昭和天皇に戦争責任はあった、しかし責任を追求していくと日本国民全てに責任は及ぶ(株式日記と・・・) まさちゃん
9. 中川隆[-6658] koaQ7Jey
2017年8月16日 08:22:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
天皇制官僚国家が成立したのは、いわゆる「明治維新」。薩摩藩と長州藩を中心とする勢力がイギリスと手を組んで徳川体制を倒したのであり、誕生の瞬間からアングロ・サクソンの影響下にあった。その辺の事情は本ブログで何度か指摘した通りだ。
アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。グルーが日本へ来た1932年までアメリカの大統領はハーバート・フーバー。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」した人物である。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
1932年の大統領選挙でフーバーの再選を阻止したのは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルト。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人はニューディール派を排除してファシズム政権を樹立しようと目論む。このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で明るみ出て実行されなかった。当時、軍の内部で人望の厚かったバトラーを抱き込もうとして失敗したのである。その際、バトラーはクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えたという。この結果、日本の支配層が従属していたJPモルガンの影響力は低下してしまった。日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。
★阿修羅♪
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