韓帝国には小学校が40校しかなかったが、1940年代には1000校を超えている。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm
この結果、大半の朝鮮人は、日本人に対して、台湾と同様に、近代文明をもたらした日本に対し、強い好感を抱いていて、反日思想はほとんど存在しなかったともいえる。この時代、1920~30年代は、朝鮮の被差別下層大衆にとっては、日本社会は憧れの別天地であり、賃金が日本人の半分であっても、年間5万人もの人々が我先に日本に移住しようとした。徴用工・慰安婦問題には、こうした背景がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
しかし、日本が世界を相手に第二次世界大戦に突入すると、様相が一変し、1944年からは、徴兵代替としての強制徴用が開始される。戦争中の朝鮮民衆に対する扱いは、日本人でさえ450万人もの犠牲者が出たことから類推できよう。日本人は一等国民、朝鮮・台湾人は二等国民と区分され、日本人は生活を追い詰められるほどに朝鮮人を敵視し、友好的な姿勢を失っていった。こうした差別姿勢は、私の子供時代、1950・60年代ですら「チョンコロ・チャンコロ」などの差別用語が残るほど顕著であった。
すでに何度か書いたが、在日者は激しく差別され、まともな就職口はなく、唯一、プロスポーツ、芸能界、土建業界、ヤクザ社会、博打や歓楽街などの享楽業種のみに従事するしか生きてゆく手段がなかった。日本社会を熱狂させた、戦後、芸能界、プロスポーツ界のスーパースターの大半が在日者であった。力道山(金信洛)はもちろんだが、月光仮面のモデルも、原作者によれば大山倍達(崔永宜)だったそうだ。芸能界に至っては、今でも圧倒的な在日者の世界である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
当時の朝鮮・韓国人に対する差別の風潮を、私は、大阪西成区に類似した名古屋市中村区で、幼い頃から見聞きし続けた。同級生にはパチンコ産業開拓者であった正村の娘がいたし、歓楽街の頂点だった大門という赤線地帯を支配していたのは、大半が在日系ヤクザであり、同級生にも必ずたくさんの在日者がいた。彼らが、一様に在日者特有の差別を受けていた事実を私は目撃し続けた。だから、事情を知らない軽薄なネトウヨが、「在日差別は存在しなかった」などと主張するのには、怒りと軽蔑以外の印象はない。
だが、韓国本土の日本敵視は、李承晩時代から激しさを増した。それは、おそらく、戦時中の強制徴用労働者に対する人権無視の奴隷扱いに対する怒りが根底にあったのは間違いない。
日本人が韓国人と同等の待遇だったというのは、真っ赤なウソである。それは、例えば松代の天皇防空壕問題や雨竜ダム問題、など全国各地で、朝鮮人に対する虐待や虐殺があり、私の若い頃は、それを直接目撃した人もたくさん生きていて、証言している。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23704/20170503/matsushiro-daihonei.htm
https://toyokeizai.net/articles/-/185509
http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2008/06/0806j0121-00001.htm
https://johonage.exblog.jp/13655715/
これほどの国ぐるみの憎悪を引き起こすほど、戦時中の朝鮮人に対する扱いは苛酷だった。
「日本人と同等だった」と主張する者は、「日本人は偉大な民族だ」と勘違いしているネトウヨばかりで、実態をカケラも知らない者ばかりである。だいたい、今でもネトウヨが「チョン」という蔑称を多用している現実から歴史に向き合ってみたらいい。
しかし、一方で、韓国人による大韓民国発足後の歴史歪曲も甚だしいものがある。冒頭に紹介したように、「大韓帝国は素晴らしい国で、文化も高く人々が幸福な生活を送っていたのを日本人がやってきて、ぶち壊した」という主張も、ひどいウソであることは、上の方にリンクしたイザベラバードの紀行文を見れば一目瞭然だ
李朝も大韓帝国も文化的に極めて素養の高い国で、日本人に文明を教えた。古代でも、百済は王仁という博士を日本に派遣し、言語や、あらゆる文化を教授した。 https://www.shoai.ne.jp/hirakata-s/minwa/f151001/f151001.html
出口王仁三郎が名前を取った王仁博士というのは、実在の真偽は不明であるが、これは日本書紀に記録されている弓月氏らのことを指すのだろう。現実には、王仁博士が実在したとしても、百済人であるとするなら、それは韓国人の先祖ではない。むしろ、天皇家=騎馬民族の先祖であり、女真族である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
すでに、このことは何度も書いているが、現在の韓国人の先祖は、DNA検証によって、濊族=エベンキ族であることが明らかにされているが、この研究成果を韓国人学者が公開してから数日以内に、あらゆる文献から、このことが削除されてしまった。韓国は、自分たちを彩る空想小説に合致しない歴史的事実は、たちまち隠蔽し尽くすのである。あくまでも、自分たちを讃美し続ける夢の世界に住み続けたいのだ。
https://kirari-media.net/posts/184
http://check.weblog.to/archives/4051080.html
夢の世界に生きる「夢追い人」が韓国人の本質なのである。しかし、それを日本人が批判できるだろうか? 否!日本人もまた、優越的空想・妄想に酔い痴れ、ナルシズムに夢中になってきた。だからこそ、妄想どうしの衝突が起こり、日韓対立が生まれるのである。そもそも、平泉澄東大史学部教授が作り出したといわれる皇国史観は、優越妄想に満ちた虚構にすぎない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A6%B3
そもそも、万世一系、2600余年前に高千穂に降臨したという日本武尊なんて存在は、漫画の世界だけに存在する虚構であることは誰でも分かるはずなのに、本気で信じている人がいまだにいる。
私の推理では、2600年前に呉越戦争があり、呉国が破れ、当時の戦争の掟では、敗戦国住民は生き埋め(坑刑)で皆殺しにされることが多かったので、水郷地帯(蘇州)にいた呉人は、大量の船で日本や朝鮮南岸に移住したと考えるべきである。これは中国の史書にも、たくさん掲載されている歴史的事実である。
中国では早くから、日本は太伯の末裔だとする説があり、たとえば『翰苑』巻30にある『魏略』逸文や『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝などには、倭について「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とある。同様の記述は南宋の『通鑑前編』、李氏朝鮮の『海東諸国紀』や『日東壮遊歌』等にもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF%E3%83%BB%E8%99%9E%E4%BB%B2
つまり、呉は国ぐるみ敗戦により、船で移住し、一部は朝鮮南岸へ、多くは九州北岸や有明海に上陸し、弥生人国家を作り、やがて邪馬台国が生み出された。それから、ヤマト国・倭国(朝鮮南岸を含む)の800年くらいの歴史を経て、こんどはAD300年くらいから、百済が国ぐるみで日本列島に移住し、高句麗・百済由来の女真族=騎馬民族が大量に日本列島西部に流入し、江上波夫が明らかにしたように、ヤマト王朝を簒奪したと私は考える。反江上説については、DNA解析上の証拠が出されているが、私は信用できないでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
理由は、江上説を誹謗する学者の多くが、皇国史観系の影響を受けている人物ばかりだからである。そもそも、皇国史観=平泉澄の本質は、「豚に歴史がありますか?」なのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-827.html
つまり、神武以来の万世一系伝説を壊す江上波夫説に対する敵意が満ちていて、DNA解析を根拠にしていても、いくらでも突っ込みどころがあり、民族学・民俗学と完全に矛盾する論理を見せているし、弥生人を蘇州由来でなく、朝鮮人とするようなトンチンカンな学説もあり、私には信用に値するものではない。私に言わせれば、皇国史観もまた、朝鮮・韓国人の「偉大な大韓帝国」とよく似た夢想・妄想にすぎない。どちらも、現実を無視した夢追い人であるから、夢同士が齟齬を起こし、矛盾の連続で不協和音を奏でている。
そもそも、民俗学をきちんと学んだ者なら、天皇が切れ長の目、一重瞼で、感想耳垢で、すらりとしていて、と知るだけで、ツングース由来とピンとくるものだ。由緒正しき皇族で二重瞼がいるか? つまり彼らは源平藤橘の末裔だからだ。目の大きな二重瞼の小柄で小太りな体型を見ただけで、これこそ弥生人と理解できるのであり、彼らこそ、日本に稲作を持ち込んだ救世主だった。だからこそ、天皇が高句麗由来の騎馬民族末裔であることなど一目瞭然なのである。こんな基礎的な民俗・民族検証も無視して、何が皇国史観だ、笑わせるな!そもそも、いずれも、人間は「ただの人」であるという究極の本質的な現実認識からかけ離れ、雲間を泳ぐ殿上人であるかのような勘違いの妄想から抜け出せないでいるのだ。
「この世には、地球と人しかいない」
という現実を直視できず、「偉大な大韓国」とか、「偉大な皇国日本」とかの現実には存在しえない軽薄な妄想に酔いしれているのだ。その意味では、「偉大なアメリカ」を連発するトランプも同じ穴の狢である。我々は、地球と人しかいない現実の上に論理を組み立てなければならない。イムジン河の上を飛び交う鳥も、魚も、獣も、国境など何の関係もない。実は人も関係ないのだという現実を認識することが、日韓共和の第一歩であり、妄想の夢から覚めて、惨めな弱い人間である価値観を共有することこそが、日韓問題解決の第一歩である。
 
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