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クリミヤ戦争



クリミヤ戦争とナイチンゲール伝説
2020年05月12日 | 軍事、外交
世界的に非常に有名な「ベニスに死す」 だが、意味がよく分からない
1971年の映画『ベニスに死す』は、ノーベル賞作家トーマス・マンの同名小説を原作に、巨匠ルキノ・ビスコンティが映画化。原作では主人公アッシェンバッハは作家となっていたが映画では老作曲家に変えダーク・ボガードが演じる。
100年前の第一次世界大戦直前、ドイツの名立たる作曲家アッシェンバッハ(モデルはグスタフ・マーラー)は静養のためベニスを訪れて、美少年タージオに出会い、その美しさに心を奪われてるが、遠くから眺めるだけ。しかし、閑静な保養地にも疫病の影がひたひたと押し寄せてくるが理想の美少年に惹かれるあまりベニスを離れることが出来ず老作曲家は静かに客死する。
何回見ても意味がよく分からない「ベニスに死す」だが、今世界中で流行っている「よく分からない」謎の新型コロナ騒動にはピッタリ。意味が「よく分からない」ところに一番「意味がある」のである。
ただし、100年前の治療法がない謎の疫病とはコレラで老作曲家の年齢設定は50歳台なので今なら働き盛りで到底老人とは看做されない。映画製作からなら50年、マンの原作からなら100年で世の中が大きく変化していた。
■絶対的な正義を振りかざす「宗教戦争」ほど残酷なものは無い
アメリカの東インド艦隊のペリー提督が軍艦4隻で日本の浦賀に来訪した1853年、バルカン半島など東ヨーロッパはイスラム教のオスマントルコが支配していた。しかし、バルカン半島の住民の大部分はイスラム教徒ではなくキリスト教(東方教会)に所属して異教徒として重税と抑圧に苦しんでいたのである。(★注、イスラムはキリスト教のように強制改宗を行うことは無かったが、真綿で首を締めるがごとく重税等いろいろな抑圧政策で徐々にイスラムへの改宗を促した)
1853年、とうとう「異教徒支配からの解放」を旗印にした東方教会の盟主ロシア帝国とイスラム世界の盟主であるオスマントルコ帝国との宗教戦争の匂いがする覇権争いが勃発すると、同じキリスト教でも西方教会のイギリス・ フランス・サルデーニャ(イタリア)連合軍がトルコ(イスラム)側で参戦した。
突如として、東西キリスト教世界の雌雄を決する覇権争いに変質したクリミヤ戦争では、3年間の血で血を洗う激戦が行われ多くの命が失われた。(ほぼ同じ時期にアメリカでは南北戦争を行った)
■永久に終わらない「冷戦」や「対テロ戦争」を先取りしていたクリミヤ戦争
最後の宗教戦争とも最初の帝国主義戦争ともいえる、このクリミヤ戦争はシリア内戦(実は米軍の傭兵組織がISIS「イスラム国」だったとトランプ政権のフリン補佐官がオバマ大統領に報告している)と似ているのである。(★注、160年前はロシアがイスラムと西欧の連合軍に敗北したが、逆に160年後の現在は世俗派と組んでイスラム西欧連合軍に大勝利する)
■ナイチンゲール生誕200周年の記念日
歴史的な転換点であるクリミア戦争(1853~56年)ロシアとトルコ西欧連合の間で起きた戦争では、看護の母であるナイチンゲールの不思議な伝説がうまれている。(フローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して毎年5月12日は看護の日「国際ナースデー」 と呼ばれる)
クリミヤ戦争で英仏の兵士はロシア軍との戦闘による傷病では4000人が死に、コレラやチフスなど疫病では5倍の19000人が死亡していた。
注、
短期戦では重要視されないロジスティクス(兵站)の中の医療や看護の問題だが、長期戦ではロジスティクスの優劣が勝敗を左右する。
上昌弘が指摘するように日本でも世界でも例外なく、近代医療は軍事の一部門として発展してきたのである(プロイセンのクラウゼヴィッツ「戦争論」によれば戦略と戦術とロジスティックの三つの要素で成り立っている)
日本では何故かクリミヤ戦争よりナイチンゲールの美談の方が遥かに有名なのですが、ペリーの4か月後、プチャーチンの日本来航(日露和親条約)ではロシアの最新鋭軍艦ディアナ号(2000トン)は下田を襲った大地震と安政の大津波で大破、沈没。日本の船大工は初めての洋式軍艦ヘダ号をロシア側の設計図をもとに短期間で建造。プチャーチンはヘダ号で無事にカムチャッカのペドロパブロフスクに帰国する。(当時はクリミヤ戦争の真っ最中でオホーツク海も戦場だった)
クリミヤ戦争が持つ恐ろしい宗教戦争の側面を隠蔽したナイチンゲール伝説
美しいナイチンゲール伝説は、今も続く欧米の恐ろしい戦争プロパガンダ(世論誘導、情報操作などの宣伝戦)の匂いがプンプンするのである。
人間なら誰しも大失敗は語りたくないので負けたロシアがクリミヤ戦争を他に比べて扱いが小さいのは頷ける。ところが、戦争に勝った英仏伊トルコ連合側も同じくあまり語りたくないのがクリミヤ戦争なのである。(★注、過酷な異教徒支配からの解放とのロシアの言い分は普遍的で今でも通用する)
出来る限り忘れたい西欧の嫌な(不正な)宗教戦争の記憶の代替品(間違いに誘導する赤いニシン、スピンコントロールとか猫だまし)が、たぶん美しいナイチンゲールの伝説なのでしょう。
注、
創価学会のような元々下層民の新興宗教だったキリスト教がローマ帝国の国教になった最大要因とは、人口過密な都市部の疫病大流行時の看護活動だったといわれている。(現在でも慈恵医大のようにキリスト教系の医大や病院は数多い)
「熱が出ても4日間は家で寝てろ」「検査すれば医療崩壊する」と何カ月も言い続けていたのに今頃になって日本政府(厚労省)も政府専門家会議も「そんなことは言っていない」と言い出した。
普通なら、最初は分からなくても、時間の経過ととも実態が少しずつ明らかになるが、今回のSARS2は逆に時間が経てば経つほど、もっと「分からなくなる」言語明瞭、支離滅裂。  (^_^;)
ロックダウンは必要なかった? 「外出禁止は感染抑制と相関がない」と研究結果 5月8日ニューズウィーク
<欧州30カ国を対象に、ソーシャル・ディスタンシングに基づく施策が新型コロナウイルス感染症の感染者数や死亡者数の減少にもたらす効果について分析した......>
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を抑制するための公衆衛生戦略として「ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離戦略)」が世界各国で採用され、欧米諸国の多くは、2020年3月以降、国民や市民、企業の活動を強制的に制限する「ロックダウン(都市封鎖)」の措置を講じてきた。
それでは実際、ロックダウンなど、ソーシャル・ディスタンシングに基づく施策は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の抑制にどのくらい寄与しているのだろうか。
外出禁止は感染抑制に顕著な効果が認められなかった
英イースト・アングリア大学(UEA)の研究チームは、英国、ドイツ、フランスなど、欧州30カ国を対象に、ソーシャル・ディスタンシングに基づく施策が新型コロナウイルス感染症の感染者数や死亡者数の減少にもたらす効果について分析し、2020年5月6日、未査読の研究論文を「メドアーカイブ」で公開した。
これによると、休校や大規模集会の禁止、一部のサービス業の営業停止は、感染拡大の抑制に効果があった一方、外出禁止や、生活必需品を扱う店舗以外の営業停止は、感染者数や死亡者数の抑制に顕著な効果が認められなかった。また、現時点において、公共の場所でのマスク着用の義務化にも特段の効果は確認されていない。
研究チームは、欧州連合(EU)の専門機関「欧州疫病予防管理センター(ECDC)」が毎日発表している各国の新型コロナウイルス感染症の感染者数および死亡者数と、休校、大規模集会の禁止、店舗の営業停止、外出禁止、マスクの着用といった各施策の各国での実施開始日をもとに、統計モデル「一般化加法混合モデル(GAMM)」で分析した。
感染拡大の抑制と最も高い相関が認められたのは休校だった
感染拡大の抑制と最も高い相関が認められたのは休校だ。ただし、小学校、中学校、高校、大学のうち、いずれの教育機関での休校が感染抑制に最も寄与したのかは明らかになっていない。
大規模集会の禁止は、休校に次いで、感染拡大の抑制に高い効果が認められた。研究論文の筆頭著者であるイースト・アングリア大学のポール・ハンター教授は「これまでにも、音楽フェスティバルと関連した呼吸器感染症の発生が確認されている」と指摘。2009年には、欧州の6カ所の大規模音楽フェスティバルのうち3カ所で新型インフルエンザが発生している。
人々が集まるレストランやバー、レジャー施設、イベント会場の閉鎖も感染拡大の抑制に寄与した。その一方で、ハンター教授は「これら以外の業種における営業停止は、感染拡大の抑制にほとんど影響がなかったとみられる」と考察している。
また、外出禁止は、新型コロナウイルス感染症の発生率の減少との相関がなく、むしろ、外出禁止の日数が増えるほど、感染者数は増加した。
相関のメカニズムについては解明されていない
一連の研究成果では、各施策と感染拡大の抑制との相関のメカニズムについては解明されていない。また、各国で複数の施策が短期間に次々と導入されたため、現時点では、施策ごとに感染拡大の抑制との因果関係を証明するのは困難だ。
ハンター教授は「制限の緩和が欧州で徐々にすすめられるなか、新型コロナウイルス感染症の流行の動向を注視していくことが不可欠だ。そうすれば、施策ごとの効果の有無がより明らかとなるだろう」と指摘している。
5月8日 ニューズウィーク
人為的CO2地球温暖化説の二番煎じ?あるいは天文学的バージョンアップした第二幕??
マスクの効果はWHOは以前から否定的だったが、外出禁止と相関関係が無いどころが、長引けば余計に感染者数が増加するとの5月8日のニューズウィークが真実なら、世界中でわざと大騒ぎして経済活動を止めている(危機に陥った新自由主義を一旦リセット。新しい経済モデルを模索している)ことになる。
ウイルス培養器と化したBP号の顛末から、ニューズウィークの驚きの指摘が正しい可能性は十分にあるが、そもそも新型コロナの死者数は他の疾患での死亡数より小さく本当に「怖い」のか?それほど「怖くない」のか??サッパリ分からない。
システムの強制リセット。今の新自由主義に代わる経済モデルの再構築
極端に人々の恐怖感を煽りに煽る新コロの騒動は仕組み的に「地球温暖化説」に、その構造が別々に生まれた一卵性双生児のように非常に似ているのです。
ところが、規模で見れば数万倍とか数億倍など天文学的な比較できない異次元の違い。まさに戦時である。今の新自由主義を強制的にリセット。土台ごとひっくり返す心算なのですから恐ろしい。
世界中で唯一地球温暖化を否定するトランプ、新コロでも唯一「都市封鎖」を否定
規模が大きく違うが、一卵性双生児のように非常に似ている温暖化詐欺と、不可解な新コロ騒動の基本的仕組み。ミクロな小さな部分部分では正しくても全体では今までの科学的知識の蓄積を全面否定。頭から客観的事実を愚弄する一神教的な、新興カルト宗教の類である。何しろ、その中身は科学を装う破壊的カルト宗教なので絶対正義を掲げて、疑い深い(カルトの教義を信じない)人々には問答無用で「人類や社会にとって、不倶戴天の敵」と見做して牙をむくのですから恐ろしい。★注、今後新コロがとんでもなく怖いと分かる可能性は低い。多分ゼロである。
                
逝きし世の面影
                
                
                
                
                 

フレデリック・トランプ~トランプ一族の系譜

名無し先生: フレデリック・トランプ~トランプ一族の系譜
名無し先生
2019年07月31日
私たちは本当に無力なのか① 2016年次期アメリカ大統領選の行方
2016/01/11 09:27
■ヴェルファシ
ヴェルヴェット・ファシズム、もしくはヴェルヴェット・ファシストを指します。
社会の表には出ず、裏で社会を支配している多数の勢力。ヒトラーやムッソリーニのような分かりやすい独裁ではなく、手法を変えたヴェルヴェットのような心地良い支配です。このヴェルファシが現在の私たちを支配しています。これらの勢力の正体を暴き、嘆くのではなく、現実的な脱却方法まで考えていきます。
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【私たちは本当に無力なのか① 次期アメリカ大統領選の行方】
次期アメリカ大統領候補者の一人、ドナルド・トランプ氏
この人、かなり過激な発言で良い人なのか、悪い人なのかわからない人も多いと思いますが、私は単に彼は何も恐れず正直にモノが言えるほどの有力者なのだと思っています。
他の候補者名は自分だけでは資金を調達できないので、それらしいことを言って、スポンサーに金を出してもらう、雇われ大統領候補ですが、彼は違います。
彼の家系を辿ってみました。
アメリカにおけるトランプ家はドイツのバーバリアから来た移民から始まります。
19世紀のゴールドラッシュの時代、ドイツ移民んであったフレデリック・トランプは、金塊目当てでやってくる開拓者向けにホテル・レストランを開業しある程度の成功を収めました。ゴールドラッシュが下火になるのを感じたトランプは施設を売り払い再びドイツに戻ります。そこで幼馴染の女性、エリザベスと結婚しました。アメリカ永住権を得ているトランプはドイツ人としての納税義務と兵役を逃れ暮らしていましたが、再びアメリカに戻りました。そして今度はニューヨークのクイーンズで床屋やレストランのマネージャーとして働き、やがて不動産業に着手。そこで息子のフレッドとジョンが生まれました。
フレデリックの死後、妻のエリザベスと息子のフレッドはフレデリックの不動産業を次ぎます。
これが現在の、ザ・トランプ・オーガニゼーションの前身になります。
フレッドは世界大恐慌時代、経営難に陥っていたスーパーマーケットを買収。
優れた手腕で経営を立て直し、1年後に売却します。第二次大戦中、フレッドはアメリカ東海岸沿いに軍関係者用の住宅や多くの庭付き一戸建て住宅を建設。戦後はさらに多くの中流層向け住宅を建設、販売。さらに多くの低所得者向け賃貸アパートをニューヨークに建設。高所得者向けには大豪邸を販売。
ドイツ系移民だったにも関わらず、周囲にはスウェーデン系だと語っていたそうです。何せ、彼のテナントはほとんどがユダヤ人だったからです。フレッドは大変なケチで有名だったそうですが、車はキャデラックを3年毎に更新するという贅沢な一面もありました。
(著者:個人的にはアメ車は壊れやすいので、その方が利口だと思います。)
しかし、フレッドは黒人差別暴力組織である”KKK”のメンバーであったことが知られています。彼のアパートに黒人が入居するのを拒んだり、すでに入居している黒人を追い出すよう仕向けていたそうです。
1968年、フレッドの息子であるドナルド・トランプが会社に加わります。このドナルド・トランプも相当な黒人、ヒスパニック、嫌い。つまり、白人至上主義者です。一方、グローバリズムには反対で、特にリビア、イラク、シリアで起きた国際大資本による国家破壊については的を得た意見を持っています。
(ウィキペディア)
外交
ジョージ・W・ブッシュ元大統領をはじめとする共和党主流派やヒラリー・クリントン氏などの民主党右派に多い世界中に反共主義や民主化の名目から親米政権を樹立し、その地域の市場を米国をはじめとするグローバル大資本が牛耳る体制を作ることを目指すネオコン政策とは一線を画しており、米国は国外の事に関与するよりも国内の事象に集中して取り組んで強い米国を作るのだというモンロー主義により近いとされる。また、共和党、民主党と限らず激しく敵対するロシアとも友好関係を築くべきであるとも発言しており、「米ロがもっと協力すれば、テロを根絶し世界平和を再構築することができると常に感じている。貿易のみならず、あらゆる恩恵が相互の信頼関係からもたらされる」と述べている。
トランプ氏はロシアのプーチン大統領を評価しており、プーチン氏もトランプを評価していることから、大統領就任は米露関係改善につながるとの見方もある。また、トランプ氏は中東に深く関与したこれまでの米国の外交方針を批判しており、CNNのステート・オブ・ザ・ユニオン・ショーでの中で、以下のように述べている。
リビアを見なさい。イラクを見なさい。イラクに昔はテロリストなどいなかった。フセインならテロリストを即座に殺害していただろう。それが今や、テロのハーバード大学のようなものだ。
彼が良い人物だったと言っているわけではない。彼はひどい奴だが、昔は今よりずっとましだった。
今や、イラクはテロリストの教練場だ。今やリビアを、誰も知らず、率直に言って、イラクも、リビアもなくなったのだ。皆崩壊してしまった。両国はどうすることもできない。何が起きているのか誰にもわからない。人々は首を切り落とされ、おぼれさせられている。
現在、彼らは、サダム・フセインやカダフィ支配下より、かつてなかったほど酷い状態にある。リビアは大失敗だ。イラクは大失敗だ。シリアもだ。中東中が。そしてこれは皆ヒラリー・クリントンとバラク・オバマが台無しにしたのだ。
日本との関係では、日米同盟について、戦時の際に無条件で日本を防衛する義務を負っていることについて「不公平」と批判的である。
■内政
グローバリズム拡散による単一市場に対しては否定的であり、保護貿易主義的とされる。これが米国の保守的な白人労働者階級に支持される最大の理由となっている。TPPにも反対である。
(ウィキペディア)
やはり、大富豪の息子ですから普通の人間では知りえないことを知っています。
ブッシュがやったこと、そしてその後継のオバマが大した外交を行っていないことに対する批判です。
私は911はもちろんのこと、サブプライムもリーマンショックもブッシュが大きく絡んでいると思っています。ベルファシの思うがままに動いたのがブッシュです。オバマは言うことを聞きながらも、ノラリクラリと中途半端な結果で終わらせてきた。とにかく大統領になるには莫大な資金が必要です。
その資金を出してくれる人の言うことを聞くしかない。しかし、このトランプ氏は自身が資産家。
資金的なサポートは必要ないわけですから、誰の言うことも聞かなくていいわけです。
トランプ氏がベルファシかどうかではなく、誰にも指図されないほどの資金も人脈も人気もある。
これは非常に重要なファクターです。
いや、これ以上強い大統領候補者はないでしょう。みんなで資金を集めて企業に影響力を持つことで更生させる方法。そして資金と人脈、そして人気を得ることで大統領にもなりうるということを紹介させていただきました。
トランプ家の場合、不動産業を始めてたった2代目で成功ですよ。しかし、私の本音ではこの人はアメリカを目覚めさせるための、相撲で言えば「猫だまし的」存在だと思うのです。別に本命がいて、それを立てるためのダミーだと私は見ています。もっと言えば、所属する共和党自体を潰すためのテロリストの可能性が高いです。
危険な発言で共和党の顔に泥を塗り分裂させる。
共和党陣営には相変わらずブッシュの弟、その他多数のブッシュ派の議員が候補者にいます。
彼らは国際問題介入主義者で、いわゆるタカ派。
これを潰すためにトランプ氏が活動しているのだったら、大物役者です。仮にトランプ氏が大統領になったとしても、4年も持たずに辞任でしょうね。
過去に任期中に辞任した大統領はニクソンだけですが・・・
さて、金も人脈も人気もあるトランプ氏が非常に強いことを説明しましたが、実はそれだけでは本当の支配者にはなれないのです(笑)。やはり、人間には謙虚さが一番大事だと私は思うのです。
それは、自分が威張りまくった瞬間に周囲が必ず反撃の意思を持つからです。この辺がハプスブルク家が如何にして何百年間も当時のドイツ地域を支配していたのか?そして、なぜそれが潰されたのか?につながるからです。
■神聖ローマ帝国について
当時の神聖ローマ帝国は、諸侯と言う、いくつもの小さな王様達の中から代表理事を選んで王様にしていましたね?その選挙権を持っていたのが選皇帝です。当時は有力な諸候同士の力関係が拮抗していました。誰が選ばれてもその反対勢力が黙っていません。そこで、有力諸侯の中で一番力が無くて、すぐにチェンジできる奴をとりあえず、神聖ローマ帝国の皇帝にしておこうと言う話になりました。それで選ばれたのが、ハプスブルグだったんです。
ところがこのハプスブルクが意外と策士で、他の諸侯同士が領土の取り会いをしてる横で、「お前らは戦争しろ、私は結婚する」と言って、同盟諸侯を増やしていきました。その脇でくやしい思いをしたのが、サヴォイやヘッセンやタクシスだった訳です。
サヴォイア家とは、イタリア王位継承一家です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%AE%B6
ヘッセン家とは、ロスチャイルドを育てたドイツの選皇帝です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%AE%B6
タクシス家とは世界最初の郵便事業を立ち上げ、スパイ活動に活用した貴族です。
http://www.kanekashi.com/blog/2012/06/1882.html
一応位置的にはハプスブルグ皇帝に仕える諸侯ですが、彼らは、各地で戦争を勃発させ、ロスチャイルドを使い裏で借金させ、ハプスブルク家を潰した訳です。
この頃の武器製造は、動力が水車だったので、現在のスイスという場所に裏のマネーが集中する訳です。それで、スイスに金と武器産業が集まりました。要するに、神聖ローマ帝国に対抗して出来上がった国がスイスです。スイスが実質的に中立国というか、独立したのはこの頃です。
これが嫌われていたユダヤ人が中立国であるスイスに集まった理由なのです。嫌われ者のユダヤ人を含む勢力がスイスを作り、ハプスブルクでも手を出せない軍事力と財力で事実上、独立したんです。
一般的には、大統領は選挙で選ばれることになっていますが、そのためには国民を洗脳する莫大な宣伝費用、賄賂が不可欠です。
今回の選挙は、神聖ローマ帝国で王様を選んだときと同じように、とりあえず、すぐに問題を起こしてチェンジできる奴にする。これは大統領に資金を提供している勢力の立場で話をしています。
トランプ氏のような、正しいことを言うし、自ら選挙資金を調達できるような不都合な存在を短期間で潰す。投資家たちは自分たちが簡単に操れる大統領が欲しいのです。ところが、バカだと思っていたトランプ氏が実はハプスブルク同様、策士だった・・・なんてストーリーも有りかな?
残りはブッシュ氏を除き対した資金力も名声もない候補者ばかり。今回は共和党は割れてしまい、民主党の方に有利になるのではないでしょうか?選挙は不正では無いけれども、大衆を勧誘したり、買収したり、洗脳したりすることでかなりの票が得られます。誰でも自分たちの利益に直接的につながる候補者を選び、いくら真実を語ろうと、今後生活が厳しくなることが予想できそうな候補者など選びません。民主党の資本主義市場開拓で中国が台頭し、共和党の資本主義市場開拓で中東が混乱している今、最もふさわしい大統領は誰かというと、少なくとも共和党内のタカ派が破壊し続ける中東を批判しない人でしか候補として選ばれないのではないでしょうか。
逆に中国を支持してきた民主党はその失敗に気づき、立候補者乱立で共倒れする共和党を尻目に再び大統領を出す可能性が上がります。
最後に誰が漁夫の利を得るのか?
私たちはアメリカ国民ではありませんから選挙権はありません。しかし、この辺を考察しながら次期アメリカ大統領選挙を観察することで、学ぶことは多いと思います。そして、庶民が如何にして洗脳されていく様を観察しながら、高度自給自足時代の夜明け、初年度を生きましょう。
posted by r at 13:50 | ヴェルヴェットファシズム

コアな情報
http://utg.sblo.jp/article/186373971.html

歴史上最多の9人の首相を輩出している山口県

我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい
2016/8/1(月)午後8:16日記日本史
「zeranium」さんより
我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい
日本の政治の中心といえば、誰もが東京だと思うだろう。
国会を初め、あらゆる官公庁も東京都内にある。
しかしその鍵を握っているのは「山口県」だと言ったら驚かれるだろうか。
山口県といえば、本州最西端の人口150万人足らずの県である。
それにもかかわらず、歴史上最多の9人の首相を輩出している。
ちなみに2位の東京でもその半分に満たない4人である。
首相ばかりでなく日本の政財界は、明治以来山口県出身者の人脈が権力の中心に位置してきた。
代表的な人物を挙げてみると、首相経験者では
伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人、
戦後の閣僚では
林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)
など、その他にも
野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)
など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。
日本の社会の在り方を左右する政治の本質を掴むには、「山口県」というキーワードはかかせないのである。
なぜ山口県が、これほどまで数多くの政治家を生み出すようになったのだろうか。
それは現代の民主政治の始まりである明治維新を主導したのが、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)であったからだ。
そのために明治維新新政府の重要なポストは、長州藩士と薩摩藩士で占められた。
しかも当時薩摩藩は西南戦争で多くの人材を失っていたために、長州勢が一番の力を持つことになった。この政治的人脈は長州閥と呼ばれ、現在にも受け継がれている。
その長州閥の元祖とも言える存在は、初代首相の伊藤博文である。
伊藤が権力の座に就いた背後には、ロスチャイルド一族とその支配下にあったイギリスの武器商人、トーマス・グラバーの存在があったことはすでに述べた。ここでは彼らがどのようにして、日本の西端から江戸幕府を切り崩し、政治家や天皇とのつながりを深めていったのかを見ていきたい。
ロスチャイルド一族を始めとする資本家は、イギリスを始め欧米諸国を巨大な資本で裏から牛耳り、主に西回りからアフリカ、インド、中国、東南アジア諸国を武力で侵略し、次々と支配下に置いてきた。そしてついに江戸後期には日本の西端へ到達する。そして入り口として注目したのが、長崎、薩摩、そして長州であった。当時、鎖国していた日本を何とかこじ開けようとして長崎で武器を売りつける一方で、西端の薩摩藩や長州藩と衝突して侵略のきっかけを作った。それが、1863年に起きた薩英戦争や下関戦争などであった。イギリスなど欧米諸国と一戦を交えた薩摩藩と長州藩は、この後一変して彼らと親密な関係になり、幕府を倒すべく協力するようになるのだ。つまり、倒幕運動が始まったのである。
薩摩長州を味方につけたイギリスは、彼らを日本の権力の座に就けるべく、大量の武器と資金を提供して江戸幕府を圧倒していった。その一方で、長州藩と薩摩藩の下級武士をイギリスに密航させ、近代的な欧米文化を見せることで、鎖国の無意味さを日本の若者に悟らせたのだ。この若者たちとは、後の明治新政府で要職に就く伊藤博文を初めとする5人の長州藩士である。後に伊藤博文は初代の内閣総理大臣、井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は大阪造幣局長、井上勝は日本鉄道の父、山尾庸三は日本工学の父となって日本の近代化に務めた。
彼らは開国主義に乗り換える前は、攘夷(じょうい)派として、イギリス公使館を焼き討ちしたり、国学者を暗殺したりするなど過激な活動をしていたのだ。イギリス側にしてみれば、地方の若い下級武士の暴力性も、頑固な幕府を倒すためには必要な使える要素に見えたことだろう。当時、伊藤博文らと親密にしていたイギリス外交官のアーネスト・サトウは、当時の日本攻略についての考えを、後年日記にして残している。
「日本の下級階層は支配されることを大いに好み、権力を持って対する者には相手が誰であろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合にそれが著(いちじる)しい。伊藤(博文)には英語が話せるという大きな利点があった。これは当時の日本人で、特に政治運動に関わる人間の場合には、稀にしか見られなかった教養であった。もし両刀階級(武士)たちをこの日本から追い払うことができたら、この国の人々には服従の習慣があるのだから、外国人でも日本の統治はそれほど困難ではなかっただろう。」
さらにサトウは上司であったイギリス公使ハリー・パークスの指令で、幕末当時の鹿児島県の朝鮮人集落を訪れ、幕府の藩による支配下で受ける惨状を伝えている。このことからイギリス側が江戸幕府を攻略するための人材として、下級武士だけでなく幕府に虐(しいた)げられていた被差別民にも注目していたことがうかがえる。この観点から明治以降の政財界の有力者を見てみると、これまでになかった近代国家の素顔が見えてくるのである。
有力者の出身をたどると、山口県や鹿児島県の朝鮮人集落から、政府内の重要なポストに就いている政治家が以外と多いことに気づく。例を挙げると、安倍晋三の祖父で首相のほか数々の要職を務めた岸信介とその弟で三期首相を務めた佐藤栄作は、山口県の田布施村という朝鮮人集落の出身である。また小泉純一郎の父であり、防衛庁長官を務めた小泉純也は鹿児島県の田布施村という、同名の朝鮮人集落の出身である。
しかし何といっても山口県田布施村出身で注目すべき最重要人物は、明治天皇である。本名は大室寅之祐。通説では、明治天皇は幕末に若くして病死した京都の孝明天皇の第二皇子とされているが、これには多くの疑惑がある。実際には孝明天皇は息子ともども長州藩に謀殺され、田布施村出身の若者、大室寅之祐が明治天皇になりすましたという説がある。この学説は「明治天皇替え玉説」というもので、歴史から葬り去られた日本の闇である。
倒幕運動を進めていたイギリスと長州藩士は、明治新政府の国家元首として天皇を祭り上げる画策をしていた。その理由は、一介の地方の若手下級武士の集まりが、全国の藩主を従わせて新しく近代国家を作り上げることは、不可能なことであったからだ。そのためには彼らの言いなりになる「天皇」が必要で、天皇を頭に置いて、長州藩士が政府の舵取りをすればよいからである。
しかしこの計画には大きな問題があった。
それは時の天皇であった孝明天皇が、大の外国人嫌いであったことである。
そこで孝明天皇の暗殺が計画された。
暗殺については、産婦人科医兼医史学者の佐伯理一郎などが主張した
「下級公家の岩倉具視が皇室の女官を務めていた妹の堀河紀子を操って実行した」
とされる毒殺説や、人斬りの名手であった伊藤博文による刺殺説などがある。
後者の説については竒埈成(キジュンソン)著『天皇は朝鮮から来た!?』に詳しい。
いずれにしてもその後の歴史的史実では、イギリスと長州藩の思惑通り、孝明天皇が急逝したのであり、
その直後に、明治天皇は新政府で国家元首の地位に就いたのである。
その後「不敬罪」という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられることになった。
こうして、皇室に関する疑惑の追及は長い間封印されたのである。
ようやく戦後に不敬罪が解除されると、今日に至るまでの「明治天皇替え玉説」の研究者が数々の著作を発表するようになった。その中で取り上げたい一冊がある。それが2007年刊行の『日本の一番醜い日』である。ノンフィクション作家の鬼塚英昭氏は、日本の確かな未来を築くべく、膨大な資料の調査と取材を重ね、タブーとされる天皇の正体に挑んだ。そこには、明治天皇が長州藩の創作によるものだとする、長州藩士一族の末裔の証言がある。以下、引用する。
『終末から』(1974年8月号)に掲載された益田勝美の「天皇史の一面」を見てみよう。
益田勝美は長州の国家老・益田弾正の一族である。
彼の話は、山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれて孝明天皇の長子睦仁(むつひと)の替え玉になり、後に明治天皇となる「てんのうはん」について書いている。
「天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。」
こうして日本の権力の頂点に立った明治天皇と伊藤博文ら長州の人間たちが、ロスチャイルド一族の支配する欧米諸国との密接な協力のもとに、日本を近代化していくのである。それが議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、身分制の廃止、そして廃刀令や徴兵制などである。政府と天皇家、そして欧米の国際銀行家(イルミナティ)の結びつきが最大限に発揮されるのは、昭和天皇に代が変わった太平洋戦争のときである。このときの様子を再び、『日本の一番醜い日』から引用する。
「太平洋戦争中、アメリカは公式には自国から日本への石油輸出を禁止した。しかしそれはアメリカ国籍の船と日本国籍の船によるものが禁止されただけで、実際には国際赤十字の印をつけた船の秘密のルートで、石油やタングステン、四塩化エチルなど重要な原料が日本へ輸出された。これが戦争の本当の姿である。昭和天皇はこのことを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣には秘密にしていた。
あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うために作られたものではない。これは国際銀行家(イルミナティ)が、自分たちの商売である戦争をスムーズにより長期にわたって続けるために作られたのである。太平洋の諸島で密かに、石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。赤十字の印をつけた船は攻撃できないという国際条約ができているので、日本は安心して物資を輸入することができた。
ではあの大戦中、その支払いはどうしたのだろうか。
その代金の主なものは、アジア支配を進める途中で略奪した、金や銀などの貴金属が使われた。その一部は赤十字の船で日本に送られ、マルフクという金貨に鋳造された。これが再び現地に送られ、それが必要物資の購入に充てられた。残りの金塊や貴金属類は、スイスの国際決済銀行(BIS・ロスチャイルド一族主導の機関)に送られた。そこで貴金属類はドルやスイスフランに変えられ、支払いに充てられた。残ったお金は国際決済銀行や同じ系列のスイス国立銀行へ預けられる。このようにして戦争が長引けば長引くほど、天皇一族と秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。
近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。
戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。」
ここからさらに話は、天皇と吉田茂や白州次郎などロックフェラー一族と通じた面々が、天皇制を終戦後にも維持するためにアメリカと裏取引をした可能性に言及している。その取引とは、(アメリカが)天皇の責任追及をしない代わりに、日本側がアメリカ軍による国内の都市部への原爆投下を受け入れることであった。ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違い、天皇は何の戦争責任も取らされることなく、戦後も生き延びて天寿を全うした。この昭和天皇の不思議な人生に、このような裏事情があったとしても何ら驚くには当らない。むしろ納得のいく説明ではないだろうか。
『日本の一番醜い日』の最後に、著者はこう結ぶ。
「結論はただ一つ。一人一人が真実を追究すべく立ち上がる時である。私の結論について反論する人は、私に立ち向かうべきである。」
私は鬼塚氏の結論は真実だろうと推測する。
しかしその理由は、単に彼の著書を読んで納得したからではない。以前友人から聞いたある公務員の話と不思議な一致をそこに見るからである。友人は当時通産省に勤めており、ふだん我々が取り寄せる戸籍謄本には記載されていない「印」のことを聞いた。それは役所内の戸籍書類には被差別地域出身者を表す印がいまだに付けられており、その印のない者は、あるポスト以上には昇進できないようになっていることを上司から知らされたという。おそらくこれが、現在でも続いている日本の社会なのだろう。
明治維新により、それまで下級武士や下級貴族であった人間が、皇族、華族、貴族という特別な身分に就き、えた、ひにんなど被差別地域の人々が「解放令」により平民となったことは、中学校の社会科でも習う。しかしそれがどのように行なわれたのか、それに関する具体的なことは一切伝えられない。
明治維新で、長州や薩摩の下級武士と被差別地域出身者が、旧幕府の人材と総入れ替えで、日本の皇族や政治家、官僚を初めとする公務員になった可能性について言及されることはない。この学説を否定する人は、田布施陰謀論などと呼ぶらしいが、これは陰謀論の領域の話ではない。天皇家が戦争責任を取らずに現在も継続していることは誰の目にも明らかな事実である。そして天皇の戦争責任についてはさまざまな議論があるが、政府は、それについて我々国民の納得のいく公式説明をいまだに持ち合わせていない。
この観点から現在の社会を見渡してみると、今日本が抱える問題の本質が見えてくる。政治家、官僚、財界、大企業の癒着や世襲に腐敗がある。各種構造改革や軍備増強、原発推進など、いずれも外国勢の利益を優先する国家政策がある。そこには国際銀行家(イルミナティ)の援助で権力の座に就き、その正体やスキャンダルを弱みとして握られ、彼らの要求を拒否できない天皇や国家の上層部がある。つまり、問題の本質はここにあるのだ。
しかし誤解のないように言っておきたいが、天皇や政治家の一部が朝鮮人集落の出身である可能性を云々しているのではない。私の友人にも在日韓国人(朝鮮人)はいるし、何の差別も存在しない。それに我々のほとんどは純粋なアイヌでもない限り、いつの頃かに大陸からやってきた渡来人の子孫であることは間違いない。渡来した時期が違うだけの同じ人種間で、差別することに意味はない。問題は隠されてきた歴史の内容である。当時、明治の元勲たちが、近代国家を築くためにそうしたこととはいえ、時代が経った現在、我々国民はこの国の真の歴史を知る必要があるのではないだろうか。それらが白日の下にさらされ、我々が史実に基づいて認識を改めることは非常に有益で、必要なことだと考える。
うわべの嘘の歴史からは、真実の未来は見えては来ない。
嘘の歴史を伝えたところで、子どもたちにどんな可能性を見せることができるのか。本物の未来を作るためには、真実を知り、それを伝えていくことが必要だ。このような情報が書籍やインターネットで手に入るようになっている現在、今の我々にしかできないことが何かあるはずなのだ。彼らの化けの皮をはがして、糾弾し、革命を起こせと言っているわけではない。それよりも国民が、彼らが思うよりもずっと賢く、かつ寛大であることを彼らに示すなら、国家権力にも多少の良心と正直さが芽生えるかもしれない。彼らに期待できることがあるとすれば、それは(弱みを握る)国際銀行家(イルミナティ)の脅迫に従い続けることをやめて、日本国民の寛大さを信頼することだと思う。
http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/book.gif『日本の一番醜い日』鬼塚英昭著成甲書房
http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/book.gif『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』鬼塚英昭著成甲書房
http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/book.gif「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋

プレシャンブルーの風に抱かれて
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1848年革命

資本論を学ぶ あとがき (第2版への)20ページから
2018/5/20(日) 午前 10:34
資本論を学ぶ あとがき (第2版への)20ページから
 大陸における1848年の革命はイギリスにも跳ね返ってきた。
科学的意義をなお自負し支配階級の単なる詭弁家や追移縦者以上のものになろうとした人々は、資本の経済学をプロレタリアートのいまやもう無視しえない諸要求と調和させようとした。そこで、ジョン・スチュアーと・ミルによってもっともよく代表されるような、無気力な折衷主義があらわれたのである。これは「ブルジョア」経済学の破産宣言であって、それは、ロシアの偉大な学者であり批評家であるN・チェルヌーシェフーフスキーがその著作『ミルによる経済学概説』(福島種典訳『「J・Sミル経済学原理」への批判』上・下、岩波書店)の中でみごとに解明しているところである。
したがって、フランスやイギリスで資本主義様式の生産様式の敵対的性格がすでに歴史的諸闘争により、耳目をおどろかせて露呈されたあとに、ドイツでのこの生産様式が成熟に達したのであるが、そのときすでに、ドイツのプロレタリアートはドイツのブルジョアジーよりよりもはるかにに明確な理論的階級意識を持っていた。それゆえ、学問としてのブルジョア経済学がドイツにおいて可能になるかと見えたとき、それはふたたび可能となってしまった。
ここで1848年の革命について調べておきます。なるべく簡略に引用したいです。
1848年のヨーロッパ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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1848年革命(1848ねんかくめい)は、1848年からヨーロッパ各地で起こり、ウィーン体制の崩壊を招いた革命。
1848年から1849年にかけて起こった革命を総称して「諸国民の春」(仏: Printemps despeuples, 独: Völkerfrühling, 伊: Primavera dei popoli)ともいう。
■イタリア
詳細は「イタリア統一運動」および「イタリアにおける1848年革命(英語版)」を参照
ミラノの五日間
ウィーン体制下のイタリアは、南部に両シチリア王国(スペイン・ブルボン朝系)、中部に教皇国家、北部にトスカーナ大公国(オーストリア・ハプスブルク朝系)、ルッカ公国(スペイン・ブルボン朝系)、パルマ公国(スペイン・ブルボン朝系)、モデナ公国(オーストリア・ハプスブルク朝系)、サルデーニャ=ピエモンテ王国、ロンバルド=ヴェネト王国(オーストリア・ハプスブルク朝系)が割拠しており、復古体制に対する不満は1821年のカルボナリの蜂起、1831年のジュゼッペ・マッツィーニの青年イタリア結成などに現れていた。
1848年1月、シチリアのパレルモで暴動が起こり、両シチリア王国からの分離独立と憲法制定が要求され(シチリア革命(英語版)、両シチリア王国における1848年革命(イタリア語版))、これを第一波として革命がイタリア各地に波及した。3月にはオーストリアの支配下にあったロンバルディアとヴェネツィアの民衆が反乱を起こして現地のヨーゼフ・ラデツキー指揮下のオーストリア軍を駆逐し(ミラノの五日間、ダニエーレ・マニンのヴェネト共和国建国)、サルデーニャ=ピエモンテ国王カルロ・アルベルトに介入を要請した。要請を受けたカルロ・アルベルトは早くも3月23日にはオーストリアに宣戦を布告し、第一次イタリア独立戦争(英語版)が始まった。
しかし、初めサルデーニャ=ピエモンテに援軍を送っていた教皇国家と両シチリア王国が戦線から離脱し、撤退後本国からの援軍を受けて体勢を立て直したオーストリア軍が7月25日のクストーツァの戦い(英語版)でサルデーニャ=ピエモンテ軍を破ると、両国は8月9日に休戦した。休戦後、革命は急進化し、1849年2月には教皇国家におけるマッツィーニのローマ共和国建国、トスカーナにおける革命(ロシア語版)の激化を見るに至って、サルデーニャ=ピエモンテはオーストリアに対する戦争を再開したが、3月23日のノヴァーラの戦い(英語版)に敗れてカルロ・アルベルトが退位する結果となった。残るローマ共和国はフランスの軍事介入により6月末に崩壊し、ヴェネト共和国も8月末にオーストリアに降伏して、イタリアにおける革命は打倒された。こうしてイタリア全体に復古体制が復活する中、サルデーニャ=ピエモンテは新国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が立憲君主制を維持し、その後のイタリア統一運動の中心地となった。
なお、イタリアにおける革命は後に「未回収のイタリア」と呼ばれた地域にも影響を与え、ダルマチアのイタリア人文学者ニッコロ・トンマゼーオ(英語版)がヴェネト共和国政府に参加したほか、イストリアのイタリア人歴史家カルロ・デ・フランチェスキ(クロアチア語版)がダルマチア・イタリア人の民族的覚醒を訴えた。
■フランス
詳細は「フランス二月革命」および「六月蜂起」を参照
フランス二月革命
1830年の七月革命の結果誕生した七月王政では、選挙権の拡大が行われたものの、納税額による制限選挙自体は維持され、選挙権をもたない労働者・農民層の不満が高まった。こうした不満のはけ口は改革宴会 (banquets réformistes) という集会(選挙権の拡大や労働者・農民の諸権利を要求する政治集会だが、宴会の名目で開催していたもので、共和派のアレクサンドル・ルドリュ=ロラン(英語版)がリールで推進したものが有名)によってある程度のガス抜きが行われていたが、1848年2月22日に政府がある改革宴会に対して解散命令を出すと、これに憤慨した労働者・農民・学生によるデモ、ストライキが起こった。翌23日には首相のフランソワ・ギゾーが辞任して事態の沈静化を図ったが、24日には武装蜂起へと発展し、ついに国王ルイ=フィリップが退位、ロンドンに亡命して、同日に臨時政府が組織された。
革命が成功した影響は大きく、革命はフランスにとどまらずヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制の崩壊に繋がった。この後、フランスでは七月王政が廃止され、1848年憲法の制定とともに第二共和政に移行した。11月に大統領選挙が行われ、ルイ=ナポレオン・ボナパルトが大統領に選出された。その後、ルイ=ナポレオン・ボナパルトは、1852年に第二帝政を開始するのである。
この革命はそれまでのフランス革命や七月革命とは異なり、以前のブルジョワジー主体の市民革命から、プロレタリアート主体の革命へと転化した。この革命には、当初から社会主義者が荷担しており(ピエール=ジョゼフ・プルードン、ルイ=オーギュスト・ブランキなどが有名)、フランス三色旗に混じって赤旗も振られた。この時代の社会主義に対する期待の高まりが見て取れるが、結果としてルイ・ブランなどこの革命に荷担した社会主義者が臨時政府の中で有効な手立てを打てないことが明らかになると、彼らは、農民の支持を失い翌年4月の選挙で落選してしまった。これは、農民がフランス革命とナポレオン戦争を経てようやく手に入れた土地を、社会主義派に「平等」と称して奪われることを恐れたためである。
■オーストリア
詳細は「オーストリア帝国における1848年革命(英語版)」を参照
神聖ローマ帝国崩壊後のオーストリア帝国では、宰相メッテルニヒが1815年以来のウィーン体制の維持に努め、ヨーロッパ諸国の民族主義、自由主義運動を弾圧していた。オーストリアは、1840年以来の不況と貿易赤字、1847年からの飢饉による農村の危機、多額の軍事支出によって国家財政が逼迫していたが、フランス二月革命の背景の一つである金融恐慌がウィーンにも及んで、メッテルニヒ体制は動揺した。
フランス二月革命の成功が伝えられた影響もあり、宮廷には次々と請願が提出されたが、その内容は通商の自由、出版の自由、言論の自由など、比較的緩やかな自由主義的改革要求が中心であった。学生などの急進派は身分制議会に請願を提出し、1848年3月13日の審議に付されることとなった。しかし、同日に学生の一部が議事堂に押しかけてメッテルニヒの退陣と憲法の制定を要求し、ウィーン市内に暴動が拡大した。宮廷内でも、かねてからメッテルニヒに批判的であった皇帝フェルディナント1世の叔父ヨハン大公などがメッテルニヒの辞任を要求するに至り、メッテルニヒは辞任してロンドンに亡命した(ウィーン三月革命)。メッテルニヒを追放した宮廷ではあるが、長年頼り続けてきた支配者を突然失ったために有能な指導者を欠き、権力の空白が生まれた。
4月25日にはベルギー王国憲法(英語版)を手本とするピラースドルフ憲法(ドイツ語版)が発布された。この憲法は二院制と納税額による制限選挙かつ間接選挙を定めたもので、民衆はこの憲法を不服として5月15日に暴動を起こした。皇帝フェルディナント1世は5月16日に一院制と普通選挙に基づく憲法制定議会(英語版)の開催を約束したが、皇帝一家は身の危険を感じて5月17日にティロルのインスブルックに避難した。ウィーンにおける皇帝の不在は8月まで続いた。
この間、ヴィンディシュ=グレーツ軍が6月12日のプラハ聖霊降臨祭蜂起(ドイツ語版)を鎮圧し、ラデツキー軍が7月25日のクストーツァの戦い(英語版)でサルデーニャ=ピエモンテ軍を破ると、反革命が巻き返し、ハンガリーやウィーンの革命の打倒が図られた。9月、宮廷の意を受けたイェラチッチ軍はハンガリーに軍を進めたが、9月末のパーコズドの戦い(英語版)で敗れた。10月6日、ウィーンからハンガリーへの出動を命じられた部隊が反乱を起こしてウィーン十月蜂起(英語版)が始まり、一度は舞い戻った皇帝一家はまたしても逃亡を余儀なくされた。10月末、ハンガリーに敗退したイェラチッチ軍を収容したヴィンディシュ=グレーツ軍は、ウィーンまで進軍してきていたハンガリーを破り、血なまぐさい戦闘の末にウィーンを制圧した。
11月21日にヴィンディシュ=グレーツの義弟シュヴァルツェンベルクが首相に就任し、12月2日に皇帝フェルディナント1世がフランツ・ヨーゼフ1世に譲位した後、1849年3月4日に中央集権的な欽定三月憲法(ドイツ語版)が制定されて3月7日に憲法制定議会(英語版)は解散されたが、1850年11月29日のオルミュッツ協定によるドイツ連邦の復活、1851年12月31日の憲法の廃止により、オーストリアは完全に旧体制に復帰した(新絶対主義(ドイツ語版))。
■ハンガリー
詳細は「ハンガリー革命 (1848年)」を参照
フランス二月革命の影響はまずハンガリー王国で現れた。1848年3月3日、コシュート・ラヨシュがポジョニのハンガリー議会でメッテルニヒ体制を批判し、自由主義的な憲法と諸民族の友愛 (de:Verbrüderung) を訴える演説を行った。3月15日にペシュトでデモが起こり、「十二か条の要求」と呼ばれる改革要求が承認された。同月から翌月にかけて、ハンガリー議会では「四月法(英語版)」と呼ばれる自由主義的改革立法がコシュートの主導で推し進められた。しかし、マジャル人本位の改革はハンガリー国内の異民族の反発を招き、クロアチア(クロアチア語版)のクロアチア人、ヴォイヴォディナ(英語版)のセルビア人、スロバキア(英語版)のスロバキア人、トランシルヴァニア(英語版)のルーマニア人などがハンガリーに対して反旗を翻した。
オーストリア皇帝フェルディナント1世(ハンガリー国王フェルディナーンド5世)はハンガリー国内の民族間の対立を利用して反革命を図り、ハンガリーに対するクロアチア人の反乱の指導者ヨシップ・イェラチッチを指揮官に任命し、イェラチッチ軍の進軍を阻止できなかったハンガリーの首相バッチャーニ・ラヨシュ(英語版)は9月11日に辞任してコシュートがハンガリーの指導者となった。ハンガリー革命軍は9月29日のパーコズドの戦い(英語版)でイェラチッチ軍を破って一時ウィーンに迫ったが、ヴィンディシュ=グレーツ軍が同時期のウィーン十月蜂起(英語版)の鎮圧に成功すると守勢に転じた。
12月2日にフェルディナント1世がフランツ・ヨーゼフ1世に譲位した後も、ハンガリーは1849年4月14日に完全独立と共和国を宣言(ハンガリー独立宣言(英語版))して頑強な抵抗を続け、フランツ・ヨーゼフ1世はロシアに援軍を求めた。ハンガリーは期待した諸外国の支援も得られず、1849年8月13日にロシア軍に降伏した(Surrender at Világos) 。もっとも、マジャル人による民族自治の要求は1867年のオーストリア=ハンガリー帝国の成立(アウスグライヒ)という形で部分的にではあるが受け入れられた。
■ボヘミア
詳細は「チェコにおける1848年革命(ロシア語版)」および「プラハ聖霊降臨祭蜂起(ドイツ語版)」を参照
ボヘミア王国のプラハでは、1848年6月にオーストリア帝国内のスラヴ系諸民族が結集してスラヴ人会議が行われ、チェコ人のフランティシェク・パラツキーが議長を務めた。チェコ人はオーストリア帝国を対等な諸民族から成る一つの連邦に転換するよう要求し (Austro-Slavism) 、大ドイツ主義に傾くフランクフルト国民議会やオーストリア帝国からの分離独立に傾くマジャル人とは異なる立場を表明した。6月12日に急進派が起こした蜂起(プラハ聖霊降臨祭蜂起(ドイツ語版))はオーストリア当局の干渉を招き、ヴィンディシュ=グレーツ将軍のプラハ包囲によってチェコにおける革命は打倒された。

荒井行男の「資本論」学習
https://blogs.yahoo.co.jp/sihonron2018/68800011.html

レムリア(ムー)

歴史10
2015/5/16(土) 午後 2:12
レムリア(ムー)はアトランティスの前に栄えていた精神性の高い古代文明だ。
その聖地は今のハワイにあり、アトランティスのような科学的な文明ではなく、住んでいる土地(地球)との共存を第一に考えた、とても温厚な民族だった。
精神レベルは今よりも遥かに高く、その文明の中で人々は素晴らしい生活を享受していた。
レムリアから派生して生れたのがアトランティスだが、世の中に光と影があるように、アトランティスは圧倒的な科学力によって、次第にレムリアを制圧するようになって行った。レムリアは精神エネルギーの力でその制圧から逃れようとしていたが、或る時、アトランティス人によって仕掛けられた特殊な装置によって、レムリア大陸は海に沈んだんだ。
レムリアが沈む前に、アトランティス大陸の地下深くに強力なエネルギーを据え込んだ。アトランティスが繁栄のピークを迎えたその瞬間、そのエネルギーが放射され、アトランティスは大陸諸共海の底に沈んでしまったのだ。
レムリアが沈んだ時に亡くなった魂の多くは(現在の)東の国(ムーから見ると西の方)へ移り住んだ。即ち、アジアを中心とした東洋圏だ。
アトランティスの魂達は、(アトランティスの東方)エジプトを経て西洋圏へと流れ込んだ。
今の西洋主体の時代はこのアトランティスの名残だ。一厘の仕組
レムリアの聖地とは何処か。
日本人が郷愁を感じる処だよ。
そう、ハワイなんだ。
ハワイはレムリア文明の聖地の跡だ。
その後、精神性の高いレムリアの末裔達が、西日本を中心に生れ変っているんだ。
因みにアトランティスの考えは現代の西洋の考え方に通じている。一厘の仕組 
レムリアはアトランティス文明が栄える少し前に栄えていた精神性の高い文明だ。
平和主義者が多く、物質主義に頼らず、和を尊び、とても素晴らしい文明を築いていた。
ところが、そのレムリアの一部の物質主義者が造り上げたアトランティス文明によって、レムリアは海の底に沈められたのだ。一厘の仕組

徹底検索、堀進
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地球には常に知覚力を持った存在がいました。なぜなら守護の存在者たちがいて、地球の命の創造に責任を負っていたからです。ウィルス、微生物から始まり、生物を次々に進化させていきました。彼らは何十億年も前に、ここにいました。コブラ、本当が一番
宇宙創造神が、魂の学びの場所としての遊星を創られるとき、その遊星には、大切な役割を担う、中心というべきポイント・湧玉の地が必ず設けられる。湧玉の地のある場所に、日本という国ができた。クイーン
 大正天皇・・・当時は大隈重信と岩倉が権力にぎっていて、大隈の子が大正天皇になる。岩倉の子は堀川辰吉郎となって御所を追放される。
 昭和天皇・・・明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。
 今上陛下・・・当時は三笠宮崇仁と徳川(尾張)義知が権力握ってて三笠宮の子を明仁に。尾張義知の子を常陸宮にした。
 皇太子浩宮・・・昭和天皇と岸元総理の権力で大室庄吉の孫大室近祐の孫を皇室に養子にして浩宮にした。
 愛子さま悠仁さま・・・日本で一番権力持ってたのが橋竜と久美子。2番目が美智子皇后と正田巌。3番目が曽野綾子。
 橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。しかし橋竜が議員辞職しなくなって橋本家がナンバー1権力者から転げ落ち美智子皇后と正田巌が日本で一番の権力者になり美智子皇后が紀子さんに「もう男の子作っていいよ」といわれ悠仁さまをつくった。大摩邇
サアラさんがイエス・キリストの娘としての転生の記憶を持つということがありました。当時もサアラという名だったそうです。
イエスが処刑された(サアラさんによるとイエスは死んでおらず、実際はヒマヤラに旅立った)後、聖母マリアとイエスの妻マリア、そして娘のサアラはヨーロッパに渡ったといいます。
サアラはヨーロッパでも色々な奇跡を起こしたということで、現在の南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールという町には、色の黒いセント・サラの銅像が立っているそうです。
 長州藩では邪魔になった者はたとえ権力のトップにあっても、毒殺できる技術が、江戸時代にはほぼ完成していた。1836年(天保7)、斉煕、斉元、斉広と、3人の藩主が相継いで変死しているが、これらはおそらく毒殺であったろう。
 長州藩主は「そうせい候」(何を言っても「そうせい」と返事をするので、こう呼ばれた)なわ
私の力を最も必要とする人達を助けるためにヨーロッパ中を歩き回りました。最後の日日には私は短期的にアメリカに住み、アメリカ精神によって独立宣言の署名に至ることを確実にしました。ジャーメイン(サンジェルマン)
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年の間神学について修行を重ね
33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、
その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。
他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、
再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、百六才長寿を以て、この地に没しました。天下泰平

徹底検索、堀進
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レッドドラゴンは明王朝の軍部から発生しました。
アルコンは、明の勢力を打ち砕くことを欲し、満州族をコントロールしました。
北から侵攻していた満州族は、まず明王朝を転覆させ、北京を乗っ取って清王朝を興しました。その後、清の康熙こうき帝は、イエズス会を中国に招きました。レッドドラゴンは、満州とイエズス会の侵略者に対抗すべく、朝廷と軍の内部で密かに活動していました。
19世紀にはロスチャイルドが、アヘン戦争を通じて中国を支配しました。
レッドドラゴンは目立つわけにはいきませんでしたが、八卦の秘密結社を装い、後の義和団の乱――イエズス会とロスチャイルドを中国から排斥する試み――を導きました。コブラ
米ソ・USA/USSR共同火星基地が1964年に建設され、次の数十年で拡大しました。月と火星の基地をさらに増やすことが、計画に加えられたのです。月の主要基地は、月の裏側につくられました。
 地球人側を指揮したのは邪悪な四人組です(ブッシュ・シニア、ヘンリー・キッシンジャー、ドナルド・ラムズフェルド、ディック・チェイニー)。邪悪な四人組は、実際、26,000年前に人間の体をまとったドラコニアンで、一番目立っているドラコ/人間のハイブリッドです。
1996年のアルコン侵略後、私たちの太陽系はドラコニアンとレプタリアンのエンティティーで一杯になりました。彼らの主な軍事基地はカロン(冥王星の月)にあり、小惑星帯(訳注:火星と木星の間)にはたくさんの拠点を設けていました。
1994年から2004年までの大規模な解放作戦攻撃で、レジスタンス・ムーブメント、プレアディアン、シリアン、アンドロメダンの艦隊とアシュターコマンドは、私たちの太陽系からドラコ/レプタリアンの大部分を掃討しました。
2004年から2012年の間、光の勢力は、直接キメラと共同していないすべてのドラコ/レプタリアンを、太陽系から一掃しました。
そして今ではキメラの(空)約束――キメラがカバールを地球から脱出させて大量逮捕から救ってやるという約束――につかまっています。彼らは今、足止めを食らった気分で心配し始めています。
 去年・2014年の早い時期から、光の勢力はキメラに直接取り組んでいます。物質的な、ストレンジレット及びトップレット爆弾を一掃したので、今年の1月末からは、闇の最後の残滓をこの太陽系から一掃する作戦を始めています。
ここ数日間に、重要なブレイクスルーが起こりました。MOSSが成功裏に完了した後で、そしてイベントの時くらいに、ディスクロージャーとファーストコンタクトが起きるでしょう。そしてこれは惑星地球にとって隔離状態の終焉となります。 コブラ、本当が一番
 1980年代の日本は多くの規格によって地球上で最も進んだ国だった。灼熱の経済成長の10年の後の1985年までに、彼らは地球上で最も高い一人当たりの収入と、どの先進国の中でも貧富の差が最も低く、非常に健康的な環境を持っていた。彼らはまた地球上で最大の債権国であり、地球上の他国に借用証書と引き換えに、車や電子機器その他を供給してきた。
 1985年米政府は私に言わせればただ嫉妬と追い越されの恐怖からこのシステムを破壊に着手した。当時、副大統領であったジョージブッシュ・シニアはこのシステムの解体と経済的制御をアメリカのオルガリッヒ(暴力団)に手渡すよう命じた。
 日本が拒否すると、1985年8月12日の日航123便を撃墜した。
 1985年9月22日に、日本は日本経済システムの体系的破壊の始まりを合図するプラザ合意に調印した。そのときから、日本経済は欧米の暴力団から約50兆ドルも略奪された。フルフォード、本当が一番
ユダヤ・フリーメーソンは薩摩をおだて、長州をおだて、ロンドンに留学生を招き、洋式兵器を供給し、両藩の私的利権の欲望をあおり立てた。大久保利通は、そのメカニズムを了解し受け入れた。ここに、ユダヤ悪魔教の手先となって、薩長が日本の国権を簒奪する。そして孝明天皇を弑逆し、幼帝をおのれの手中の「玉(ぎょく)」として奪うために、岩倉具視が共同謀議に参画する、という極秘の筋書きができあがったのである。
当時清国は、ユダヤに操作された太平天国の人工的動乱によって、1850年から約10年のあいだに、実に5千万人の人命を失った!。
フリーメーソンが日本の内乱を演出し、それを足がかりに日本の植民地化を図ろうとしている謀略に気づいたのではないか、そして、この秘密を知った(あるいは感づいた)日本人が、幕末に少なくともあと2人いた、と推察している。その2人とは、徳川幕府の勝海舟、そしてもうひとりが、他ならぬ徳川15代将軍を継いだ徳川慶喜である。
龍馬はこれを知った。龍馬暗殺はその1カ月後である。慶喜に大政奉還されては、倒幕派と幕府の内戦の火は消えてしまう。メーソン側としては、なんとしても戦を挑発しなければならない。太田龍、なわ
日本人は原日本人と渡来人との混血によって生じたものである。前者は数万年前に日本列島に渡来した後期旧石器時代人から生れた縄文人で、後者は弥生時代以降に大陸から新たに渡来した集団である。両者の接触によって、九州や本州では両者の混血が進んだが、北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった。一厘の仕組
今からおよそ1万2000年前に、一夜にして太平洋に沈んだと言われているのがムー文明である。その時、東の大陸・南北アメリカに渡った人々の末裔がインカ族、マヤ族、ホピ族である。一方、西を目指して逃げ延びた人々は、琉球諸島や日本本土、それに台湾や東南アジアへ渡り、その地の先住民となった。一厘の仕組
人間は地球で生まれたのではない。人類の進化論は間違っている。人類の発祥地はアフリカではない。人間の肉体に宿った霊魂(意識体)は1つの源から生まれたのではない。太古の昔から我々の霊魂(意識体)は人間の肉体に宿り地球で生きてきたが、霊魂(意識体)のふるさとは地球ではない。本当が一番
グラバーが、表立って各藩に武器を納品するのは露骨すぎる。あくまで維新は日本人が独自に成し遂げたように見せかけなければならない。龍馬はそのためのコマだった。龍馬や亀山社中の連中はたびたびグラバー邸を訪れていた。
薩長同盟成立の前、竜馬は長州へ武器輸出をした。このとき、龍馬はグラバー商会から武器を買い入れて、まず薩摩に売った。薩摩を仲立ちにする形で長州へ横流ししているのである。これが薩長同盟のきっかけとなっていくわけだ。
仕組みの末端に龍馬をはじめとする幕末の志士たちは組み込まれていった。龍馬はユダヤ系国際金融資本の手のひらで踊らされていたというわけだ。大摩邇
真の歴史を知ることにより、現在・未来の人類の進む道が見えてくるのではないか、と私は考えています。だからこそ改竄された歴史では、全く未来が見えないのです。真の歴史を知り、本来その人が進むべき道を、自ら探る必要があるのです。知っとうや
古代から日本人は支那人や中国人や漢人からいろいろ学んできたが、唯一日本人が「ちょっと~~」といって、真似しなかったこと。それが「人食い」であった。元寇の時に、モンゴル人の元の手先と化した朝鮮人は、対馬を襲い、民衆を陵辱殺害して、最後には全員を食い尽くしたのである。それが「対馬の虐殺」。大摩邇
古代エジプトの歴史は、知られている王朝をはるかに凌ぐものであり、アトランティス後期のエジプトには高度に進化した文明がありました。 コブラ、本当が一番
 地球には一万年あまり前まで、太平洋の南から北にかけてレムリアという大陸があり、ヨーロッパからコーカサスまでの地域にはアトランティスという大陸があったが、レムリア大陸は10,508年前(1960年からさかのぼって)に海に沈み、アトランティス大陸は10,200年前(同)に沈没して、当時の文明はなくなりました。エジプト文明はアトランティス大陸から残った文明です。
 地球の人々は、この太陽系の中で知的生命体は自分たちだけだと考えています。これは例えて言えば、遊んでばかりいて進級できず、同級生がみな卒業してゆく中で、何度も落第して学校に一人残った生徒が、この学校は自分だけのために用意されているのだと、勘違いしているようなものです。
 地球人類の文明は、過去に何度も滅亡を繰り返していて、今が7回目の文明。http://www.messagefromvenus.jp/theme/itibu1syo.html
男性優位社会が始められるまで、地球には愛のエネルギーが満ちていた。
 彼ら(レプティリアン)が人間との間に残した子孫はブルーブラッド(青い血)と呼ばれ、彼らとの繋がりを持つ独自の血統、「闇の血流」「闇の家族」をスタートさせました。
 彼ら神々が地球へやって来た時に、首相や法王、王様や女王様、そして王子や王女を残して行きました。さらにそれだけでなく、男性優位社会の始まりでもある家父長制度と呼ばれる階級制度も残していったのです。zeranium
文時代は栗の木で家を作っていた。軟らかくて加工がしやすい、乾くと硬くなる。
竪穴を掘り上げた土などを屋根にのせてつくられました。やがて自然に草が生え、根が張ってじょうぶな屋根になります。
ある研究者は、竪穴住居は冬の家、高床住居は夏の家と見ています。特に、土屋根の家は梅雨の頃には湿気が多くて住みにくいが、冬場は暖かく、高床の住居は通気性があって夏場に快適といわれています。るいネット
あなた方の歴史書のページには、勝利者があなた方に知らせたいことだけが書かれており、権力者があなた方に信じさせたいことだけが書かれているのです。あなた方人間の歴史は、あなた方を巧みに操作する力によって作られた偽りで埋もれており、彼らの行なった殺人や裏切り、異端審問といったものは好きなように薄められ、しかも年月とともに何度も塗り潰されているのです。zeranium
毛沢東はナチオニストからの命令のいいなりになるカバリストでした。
フルフォード、たき
マリアは誰と関係をもったのですか?コブラ:聖書から消された人物がいます。おわかりでしょうが、イエスの生涯についてはたくさんの情報が、50%と言えるでしょうか、作られたものです。コブラ
今から13,509年前に、人類の意識レベルは最高峰を極めていたものが、アトランティス、ムー文明の滅亡とともに徐々に意識レベルが下降して行き、
1,509年前に最低レベルにまで落ち込みました。大摩邇
米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。http://oyoyo7.blog100.fc2.com/

徹底検索、堀進

ミタール・タラビッチの予言

ミタール・タラビッチの予言
ミタール・タラビッチ(1829年~1899年)の予言全訳
大きな戦争の後、世界各地に平和が訪れる。
いろんな新しい国々が誕生する。
黒、白、赤、黄色というような。国際的な裁判所(国連のこと)が作られ、国家が戦争をすることを許さなくなる。
この裁判所(国連)はすべての王(政府)の上に立ち正しい判断をくだす。
そして、憎しみと残虐性を愛と平和に変えるように努力する。
このような時代に生きるものはなんと幸運なことか。
しかし、しばらくすると、偉大な王(国家)や小さな王も裁判所(国連)への尊敬を失い裁判所をだまし、自分たちの好きなようにやるようになる。これが原因で多くの小さな戦争が始まる。そして何千人もの人々が死ぬが、それでも大きな戦争は起こらない。
イスラエルでもいくつかの戦争は起こるが、この地にも最終的には平和が訪れる。
これらの小さな戦争では兄弟同士が戦い、キスをして平和条約を結ぶが、憎しみは残る。
これらの小さな戦争は大きな国家(アメリカやソ連)によって引き起こされたものだ。
なぜなら、これらの大きな国家は悪意に満ちているからである。
そして相互に戦うはめになる国々は、自らの盲目的なバカさから戦うのである。
わが国(セルビア)では平和と繁栄の時期が長く続く。
何世代も人々は平和な時代に生き、人生を終わる。
戦争のことを人々は、知識を収めた本や証言、そして奇妙な装置を通して知る。(テレビのことか?)
わが国(セルビア、ユーゴスラビア)多くの人々に愛され尊敬される。
人々は白パンを主食とし、黒パンは欲しいときにしか食べない。
人々は牛が引かない車(自動車)に乗る。
そして空を飛んで旅をし、タラ山の2倍ほどもある高さから下を眺めるようにもなる。
セルビアは、青い目の白い馬に乗った人物が統治するときにもっとも繁栄する。
この人物はセルビアに新しい宗教のようなものを持ち込む。
彼は権力の頂点に上り、100歳に近い年齢まで健康に生きる。
彼は狩りの愛好者だが、狩りの途中で誤って落馬し、足を切断する。
この傷が原因で彼は死ぬ。年齢からではない。
彼の死後、国は一種の連邦制によって統治されるが、かつてのような状態には戻らない。わが国の国民は惨めさと飢えを忘れ、豊かさの中で暮らしているが、国民は互いに悪意を抱き憎むようになる。
われわれの国(セルビア)や、彼らの国の国境の先には新しい国が生まれる。新しい国々は雨後のタケノコのように誕生する。
そうした国々はもともと良心的で誠実だが、われわれの憎しみには憎しみをもって応える。これらの国々は、互いに兄弟でもあるかのようにめんどうを見合う。しかしわれわれ(セルビア人)は気が狂ったようになり、自分たちは全知全能でありなんでもできると信じ、彼らに自分たちの信念を強制する。だが、こうしたことはすべて無駄に終わる。なぜなら、彼らは自分たちしか信頼しないからだ。その後、これが原因となり大きな問題が起こる。だが、わが国(セルビア)は勇敢だ。
何年もこの問題は続くが、だれも止めることはできない。
なぜなら、雨後のタケノコのように新しい国々は次から次にできるからだ。
あなた(叔父の神父)の死後何十年もたってから生まれる指導者は、誠実で知的な人物だ。
この人物はこうした新しい国々と平和的な関係を結ぶ。
彼らは向こう側に、われわれはここと向こう側に住む。われわれは平和に暮らす。
父さん、第二の大きな戦争の後、世界が平和になり人々が豊かに暮らすようになると、それがすべて幻想であることがはっきりする。なぜなら、人々は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。でも父さん、神の意志からみると人間の知性なんてあまりにとるにたらないものだ。神が海なら、人間の知性なんて一滴の海水にもならないくらいだ。
人間はさまざまなイメージが見える箱のような装置を作る。この箱を介して私にコミュニケートしようとしても無駄だ。
このとき私はすでに死んでいるのだから。
でも、このイメージの箱は、向こう側の世界(死者の世界)にとても近いところにある。
それは、髪の毛と頭皮との距離くらいに接近している。
このイメージ装置のおかげで人々は世界中で起こっていることを見ることができるようになる。
人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える金を掘り出す。
そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ金と光が存在するからだ。
地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。
人々は畑で働くのではなく、正しい場所や間違った場所などあらゆる場所を掘削する。
だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。
エネルギー源は
「見えないの?あなたの周囲にある。私をとって」
などと言うことはできない。
長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。
このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。
だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。
高い教育を受けた人々が現れる。
彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。
彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。
だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。
この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。
人間は、何も知らないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをする。
東洋に賢者が現れる。この人物の偉大な教えは大海と国境を越え世界に広がるが、人々はこの真実の教えをウソと決め込み、あまり長い間信じることはない。
人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。
人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。
ここセルビアでも世界の他の地域と同様である。
人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係のもとで見えなくなってしまう。
だれも彼らを強制するわけではない。
人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。
ここクレムナでは、多くの畑が牧草地となり、多くの家が放棄される。
でもこの地を離れたものは、きれいな空気で自分を癒そうとまた戻ってくる。
セルビアでは男と女を区別することはできなくなる。みんな同じような服装になるからだ。
災いは海外からやってくるが、それはわれわれの間に長くとどまることになる。
新郎は花嫁をめとるが、だれがだれなのか分からなくなる。
人々は自分自身が分からなくなり、なにも感じなくなる。
多くの男は、自分の祖父や曾祖父がだれなのか知らない。
人間は自分がすべて知っていると思っているが、実はまったくなにも知らないのだ。
セルビア人は互いに分裂し、自分たちはセルビア人ではないと言い張ることになる。
邪悪なものたちがこの国を支配し、セルビア人の女性たちと寝床をともにする。
セルビアの女達は邪悪なものたちの子を身ごもるが、この子供たちは、世界が始まって以来、セルビアではもっとも劣った子孫となる。
虚弱なものだけが生まれ、真のヒーローが生まれることはない。
ある時期、われわれはセルビアの地から去ることになる。
われわれは北に行くが、そこでこれが馬鹿な行いであったことに気づき、もといたセルビアの地に戻ってくる。
戻るやいなや、賢くもわれわれは邪悪なものたちを追い払い、彼らを二度と見ることはなくなる。
世界中で奇妙な伝染病が蔓延する。だれもその治療法は分からない。
だが、みな
「私は高い教育があり、頭がいいから治療法は分かっている」
と言い張るが、だれもなにも知ってはいない。
人々は考えるに考えるが、正しい治療法を見つけることはできない。
だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。
人間は他の世界(惑星)に旅行するが、そこでは生命が存在しない砂漠を発見するだけである。
神よ、許したまえ。
彼らは自分たちが神よりも全知全能であると信じているのです。
そこでは神が創造した静けさだけがあるが、心の底では人々は神の美と力を見るのである。
月や星では人々は馬車のようなものを運転する。
彼らは生物を探すが、われわれに似た生物は見つかることはない。
生命はそこに存在しているが、彼らはそれが生命であることを理解しないし、知ることもない。
他の星に行ったものたちは、この時代の常識的な考えとして神をまったく信じていないが、地球に戻ってきたあと、
「みなさんは神の存在を疑っているだろうが、私の行ってきた世界に行ってごらんなさい。神の意志と力を見ることになる」
と言うだろう。
知識が増大するにつれ、彼らは互いを愛したり心配したりすることはなくなる。
彼ら相互の憎しみはあまりに大きく、彼らは自分の親戚のことよりも、自分たちのもっている所有物や小物のことを気にかける。
人々は、自分の隣人よりも、自分がもっているいろいろな機械や装置のほうを信頼する。
北方にある国の国民で、愛と慈悲を人々にといてまわる小男が現れる。
しかし、彼の周囲には多くの偽善者がおり、多くの浮き沈みを経験する。
こうした偽善者のだれも人間の真の偉大さとはなにかを知ろうとはしない。
だが、この人物の書いた本と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っていたのか気づくようになる。
多くの数字が書かれた本を読んだり書いたりするものが、自分たちがもっともよくものを知っていると考える。
これらの教育のある人々は、自分の人生を計算に基づいて送ろうとし、数値の命ずるままに行動する。
こうした人々の中にも悪人と善人が存在する。悪人は悪い行いする。彼らは空気と水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で突然と死ぬようになる。
善人で賢いものたちは、彼らの努力にはなんの価値もなく、ただ世界を破壊するだけであることを悟り、数字に答えを見いだすのではなく、瞑想を通して真実を発見しようとする。
彼らが瞑想すると神の知恵に近付いて行く。
だが、ときはすでに遅すぎた。
悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、巨大な数の人々がすでに死にはじめているからである。
人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。
人々は十字が三つ並んだ山を探す。
その中では人々は息をすることができ、水も飲むことができる。
この中に逃げ込んだものたちは、自分も家族もともに救うことができる。
だが、それは長くは続かない。なぜなら、すごい飢饉が襲うからだ。
町や村には十分に食べ物がある、
だが、それらは汚染されている。
飢えた人々はそれを食べるが、食べたとたんに死んでしまう。
早く死んだものたちこそ逆に生き延びるのだ。
なぜなら、聖霊に助けられ神に近付くことができるからだ。
もっとも怒ったものたちが、もっとも強大で恐ろしいものたちを攻撃する。
このひどい戦争を空で戦うものたちには大変な災いとなる。陸上や海上で戦うものたちのほうがまだましだ。
この戦争を戦うものたちは、科学者に奇妙な大砲の弾を作らせる。
それが爆発すると、人を殺すのではなく人間や動物に呪いをかける。
この呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこむ。
セルビアはこの戦争に参戦することはない。だが、わが国の上空で別の国の軍が戦う。
ポゼガという町の近くで、空から焼け焦げた人々が落ちてくる。
世界の果てにあり、大海原に囲まれ、ヨーロッパくらいの大きさの国だけがなんの問題もなく平和に生き残る。
この国では大砲の弾はひとつも爆発することはない。
三つの十字のある山に逃げ込んだものたちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。
なぜならもう戦争は起こらないからである。

ヤスの備忘録2.0 歴史と予知、哲学のあいだ
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-162.html#comment13974







番外編5 ミタール・タラビッチの予言全訳
2010年2月19日
今回はなんとか一週間以内で更新できた。いつもこのくらいのペースで更新したいものである。
今回はいつもとは異なり、予言から解説した。
最近、アメリカのネットテレビやネットラジオで、占星術の大御所といわれる人々が複数登場し、
今年の星の配置とともに予言を行った。
ところで、欧米での占星術師の地位は高い。中には大学院の博士課程の卒業者も多い。
非常に興味深かったのは、流派が異なる占星術師たちがみんな同じことを予言していたことである。
それは、今年の6月26日の月食から7月いっぱいにかけて大変な変動期に入るということである。
その詳しい描写はこのブログでなんども紹介したウェッブボットの
「2009年地獄の夏」
の描写とそっくりであった。
この夏になにかあるのだろうか?その可能性を現在の世界経済の状況などを通して検討してみた。
この占星術師たちの予言の結果に関しては、近いうちにこのブログで詳しく解説するつもりである。
メルマガの読者は合わせて読むとよいと思う。
今回はミタール・タラビッチの予言の全訳を掲載する。
全体を分かりやすくするために、前回の分も一緒に掲載し、一続きの記事とした。
19世紀の半ばに行われたとは思えないほどの臨場感のある予言だ。
旧ユーゴスラビアのチトー大統領の死後、特に1990年以降、ユーゴスラビアは
セルビア、
スロベニア、
クロアチア、
モンテネグロ、
マケドニア、
ボスニア・ヘルツェコビナ
などの小国に分裂し、セルビアの民族主義政権の暴政から内戦状態となったが、そうした状況が実によく説明されている。
「新しい国々は雨後のタケノコのように誕生する。
そうした国々はもともと良心的で誠実だが、われわれの憎しみには憎しみをもって応える。
これらの国々は、互いに兄弟でもあるかのようにめんどうを見合う。
しかしわれわれ(セルビア人)は気が狂ったようになり、自分たちは全知全能でありなんでもできると信じ、彼らに自分たちの信念を強制する」
ところで、タラビッチのこの予言が初めて英語に翻訳され、ネットで公表されたのは、コソボ紛争が勃発した1999年のことである。この時の翻訳者は脚注で非常に興味深い指摘をしている。いまそのサイトはなくなっているが、幸いにも筆者はだいぶ以前にサイトをコピーし保存していた。それは以下のような脚注であった。
※彼らは向こう側に、われわれはここと向こう側に住む
これは1999年のクロアチアの状態だろう。タラビッチが「彼らは向こう側に、われわれはここと向こう側に住む」というとき、「彼は」を「クロアチア人」、「われわれ」を「セルビア人」と理解すると「クロアチア人」は「クロアチア」に住み、「セルビア人」は「セルビアとクロアチア」に住むということになる。
※多くの数字が書かれた本
これはコンピュータのプログラミングのことではないのだろうか。
※三つの十字のある山
「三つの十字」とは核シェルターの扉のように見える。核シェルターの扉には、これを開けるためのハンドルがついており、それは十字のように見えるからだ。するとこの「山」は核シェルターのことであろう。
※世界の果てにあり、大海原に囲まれ、ヨーロッパくらいの大きさの国
これはおそらくオーストラリアのことであろう。

ヤスの備忘録2.0 歴史と予知、哲学のあいだ
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-162.html#comment13974








2012年05月04日
ロシア軍の最終兵器: 通常の人間を超人にするサイコジェネレーターや細胞の電極に作用する周波数兵器

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/268475807.html



ミハール・タラビッチ(Mitar Tarabich / 1829年~1899年)。
ミハール・タラビッチの予言より。
人々は十字が三つ並んだ山を探す。その中では人々は息をすることができ、水も飲むことができる。この中に逃げ込んだものたちは、自分も家族もともに救うことができる。だが、それは長くは続かない。なぜなら、すごい飢饉が襲うからだ。
町や村には十分に食べ物がある、だが、それらは汚染されている。飢えた人々はそれを食べるが、食べたとたんに死んでしまう。早く死んだものたちこそ逆に生き延びるのだ。なぜなら、聖霊に助けられ神に近付くことができるからだ。もっとも怒ったものたちが、もっとも強大で恐ろしいものたちを攻撃する。このひどい戦争を空で戦うものたちには大変な災いとなる。陸上や海上で戦うものたちのほうがまだましだ。この戦争を戦うものたちは、科学者に奇妙な大砲の弾を作らせる。それが爆発すると、人を殺すのではなく人間や動物に呪いをかける。この呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこむ。三つの十字のある山に逃げ込んだものたちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。なぜならもう戦争は起こらないからである。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/268475807.html




ちなみに、今回翻訳したものに出てきたソ連時代の兵器は、
・人間の細胞の2つの電極に作用して相手を殺す特定の周波数を出す電磁波兵器
・広大な範囲の水を人間の飲料に適さないものににする波動装置
・動くものすべてを止める「死のジェネレーター」という装置
・普通の兵士を「スーパー兵士」にする脳へのジェネレータ。これは精神も高めて、その兵士に「武士の魂」を与える。
あたりのようです。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/268475807.html