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[年表] 百済王修正年代

[年表] 百済王修正年代
半年一年暦から中国暦へ
日本古代は半年で1年と数える暦を用いていたようである。
朝鮮半島の百済及び新羅も半年一年暦を用いていたと思われる。
明らかに同世代とわかる
日本の神功皇后、
百済の近肖古王、
新羅の奈勿王
から7世代前が百済の始祖温祚、8世代前が新羅の始祖赫居世である。
日本の天皇と照合すると、
温祚が第6代孝安天皇、
赫居世が第5代孝昭天皇
と同世代となる。
三国史記では、温祚はBC18年、赫居世はBC58年即位となっている。
百済、新羅も半年一年暦を用いていたためにこのずれが生じたと考えられる。
新羅・百済の実態
しかし、新羅本紀の伝承に修正すべきところがみつかっている。
うみのさわら氏「邪馬台国と大和朝廷を推理する」より
第一の定点は、8代阿達羅(あたら)尼師今(にしきん)の20年の記事です。
そこには、倭の女王卑弥呼が使者を派遣して来訪させたとあります。
初めこの記事を信用して、年代修正をしました。
すると、16代訖解(きっかい)尼師今の310年から中国暦を採用したことになりました。
この場合、卑弥呼の記事を173年から242年に修正することになりました。
ところがこの修正にはあとで問題が発生しました。
第二の定点は、15代基臨(きりん)尼師今の3年の記事です。
そこには、楽浪・帯方の二国(二郡)が服属してきたとあります。
この記事が、二郡からの難民の流入を示すとすれば、314年以後のことと理解できます。
この記事に着目して年代修正すると、17代奈勿(なもち)尼師今の356年から中国暦を採用したことになりました。
この場合二郡からの難民の移住は328年のことになって、無理がありません。
しかし第一の定点では、難民の移住は305年になって、不自然です。
また、第二の定点による修正では、卑弥呼の記事は265年になります。
この年は魏が滅んで晋に変わった年で、女王台与が晋に朝貢した前年にあたります。
これは一見無理のようですが、卑弥呼を台与の誤りと見れば、問題がなくなります。
したがって二つの定点のうち、第二の定点が正しいと思われます。
 新羅の王家には三つの姓があります。初めは朴氏の王がいましたが、次に昔氏の王が現れました。
そして17代奈勿(なもち)尼師今からは金氏の王が続きます。この昔氏から金氏への変わり目が、
半年暦から中国暦への変わり目にもなっています。この年代修正によれば、新羅の建国は150年後半です。
新羅は地理的には中国から遠いのですが、準王や徐福の例もあるように、昔から中国方面からの移住者が多いところです。
「新羅本紀」の3代儒理尼師今の14年の条によれば、高句麗の3代大武神王が楽浪を滅ぼしたので、
その国人五千人が新羅に投降したと書かれています。紀年を修正すると、この年は197年になります。 

古代史の復元
http://www.geocities.jp/mb1527/N1-02-1nendaisuitei.html
http://www.geocities.jp/mb1527/mokuji.htm










百済王修正年代
百済本紀 修正
即位 退位 在位 即位年 退位年 在位年
1 1 温 祚 -18 28 47 163.5 186.5 23
2 2 多 婁 28 77 50 186.5 211 24.5
3 3 己 婁 77 128 52 211 236.5 25.5
4 4 蓋 婁 128 166 39 236.5 255.5 19
5 5 肖 古 166 214 49 255.5 279.5 24
6 6 仇 首 214 234 21 279.5 289.5 10
7 7 沙 伴 234 234 1 289.5 289.5 0
8 5 古 爾 234 286 53 289.5 315.5 26
9 6 責 稽 286 298 13 315.5 321.5 6
10 7 汾 西 298 304 7 321.5 324.5 3
11 7 比 流 304 344 41 324.5 344.5 20
12 8 344 346 3 345 346 1
13 8 近肖古 346 375 30 346 375 29
14 9 近仇首 375 384 10 375 384 9

予知情報 ティブルティーナの巫言

2015/11/25
「ティブルティーナの巫言」  
 シャルルマーニュ(カール大帝)気取りのオランドを逮捕せよ!!
ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1087.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1081.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1057.html
by 草野巧
世界最終皇帝とは、いかにもかっこよさそうな呼称である。
個人的には、この呼称だけでも十分に語るに値すると思うが、これはヨーロッパ中世の伝説に登場する、終末論的な英雄である。
世界最終皇帝について語っている最も古い資料は、「ティブルティーナの巫言」で、四世紀中ごろに出現したという。*
管理人注:
ティブルティーナの巫言 その1
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51354998.html
ティブルティーナの巫言 その2
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51355383.html
*詩編68:31:「青銅をエジプトから持ちきたらせ、エチオピヤには急いでその手を神に伸べさせてください」(日本聖書協会1955版)
関連記事:反キリストの権化「不法の人」の正体を暴く
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1081.html
ティブルティーナの巫言 その3
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51357656.html
後は以下参照
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/2007-01.html
(* このことは、マージョリ・リーヴス著『中世の預言とその影響・ヨアキム主義の研究』大橋善之訳(八坂書房)などに書かれているのだが、その翻訳者である大 橋氏のブログには、ティブルティーナの巫言に関して、「どうやら〈世界最終皇帝〉という観念は後代の改竄嵌入(とはいえそれもいまだ正確に時代を特定でき るようなものではない模様です)とされ、もともとはなかった観念だとか。」と書かれている。しかし、ここではその種の事実関係は問わないことにする。)

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1087.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1081.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1057.html
http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83m%83X%83g%83%89%83_%83%80%83X&inside=1&x=0&y=0

タマちゃん
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-144.html
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-14073.html





ティブルティーナの巫言 1
2007/01/01 22:09
本図は〈O∴H∴西洋魔術博物館〉からたいせつな画像をお借りしたものです。江口館長のご高配に多謝。
この本家博物館にはオトリー・コレクションの全貌が紹介されています。その図版24。
図版下のキャプションに「ティブルティーナの巫女の預言」とあるのを見たときからずっと気になっていたもので…
ともあれ、〈ティブルティーナの巫言〉とは何か。とはいえ、その原型(4世紀ギリシャ語で録され、たちまちラテン語に訳された?散逸した巫言?)を求めるのがここでの目的ではありません。どうやら〈世界最終皇帝〉という観念は後代の改竄嵌入(とはいえそれもいまだ正確に時代を特定できるようなものではない模様です)とされ、もともとはなかった観念だとか。
ここで、伊藤博明著『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』(ありな書房1992)の要を得た説文を拝借しましょう。
「中世はまた、このティブルのシビュラの名を冠した新しい託宣集を生み出した。
この託宣集については、130以上(うち13世紀のものが30)のラテン語写本が現存しており、いかに広く受容されていたかが知られる。
さらにギリシア語版、エチオピア語版、アラビア語版も発見されており、その起源と伝播については多くの議論がある。
マッギンによれば、託宣集のギリシア語原典は、4世紀に、古典的なユダヤ=キリスト教的伝統が残存していたシリアで成立したとされる。
ラテン語版は、シビュラが自らについて簡潔に説明することから始まっている。
それによれば、シビュラはプリアムとヘクバの娘で、世界を彷徨ったのち、トラヤヌス帝によってローマへ招かれた。
それは、100人の元老院議員全員が見た、天空に輝く九つの太陽の夢を解釈するためであった。
シビュラは元老院議員たちに向かって、「あなたがたが見た九つの太陽は、すべて未来の世代(generationes)を示しています」と述べる(ed.Sackur, p.179)。
第一と第二の太陽は善き世代を、
第三の太陽はローマ内の騒乱を示し、
第四の世代にキリストが降誕する。
第五の世代に、キリストは二人の漁師を選んで、人々にたいして説教するように遣わす。
第六の世代に、「かの都市」(エルサレム)が三年半にわたって攻囲される。
第七の世代に、二人の王がヘブライの地で迫害を行なう。
そして第八の世代に、ローマに致命的な災いが生じる。
ここまでは、いわゆる「事後の予言」であり、第九の世代に関するものが真正の「未来の予言」となっている。それは、世界の終末と「最後の審判」を歌うものである。
まず、最後の世界皇帝コンスタンスが出て112年間統治し、全世界をキリスト教化してゴグとマゴグを打ち破る。
その後にアンチ・キリストが現われて酷い迫害を始め、エノクとエリヤを殺害する。
しかし彼も大天使ミカエルによって滅ぼされる。
そして、ラテン語版は、「審きのしるしとして...」で始まるアクロスティックの引用をもって終わっている。
この特異なテクストは11世紀に主要なラテン語版が成立し、12世紀には広く受容された。オータンのホノリウス(Honorius Augustodunensis)は『魂の宝石』(Gemma animae, III, 134)において、またソールスベリーのヨハネスは『ポリクラティクス』(Policraticus, II, 15)において、それぞれ言及している。さらにこのテクストは、著者としてベーダ・ヴェネラビリス(Beda Venerabilis, c.672-735)の名を冠され、『シビュラの言葉の解釈』(Sibyllinorum verborum interpretatio)という題の論考として流布していた。」
(上掲書pp.68-69)

ヘルモゲネスを探して
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51354998.html
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51355383.html
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/51357656.html
http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/2007-01.html






フィオレの大修道院長ヨアキム
マージョリ・リーヴス著『中世の預言とその影響・ヨアキム主義の研究』大橋善之訳(八坂書房)
内容(「BOOK」データベースより)
聖なる幻視者か、異端の贋預言者か?中世後期、終末論的な預言の数々とともに繰り返しその名を囁かれた「フィオレの大修道院長ヨアキム」とは誰だったの か?
真筆を峻別し、精妙に構築されたその歴史神学を読み解く一方、それを核として紡ぎ出されたアンチキリスト、世界最終皇帝、天使的教皇をめぐるさまざま な奇想に、人びとの情念の歴史をたどる記念碑的労作。『形象の書』『教皇預言集』をはじめとする貴重な図版も多数収載。
内容(「MARC」データベースより)
中世後期、繰り返しその名を囁かれた「フィオレの大修道院長ヨアキム」とは誰だったのか。歴史神学を読み解く一方、それを核として紡ぎ出されたさまざまな奇想に、人々の情念の歴史をたどる。貴重な図版も多数収載。
その「ティブルティーナの巫言」が語るのはおよそ以下のような預言だった。
『千年王国の追及』ノーマン・コーン著・江河徹訳から引用しよう。
「それは、ローマが捕われの身となり、暴君たちが貧しき民、罪なき者を苦しめ、罪深き者を保護する〈悲しみの時〉の到来について語っている。
しかしやがて、コンスタンスと呼ばれるギリシアの皇帝があらわれ、その支配の下で帝国の東西領土が統一されるというものである。
容姿端麗で顔は輝き、背は高く均整がとれ、威風堂々たる風采をしたコンスタンスが112年間(もしくは120年間)天下を統治する。
その間は豊穣の時代 で、油、酒、穀物がおびただしく採れ、かつ安価に手に入る。
それはまたキリスト教が最後の勝利をおさめる時代でもある。
皇帝は異教徒たちの都市を荒らし、 偽わりの神々の神殿を毀つ。
また異教徒たちを召喚してキリスト教の洗礼を授け、改宗を拒む異教徒たちを剣によって滅ぼす。その長期にわたる統治の終りにあ たっては、ユダヤ人も改宗し、このことの起こるに際しては、聖書が栄光に輝きわたるのである。
22人のゴグとマゴグがばらばらに分身して、海の砂子のよ うにおびただしい数になるが、皇帝は軍勢を呼び集めて、彼らを皆殺しにする。
任務を果たしおえると、皇帝はエルサレムにおもむきそこで帝冠と帝衣を脱いで ゴルゴダの丘に置き、キリスト教国を神の御手にゆだねる。
ローマ帝国は、この黄金時代と同時にひとつの終止符を打つことになるが、すべてのものの終りに先 立って、短いながら試練の時が残されている。なぜなら、このとき、反キリストがあらわれて、エルサレムの神殿において天下を治め、奇跡を行なって多くの 人々を欺き、欺きに乗せられない人々を迫害するからである。主は、選ばれた人々のためにこの期間を短縮し、反キリストを滅ぼすために大天使ミカエルを派遣 する。かくして遂に、主の再臨の実現する道が開かれるのである。」
世界最終皇帝に関する似たような伝説は、7世紀終りに東ローマ帝国で 書かれた『偽メトディウス』でも語られている。
「ティブルティーナの巫言」ではなく、この書こそが世界最終皇帝について語った最古の書だという説もある。 それはともかく、その内容は以下のようなものである。再度、『千年王国の追及』から引用しよう。
「その冒頭部分はエデンの楽園の始めから アレクサンドロスの時代に至る世界歴史の概観に始まっているが、それから一挙に著者自身の時代に下ってくる。やがて到来することの預言という体裁をとり、 かつてギデオンに敗北して砂漠の国へ追いはらわれたイシマエル部族が、ふたたび来寇してエジプトからエチオピア、ユーフラテス河からインドへとまたがる地 域を荒らしまわるさまを描いている。これらの遊牧民はむろんイスラムの攻撃軍に味方し、キリスト教徒たちはしばらくの間彼らに服従してその罪を罰せられ る。イシマエル人はキリスト教の司祭たちを殺し、聖地を汚し、力や策略をもって多くのキリスト教徒をそそのかして真の信仰から離脱させ、またキリスト教徒 の国を次々にかすめ盗り、キリスト教徒は永遠にわれらの手中に落ちたと豪語する。
しかし――ここで初めてこの預言は未来世界に一歩を踏み入れる ことになるが――状況がさらに一段と悪化したそのとき、人々が長い間亡きものと思っていた一人の強き皇帝が、眠りをはらい除けて憤然と立ち上がる。
彼はイ シマエル人を打ち破り、火と剣をもって彼らの国を破壊し、かつて彼らがキリスト教徒の首にかけた軛(くびき)の百倍も重いものを彼らの上にかけ、また主を 拒んだキリスト教徒たちにも怒りをぶちまける。
それに続いて平和と歓喜の時代が訪れ、その間、この偉大な支配者の下で統一を達成した帝国は未曽有の繁栄を とげる。
しかしやがてゴグとマゴグの大軍が殺到し、全世界に恐怖と恐慌をもたらすので、神は天の軍勢の指揮者を派遣し、またたく間に討ち滅ぼさせる。
皇帝 はエルサレムにおもむき、そこで反キリストの出現を待つ。
その恐るべき事態が発生すると、皇帝はゴルゴダの丘の上の十字架に帝冠を架ける。
するとその十字 架は天に向かって舞いあがる。
かくて皇帝は戦死し、反キリストが天下を統治しはじめる。
しかし間もなく、十字架が人の子(キリスト)のしるしとして再び天 に現われ、キリストが自ら雲に乗り、権力と栄光につつまれながら天下って、その口の息をもって反キリストを殺し、最後の審判を行うのである。」
これらの伝説からうかがえるのは、まさに小型メシアのような世界最終皇帝の姿である。
なぜ「小型」なのかといえば、世界最終皇帝によって平安と繁栄が成就されることは確かだが、それは一時的なものであり、その後に、アンチキリストの支配す る邪悪な時代が来るとされているからである。
つまり、世界最終皇帝がいかに待望された存在だったとしても、アンチキリストにはかなわないのであり、その力 の大きさにおいて、本物のメシアとは全く異なるものだからである。
だが、たとえそうだったとしても、こうして歴史の中に登場した世界最終皇帝の伝説は、中世ヨーロッパの人々に広く受け入れられることになった。
そして、フランスにおける《第二のシャルル・マーニュ》、ドイツにおける《復活するフリードリヒ二世》のような新たな世界最終皇帝の伝説が誕生し、人々に熱狂的に語られることになったのである。
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、十一世紀から十六世紀にかけてヨーロッパの根無し草的な貧民のあいだにあらわれた千年王国の幻想とその背後の中世社会を描いている。ユダヤ教や初期キリスト教、あるいは十三世紀の修道院フィオレのヨアキムや異端的神秘主義者たちから受けつがれた千年王国信仰が、預言者やメシア、宗教的セクトを媒介にして、現世での楽園を求める民衆のエネルギーや想像力とどのように結びついたかを、本書はドラマティックに再現する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
コーン,ノーマン
1915年、ロンドンに生まれる。1933‐39年までオックスフォード大学クライスト・チャーチの研究員をつとめ、戦後、イングランド、アイルランドの諸大学で教鞭をとる。元サセックス大学教授。1968年に人種関係問題でアニスフィールド・ウルフ賞を受賞。2007年没
江河/徹
1926年、大分県日田市に生まれる。1962年東京都立大学博士課程修了(英文学専攻)。立教大学、フェリス女学院大学各名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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