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美能幸三


美能幸三
投稿者:Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2021年 5月26日(水)00時29分42秒  
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美能幸三を書いたIN DEEPさんの記事
https://indeep.jp/japan-will-be-called-the-next-india/
美能幸三とは
https://www.wikiwand.com/ja/%E7%BE%8E%E8%83%BD%E5%B9%B8%E4%B8%89
美能幸三
ヤクザ 広島抗争 日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
美能 幸三(みの こうぞう、1926年7月31日ー2010年3月17日)は、日本の実業家。元ヤクザ。広島県呉市の美能組初代組長。広島県呉市出身。広島抗争の中心人物の一人であり、後にそのいきさつを描いた『仁義なき戦い』の原型となる獄中手記を書いた人物である。詳細は広島抗争、『仁義なき戦い』の項を参照。
生涯
大正15年(1926年)7月31日、広島県呉市に生まれる。父親は退役軍人で海軍工場に勤め、母親は小学校の教員だった。呉第二中学校2年で退学し、毎日ぶらぶらとしていたが、昭和17年(1942年)に大日本帝国海軍に志願し大竹海兵団に入団、ラバウル、硫黄島を転戦しトラック島で終戦を迎え、浦賀に上陸し昭和20年(1945年)11月26日、復員[4]。
呉に帰郷後は遊び人に身を投じ、昭和22年(1947年)5月末、呉市朝日町の遊郭で山村組組員と旅のヤクザが喧嘩になったことが発端となり、美能は友人に日本刀で怪我をさせた旅のヤクザを呉駅前で射殺、翌日に逮捕。3日目に山村辰雄と谷岡千代松(山村組顧問格)が面会に訪れて美能が口を割らず1人で罪を被ったことを褒め、山村組の若衆にならないかと誘われる。吉浦拘置所で悪魔のキューピーこと大西政寛と再会し[5]7月に兄弟盃を交わし舎弟になる[6]。9月、懲役十二年判決(求刑十五年)となり広島刑務所に収監。山村辰雄に保釈金を立て替えてもらい同年12月保釈、拘置所内で大西政寛から山村組に入ることを薦められていたことから山村組の若衆になった(美能は保釈後、知人に借金して保釈金を山村辰雄に返済)。このときの若頭は佐々木哲彦である。昭和23年(1948年)1月、佐々木哲彦の妻からカツアゲしたチンピラに「カツアゲしたものを返してやれ」と求めたところ応じず喧嘩になり怪我をさせたことから旅に出る。松山、福井、尼崎を経て、昭和24年(1949年)2月に広島の岡組(岡敏夫組長)にワラジを脱ぎ客分となる。
呉で商売がうまく次第に力をつけていった山村辰雄は、阿賀の名門土岡組が目障りに感じるようになる。土岡組の大西政寛を巧みに引き込んだりして弱体化を図り、土岡組組長土岡博暗殺を企てて美能を鉄砲玉に仕立てた。昭和24年(1949年)9月27日、美能は土岡博に重傷を負わせたが暗殺に失敗した。山村辰雄はこの不始末に激怒し美能に再出撃を命じたが、土岡博が戻った阿賀は警察でいっぱいになったことから再出撃は困難となり、山村辰雄の指示により体をかわすため美能は土岡組組員(元山村組組員)が運転する車で阿賀を通過し三原市に向かう。到着する手前でその組員との意見の不一致から身の危険を感じて車を降り、夜通し歩いて尾道に辿り着き大西政寛に連絡をとった。同年10月11日に清岡吉五郎に付き添われ広島東署に自首し、同年10月18日広島刑務所に収監され呉駅前の事件の懲役十二年の刑に服す。口を割らず1人で罪を被り昭和26年(1951年)2月土岡博襲撃事件判決懲役八年。昭和29年(1954年)7月岐阜刑務所に押送、昭和34年(1959年)3月まで服役した。
昭和27年(1952年)サンフランシスコ講和条約発効を記念する恩赦により減刑され[7]、昭和34年(1959年)3月に仮釈放で岐阜刑務所を出所、居住制限のため名古屋を経て呉に戻り、山村組幹部として力をつける。昭和38年(1963年)3月1日打越会が山口英弘を絶縁し、翌4月5日山村組が美能幸三を破門。また、その後、同月、打越会会長が山村組幹部との兄弟盃を破棄。山口(英)組が山村組側にまわり、美能組が打越会側にまわることとなり、広島抗争が激化している昭和38年(1963年)7月5日早朝、広島県警察に別件逮捕、仮釈放を取り消され広島刑務所に収監。その後、網走刑務所に押送。この服役中の昭和40年(1965年)に中国新聞報道部記者の今中瓦が執筆し『文藝春秋』1965年4月号に掲載された「暴力と戦った中国新聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録"」という記事を目にした美能は、広島抗争を含む獄中手記を5年にわたり四百字詰め原稿用紙700枚執筆、この獄中手記は出所後に飯干晃一の元に渡る。
昭和45年(1970年)9月に札幌刑務所を出所、波谷守之の説得により同年10月19日引退声明し堅気となる。昭和46年(1971年)1月、美能組は二代目組長薮内威佐夫に引き継がれた(共政会入り)。美能はその後実業家に転身。美能の獄中手記を元に飯干晃一による連載
「仁義なき戦い 広島やくざ流血20年の記録」
が『週刊サンケイ』にて昭和47年(1972年)5月19日より46回にわたり行われ(和田誠によるイラスト「映画『現代やくざ 人斬り与太』の菅原文太」が表紙の週刊サンケイ昭和47年(1972年)5月26日号は連載2回目)、昭和48年(1973年)1月13日に東映映画『仁義なき戦い』として映画化公開もされ完結篇まで全5作が劇場公開された。飯干の連載終了後、同じく週刊サンケイにて美能が「極道ひとり旅 続・仁義なき戦い」を連載。昭和48年(1973年)12月18日、サンケイ新聞社出版局より自著『極道ひとり旅 続・仁義なき戦い』を出版。
平成22年(2010年)3月17日、死去。83歳。
著書
美能幸三『極道ひとり旅 続・仁義なき戦い』1973年12月18日、サンケイ新聞社出版局(サンケイドラマブックス)定価630円
関連書籍
飯干晃一『仁義なき戦い 死闘篇 美能幸三の手記より』1973年1月15日、サンケイ新聞社出版局(サンケイドラマブックス)
 飯干晃一『仁義なき戦い 決戦篇 美能幸三の手記より』1973年3月30日、サンケイ新聞社出版局(サンケイドラマブックス)
飯干晃一『仁義なき戦い 死闘篇 美能幸三の手記より』1980年3月18日、角川書店(角川文庫)、ISBN 4-04-146401-3
飯干晃一『仁義なき戦い 決戦篇 美能幸三の手記より』1980年3月18日、角川書店(角川文庫)、ISBN 4-04-146402-1
鈴木義昭『仁義なき戦いの真実』2017年1月、サイゾー、ISBN 978-4866250816
■関連映画・オリジナルビデオ作品
映画
深作欣二監督『仁義なき戦い』(1973年1月、東映)広能昌三(演者:菅原文太、完結篇まで全5作)
深作欣二監督『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年4月、東映)
 深作欣二監督『仁義なき戦い 代理戦争』(1973年9月、東映)
 深作欣二監督『仁義なき戦い 頂上作戦』(1974年1月、東映)
 深作欣二監督『仁義なき戦い 完結篇』(1974年6月、東映)
深作欣二監督『新仁義なき戦い』(1974年12月、東映)三好万亀男(演者:菅原文太)
中島貞夫監督『脱獄広島殺人囚』(1974年12月、東映) - 原案協力
◇オリジナルビデオ
 『実録・鯨道13 広島任侠伝 美能幸三』(2003年、プレイビルドーダサービス)美能幸三(演者:中山弟吾朗)
脚注
^ 笠原和夫著『映画はやくざなり』(2003年6月1日、新潮社)P58. 2018年11月18日閲覧。
^ 美能幸三著『極道ひとり旅 続・仁義なき戦い』(1973年12月18日、サンケイ新聞社出版局)まえがき及び奥付. 2018年11月18日閲覧。
^ a b 別冊映画秘宝 実録やくざ映画大全(2013年4月1日、洋泉社)p56. 2019年2月1日閲覧。
^ 別冊映画秘宝 実録やくざ映画大全(2013年4月1日、洋泉社)p60. 2019年1月30日閲覧。
^ 昭和21年9月の呉市中通りの映画館「一劇」で行われた素人のど自慢コンクールで起きた呉の者と阿賀の者との喧嘩で美能幸三は大西政寛と既に知り合っており、その喧嘩の時に美能は大西政寛にシビれていた。
^ 笠原和夫著『「仁義なき戦い」調査・取材録集成』(2005年7月9日、太田出版)p59-60. 2018年11月18日閲覧。
^ 呉駅前の事件懲役十二年→九年、土岡博襲撃事件懲役八年→六年、もう一つの傷害の懲役十ヶ月→七ヶ月十五日にそれぞれ減刑。
^ 前年の昭和37年8月に起きた樋上組組員への暴力行為の共同正犯容疑。昭和39年1月に懲役一年二ヶ月判決となり前の刑と合計で懲役七年四ヶ月となった。
^ 樋上組組員が美能組幹部を呼び捨てにしたりするなどの態度から美能組幹部を含む美能組組員5人が樋上組組員2人と喧嘩になり、樋上組組員1人に治療2週間の怪我、もう1人の樋上組組員に治療十日間の怪我をさせた容疑(笠原和夫著『「仁義なき戦い」調査・取材録集成』p31(中国新聞 昭和38年7月5日夕刊).2019年1月7日閲覧。
^ 『週刊サンケイ』は、1988年6月、『SPA!』としてリニューアル創刊。
    ^ 飯干晃一著『仁義なき戦い 決戦篇』(角川文庫 1980年3月18日発行)p313. 角川書店. 2019年1月7日閲覧。
    ^ 山平重樹著『高倉健と任侠映画』(徳間文庫カレッジ 2015年2月15日初刷)p377-378. (徳間書店). 2019年1月7日閲覧。
    ^ “追悼・菅原文太 “未公開肉声”ドキュメントから紐解く「反骨の役者人生」(2)初週刊誌表紙に“喜んで買っちゃったさ”│アサ芸プラス”. 徳間書店 (2014年12月26日). 2019年1月7日閲覧。
参考文献
本堂淳一郎『広島ヤクザ伝 「悪魔のキューピー」大西政寛と「殺人鬼」山上光治の生涯』2003年、幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)、ISBN 4-344-40420-3
正延哲夫『波谷守之の半生 最後の博徒』1999年、幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)、ISBN 4-87728-733-7
『実録「仁義なき戦い」戦場の主役たち』1998年、洋泉社(洋泉社MOOK)、ISBN 4-89691-302-7
飯干晃一『仁義なき戦い 死闘篇』1975年、角川書店(角川文庫)、ISBN 4-04-146401-3
Underground Messenger
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巨利を貪る精神医学業界
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日本が「次のインド」にされる感じがひしひしと
2021/05/25 20:16
《日記》
私がこの十数年間、求め続けていて、どうしても手に入らない本のひとつに、日本のヤクザだった美能幸三さんの『極道ひとり旅』という、今から 50年近く前に出版されたものがありまして、これは再販されていないことも加えて、もう、とにかくインターネットなどでは絶対に手に入らない一冊となっています。気づかない時に、3万とか 5万とかで中古本が出品されていても瞬時に落札されるので、普通の人は、まず手に入れることができない。この時代には特に読みたいなと思っていました。今でもやや極道的に(お笑い極道ですが)文章など書いていますけれど、ある程度、極道的に生きていないと「心が折れそうになる」ことはあるのですね。戦争でありジェノサイドの時代を生きる上で、それが平気な方もいらっしゃるのでしょうけれど、そのうち身内なんかの喪失も絡んだ話となる可能性もあると考えますと、ずっと平静でいられるというわけでもないです。
「今こそ本物の極道の人の書いたものを読みたいなあ」と。
そうしましたら、先日、その『極道ひとり旅』の中から数多く文章を引用していると共に、美能幸三さんへのインタビューで構成されている本を見つけまして、それを購入して読んでいました(美能さんは十年くらい前に逝去されています)。美能幸三さんっていうのは、つまり 1970年代の大ヒット映画『仁義なき戦い』の原案となる獄中手記を書いた人で、それに作家の飯干晃一氏が解説を加えた本がヒットし、映画化に至ったというものです。映画では、菅原文太さんが、この美能幸三さんの役を主役として演じています。それはともかく、美能幸三さんのインタビューを読んで、「刑務所の中では本ばかり読んでいて」、「それにより(人生の)インスパイアを得た」ということを知り、好きな作家の埴谷雄高さん(治安維持法違反で刑務所に入り、カントの『純粋理性批判』を原文で読んで感銘し、後の長編小説『死霊』の発想につながる)と妙に似ている感じがして、
「ああ、やっぱり人間、若い時には一度、刑務所に入るものなのかなあ」
と、刑務所に入ったことのない私は、やや口惜しくその本を読んでいましたが(やっぱり入りたくないですが)、美能幸三さんのインタビューの以下の言葉が印象的でした。美能さんは、昭和期の文芸評論家だった亀井勝一郎氏という方の本が好きだったようですが、そこからの引用が述べられています。
美能幸三さんのインタビューより
「そらあ、亀井さんの言葉じゃないがの、釈尊がなぜ蓮の花を愛したかということについてよ、あの人が書いている。蓮は、汚い所に咲くじゃない、汚ければ汚いだけ、それに対する抵抗として、より美しく咲くから釈尊は愛したというている」
「あの人の本はちょっと読みにくい本でよ、早い話が人間の幸せが何か言うたら、自分の全精力を注ぎ込むところにおいての苦痛よ、人間の幸せいうもんは。ただ教えに乗ってるけど、それは女とか酒とかに溺れるのが幸せじゃないと言うとる。まあ、死に場所を求めないかんと言うとるんよ」 (『仁義なき戦いの“真実”: 美能幸三 遺した言葉』)
ここにある、
「人間の幸せというのは、自分の全精力を注ぎ込むところにおいての苦痛である」
というのは、個人的に「今」を実感します。
あ……いやオレは、若い時からそうだわ……。
なんでもかんでも全力をかけて苦痛に突き進んで……。
> まあ、死に場所を求めないかんと言うとるんよ
というのも、「そうだよなあ」という気もしないでもないです。そして、今このパンデミック禍(というかワクチン禍)時代ですから、それをさらに実感します。「今のあたりが、その頂点なのかなあ」とか。エクソソーム絡みの死も身近に感じますしね。なお、言葉は以下のように続きます。
「ワシが本を読むようになったんは、ワシの母親が刑務所に手紙を寄こしてきての、『お前がパクられたのには安心している』言うての。昔、大杉栄いう社会学者がおって、甘粕正彦に殺された、あの人がの、パクられるたびに一カ国語マスターしよったんや。お前はバカじゃけぇ、そこまではできんにしても、日本語くらいは読めるようになって帰ってこいと書いとったんじゃ」
- では、本は差し入れてもらったりしたんですか。
「うん。万葉集を読んだり。万葉集はすぐに読めんけえ、澤瀉久孝(おもだか ひさたか)という京大の教授が書いた本とかを読んだり、聖書を読んだりのう。暇なんけえ、読んだよ」
- それで、その後の生き方を決めたんですか?
「生き方を決めた」
この後、美能幸三さんはヤクザを引退してカタギになるのですが、「万葉集と聖書でカタギに……」と思うと感慨深いです。あと、ゲーテも読んでいたとおっしゃっていました。なお、美能幸三さんは、太平洋戦争下では「 15歳で自ら志願」して海軍に入り、西太平洋のトラック島(現在はチューク諸島)に、ほぼ最年少兵士として送られ、そこから生還した後にヤクザになられています。私自身、「こんな年まで生きてしまって恥ずかしい」と思うこともありましたが、このような過激な時代になり、その社会下で体制に従順に生きていることを誇りに感じます。少しだけ守っていないことはありますが、信号なんかは今でも規則を守ってますし(青だと歩いて渡り、赤だと走って渡らなければならないとかですね)。あ、でも信号だけですね、守っているのは。というわけで、爽やかな話題から、陰惨な時事に戻りましょう。
インドへの(虚偽の)道
昨日、5月24日、アメリカ政府が、日本への渡航情報として、最高ランクの「 4」、つまり、
「日本へは渡航しないで下さい」
とした渡航中止の勧告を出しました。
アメリカの渡航情報の警戒レベルは 4段階ですので、これは、日本でいえば、最も厳しい「渡航中止・退避勧告」に相当します。
アメリカ国務省
インドなどと同じ扱いということですね。
これは、日本に住んでいないあらゆる海外の人たちが見れば、「日本は大変なことになっている」と、まあ思うはずです。阿鼻叫喚の事態となっていると。まあ……お店でお酒が出ないということに関しては、私個人としては阿鼻叫喚が続いてはいますが、それ以外は、過去 1ヵ月、2ヵ月、1年……何も風景は変わりません。しかし、今回のアメリカのこの措置で、「なるほど、次は日本が狙いか」と思わざるを得ない部分はあります。保守系メディアの米ゼロヘッジでさえ以下のように報じています。米国務省は、東京オリンピックをキャンセルするための呼びかけを激化させる中、日本に「渡航中止」勧告を発行
疾病管理予防センター(CDC)は、COVID-19により、日本向けにレベル 4の旅行健康通知を発行した。これは、日本国内での COVID-19のレベルが非常に高いことを示している。900万人の人口を抱える西日本地域にある大阪では、ロイターが日本の「パンデミックの第 4の波」と表現したものの矢面に立たされている。「簡単に言えば、医療システムの崩壊が起きています」と大阪・近畿大学病院の所長は言う。東京、大阪、その他 7県は、非常事態宣言が 5月31日まで延長されている。日本では 70万件以上の感染と12,000件の COVID-19によ死亡が記録されている。センターは、高齢者を優先して、毎日何千ものワクチンを接種しているが、現在、完全な接種者数は、日本の人口のわずか 5%だ。当局は、主要都市での集団予防接種施設での大規模接種を計画している。 (zerohedge.com)
このような記事と共に、以下のようなグラフが載せられれば、海外の人は誰でも「日本は大変なことになっている」と考えるはずです。
zerohedge
しかしですね。上のグラフの中の一番下の「日本のワクチン接種数の累計」で、急激に上昇するワクチン接種者数を見ていますと、
「ああ、今後は本当に」
と思わざるを得ない面があります。もちろん、そんな予想はぜひ外れてほしいですが(もうワクチンでの死者数見るの悲惨すぎて疲れた)、たとえば、少し前の記事で、ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスのウイルス学者であるリュック・モンタニエ博士が、
「コロナの変異種はコロナワクチンが作り出している」
「コロナの感染拡大そのものが、ワクチンによって引き起こされている」
と述べていたことを取り上げました。以下の記事です。ノーベル賞学者のリュック・モンタニエ氏が「変異種も感染拡大もコロナワクチンそのものが作り出している」とメディアに語る
投稿日:2021年5月22日
実は、この傾向は以前からはっきりと出ていたのですけれど、
「今どうも、この状態が、アジアに拡大している」
ようなのです。本日書きました以下の記事では、アジア数カ国での「新たな死者数の推移とワクチン接種数の推移」のグラフを載せています。
「ワクチン接種増加数」と「死者数の増加」のアジア各国の関係性を見てみましょう
地球の記録 2021年5月25日
ここでは、その傾向が極端な国を取り上げていますが、たとえば感染の拡大が伝えられているインドにしても、この傾向は同じです。つまり、ワクチン接種数とリンクして死者が増えるという傾向です。
インドの新たな死者数の推移とワクチン接種数の推移の比較(2021年1月1日 - 5月23日)
COVID-19 Data Explorer
さきほどのゼロヘッジに出ていました「日本のワクチン接種数」の増加のグラフは、非常に唐突に極端に上昇しているわけですが、「他の国と似たようなことにならなければいいのだけれど」と、つくづく思わざるを得ません。たとえば、やはり 5月から急速にワクチン接種数が増加したマレーシアの以下のような曲線を描かなければいいなとは思うのです。どのデータでも、おむむね、ワクチン接種増加の 1ヵ月から 2ヵ月くらい遅れて死者数の増加が見られているのですが、正直これは日本ではどうなるのかはわかりません。しかし、アメリカが「最高レベルの渡航中止勧告」を出してきたということは、「今後そうなる予測がある」か、あるいは「そのように世界に見せたいという意図がある」というような部分もあるのかもしれません。
私たち日本人は覚悟が必要な段階にいると思います。「覚悟」というのは、新型コロナに感染して云々ではなく、社会混乱と社会統制のさらなる激化の話です。もう元に戻る機会はないかもしれません。
では、インドではどのように「神話」が作られていったかを見てみましょう。
どのように「世界最悪の感染国」だとされていったか。
インドではそもそも、「 100万人あたりの感染確認数」でいえば、インドはそれほど突出しているわけではないことは、公式のデータでもわかります。
以下は、それなりに感染が拡大していたような、ある程度の人口を持っている国を比較したものです。別にどこでもいいのかもしれないですが、チリ、マレーシア、モンゴル、インド、ギリシャを挙げています。現時点で、あるいは、以前にインドより高い人口あたりの感染確認数を示していた国はいくらでもあるのですが「インドが選ばれた」。
先ほど、「ワクチン接種と感染確認数の増加の関係」のことを少し書きましたけれど、他にも、インドで感染確認数が急激に増加した 3月はじめから、インドでは、「突然、PCR検査数を増加させている」こともグラフでわかります。昨年夏にインドで急激に感染確認数が増加した時もそうでした。もちろん、実際のインドの最近の感染確認数の増加は、地域によっては「数千パーセント」などとなっていますので、PCR検査の増加だけで語ることのできるものではないですが、このようなグラフが示す「ワクチン接種の増加と検査の増加」の組み合わせからは、
「いろいろと増えない理由がない」
ということもわかります。いろいろとある話なのでしょうけれど、今回は、英国の独立系メディアの記事をご紹介して締めさせていただこうと思います。インドの「コロナ危機」は乗っ取られた話かもしれない
India’s “Covid Crisis” has been hijacked – The Mainstream Media are lying to you
dailyexpose.co.uk 2021/04/25
中国の武漢でパンデミックが発生したとき、世界のメディアは一斉に不穏な現地の状況だとされていることを報じた。道路で突然倒れて死亡した男性、そして、まるで武漢がゾンビの国のようになったかのようなイメージ。しかし、そのような現実はなかった。今、インドでその武漢の状況が再び再現され、世界中のメジャーメディアで報じられている。英ガーディアンは、インドの状況について、「インドの悪化する Covid 危機が世界にとって悲惨な問題である理由」という記事を掲載し、以下のように書いた。インドで展開されている破局的状況は、多くの人々に Covid-19パンデミックについて恐れられていることの最悪のシナリオのように見える。十分な病院のベッドを確保できない、検査、薬や酸素へのアクセスができない。14億人の国は感染症の下に沈んだ。
さて、インドの人口は 14億人であるという事実から始めよう。SARS-CoV-2 の毎日の陽性検査の数を見ると、2021年4月24日にインドが 349,691件の陽性検査を記録したことがわかる。これは、インドの全人口のわずか 0.02%に相当する。この 4月24日は、SARS-CoV-2 の陽性検査結果の数で(この時点までで)インドで過去最高の感染確認数の日でもあった。英国の主流メディアによって報道される内容は、インド全土で酸素を必要とする患者たちが非常に多く、現在、酸素が圧倒的に不足しているというものだ。しかし、インドでは少なくとも過去 6か月間、酸素が不足し続けている。インド政府がそれに対して何もしていないだけだ。インドのメディア「クォーツ・インディア」が発表した記事では、2020年10月以降、インド全土の 150の地区病院が近隣に酸素生成プラントが建設されるの待っていることを説明しているが、一切実現していない。インドではずっと酸素不足が続いているというのが現実だ。では、死亡事例についてはどうだろうか。最新のデータによると、2021年4月24日に 2,767人が死亡した日が、これまでのところインドで最も多い Covid-19による死亡事例数だった。しかし、人口 14億人のインドで、それは人口の 0.0001%にすぎない。そして何より、そもそもインドでは他のすべての死因により「 1日あたり平均 2万5,270人が死亡している」のだ。ここからやや興味深い話だが、コロナワクチンが展開される前、インド政府は、シラミや疥癬など、さまざまな種類の寄生虫の蔓延を治療するために使用される薬であるイベルメクチンでインド国民を治療していた。イベルメクチンは、試験では、Covid-19の治療に効果的であることが示されている。実際、インド政府は、2020年8月下旬にイベルメクチンの使用を開始し、Covid-19に起因する毎日の死亡数を減らすことに大きな成功を収めていた。しかし、理由は不可解だが、インド政府は今年 1月に、イベルメクチンからコロナワクチンに方針を切り替えた。インド全土でワクチンが実際に展開されたのは、2月末からだった。以下はその後を含めた死者数のグラフだ。それまで、フラットだった死者数が、突如、指数関数的に増加し始めた。もちろん、相関関係は必ずしも因果関係に等しいとは限らないが、これと同じパターンが他の多くの国で発生しているのを見ると、これは単なる偶然ではないことを疑問視し始めなければならない。
(※ 訳者注 / ここから各国の事例をグラフで説明しているのですが、先ほどリンクいたしました地球の記録の記事のグラフをご参照いただければと思います。)
これらは同じパターンが発生したほんの一握りの国であり、英国もその 1つだが、同じパターン(ワクチン接種拡大と共に死者数が増えること)を示した国のリストは無限といっていい。インドでの Covid による死亡の増加は、実際には実験的コロナワクチンによる死亡である可能性があるのだろうか。それはもちろん確かではなく、単なる偶然の 1つかもしれないが、そうだとすれば、これは偶然がもたらした地獄だ。
ここまでです。ここでいう「偶然がもたらした地獄」というのを、日本にしても、他の国にしても経験しなければいいなとは思います。というのも、何度も書きますが、可能性があるとしか言えないものではあれ、免疫の喪失と抗体依存性増強がもたらす「本当の社会危機」は、数カ月後、数年後、その先に顕在化すると予測されているのですから。先ほど書きました「覚悟」は、様々な意味があるとは思いますが、少なくとも、すでに「元の生活に戻る機会」は失われました。その後の生活にもたらされるかもしれない不便や不均衡を乗り越えて生きていけるかどうかというのが、これからの人生のポイントになりそうです。
コメント 
1.匿名 
2021年05月25日 21:56
5月26皆既月食 満月+新月の満潮時は人工災害気象兵器に注意??
避難所でクラスター発生させて
564の567遺伝子ワクチン強制的圧力で摂取させるとかやめてよね~
「ベクテル社」
奴らが東京直下型大地震を仕掛ける!!
東京アクアライン・湾岸線 浮島入口 3月5日から5月下旬まで長期閉鎖!!
https://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/ff400b5a741576cdce599de8fc2ebde5
2021.01.21
次は東京 気になる怪文書 首都直下地震を警告
https://golden-tamatama.com/blog-entry-next-tokyo.html
狂った 安倍晋三が 環境技術に 官民で10年間に 30兆 円 投 資 するだと!!
https://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/fa4a2391ecbf877a0f0180ff2a15dc86?fm=rss
2.匿名 
2021年05月25日 22:03
コメント紹介です。 
2018年10月06日
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2085541.html
「日本の子供におにぎりを」はどこ? + 滝川クリステルの暗号(『東京マグニチュード8.0』10/28) 玉蔵
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2117668.html
2011年3月11日14時46分──東日本大震災が起きた日。
築地市場の豊洲への移転関連予算案が1票差で可決。豊洲新市場移転が、動き出す。
URLはれません。 空間を削除して検索
http:// electronic-journal.seesaa.net/article/452924925.html
原発推進と不平等条約推進の経産省 
宗像直子元特許庁長官と夫の土井俊範
AMROアムロ?ガンダムプロジェクト?
IMFは、日本の財務省とズブズブ アドレノクロム利権も?TPP、EPA、RCEPと改憲
鹿児島 ラ・サール人脈
土井俊範 | 異動ニュース
(2017年07月11日) 関税局長(国税庁次長) 財務総合政策研究所長(国際局次長)
2019/04/03 ? アジア経済の分析を担う国際機関「ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス」(AMRO)の
事務局長に財務省顧問の土井俊範(としのり)氏(57)が5月27日付で就く。任期は3年。
https://www.asahi.com/articles/ASM433V9GM43ULFA00T.html

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