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ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』~168人のスペイン軍が8万人のインカに勝利できた理由

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』~168人のスペイン軍が8万人のインカに勝利できた理由
外出自粛中に『銃・病原菌・鉄』を読んで分かった 人類史における「新型コロナ」の異様な恐ろしさ
5/2(土) 11:00配信
ジャレド・ダイアモンドによる異色の歴史書『 銃・病原菌・鉄 』。新型コロナウイルスの感染拡大を前に、この世界的ベストセラーを再び手に取る人が増えているという。本書に綴られた「人類とウイルスの歴史」から、“コロナ時代”を生きる私たちが学べるものとは――。大阪大学医学部教授で病理学の専門家、仲野徹氏が紹介する!
■『銃・病原菌・鉄』
『銃・病原菌・鉄』、いわずとしれた、ピューリッツァー賞に輝いたジャレド・ダイアモンドの名著である。
ニューギニア人であるヤリの「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」という問いに答えるべく書かれたこの本。人類1万3000年の歴史について、人類学、地理学、遺伝学だけでなく、植物学や言語学も駆使して、文字通り縦横無尽に論が展開されていく。
畢生の名著が快刀乱麻を断つがごとく導き出す結論は極めて明快である。世界における文明発祥の違いや現代世界における富と権力の不均衡を生み出したのは、「人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」ということだ。
さらに、「人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史」であったとする。そのことを説明する顕著な例としてあげられているのが、スペイン人フランシスコ・ピサロによるインカ帝国の征服だ。文字を読むことすらできなかったピサロが、ならず者の部下といっしょに、いかにしてそのような「偉業」を成し遂げることができたのか、その答えが、タイトルの『銃・病原菌・鉄』である。
■168人の軍勢で8万人に勝利できた理由
1532年、ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会った時、一瞬といっていいほどの時間で、その勝負に決着がついた。何百万の臣民を抱える皇帝アタワルパの率いる兵士は8万人。それに対するピサロの軍勢はわずか168人にすぎなかったにも関わらず、あっという間にアタワルパが捕らえられてしまったのだ。
インカの人びとがそれまでに見たこともなかった動物である馬の突撃、銃による攻撃のインパクトが大きすぎて、驚きのあまり逃げ惑うしかなかったのだ。そして、武器を作り出す素材の違い。インカには石や青銅で作られた棍棒のような武器しかなかったが、ピサロ軍団は鉄製の武器を持っていた。勝負にならなかったのは当然だ。ちなみに、鉄や銃は、ユーラシア大陸において、その地の利から発明され伝播されたものである。
しかし、インカ帝国を滅亡に導いた最大の要因は、もうひとつ別のものであった。
■「人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
それは天然痘。
「ヨーロッパからの移住者たちが持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を拡大するより速い速度で南北アメリカ大陸の先住民部族のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
のであるから、そのすさまじさがわかろうというものだ。
これで、銃、病原菌、鉄が出そろった。こまかいことをいうと、天然痘はウイルスによるものだから、病原「菌」ではない。原題は、「Guns, Germs, and Steel」で、Germsに「病原菌」という訳語があてられている。germというのは、日本語でいうとバイ菌といったところなので概念としては細菌とウイルスの両方を含んでいるということを、ダイアモンドの名誉のため(?)に言っておきたい。
ことほどさように、人類は新規の病原体に弱いのだ。天然痘のように病原性の強いウイルスならばなおさらだ。ただ、インカ帝国は天然痘ウイルスのせいで滅亡してしまったが、最終的に人類は天然痘ウイルスに打ち勝った。これまでに、地球上から撲滅された唯一の感染症が天然痘だ。いまやそのウイルスは、ロシアと米国の研究所の冷凍庫の中にしか存在しない。
■感染症を撲滅するには“三つの条件”が必要 
天然痘を撲滅できた最大の理由は、言うまでもなく種痘(=天然痘ワクチン)の開発である。18世紀の終わりに英国のエドワード・ジェンナーが開発した種痘は世界中に広まった。そして、1977年のソマリア人青年アリ・マオ・マーランを最後の自然感染の天然痘患者にして、世界保健機関(WHO)が3年後の1980年に撲滅を宣言した。
ある感染症を撲滅するには、三つの条件が必要である。ひとつはもちろんワクチンの存在。あとのふたつは、不顕性感染(症状を呈さない感染)がないことと、ヒト以外に宿主がない、すなわち、ヒト以外には感染しないことだ。逆に考えると、この三つの条件を満たさない場合は、やっつけるのに骨がおれる、ということになる。
なぜ新型コロナウイルスは厄介なのか?
新型コロナウイルス、本名SARS-CoV-2という。CoVはコロナウイルスの略で、SARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルス(SARS-CoV)に似たウイルスという意味である。その新型コロナウイルスは、いまのところワクチンはない。不顕性感染はおそらくかなり多い。そして、これも確証はないが、コウモリのウイルスが起源ではないかとされている。三拍子そろって厄介なウイルスなのだ。
知らない間に、そのウイルスに対する免疫能を獲得できるのだから、一般論としては不顕性感染が多いというのは、決して悪いことではない。しかし、新型コロナウイルスのように、死に至る重症化率が高い場合は大きな問題になる。不顕性感染の患者が、知らない間にウイルスをばらまいている可能性が出てくるためだ。だから、“三つの密”の回避が必要になる。
■最も恐ろしいのは「情報の欠如」だ
インカ帝国の滅亡には、もうひとつ大きな理由があった。それは、情報不足である。インカ帝国には文字がなく、紐の結び目で記録するキープという方法しかなかった。なので、ピサロたちについての正確な情報が、アタワルパに伝わっていなかった。馬、鉄の武器、銃について、前もって情報を得ていたら、恐怖のためにひたすら逃げ惑うようなことはなかっただろう。一方のピサロは文字が読めなかったが、読み書きのできる部下たちからインカ帝国の状況について適切な情報を得ていた。
新型コロナウイルスの最も恐ろしいところは、その情報の少なさである。いまだに、どこからやってきたのか、不顕性感染がどれくらいの率なのか、ちゃんと免疫能が獲得できるのか、など、不確定なことが多すぎる。情報の欠如と、それによる人心の惑いがいかに恐ろしい結末をもたらしてしまうか。我々はアタワルパの悲劇から学んでおいたほうがよさそうだ。
天然痘は新大陸に新しい「秩序」をもたらした。新型コロナウイルスが恐ろしいとはいえ、天然痘の爆発的な感染力と病原性の強さには比ぶべくもないし、時代も違う。それでも、新型コロナウイルス後の世界秩序は大きく違ったものになるだろう。その時、すこしでも良い世界が訪れるように、個人としてできることを考えておきたい。この緊急事態宣言で外出ができない退屈な毎日に。

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岩屋弥次郎伝説~朝鮮支配~信玄,謙信,秀吉,家康の父

岩屋弥次郎伝説~朝鮮支配~信玄,謙信,秀吉,家康の父
日本歴史上から抹殺された巨大な偉人
書庫:歴史から消された偉人
2013/12/14(土)午後10:08
岩屋梓梁こと弥次郎は、明応六年(1497)正月、薩摩国伊集院神殿に生まれ、俗称・橋口弥次郎左衛門兼清、憎名を岩屋梓梁といったが、
背高十尺、容貌魁偉、頭上右鬂(びん)に三寸ほどの高さの肉腫(角)がおっ立っていたため、当時の民衆から
「岩屋大天狗」「鼻天狗」「岩殿(いわどん)」「ヤジローどん」「金精様」「金屋様」「たたらぼっち様」
など多くの呼称で畏敬された。
岩屋梓梁は永正四年(1507)以来、十数回渡鮮して多くの書をなして弥勒天徳教(後の天道教)を説き、
仏教の再興、韓語(ハングル)の創出、易占(ムーダン、タンゴル、ジンバン)の普及など、想像を絶する多元的な文化興隆を図り、天文十三年(1544)には自分と朝鮮王女・玉珥(ギョクジ・ニ?)との間に生まれた清茂を王(仁宗)に擁立するなど多くの事績を遺した。
岩屋梓梁は、朝鮮を支配した余勢を駆って、薩摩人の武力と朝鮮人の文化、経済力を駆使して、永正年代末期(1520年代)、時の室町幕府を衰退せしめ、
大永年代(1520年代)、『日本紀』(『日本書紀』)の編纂、『古事記』の自記、その他多くの古典を書いて易断政治の思想的根拠を固め、北はアイヌ族から南は琉球の果てに至るまで、神仏習合、祭政一致の易断教団政府を樹立し、
また、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康ら多くの英傑を子として残した。
天文十七年、弥次郎は、西方浄土を求めて、中国、天山山脈、タクラマカン砂漠、中東経由で地中海に達し、印度のゴアから切支丹宣教師フランシスコ・ザビエルを天文十八年八月十五日鹿児島に案内してきたが、
二人は同二十年秋、山口において、仏教と切支丹の宗教論争をして、終局的には、弥次郎が説く地動説の前にザビエルは敗退して印度へ帰ってしまったのである。
ところが、ザビエルが宗論において敗退したことに復讐すべき執念をもって、永禄六年(1563)に来日した宣教師ルイス・フロイスらは織田信長を
そそのかし、多くの武器、弾薬(硝石)、商船艦隊を提供して、それまで六十年続いてきた大阪石姫(いわひめ)山に籠もる易断政府(現在、石山本願寺の一向一揆として歪曲されている)を討滅せしめ、
あまつさえ、信長、秀吉、家康らに「蕃異人・岩屋梓梁が日本で天下を取った(易断政府)ということは日本国永遠の汚辱だ」
「日本歴史は波斯人(アラブ人)が書いたものだ」
「天皇に反逆した岩屋天狗は歴史から抹殺すべきだ」などと高言追及して、ついに武将たちをして、岩屋梓梁と易断政府の存在を歴史から抹殺せしめるに至ったのである。
とくに、秀吉と家康は、自らが取った天下の政権を子々孫々に永久に保持するためには、自分が、反逆者蕃異人の子であるという血の汚辱を歴史から隠蔽する必要があるとしたからである。
岩屋梓梁と易断政府の存在を歴史から抹殺するという政治工作の発端は、天正十五年(1587)六月十九日、秀吉が博多において発令した
「宣教師追放」と「岩屋梓梁抹殺令」に始まり、以後、易断政府に参画して政治を執行してきた神官、僧侶、惣、座、学問芸能などの支配者群の人々を、全国の特殊地域に「易断党」と称して隔離、幽閉して痛めつけ、その歴史、記録、伝承をはじめ、人々の心からその存在を消滅せしめんとしてきたのである。
明治維新時に、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛ら多くの英傑を生んだ鹿児島の鍛冶屋郷(現加冶屋町)もそういう特殊地域の一つで、鍛冶屋郷中士は、易断政府時代に、弥次郎を慕って全国から集まった易断精鋭分子の子孫だったのである。
しかし、全国に散在した大多数の易新党衆は、当時ユタ、ユッタと卑称された。
今も、奄美、琉球の南西諸島に実在しているユタ(巫女、その関係者の実数は約二千名とされている)はその名残であり、東北地方のイタコもユタを歪称(訛称)したものである。
薩摩西郷家のユタノン、ユタモンなる家筋もその語源は「易断者」であり、琉球士族のユカッチュなる呼称もその語源は「易断衆」なのである。
読書日記様から転載
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-656.html
管理人:
歴史というものは、世界また、日本においても例外なく常に勝者にとって時の権力者にとって都合の悪いものは抹殺し、書き換えられてきた事実がある。
ちなみに、wikiで「岩屋梓梁」を調べてみてもその名さえ出てこない。
「ヤジロウ」で検索してみると、僅かな記録しかなく、単なる日本で最初のキリスト教徒としか出てこない。
ザビエルを大和の国に招致したことなど一言も出てこない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%82%A6
如何に日本歴史上からその名を抹殺されたかが伺える。
「ヤジロウ」は、日本での弥勒下生運動の創始者としても知られ、その継承は古く西暦600年代に出羽三山を開山した蜂子皇子と、従兄弟の聖徳太子が表裏の関係として、「ヤジロウ」はその時の皇太子と表裏の関係として、裏天皇、裏神道として日本に多大な貢献をしたとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E5%AD%90%E7%9A%87%E5%AD%90
学校での歴史教育では、「朝鮮征伐」は「加藤清正」だったはずだが、その以前に既に「ヤジロウ」が朝鮮にその活動範囲を広めていた。
覇権ではなく、布教活動と捉えたほうが正解だろう。
驚かされるのは、当時既に「地動説」を説いていたことが本当ならちょうどその時期にコペルニクスが「地動説」を唱えたのとシンクロするが、交流があったのか、易断の技なのか、高度のインスピレーションを受け、バースビジョンで理解できたのか・・・実に興味深い。
蜂子皇子と岩屋梓梁に共通する事実は、どちらもアラブの血を受け継いでいたということであるが、これは、迦楼羅神(かるらしん)とも繋がるスサノオの使命的立場であったと推察することができる。
身の丈10尺とは、メートル法に換算すれば、3メートルで、いくらなんでも眉唾だが、余りに神業としかいいようがない偉業から、そうした伝説として語り伝えられているものと推察する。
弥勒下生運動の継承は近年では、出口王仁三郎へとその使命を継承し、天命未完成のままに、現代に引き継がれている。
大本教の衰勢も当時の満州と清国にまでおよび、紅卍字会としてその名を馳せたが最後は、当時の政府によって完膚なきまでに叩き潰された。
全て神の国、日本の神性を広めるための運動であったのではなかろうか?
東洋の思想と西洋の思想との融和、パラダイムシフトへのいざないだったかもしれない。
石屋の仕組みと鍛冶屋の仕組みの融合!?
(西洋フリーメーソンvs日本フリーメーソン)
今そしてその日本の神性が世界に広がることが求められていると感じる。
時の権力者にとっては覇権は必要でも、目覚めた神性は邪魔で消し去りたい存在であろう。
時代は今、時の権力者はいつまでたっても同じで、自分の都合でしか考えないものであると、しみじみ感じる。
自分たちの情報は徹底的に秘密にし、国民の情報は盗み取るとは・・とほほ(T_T)
言いたいことは、山ほどあるが、今日は実は私という一人の人間が
娑婆でお世話になって53年目の日であるからこれ以上何も言うまい。
言いたいけど言わない(^_-)-☆
それとは正反対に今現在も人知れず、裏神道の八咫烏という人たちが大切な使命をもって活動しているのかもしれない。
妄想は尽きることがない。
しかし、日本の歴史とは余りに神秘に満ち溢れている。
そう、思わない?

本物を探す旅
https://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/

読書日記
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-656.html