rakusen21: 天皇が指揮した226事件
NHKが暴露した226事件の真相:海軍トップの伏見宮らが10年前から計画した自作自演の軍部(主に陸軍)と国会(政治)完全乗っ取りクーデター事件!内奏を使い再軍備化と憲法改正も!
2019-08-18 11:58
えっ、何で急に、この終戦記念日に、226事件(1936年=昭和11年)の真相なの?
NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~海軍の最高機密文書で迫る~」
また、天皇制維持のため、昭和天皇(当時34歳)の戦争責任を回避するためのキャンペーンを始めたのだろう、と思って見はじめた。
ところが、見ていると、最後の方で、非常に重要な事をバラし始めた事に気がついた!この番組のバラしている真相を深く読み込むと以下の事がわかってきたのだ。
当時、あまり軍部や国会に対し、権威も権力も完全ではなかった、若い昭和天皇(34歳)に代わって、この226事件の計画を10年前から立てていたのは、海軍トップの伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう 当時61歳)。
よって、この自作自演の乗っ取りクーデター事件で、
「天皇は軍部、国会を完全に牛耳ることができるようになり、国民にも命を捧げることを求め始めた」
と番組では結論づけていた。
また、このクーデター計画の資金源として、Wikipediaにも書かれているように天皇の弟(1933年までは皇位継承者)で、西田や他の国体原理派リーダーたちの友人であった秩父宮も関わっており、三井財閥などから資金を調達し、北一輝などに提供していたこともわかっている。
なお、このクーデターで天皇一族らが暗殺したかったのは、日本の財政実情とクーンローブ商会のヤコブ・シフらロスチャイルドとの借金の経緯・密約を知る、高橋是清(大蔵大臣)と斎藤実(内務大臣で前の総理大臣)だろう。いわば、戦争するのにストッパー(歯止め)の役割の重要人物を抹殺するのが目的だった。
なぜ、高橋是清は英国らと結託した天皇一族らに殺されたのか?
■日露戦争は英国のための戦争でもあった
なお、昭和天皇の擁護派からは、こんなブログも書かれている。ニ・ニ六事件は、初めから事件後の効果を狙った、皇道派・統制派の両派閥間で巧妙に仕組まれた茶番
「日本の軍産複合体は二・ニ六事件の頃から存在し、日本を戦争へと駆り立てた。その勢力は現在でも存続し、同事件の真実を過去のものと切り離すことはできない。日本の秘密結社たる彼らは、その存在を悟られないことが最大のテーゼであり、『処刑はなかった』という真実から、自分たち計画者の存在が類推されてしまうことは努めて避けなければならない。」
なお、226事件が10年前から海軍トップで計画されていた、と言う事から、この4年前の1932年(昭和7年)に起きた「犬養首相が海軍の青年将校らに暗殺された5.15事件 」も海軍トップの伏見宮らが糸を引いてた可能性が高い。
(海軍によるでっち上げ冤罪事件の帝人事件)
これらの実行犯は誰も処刑されず、牧野伸顕内大臣の暗殺に失敗した古賀清志らにいたっては1938(昭和13)年7月、特赦で出獄し、山本五十六海軍次官と風見章内閣書記官長のところへ挨拶に行って、それぞれ千円(2018年現在の貨幣価値で500万円)ずつもらった、と言うのだ。
■山本五十六は戦死していなかった
結局、今まで、陰謀論として言われていた、天皇一族らの自作自演説の方が、実は真相だったことが、NHKにより暴露されはじめたのだ。
【陰謀】太田龍 二・二六事件の真相、全面開示!
天皇の戦争責任を書いたバーガミニと密謀
(講演内容の文字おこしも含む)
バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。
どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。
・・・・・
イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。
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皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則にするんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかについて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、ものすごくたくさんいる。そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。明治天皇がそんな事を考え出して、こういう風にしようなんて事はあり得ない。ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に作り変えられていった訳ですよ。陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人のシステムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。
太田龍 二・二六事件の真相、全面開示 連続再生リスト
2.26事件は天皇兄弟らの謀略
(昭和天皇と実弟の西園寺公一が企てた)
昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。
完全に天皇が指揮していた。
おまけに米国、スターリン(ゾルゲ)そして西洋銀行家とも天皇が内通していたのである。
■昭和天皇とは何者か?
また海軍トップの伏見宮は徳川慶喜ともつながっている。そのことから徳川家康以来の天皇家、そしてイギリスのエリザベス女王、ロスチャイルド家との関係から、このクーデター事件もつながっていることも推認できるのだった!
このことは、世界支配をめざす、英国などの欧米とも連携したクーデターでもあった事も推認できるのだ!
これはバーガミニの研究も踏まえ、明治維新のそもそもの起きた根源を探っていくと、世界支配をめざす、英国などの欧米とも連携したクーデターであった事もわかってきたのだった!詳細は「アヘン戦争と明治維新は不可分 2 」
そもそもは、イギリスは中国に対し、1840年第一次アヘン戦争を起こし て、第二次アヘン戦争では勝ったものの、その苦い経験などから中国の直接統治は海岸部の香港、マカオなど港町に限定し、広大な人口をもち、ロシアと接していて紛争の火種となる満州および中国の冊封国の李氏朝鮮などは日本を使って間接統治する方針を決めたようだ。
そこで、1859年に上海からやってきたマセソン商会の長崎支店長のグラバーは坂本龍馬らを使って、日本に明治維新と呼ぶクーデターを起こし、マイノリティ支配の原則から李氏朝鮮系の天皇教を捏造し、彼らマイノリティにグローバル支配に繋がった信用創造の金融システム利権を渡し、英国と同じ様な王族の軍隊(暴力装置)による国内統治体制を確立させ、イギリスでは最初となる天皇を使った植民地代理統治を始めたのだった。
よって満州では、里見甫(はじめ)にアヘン利権も与え 、自分たちの手を汚さずに、中国から日本軍が財宝や金などを奪い取り、最終的には、英国が中心に山分けする、ぐらいの腹積もりだったのだろうか?
ことは、そう簡単ではなかったようだが …
特に日本で李氏朝鮮王朝が確立し始めた昭和天皇の時代あたりからは、満州のアヘン利権を継ぎ、満州支配のやり方をそのまま日本本土でも適応させたのが、グラバーの血筋(グラバーの子の倉場富三郎の子供)の岸信介だったのだ!
さて、226事件の主犯格の一人である栗原中尉は処刑されていたはずだが、実は、生き残っていた、と、文芸春秋で報じられていた!
旧陸軍士官が語った歴史の真実(1)-123便関連事項も含む
---ここから---
T氏「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ。」
日月土「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)
T氏「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお、私は歴史というものを一切信じていません。」
日月土「中尉とどんなことをお話されたのですか?」
T氏「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています。」
日月土「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」
T氏「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています。」
日月土「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」
T氏「それは私にもわかりません。」
T氏はニ・ニ六事件よりだいぶ後に兵舎内で直接お会いしたことがあると言う。
栗原中尉は処刑されていなかった!
---ここまで---
また処刑されたはずの主犯格の一人がアムール川の警備艇の艇長として存在していたなどの話も?まあ、歴史と言うのは、こんな様に支配層によって捏造された歴史だろう!
うちの母も東条英機に関して、当時、多くの日本人が信じていた、ある噂を話してくれた。それは天皇は戦争の責任を東条英機に押し付けて死刑にした事にして、実は東条英機はアメリカに渡って生き延びて活躍した。現に誰も遺体や骨を見てない、と!
なお、NHKスペシャルでは昭和天皇の再軍備に関して、また、連続で特集していて、非常に重要な天皇の発言を取り上げていた。それは、やはり戦後も内奏を通じて、再軍備化、憲法改正をめざし、総理大臣をコントロールしようとしていたことだ!
すなわち、昭和天皇は、他国を侵略した自覚もなく、吉田首相に再軍備と改憲を迫ろうとしていた。それを側近がたしなめたのだ。また、昭和天皇は「憲法9条・戦争の放棄」に不満を持っていたことも分った。明治憲法のように自分が総指揮をとれれば(再軍備したい)と!まったく、日本人を滅ぼすための欧米のエージェントの役割をまた引き続き果たそうとしていたのだった!
さらには、天皇はただ事務的に戦争を進めていたことも明かし、東条英機も同じように、天皇の言う通り、事務的に進めて、一番、気が合った、みたいな発言もしていた。また、講和条約締結時に、南京虐殺の事件に関して、反省文を入れようとしていたが、今更、そんなことを入れて、天皇の戦争責任を蒸し返したらマズイ、との吉田茂の真っ当な意見で、とりやめになったようだ!とにかく、外交的なセンスに欠ける昭和天皇の非常識ぶりには、呆れてしまうバカリだった!そんな気持ちが本当にあるなら、戦後、巡業してる時に3百万人以上殺した日本人に対して謝れよ!そして海外でも巡業して、東南アジアで殺した人々の国にも謝れよ!それが戦争を起こした国の元首の通常の責任の取り方だろう!なお、この内奏を使った総理大臣などのコントロールは実際、安倍晋三にいたるまで、今も行われているものと思われる。英国ロスチャイルド家の血を継ぎ、なおかつ、李氏朝鮮王朝の血も継ぐ、サラブレッドの安倍晋三が首相になってからは、特に酷くなってきたが、事件の真相は隠蔽され、事件の捏造そのものも、昔から当たり前に行われていた、と言うこともわかっている!
下記の記事でも紹介しているように、日本で起きる重大事件や重大事故、自然災害(人工の自然災害)なども、実は、天皇ら世界と結びついた支配層がやっていることが次々と判明してきている!
by rakusen21
めざまし政治ブログ
http://rakusen.exblog.jp/28526580/
中川隆: 関東大震災>>米巨大資本の日本支配すすむ
昭和天皇に戦争責任はあった、しかし責任を追求していくと日本国民全てに責任は及ぶ(株式日記と・・・) まさちゃん
8. 中川隆[-6659] koaQ7Jey
2017年8月16日 08:20:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
戦前の日本はウォール街、つまりアメリカの巨大資本に支配されていた。その切っ掛けは1923年の関東大震災。その復興資金を調達するため、日本政府はアメリカの巨大金融資本、JPモルガンに頼ったのだが、それ以降、日本はウォール街の影響下に入り、最近の用語を使うならば、新自由主義を導入する。
その当時、日本で最もJPモルガンと親しくしていたのは井上準之助だと言われている。「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上がJPモルガンとの関係を深めるのは1920年の対中国借款交渉以降。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。
震災後、1925年に「治安維持法」が制定されて思想統制が本格化、27年には第1次山東出兵、翌年に第2次山東出兵と張作霖爆殺。日本共産党関係者らが大量に検挙されたのも1928年だ。
1931年には、関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)が立案した計画に基づいてい満鉄の線路が爆破され、いわゆる満州事変が勃発、32年には日本の傀儡国家である満州国の建国が宣言された。この1932年にアメリカでは大統領選挙があったのだが、ウォール街が支援していた現職のハーバート・フーバーがニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。ニューディール派は資本主義を延命させるため、大企業の活動を制限、労働者の権利を拡大しようとしていた。ファシズムや植民地にも反対している。
そうした事態に慌てたウォール街はJPモルガンを中心として、1933年から34年にかけて反ニューディール派のクーデターを計画する。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将の議会証言などで発覚、記録に残されている。1932年には、アメリカ大使としてジョセフ・グルーが日本へ赴任してくる。この人物のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻、つまりJPモルガンは自分たちの強力な代理人を日本へ送り込んできた。グルーと最も親しかった日本人のひとりが松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。
1932年までの日米関係は基本的に今と同じで、日本政府の新自由主義的政策は不況を深刻化させた。そのころ、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になっている。支配層は裕福になり、庶民は貧困化、つまり貧富の差が拡大している。こうした政策を推進した浜口雄幸首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺された。その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺され、5月には五・一五事件が引き起こされている。そして1936年2月には二・二六事件だ。
ウォール街の戦略に従うならば、攻撃する相手はソ連。1939年に日本軍は中国東北部とモンゴルの国境地域でソ連軍と衝突している。ノモンハン事件だ。参謀本部と陸軍省の意向に反して関東軍が戦闘を拡大したが、ソ連軍の機械化部隊が攻撃で日本軍は壊滅してしまった。このソ連軍との衝突は日清戦争、日露戦争、韓国併合、シベリア派兵、満州事変という流れの中で引き起こされている。
ドイツがソ連に攻め込むのは1941年。「バルバロッサ作戦」だ。当初、ドイツ軍が優勢だったが、この時にアメリカやイギリスの支配層は傍観している。ルーズベルト大統領はソ連を支援する意思があったようだが、実行できなかった。ところが、1942年の冬に形成は逆転、43年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏する。これを見てアメリカは慌てて動き出し、1944年6月にはノルマンディー海岸に上陸する。オーバーロード作戦だ。これを「反攻」と呼ぶのは適切でない。この時点でドイツ軍の主力は崩壊していたからだ。
バルバロッサ作戦が始まった半年後、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカとの戦争に突入するが、その翌年までグルーは日本に滞在、離日の直前に岸信介からゴルフを誘われて一緒にプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)
グルー/JPモルガンという座標軸で流れを見るならば、松岡も岸も井上も浜口もウォール街の傀儡にすぎない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609040000/
★阿修羅♪
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http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/1174.html#c8