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Takahata521: テスラ博士とトランプ博士

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Takahata521: テスラ博士とトランプ博士
テスラとトランプとルッキンググラス
2021/06/18 00:09
テスラはトランプがQを満たしている:Qは未来を見ることができるか?(C'mon!私たちは皆それを考えています!- レノア・トンプソン、作家 (lenorathompsonwriter.com)
愛国者:レノラ・トンプソン著書
2021年6月15日の時点で警告なし&説明なしでアカウントを停止されたと言います...
注):くだけた言葉遣いのせいか、翻訳が困難で少し変ですがご了承下さい。
Qは未来を見ることが出来るだろうか?
ああ、自分を乗り越えろ!あなたがそれを考えていることを知っています。Qは、X、Y、Zが実際に発生する何年も前に、X、Y、Zについて少し知りすぎているようです。
シンプソンズが未来を予測できるのなら、なぜQはできない?!笑 
私たちは皆それを考えているので、これについて話すこともできます:Qは物事が起こる前にそれを知る能力を持っているようです。しかし、それは可能なの!?! 
もしそうなら、私たち全員に「すべてがうまくいく」という落ち着きと安心感を与えるはずです。 さあ!陰謀論を始めましょう。楽しくなるよ。約束します。
■オーガニックタイムトラベル
私はこの記事を調査し研究したので、それは単に未来を見るタイムラインのための自然なことでした。ぼやけた未来へ旅行します。そして、タイムトラベルに関する1つの詳細が明確になりました。誰かがタイムトラベルを行ったと主張するすべての名声を行く場合、はい、彼らはおそらくそうではありません。さて、それはタイムトラベルが存在しないという意味ではありません。まったく逆です!
ちょうど今日、私の曽祖父ハロルドのように、雷に打たれた紳士についての1970年代の話を聞きました。私の曽祖父はひどく火傷を負い、その後癌を発症し、最終的に彼を殺しました。しかし、私たちの話の幸運な紳士は単に姿を消しました。彼の家族が必死に彼を捜した60数時間後、彼は突然、自分の庭の茂みの下に再び現れ、記憶喪失に苦しみ、失踪したときに履いていたものとは異なるズボンを履いていました。ゆっくりと彼の記憶は戻り、彼は60時間行方不明だった間に、その歩みをたどることができましたが、ショックで治療をした医師と彼が病院で着用するように与えられたズボンは両方とも1950年代のものであることがわかりました。その大きな電気の走る衝撃は彼を20年前に戻しました。
別の話では、1950年代の女性と一緒に1950年代の車が突然薄気味悪い空気から実体化したとき、男性が田舎道をうろついていました。彼女は現れたのと同じくらい早く消える前に彼を見つめていたので、彼女は非常に混乱しているように見えました。
それはタイムシフトと呼ばれている現象だと思います。時間と空間に問題があります。外部からの干渉なしに現実の生活の中で有機的に起こるとしたら、何が原因で起こるか想像してみてください...
■テスラ・ハプニング
マイケルは、政府/軍隊があなたにいくつかの高度な技術を見せることを許可しているかどうかを常に私に話します、彼らはすでに少なくとも40年前からそれを持っています。それは私たちをテスラに繋げて行きます。すべての道はテスラに通じていますよね?いいえ、爆発する電気自動車ではありません、テスラ!素晴らしいセルビアの発明家、ニコラ・テスラ。この写真は私の家の壁の名誉ある場所に飾っています。彼は私の素晴らしい夫、マイケルが実際に尊敬している数少ない人の一人です。
テスラは最初のACモーターを発明しました、そして彼の方法を持ってすれば、私たちは皆電気エネルギーを空中から無料で手に入れられたでしょう。
テスラは1926年に携帯電話技術とテレビがどのように機能するかを説明しました。そして彼はおそらく政府が明らかにイラクで敵の戦車を爆発させたり、カリフォルニアの山にピンポイントで火をつけたりする「デスレイ」(粒子ビーム兵器;指向性エネルギー兵器[DEW])を開発しました。
少し逸脱しますが、1943年にニコラテスラが亡くなったとき、外国資産管理局が急襲し、すべてを盗みました...テスラのメモ、手紙、図面、概略図、彼の甥であるサヴァコサノビッチに合法的に渡すべきだったすべてのものが汚されました。しかし、彼らは自分たちが何を持っているかを知る知識がありませんでした。FBIは、テスラのすべての論文を調べて、武器の設計が悪意ある人の手に渡らぬように調査して報告するため技術者を必要としていました。結局のところ、これは1943年であり、第二次世界大戦が本格化していました。
ここで物事が本当に興味深いものになっていきます。彼らはテスラの論文をレビューするためにMIT電気工学の教授を選びました。彼の名前はジョン・トランプ博士でした。そうです、ドナルド・ジョン・トランプ大統領の叔父は、テスラのすべての論文が分類されて消える前に最初の(そしておそらく唯一の)人であり、彼が見たものについて甥に率直に話しました。鳥肌はまだですか? 話はまだ始まったばかりです。
■過去、現在、未来
NewsPunchのショーン・アドル -タバイタイ は、「磁場と共に高圧電力でテスラの実験をしたところ、時間と空間が変形し、本質的に別の時間軸につながる可能性のあるドアが作られ変形する可能性があることを発見した」と書いています。テスラは記者に「自分の空間と時間軸から出て行ったことを発見し、電磁電荷からの共鳴と接触した。過去、現在、未来を同時に見ることが出来た」と言いました。それは1895年のことでした。その後、1943年には有名なフィラデルフィア実験が起こり、もちろん徹底的に非難され、宇宙だけでなく時間を通じて船員を甲板に同化させ打ち込みました。
※実際の記録写真、その後真ん中の軍艦は消えました
その後、タイムトラベルを含むモントークプロジェクト(1971-1983)がありました。1960年代の海軍の技術は、歴史的な時代の視覚的なシーンを見るために使用することができ、エリア51内部告発者ボブ・ラザールが「プロジェクト・ルッキング・グラス」に言及した1989年に再び現れます。悲しいことに、彼らはホームレスの子供たちを実験に使用し、毎年50万人の子供たちが米国でどのようにして行方不明になったかを部分的に説明するかもしれない「時間のポータルを通して」彼らを送ったと言われています。
ここでQポストに戻ります。
投稿#3585には、「Project Looking Glass?過去を振り返るために前進する」と書かれています。
Qはまた、「未来は過去を証明する」というフレーズを繰り返します。つまり、基本的に、Veritas LegioのFacebookの投稿が正しければ、ブラックハットにはこの未来のルッキンググラス/タイムトラベルテクノロジーがあり、ホワイトハットにもそれがあります。それは、現在猛威を振るっている善と悪の間の戦いに新たな顔色をもたらします。
今はここでの戦いだけでなく、未来からの戦いでもあります。5次元チェスゲームはさらにいくつかの次元を追加しました!
■ルッキンググラス・ハプニング
ドナルド・トランプはProject Looking Glassについて知っていますか?もちろん、彼はそうです。彼は大統領になる前のセキュリティクリアランスとブリーフィングを受ける前からジョンおじさんにそれを聞かされ知っていたと仮定しても不思議ではありません。
■インガーソルロックウッド・ハプニング
ニューヨークの弁護士で作家のインガーソル・ロックウッド(1841-1918)は、ドナルド・トランプが大統領になったとき、愛国者が彼の本を再発見していなかったら、おそらく安らかに休み続けたでしょう。
1889年、彼は大統領の息子バロン・ウィリアム・トランプのように見えるイラストを使って、「ウィルヘルム・ハインリッヒ・セバスチャン・フォン・トルーム」(一般的に「リトル・バロン・トランプ」と呼ばれる)探検に関連するバロン・トランプの素晴らしい地下旅行を書きました。少年とイラストは同じトランプ独特の口をしています。
※地下でのDS退治?
その後1896年に、インガーソル・ロックウッドは最後の大統領「政治的な部外者が、米国大統領に選ばれ厳しい反対を克服する」方法を詳しく書きました。彼はその後、ペンス農業長官としてLafeを任命し、暴徒が5番街のホテルを攻撃している間、銀の価値が高まり、最終的には誰かが国会議事堂を爆破します。
誰かが、ニコラ・テスラとロックウッドは歩いて行ける距離に住んでいたと投稿しましたが、それを確認する方法はありません。昨年、インガーソル・ロックウッド社がどこからともなく設立され、デラウェア州に組み込まれ、1717ペンシルベニア・アベニューで(おそらく仮設)オフィススペースを借りて、本当にキックa$のウェブサイトを立てました:https://ingersoll-lockwood.com
彼らは当時、インガーソル・ロックウッドが彼の知識を会長兼CEOのスティーブン・G・サミュエルズの家族に伝えたと主張しています。ウェブサイトは時々変わります。そして、それでも完全にあなたを納得させないのであれば、ここに時間の概念「トランプ」という名前に結び付けるものがあります。私はあなたにインガーソル・トランプ懐中時計をお見せします。
■そしてもう一つ
今、私たちは100%証明のない推測の領域にいますが、私はこれらの写真を見たとき、まあ!あごが床に落ちました。まあ、それなりに楽しかったですよね!? 私たちは陰謀論に満ちていて、ウサギの穴に飛び込んで物語を伝えるために語って来ました。あなたが言わないなら、私は言いません!;)
それが何を意味するのかを言うのは難しいですが、見たとおり、それ以上のことは何もありません。いつものように、シェイクスピアはそれを最もよく要約しています。
「あなたの哲学で夢見ているよりも、天と地にはもっと多くのものがあります。
信じるか信じないかはあなた次第です...
トランプにも当然ロック・ロス茶との繋がりがありますが、私にはこのファミリー達が他の歴代DS大統領のような悪人には見えません。

メモ・独り言のblog
http://takahata521.livedoor.blog/archives/9141101.html















トランプ男爵の素晴らしい地下旅行
Wednesday August 9th ,1215 mountain time
Just plain bizarre! - 124 year old books with VERY weird parallels to 2016-17
youtube.com
https://www.youtube.com/watch?v=F-bT8IPZ3Tg
https://www.youtube.com/watch?v=6_m1mFupmgM
Ingersoll lockwoodの2冊の本を紹介する。
1冊目のタイトルは「トランプ男爵の素晴らしい地下旅行(Baron Trump's Marvelous underground Journey)」。
著作年は124年前。
もう1冊は同じくIngersoll lockwoodの著作「最後の大統領(The Last President)」
著作年はほぼ同時期の124年前。
同じ著者による1800年代後半の作品。
だいたい1890年だろう。
どちらも米国議会図書館に納められている。
今,その本は私の手元にある。
■トランプ男爵の素晴らしい地下旅行
まず「トランプ男爵の素晴らしい地下旅行(Baron Trump's Marvelous underground Journey)」。
266ページの作品。
作者はIngersoll lockwood。
内容はといえば。。非常に奇妙な印象だ。
タイトルの偶然の一致というレベルではなく,トランプ・ファミリーと重なる点が奇妙に多い。
陰謀理論家に言わせれば,タイムトラベルしたトランプ・ファミリーが書かせた小説だという話にもなりかねないが。。
今の社会の非常に近いイメージ・パラノーマルな印象。
挿絵の下にある注釈はこう書かれている。
「トランプ・ファミリーのモットー:本の一つ,それは栄光への路,落し穴と危険がいっぱいの栄光への路。。]
ざっと読んで見つけたポイントのいくつかを紹介しよう。
改めて言うが,この作品が書かれたのは124年前だ。
あるところに「トランプ男爵(Baron Trump)」という名前の少年がいた。
少年の父親は現役の大統領。
裕福な貴族階級の少年・トランプ男爵はトランプ城(castle trump)から街にでて冒険をする。
「トランプ男爵は街にでた。全てが銀でできた街。
銀。銀。。トランプ男爵少年の目に映るものは全てが銀でできていた」。
[87頁]
少年「トランプ男爵(Baron Trump)」には「ドン(Don,the Master of all Masters by the name of Don)」という名前の先生/マスターがいた。。
ドン(Don)先生はトランプ少年に地図をわたしてある場所に行くための道を教える。
ある場所に行くための道の記述は7頁にもあるが,その場所は異次元世界/内部地球の入り口がある「北ロシア(Northern Russia)」。
だいたいの場所はロシア北部のウラル地方。
少年・トランプ男爵は,ドン先生に案内されロシアに旅にでる。
さらに同じ87頁にある記述は現代の世界を描いているように思えた。非常に奇妙な感じだ。
「ベッドのそばに細長い水晶の柱が立っていた。柱はゴーグル・ランド(Goggle Land)の終わりが記録されていた」。
「ゴーグル・ランド(Goggle Land)」の説明はこの章に数か所ある。
「ゴーグル・ランド(Goggle Land)」。
その響きから「Google」を連想する。
[98頁]
「大理石製のハイウェー(Marble Highway)」は現代世界の舗装のゆきとどいた道路の表現だろうか?
[100頁]
「ロンサム(long thumbs)」という男の想い出のシーン。
[105頁]
ドン先生に案内されてトランプ男爵少年はロシアに向かった。
トランプ男爵少年は贅沢な,しかし時代遅れの服と宝石をまとい,トランプ城からはるか遠くに来た。
トランプ男爵少年はの目指すのはロシア。異次元世界/内部地球の入り口だ。
■最後の大統領
「最後の大統領(The Last President)」もIngersoll lockwoodの同時期/1800年代後半の作品。
60ページの比較的短い作品。
この本で語られているのは崩壊寸前にある米国経済。
こちらの本も,現代とのリンクが半端ではない。
信じられないほどのパラノーマル感覚を味わえる。
ニューヨークの五番街に住んでいた裕福な男。
男は大統領選挙に立候補する。
完全な負け犬同然の状態ではあったが,大方の予想を覆して大統領選挙に勝って大統領になる。
(トランプ大統領の自宅・トランプタワーはニューヨークの五番街にある)
予想を覆して大統領になったこの男は,自分自身の通貨をつくる。
自分自身の通貨をつくったこの男は当時を回想する。
それがこの本の大筋。
崩壊寸前にある経済世界の中で,男は自分自身の通貨をつくる。
しかしこの新通貨がうまく機能しない。
[7頁]
「シカゴでは暴動が起きていた。男は大統領選に勝った時,シカゴについて語った。
[16頁]
前作品と同様,この章では奇妙な現代とのリンクがある。
選挙当時,勝利すると予想した人はほとんどいなかった。予想を覆して大統領になったこの男は就任後に組閣を行う。
国務長官:William Stewart(Secretary of State William Stewart)
農務長官:Lafha Pence(Secretary of agriculture Lafha Pence)
海軍秘書:John Garey(secretary of Navy John Garey )
(いずれも現役職についている人と同名!)
[18頁]
就任後間もなく,大統領は大統領令(executive orders)に署名する。
くりかえすが,どちらの作品も124年前に書かれたものだ。
その作品がこれだけ未来の現実にリンクしている奇妙さは驚愕に値する。

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「ジョン・タイター=トランプ大統領」説
2018/3/1
オーパーツ, 予言, 呪術・魔法ジョン・タイター, トランプ大統領
先日、アトラスでは1998年から2001年にかけて現代にやってきていた未来人ジョン・タイターが、2016年頃から再び活動を再開している事について報告した。
そんなジョン・タイターに衝撃の説が出てきている。その名も、
「ジョン・タイター=トランプ大統領」
である!
彼は自身が2036年の未来からタイムマシンでやって来たと主張していた。
1998年生まれの30台男性で、米軍に所属しており任務のために現代にやってきたとのこと。
そして、彼のいる2036年は第三次世界大戦で荒廃してしまっており、未来を変えるために訪れたとも述べている。
未来から来た証拠として、彼はいくつかの予言を残しているが、これは的中したものも外れたものも両方存在している。
外れた予言の中には
「アメリカが内戦状態になり多数の死者が出る」
などの予言もあるため、もしかしたら、彼が未来を変えることに成功した証左なのかもしれない。
一方でこれは現在のアメリカのトランプ大統領支持派と反支持派の対立を指し、北朝鮮に対する強硬姿勢を強めていることとも関係があると解釈する人もいる。
そこから転じて、ジョン・タイターの正体に関して衝撃的な噂が出てきているのである。
それが前述した「ジョン・タイター=トランプ大統領」説である。
イギリスのデイリー・スター紙等で紹介された説で、1943年に行われた
「戦艦をレーダーから感知できなくさせる」
ための実験「フィラデルフィア実験」の調査をトランプ大統領の叔父でありアメリカ国家科学賞を受賞した経歴もあるジョン・ジョージ・トランプ氏が行っていた事に端を発する。
フィラデルフィア実験の結果を検証した結果、彼らはタイムマシンの開発に成功。未来の惨状を目の当たりにしていたのではないか、というのだ。
トランプ大統領は「核兵器の恐ろしさを叔父から聞いた」と述べており、また幾つかの偽名も使い分けている。
その偽名の一つにジョン・タイターという名前があったともされているのだ。
様々な未来人の書き込みの中で、2016年のアメリカ大統領選挙に触れたものもある。
「未来を変えたい」と言っていた未来人の予言では、いずれも大統領に選ばれていたのはヒラリー・クリントン氏であり、トランプ大統領ではなかった。
未来を予め知ったトランプ大統領が、不幸な未来を変えるために出馬し、大統領の地位をもぎ取ったのだろうか?
しかし、世界情勢は未だに緊張したものとなっている。
第三次世界大戦への道をひた走っているのか、我々の目で確かめるしかないのかもしれない。
(加藤史規 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

ミステリーニュースステーションATLAS
https://mnsatlas.com/?p=32476




Top ten scary time travel urban legends

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名無し三等兵;軍事怪談あげていけ.....

名無し三等兵;軍事怪談あげていけ.....
2020年12月26日00:00
軍事な怪談『雲の中に消えたノーフォーク連隊』
1: 名無し三等兵 03/08/06 23:46 ID:RdaY/jMA
昭和17年,旭川のとある駐屯地に一人の歩兵が現れた。下半身ずぶぬれ・
野戦服に着剣された小銃を持った彼は,不審に思う歩哨に見送られ駐屯地の中へと消えた。
翌朝,その駐屯地からガダルカナルへと出撃していた部隊の玉砕が知らせられた…。
といった感じの戦争・戦場にまつわる怪談・奇譚があったら教えてください。
転載元:http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1060181183/
未解決事件の中で1つだけ真相を知れるなら,どの事件が知りたい?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4843639.html
15: 名無し三等兵 03/08/10 20:35 ID:???
昭和19年11月14日の夜のこと
水戸歩兵第2連隊で突如営門が真一文字に開き,同時に進軍ラッパが遠くから響いてきた
衛兵が警戒して見ていると,一個連隊ほどの部隊が行進してくる
その先頭で連隊長の中川大佐が馬に乗り抜刀し,それに兵士が無言でついて来る
衛兵司令は直感的に「捧げ銃」を命令
衛兵が不動の姿勢で出迎えると,営庭の途中で部隊の姿が掻き消すように見えなくなった
その日は村井少将と中川大佐が自決 生き残りが最後の突撃を敢行 玉砕した日だった
この時点で玉砕は誰も知らされていなかった
16: 名無し三等兵 03/08/10 20:41 ID:d5qZv/QA
黒澤明監督の映画「夢」の復員兵のエピソードも怖いな。
18: 名無し三等兵 03/08/10 20:53 ID:???
終戦直後,品川駅にダイヤにない列車が到着しそこから降りた復員兵は夜の街に消えていった。
19: 名無し三等兵 03/08/10 20:57 ID:???
第一次大戦中,トルコ軍とイギリス軍が一つの丘の争奪戦を繰り広げていた。
イギリス軍1個中隊が山頂に陣取るトルコ軍目がけて突撃。
しかし,彼らの周囲を白い雲が包んだ。
その雲が晴れたとき1個中隊が丸々消えていた。
トルコ軍の交戦記録にもこの中隊を殲滅したという記録は残ってない。
確かこんな話があったような・・・。
108: 名無し三等兵 03/08/18 18:16 ID:???
激しく遅レスだが>>19は多分これだね。
>●雲に飲み込まれたイギリス兵
>第一次世界大戦中の,1915年8月21日。トルコのアンザックの近くにある,サル・ベイ丘。
>この日,341名のイギリス陸軍・ノーフォーク連隊がその丘の方へ向かって行進していた。
>そして連隊が進んでいくにつれて,丘の上にかかっていた灰色の雲がだんだんと下へ降り始めてきた。
>その雲はやがて丘を完全に覆い尽くし,ノーフォーク連隊の数百名はその雲の中へ向かって行進しているかのようにも見えた。
>だが,雲の中へ入り込んだイギリス兵は,それから一人も姿を現さないのである。
>この出来事は,イギリス軍側のニュージーランド兵22名が一部始終を見ていた。
>一時間後,風が吹き始め,先ほどまで丘を覆っていた雲は,また段々と上昇し,すっかり辺りが見渡せる状態になった。
>だが,確かにその丘に向かって行進していたイギリス兵は,一人もいなくなっていたのである。
>ニュージーランド兵が見ていた場所からは数十㎞四方が広々と見えるよう場所であり,その付近に隠れるような場所など何もない。
>341名全てが行方不明になったという通報を受けたイギリス軍はただちに調査隊を送り,ノーフォーク連隊の行方を探したが,
>全く手がかりがなく,一人の死体さえ見つけることが出来なかった。
>●3000人の中国兵
>第二次世界大戦中の1939年10月。
>3000人の中国兵が汽車で南京の近くの広野に運ばれ,夜になって約3㎞に渡って,兵士たちは配置された。
>そして兵士の配置も完了し終わって数時間後,司令官が宿舎から,再びその前線に戻ってみると,
>さっきまでいた,3000人の兵士たちが全て忽然と姿を消していた。
>野原には,焚き火が燃え続けており,銃は全て投げ出され,また,地平線に至るまで,一つの足跡も発見出来なかったという。
26: 名無し三等兵 03/08/10 21:15 ID:kOdtvIQO
こういう話もあります。
ある歩兵小隊が,敵の盛んな銃撃を受けて,竦んでいた。
背後に自軍の砲兵隊の陣地があるが,敵の砲撃に比べその活動は,どうみても活発ではない。
さらに,自軍の砲兵陣地に敵弾が落ち,沈黙した。
砲の援護もなく,最後かと思った歩兵小隊の背後から,一門の野砲だけが必死の援護射撃を開始した。
感動を勇気に,小隊は突撃し,敵を撃退した。その最後まで,たった一門の砲は吼え続けていた。
敵の退却を確認した後,小隊長は,礼を言おうと,たった一門の砲兵陣地に向かった。
砲の横で,最後の砲兵が敬礼をしていた。
背の低い兵だった。
小隊長は,まだ遠かったが,敬礼を返しつつ,砲に向かった。
だが,近づくにつれ,怪訝になった。砲兵の背が低すぎるのだ。
そして,最後の硝煙が晴れたとき,小隊長はようやく,あることに気づいた。
よくみると,その砲兵には,下半身が無かった。
31: 名無し三等兵 03/08/11 01:12 ID:0LtSxyzk
俺がじーさんから聞いた話し何だけど
たしか,戦時中に台湾沖を夜に二隻の船が航行中。
ふと片方の船員が隣の船を見ると,甲板をゆらゆらと走る火の玉のような物を
見た,不思議に思った船員が双眼鏡で見てみるとそこには松明の様な物を持った
女が甲板を走り回っている姿が見えたそうだ,
33: 続き 03/08/11 01:25 ID:0LtSxyzk
船に女は乗せない筈なので,その船に女が走り回っている事を連絡した
ところ,そんな者は見当たらないと返事が返ってきた。
その女は船を囲む様に甲板を2周ほどすると,前方の甲板から
す~っと海に吸い込まれる様に消えたそうだ。
そして女が走り回った船は夜中の内に行方不明になった。
隣を航行していた船も,隣の船が消えた事に朝が来るまで
気がつかなかったらしい。
35: 続き 03/08/11 01:28 ID:0LtSxyzk
じーさんの話に因ると
何でも台湾には船に危険を知らせる,女性の神様がいるとの事らしい。
この場合,不幸を運んできたと思うんだけどね。
37: 名無し三等兵 03/08/11 02:13 ID:fsnSSJoM
>>33
多分その二隻は帝安丸と第二久栄丸っていう小型貨物船だと思う
第二久栄丸が次の日忽然と姿を消してたって話
66: これ面白かった 03/08/16 00:26 ID:XEW7Cd/a
211 名前:名無し三等兵 投稿日:2001/07/29(日) 04:54
ガキの時分に,鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。
ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって,その後,その部隊の前線基地に,
夜な夜な,死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
彼らはいずれも,足がちゃんとあり,懐かしそうに
「よお!」とか言いながら,現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
神主の息子の兵士がまじないをやったり,お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても,まったく効き目無し。
そのうち,ズカズカ上がり込んできて,貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも,いきなり手がスルスルっと伸びて,木の実を取ったりして,明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが,なんとも手の施しようが無い。
見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが,幽霊たちが集まっているところへ,
ツカツカと歩いていって,いきなり大声で,
「全員,整列!」
と言うと,素直に整列したそう。そして,
「貴様らは,全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」
隊長が涙を流しながら言うと,幽霊たちは,しばらく呆然とした顔で佇んでいたが,
そのうち全員が泣き始め,やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。
あとにはその土だけが残り,彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め,残りを少しづつ日本に持って帰って,供養したそうです。
「へんな幽霊だね」と僕が言うと,ジジイは,
「日本人の幽霊でも,死んだ場所が変わると,ちょいと変わるんじゃい」
と言っておりました。
67: 名無し三等兵 03/08/16 00:31 ID:???
ちょっと悲しいはなしですが,,,,。
今から50数年前,日本がまだ戦争中だった頃にあったことです,,。
皆さんは航空母艦(空母)ってしってますよね?船から飛行機をとばす奴です。
ある日,敵と遭遇して空母から戦闘機が何十機も敵に向かっていったそうです。
そして,その殆どが撃墜されてしまったそうなんです。
それから何日かしてからの夜,格納庫に何人ものパイロットがやって来ました。
整備兵たちは「御苦労さまだなあ,,」と思って声をかけようとすると,そのパイロット達はみんなズブ濡れだったそうです。
「あ,これはイカン!」と思い整備兵たちは毛布やらなんやら持っていこうとしたんですが,そのとき整備兵の班長が「おまえら!まて!なにも
するな!」といって直立不動で最敬礼をしたんです。
整備兵たちは訳もわからず班長をみると班長は敬礼したままボロボロと大粒の涙をこぼしてました。
「どうしたんですか?班長!」とある兵隊が聞くと
「お前たちわからんのか?あの方達はXX少尉とその小隊の方達だ!」と言いました。
「,,,!」それを聞いて兵隊たちもすぐさま全員整列をして敬礼をしたまま動きませんでした。
そうなんです,パイロット達は先日出撃して,みな撃墜された小隊の人達だったのです,,。
整備兵たちが格納庫の隅に全員並んで敬礼しているのに気づいたパイロット達は只だまって深々と頭をさげ,格納庫から消えていったそうです。
「班長,今のはいったい,,?」と兵隊がきくと班長はあふれる涙をぬぐいもせず,
「無念だったのだろう,敵艦隊に攻撃する前にみな撃ち落とされ,死んでも死にきれんのだろう。
そして,大事な機を壊し,一生懸命整備をした俺達に謝りに来たのだろう,,。」と言ったそうです,,。
パイロット達はみな18から25才くらいの若者だったそうです。
今からほんの50数年前には本当の戦争がありました,,,。
68: 名無し三等兵 03/08/16 01:43 ID:???
 当時,私は小学校六年で,学童疎開も二十年三月で終わり,甲府から東京・高円寺に帰って間もない
時でした。幸い,兄はほど近い調布の飛行隊に所属しており,私が帰って来てからも,月に二,三回,家に
戦友の方々を連れてきました。
 その日は雲ひとつない青空でした。いつもの空襲とは違ってB29は戦闘機援護のもとに,高度は今までの
一万メートルの成層圏ではなく,ぐっと低く侵入してきました。
 私は下の兄たちといっしょにおそるおそる防空壕からはい出して空を見あげると,何かキラキラ光る物体が
上下している様子が目に入りました。その時はまだ上空で空中戦が行われているとはまったく思いませんでし
た。
 その直後,B29の一機が白い煙を尾から引き始めたと思うと,いまキラキラ光っていた小さな物体からも煙
が出て,それこそまっさかさまに落下し,見る見るうちにそれが小さな戦闘機だとわかるほど,私たちの肉眼に
せまってきたのでとっさに身を隠しました。
 空はまだゴウゴウとうなりをあげるようにして後続敵機が通過していましたが,どうやら市内での空襲ではな
さそうだと,再び壕から飛び出して空を見ると,米粒のような戦闘機同士が空中戦を交え,上下するごとに
太陽の光にキラキラと反射していました。
 初めて見た空中戦に,その時は”兄もおそらく出撃していたのではないだろうか?””いや戦闘に出ていても
兄は決して死ぬことはない”といわば願望に近い気持で打消していました。私がこの日,この目で見た空中
戦はB29が二機,煙を吐いたのと,戦闘機が三機,煙を吐いたり,落ちていったのです。
69: 名無し三等兵 03/08/16 01:43 ID:???
 翌八日夜の八時頃,玄関の床をコツコツと軍刀でたたく音がしました。下の兄二人といっしょに玄関をのぞき
ますと,暗い中にボヤーッと兄の軍服姿がうつりました。
「あっ,お帰りなさい」声をかけるなり,昨日の戦闘でも無事だったんだ,という安心感も手伝い,玄関の電気
をつけました。
 ところが,いまいたはずの兄の姿はそこになく,不思議に思って家の外を一周してもどこにも兄は見当たりま
せんでした。
 それから一時間後,こんどは「ドンドン」という玄関のドアを強くたたく音に,二番目の兄が玄関に行き,しば
らくして何か紙キレを持ってきたのです。
「何だったの,だれが来たの?」
兄はしばらく無言でした。暗い灯火管制下の電灯で,三番目の兄と顔を合わせ,読むと
「セウイ カウノタカシ 四ツキ七ヒ テイトフキンニオケルヨウゲキセントウニオイテソウレツナルセンシヲトグ。
トウブ一〇八ブタイテウ」
 私を妹というより,自分の娘のように可愛がってくれた,あのやさしい兄が死んだなんて━━この世には神も
仏もいないのかしら・・・・・・きっとだれかと間違えたに違いない。でも,もしあの電報が本当だとしたら,昨日見
た,あの空中戦で落ちた戦闘機の一機が兄だったのでは・・・・・・・・・。
 それから一週間ぐらいして隊から使いの将校が見え,兄は敵のP51戦闘機と調布上空で空中戦を交えな
がらB29に近づき,攻撃をしつつ,最後に体当たりをして,埼玉県の川口上空で戦死,B29も焔を吐きながら
林の中に墜落したそうです。
 それにしても七日に見た空中戦の一機はたしか兄に間違いなく,死んで幸運というのも妙な表現ですが,他
に戦死された方々から見れば,本人も家族も戦時下では考えられない最後の出会いでした。三十四年たった
今もあの時の光景は脳裏にやきついています。
77: 名無し三等兵 03/08/16 11:14 ID:???
えと,どこだったっけ。おいしい井戸水って喜んでいたら実はそれに旧軍の
毒ガスが溶け込んでいて…ってのも充分に怖いぞ
80: 1/3 03/08/17 00:42 ID:???
怪談ってわけじゃないんだけど,どこに書いたらよいのか判らんので
とりあえずここに書く。3年前,父のお客の爺さんが父に語っていた話。
朝●戦争が始まった頃,そのお客(A氏)はドヤ街で日雇いのような
仕事をしていたがある日,ドヤに破格の求人が。条件は英語の話せる事。
大学を出ていたA氏,英語には自信があったので迷わず応募,ドヤに仕事を
持ってくる人種とは明らかに違う,スーツをぴしっと着た役人風の男と面接し
採用が決まる。
「ではこの書類にサインして下さい」スーツの男が差し出した書類には
「この仕事に関する一切の事柄を口外しない」
と書いてあった。翌日,A氏が同じく採用された男達40人程と指定の場所で
迎えを待っていると幌付きトラックがやって来た。荷台に乗り込み,走り出す
トラック。他の男達と話してみると仕事の内容については誰も説明を受けて
いないらしい。やがてトラックは●●埠頭に到着。全員降車を命じられた
(続く)
81: 2/3 03/08/17 00:44 ID:???
続き)
A氏達を出迎えたのは●軍人。後ろの大きな冷凍倉庫を示しながら
「これから中に入って簡単な作業をしてもらう。中は大変寒いので
 これを着てくれ」
と防寒着,手袋,長靴を渡される。防寒装備一式を身につけた一同が
倉庫内に入ると内部は氷点下。大きな袋がいくつかあり,それぞれの
内部には”人間の部分”がパーツごとに仕分けされて入っていた。
手は手,足は足,首は首というふうに。そしてA氏達の仕事は
●鮮戦争でバラバラになったアメ●カ兵の,死体の五体を揃えて棺桶に
しまう事。
「では,始めてください」
えらい事になった,と思いつつも作業にかかるA氏。
「日本人は遺骨があればいいけど,アメリ●人ってのは五体が揃って
棺桶に入ってないと納得しないらしいんだ」とはA氏の弁。
(続く)
82: 3/3 03/08/17 00:46 ID:???
(続き)
とまあここまでは単なる「秘められた戦後史」的なノリで聞いていた俺だが
イヤンな気分になったのはその話の続き。さすがに最初のうちは食事が
喉を通らなかったA氏達だが何日も続けていると慣れてしまうんだそうで
「オーイ,左手くれー」
「あいよー(ゴソゴソ)これでいいかー」
「あー,ちょっと長いけど,いいだろー」
てな感じで誰の手だろうが足だろうがとりあえず五体が揃っていれば
良かったらしい。しかし
「オーイ,頭くれー」
「あいよー(ゴソゴソ)これでいいかー」
「ダメだよコリャ色が違うよ」
「いいんじゃないのー」
と要は白人の胴体に黒人の頭をくっつけて出荷した事もあったそうな。
まぁ俺はA氏の人となりを良く知らないのでどこまでが事実なのか
不明なのだがとりあえずこんな話を聞いた,という事でご勘弁を。
あとA氏が「他言無用」の書類にサインしたってんでところどころ
伏せ字にさせて貰ったスマソ。
84: 名無し三等兵 03/08/17 01:34 ID:iOQT1RoV
良スレダネ
85: 名無し三等兵 03/08/17 01:41 ID:???
ベトナムでも似たような仕事があったってね
104: 名無し三等兵 03/08/18 15:57 ID:Pj+fz5M+
折れが一番怖いと思った話。
宝島刊の『怖い話の本』収録。
舞台は防衛大学。
卒業研究からの帰路にあった四年生の話。
ある日の夜,誰も居ない筈の食堂から,
なにやらザワザワとした気配を感じたので,食堂をのぞいて見ると,
沢山の手だけが万歳をしていた。
翌朝,天皇陛下崩御のニュースが流れた。
この怪異は,当直幹部日誌に載っているそうだ。
115: 名無し三等兵 03/08/19 18:53 ID:???
ビルマ奥地にはインパールがらみで未だに彷徨ってる兵隊さんがいるとか。
奥地の原住民が夜中に足音や声をよく聞くらしい。
んで,原住民にどんな声聞くのか聞いてみたところ,「ガンバレガンバレ」
「モウスコシダ」「グンソウドノ」「ミズ,ミズ」などと,日本語知らない
はずの原住民が答えた,とか。
116: 名無し三等兵 03/08/20 13:23 ID:bjN7JLT0
知り合いの右○さんの話。ビルマつながりで。
インパール作戦で犠牲になった方々の遺骨収集と慰霊祭が現地で行われたそうだが
お供えのスイカとか果物類の中身が,後で見るとエライコト軽くなっていたそうで
切って見ると,中はスカスカだったそうだ。
123: 名無し三等兵 03/08/20 19:07 ID:Ww71XiNe
中国の3000人の話しは,ドラえもんの映画で似たような話しが出てましたよね。
あと,北アフリカでドイツ軍が,撃破されたイギリス軍戦車を調査していたら,突
然戦車が動き出した。危うく轢かれそうになったドイツ兵が中を見ると炭化したイ
ギリス兵が操縦席にそのまま座っていたそうです。こうゆう話しは各国に相当ある
ようですが,同じような話し,他にありますかね?
131: 名無し三等兵 03/08/21 04:50 ID:???
>>123
なんだっけ?
一等自営業先生の「街道上の怪物」で,まさにそれがありましたね。
何発もくらったソ連の戦車を検分していたら,
中でまだ生きてて,突然砲塔が動き出した。
検分していたドイツ兵の一人が88mmで空けた穴に手榴弾を突っ込んで
やっとこ搭乗員が死んだと。
これも考えてみれば怪談ですよね。
182: 名無し三等兵 03/09/09 21:14 ID:???
海上自衛隊の護衛艦”某”の錨鎖室内で,ぼろきれの様になった乗組員が
見つかったことがあるとか。
錨鎖室内に隠れていた時に,鎖が降りてきたらしい。
202: 名無し三等兵 03/09/19 11:22 ID:???
漏れの知ってる硫黄島の話は
夜寝る前に水の入ったヤカンを置いておかないと亡霊が水を求めて官舎に入ってくる。と言う話なんだが,,,
どこか別の話?
203: 名無し三等兵 03/09/19 13:38 ID:???
>>202
朝起きると,ヤカンが空に…
211: 名無し三等兵 03/09/23 23:25 ID:???
八甲田山で歩兵第五連隊の一個中隊が遭難したすぐあと,
青森の救援隊宿舎に向けて,夜な夜な「山の方から行進してくる
歩兵中隊」の足音がしたって話はガイシュツ?
ちなみに同連隊の指揮官の一人が「お前たちの遭難は,決して無駄には
しない。必ず日本の役に立てるから,迷わずに成仏しろ。中隊回れ右,
山に向かって前進!」と号令したら,それきり現れなくなった,との事。
たしか,新田次郎「八甲田山死の彷徨」の後書きだかに書かれてた。
218: 名無し三等兵 03/09/28 04:03 ID:???
呪われた艦ってのとはちょっと趣きが違うが,英国海軍での話。
英国海軍のとある軍艦に住み着いている猫がいて,艦が帰港するとそのまま街へ出掛け,
出航する頃になるとどうやって気配を察するのか謎なんだが,どこからともなく帰艦して
また乗り組むのを習慣にしてたんだそうな。
ところがある時,急に出航する事になり,その猫を乗せないまま港を出たんだそうな。
そうすると何故か機関は故障するわ岸壁には衝突するわコンピュータは動かなくなるわで
どえらいトラブル続き。
こりゃあの猫を乗せないからだってんで,まさか軍艦そのものが引き返すわけにもいかな
いが,副長が艦を降りて母港へその猫を探しに行ったそうな。
確か「ニュースになった猫」って本に載ってた話。
今手元に無いんで詳細は確認できんが。
。。。よくよく考えてみるとスレ違いかな。
220: 名無し三等兵 03/09/28 11:50 ID:???
>>218
あー漏れそういう話大好きだw
266: 名無し三等兵 03/12/11 20:44 ID:???
うちの大学が昔の連隊跡地に建っていて兵隊の幽霊が出るというのがあった。
これだけじゃ怖くないかw
269: 名無し三等兵 03/12/12 01:46 ID:???
連隊跡地に建てた地方国立大なんていくらでもないか?w
270: 名無し三等兵 03/12/12 11:55 ID:???
連隊所在地と地方国立大学の所在地って大体一致する。というか
どちらも県庁所在地で交通の便の良いとこに建てられている。
ちなみにうちのそばの国立大学は少し前までは航空隊の建物を使っていました。
数年前に取り壊してしまったけど。講堂に使われていた建物はそうでもなかったが
士官宿舎転用の建物は内装が凝っていた。壊してしまって勿体無いと思った。
建物の幽霊がでたりしないかな。
272: 名無し三等兵 03/12/15 15:38 ID:???
都内だと学芸大がそうだな。
「戦車壕」と呼ばれる地下道があったよな。
その地下道のおかげで大学敷地内の電気,ガスや上下水の配管がずいぶん楽に作ることが出来たとか
278: 名無し三等兵 03/12/21 16:22 ID:???
TV・ラジオ放送局は怪談が多い。TBSも幾つかあるがそのなかには夜中に行進する
兵隊を見るというのがある。TBSはもと近衛歩兵第三聯隊があったところ。
消防の時の先生が鹿児島出身だったが,その先生が大学生のとき沖縄でエンバーミ
ング(グロな死体をきれいに見せる)のアルバイトをしたことがあるそうな。
ベトナム戦争も終わりの頃だったが,いくら処理してもドンドン死体は運ばれてく
る。しまいにはシャワー浴びてもニオイが消えないくらいになるそうな。
夜はつかれて寝てしまうわけだが,やはり出るそうな。
消防のおいらたちは詳しく話を聞きたがったが,先生はそれ以上をけっして話してくれなかった。
281: 名無し三等兵 03/12/30 21:52 ID:???
ぺリリュー島玉砕後,生き残りの34人は洞窟を転々として生きていた
ある洞窟で,今にも崩れ落ちそうなミイラを見つけた
歯も髪の毛も一本も無い
ところが,一人が近づくと目を見開き,蚊の鳴くような声で
「陸軍一等兵カワムラです お願いです,連れて行ってください」
と涙を流してすがりつき,そのまま息絶えたという
284: 名無し三等兵 03/12/30 22:13 ID:???
>>281
ぺリリュー島で思い出した
ぺリリュー島周辺で島民が船で航行してると,突然得体の知れない光の塊が追いかけて来る
島民の一人は追い掛け回された挙句,暗礁に突っ込んで負傷
日本兵の怨念が,米軍の上陸用舟艇と勘違いして船を追い掛け回すらしい
282: 名無し三等兵 03/12/30 21:57 ID:???
合掌。
もう少し当時の具体的な状況や,生存者のその後とかが分かると,
・・・あるいは「泣ける話」かもな。
283: 名無し三等兵 03/12/30 22:07 ID:???
>>282
ちなみに生き残りの34人は「三十四会」(みとしかい)という戦友会を結成している
(現在存続してるかは不明)
この川村一等兵はその後調査により誰だか判明
茨城県小桜村(現在八郷町)の川村真治一等兵だそうだ
286: 名無し三等兵 03/12/31 02:41 ID:???
>>283
thx
・・やっぱり怪談というより,泣けるな。
死力を振り絞った,今際の際の言葉だけに。
288: 名無し三等兵 04/01/03 20:00 ID:bVNgyqui
軍艦は幽霊話多いね
いじめを苦にして自殺した水兵の幽霊話なんかはいろんな艦であるし
戦艦筑波は謎の爆沈の前日,凄まじい形相をした女の幽霊が目撃されている
近寄った中野は,兵曹長の数メートル先に立っている一人の兵士を見つけた。飛行服をつけ,飛行帽をつけた搭乗員である。
腕の階級章は兵長であった。彼は零戦の前にじっと立っていたが,石川や中野の気配に気づくとゆっくりこちらを向いた。
「おい,お前は明日の直掩機に乗るのか?」
石川がそう尋ねると,兵長は
「いえ,私は爆装で攻撃にゆきます」
と答えた。細い声であった。
「おい,元気を出せ。明日はもう爆装の零戦はない。直掩用の零戦が八機残っているだけじゃ,しっかりせんかい」
兵曹長は,搭乗員の兵長が何か勘違いをしていると考え,肩でも叩いて激励してやろうと一歩前進した。
すると兵長はすーっと後退し,
「いえ,私は今日の爆撃に行って来たのです」
と答えた。
「なに? 今日の爆撃?」
「今日出撃した機は一機も本艦には帰って来ていない筈だぞ」
兵曹長と中野は口々に言った。
すると兵長は微笑した。少年らしい笑顔であったが,頬のあたりが蒼ざめていた。兵士は低い声で呟くように言った。
「私は今日爆撃に行きましたが,爆弾を落とす前に撃墜されてしまいました。
 それでもう一度出撃させて貰おうと思い,本艦に戻ってきたのです」
(空母瑞鶴の生涯/豊田穣)
305: 名無し三等兵 04/01/04 00:00 ID:5BJit3ql
 色々な怪談あるけど,潜水艦ってないよね。狭すぎて攻撃されたらまず
助からないからかな,話頂戴。でも沖縄戦の慰霊祭で撮影された軍人の霊
の映像,リアルで怖かったな。
306: 名無し三等兵 04/01/04 00:02 ID:???
>>305
Uボートの話ならある。
……しかし今ちょっと参考資料がサルベージ出来ない。
数日待ってくれたら書き込めると思うが。
その前に誰かフォローしてくれるかな?
307: 名無し三等兵 04/01/04 00:07 ID:???
怪談とはちょっと違うかもしれないが。キシュツかもしれないが。
第一次大戦の時,ドイツのUボートが英国の輸送船を雷撃した。
魚雷は命中,潜水艦は浮上し,輸送管が沈んでゆくのを司令塔から
艦長以下,水雷長と副長が見ていた。
輸送管が海面下に沈んだとき,輸送船は大爆発。水柱が上がった。
その時,Uボート艦長たちの目に映ったのは・・・水柱と一緒に
中高く吹き上げられた,見慣れぬ怪物の姿であった。
その怪物は――百科事典などで見る恐竜,海竜のそれに余りにも
酷似していたという。
輸送船沈没後,その海竜の姿も消え失せたが――流石,ドイツ人。
艦長たちは,自分たちが見たものをそのまま,報告書に書き記し
たという・・・  どんとはらい。
308: 名無し三等兵 04/01/04 00:16 ID:???
潜水艦の話一つ見つけた
キスカ島で昭和17年10月3日に大空襲があり,呂号第65潜水艦が急速潜航を試みたが間に合わず撃沈された
艦尾は海中にあり,艦首は海上に突き出ていた
大発2隻で救助作業をし,46名を救助したが19名が戦死した
12月頃ののある夜間作業の際海上を見ていると,潜水艦の場所にボーッと火が出て海上を走ってくる
大発かと思ったがエンジン音が聞こえない 不思議に思って火の行き先を見ていたが,
海岸近くの高台の墓地のあるあたりで消えた
戦没者の霊魂だったのだろう
「現代民話考 軍隊」より
309: 名無し三等兵 04/01/04 01:02 ID:gCrgBt/Q
二次戦中,飛行場から飛び立ったまま行方不明になったメッサーだかシュツーカだかがあった。
それから十数年後のある日,東ドイツのある飛行場へ,管制塔と一切交信せず,着陸許可もなしに
いきなり単発の飛行機が滑走路に降りてきて止まった。
飛行場の職員が近寄ってみると,その機には尾翼に鉤十字のマークが付いていた。
操縦席には飛行服を着たミイラ化した人間が乗っていたそうな。
という話を聞いたことがある。
詳しい人補足キボンヌ
310: 名無し三等兵 04/01/04 01:05 ID:???
>>309
((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
中の人が生きてたら全然楽しい話なんだけどなーw
313: 名無し三等兵 04/01/04 01:29 ID:???
>>309
ジーカート大尉ね
311: 名無し三等兵 04/01/04 01:09 ID:5BJit3ql
  2年か3年前アンビリバボ-でやってました。後アルゼンチンに向かった
ドイツ航空の飛行機が行方不明になり10年後くらいに目的地に着いて,その
時も乗員・乗客はミイラだった,とありました。
326: 名無し三等兵 04/01/05 01:33 ID:???
怪談じゃ無いけど田中光二の小説の後書きで野田昌宏が書いてた話が
すんごく恐かった
昭和30年中頃だったか,豊後水道の真ん中で漁師が海中からケーブル
を引いてるブイを発見したそうだ。それには「帝国海軍伊xx号潜水艦
コノ真下ニ沈座シアリ。大至急,最寄ノ官公社,鎮守府宛ニ連絡乞フ。
報奨金アリ。」との文面があり,潜水艦が海底で浮上不能になった際に
浮かべる防水電話付きの非常連絡ブイだそうだ。
その漁師はブイの指示通りに電話機を使ったがむろん返事は無い。
沈没から10年以上経っており,腐蝕して洩れ始めた海水が澱む暗黒の
艦内,そこここに白骨化して横たわる乗組員の死体の上で,最後の瞬間
まで彼等が待ち焦がれて鳴らなかった電話のベルが空しく鳴っている
その光景を想像するともう,恐いやら悲しいやら…
ちなみに深すぎて引揚げもできず,艦は今もそこに横たわっているそうだ。
327: 名無し三等兵 04/01/05 10:29 ID:???
>>326
。゚(ノд`)゚。
ご冥福をお祈りします・・・。
328: 名無し三等兵 04/01/05 12:28 ID:???
>>326
そこで漁師の電話に
「…お願いです,連れて行ってください」
なんて声が聞こえたら (((;゚Д゚))ガクガクブルブル
戦時中に瀬戸内海で訓練中に,事故で(2度目の)沈没をして
戦後引き上げられた潜水艦の話は読んだこと有るけど,それとは
別の話みたいですね。
引き上げ後に中に入ると,低酸素と低温のおかげか,まるで
生きているかのような乗員のミイラが一杯で,目の前で
みるみる変色していったとか… (⊃д`)
329: ぽこ山ぽこ太 ◆AUqcjk7kV6 04/01/05 15:33 ID:???
>>328
伊33号の話ですね。
戦後引き揚げられた時,海底深くの低温と低酸素のせいで,
遺体はまるで眠っているかのようにそのままで,
(あぐらをかいたまま,仰向けに倒れている遺体のモノクロ写真を見ました)
引き揚げに同行した生き残りの乗組員氏が一時的に錯乱してしまい,
「総員起こしだ! みんな! 起きろよ! 起きろ!」
昔のままの姿の,戦友の肩を揺すり,頬を叩いて,
号泣しながら彼らを起こそうとしたそうです……。
339: 名無し三等兵 04/01/06 19:30 ID:???
確か「新耳袋」にあった話。
軽々しい気持ちで八甲田山まで出掛けて,
慰霊碑の前でふざけた記念写真を撮った学生達がいた。
ところがその日の深夜,その連中のアパートまで軍靴の音が,
「ざっざっざ」と,追い掛けて来て,
真っ暗な部屋の中までどかどかと踏み込んで来て,
布団の中で金縛りに遭って動けない彼らを見下ろすように,
「わしはこの男の右腕が欲しい」
「わしは左足が欲しい」
「わしは両の目だ」
そう声が響いたかと思うと,次の瞬間,
真夏なのに氷のように冷たい手で身体中を掴まれ,
学生達はみな,失神してしまったそうな。
同じ日の同じ時間に,そんな体験をした彼らは,
それから一年もしないうちに全員が事故や病気に遭い,
「欲しがられていた部分」を無くしてしまったそうな……。
341: 名無し三等兵 04/01/06 21:23 ID:???
日本海軍の潜水艦は,
3のついた潜水艦が縁起が悪いと言われたとか。
あと3の倍数ね。
しかしそんなこと言うと,ほとんどになってしまう様な気もするけど・・・
371: 名無し三等兵 04/01/11 22:50 ID:gs9w5A76
 全然「怪談モノ」の本ではない,「戦史」の中で触れられていた「怪談」なのだが,
インパール戦で日本軍は敗退したわけだが,もちろん後退戦を行っていたし,時には
頑強な抵抗で英軍の追撃を食い止める事もあったわけだ。その中の一説で・・・。
ある日にらみ合っていた敵陣地から,英軍の一部隊が投降を申し入れてきた。
驚きながら事情を聞くと,夜な夜な英軍の洞窟陣地を日本兵達が覗き込む,
それがどうも生きている人間では無い様なのだ。それを大勢の英兵が目撃し始め,
また,夜中に突貫の叫びを上げながら日本軍が突撃してくる,慌てて全力射撃を
行うと,その姿が闇にすうっと消えて行く・・・。 そんなこんなでもうまともな
精神状態ではいられなくなり,降伏を申し入れてきたとの事。それを聞いた著者達は
「ああ,戦死した戦友たちだ。」と全く驚かなかった。
374: 名無し三等兵 04/01/12 00:35 ID:???
怪談なのに泣き話になってしまうのって軍事絡み位だろうか?
375: 名無し三等兵 04/01/12 00:39 ID:???
残された幼子を養うために毎晩飴屋に通った幽霊とか,
泣ける怪談話も無いわけではあるまいが・・・。
かの兵士たちは,終戦を悟ってもう成仏したのだろうか。
378: 名無し三等兵 04/01/12 00:57 ID:???
陳腐だが,生きてる人間がいちばん怖いということで。
383: 名無し三等兵 04/01/12 02:37 ID:???
関西のとある地方都市での話。
夜中,寝静まった街の中を,りんりんりんと鳴る鈴の音と一緒に,
「……〇〇神社に集まれ……すぐに集まれ……」
そう告げる童子の声が通り過ぎていったのだとか。
「なんだろう?」とみなが不審がって起きだした時,
いきなり夜空から爆音と爆発音が響き始めた。
警報もなしのいきなりの空襲。
童子の声で起きていた街の人々はあわてて〇〇神社に集まり,
やがてその神社を残して街は丸焼けになってしまったとか。
神様が警告してくれたのだ,と評判になったそうな。
386: 名無し三等兵 04/01/12 09:26 ID:DDp9dCbg
太平洋戦争,初頭のマレー戦にて発生したとある戦車戦。
敵戦車隊と日本戦車隊が遭遇。戦闘になるも,日本側は正攻法では敵わず,
一台の軽戦車を背後から奇襲させる戦法をとった。結果的に勝利し,本隊は集結地点で
軽戦車の帰投を待った。やがてジャングルの中からキャタピラの音が近づいてきた。
しかし,特有のディーゼルエンジン音は聞こえず。見ると軽戦車が戻ってきたが,
正面装甲板には大穴が開き,中は血の海,生存者なし・・・。 太平洋戦争当時に語られた怪談です。
408: 名無し三等兵 04/01/14 16:19 ID:???
>>386
それ,ちょっと変えてあるけど実話だわさ。
「幽霊が戻ってきたかと思った」といわれるほどにボロボロで,
砲塔は何発も直撃弾があって潰れていて,
前方機銃は機銃ごと中にめり込んでいて
それでも中の人は半死半生だがちゃんと生きて返ってきたという話です。
387: 名無し三等兵 04/01/12 12:10 ID:???
げに恐ろしき執念。
敵兵もビビって逃げたのかもな。
388: 名無し三等兵 04/01/12 12:45 ID:???
なんで教科書にこういう話を載せないんだろう
391: 名無し三等兵 04/01/12 15:52 ID:???
地理も世界史ももっと載せるべき事柄がある
410: 名無し三等兵 04/01/14 23:24 ID:???
似たような実話がまだある
ぺリリュー島で米軍陣地に突撃した95式軽戦車17両
当然の如くバズーカ 戦車砲 各種火砲に滅多打ちにされたものの,3両が辛うじて陣地に帰還できた
掲げられた日の丸には弾丸で蜂の巣のようになり,車体と砲塔には大小無数の貫通孔
機銃は基部から跡形もなく吹っ飛ばされ,戦車砲も至近弾によりひん曲がってしまっていた
何より首を飛ばされた車長が日本刀と拳銃を握り締めたまま
だらりとハッチから身を乗り出した格好のまま戦死
陣地の兵たちはその光景を見て感動の余り皆号泣したという
420: 名無し三等兵 04/01/26 18:44 ID:h56n7E4I
母方の実家(茨城)に遊びに行った時,近所の神社の裏手,林の中に,
20メートル四方ぽっかりと何も生えていない空き地があった。
周りはうっそうと木が繁ってるのに,そこだけ黒ぐろと地面が顔を出してる。
従兄弟に聞いたら戦争中,陸軍機が墜落した跡地だと教えてくれた。
複数の敵機と渡り合って残念ながら落とされてしまったらしい。
特に幽霊が出るとか,そんな話はないけれど,
不思議とそこだけ,いつまでも草木が伸びないんだとか。
434: 名無し三等兵 04/01/27 10:54 ID:???
検索したけど,誰もこの話を書いてないのが不思議だな。
大空のサムライ,日本海軍のエース,坂井三郎氏。
昭和17年8月,ガタルカナル上空で,SBDドーントレス艦上爆撃機を,戦闘機と誤認,旋回機銃の集中砲火を浴び,被弾し,
右頭部と右目に重傷負いつつも,意識を失いかけながら,ラバウルまで見事に生還した。
あまりにも,有名なエピソードなのでご存じの方が多いだろうが,これには後日談がある。
数ヶ月後,氏が治療のため内地に帰還し,実家に戻り,留守を預かる母親と再会を果たした。
しばらく会わなかった母との再会を喜びつつも,母の様子が,何やらおかしいことに気付いた。
怪訝に思った氏が,尋ねてみると,右目の具合が悪いという。いつ頃からおかしいかと,更に尋ねると,昭和17年8月頃からだという。
氏は愕然としたそうだ。昭和17年8月頃といえば,自分が空戦で負傷した時期とピタリと合うからだ。
しかも,自身が負傷したのと同じ右目。
単なる偶然とはとても思えず,氏は母親が身代わりになってくれたものと,確信したそうだ。
436: 名無し三等兵 04/01/27 12:48 ID:???
>>434
包帯ぐるぐる巻きの格好で親戚宅を訊ねたら,
「足はあるか足は」と英霊扱いされたあたりも,なんとなくオカルト。
438: 名無し三等兵 04/01/27 16:43 ID:???
>>434
ちなみに右目を負傷した日,氏は上空でサイダーの瓶を開けて暴発させている。
439: 名無し三等兵 04/01/27 17:25 ID:???
機体全体や翼が蜂の巣のように撃ち抜かれているのに,なぜかどれも致命部を外れていたり零戦で燃料タンクをやられなかったこと自体が奇跡
440: 名無し三等兵 04/01/27 17:54 ID:???
戦後,仕事で車運転していて,追突されて,車外に転がり出た瞬間,
無意識のうちにとっさに,車のエンジン切ってエンジンキーひっこぬいてた凄まじい反射神経もオカルト。
つかもはやニュータイプ。
471: 名無し三等兵 04/01/29 00:16 ID:???
前々から気になって事が1つある。
米軍兵士の幽霊と日本軍兵士の幽霊が出くわしたらどうなるんだ?
472: 名無し三等兵 04/01/29 00:22 ID:zF5NTSQK
>>471
出くわしたらどうなるかは知らんが,
なんでもとある小学校は『古戦場→陸軍宿舎→米軍宿舎』と移り変わって
甲冑武者に日本兵に米兵の幽霊がでるそうだ。
なんとも豪華だな。
497: 名無し三等兵 04/02/03 17:36 ID:???
昭和20年2月16日の関東地区艦載機大迎撃戦の際,当然ながら厚木の302空も迎撃に当たった
302空零夜戦隊の荒木俊士大尉は直ちに出動,一度帰還したがまたすぐ二度目の出撃になった
が,過熱のためエンジンの筒温が上がり,離陸は難しい 予備機は部下が乗ってしまってもうない
仕方なく無理矢理筒温を下げるためカウリングを外して強行離陸した
その不調機を駆って神奈川県丹沢上空でF6Fを見事1機撃墜 2機目を捕捉したところで敵弾を受けた
荒木機は藤沢基地までたどり着いたものの,姿勢を崩して格納庫に接触 墜落した
大尉を救い出そうと駆け寄った基地隊員たちは驚愕した
荒木大尉の頭部に貫通銃創があったのだ
12.7ミリ機関砲弾に頭を射抜かれて,どのようにして藤沢まで飛行できたのだろうか
524: 名無し三等兵 04/02/07 03:32 ID:???
怪談にならんかもしらんが,漏れが体験した話。
旅行でサイパンに行った。
行く前に何故か日本酒を仕入れ,それを持ってラストコマンドポストに観光に行った。
着いた瞬間,寒気が全身に走り,あちこちから人の声がした。
中に入る際,敬礼をし,「失礼致します」と言って入った時,その寒気が消え,暖かい感触に包まれた。
(周りから,えらい怪訝そうな目で見られたが)
持ってきた日本酒を置き,その場は写真撮って終わり。
翌日,ビン残すのはまずいと思い,もう一度入って見ると…
封切って無いのに中身空っぽになってた・・・
帰国した後,出来上がった写真見てみると,座ってる俺を抱えるような影が映った写真が幾つもあった。
両親に聞いて見た所,「おじいちゃんに似てる…」と言われ,((;゚Д゚)ガクガクブルブルになった。
その後すぐ,交通事故に遭い,瀕死の重傷を負った。
その時に見た夢は,どっかの港っぽいとこを歩いてる時に,内火艇が近づいてきて,俺の名前を呼んでいる。
そこに行くと,軍服を着たおっさんが,「馬鹿もん!フネを間違える奴があるか!」と一喝され,そのまま別の
港まで連れていかれた。
そこで目が醒めた。
後日医師に聞くと,「あの時,心臓止まってたんですよ,あなた…」
と言われた。
じーちゃんは,相当酒好きだったと聞いている。
日本に帰って飲みたかった酒を,孫が持ってきた。
孫に小遣いやりたくても出来ないから,「命」っつー小遣いを俺にくれたのだと,俺は信じてる。
525: 名無し三等兵 04/02/07 10:35 ID:???
>>524
怪談でもあり,泣ける話でもある。
いい物読ませてもらった。
534: 名無し三等兵 04/02/14 20:14 ID:???
稀に見る良スレ・・・だと思う。(^-^;
上の方に船幽霊(?)っぽい話があったけど,死んだ爺さんに面白い話を聞いた事がある。
爺さんは元々漁船乗りだったんだけど,終戦間際に軍に船ごと徴用された。
仕事は,日本のはるか南の海上に出張って,B-29が頭上を通るのを見ては通報する事。
これがとんでもない仕事で,こっちから見えるって事は向こうからも見える訳で,本土空襲の帰り際のB-29による銃撃や,米軍の艦載機による空襲やらで片っ端から沈められてしまったらしい。
そんなある夜,マジ物の幽霊船が爺さんの乗った漁船の前に現れた。
「幽霊船は縁起物だ」ってんで,海軍派遣の艇長(と言っても予備役のジジイだったらしいけど)が「総員上甲板!」って叫んで船倉で眠っていた連中を叩き起こして,全員で見ようとしたそうな。
でも,機関員の一人が間に合わず,彼が出て来た時には幽霊船はもう消えた後だった。
ちなみにその幽霊船は江戸時代のものらしい日本の帆船で,人の姿は全く無かったらしい。
翌日,爺さんの乗る船は米軍機の空襲を受けて機関を損傷したものの,一人を除いて全員無傷だった。
その一人ってのは件の機関員で,どういう訳か彼だけが銃撃をマトモに食らって,機関室の中でバラバラになっていたそうな・・・。
535: 名無し三等兵 04/02/14 22:21 ID:???
ううむ。・・日本じゃ幽霊船は縁起物だったのか。
何だか,戦死した機関員を連れにきたようにも思えますな・・・。
644: 04/04/01 19:06 ID:IN0Go5u+
何の本に載っていた話かは忘れましたが,ベトナム戦争中の頃の話。
あるベトナム軍の基地で,歩哨に立っていた兵士が基地の中の広場を見ると,誰もいないはずなのにいくつもの人影が・・
こんな時間に誰かいるなんておかしいな? それともあいつら何か極秘の任務でも受けているのかな? と思いつつ,その兵士に近付くと・・
その兵士達には首が無く,しかも自分たちベトナム軍の制服とは明らかに違う軍服を身に付けていました。
その歩哨は驚きのあまり腰を抜かしかけて兵舎に戻り,当直の下士官達に事の次第を報告しました。
そしてその下士官が言うには
「ああ,あそこには昔のフランスと戦争をしていた頃に処刑した捕虜の幽霊が出ると言われてんだよ。 
ほら,我が国では首を切られ,そのまま胴と頭を別々に葬られた死人は成仏できないって言うだろ。 
あの捕虜達はそうやって処刑されたのさ。
だから,あいつらはフランスとの戦争が終わってずいぶん経つのに,未だに成仏も出来ずに死体の埋められたあの辺をさまよっているらしいぜ。」 
と言ったとか。
648: 拘束占缶機利氏魔 04/04/04 17:13 ID:???
怖いけど泣ける。良スレだね。
727: 名無し三等兵 04/05/20 14:04 ID:???
なんか悲しくなるな
戦争なんてさ,国の指導者だけで殴り合いさせりゃいいんだよ,どっちかが死ぬまで
728: 名無し三等兵 04/05/20 15:34 ID:???
>>727
その後の国民の末路を考えたら場合によっちゃあもっと悲惨なことになんぞ。
733: 名無し三等兵 04/05/20 22:41 ID:???
>>727
ウガンダのアミン大統領が確かタンザニアの大統領に仕掛けたコトがある。
「懸案の国境紛争を俺とお前のボクシングの試合で決着つけようぜ」
ってな。
無論,断られたんだが。
756: 名無し三等兵 04/06/11 23:37 ID:???
怖いっていうかすごく悲しくなるな・・・
故郷を想う気持ちというかなんというか伝わってくるね
758: 名無し三等兵 04/06/14 22:40 ID:???
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/06/14 20:27 ID:ND7EAW93
今から3.4年前のこと。
その日はあまりにもひどい頭痛で会社を休んだ。
その夜,定期的にくる頭痛に悩まされなかなか寝付けなかった。
定期的というのは,頭痛・休み・頭痛・休みと交互に多分何十秒という間隔だったと思う。
それに耐えていたら,その「休み」になったとたんに耳元で誰かがつぶやいた。
「グラマンって恐いよね…。」
男とも女とも,子どもともオトナともつかぬ声で。
「は?」と寝ぼけていた自分もがばっと起きあがって周りを見回したけど,当然誰もいない。
でも,たしかに聞こえた。それも耳元でささやくように。
そして頭痛は止まった。
知っている人は知っているんだろうけど,その時俺は「グラマン」ってなんだか,わからなかったんだ。
翌日,出社して会社のネットでグラマンと調べたら第二次世界大戦中の米軍の戦闘機の名前だった。
そりゃ,恐いわ(笑)と思い調べていくと横浜大空襲の時に来たやつだと見つけてビックリ!!
ちなみに,ここは横浜。しかも当時と同じ5月。その時は,本当に驚いたよ…。
でも,今調べたら横浜大空襲の時に来たのはP-51というのとB-29らしい…。
なんで,あの時はネットでそうでたのか…?
そしてその声の主は誰だったのか?
なんのためにそう言ったのか…?
いまだに思い出すと,恐いっす…。
827: 名無し三等兵 04/07/17 23:57 ID:???
ずいぶん昔に聞いた話を貼ります。
うろ覚えなんで知っている人いたら訂正ヨロ∠(-。-)
新婚旅行でハワイへ行った。
子供の頃から剣道の稽古を付けてくれた近所のじいいちゃん
(漏れの周りのガキはみな愛情込めて「剣道のじいちゃん」と呼んでいた)に,ハワイへ行くなら真珠湾で献花してきてほしいと頼まれた。
じいちゃんの兄上が真珠湾攻撃の飛行隊員(艦爆だったそうだ)で,真珠湾攻撃で散華されたそうなのだ。
日本から花を持ち込むのは難しいので,こちらで作った桜の花の押し花と,現地で買ったかすみ草を携え,アリゾナ記念館へ渡るボートへ搭乗し,献花した。
そのあと撮影した写真を見てびっくり。
停泊する第七艦隊の艦船の上に,固定脚の単発プロペラ機の機影が写っていた。
じいちゃんの兄上の艦爆に違いないと思った。
939: 名無し三等兵 05/02/15 15:59:43 ID:???
沖縄とかでよく日本兵の霊が出るっていうけど,日本人を守るために死んでいったはずの英霊なのに,
同じ日本人を海に引きずり込もうとするなどちょっと英霊にあるまじき行為をする。
しかしまあ日本の神は荒ぶる神だから何も聖人君子でなくてはいけないということはないのだ。
中には菅原道真みたく怨霊になってしまった英霊もいるのかもしれない。
靖国はいろんな未練や怨みを持ちながら死んでいった英霊を鎮めるためのものでもあるのだ
942: 名無し三等兵 05/02/16 09:21:44 ID:???
>>939
そもそも,日本は怨霊信仰の国だからな。
靖国はマイナスのエネルギーでさえ
プラスに転換できる場所だと思う。
969: 名無し三等兵 05/03/08 04:28:39 ID:lRDtEVoJ
現在の硫黄島って,自衛隊と,アメリカのコーストガードと,
建築関係者(飛行場などの保守)しかいないんだけど,いまだに,
どっか穴を掘ると,かならず人骨が出てくるんよ・・・
でも,1年中,野生のオレンジが実ってる,いい所だよ~ん!
970: 名無し三等兵 05/03/08 04:50:56 ID:???
不発弾とサソリがなければ良いところなのは確かだ。
975: 名無し三等兵 05/03/08 12:29:15 ID:???
>>970
硫黄島のサソリは毒持ちですか?
J隊の勤務経験者のHP?では,「毒は無い」って話だった。
でも,暇つぶしに見つけたら殺してったって。
確かにうろちょろしていたら,気味悪いもんね。
976: 名無し三等兵 05/03/08 12:38:23 ID:???
>>975
隊員がお土産に蠍を持ち帰るので一種類絶滅したという噂がある。
コメント一覧
1. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:01 ID:d2x.OFFH0
エルダー帝国ガガーン少将,叱咤ときにはドッキリしましたぁぁぁぁ!
2. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:09 ID:6o4wKfBE0
すっごい古いスレだな
俺の婆ちゃんは戦死した兄が青白い顔をして枕元に立ってるのを見たらしい
幽霊だと気づいて,一生懸命念仏唱えてたら消えたらしい
3. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:13 ID:ZDvFqBIi0
スプリットでしょ
4. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:19 ID:NhGGii1s0
臭そうな顔したクライストめ!
-----
病気みたいなGoogle広告流しやがって!
5. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:28 ID:oofHmAgg0
映画ドラえもんの時空乱流思い出した
あのシーン怖かったなぁ
6. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:33 ID:JtJUbA5O0
ノーフォーク連隊は普通に全滅しただけだと思う
視界が悪い中進軍して霧が晴れたらキルゾーンの真っ只中だったとか
7. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:44 ID:ulqSwy6M0
2003年のスレのまとめが現代に現れるのが一番の怪談
8. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:55 ID:ugBWsG750
>>7
東日本震災の時のスレが上がってくることはありますがねえ
9. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:56 ID:d3qgLe.j0
>>6
確か普通にトルコ軍に捕虜にされて
戦後に帰還したんですよね
10. 名も無き哲学者 2020年12月26日 00:57 ID:A4Oeoil50
>>7
はいはい
11. 名も無き哲学者 2020年12月26日 01:17 ID:bdc9cX5.0
面白かった
12. 名も無き哲学者 2020年12月26日 01:31 ID:wlfFAod40
モンスの天使事件
第一次大戦中,ベルギーのモンス市でイングランド軍がドイツ軍に包囲されて全滅寸前。
その時,どこからともなく現れた謎の軍勢がドイツ軍を攻撃してイングランド軍を救った事件。
その軍勢は,金色の甲冑に身を包んで弓矢で攻撃するという,明らかに時代に合っていない姿だったらしい。
生き残ったイングランド,ドイツ両軍の兵士の多くから,この謎の軍勢の目撃情報が残っている。
イングランド側では,天使に助けられた伝説として残っている。
13. 名も無き哲学者 2020年12月26日 01:44 ID:YqnNGcjO0
さすがに二昔前の書き込みだな
独特のクドさがある
14. 名も無き哲学者 2020年12月26日 01:46 ID:.jHDRTqx0
>>12
アーサー・マッケンが関係していた記事だっけ?
マッケンには,その事件を導入部に使った短編を書いていたような気がする
15. 名も無き哲学者 2020年12月26日 02:18 ID:.klhTie40
セウイ→セウヰ
ヨウゲキセントウ→エウゲキセントウ
ソウレツ→サウレツ
ブタイテウ→ブタイチヤウ
公文書がこんなに間違えるわけないのでここはもう少し練ってほしかった
05年のレスに無粋だが
16. 名も無き哲学者 2020年12月26日 02:28 ID:ePWRIVLI0
のび太の日本誕生で見たなあ,ノーフォーク連隊の話。
17. 名も無き哲学者 2020年12月26日 03:09 ID:VD1.9Zaz0
言うほど戦死したら陣地に戻って来たいか?死んでる事に気付かないって幽霊バカにし過ぎだろ
18. 名も無き哲学者 2020年12月26日 03:16 ID:8t2FjwVz0
IT庁は全てのシステムをファーウェイ製品で構築しようとしている
国益に逆行する売国行為だ
19. 名も無き哲学者 2020年12月26日 05:52 ID:r74OXFzg0
>>17
幽霊が存在する前提ありきで考えると,死んでることに気付かないんじゃなくて,気付きたくない,認めたくないっていう無念の気持ちが強いんじゃない?
20. 名も無き哲学者 2020年12月26日 08:43 ID:eJQ6aAnF0
帰ってきた兵士の霊を成仏させようとしてるけど敵意なくて話通じるみたいだし戦力にすればいいじゃん
物理干渉出来なくても敵さんの夢枕に連日立たせたりあらぬ場所に出現させたり奇襲の役にも立つだろ
親元じゃなくて駐屯地に帰って来てるんだし彼らも戦意十分なんじゃね
21. 名も無き哲学者 2020年12月26日 10:05 ID:W4IDIcHC0
>>20
死んだからも,兵士としてこき使えって
お前相当クズだろ
22. 名も無き哲学者 2020年12月26日 10:40 ID:XaRA0xZW0
現代民話考の中に,狸が出征した話があった。
日清戦争か日露戦争のころ。有名な化け狸がいる土地(四国?)の連隊が戦地で苦闘しているときに,どこからともなく白い服を着た友軍の部隊が現れて敵を蹴散らしてくれたとか。
そんな部隊は存在していなくて,地元のお狸様が助けてくれたんじゃないかという話になった…というオチだったと思う。
23. 名も無き哲学者 2020年12月26日 11:45 ID:EZGkVw.D0
幽霊の軍隊は遥か昔騎士の時代から目撃例がある。
そして敵国同士の2つの幽霊軍隊が先頭を繰り広げたという話も残っている。
WW2の時代は幽霊の戦闘機が何度も出現して一方の陣営の戦闘機を撃墜していた。幽霊戦闘機には銃弾は効かないのに,なぜか幽霊戦闘機の銃弾は現物の戦闘機を落とせるらしい。困り果てていた所,ある日,この幽霊戦闘機に戦いを挑んだもう一つの幽霊戦闘機が出現し空中戦を繰り広げたという記録がある。
死んでもなおかつ戦いから逃れられない修羅の性というものなのだろう。
24. ・・・ 2020年12月26日 11:51 ID:XprTm5ol0
戦時中に三重県の四日市市で空襲に遭った人の証言で,空襲の最中に爆撃の合間を見ながら走って逃げてる時,ふと隣を同じように走ってる男の人の顔を見たら,頭部の鼻から上がなくなっていて,そのまま頭の上半分がない状態でしばらく走った後にぱたっと倒れて「無念じゃ」とつぶやいてこと切れた,という話があった
25. 名も無き哲学者 2020年12月26日 12:02 ID:k.v44CTw0
まだ坂井三郎が英雄だった頃か
26. 名も無き哲学者 2020年12月26日 12:14 ID:OqWljOHo0
>>12
どっちかっていうとバチカンはナチスよりだったのに,
なんで味方のドイツを攻撃するんですかねぇ…
27. 名も無き哲学者 2020年12月26日 12:17 ID:xgCqQF020
戦争という前提がある為に一定の説得力がある。津波の時の幽霊騒ぎと同じだな
こういう話をある程度信じると,次の大災害時に幽霊を見る人になるんだろうなと思う。幽霊が出るメカニズム的に無視出来ないな
28. 名も無き哲学者 2020年12月26日 12:43 ID:nsGvUaCJ0
硫黄島に上皇陛下が慰霊に訪問したら怪異現象がピタリと止んだとか何とか
29. 名も無き哲学者 2020年12月26日 13:16 ID:GJfW6S0e0
ノーフォーク連隊の話は詳細に嘘を検証した日本語のHPもあったから面白かったけど,これかなり前のスレだしなぁ。ここで出ていた八甲田山が気になってウィキ読んじゃったけど,オカルトになる要因として「生存者が極限状態や瀕死で生存者達で記憶の相違がかなり見られる」「軍が箝口令をしいたため不都合な情報の隠蔽があって辻褄が合わなくなる」「その疑いから逆になんでも陰謀論が唱えられる」などなど。てか,矛盾脱衣で川に飛び込むとか立ったまま凍ったのを鉄板で解凍とか帽子脱がしたら皮ごと剥がれたとかむしろこええよと。まあ,戦争も遠くなってレス少ないな
30. 名も無き哲学者 2020年12月26日 13:19 ID:GJfW6S0e0
>17 夢中で戦ってると死んでる事に気がつかないなんてよくあるゾ。現代で亡くなった同僚が普通に出社してきたみたいなオカルトは聞くわ,いろいろブラックなんだなって。
31. 名も無き哲学者 2020年12月26日 14:26 ID:lVFXV4vC0
昔読んだスレだった,ナツカシス
32. 名も無き哲学者 2020年12月26日 15:00 ID:3VS8fslq0
307の奴はU-28が輸送船イベリアン号を撃沈した時に目撃されたという怪物
実際のU-28の航海日誌にはイベリアン号撃沈の際の怪物の記述はなく,イベリアン号の生存者にも目撃したという証言は一切無かった
33. 名も無き哲学者 2020年12月26日 16:13 ID:HNNo0.c20
戦艦陸奥の爆沈はいじめに耐えかねた兵士による放火説があるけど
丸に載ってた手記で偵察機の訓練生が教官を道連れに墜落して心中したってのがあったな
34. 名も無き哲学者 2020年12月26日 16:45 ID:7mfc639V0
17年前のスレなんか,よく残ってたな
これの方が,よほどに幽霊っぽい
35. じょん・すみす 2020年12月26日 19:22 ID:ipd1T.Fi0
幽霊の類は時間がたつといつの間にか消える,とか言う話だけど。
確か英国のとある図書館の地下では,ローマの軍勢が
隊列を組んで闊歩してるとか言う話だから,どれぐらいの
時間が必要なんだろうか。
36. 名も無き哲学者 2020年12月26日 21:05 ID:GJfW6S0e0
>35 あの話が凝ってるのは,ローマ兵が行進してたのは地下倉庫という所で,確かに時間経つと地形かわって普通は盛り土されるから幽霊いても見えないよねって笑える所。ちなみに,あの後監視カメラが24時間監視してるけどローマ兵が映ったという話は聞かない。てか便乗なのかローマ道の上のパブとかもやってたような。で,幽霊騒ぎの後に発掘してローマ時代の道が出土したとなっているけど,ぶっちゃけあの辺り掘ればそりゃなんかしら出るよねって。夏場はゴーストツアーもやってたけど,私そっちには行けなかった。
  幽霊の寿命は先日100年ぐらいって聞いた気がする。日本でも平将門の首塚は触ると祟るとされ没年が940年だからおおよそ1000年も力があった事になる。実は今現在,その首塚が第六次の改修工事中らしくて,祟りが懸念されているとかなんとか。まあ,今の工事主体は信者団体で美化みたいなもんらしいけど。
37. 名も無き哲学者 2020年12月27日 09:00 ID:ceN.wm.70
砲兵が砲を一人で運用していて,
砲弾の装填が下半身もないのに一人でできる
思い込める奴のみが楽しめるスレ
38. 名も無き哲学者 2020年12月27日 22:09 ID:MZQGbgQA0
??326のは伊号第63潜のことかな
豊後水道で衝突→沈没の事故が起きてる
39. 名も無き哲学者 2020年12月27日 22:52 ID:t.2fp8FV0
80の話,食い詰め苦学生とかいうならまだ解るが,
朝鮮戦争の時代に大卒だったようなエリートが
どういう経緯でドヤ暮らしの日雇いになったのかの方が気になる。
40. 名も無き哲学者 2020年12月27日 22:56 ID:t.2fp8FV0
>その猫を乗せないまま港を出たんだそうな。そうすると何故か機関は故障するわ岸壁には衝突するわコンピュータは動かなくなるわでどえらいトラブル続き。
ネズミの仕業では?とマジレスしてみる。
41. 名も無き哲学者 2020年12月27日 23:02 ID:t.2fp8FV0
>見慣れぬ怪物の姿であった。
>百科事典などで見る恐竜,海竜のそれに余りにも酷似していたという。
一番 可能性が高いのは,腐敗クジラの類じゃないのかなぁ…?
              
2ch
https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1599795969/
    
哲学ニュースnwk
http://blog.livedoor.jp/nwknews/?p=55
http://blog.livedoor.jp/nwknews/?p=144
http://blog.livedoor.jp/nwknews/?p=288
http://blog.livedoor.jp/nwknews/?p=300
    
匿名だって真剣
http://serious.blog.jp/
                 
NEWSまとめもりー
          
ガハろぐNewsヽ(・ω・)/ズコー
http://gahalog.2chblog.jp/
                        
Rocket News
https://rocketnews24.com/
                                       
鬼女まとめログ 
http://www.kijomatomelog.com/
              
                   
               
    
    
                 
                                 
               
    
    
                            
                   
               
    
    
                 
                                 
               

日中戦争731部隊

日中戦争731部隊とコロナウイルス
細菌兵器と武漢肺炎
2020年01月27日 (月) 17:22
カテゴリ : 未分類
731部隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
日中戦争開戦を遡る5年前、1932年、陸軍軍医学校防疫部、石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室が開設された。このとき、関東軍防疫班が組織され、翌1933年からハルビン郊外の背陰河において活動が始まった。つまり、開戦の五年前から、日本はすでにBC兵器を利用した中国国民殲滅作戦を計画していたことになる。
後に、日中戦争では、「三光作戦」すなわち、「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という戦略を掲げて民衆大虐殺を繰り返したが、こうした作戦は、盧溝橋事件による戦争開始のはるか前から準備されていたことを意味する。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-03/ftp20081203faq12_01_0.html
1936年、関東軍参謀長 板垣征四郎によって関東軍防疫部の新設が提案され、同年8月には、正式発足した。これが、通称731部隊である。
これは通称「加茂部隊」とも呼ばれ、石井四郎の出身地である山武郡芝山町加茂部落の出身者が多数いたことに由来する。実は、同県内の里美村には、中国でアヘンを大量生産・生成して、戦争資金を得る目的で売りさばいた陸軍軍属、里見甫がいた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB
これは陸軍内で、731部隊と、里見アヘン部隊(電通)が非常に近い関係だった可能性を示している。
第一次世界大戦における化学兵器の使用を受け、1925年のジュネーヴ議定書では戦争時における化学兵器・生物兵器(細菌兵器)の使用禁止が規定された。
しかし、731部隊は単に生物兵器の研究を行っていただけではなく、生物兵器を実戦で使用していた。731部隊ではペストやチフスなどの各種の病原体の研究・培養、ノミなど攻撃目標を感染させるための媒介手段の研究が行われ、寧波、常徳、浙贛などで実際にペスト菌が散布された。元関東軍の大尉であった小島隆男は、731部隊と協力し、中国大陸にコレラ菌を拡大させる作戦に従事した。
「コレラ菌は対象地域に撒きました。まず病気が発生したことを確認し、対象地域に入ります。日本軍が侵入すると中国人たちは逃げて、新しい人たちに次々に感染させ、我々の計画通りに病気を蔓延させます。死者の死体や動けない人々が、あたりに横たわっていました。夏になると蝿がたかり、ぞっとする風景でした。私たちは2週間これらの作戦を続け、任務成果報告書に中国人およそ2万人がコレラで死亡したと記入しました。」
731部隊関係者からの事情聴取によると、日中戦争において、浙贛作戦(1942年)などで12回の生物兵器の使用があった。また、ペスト菌汚染された蚤を空中散布した、チフス菌を井戸や畑の果物などに撒いた、細菌入りの饅頭を配ったなどとする証言者も複数存在する。部隊長石井四郎軍医は、フェル博士による尋問で炭疽菌の効果について次のように語っている。
「炭疽菌についていえば、もっとも有効な菌であると確信しました。量産できるし、抵抗力があって猛毒を保持し、致死率は80%〜90%にのぼる。最も有効な伝染病はペスト、媒介節足動物による最も有効な病気は流行性脳炎であると考えました」。
1940年の新京や農安でのペストの大流行が、731部隊の細菌散布により起きたとする元731部隊所属の金子順一軍医の「論文集(昭和19年)」が、2011年に日本の国立国会図書館関西部で発見された。
1940年6月4日に日本軍が農安(吉林省)でノミ5グラムをまき、1次感染8人、2次感染607人の患者が発生し、同年10月27日には寧波で2キロ軍機から投下し、1次・2次感染合計1554人、41年11月4日には常徳に1.6キロ投下し、2810人を感染させ、6つケースの細菌戦では感染者は計2万5946人に上ったと報告している。
1940年10月27日早朝に行われた寧波へのペスト菌攻撃は、低空飛行の飛行機から細菌をまく方法で行われた。この時使われたノミは、ペスト菌を持つネズミの血を吸い「ペストノミ」となったものだった。
2011年の金子論文発見により、ジャーナリストの渡辺延志は、新京でのペスト流行は新京から60キロの農安で始まった731部隊の細菌攻撃に端を発しており、農安から持ち込まれた犬が入院していた新京の日本人経営の犬猫病院を起点として、ペスト菌が拡大していったと述べている。
1941年に行われた浙贛への細菌攻撃では、1万人以上の被害が出た。コレラ患者を中心1700人以上が死亡したものの、犠牲者はすべて日本兵だった。被害にあった日本兵は上官から、「これは中国による生物兵器攻撃だ」と教えられたと供述している。
731部隊では生物兵器の開発や治療法の研究などの目的で、本人の同意に基づかない不当な人体実験が行われていた。石井四郎は医学研究において「内地でできないこと」があり、それを実行するために作ったのがハルビンの研究施設であった、と戦後に語っており、この「(日本)内地でできないこと」とは主に人体実験を指している。石井四郎の右腕といわれた内藤良一(のちの「ミドリ十字」の設立者)は、戦後のニール・スミス中尉による尋問で次のように証言している。
「石井がハルビンに実験室を設けたのは捕虜が手に入るからだったのです。(中略)石井はハルビンで秘密裏に実験することを選んだのです。
ハルビンでは何の妨害もなく捕虜を入手することが可能でした。」
さらに、細菌部隊のアイデアは石井ひとりのものだったとし、「日本の細菌学者のほとんどは何らかの形で石井の研究に関わっていました。(中略)石井はほとんどの大学を動員して部隊の研究に協力させていた」と供述している。
■実験材料「マルタ」と呼ばれた人々
人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていた。ジャーナリストの西野瑠美子によれば、731部隊が性別、年齢層、人種を超えた、幅広い実験データを必要としたためであり、女性マルタは主に性病治療実験の材料になったという。
高い外壁で囲まれ、コンクリート造りの特設監獄(「マルタ小屋」と呼ばれた)に一度収容されると、脱出は極めて困難であったといわれる。石井四郎付き運転手であった越定男は、野外の安達細菌爆弾実験場で脱出を試みたマルタたち40人をトラックで轢き殺したとして、次のように証言している。
「一度、縛られていたマルタおよそ40人が、お互いに縄をほどき合って、散り散りになって逃げたことがあります。しかし、遠隔地の空港ですから、逃げおおせる場所はありません。トラックで次々に彼らを轢き殺しました。前輪でひっかけたり(中略)、轢いた時は衝撃を感じました」。
マルタの人数は、終戦後にソ連が行ったハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言によると3,000人以上とされる。731部隊の「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は2007年に「毎日2〜3体、生きた人を解剖し(中略)多い時は1日5体を解剖した」と証言している。
731部隊における人体実験は通常、生体解剖を意味した。これは被験者が死亡してしまうと人体に雑菌が入るため、人体に雑菌が入らないうちに解剖して臓器などを取り出す必要があったからであるとする。
「ワクチンなしでペスト菌を注射されたその男性は(中略)、2、3日後には、高い熱が出て顔色が悪くなり、その翌日くらいには瀕死の状態で顔が黒っぽく変わっていきました。(中略)この男性はまだ息のある状態で裸のまま担架に乗せられ、私たちが待機している解剖室に運ばれてきました。
(中略)大山軍医少佐から「はじめよう」の命令がでました。細田中尉が、目でメスをわたすように私に合図します。足かせ手かせで固定された男は、カッと目を見開き、この凶行を確かめるように首を回しましたが、体の自由はききません。男は無念の涙を目にたたえ、天井の一点を見つめています。何か叫びを発しようとしているようですが、乾ききった口からは声は出ず、わずかに口を動かすだけです。
男の首をなで回していた細田中尉が、右手のメスでズバリと頸動脈に沿って切り下げました。血がジューッと流れ出しました。男は、ペスト病の苦しみと、切りさいなまれた痛さで首を左右に振り回します。そのたびに顎にかかっている首かせが食い込み、ついにガクリと首をたれ失神しました。私はあわてて血を抜き取りました。(中略)ビタカン(ビタミン剤とカンフル剤を混合したもの)を4本打っても、男の鮮血を絞ることはできません。「鬼子ッ!」男は憎しみの火と燃える一言を絞り出すとスーッと顔色が代わり、呼吸が止まりました。「解剖刀をよこせ」細田中尉は、解剖刀を逆手に握ると、上腹部から下腹部へ得意然として切りさいなみ、骨を切るノコギリを引いて肋骨を引き切り、内臓の全部を露出させました。」
731部隊では、ガス壊疽実験、凍傷実験、銃弾実験などのように、人体を極限まで破壊すると、人体はどのくらいの期間持ちこたえることができるのか、あるいはそこからどのように治療すれば回復させることができるのか、といった生理学的な研究も頻繁に行われた。こういった実験は、731部隊以外の陸軍病院などでも行われた。
元731部隊員の越定男によれば、731部隊で最も熱心に行われた人体実験は、ガラスで覆われたガス室の外から犠牲者を観察するガス実験であったという。越は、ガス実験に立ち会った時の様子を次のように語っている。
マルタと一緒に鳩、鶏などが籠に入れられたまま運び込まれる。(中略)背の高い眼鏡をかけた通訳生がマルタに適当な嘘を言って送り込んでくる。やがてガス発生機の音や風車の音がし始める。大抵ガスは眼に見えない。ガラス越しにマルタの表情を見て、ガスの濃度や効果を知るわけである。
ガラスを通してみるマルタの表情、動きは刻々に変わる。ガスの種類によって突然、泡を吹き出す者もあれば、苦痛に顔をゆがめる者もあり、鼻水を出したり、時には喀血する者もいる。使用ガスは、イペリット、ホスゲン、ルイサイト、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどさまざまである。(中略)絶命したマルタは解剖室へ、半死半生のマルタは特別室へ入れて、二度、三度と実験に使い、決して生かしておくことはない。731部隊の印刷部員だった上園直二は、「2人の白系ロシア人の男性が零下40度から50度の冷凍室の中に素裸で入れられていました。研究者たちが彼らが死んでいく過程をフィルムに撮影していました。彼らはもがき苦しんでお互いの体に爪をめり込ませていました。」という証言をしている。
731部隊付き看護婦であった赤間まさ子によれば、石井四郎は日本への帰路において731部隊員と家族に対し、「戦争は負けた。俺は、君たちみなを故郷に送り返す。帰郷したお前たちが731部隊の秘密を漏らすようなことがあったら、この石井はどこまでも、草の根をわけても捜すぞ。」と悪魔のような形相で叫んだという。
731部隊の実験データの多くは元隊員たちが密かに持ち帰ったため、最終的にはアメリカ軍の戦後の生物兵器開発に生かされたと述べている。また、人体実験に手を染めたものの、ハバロフスク裁判を免れた軍医たちは連合国から戦犯として裁かれることなく、大学医学部や国立研究所や各地の病院に職を得たと述べている。
部隊員の戦後の処遇について、「戦後も、元隊員には多額のお金が支払われました。200万円もらった人もいます。昭和23~24年当時に、このような支払いが行われたということは信じられないことです。恐らく、米軍からの支払いがあったのだろうと思います。731部隊関係者はほとんど例外なく、いくばくかのお金を受け取りました。731部隊の仕事は、最高の稼ぎを保証しました。大勢の大学教授が731部隊に関連していました。とりわけ厚生省の幹部のような上層部の人たちやワクチン関係者は、みな石井部隊と何らかの関係を持っていました。
米国が731部隊員に提示した条件は、以下の9項目。
--- 鎌倉会議で取り交わされた9ヵ条の密約 ---
日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人のみに提供される。ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
報告書は一般に公表されない。研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。主要な研究者は米国へ行くことを許可される。
アメリカ政府は次のように結論した。
a. 日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。
b.【略】
c. アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全にとって非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である。
d. 国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない。
e. 日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり「戦犯」の証拠として使用すべきではない。
朝鮮戦争でアメリカは日本軍の731部隊のデータをもとに細菌戦を実施し、また石井四郎も従軍したといわれる。
************************************************
引用以上
ウィキペディアの731部隊に関する情報は、おそらく公開されている全資料のなかでも、もっとも価値が高いもので、編者に心から敬意を表したい。また、よくぞ、今まで、この内容が極右勢力によって改竄・歪曲されないですんでいることにも驚いている。
ここに引用したものは、ウィキの記載の1割程度しかない。詳細は、冒頭のリンクから確認していただきたい。私は、これを引用しながら、あまりの非人道、人間性崩壊の凄まじさに驚愕するとともに、激しい打撃を受けて、もう引用することも辛くなってしまったので短くした。
と同時に、この内容が、中国共産党政権による法輪功大弾圧に、あまりにも酷似していることに驚かされる。つまり、中国政府が行っている反共産党勢力に対する残酷の極地のような弾圧は、実は、日本軍731部隊の作戦行動から学んだものであることを、はっきりと理解することができる。
そして、現在、中国で進行形の武漢肺炎について、これがSARS・MARSと同じように、細菌戦争の作戦ではないかという疑いを強く抱かざるを得ない。
これを疑う、最大の理由は、感染のタイミングが春節にかかっているということである。春節は、日本人には、想像もできないほど祝日として最高ランクにあるもので、年間最大級の民族大移動が起きる。これによって、感染者は中国全土に拡大することが約束される。こんなうまいタイミングは、計画しなければできるものではない。中国全土に感染拡大パンデミックが及んだときは、中国の歴史最大級のパニックが訪れることだろう。
私は、日本にも数十万の中国人が押し寄せることから、これを中国共産党自身が仕組んだものであっても不思議でないと思っている。中国共産党にとっては、自国民の悲惨よりも、日本の弱体化の方が大切と思っている可能性がある。中国政府は、共産党の利権を守るためだけの組織であり、民衆を守るための組織ではないからだ。もしも、中国政府の陰謀だったなら、共産党幹部だけ、感染率が低くなるから分かるはずだ。
新型肺炎「武漢だけで、2月4日までに最大35万人超が感染」英米研究チーム
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200127-00160519/
731部隊では、もっとも効果の高い細菌兵器は、「炭疽菌」であったと語られていた。感染者の致死率が高いという意味だ。しかし、細菌兵器の扱いや効果は極めて難しいもので、感染力も毒性も、実験培養室を離れた瞬間から刻一刻と変化し、時間とともに突然変異の確率が増して、効果を失ってゆくといわれている。これが、これまでの新型肺炎が、狙い通りの成果を上げられなかった理由だろう。細菌兵器を誰が散布したのか? については、もっとも可能性の高いのが、CIAかMOSADOによる中国の弱体化を狙った作戦だが、法輪功弾圧で分かるように、中国共産党政府自体が、非人道的で残酷な細菌兵器の開発に血道を上げてきたわけで、そうした開発過程で、何らかの自国民での実験を行った可能性も捨てきれないし、春節を利用した日本への感染打撃を狙った可能性も否定できない。
もし、アメリカやイスラエルが行ったのなら、おそらく中国政府は報復するだろうから、アメリカでも致死的な大規模感染が起きるだろうと予想している。
2017年、アメリカのCIAスパイが、数十名、(根こそぎ)中国政府によって殺害された事件があった。
https://www.sankei.com/world/news/170609/wor1706090003-n1.html
この頃から、アメリカ政府による中国政策は人道的抑制を超えて残酷な先鋭化の様相を帯びている。だから、いずれ、このような細菌兵器実験を行うに違いないと予想していた。
問題は日本だ。春節での中国人流入は、最低でも数十万人、あるいは100万人に上る可能性がある。中国政府は、今のところ団体旅行を禁止しただけで、個人旅行は禁止していないので、抜け道だらけだ。この結果、日本に新型肺炎コロナウイルスを散布したのと同じ効果があるわけで、金儲けしか興味のない安倍政権自民党が、疫学的な厳しい対策をできるはずがない。
■対策
日本でも、SARSの数十倍の感染者、死者が出るのは確実であろう。
中国政府が、事実上の経済破綻を起こしているので、この巨大なデフォルトの嵐に対する言い訳=正当化に使われる可能性も考えるべきだろう。
日本には、阿鼻叫喚の感染地獄がもたらされる可能性があることを視野に入れるべきだろう。
対策としては、
とにかく街中に出ないこと。やむをえず、スーパーなどに買い物に出るときは、厳格なウイルス防御対策を行うこと。
用事は電話ですませ、人には会わないようにする必要がある。濃厚感染のタイミングは、たぶん一ヶ月程度なので、その間、小さくなって閉じこもって過ごすべきだ。
コロナウイルス=エンベロープ型に必要な消毒資材は、まず、一番安く上がるのが、ブリーチ・ハイターの次亜塩素酸ソーダで、100円以下で買えるので、もっとも有効である。苛性ソーダが含まれていて、皮膚を溶かすので、100倍くらいに薄めて清掃に使用する。これを水虫に使っても効果がある。
放置すれば、分解して炭酸ガスと水になるので、安全性も比較的高い。
次に、エタノールだが、濃度が80%程度は欲しい。50%は効かない可能性がある。
イソブロピルは効果がないという。まずは70円で買えるブリーチを多用しよう。

東海アマブログ
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1011.html

松代大本営~大本営長野移転計画

FB歴史Mind: 松代大本営~大本営長野移転計画
どうにも分からないことがありますので、皆様のご意見とご指導を賜りたく思います。
松代大本営についてです。
松代とは、現在は長野県長野市松代地区となっているところで、真田信之公が徳川家康公から賜って松代十万石を開いた土地であります。
さて、太平洋戦争末期、ここに昭和天皇陛下の玉体と大本営を移すという計画が陸軍によって立案され、戦争が長引けば実行に移されようとしておりました。
ウキペディアから該当ページのリンクを持ってこようかと考えましたが、流石に安直すぎるし資料としての信憑性はどこまでかと考えると避けた方がいいと判断しました。
ここで疑問に思うのは、陸軍にせよ海軍にせよ、首都機能を東京から移してでも戦争を続行しようとしていたという点です。
こりゃ、あまりにも戦略的に無理があり過ぎます。
海軍は日露戦争の昔にはクラウゼヴィッツを講読しており、現に森鴎外の日記に「クラウゼヴィッツの講義を海軍でやらされた」という記述があります。
そのクラウゼヴィッツの『戦争論』の冒頭の方に、「国土の開鍵」という用語が出てきます。
これは侵攻にあたり、防衛線は全ては突破する必要がなく、国土の主要地を落とすためのキッカケとなるポイントをつければ良いという考えであったかと思います。
日本は海で囲まれた国で、近代まではそれが防御線となっていました。
逆に言えば、上陸されれば脆いかと思われます。想像してみていただきたいのですが、仮に小田原あたりにどこかの軍隊が大挙して上陸してきたら、結果としてどうなるでしょうか?
現代兵器の展開力を考えると、至極短時間で日本の主要都市は陥落するかと思われます。
陸海軍ともこれを想像できなかったとは思えません。
さて、話を松代に戻します。
「上陸されたら全てが終わる」とわかっているのに、なんで降伏せずに最悪の場合長野まで戦線を下げることを想定したのか?
そもそも、長野に首都機能を持ってくること自体無理があります。1998年の長野オリンピックでインフラが整えられるまで、長野は別名「陸の孤島」と呼ばれておりました。そもそもアクセスが悪い上、関東平野と比較すると長野盆地は話にならないくらい狭く、大人口を収容できません。そんな有様になるまでなんで戦争を継続しようと思ったのか?
さらには、連合軍は松代に大本営を移転する計画を知っていた可能性があります。
1945年8月13日。連合軍にとって空爆すべき都市として優先度が低かったにも関わらず(なんでも62位だったとのこと)、長野市は突如として空襲を受けます。日本の降伏はご存知の通りその二日後です。なんだってここに至って長野は空襲を受けたのか? たまたまその日の目標が長野周辺だったというのは答えにならないかと思われます。
我が家の屋根裏部屋には、「大日本帝国陸師」と刻印された椅子がひとつあります。父親にこれはどこから持ってきたのかと尋ねたところ、昔大本営の人たちが持ち込んだものを父が勤めていた高校が保管しており、危うくそれが「古いから」という理由で廃棄されかけたのを父が引き取ったとのこと。たった80年前のことを人々は忘れ去ろうとしております。なぜその時そうした決断がなされたのかも十分に明らかにされないままに。
どうにも、「国体護持の手段がこれしかなかったから」では説明できない気がしまして、皆様のご指導を仰ぎたく思いました。よろしくお願いいたします。

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(-.-)
国土の75パーセントを山岳が占める我が国において、一箇所上陸を受けたことで直ちに主要都市が陥落する、という仮定が誤りかと存じます
(-.-)
森郎くん、ご返信ありがとう。
なるほど、そうかもしれない。
ベトナム戦争の例を挙げれば、山や密林でゲリラ戦を延々と繰り返されれば、アメリカといえども折れるだろうね。
しかし、旧日本軍の軍事ドクトリンでこれは可能だっただろうか?
たしかに、山や密林は防衛力とはなる。
しかし、それは期待できるものではないかもしれない。
例えば、インパールではどうだっただろうか?
日本軍は補給と航空戦力を考慮に入れずにこの作戦を敢行した。結果、山と密林の地形だったにもかかわらず、空挺強襲を含む手段で補給線を落とされ、撤退を余儀なくされた。
果たして松代でそれ以上の戦果を挙げられただろうか?
それとも見落としているだけで、実は連合国にせよコミンテルンにせよ、もう少し戦争が長引けば継戦できない事情でもあったのだろうか?
(-.-)
山岳と密林、稀薄な人口と貧弱な道路インフラは防御側に利するということです
インパール作戦について
日本軍はビルマから人口希薄地帯を通過し、アラカン山脈と密林に防御されたインパールを攻略する『攻勢』作戦を実施し、失敗に終わりました
(-.-)
いや、それらの防御力は戦術上は意味を成すことはあり、ベトナム戦争や中国共産党が井崗山に拠点を設けたことは、それを実証している。
問題は戦略上の意義なんだ。
本土上陸は太平洋戦争中結局なされなかったが、硫黄島で何があったかはよく知られている。
なんの因果か、指揮官の栗林中将は松代の出身だが、ここで日本軍はこれでもかとばかりの抵抗を見せた。
結果、硫黄島は陥落して、連合軍の補給線が伸びたので、本土空襲が激化した。
仮に制海権も制空権も取られて、果ては本土のどこかからB29が飛んできたら、それでも抗戦できただろうか?
出来ると踏んだから松代大本営の計画があったわけだが、その勝負にはどう考えても勝ち筋がない。国体護持が肝要なら、ますます早期の講和が必要で、なんでここまでして抗戦しようとしたのかその戦略的意義が疑問なんだよ。

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皆神山
「目覚めた魂」聖なる仲間へ
2016/8/1(月)午後7:48
日記幽霊、心霊
「天下泰平」さんより
「目覚めた魂」聖なる仲間へ
2016-07
テーマ:ブログ
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/2/9/298c07e8-s.jpg
【vol.55】こころとからだの健幸タイム|ゲスト滝沢泰平さん~前編~
世界各地への「祈りの旅」をご一緒いただいている滝沢泰平さんと、エヌ・ピュア代表・鳴海周平の共著『目覚めた魂』出版を記念して、「ぶらり旅」と「健幸対談」のコラボ企画をお届けします。
「祈りの旅」での氣づきやエピソードなどを、前編・後編でお楽しみください。
『目覚めた魂』対談ページから抜粋してご紹介します。
摩周湖の龍が教えてくれた「新しい時代」
鳴海周平(以下鳴海)
いよいよ「新しい時代」が始まった感がありますね。
世界各地をご一緒しながら、目にみえない世界に働きかける「祈り」の作用が、とてもわかりやすい時代になったことを実感しています。
滝沢泰平さん(以下滝沢)
そうなんですよね。目にみえない世界に働きかけている「祈り」に対して、天候やシンクロニシティなど、目にみえる世界での反応がとても早い。
祈りの後、すぐに日輪や彩雲などがあらわれることも、そう珍しいことではなくなりましたね。でも、2014年の夏に、北海道の摩周湖でみた「雲の龍」は、さすがに驚きました。あんなにリアルに、髭や手足まで……。
鳴海「まんが日本昔ばなし」の唄で、子どもが乗ってた龍みたいな(笑)。玉をくわえた蛇の雲もあらわれて、龍と絡み合いながら、山間にスーッと吸い込まれるように退場しました。摩周湖が、まるで壮大な寸劇会場になったかのようでしたね。
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/8/b/8bd6e476-s.png
滝沢これまでは、
陰と陽、
ムーとアトランティス、
出雲と伊勢、
平氏と源氏、
五芒星と六芒星
など、相反する「二元性」の時代でしたが、新しい世界は、そうしたものが1つになって調和される時代。
蛇と龍の姿を借りてみせてくれた壮大な雲の寸劇は、まさしく「融合・統合・調和」をあらわすひな形だと思いました。
2015年時代の節目で起こった出来ごとの背景にあるもの」
=皆神山=
滝沢鳴海さんが本書(『目覚めた魂』)の第1章で述べていたように昨年の9月23日から25日の3日間は、「この世」的な情報からみても時代の大きな節目だったと思います。
それは、この期間に訪れた場所を「ひな形」と考えると、よくわかります。
先ず、23日に行った長野県の皆神山ですが、ここは第2次世界大戦中、日本の戦況が悪くなった時に、
大本営(戦時中に設置された日本軍の最高統帥機関)、政府、皇室を含む首都機能を移転させる計画があったと云われているところで、世界最古のピラミッドとも呼ばれています。50年ほど前には、5年間で70万回以上という謎の群発地震が発生しましたが、原因は未だに解明されていないんです。
鳴海たしかに、見た目も人工物のような山ですよね。
滝沢山頂にある皆神神社には、通常の神社ではちょっと考えられないような紋章や文章が幾つもあるのですが、中でも「天地カゴメの宮」が建立された由来は驚きの内容ですよ。
「天(△)地(▽)カゴメ」という名称、「十六菊花紋の中に六芒星」という紋章も意味深でしょう?
さらに進むと、大本教の出口王仁三郎さんの歌碑があります。
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/2/9/29e9ddca-s.png
鳴海たしかに、凄い登場人物のオンパレードですね。
滝沢他にも、「世界最大最古の皆神山ピラミッド」「謎の皆神山ピラミッド物語」などの由緒書きが建ち並んでいて、もう何でもあり、という感じです。(笑)
鳴海この「カオス感」も、新しい世界のひな形なのかもしれませんね。
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/b/1/b1a9f3e9-s.png
滝沢皆神山の位置も、日本三霊山と呼ばれるうちの、富士山と白山から皆神山までがきれいな二等辺三角形で結ばれていて、そのまま垂直に伸びた線上の南には伊勢の「伊雑宮」、北には秋田県の「唐松神社」があります。
こうしたスポットが皆神山を通じてつながっていることは、それぞれが持つ役割から考えても、やはり「融合・統合・調和」という意味があるように思います。
=守屋山=
滝沢24日に訪れた守屋山は、『聖書』に登場するモリヤと同じ名前です。
イサクの燔祭(はんさい)
これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が「はい」と答えると神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。
「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。
「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」
二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。(創世記22章1-14節)
滝沢守屋山をご神体とする諏訪大社には、「御頭祭」というお祭りがあります。
ミサクチ神という諏訪の神様に、おこう(御神・神使)と呼ばれる15歳未満の少年を捧げ、少年は「御贄柱」に縛り付けられた後、竹のむしろの上に押し上げられ、刃物が登場したところで諏訪の国からの使者や神官によって解き放たれる、というものです。
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鳴海なんだか「イサクの燔祭」と似ていますね。
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滝沢はい、まったく一緒です(笑)。ミサクチは「ミ(御)・イサク・チ(接続語)」なので、完全にイサク神を祀っているお祭りなんです。渡来した古代ユダヤ人は、縄文人と共生しながら、この地に独自の文化を築いていったんじゃないでしょうか。
つまり、守屋山と諏訪湖周辺は、ユダヤと日本の歴史を反映している「ひな形」の場所とも考えられるんです。
=諏訪湖=
滝沢諏訪湖には、本宮、前宮、秋宮、春宮という4つのお宮からなる諏訪大社がありますが、先の2つは「上社」、後の2つは「下社」と呼ばれていて、由緒なども異なっているようです。
鳴海第1章でも述べましたが、諏訪大社を訪ねた時に、本宮と前宮では「うっすらと淡い色合いの十字架」が、秋宮と春宮では「はっきりとした八芒星」がみえました。
滝沢そこがとても興味深いところなんですよね。
というのも、「上社」と呼ばれる本宮と前宮は、渡来してきたユダヤ系と関係が深いとされていて、御頭祭や蛙狩神事などがあるように、狩猟民族的とも云われているんです。一方、「下社」と呼ばれる秋宮と春宮は、農耕民族的と云われています。
御神渡という行事でも、湖面の氷に亀裂が入る現象を「上社にいる男の神が、下社にいる女の神のところへ通った跡」として、上社を男性的、下社を女性的なエネルギーの象徴とみなしています。
鳴海さんがみた「八芒星」は、統合や調和をあらわすシンボルでもあるので、これまで大きな割合を占めていた狩猟的・男性的なエネルギーが、下社に象徴されるような農耕的・女性的なエネルギーと程よく調和する時代に変わるサインだった、とも解釈できるんです。
また時代をさらに遡ると、上社と下社の関係は、この地の土着民族と時の政権の関係でもあったようです。「争いをせずに和合できた初めての場所」とも云われていますから、八芒星が示す意味合いにも通じていますね。
鳴海ユダヤと日本、土着民族と時の政権がとても深く関係していた場所でもあったんですね。
滝沢「イサクの燔祭」に少し話を戻しますが、キリスト教の見解の中には、4000年前に起きたと云われるこの出来ごとを、それから2000年後に起こる「イエスの処刑(生け贄)」の予型とする考え方もあるんです。
「モリヤの地」に着くまでの3日間、アブラハムの心の中で、イサクはすでに「死んだ存在」でした。しかし、御使いの声によってイサクは「生き返り」ます。
2000年後、同じモリヤの地(エルサレム)で「生け贄」となったイエスも、やはり3日後に「復活」を果たしていることから、先の出来ごとが予型とされているんですね。
鳴海「予型」は、後に起こることの兆しとなる「ひな形」に近い意味ですか?
滝沢はい、聖書の解釈方法の1つで、旧約聖書の事例が、新約聖書の予兆になっている、という考え方です。「イサクの燔祭」に出てくるセム系民族末裔のアブラハムには、異母兄弟であるイサクとイシュマエルという息子がいますが、イサクの子孫がユダヤ人、イシュマエルの子
孫がアラブ人となったといわれているんです。つまり、今日の宗教どうしの争いは、元を辿ればアブラハムの末裔同士の兄弟喧嘩ともいえるわけです。
ここにも現代につながる予型が示されているように思います。
鳴海モリヤの地は、さまざまな予型の舞台になっているんですね。
滝沢かつてソロモン王が神殿を建てたエルサレムのシオン山も、イエスが処刑された旧市街地のゴルゴダの丘も、モリヤの地だったと云われています。
日本では、守屋山と諏訪湖周辺が、このモリヤの地にあたるので、ここで起こったことは、これから起こる出来ごとの予型とも考えられますね。
=富士=
滝沢富士山北本宮では、鳴海さんも長さんも「光のカーテン」がみえていたんでしたね。
鳴海長さんから「光のカーテン=磐長姫様の羽衣」と教えてもらいました。
美人で知られる木花開耶姫に対して、姉の磐長姫はみにくかったと伝えられていますが、じつは「みにくい=みえにくい」という意味で、「目にみえないもの」が大切になる新しい時代の象徴ともいえる存在なんだ、と。
滝沢木花開耶姫をご祭神にしている富士山で、磐長姫があらわれる……。これは、本当に凄いことだと思います。これもまた「融合・統合・調和」のひな形なのでしょうね。
そもそも富士山は、世界開闢の祖国と云われているところです。
縄文時代に、ムーの末裔によってこの地に文明が生まれ、古代の神々と呼ばれる存在もここで即位していたと云います。2度の噴火によって都は滅んだとされていますが、富士山の神髄は、霊的な意味を含めた「富士曼荼羅」と呼ばれる仕組みにあるようです。
鳴海富士山は、たしかに特殊なエネルギー構造をしていますよね。
滝沢9月23日から25日というタイミングでこの地を訪れたことも、大きな意味があったのだと思います。というのも、この期間は「テトラッド」と呼ばれる極めて稀な天体現象の最後数日間と重なっているんです。
2014年4月15日から2015年9月28日までの約1年半の間に、部分月食を含まない皆既月食のみが4回連続しました。この「テトラッド」と呼ばれる現象が起こったのは、過去500年間でたったの3回だけと云われています。
鳴海今回の「テトラッド」は、特に珍しいタイプだったんでしょう?
滝沢そうなんです。1年半という期間に、2度の日食をはさむタイプで、これは約2000年ぶりのことらしいです。旧約聖書には「世界の終わり=古い時代の終わり」をあらわす最後の「テトラッド」として記されています。
こうした特異な期間に、皆神山、守屋山、諏訪湖という意味深い場所を訪れ、それぞれから「融合・統合・調和」の証が示されたことは、本当に意義深いことだと思うんです。
鳴海宇宙に存在する星々は、それぞれが独自のエネルギーを放ちながらお互いに影響を与え合っていますから、星の配列によって、環境や人の意識が変わることは充分考えられるでしょうね。
滝沢そういえば、4人が口を揃えて「なんだか大晦日みたいな雰囲気だね」って、言いながら「年越し蕎麦」を食べたんでした(笑)。
新しい世界が、いよいよ開けたんですね。(転載終了)
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こちらの対談は、本日7月22日に発売される新刊本「目覚めた魂」より一部抜粋したものです。
アースヒーラーの鳴海周平さんとの初の共著の新刊本。
目にみえない世界で起こっている変化のことは鳴海周平さんが主に解説し、目にみえる世界で起こっている変化、これから先に必要なことなどを自分が解説しています。
自分のパートは、対談についてはスピリチュアルな一面にも触れていますが、個人で書き下ろしている部分は普段から伝えているヘンプのことや微生物のこと、また全体的にはこれから起こる「お金の時代の終焉」における新たな生き方についてなどを書いています。
お金の話題、資本主義経済の話が中心的でもあるので、あまり現実的な話に興味ない人にとったら退屈な部分もあるかもしれませんが、イギリスのEU離脱をはじめ、日本国内も天皇家が大きく動き出した今、世界情勢は金融世界を中心にこれから大きな変化の局面を迎える大事な時です。
現実的に起こる可能性のある未来を予測をせずに、地に足つかずに理想だけを描いてフワフワしていると一気に足元をすくわれる危険性もあるのがこの過渡期であり、スピリチュアルも大事ですが、まずは日常生活の現実世界をしっかりと生きることが大切だと思っています。
そういった意味においては、お互いに会社経営やビジネス主体で活動している鳴海周平さんとは、目にみえない世界のことを語り合うにも非常に価値観や方向性が似通っている部分もあり、うまくバランスを取りながら大事なことをまとめられている本になっていると思っています。
本日より正式に全国各地の大型書店、Amazonなどで販売開始となっていると思いますので、ご興味ある方は是非ともご一読頂けたらと思います。
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目覚めた魂-あなた自身が「パワースポット」になる方法-(ワニプラス)
【内容紹介】
月間100万以上のアクセス数を誇るブログ「天下泰平」の執筆者であり、八ヶ岳の麓で自給自足のコミュニティを運営する「半農半X」の実践者・滝沢泰平と、健康エッセイストで、ブログ「魂の紀行」の鳴海周平のスピリチュアルコラボで贈る,「新しい時代」への道標が本書です。物理的、経済的な基準で判断する時代から、愛を基準として行動する時代へ。そして頭で考えて行動する時代から、こころとからだと魂の声を聞いて行動する時代へ――。「目覚めた魂」たちが創る新しい時代には、あなたのいる場所、そしてあなた自身がパワースポットになります。
【著者について】
滝沢泰平(たきさわ・たいへい)
1982年宮城県仙台市生まれ。「半農半X」を個人と企業へ普及させるために、2012年やつは株式会社・2016年に八ヶ岳ピースファーム株式会社を設立。八ヶ岳南麓を拠点に未来型の村と自給自足できる社会づくりを目指す。月間100万アクセスのWEBサイト「天下泰平」ブログ執筆者。著書に『レインボーチルドレン』『ここはアセンション真っ只中』『これから10年「世界を変える」過ごし方』(すべてヒカルランド)などがある。
鳴海周平(なるみ・しゅうへい)
1971年北海道生まれ。心身を癒す高波動製品の開発・普及にあたる㈱エヌ・ピュア代表として、スピリチュアルな内容も交えた健幸情報を、講演や著作などで発表している。またライフワークである世界各地への巡礼を、ブログ『魂の紀行』にて公開中。著書に『医者いらずになる1分間健康法』(帯津良一氏との共著)『[小食・不食・快食]の時代へ』(はせくらみゆき氏との共著・共にワニ・プラス)などがある。
<カバー表・裏両面の「曼荼羅」について>
イメージ(ビジョン)も、描くのも感覚的。
それがこの「曼荼羅」です。
図形や図柄、色など、その時、その人にとって必要な情報が
ハートに届けられ、それをそのまま紙に転写します。
幾何学模様や、線や点、色などには、言葉では表現できない情報が入っています。
この「曼荼羅」が、外側の何かや誰かではなく、
未だ出逢っていない自分自身と向き合うきっかけになれば幸いです。
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「キボウノタネ」
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「感謝」
地球へキボウノタネが蒔かれますことに感謝を込めて。
マナ(曼荼羅アーティスト)
今回、曼荼羅アーティストのマナさんに表紙などの曼荼羅デザインをお願いした時、そこで突如メッセージが降りてきて、見たことのないような古代文字をマナさんが書かれました。
調べると、どうも2000年ほど前にイエス・キリストが使っていたと言われる古代アラム語に似ており、そこに書かれていたのは「聖なる仲間」という言葉でした。
本著と曼荼羅が、この時代に約束した「聖なる仲間」のもとへ届くことを願っています。

プレシャンブルーの風に抱かれて
https://blogs.yahoo.co.jp/mappyhappy713
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Glenn Canady: 宇宙計画の裏歴史~地球上空を飛ぶ宇宙船は皆地球のものではない


BEFORE IT'S NEWS
By Glenn Canady
Proof We Have Starships in Orbit! Above Top Secret!
Monday, May 20, 2019 13:58

Before It's News
https://beforeitsnews.com/v3/alternative/2019/3683455.html







(要約)
Glenn Canady: 宇宙計画の裏歴史~地球上空を飛ぶ宇宙船は皆地球のものではない
2019年5月20日月曜日13:58
Glenn Canady
地球の衛星軌道上にある宇宙船と宇宙ステーション。
我々はそれが皆地球から打ちあげられたものであると思いがちだ。
John Lenard Walsonは電子望遠鏡カメラシステムを所有しており,衛星軌道上の宇宙船を観察している。
Walsonによれば,星のようにみえる光でも,観察するとその一部は星に偽装した宇宙船であるという。
あるいはこれらの船は地球の極秘宇宙計画のものだろうか?
あるいは悪魔的エイリアン?
■ドイツの宇宙計画
100年前にNikola Teslaが反重力飛行技術を発見した。
Teslaは円盤型UFOの製造特許を取得した。
そして米軍は反重力飛行プラットフォームを構築して飛行隊を編成,
この反重力技術を使って,米国は1950年代後半に極秘にはじめて月に行き,1960年代には火星基地の建設を開始したという。
一般に知られるロケット技術は,この反重力飛行技術を一般から隠すためのスケープゴートであったという。
内部告発者によると,最初に宇宙へ行ったのはドイツ。
ナチスドイツは第二次世界大戦中に,このこの反重力技術を使って,宇宙空間への到達に成功しており,
大戦後の1940年代には月に到達して地球外文明を形成。
1950年代までには,月,火星,セレスに基地を持っていたという。
このナチスドイツの地球外文明は地球を「刑務所惑星」と見なしていた。
宇宙に移住したドイツ人の数は
セレス:数十万人,
火星:100万人以上
に及び,ドイツの独占支配状態にあったという。
当時のドイツの宇宙船計画に関わっていたTony Rodrigues(トニーロドリゲス)は,当時のナチス宇宙計画の中で撮影した宇宙船,基地の写真を持っている。
Tonyの情報には信憑性があり,またその情報でビジネスをしない事からも信頼性を感じる。
Teslaは100年前に反重力技術を発明して使っていた。
そのことは意味があるものの,大戦中にはまだ実用にまでは至っていなかった。
NASAは1969年に古代ロケット技術を駆使したアポロ計画で月に行ったものの,1970年代以降は放棄状態。。。
そういうふうに認識しているのなら,あなたは完璧なイルミナティの奴隷だ!
テレビで偽のスポーツを見て,iPhoneの最新情報に首ったけ。
行動は「TV = Tel-Lie-Vi​​sions」の言うとおり。
マスターの言いつけ通りにすべてのワクチンを接種する。。
完璧なイルミナティの奴隷だ!
キャンピー映画「Iron Sky(アイアンスカイ)」では多くの真実が語られている。
ドイツ人は大戦中にすでに宇宙にいた。
悪魔的エイリアンの助けを借りて。
■地球の衛星軌道上を飛ぶ宇宙船
John Walsonは月面を撮影した素晴らしい動画を作成したが,それにはあちこちに巨大な人工構造物が映っている。
月について言われてきた事,技術はみな嘘だという事になる。
宇宙に行くのにもともとロケットは必要ではなかった。
単に石油文明の信者を維持するための作り話だったのだ。
NSAとNASAに侵入したイギリス人ハッカーGary McKinnonの証言によれば,
McKinnonは逮捕される前に,軌道上を移動する米国の宇宙船の写真を見たという。
また,海上ではなく宇宙を航行する宇宙船のリストもあったという。
宇宙船の名前は聞いた事もない名前であったという。
また「非陸上」の将校(“Non Terrestrial” officers)のリストさえもあったという。
地球の衛星軌道上に宇宙船があるという事実。
リアジェットを発明した技術者の子John Lear氏もこの事に関する多くの情報を提供している。

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慰安婦問題

米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/
2014/11/23(日) 午前 9:53 過去 人類学と考古学

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8

ヒトラーの幻視

ユダヤ時代の終焉
歴史の裏は複雑
2007-08-26 11:12:20 | Weblog
読者から :
未来からの生まれ変わりはあると思いますか?
ある本でヒトラーは未来から転生してきたと読みました。
生まれ変わるのは過去からで、未来ではなく逆なのですが・・・。
返答 :
(ヒトラーに関しての過去の私の発言より)
まず最初に観じたのは、ヒトラーが絵の勉強をしている学生のころに街角で、ある秘教サークルの人に声を掛けられ、誘われます。
そして、そこの教祖に大変気に入られます。
短期間に秘教を教わると、その会の背後にいる霊的存在は教祖からヒトラーに移り変わりました。
しばらくすると、教祖はカリスマ性を無くし会は消滅します。
その霊的存在は、ヒトラーにまず地球の霊的歴史のヴィジョンを幻視させました。
のちに、選挙活動を始める前には、未来のヴィジョンも幻視させたようです。
その存在の姿は、背中に大きな翼を持ち顔、体は獣牛のような姿で体育座りをしてます。
これは、聖書にでる堕天使だと思います。大きな力があります。
ヒトラーの魂は何界何段目を観ようとしても、私には観れませんでした。 
おそらく、この堕天使その物の分霊がヒトラーだったのでは。 
ただ、この堕天使がヒトラーを呼ぶ時に、
” ヒーラー、よ” 
と呼ぶのには、当惑しました。
以上。
ヒトラーは、憑依を受けてから、霊的存在の取り計らいにより、ユダヤ人の宗教団体から大量の資金提供を受けたようです。この資金で選挙活動を始めるように命じられたとリーデイング出来ます。このユダヤ秘教団体は、同じユダヤ人の中で、ユダヤの神への信仰が薄く、経済活動に熱心な
同胞が許せなかったようです。同胞を抹殺する為にヒトラーに政権を取らせて、ユダヤ人の大量殺戮をさせたようです。この霊的存在とユダヤ系の活動は、現在も継続されていて今後の地球世界への大きなカギを握るようです。
この2種類の信仰と経済、水と油を意識的に使い別ける活動は、複雑多肢にわたり、危険性もあるので、このリーディングの先を公表するのは、ここまでとします。なお、私は未来からの転生は無いと感じます。未来は、不確定です。 だから、5%運動の意味があります。今日も 生かして頂いて ありがとうございます

伊勢ー白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20070826





ユダヤ時代の終焉
20世紀を翻弄したユダヤ人
◆4月6日
 この世界を牛耳るものたちの中核的な勢力であるユダヤ人たちの、精神的な武器としていわゆる「ホロコースト」という問題がある。
これを行ったのはナイス・ドイツであるが、その他のヨーロッパ諸国も多かれ少なかれナチスに協力したということで、同様の精神的負債を負うべきとされ、この件ではユダヤの主張の前に欧米諸国は一様に頭を垂れて「ごもっともでございます」、と言わざるを得ない、となっている。かくしてユダヤ人は、少なくとも欧米にあっては、鼻高々でいられる、ということになっているらしい。
 ホロコースト問題は実に「問題」であるが、伊勢白山道の霊視によれば、これはヒトラーに資金援助しユダヤ人迫害をさせた張本人はユダヤの秘教団体の者たち、との指摘があることを紹介しておく。秘教団体というからには、4月3日号の「ユダヤの陰謀:正気の最後の瞬間」で示した、いわゆるカバリストたちのことであろう。 ようするにこのブログで既に指摘したようにユダヤ人によるユダヤ人の迫害だった、というのがことの真相らしい、ということである。
つまり、ユダヤ内部の内ゲバなのだ。
「ユダヤ人の敵はユダヤ人」
だという、まさにそれである。
ユダヤ人をパレスチナの地に追い込むためにシオニストがヒトラーのナチスと協力していた、ということも分かっている。
 このように、嘘で塗り固めた歴史のため、欧米の人々の精神は呪縛されたままになっていた。
しかし、今やそのような嘘が次々と暴露される時代をむかえている。その嘘を暴露するものたちは、ユダヤ人自身であろうし、またそれが望ましい。
20世紀の「ユダヤの世紀」は、21世紀には、太陽の光の中(太陽電磁波+太陽霊光)でしおれる葉のようにしぼみ落下し消滅していくことは、まちがいないことであろう。

ROCKWAY EXPRESS
http://rockway.blog.shinobi.jp/

エドガー・ケイシーの予言

エドガー・ケイシーの予言【GA site】
投稿者 ほっくん
日時 2004 年 6 月 19 日 00:37:06:6f17C7oeuUdXU  
(回答先: 神官ソロンが語るアトランティスの様子【GA site】 投稿者 ほっくん 日時 2004 年 6 月 19 日 00:34:57)
アトランティス大陸の謎
第2章 1部 エドガー・ケイシーの予言
http://kubota.cside.com/hdgasite/atlantice03.html
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■ ビミニ島沖に海底遺跡があった!
「フロリダ沖のビミニ島付近の海中で、幾世代もかかって堆積した泥の下からアトランティス寺院の一部が発見されるだろう」 
こう予言したのは、エドガー・ケイシーである。予言が行われたのは1933年であったが、
驚くべきことに、それから20数年後の1956年に、漁師の親子がビミニ沖、水深18メートルの海底にまっすぐに立つふしぎな石柱を発見したのである。
しかし、その後の探索にもかかわらず、この石柱は海流が運ぶ砂に埋もれてしまい、長い間姿を隠してしまった。
ケイシーは、1940年には、次のような予言を行っている。
「そしてポセイデアが、ふたたび浮上するアトランティス大陸の最初の部分となるだろう。
それは1968年と1969年のあいだであると考えてよい」とー。
ビミニ沖の謎の石柱に関する調査は、ずっと続けられていたが、
画期的な成果はなかなかあがらなかった。
1966年には、深海潜航艇アルピン号の製造者であるジェームズ・メーヴァーが、エーゲ海で、アトランティスの遺構を発見したと発表した。
これはアトランティスがエーゲ海の古代文明の名残りを伝えているという説の主体となった。
では、いったいケイシーの予言はどうなったのか?
ケイシーの予言の年、1968年の夏のことである。
"ARE"という組織のメンバーであるロバート・プラッシュとトリーグ・アダムズのふたりが、ビミニ島の東240キロに位置するアンドロス島の北の海底に古代の神殿の遺構らしき石造建築物を発見した。
それは大きさが20メートル×30メートルという巨大な右の台座であり、水深20メートルの浅瀬に沈んでいた。
さらに周辺の調査によって、その場所から半径1・6キロ以内に、12個もの石造建築物が発見されたのである。
こうしたビミニ沖の石造建築物の調査に乗りだしていたマイアミ科学博物館の名誉館長マンソン・バレンタイン博士は、ほどなくしてさらに有力な発見をする。
バハマ原住民のガイドの報告にしたがって現場である北ビミニのパラダイス・ポイント北方800メートルにおもむいた博士は、そこで信じがたい光景を目にした。
水深6メートルの海底には、えんえんと数百メートルにわたって平たい石が敷きつめられていたのだった。
じっさいに潜って調べたところ、その長さは610メートル以上もあり、タイルのように整然と並べられた石は、大きなもので3×4・5メートル、厚さは1メートルもあった。
それらの石は数かぎりなく並んでいたのである。
疑いなく人工建築物としか思われないこの石列の発見によって、この海域は"ビミニ・ロード"と名づけられ、
アトランティスの遺跡という可能性を秘めて、われわれの前に姿をあらわしたのである。  
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■ ビミニ島
 カリブ海、フロリダ半島の沖合にあるバハマ諸島のなかのひとつ。どこまでも青い海と空に恵まれた天国のような島である。へミングウェイは『老人と海』の霊感をここで得た。
■ エーゲ海
 トルコとギリシアにはさまれた地中海内の海域。クレタ島、サントリ二島をはじめ、数多くの島が散在している。ほとんどの島に、古代ギリシア文化の遺跡が見られる。
■ リーディング
 眠れる予言者と呼ばれる工ドガ-・ケイシーは睡眠下て過去を見たり、 未来をうらなった。その際ロにした言葉をいう。その数は1万4246件にも及ぶ。
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