ラベル #1982 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル #1982 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

巨人





昔、巨人が宇宙から来た
2008/5/29(木) 午前 6:09
ユーラシアの湖にミステリアスな巨人が住んでいる(Part1,Part2)
ロシアの未確認人間型生物の時代別目撃譚です。
(1)Issik Kul湖
キルギスタンにあるIssik Kul湖は不凍湖である。
ソ連時代ははIssik Kul湖で魚雷、水中ミサイルなどの実験を行っていた。
現在も軍事施設が置かれているという。
1930年代後半に超常現象研究家のGrabovskyという人がこの湖の洞窟で3メートル以上の人骨を発見したとウクライナの作家V. Krapivaが書いている。
その人骨には、銀製のコウモリのような形の装飾品が付けられていた。
この装飾品は溶かされてしまったが、残った破片を後の時代にソビエトの科学者が調査したが、年代の特定はできなかった。
キルギスの伝説では湖に沈んだ都市があり、その王、King Ossounesは「ロバのような長い耳」をしていたという。
この湖は超常現象の経験談が多い。
(2)グルジア
このような巨人の目撃譚最初のものは1900年代の初頭、グルジアの少年が湖の近くの山の洞窟で3メートルの人骨を発見した話がある。
(3)バイカル湖
1992年4月の雑誌ANOMALIYAに、アフガン戦争の退役軍人のMark Shteynbergの話が掲載された。Shteynberg氏は偵察ダイバーの訓練担当をしていた。
1982年に、バイカル湖で軍事訓練で潜水をしていた時に、3メートルの巨大な体格の「スイマー」が複数人目撃された。スイマーは銀色の体に密着したスーツを着ているだけで、50メーターの深度でも、アクアラングは着けておらず、頭部全体を隠す円形のヘルメットをかぶっていただけだった。
シベリアの軍ではその生物を捕獲しようとしたが、潜水隊が生物にネットを掛けようとした時、潜水隊は皆水面に巨大な力によって押し出され、潜水病で犠牲者が出た。
Issik Kul湖でも捕獲命令が出された。
有名なロシアの作家Mikhail DemidenkoがこのShteynbergの記事を読んでいる。
(4)チベットの眠る巨人
Demidenkoは1954年に新疆ウィグル自治区のラマ教の僧院でロシア語を話すモンゴル人の僧に会い、チベットの山の洞窟に3メートルの巨人が麻酔によって眠っているという話を聞く。これは、ヒトラーが捜し求めたものと関係しているだろう。
(5)Borisoglebsk Giant(ボリソグレブスクの巨人)
ボリソグレブスク(Voronezh地方)
ボリソグレブスクはロシアのSETKA計画に関係していたA. PlaksinによるとUFOの目撃譚が非常に多い場所である。
1980年代に軍隊の特別委員会が設立され、この地域のUFOを研究することになった。
委員会によると、1982年5月26日にMIG-21戦闘機と地上の交信が取れなくなっている時、高度1500メートルでUFOが目撃された。
翌日、Povorino地区の森で、身長3.5メートル、銀色の服を着た人間型生物が目撃された。
(6)silvery ones 銀色のものたち
2000年12月1日にプラウダに掲載された記事の中に、Timofeyevkaの軍の部隊が銀色の服を着た2つの生物と遭遇、身長2.5メートル。
近くの樫の森からやって来て、見張り兵が警告射撃をした。生物は逃げたが、巨大な足跡が発見された。
(7)最近の潜水宇宙人目撃
1996年に雑誌に発表された記事。
サメ漁師B. Borovikovが黒海のAnapaで8メートルの深度で潜水しているときに遭遇。
生物は2つで、人間のような顔、体色は乳白色、手には水かきのようなものがあった。下半身には魚のような尾があった。
1990年代初頭にレニングラードの湖でも潜水宇宙人が目撃されている。D. Povaliyayevの著書に書かれている。
(1)の湖に興味があったので全部紹介しました。
この湖は『霊界物語』でアルタイからコーカサスまで宣伝使が旅をする話のルート上にある可能性があって、以前に調べたことがあるからです。
世界各国で巨大な人骨が発見されている。 
南米ボリビアのモホス平原で日本人の調査隊が発見した古代人の人骨は、1.8m以上あったという。
他にも、世界各国で、2.4m~10.1mの巨人の骨が発見されているという。
'http://karetta.jp/images/210139/skelton.jpg
http://karetta.jp/images/210139/skelton.jpg
図は、左から1.7mの現代人、2.4mの巨人、10.1mの巨人の骨を並べてみた。
さすがに10.1mの巨人はありそうもない。
各地の伝説、たとえばアメリカインディアンの伝説では、足が毒蛇で、竜の尾をもった人食い巨人やノルウェーの神話のイミールという巨人がある。
旧約聖書にも、ネフィリムやゴリアテ(身長3.5m、体重104kg)やオグ(身長4m)という巨人のことが書かれている。
またレムリア伝説では、18mもあるレムリアという巨人族がいたと伝えている。
さらにギリシャ神話のキュクロプス、ドイツのリューベンツァール、ランフェルなどがある。
ほとんどの伝説は、架空の物語かもしれないが、巨人の骨が発見されている以上、中には本物の巨人伝説があるに違いない。
巨人の宇宙人だったのか、それとも太古の宇宙人がつれて来た巨大なロボットだったのか? 
10m以上の巨人は、案外ロボットだったのかもしれない。

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/



BIG MANパニックレポート
1982年は職業戦争の幕開けになる
(小説 食糧危機 )
1982年2月。北極から張り出してきた寒気団はカナダを覆い尽くし、瞬く間に五大湖の上空に侵入した。
東京大手町のある総合商社10階。ミシシッピ川の凍結がケイロまで進んだという情報が入って以来、穀物セクションの部屋は殺気立っている。
「荷が川を下りてこない以上、契約通りの受け渡しは困難ですよ。現地の穀物商社等は、いつ不可抗力宣言を出して受け渡しを送らせようかという談合を始めたとの情報もあるくらいです。」
日本の食料品店の店頭から豆腐屋油揚げが姿を消すのに時間はかからなかった。つい昨日までスーパーの目玉商品に使われていたサラダ油が、客1人に一缶という割り当て販売になった。食用油不足から営業時間の短縮を余儀なくされた天ぷら屋が続出。肉は急に安くなった。
エサ不足とエサ価格急騰で、畜産業者は豚などを買い続けるのは難しくなって、どんどん屠殺しているからだ。
「消費者に朗報」などと喜んでいられるのは短い間だ。まもなく供給がガタ減りし、肉は前よりも高嶺の花になる。大量屠殺の後遺症はまず1年は残る。
食料危機という声が高まるにつれて色々な物の出周りが少なくなってきた。社会不安の高まりを恐れて政府は売り惜しみ買い占め防止法(投機防止法)をちらつかせる必要を感じ始めた。

以上はフィクションであるが、全くの作り事ではない。
1977年のミシシッピー川凍結はこれと似たような状況を作り出した。カーター前大統領は陸軍工作兵を送り出し、凍結した川をダイナマイトで砕いて穀物を積んだバージ(はしけ)が通れるように手を打った。
それでも正常化するまでに2ヶ月以上かかっている。
日本国内では関連商品が高騰し、大混乱となった。
当時は3ヶ月以上の再婚あったものの、第一次石油危機の記憶が生々しかったためか、パニック寸前までいった。
先ほどの商社マンの話ではないが、現在の在庫は1ヶ月分ぐらいしかない。1977年以上に危険な状態にあるわけだ。
例えば日本の大豆の輸入量440tの96%がアメリカ。しかもアメリカからの船積みの70%はミシシッピ川-ガルフを経由している。 ミシシッピ川は日本の台所に直結しているというわけだ。
現在の日本の食料状況は、輸入に占めるアメリカの比率もさることながら、自給率も低く、海外市場の演歌をもろに受ける体質になっている。
日本の米の年間生産量は約1300万t。
これに対して、小麦、大麦、大豆、トウモロコシの年間輸入量は約2800万tと、米生産量の約2.2倍である。穀物自給率はわずか34%。
農政審議会の見通しでは、1990年には30%に減り、以後じりじりと自給率は落ちていく。
「不測の事態」が起きて、輸入が減ったらどうなるか。一人当たりの栄養水準で見ていくとわかりやすい。
現在日本人の1日あたりの栄養水準は2500カロリー。もし輸入が現在の3分の2に減少しとしたら、2151カロリーと、昭和30年代初めの水準になる。輸入が半分に減った場合は1914カロリーしか摂取できず、まだ戦後間もなく、あちこちにやけあとが残っていた30年前に逆戻りしてしまうのだ。
「不測の事態」のうち、最も起こり得る可能性が高いのはミシシッピ川凍結であるが、日本の日本にとっての影響は軽い方であろう。一時的なパニック状態は起きるものの、それは時間が解決してくれるだろう。
1981年11月16日。ソ連共産党中央委員会総会。
ブレジネフ書記長は、外交・軍事面で、ソビエト連邦はアメリカに対して優勢を保っていると得意満面で演説を続け、出席者は万雷の拍手を送った。ところが食料生産の項目に入ると、書記長の口調はにわかに弱々しいものになった。1981年の穀物生産目標2億3500万t。ところが実際の収穫量は1億7000万tを下回る成績になってしまったのだ。3年連続の不作であり、特に1981年は最近では最悪と言われた1975年の1億3000万t以来の低い収穫量である。
いつしかブレジネフの口調は哀願調になっている。
「ソビエト連邦、穀物不足を公式に認める」-ニュースは世界中を駆け巡り、シカゴの穀物相場は上伸、ロンドン・チューリッヒの金相場は、1トロイオンス400ドル台を割り込んだ。ともにソビエトは穀物の大量輸入に出る必要があるという予想に反応したものだ。
ソビエトの投資外貨事情では、金を売らなくては穀物は買えないはずであり、実際、このところ売主不明の金売却量が増えている。
スイスの個人銀行は顧客に金の売りを指示した。シカゴのメリルリンチ社は顧客に大豆とうもろこしの買いを支持した。史上最高の豊作で停滞している市場にとって、ソビエトの不足は願ってもないカンフル剤になる。
「4万トンでもソ連に売ってやるぞ」、相場の上げはそう叫んでいるようにも見えた。
アメリカ農務省は1981年~1981年(1981年10月~1982年9月)のあいだに曽木とは4000万tの穀物を輸入すると予想し、アメリカから2000万tは買うだろうと見ている。
ところが1981年から1982年12月の船積み物を1000万円まで買い進んだところでソビエトは買付を見送って、アルゼンチン、ブラジル、カナダなどアメリカ以外の穀物生産国での買い付けを急ぎ始めた。
そして12月13日、ポーランドに戒厳令が施行され、自主管理労働組合「連帯」の弾圧が開始された。ヤルゼルスキ軍事政権の後ろにはソビエトの影がちらつく。
アメリカは対ソビエト制裁に乗り出すだろう。穀物禁輸で締め付けてくる可能性がある。そうした事態に備えるには、アメリカからの輸入依存度を下げておかなければならない。
昨年末アメリカレーガン大統領が発表した対ソ連制裁では、穀物禁輸は見送られたが、今後の情勢次第では穀物禁輸もあり得ると威嚇している。
穀物が外交特にソビエトとの関係で有効な武器になるとアメリカが気がついたのは、1972年から1973年にかけて、ソビエトが隠密裏に大量のアメリカ産穀物を隠密に買い付けたことがきっかけであった。当時のニクソン大統領、キッシンジャー特別補佐官は、早速国務省、CIAにソ連の農業実態を調査させるチーム作成を命令、報告と偵察衛星による写真分析を重ね合わせてみた結論は、
「ソビエトの農業生産は伸び悩みがはっきりしており、増え続ける需要を自力で賄いきれなくなっている。常に大量輸入が必要な状態になってきている。」
ニクソン・キッシンジャーがソビエトとの交渉に穀物取引をを絡み始めたのは言うまでもない。
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

gjajdbjtl pc






主要生産国の生産量
1979年度
アメリカ  29900万t
中国  27900万t
EC   14800万t
ソ連  17400万t
インド  12600万t
カナダ  3600万t
ブラジル  3300万t
アルゼンチン  1900万t
オーストラリア 2300万t
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

gk5ja pc










食糧戦争

BIG MANパニックレポート
1982年は食糧戦争の幕開けになる
(小説 食糧危機 )
1982年2月。北極から張り出してきた寒気団はカナダを覆い尽くし、瞬く間に五大湖の上空に侵入した。
東京大手町のある総合商社10階。ミシシッピ川の凍結がケイロまで進んだという情報が入って以来、穀物セクションの部屋は殺気立っている。
「荷が川を下りてこない以上、契約通りの受け渡しは困難ですよ。現地の穀物商社等は、いつ不可抗力宣言を出して受け渡しを送らせようかという談合を始めたとの情報もあるくらいです。」
日本の食料品店の店頭から豆腐屋油揚げが姿を消すのに時間はかからなかった。つい昨日までスーパーの目玉商品に使われていたサラダ油が、客1人に一缶という割り当て販売になった。食用油不足から営業時間の短縮を余儀なくされた天ぷら屋が続出。肉は急に安くなった。
エサ不足とエサ価格急騰で、畜産業者は豚などを買い続けるのは難しくなって、どんどん屠殺しているからだ。
「消費者に朗報」などと喜んでいられるのは短い間だ。まもなく供給がガタ減りし、肉は前よりも高嶺の花になる。大量屠殺の後遺症はまず1年は残る。
食料危機という声が高まるにつれて色々な物の出周りが少なくなってきた。社会不安の高まりを恐れて政府は売り惜しみ買い占め防止法(投機防止法)をちらつかせる必要を感じ始めた。
以上はフィクションであるが、全くの作り事ではない。
1977年のミシシッピー川凍結はこれと似たような状況を作り出した。カーター前大統領は陸軍工作兵を送り出し、凍結した川をダイナマイトで砕いて穀物を積んだバージ(はしけ)が通れるように手を打った。
それでも正常化するまでに2ヶ月以上かかっている。
日本国内では関連商品が高騰し、大混乱となった。
当時は3ヶ月以上の再婚あったものの、第一次石油危機の記憶が生々しかったためか、パニック寸前までいった。
先ほどの商社マンの話ではないが、現在の在庫は1ヶ月分ぐらいしかない。1977年以上に危険な状態にあるわけだ。
例えば日本の大豆の輸入量440tの96%がアメリカ。しかもアメリカからの船積みの70%はミシシッピ川-ガルフを経由している。 ミシシッピ川は日本の台所に直結しているというわけだ。
現在の日本の食料状況は、輸入に占めるアメリカの比率もさることながら、自給率も低く、海外市場の演歌をもろに受ける体質になっている。
日本の米の年間生産量は約1300万t。
これに対して、小麦、大麦、大豆、トウモロコシの年間輸入量は約2800万tと、米生産量の約2.2倍である。穀物自給率はわずか34%。
農政審議会の見通しでは、1990年には30%に減り、以後じりじりと自給率は落ちていく。
「不測の事態」が起きて、輸入が減ったらどうなるか。一人当たりの栄養水準で見ていくとわかりやすい。
現在日本人の1日あたりの栄養水準は2500カロリー。もし輸入が現在の3分の2に減少しとしたら、2151カロリーと、昭和30年代初めの水準になる。輸入が半分に減った場合は1914カロリーしか摂取できず、まだ戦後間もなく、あちこちにやけあとが残っていた30年前に逆戻りしてしまうのだ。
「不測の事態」のうち、最も起こり得る可能性が高いのはミシシッピ川凍結であるが、日本の日本にとっての影響は軽い方であろう。一時的なパニック状態は起きるものの、それは時間が解決してくれるだろう。
1981年11月16日。ソ連共産党中央委員会総会。
ブレジネフ書記長は、外交・軍事面で、ソビエト連邦はアメリカに対して優勢を保っていると得意満面で演説を続け、出席者は万雷の拍手を送った。ところが食料生産の項目に入ると、書記長の口調はにわかに弱々しいものになった。1981年の穀物生産目標2億3500万t。ところが実際の収穫量は1億7000万tを下回る成績になってしまったのだ。3年連続の不作であり、特に1981年は最近では最悪と言われた1975年の1億3000万t以来の低い収穫量である。
いつしかブレジネフの口調は哀願調になっている。
「ソビエト連邦、穀物不足を公式に認める」-ニュースは世界中を駆け巡り、シカゴの穀物相場は上伸、ロンドン・チューリッヒの金相場は、1トロイオンス400ドル台を割り込んだ。ともにソビエトは穀物の大量輸入に出る必要があるという予想に反応したものだ。
ソビエトの投資外貨事情では、金を売らなくては穀物は買えないはずであり、実際、このところ売主不明の金売却量が増えている。
スイスの個人銀行は顧客に金の売りを指示した。シカゴのメリルリンチ社は顧客に大豆とうもろこしの買いを支持した。史上最高の豊作で停滞している市場にとって、ソビエトの不足は願ってもないカンフル剤になる。
「4万トンでもソ連に売ってやるぞ」、相場の上げはそう叫んでいるようにも見えた。
アメリカ農務省は1981年~1981年(1981年10月~1982年9月)のあいだに曽木とは4000万tの穀物を輸入すると予想し、アメリカから2000万tは買うだろうと見ている。
ところが1981年から1982年12月の船積み物を1000万円まで買い進んだところでソビエトは買付を見送って、アルゼンチン、ブラジル、カナダなどアメリカ以外の穀物生産国での買い付けを急ぎ始めた。
そして12月13日、ポーランドに戒厳令が施行され、自主管理労働組合「連帯」の弾圧が開始された。ヤルゼルスキ軍事政権の後ろにはソビエトの影がちらつく。
アメリカは対ソビエト制裁に乗り出すだろう。穀物禁輸で締め付けてくる可能性がある。そうした事態に備えるには、アメリカからの輸入依存度を下げておかなければならない。
昨年末アメリカレーガン大統領が発表した対ソ連制裁では、穀物禁輸は見送られたが、今後の情勢次第では穀物禁輸もあり得ると威嚇している。
穀物が外交特にソビエトとの関係で有効な武器になるとアメリカが気がついたのは、1972年から1973年にかけて、ソビエトが隠密裏に大量のアメリカ産穀物を隠密に買い付けたことがきっかけであった。当時のニクソン大統領、キッシンジャー特別補佐官は、早速国務省、CIAにソ連の農業実態を調査させるチーム作成を命令、報告と偵察衛星による写真分析を重ね合わせてみた結論は、
「ソビエトの農業生産は伸び悩みがはっきりしており、増え続ける需要を自力で賄いきれなくなっている。常に大量輸入が必要な状態になってきている。」
ニクソン・キッシンジャーがソビエトとの交渉に穀物取引をを絡み始めたのは言うまでもない。
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

gjajdbjtl pc






主要生産国の生産量
1979年度
アメリカ  29900万t
中国  27900万t
EC   14800万t
ソ連  17400万t
インド  12600万t
カナダ  3600万t
ブラジル  3300万t
アルゼンチン  1900万t
オーストラリア 2300万t
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

gk5ja pc