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シオン賢哲の議事録(シオンの議事録)

シオン賢哲の議事録(シオンの議事録)
悪魔の議事録
書庫日月神示
2011/9/21(水)午後10:40
「シオンの議定書」は、正しくは「シオン賢哲の議事録」と言う物で、これをロシア語に翻訳し、公刊したのが、ロシア人のエス・ニールスである。
ニールスは入手経路について、1901年
「これはある婦人が、マッソン(フリーメーソン)秘密結社の陰謀の策源地であるフランスの某地で開催された、ユダヤマッソン結社の秘密会議の終わった直後結社員中最も勢力がある賢哲の一人から盗み取った「シオン賢哲の議事録」の写しである」と語ったという。
1905年、ニールスは、自著の第2版中においてこれを発表したが、最初にロシアでニールスの訳が現れたとき、ユダヤ人側は大いに狼狽してこれを偽書であると宣伝する一方、黙殺、買占め、押収等の挙に出た。
(中略)
さらに、フランス語、スウェーデン語、デンマーク語、ポーランド語、イタリア語等々全世界で翻訳版が発行されたが、いづれもこのニールス版が元になっている。
「シオンの議定書」は第1議定書から第24議定書までの構成で発表されているが、その内容は明らかに「悪魔の征服計画書」と呼ぶにふさわしいものであり、その悪意に満ちた狡猾さ、執念深さには戦慄さえ覚える。
これを作成したものがユダヤ人であるかどうかはともかく、こうした内容の文書が出てしまったことは事実である。
議定書の全編に流れる政治、経済論は、まさに覇道の哲学であり、人間的感情を度外視した世界支配の方法論である。
いくつか抜粋してみよう。
「善良な性質の人間よりは、先天的不良性の人間のほうが、数において勝っているので、学理上の議論によるよりは、強制的威嚇を用いたほうが、はるかに政治上の好成績を挙げるものである。」(第1議定書)
「我々の活動に有効な計画を立てようと欲するならば、我々は、大衆が、下賤、無定見、無節操、であることを認識していなくてはならない。・・・・(中略)
尚、我々は、大衆の力は盲目で、非理知的で、判断力が無く、従って左にも右にも耳を傾けるものであることを注目しなくてはならない。
盲人が盲人達の案内役を勤めるとき、必ずや共に滅亡の淵に陥ってしまう。
従って大衆の中の者ども、または人民の中から成り上がり者は、いかに多才な者であろうとも、政治上の知識を持たぬ故に、ひとたび指導者として登場する時には、必ずや全国民を滅亡の淵に陥れないでおかぬのである。」(第1議定書)
大衆というものは、一個人レベルの利益や生活のことしか考えないか、それらを第一に優先して考えるものである。
従って、そうした大衆に主権を持たせては、良い政治など行えようはずが無い。
政治的なことはほとんど知識も無く、興味も持たぬ大衆が、選挙で選び出す代表者が、これまた自分達の小さな利益のことしか考えない利己主義者であることは、自明の理である。
ここに挙げた「議定書」の一部は、民主主義政治の有害性について、ズバリ指摘している。
真の賢人たちが集まって定めるべきである国家の方針を、無知なる大衆の「悪の多数決」により選ばれた指導者たちの手に委ねれば、確実に国は乱れるのである。
民主主義を導入した国家は、芯を失い、骨抜きにされ、やがては亡国の憂いき目に遭うことになる。
「議定書」には、恐るべき世界制覇のための経済論についても、あからさまに述べられている。
「国家機関の全ての輪転機は、我々の手中の中にある動力によって運転する。
その動力とは、即ち“黄金”である。
我々の賢哲の樹立した政治経済は、王者の威力が資本にあることを明示している。
資本が全世界に於いて絶対支配を獲得するためには、商工業企業を独占する自由を確保しなければならぬ。この計画を全世界に於いて実現すべく我々の間接直接の魔手が既にこの事業に着手している。
かかる自由は産業家に政治的勢力を与えるかこの勢力は民衆の圧迫に役立っている。」(第4議定書)
「非ユダヤ人に害を与えるために我々は、経済恐慌を惹き起こした。それが為にはただ手の届く限りの、金を全部を金融界から引き込めるだけで充分であった。かくて巨額の金額が我々の手中に貯蔵されたが、一方では非ユダヤ人国家は資金が全く枯渇したので、結局やむを得ず、我々に国債の引き受けを請わざるを得ないようになり、これが為非ユダヤ人国家はこの国債で多額の利子支払いの義務を追い込むに至った。
これは、彼等の国家経済のかなりの重荷となって、遂には国家そのものまでが、大資本家に全く依存することになってしまった。手工業及び中工業が大工業へ移るに従い、健全なる国民の全てのみならずしまいには国家までもが膏血を吸い尽くされてしまったのである。」(第20議定書)
国際事情研究センター所長の矢島釣次氏によると、1929年の世界恐慌に先んずること100年前から、イギリスでは産業革命と相前後して、約10年の周期で小規模な恐慌がおこっているという。
1925年、36年、47年、57年、66年と起こってきた恐慌は、1873~1896年にかけて起こったイギリス大恐慌につながっている。
これらの恐慌のたびに、資本を巨大化して世界の大富豪となったのが、あまりにも有名なユダヤ人のロス・チャイルドであると矢島氏は指摘する。
そして、1914年から1918年にかけて第1次世界大戦が起こり、戦後10年、1929年に世界恐慌が発生しているのである。
この歴史的な大金融パニックのピタリ10年後、1939年、第2次世界大戦が勃発している。
何者かが意図的に惹き起こしているとしか思えないこれらの周期的な経済恐慌で、世界の人々が財産を失い、貧困に喘ぐ中、
ロックフェラー家、モルガン家、シフ家、ヴァールブル家、ハリマン家、ミルナー家、ロスチャイルド家
といったユダヤ人ファミリーは巨大な富を蓄積していたのである。
■日月神示「金で世を治め金で潰す」
さて、現在の通貨経済について「日月神示」では次のように示されている。
「金では治まらん。悪神の悪では治まらん。ここまで申してもまだ判らんか。
金では治まらん。悪の総大将もそのことを知っていて、金で世を潰す計画ざぞ。
判っている守護神殿早う改心結構ぞ」
「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてミロクの世と致すのぢゃ。
三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。
少し遅れると人間は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もづづけて嘘は云えんぞ。申さんぞ。」
「金はいらぬのざぞ、金要るのは今しばらくぞ、生命は国に捧げても、金は自分のものと思っている人間、気の毒出来るぞ。
何もかも天地へ引きあげぞと知らしてあること近づいてきたぞ。金がカタキの世来たぞ。」
「石屋の仕組みにかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。
日本精神ともうして仏教の精神やキリストの精神ばかりぞ。
今度は神があるかないかを、ハッキリと神力見せて、石屋も改心さすのぞ。」
上のように日月神示には、「石屋」という表現が良く出てくる。
(中略)
フリーメーソンとは、「自由石工」という意味で、「石屋」とはここからきているのである。
戦争や革命といったものは、それが大きなものであるほど、偶発的に起こるものではなく、何らかの意図をもって、トップエリートたちにより作成された“シナリオ”通りに行われるものである。
表面では、「正義」「自由」「解放」などの美辞麗句を標榜し、大衆を扇動しながら巧妙に自らの目的を達成し、利権を得ようとするものである。
ヒトラーは、「戦争とは、欺瞞であり、策略であり、詐欺である」と述べている。
「我々が、「大革命」の名を附したフランス革命を想起せられよ。この革命準備の秘密は我々の能(よ)く知る所である。何となればこの革命は実に我々の手の所業であるからである。
あの時以来我々は、諸国民を幻滅から幻滅へと導いているが、それは彼等が我々からも離反して、我々が世界の王として準備しているところの、シオンの血を受けた専制帝王を歓呼して迎えるようにするが為めである。」(第3議定書)
「我々に抵抗を試みようとする国家に対しては、我々は直ちにその隣接諸国との戦争を以ってこれに対応し得るよう準備していなければならぬ。
もしその隣接諸国もまた、その国と共同戦線を張って、我々に反抗する場合には、我々は世界大戦を勃発させて、これを反撃せねばならぬ。・・・(中略)・・・
欧州にある非ユダヤ人諸政府を屈服させる為の我々の計画を数語に要約すれば、一国、一国に対して、我々の威力を知らせる為には、暗殺計画、即ち恐怖政治テロを以ってするであろう。
しかし万一、全欧州諸国が我々を敵として共同戦線を張ることになった時には、日本、支那、米国の大砲をもってその諸国に答えるであろう。」(第7議定書)
「一時的には、全世界の非ユダヤ同盟が成立して我々を打倒することもあろう。
然し我々のこの危機に際しては、非ユダヤ国の間に抜くべからざる紛争の深き根底があって、間接直接に我々を保護していてくれるのである。
我々は二千年に亘って非ユダヤ人の心に扇動培養してきた個人的打算、又は民族的並びに宗教的憎悪を、彼等の間に対立せしめた。
ために、いずれの国家も何処からも援助を得ることは出来ない。何となれば各国家は何れも我々に反抗する協約を結ぶことは、自己に不利であると考えざるを得ない。
我々は実際にあまりにも強力であるので、何人も我々と妥協せねばならない。
今日に於いては、列強は如何なる些細な協約でも、我々が秘かにそれに関係することなくしては、相互に締結することはできないのである。」(第5議定書)
上に挙げた議定書を見るだけでも、フランス革命、ロシア革命、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の歴史的大革命や戦争が、偶然に発生したものではなく、意図的に起こされたものであることが判るであろう。
先に述べたように、「自由」と「平等」は、決して相容れることの出来ない非両立性を持った二つの標語である。
一人一人が本当に自由を求め続ければ、必ずやどこかに不平等が生じてくる。
またすべてを平等にとり計ろうとすれば、自由を制限せざるを得ない。ここに、不満が発生する要因が出てくるのである。
したがって、単純に良い言葉だからと言って、ろくにその意味を検討することなしに
大衆がこれらの二つを同時に手に入れようとすれば、当然社会は乱れ、国は乱れることになる。
「議定書」はそのことを知り尽くした上で、次のように述べている。
「我々が自由・平等・四海同胞(現在はグローバリズム)なる語を民間に放ったのは既に古代の事である。
それ以来、これらの標語は、無意識のオウム返しによって何度となく復習され、世界の幸福と、個人の真の自由とを破壊した。
所謂賢明なる非ユダヤ人の識者と言われる人々でさえも、難解な謎のごときこの言葉の抽象的なる意味を正しく理解し得ることが出来なかったし、又その内部に含まれている矛盾を勿論看破することが出来なかった。
彼等は悲しいことには自然なるものが、平等を知らず、又その中に自由があり得ないものであり、自然そのものが、理性と性格と才能との不平等を、その自然の法則として造った物である事に気付かなかった。」
(第1議定書)
「自由・平等・四海同胞なる語は、盲従的な我々の諜者によって、世界の隅々まで宣伝せられ、幾千万の民衆は我々の陣営に投じ、この旗織を狂気して担ぎまわっている。
然るに、実際を言うと、この標語は至る所で平和安寧を破壊し、国家の基礎をも覆し、以て非ユダヤ人の幸福を侵食する獅子身中の虫(内部から害を与えるもの)となっている。
これが我々の勝利を促進したと言う事を諸君は後日首肯(納得)さるることであろう。
(第1議定書)
(中略)
真の「自由・平等」について、日月神示では次のように述べられている。
参考までにいくつか抜粋してみよう。
「平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。
天地を良く見よ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな。一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるぞ。
一寸の草には一寸が、一尺の草には一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等と申すもの」
「平等愛とは、差別愛のことぞ。公平と言う声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあろうがな」
「区別すると力出るぞ。同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。」
「悪自由・悪平等の神が最後の追込みにかかっているなれど、もう悪の世はすんで岩戸がひらけているのざから、何とやらのように前から外れてアフンぢゃ」
「人間に自由はないのであるぞ、真の自由は、大神のみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、
人間自身は自由を持っていると信ずるのであるぞ。
本質的には自由はないのであるぞ。
人間には自由の影があり、反影あるのぞ。それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
人間は自由と心得ているが、それは自由ではなく、自分自身を首をくくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあろう」
「同じもの同士では和ではない。違ったものが和することによって新しきものを
生むのであるぞ。奇数と偶数を合わせて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。
それがマコトの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和することぢゃ。
和すには同じ在り方で、例えば五と五との立場で和するのであるが、位に於いて
は陽が中心であり、陰が外でなければならん。
天が主であり地が従でなければならん。男が上であり女が下ぢゃ。
これが和の正しきありかたぞ。
さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。」
「分け隔てするのは神の心でないと申す人民沢山あるが、世界は一平ぢゃと申して同じことぢゃ、同じ神の子ぢゃと申しているが、頭は頭、手は手、足は足と申してあろうが。同じことであって同じでないぞ。悪平等は悪平等ぞ。
世界丸つぶれのたくらみぞ。この道理良く心得なされよ。」
日月神示ではフリーメーソンのことを「石屋」と称してその全貌を暴いている。
では、その起源とはいつなのであろう。
以下説明されている。
フリーメーソンの起源については、様々な説があって定説はない。もともとは古代の西洋において、石工同士が集まって組合(ギルド)をを創設したのが始まりとされてる。
石工というのは、言わば大工や建築家のようなもので、日本でいう石切職人の類とは少し違う。
西洋では昔からあらゆる建築物が石で造られており、石工というのは社会的地位も大変に高く、様々な特権をもっていた。諸国の王侯に重宝がられた彼等石工たちは、各国の王城、殿堂、寺院などの石造建築に従事するため、どの国でも自由に往来することが許された。
このような特権を持つフリーメーソンに、ユダヤ人達が、何とか入り込みたいと願ったことは、想像に難くない。自分達の国家を持たぬユダヤ民族は、ゲットーに閉じ込められ、国外通行はおろか国内の移動さえままならぬ状態にあったからである。
14世紀頃になると、建築家以外の各層にもフリーメーソンへの加入者が出始めたが、14世紀以降に入ってきた者は、ほとんどユダヤ人であった。
そして、18世紀になると、その実権はユダヤ人によって握られることになった。
1717年、フリーメーソンはロンドンとウェストミンスターにあった4つの古い組合を合同し、ヨハネの洗礼日(6月24日)に開かれた大晩餐会の席上で大棟梁を選出すると共に、組合の儀式、規約などを決定した。
これが、近代的フリーメーソンの誕生とされる。
マスメディアは悪神の宣伝機関
大衆を扇動し、思いのままに操る最も有効な手段は、新聞、雑誌を利用することである。新聞、雑誌、を傘下に収めることができれば、元来「右にも左にも耳を傾ける」
存在である大衆をコントロールすることはたやすい。
むろん、ここで言う新聞、雑誌とは現在ではテレビ、ラジオ等を含めたマスメディア
全般を指す。
「現代の各国家の手中には、民間思想の動向を創造する一大勢力がある。
これは、即ち、新聞、雑誌である。新聞雑誌の役割は、国民の要求を支持し、世論の声を伝え、不平不満を発表し、且つこれを創造するにある。
言論の自由の勝利は、新聞雑誌に胚胎する。
然るに各国家はこの勢力の活用方法を知らぬから、それが為に我々の掌中に帰したのであるが、新聞雑誌によって我々自信は背後に隠れ居つつ、この偉大なる勢力を得たのである。」(第2議定書)
「既に希望の彼岸に近づきつつある我々の深慮に基づく計画を愈々実現せすむる為には、我々の手中にある所謂「偉大な威力」と称せられる新聞雑誌によって、秘密に我々が醸成しておいた与論を以って各非ユダヤ政府を強制する事が必要である。この新聞雑誌は、一顧だにもしない少数のものの外、全て既に我々の掌中にある。」(第7議定書)
ゲイリー・アレンの著書である「ロックフェラー・ファイル」を読めばわかるように
アメリカの一流マスメディアは、いわゆる、“パワーエリート”たちの資本下にある
ものが多い。「ニューヨークタイムス」や「ワシントンポスト」なども、記者や読者に
悟られぬような形で、巧妙に利用されているという。
日本人はそうしたアメリカの一流マスメディアが言うことを、何の疑いもなくうのみにする。
「ニューヨーク・タイムズ」にこんな記事が出ている、「タイム」誌にこういうことが書かれているという、それだけで信用してしまうのである。
識者と言われる人々でさえそんな調子であるから、一般人においては言うに及ばない世界を牛耳るパワー・エリートたちの日本のマスメディアへの直接の資本投資は今のところはほとんどないようだが、思想的に自由に扇動されてしまっている以上彼らの傘下に入っているのも同然である。
■科学が常識を盲信させる
非ユダヤ人、特に日本人において、科学の“妄信的信仰”は功を奏しているようである。
幼い頃から唯物論(金、モノ主体)を叩き込まれ、学校の教科書で教えられることがすべて正しいと信じる。
科学的に証明されていないことは、決して耳を貸そうとしない。
こういった人々にとっては、権威ある有識者や学界が言うことのみが正しく、絶対なのである。
ところが、世界的、歴史的に有名で、偉人と称される賢人や、超一流といわれる学者、専門家等により構成される団体も、実は、本人の知る知らないに係らずシオンの賢哲らにより、彼ら自身の目的達成のため、利用されてしまっているのである。
そのことは、「議定書」に、次ぎように明確に記されている。
「非ユダヤ人は、歴史を基礎とする冷静な観察を練ることを知らず、専ら理論上の旧弊に囚われて、その結果に対する批判的工作を忘却している。それ故に我々にとっては、彼等のことを意に介することは無意味である。例え彼等が、いよいよの時が来るまで享楽にふけろうと、新たなる享楽を希望して生きようと、過去の享楽を追憶して生きようと、そんなことは問題ではない。
肝要なのは、科学の命令(理論)だとして、我々が彼らに吹き込んでおいたものが彼らの為に最も重大なる役割を演じて居ればよいのである。この目的の為に我々は終始我々の新聞雑誌を利用して、この命令に対する盲目的信用を鼓吹(吹き込む)する。
非ユダヤ人中の知識階級は自己の知識を誇りとして、「科学から」得た知識を巧妙に実現しようとするのであろうが、その知識を論理的に吟味もせず、またその知識なるものが、人間を我々に必要な方向に教育するため、我々の密使によって作り上げられたものであることに気が付かないのである。
我々の主張を根拠なきものと思ってはならない。我々が仕組んだところの、ダーウィン、マルクス、ニーチェの教説の成功に注意なさるがよろしい。
非ユダヤ人の心に及ぼした、これらの破壊的作用は、少なくとも我々には明白になっていなくてはならない。」(第2議定書)
「非ユダヤ人は、我々の科学的助言なしに物を考えることが出来なくなっている。
それ故に彼等は、我々の世界支配が達成された時に、我々が一歩も譲歩することなく確保するであろうものが、いかに痛切な必要事であるかを認めていない。
即ち小学校に於いては、唯一の真実な科学、何よりも重要な科学、換言すれば人生の機構、即ち分業を要求し、その結果として人間が階級又は身分に分類されるに至る事を要求するような社会生活の機構に関する科学を教授しなくてはならない。」
(第3議定書)
ダーウィンの進化論は、いまだに公然と義務教育課程の中で教えられており、
常識ある一般大衆は皆、人間は猿から進化したものと思い込んでいる。
ところが、最近ではこの「進化論」に関して異論を唱える学者が増え始めている。
「自然界では、同じ種は変化はするが、絶対に進化はしない。小麦はグレープフルーツにはならず、豚は決して羽は生えない。」と言っている。
人類は、猿から進化したものであるとするダーウィンの説は、完全なでっちあげであった。とすれば、類人猿と人類の祖先、クロマニョン人とを結びつけるはずの
“ミッシング・リンク”など初めから存在しないことがわかってくる。
なお、マルクスが高級フリーメーソン結社員であったことはすでに述べたとおりであるし、ニーチェ哲学にしてもその通りである。
さらに言えば、アインシュタインの相対性理論も、もともとは夫人の空想だったものをアインシュタインがわざわざ難解な理論をこじつけ、編み出したものであるとする説も出てきているようだが、相対性理論の虚構性についても、おそらく近い将来に証明されることになると思う。(つい最近それが、日本人によってくつがえされようとしている。厳然たる事実がここにある。)
(中略)
ここにも、石屋(フリーメーソンとは「自由石工」という意味で日月神示ではここから石屋として良く出てくる)の悪だくみが見事に功を奏している一端を伺い知る事ができよう。
フリーメーソンは現在でも公然と存在するし、これからも世界の歴史に大きな影響を及ぼしていくことであろう。
してみると、今後の国際情勢を分析し、正しい判断を下すためには、フリーメーソンの実態を把握することが絶対に不可欠である。
「世界を思うがままに操る影の世界政府」、
「ユダヤの国際秘密結社」
として知られるフリーメーソンは完全なる秘密主義を伝統としており、その末端や公にされている部分はともかく、最奥部については今だ明かされていない。
また、所謂秘密結社組織というのは、当然フリーメーソンだけではなく、他にも数多く存在する。一部にはフリーメーソンなどよりも、イルミナティーだとか、ビルダーバーグ・ソサエティーなどのほうが重要だとする研究家もいるようだが、日月神示の観点
からすれば、そうしたことはどうでもよいのである。
ただ、歴史を操る「国際的秘密結社」は事実存在するし、それを霊的に自由に操っているのが、悪神、悪霊である。
その秘密結社の代名詞として使われているのが、最大級の組織力を誇るフリーメーソンなのだ。
■悪の仕組みが日本魂を根絶やしにする
戦後半世紀近くが過ぎ、敗戦の痛手から見事に立ち直った日本は、現在、これまでにないような経済的、物質的な繁栄に酔いしれている。
個人の生活が豊になり、国が富み栄えること自体は、決して悪いことではない。
しかし、この繁栄がこれから先も末長く続くかといえば、はなはだ残念なことではあるが、悲観的な結論を出さざるを得ない。
日本ほど、見事にフリーメーソンの占領政策にはまり、隷属国家と成り下がった国はないのである。
現在の日本にとって、「豚は太らせてから食え」という言葉は、まさにピッタリと当てはまる。
それは、次に挙げる「議定書」をみれば明らかである。
我々の原則を非ユダヤ人に適用するに当たっては、その国民の性情を考慮に入れなくてはいけない。
我々の原則の一律的な適用は、その国民が我々流に再教育されていない間は成功をもたらすことはおぼつかない。然し慎重に仕事に懸かるならば極めて強固な性格も十年そこそこで変えることが出来るのを知ることであろう。
かくなる時我々は、既に我々に屈服してしまっている諸国民の間に、新しい国民を一つ編入することが出来るのである。(弟9議定書)
「我々が国家体制の中に自由主義(民主主義)なる猛毒を注入してからは政治上の全組織が一大変化をもたらした。
これが為、今日では非ユダヤ人のどの国家も、余命いくばくもなき壊血病にかかっている。
我々はただ非ユダヤ人国家の、断末魔の速やかに来ることを待てばよいのである。」(第10議定書)
「我々は非ユダヤ人の青少年を愚昧にし、誘惑し、堕落せしめた。我々がこの目的に達したのは、青少年の教育を誤れる原則との教説との上に樹立した為であって、我々はこれらの原則と教説との欺瞞性をよく承知していながら、なおそれらを
適用せしめたのである。」(弟9議定書)
「思想を隷属化させることは、既に“視覚教育”と称する方法で実行に移されて
いるが、視覚教育の主たる使命は、非ユダヤ人を、思索力のない従順な獣と化し
絵に描いて見せなくては物を理解することの出来ないような愚鈍な動物にすることである。」(弟16議定書)
これはつまり、テレビや漫画などによる「一億総白痴化」を予告したものである。
また、フリーメーソンの3S(スポーツ、スクリーン、セックス)政策により、日本の青少年は骨抜きにされ、堕落せしめられた。
現在の日本の若者で、国家や世界をまことに論じることのできるものが、果たして何人いるというのか。
人間的に優秀な青少年が育っていないということは、そのままその国の将来が危ういということを証明しているのである。
そして驚くべきなのが、次に挙げる「議定書」である。
「自由がもし、敬神を根拠とし、天地の法則に背反した平等の観念を去った同胞主義に立脚する時は、国民の幸福を阻害することなく、国家組織の中に無害なる物として存在することが出来る。
斯くのごとき宗教と信仰を持っている時は、国民は地上に於ける神の摂理に従い教会に統制せられ、謙遜、従順に、精神的慈父たる牧師の指導に従うものである。それであるから我々は宗教の根底を覆し、非ユダヤ人の脳裡から神霊の観念を奪い取り、その代わりに個人主義的打算的利欲と肉体的享楽主義的欲求とを植えつけねばならぬ。
非ユダヤ人がこれに気がつかぬようにするには、彼らの心を商業と工業方面に向けねばならぬ。
斯くすれば各国の非ユダヤ人等は国家社会など眼中になく、唯々自己の利得のみを追い、利害戦に夢中になって、自己の共同の敵に気付かなくなるであろう。
(中略)
優越を得んがための極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動とは絶望的な、しかも悲惨極まる冷酷な社会を実現するであろう。
否な既に実現したのである。斯くしかの如き社会は高等政策と宗教とを全然忌み嫌うようになり、これを指導する者は、ただ利得打算即ち金力のみとなり、金力によって享受できる物質的快楽の為に、黄金を完全に偶像化するであろう。
(弟4議定書)
まさにこれこそが、戦後、フリーメーソンの占領政策により国体を破壊させ、民族意識を退廃させられた日本の姿のほかならない。
今時、精神主義に立ち返る重要性や、敬神の必要性を説いてみたところで耳を傾ける人はほとんどいない。皆己のみの利益のことを考え、利害戦に夢中になっている。
全く「議定書」に記された通りの社会が現出している。
しかもこの「議定書」は19世紀末期に書かれたものなのである。
心ある者は、もう一度この「シオンの議定書」を読み直し、正しい社会のあり方、国家のあり方というものを真剣に検討すべきでないだろうか。
日月神示には、こう示されている。
悪の仕組みは、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて一呑みにする計画であるぞ。
日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれても、まだ気付かん。
上からやり方変えて貰わねば、下ばかりではどうにもならんぞ。
上に立ちいている人、日に日に悪くなりてきているぞ。
メグリある金でも物でも持ちいたらよい様に思うているが、えらい取り違いであるぞ。
早う神の申すこと聞きてくだされよ。
ここまで述べてきたように、「シオンの議定書」には、実に狡猾、陰険極まる悪神の世界征服計画が書かれており、それが着々と実現していることがわかる。
現在の日本は、経済的には「大国」と呼ばれるようになり、物質の面では何一つ不自由することのない、恵まれた国家と変貌したように見えるが、
実はこの豊かさの背後に、世界を動かす悪の勢力が存在することを見逃してはならない。
日本は、彼らのモデル的隷属国家として、見事にその術中にはまり、滅亡の崖っぷちへと突き進んでいるのである。
国家存亡のその危機は、ある日突然やってくるだろう。
ところが彼等によって骨抜きにされた日本民族は、もはや「石屋の仕組」(フリーメーソンの陰謀)の前に、なす術を知らないのである。
大神は、こうした悪の経綸(しくみ)を太古の昔よりすでに見通し、明治、大正、昭和と、因縁の御魂を使って天啓の形で警告を与えてきた。
その『艮(とどめ)』の啓示が、日月神示である。
悪神、悪霊たちによる世界征服計画は、今やその最終段階に入っている。
この逼迫した状況を察知し、警告を与える書物は数多く出回っているが、そのどれもが、明確な対策を打ち出せていないようだ。
人間の、平面的な考えでは、行き詰る一方なのである。
「悪を殺せば善のみが残る」というような善悪二元論に基づいたやり方では、絶対に
道はひらけない。善も悪も、高い次元から見れば、“現れ”の違いであり、“働き”の
違いであり、もとは一体のものである。
これら別々に分かれていた“善”と“悪”が、一つになることによって、いわゆる
「ミロクの世」「地上天国」「至福千年王国」が顕現するのである。
そのところは、日月神示にこう示されている。
「今に世界の臣民人民誰にも判らん様になりて上げも下ろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやっているのではないのざということハッキリして
来るのざぞ。
何処の国、どんな人民も成程なぁと得心のゆくまでゆさぶるのであるぞ。
今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根本のお土の御先祖様の御霊統とが
なりなされて、スメラ神国(日本)とユダヤ神国と一つになりなされて末代動かん
光の世と影のない光の世といたすのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光て輝く御代ぞ楽しけれ。
悪いもの殺してしもうて善いものばかりにすれば、善き世が来るとでも思うているのか、肉体いくら殺しても霊までは、人民の力ではどうにもならんであろうがな。
元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ。
元の霊に改心させずに肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ。
それくらい判って居ろうが、判りて居りながら他には道ないと、仕方ないと手つけずにいるが、悪に魅入られているのぢゃ、
悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊から改心させなならんぞ、
善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(あめつち)ぢゃとくどう知らしてあろが。」
この先どうなるかということは、この神示を読まない限り絶対にわからない。
また実際に大変が起きた時にどうしたらよいかということも、この神示によらずして
わかるものではない。
何故、そこまで言い切れるのかと言うと、この神示とは、「実行する側」からの直言
だからである。従来の予言書や宗教書のように「こうなるのではないか」という受身的
立場からの推測ではなく、「こうするのである」という断定的口調をもって世界の
大改革を宣言する主導者としての立場からの警告だからである。
人間的知識や学問も必要であろう。しかし、何よりも肝要なのはまず、神霊界の
実在を知り、神界の経綸を知ることなのである。
神はどのような計画をしておいでか、その神(真)意をよく把握することである。
これなくして、人間界の動きを読み取ることは不可能と断言できる。
その経綸の一端を明らかにしたのが、日月神示である。
「艮(とどめ)の啓示」と言われるように、後にも先にも、この神示を超えるものは、
もはや出ないであろう。
「この神示、腹の中に入れておいてくれと申すに、言うこと聴く臣民少ないが、
今に後悔するのが、よく判りているから神はくどう気つけておくのぞ、
読めば読むほどに神徳あるぞ、
どんな事でも判るようにしてあるぞ。」
「向こう(悪神、悪霊)の言うこと、まともに聞いていたら、尻の毛まで抜かれてしまうのが、神にはよく判りて気つけていたのに、今の有様その通りでないか。
まだまだ抜かれるものあるぞ。延ばせば延ばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。延ばせねば助かる人民ないし、少しは神の心も察して下されよ、
言うこと聴いて素直にいたされよ。神たのむぞ。」
「御神示通りにすれば、神の言うこと聴けば、神が守るから、人民の目からは
危ない様に見えるなれど、やがては結構になるのざぞ、
疑うから途中からガラリと変わるのざぞ。
折角縁ありて来た人民ぢゃ、神はおかげやりたくてうづうづざぞ、
手を出せば直ぐ取れるのに、何故手を出さんのぢゃ、
大き器持ちて来んのぢゃ。
神示聴きて居ると身魂太るぞ、身魂磨けるぞ。」
「身魂みがけたら、どんな所でどんなことしていても心配ないぞ」
「我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云う事聞いてやるぞ、
雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地霊の神と申してお願いすれば、万里先に
居ても、この世の荒れ、地震逃らせてやるぞ、
神々様に届く行で申せよ。
こんな善き世は今までになかりたのぢゃ、
膝元に居ても言葉ばかりの願い聞こえんぞ、
口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。」
「平成」という字を注意して見て頂きたい。
一八十成=岩戸成る
と示されているではないか。
平成で岩戸が成るのである。ミロクの世と、いよいよひっくり返るのである。
一体人類の何分の一が、ミロクの世の実現を目の当たりにするのであろうか。
抜粋文献:日月神示(宇宙意志より人類へ、最終の大預言),中矢伸一著

本物を探す旅
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144年周期(半周期72年)

144年周期(半周期72年)
ガイアの法則(あとがき)
「地球のリズムはなんとなくわかったけど、日本の行く末がどうしても気になるわ~」
という方が多いのではないでしょうか?
今まで色々な数値が出てきましたね。
1611年、
22.5度、
1/16、
100年、
144年、
72年
など。 西洋と東洋の文明はほぼ800年ごとに衰退・繁栄を繰り返してきました。
マヤ歴で有名な2012年12月21日は、西洋文明の衰退、アングロサクソンの没落を意味しています。
別に、人類や地球が滅亡するわけではありません。
闇の勢力がどうあがいても滅亡していくことは確かでして、
今はただ必死にしがみつこうと しているだけです。
注目したいのは144年周期(半周期72年)ですが、日本の歴史を振り返ってみましょう。
   ● 日露戦争(1905年前後)
   ● 経済発展(1976年:昭和51年) 1905+72=1976
この144年(72年)というのは表側のリズムで、その下には裏側リズムがあります。
それは72年ウエーブの半周期ずれた位置になり、36年(半周期18年)となります。
ここにも表裏一体、陰陽の法則があるのですね。
   ● 日露戦争(1905年前後)
   ● 太平洋戦争開戦(1941年:昭和16年) 1905+36=1941
では、太平洋戦争開戦の年から表のリズム72年さかのぼってみましょう。
   ● 明治維新(1868年~1869年) 1941-72=1869 となります。
明治維新とはあのチョンマゲ、サムライの江戸時代から西洋文明への節目です。
当時の人々にはそれこそなにがなんだかわからない時代の変化だったでしょう。
なにせそれまでは鎖国をしていて、鼻の高い外人さんなんか見たことなかったの
ですからね。大変勇気のいることだったでしょうし、恐怖心もあったでしょう。
   ● 明治維新 1869+144=2013 2013年です。
   ● 太平洋戦争 1941+72=2013 2013年ですね。      
72年(36年) 裏リズム
72年(36年) 表リズム
1868-1869 明治維新
1904-1905 日露戦争勝利
1940-1941 太平洋戦争・敗戦
1976-1977 高度成長
2012-2013 ???
2048-2049 ???
よく考えると、表リズムに現れるのは勝利、経済発展がみられますが、
裏リズムにおいては 国内混乱、暴動、生活困窮がキーワードっぽい感じですね。
東経135.0度地点がこれからの文明の基点になるそうですが、
上にはハバロフスクがあり 南半球にいくとニューギニアを通り、オーストラリアに到達します。
これからは明らかに極東、ASEAN(アセアン)などの東アジア地域が繁栄します。
完成形は30年後くらいでしょうか。
「スターチルドレンと呼ばれる若者たち」という日記で紹介しましたが、
今の小学生、幼児が大人になって、社会をけん引していく頃でしょう。
私たちはその基礎を作らなければならないのですね。
完璧に私は鬼籍の人間です。
「ガイアの法則Ⅱ」によると、
2030年までにはアジア全域の新社会への流れを与える人々が日本にあふれるようになるだろう・・・
ということです。
そうして多くの日本人が民間レベル、意識レベルでアジアをリードするようになる。
それは、決して行政レベルではなく、
個々の人々が、個々の意志で土台を形成する。
それは135度地点の意志だそうで
「大阪首都移転」は実現しそうですね。
その前に、今年来年と相当な覚悟が必要みたいです。
表には載せていませんが、天変地異もあるでしょうし、金融システムがガラッと変化
するでしょうから、経済の混乱は少なからずあります。
天変地異は地球の活動でもありますし、人類の業の清算のために仕方のない現象です。
火、水、風などによる大地と人類の浄化はあるでしょう。
ユダ金たちが去ってこれで平和が・・・と簡単にはいかないでしょう。
ユダ金成敗には中国、ロシアも協力してきたでしょうが、成敗後は今度は日本が標的に
なると思いますよ。2013年~2015年が日本にとって一番大変でしょう。
「神国の民」である日本人を真に目覚めさせることが一番重要なのです。
そのためにこの二国が大役を仰せつかるって感じかな? (必要悪)
日本は、どんなに苦しくても、辛くても、腰ぬけと言われても絶対に太平洋戦争の
二の舞はしてはいけないのです。参加も加担も許されません。
これから数年は、日本人全員が色々な意味で試されていくと思います。
「大阪首都移転」ということは、東京は首都としてのお役目が終わるということですから
私的には福島原発がこのままというのは考えられないですね。
原発自体も、公然の秘密である「核兵器所有」も日本国自体の業の清算の対象になる
のではと思います。皇居も最終的には京都移転という方向に行くのではないかしら。
「東京が首都でなくなるのは嫌だ~」「経済混乱なんか嫌だ~」「このままでいたい」 ・・・とお考えの方は、
なるべく早く「古い上着」は脱いだ方がいいですよ。
古い価値観、古い観念、古い対象物、執着心をいさぎよく捨てなければ
崩壊の際には大きな代償を払うことになるそうですから。
こういった精神性は団塊の世代以上に多くみられるので、遅かれ早かれこの時代から
去らなければならないでしょうね。
        崩壊 → 浄化 → 建設 → 再生 
物は考えようで、
衰退するばかりの欧米よりはずぅーと希望が持てるのですから。 
10代~30代のみなさん、新しい価値観で新生日本をお願いします。

MU(ムー)のブログ
http://agnes2001.blog.fc2.com






[144年サイクル]
1659
1761
1833
1905 日露戦争
1976 経済発展,1905+72=1976
2048 1976+72=2048

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池上競馬場ほか設立

[東京行徳] 池上競馬場
池上競馬場
池上競馬場は明治39年(1906年)~明治43年にかけて東京競馬会が運営していた。。
明治43年には、
東京競馬会(池上)、
京浜競馬倶楽部(川崎)、
日本競馬会(目黒)、
東京ジョッケー倶楽部(板橋)
の4団体が合併し東京競馬倶楽部が設立され本拠地は目黒競馬場となり池上競馬場は廃止された。
地図は大正14年のものであるが競馬場の痕跡がまだ残っている。
池上線は当時文字通り池上止まりとなっている。
池上本門寺は駅の北側に位置している。
この地図を初めて見た時多摩川の流路の変遷で出来た池か沼の跡かと勝手に想像していたがまるで違っていた。
競馬場であったとは驚きである。

旧道行脚
http://www.geocities.jp/kikuuj/keiba/meguro/meguro.htm



[東京千住] 千住競馬場
千住競馬場
千住仲組の緑町ではいわゆるヤミの草競馬が行われていた。
明治39年(1906年)馬券を発売する競馬を開催したが千住警察署長は馬券は賭博にあたると発売を禁止する措置をとりレースを中止させてしまった。
以後明治41年(1908年)正式に馬券発売は禁止となった。
地図では輪士會競走場となっており自転車倶楽部の競走場であるが競馬はここで開催されいたのではないかと想像している。
場所は千住神社(古地図では氷川社)の西側の千住緑町三丁目に相当する。

旧道行脚
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千住競馬場







[東京川崎] 川崎競馬場
川崎競馬場
京浜競馬倶楽部は明治39年(1906年)9月に板垣退助を中心に設立され、翌年の明治40年(1907年)7月に川崎競馬場で競馬が開催された。
明治43年には他の3団体と合併し、東京競馬倶楽部が設立され目黒競馬場へ移っている。
廃止された川崎競馬場はその後、富士紡績川崎工場となった。
地図は残念ながら競馬場時代のものは無く、紡績工場の時のものである。
川崎歴史ガイドより
大正の始め、競馬場の跡地に東洋一の紡績工場を建て、川崎の工業都市化を決定づけた富士紡績。
女工2000人。
沖縄出身者も多く、沖縄芸能が川崎に根付いた。
戦後、跡地は再び競馬場に。

旧道行脚
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川崎競馬場








[東京板橋] 板橋競馬場
板橋競馬場
板橋競馬場は東京ジョッケー倶楽部が明治40年(1907年)認可を受け運営した。
明治43年目黒競馬場へ他の競馬場と共に統合されている。
当時馬券は一枚十円で庶民には手が届きにくい高価なものであった。
写真上は競馬場東南部に当たる氷川図書館前のものである。
豊島病院は競馬場の敷地内の一角に出来ている。

旧道行脚
http://www.geocities.jp/kikuuj/keiba/meguro/meguro.htm





板橋競馬場