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松井茂『イラク』〜1980年代イラン・イラク戦争の記録
松井茂『イラク』(中公文庫)
▼イラクのイラン侵攻期 
イラン,イラクの両国の国境紛争は長い歴史を持ち1979年2月のイラン・イスラム革命以降も続いた。筆者がイラクに滞在した1980年春も,紛争が燃え広がっていた。やがてこれが「中東の覇権」を求めるイラクのフセイン大統領の野心と結び付き,1980年9月17日には両国の国境を定めたアルジェー協定の破棄,続く9月22日にはイラク軍のイラン領侵攻へとつながっていった。
1980年9月,侵攻一日目,イラク空軍機はイラン各地の空軍基地を攻撃したが,与えた損害は軽微だった(いつ頃からかは分らないが,筆者が実際に視察した時には,イランの空軍基地は厚さ2m以上もあるベトン製格納庫に軍用機を収容し,その周囲に,爆風を防ぐ高いコンクリート製の防風壁を設け,空襲に対し万全を期していた)。これが以後の作戦に与えた影響は大きく,劣勢と見られていたイラン空軍は,イラクの各都市や重要施設を爆撃,たびたび首都バグダードを停電に陥れた。イラクは予備役の召集を開始し,中部のカスルエシリン地区とメヘラン地区,南部のフゼスタン州の三地域で地上戦が展開された。このうちカスルエシリン地区には師団級,メヘランには旅団級の兵力からなるイラク軍が侵攻し,カスルエシリンでは前方40km,メヘランでは前方10kmの地点をそれぞれ占領,堅固な防衛陣地を築いた。これら両地区への侵攻は,カスルエシリン地区からバグダードへ,またメヘラン地区からバグダードーバスラ街道への脅威を防ぐために実施されたもので,以後,この両地区でイラク軍は防禦に専念した。主戦場となったのは,イラン南部の平坦なフゼスタン州であった。ここに,二個機甲師団を主力とするイラク軍が侵攻した。 二個機甲師団といえば,開戦時のイラク軍の全機甲師団数の半分である。だが,フゼスタン州でのイラク軍の進撃は意外とはかどらなかった。
9月28日には,行軍中のイラク機甲部隊がイラン軍の対戦車ヘリに襲われ,多大の損害を出していイラク軍の当面の目標は,シャット・アル・アラブ河沿いのホーラムシャハルと製油所のあるアバダンであった。ホーラムシャハルは激戦の末,10月24日に陥落したが,その出血の多さにイランはフェンシャハル(血の町)と呼んだほどであった…
▼イラン長期消耗期 
1983年2月,ラマダン作戦,ムスリム・イブン・アギル作戦の相次ぐ失敗にもかかわらず,モハラム作戦は膠着したとはいえイランの見通しを明るくした。イラク南部の大湿地帯は戦線が錯綜しており,イラン歩兵にとっては奇襲攻撃をかけるのに格好の場所であった。アシの繁る中を小型舟艇で機動し,ヘリコプターや輸送機による補給を受けて行動する新戦法をイランは編み出した。また,モハラム作戦での緒戦の成功から,イラクの兵力は十分でなく,ことに戦線を破られた穴をふさぐ予備兵力が極端に不足していることを露呈した。この時期のイランの戦略方針は,以下のものと推察される。
・イランは人口で3倍の優勢を持つ利点を生かして次々と部隊を新編し,長大な全国境線に亘って戦線を拡大,イラク軍を長期消耗戦に陥れる。
・イラク軍が防衛しにくい南部の大湿地帯及び,同国の生命線ともいうべきバグダードバスラ街道の切断をメヘラン地区から仕掛け,イラク軍を出血させる。
この第5期は,第1~7次のバル・ファジル(暁)作戦が中心となり,イランによる総計14の大規模な攻勢作戦が行われた。主攻勢は,イラク北部のハジオムラン高地,中部のメヘラン地区,南部のハウイザ原及びマジヌーン島に向けられたが,このうち,北部での作戦は多分に陽動作戦の色彩が濃く,実際1983年7月31日にはイラン外相のベラヤチが,一部の作戦を陽だと暗に認めている。以下ではこれら一連の作戦の内,特に大規模なものを取り上げてみよう。1984年2月上旬,「神の解放」作戦の第一波が北部で開始された。続く2月15日「ヤ・バハラ」作戦がメヘランデフロラン間の南西部で開始,後にこの「ヤ・バハラ」は,第5次バル・ファジル作戦の秘匿名であったと発表された。 2月21日,第6次バル・ファジル作戦が南部で開始され,これに連動して翌2月22日には,ヘイバル作戦も開始されている。以上のように,作戦の秘匿名や多くの作戦名が一時に使用されたことは,イ・イ戦争中,前にも後にもなかった。これはもちろん,イラク側の情報処理を困難にして,秘匿効果を出そうとしたものだが,イラン軍としては,それほどこの第五/六次バル・ファジル作戦に総力を傾けていたのである。1984年2月8日~2月10日にかけて,パスダランの兵士はかねてから弱点であった機動力の向上を図って全土で演習を実施し,この作戦に向けての動員体制を完了していた。 また1983年1月以降はもっぱらアラビア湾上の船団護衛に出動する程度で,イラク領内を飛ばなくなっていたイラン空軍も,2月25日の第五次バル・ファジル作戦に呼応して,イラク各地を爆撃した…
▼イラク反抗期
…注目すべきは,イラク空軍によるペルシャ湾上のイラン領の島及び海上油田への攻勢である。1987年7月13日ファルシー島,7月14日ファルシー島,ラハーシュ油田,7月15日ロスタム油田......。 これらの島及び海上油田プラットホームは,パスダラン海上部隊の小型襲撃艇の基地である。時期的には,米海軍によるクウェート・タンカーの護衛開始の直前である。すなわち,この航空攻勢はクウェート,米国,さらに西側へのイラクのサービスとみられる。イラク自身,ペルシャ湾内でこれらイラン小型艇と闘う必然性がないからであ今さら繰り返すまでもないが,イ・イ戦争全般を通じて,こうした政治戦略,あるいは政治的配慮を双方ともよく行っている。これを見抜けなければ,この戦争の推移と進は理解できないといえよう。
こうした状況下で,イランに最後の止どめを刺したのは,イラクのミサイル及び化学戦力であった。1988年2~3月の双方の首都ミサイル合戦で,イラクはイランを圧倒した。 テヘラン市民の間には「イラクがミサイルに毒ガス弾頭を付けて撃ち込んでくる」との噂が流れ,パニックが生じた。実際,6月25日にはイラクはイラン南部のアカルバラ号アフワズに毒ガス弾頭付ミサイルを多数撃ち込んだ。こうした状況に,イラン指導部は動揺し,人民にとにかく戦果を示すため,2年ぶり「バル・ファジル」の栄光ある作戦名を再び掲げ,その第10次を北部で開始し,3月17日には温存に努めていた空軍を32波も出動させるほどに力を入れてハラブジェを陥落させ,戦果の宣伝に務めた。だが,イラクはミサイル攻撃で優位に立った次は,南部の要衝ファウの奪回作戦名「ラマダン・ムバラク」を決めていたとみられる。もともと,ハラブジェは少数民族クルド族の土地で,戦略性も高くない。イラクとしては堅守する気持はなかったであろう。もし堅守する意向なら,戦略予備軍たる最精鋭の大統領警備隊を投入したはずである。そうしなかったのには,この部隊をハラブジ防衛に注ぎ込んで,ファウ奪回の貴重な戦力を損いたくないという意向が,イラク指部にあったからだといえよう…
▼終戦期
…守備に当たるイラン軍は革命防衛隊を中心に約3万人と見られ,他方,攻撃するイラク軍は常勝将軍とわれたマベール・ランド第七軍司令官の指揮下に,第七軍と大統領からなる6~7万人であったが,防御の利点を考えると,イランにあながち不利ではない,ファウの周辺は大湿地帯で,バスラに通じる道路が二本,ウム・カスールに通じる道以外は機動や展開が利かないし,南は海であり,守るには有利な場所である。
だが4月17日の作戦初日からイラン守備隊は振るわず,ファウ半島北部とペルシ湾岸地域を奪還された。イラン発表によると,イラク軍は対岸のクウェート領ブビアン島を基地として上陸作戦を行ったという。イラク海軍は小規模な上陸作戦能力を持っていた。2日目の4月18日,イランは42波(それまでの最高の出動回数)に上る空軍の地上支援を行った。これからみて,イラン統帥部はファウの堅守を厳命したと見られる。海岸部にイラク軍戦車,水陸両用戦車,浮航式兵車などに上陸され,これらに圧迫されたことも考えられるが,とにかく海岸部を完全に占領された。同日午前9時,ペルシャ湾南部において,米国がイランに戦闘を仕掛けた。この報道を聞いて,イラン守備隊の戦意が急速に低下したことも考えられる。とにかく,海岸部を抑えたイラク軍が,シャット・アル・アラブ河沿いに北進すれば,イラン守備隊は退路を断たれる。そこで3日目,イラン守備隊はシャット・アル・アラブ河を渡って,撤退した。イラクによるファウ奪回は,イランの戦争継続を改めて困難とした。イラクが1986年2月の第8次バル・ファジル作戦でファウを奪われるまで,ファウ付近のラスル・ビッシュ他に対艦ミサイル「HY2シルクワーム」(中国製)の基地を置き,バングル・ホノイニ港に入港する船舶を攻撃していたが,それが再開されることになる。また,ファウ奪回により,ウム・カスールを基地とするイラク海軍がバンダル・ホメイニ港へ向かう船舶攻撃に出動しやすくなった。これらの事情のため,イランの軍需補給が著しく難しくなってきた。加えて,イラン軍の兵士の士気がとみに振るわなくなってきた。ファウは簡単に奪回されたし,バスラ東方シャラムチェ地区(イラク側作戦名「タワッカル・アラー」),マジヌーン島なども容易に奪回された(イラク側作戦名「タワッカルナー・アラー・アラー2」)。 マジヌーン島などは,外人部隊の「イラク・イスラム革命最高評議会」のバドル軍団に守らせて,イラン軍は引き揚げていた。中部戦線では,イラクの外人部隊のイラン反体制派「ムジャヘディン・ハルク」の軍事組織NLAに,革命防衛隊が敗北する有り様だった(作戦名「タワッカルナー・アラー・アラー4」)。
戦後の1989年2月,イランを訪れた筆者は次のことを聞いた。戦争の終盤,ある日本企業のテヘラン事務所に勤めているイラン人従業員たちが,革命防衛隊に志願して出征した。しかし,前線でイラクのすさまじい砲火を浴びて,部隊長以下全員が腰を抜かし,集団脱走した。 脱走した足で全員が元の職場へ復帰したが,軍内憲兵組織が確立されておらず,逮捕されなかったという。こうした例は他にも多かったといわれる。
ペルシャ人は激昂する性格だが,気分の変わるのも早い。 そのせいであろう。 他方,イラクは兵や兵逃れは手配され,捕まれば厳罰となる。以上の状況の中で,1988年7月18日,イラン指導部はついに国連の停戦決議を
受諾し,イイ戦争は終結へと向かった。
        
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Vernon Coleman: 石油戦争

Vernon Coleman: 石油戦争 
2026/03/18 20:36
Oil Wars Dr Vernon Coleman
https://www.vernoncoleman.com/oilwars.htm 
注: 以下のエッセイは、2007 年に初めて出版されたヴァーノン・コールマンの著書『石油の黙示録』に基づいています。この本の最新版は現在、『気候変動よりも大きな問題: 石油の終焉』というタイトルで入手可能です。石油供給の確保は、20 世紀の多くの戦争において重要な要素であった。それは確かに、アメリカの最近の違法な戦争の主な要因であった。 (もちろん、ベネズエラの獲得は実際には戦争ではなかったが、合法とは言えなかった。) テロとの戦争は、容認できない行為の都合の良い、公に受け入れられる言い訳にすぎなかった。
ルートヴィヒ・ボルツマン[Ludwig Boltzman]は 1886 年に、「生命コンテストは主に利用可能なエネルギーをめぐるコンテストである」と書いている。もちろん、石油をめぐる争いは新しいことではない。アメリカは、新たな同盟国と新たな敵の両方が戦いでかなり疲弊した後に初めて第一次世界大戦に(イギリスとフランスの側で)参戦した。戦争に参加することに同意すると、アメリカは戦争が終わったらアメリカの経済的、政治的目標を考慮するという要求を含む条件を課した。それらの目的の1つは、新しい原材料、特に石油の供給源へのアクセスであった。
▼ 1919年
1919年2月、英国の有力高官アーサー・ヒルツェル卿[Sir Arthur Hirtzel]は、「スタンダード・オイル・カンパニーがイラクを占領することに非常に熱心であることを心に留めておくべきだ」と警告した。
それは1919年のことであった。アメリカは、自国の石油会社がファイサル国王(イギリスがイラクで王位に就かせた君主)の新しい傀儡君主国と自由に交渉できるよう要求した。そしてイラクの石油は同盟国間で分配された。石油の5パーセントは、協定の交渉を手伝ったグルベンキアン(「ミスター5パーセント」として知られる)と呼ばれる石油王に渡った。残りの95%は、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ合衆国の間で4つの方法で分割された。現在ブリティッシュ・ペトロリアム、シェル、モービル、エクソンとして知られる企業が、入手可能な石油をほぼ独占していた。イラクの石油は、イラクで革命が起こった1958年までこの方法で分割されていた。「石油は文字通り、何十年にもわたって(アメリカの)外交・安全保障政策を決めてきた」と、アメリカ・エネルギー長官のビル・リチャードソン[Bill Richardson]は1999年に語った。「今世紀に入ってから、第一次世界大戦後、中東の分裂を引き起こしました。ドイツと日本を刺激して国境を越えて触手を伸ばした。アラブ石油禁輸措置。イラン対イラク。湾岸戦争。これはすべて明らかです。」
この地域におけるアメリカの影響力は、1930年代にアル・サウード家とアメリカ合衆国がサウジアラビアをほぼアメリカの植民地として建国したときに封印された。首都リヤドのアメリカ大使館が地元の石油会社の建物内にあったのは偶然ではなかった。
しかし、アメリカ人は中東の石油の分け前に満足していなかった。彼らはコントロールを望んでいたのである。彼らはイギリス人を排除しなければならなかった。そして彼らにチャンスが訪れたのは第二次世界大戦であった。アメリカ人は絶えず自分たちを英国の救世主であると主張している。これは悪質な虚偽表示だ。第一次世界大戦の時と同様、アメリカは容赦なく日和見主義だった。
▼ 1944年
イギリスは第二次世界大戦によって大きく弱体化したが、1940年代初頭に起こったことの結果としてアメリカは飛躍的に力を増した。ルーズベルト政権とトルーマン政権(銀行と石油利権が支配していた)は、米国が確実に頂点に立つために世界を再構築することを決定した。彼らは世界の石油の支配を望んでいた。彼らは米国主導のグローバリゼーションを望んでいた(その目的のために1944年に国際通貨基金と世界銀行を設立した)。彼らはドルが唯一の重要な世界通貨になることを望んでいた。そして彼らは、米国があらゆる種類の兵器において軍事的優位性を持つことを望んでいた。
ウィンストン・チャーチル[Winston Churchill]は、目に見える事態に非常に心配し、1944年3月4日(ノルマンディー上陸作戦の3か月前)、イギリスの石油権益を乗っ取ろうとしないという保証をアメリカに求めた。
彼はルーズベルト米国大統領に次のように書いた書簡を送った。「お返しとして、私たちはサウジアラビアにおけるあなたの利益や財産に狙いを定めようとする考えはまったくないことを最大限の保証をさせていただきます。これに関する私の立場は、他のすべての問題と同様に、イギリスはこの戦争の結果として、領土であろうとなかろうと、いかなる利益も求めていないということです。その一方で、それは大義のために最善の奉仕をした後、少なくともあなたの謙虚な召使いが事務の遂行を任されている限り、それに正当に属するものを剥奪されることはありません。」悲しいことに、チャーチルですらイギリスを新たな「敵」から救うためにできることは何もなかった。
 ▼ 1945年
アメリカ人はすでにサウジアラビアと新たな「特別な関係」を獲得していた。彼らは1945年にこれを取り決めた。それ以来、サウジはアメリカ人に有利になるように(石油供給を放出または差し控えることによって)世界の石油価格をコントロールし、(他の産油国がアメリカを弱体化させるために通貨を変更したいときに)ドルで石油を売り続けて、アメリカ人を助けてきた。アメリカ人は、武器を提供し、(サウジ国民の願いに反して)支配的なサウジ王族を王位に留まらせることを支援することで、サウジを支援してきた。
▼ 1953年
1953年、CIAクーデターによりシャーが権力を掌握し、イランはアメリカ合衆国に与えられた。 (アメリカ人はまた、シャーが大嫌いな秘密警察の設立を支援した。) そしてその後数年以内に、イラクはアメリカとイギリスによって共同支配された。
▼ 1955年
1955年にアメリカは、中東におけるアラブ解放運動の勃興に少なくとも部分的に反対することを目的としたバグダッド協定を設立した。イギリスとイラクも署名国ではあったが、イラクは名目上のみ独立していた。英国は腐敗した君主制に支配されていたイラクに依然として軍用飛行場を持っていた。イラク国民は、世界の膨大な量の石油を足元に抱えているにもかかわらず、依然として飢え、極度の貧困の中で暮らしていた。
▼ 1958年
イラクでは1958年に事態が一変した。軍事反乱により革命が引き起こされ、世界に劇的な結果をもたらすことになった。革命が始まった翌日、アメリカ軍は2万人の海兵隊員をレバノンに投入し、6千人以上のイギリス空挺部隊をヨルダンに降下させた。アイゼンハワー[Eisenhower]の指導の下、アメリカとイギリスはレバノンとヨルダンにおける自国の利益を守るために戦争をすることを明らかにしていた。
イギリス人は、かなり素朴に、自分たちは単にイラク国外での利益を守っているだけだと考えていた。アメリカ人はもっと大きな考えを持っていた。彼らはイラクに進出して革命を転覆し、バグダッドに新しい傀儡政権(もちろん米国に友好的な)を設置したいと考えていた。しかしアメリカ人は止められた。イラク革命は大きすぎた。そして他のアラブ諸国、中華人民共和国、ソ連からの支援が多すぎた。アメリカ人は帝国主義者の計画を不機嫌に諦めた。しかし、彼らは永久に諦めたわけではなかった。アメリカ人は増え続けるテロ国家リストにイラクを加え、イラク政府と戦っている右翼クルド人分子に多大な支援を与えた。
▼ 1977年
そして1970年代後半、アメリカ人は共産主義との戦いでサダム・フセイン[Saddam Hussein]政権を支持した。 
▼ 1982年
1980年代、アメリカ人は、1979年のイランイスラム革命でアメリカが支配力を失ったイランに対する8年間の戦争で、サダム・フセインのイラクを(資金と武器で)支援した。アメリカ人は、この地域の石油へのアクセスを守るために自分たちが介入していることを公然と認め、イラクとイランがお互いを弱体化させてアメリカが乗っ取れるようにすることを、あまり公然とは望んでいなかった。ヘンリー・キッシンジャー[Henry Kissinger]元国務長官は「彼らが殺し合えばいい」と発言したと言われている。アメリカはイラク空軍にイランの標的の衛星写真を提供し、イランがイラクが送った航空機を撃墜できるように対空ミサイルをイランに送った。アメリカはこの戦争で両側で戦っており、サダム・フセインが化学兵器を使用していることをよく知っていた。 100万人以上が死亡し、両国はさらに弱体化した。 (奇妙なことに、そして偽善的に、2003年にジョージ・W・ブッシュ[George W.Bush]は、この戦争でのサダム・フセインの化学兵器使用がイラク攻撃の主な理由の一つであると主張した。) アメリカがイランにミサイルを売って得た金は、ニカラグアで社会主義政府と戦っているコントラの資金調達に使われた。当時のアメリカ大統領レーガン[Reagan]は社会主義政権を支持せず、特に社会主義政権を排除したいと考えていた。 (そのような深い感情を彼の顧問ではなく、レーガン自身に帰するのはおそらく不公平である。)イラクとイランの間の戦争は1988年まで終わらなかったが、その頃にはイラクはソ連と友好関係を築いていた。
▼ 1990年
しかしその後、ソ連は冷戦の終結とアメリカとの恒久的な緊張緩和を望んでいたゴルバチョフ[Gorbachev]によって乗っ取られた。ゴルバチョフは(東ヨーロッパ諸国から撤退したのと同じように)イラクからのソ連支援を撤回し、世界は再び突然変わった。
イランとの戦争後、サダム・フセインは巨額の負債を抱えていた。石油価格の安さは、彼の収入が国家支出と一致しないことを意味した。イラク大統領は、クウェートがイラク領土内で石油掘削を行っていると非難し、その後、クウェートは全く別の国ではなく、イラクの一州であると発表した。 1990年にイラク軍がクウェートに侵攻した。アメリカが(国際軍とともに)攻撃し、その結果生じた戦争は数週間で終わり、1991年にアメリカ人はイラクに戻った。その後の10年間、彼らはイラク国民を弱体化させ、精神を破壊するために制裁、爆撃、封鎖を行った。アメリカの対イラク制裁はサダム・フセインをターゲットにしたものではなく、イラク国民をターゲットにしたものだった。アメリカ人が湾岸戦争でイラクを攻撃したとき、彼らは意図的にイラクの給水施設を爆撃した。
▼ 1999年
そして、戦争が「終わった」後、米国は新しい浄水システムがイラクに輸入されないようにするのに協力した。その結果、何千人もの罪のないイラク人(幼い子供を含む)が死亡した。国連は、イラクに対する制裁の直接の結果として100万人以上の国民が死亡し、これらの死亡の主な原因は汚水であると推定している。 1999年に行われたユニセフの調査では、米国主導のイラク制裁により5歳未満の子供50万人が死亡したことが示された。
アメリカ国防総省は、健康と福祉に不可欠な民間インフラの破壊がジュネーブ条約に直接違反しているという事実にもかかわらず、イラクの水供給の破壊を認識し、監視していた。アメリカ政府は、浄化されていない水では細菌が発生し、伝染病が発生し、安全な医薬品の製造が損なわれ、食糧供給が影響を受け、その結果、数千人の民間人が死亡するであろうことを知っていた。
インタビュアーがアメリカ国務長官マデリーン・オルブライト[Madeleine Albright]に対し、政府の制裁により50万人の子どもが死亡したという事実について質問したところ、オルブライトは「我々はその代償はそれだけの価値があると考えている」と答えた。
「我々は世界の富の50%を持っているが、人口のわずか6.3%しかない」と、第二次世界大戦後アメリカ国務省の政策計画研究の著者であるジョージ・F・ケナン[George F.Kennan]駐モスクワアメリカ大使は述べた。 「この状況において、これからの私たちの本当の仕事は、この格差を維持できる関係のパターンを考案することである。」 そのためには、私たちはあらゆる感​​情を捨て去らなければならない・・・私たちは人権、生活水準の向上、民主化について考えるのをやめるべきだ。」
 ケナンの論文は、過去半世紀にわたりアメリカ外交政策の青写真となってきた。
続く
    
さてはてメモ帳
http://glassbead.blog.shinobi.jp/wars/oil%20wars1
   
   
   
   
   

金日成の瘤

■首領様の瘤
さてさて、朝鮮人民から首領様と崇め立てられている金日成国家主席ですが・・・
実は彼の右後頭部には瘤(こぶ)がありました。
金日成の瘤・・・それは北朝鮮の…決して触れてはならないものの一つでした。
朝鮮民主主義人民共和国主席、金日成は、最大権力の座に就いた頃からか、右後頭部に小さなおできが現れ、
年齢を重ねるにつれて次第に大きくなり、やがて瘤となり、醜く目立つようになっていきました。
まるで主席が権力を揮うのに連動するかの如く・・・。
金日成は、あまりにも不自然に育ったこの瘤を気にやみ、1980年代前半、国内から優秀な医師が平壌に招聘され、
漢方医が4人、西洋医が5人、金日成の瘤を診察しました。
手術で除去するか否か、医師団は協議を重ねましたが、手術の失敗を恐れ、
ある者は陰陽説まで持ち出し、またある者は「福こぶ」であると主張し、
結局のところ金日成が亡くなるまで切除の診断を出す医師はいませんでした。
主席の肖像画には絶対に瘤が描かれることはなく、写真撮影時やテレビカメラの撮影時でも、瘤が見えないアングルからカメラが向けられ、それは海外メディアの取材・撮影時にも徹底されました。
もちろん銅像には瘤はありません
しかし、この醜い瘤はどんどん育ち、隠し通せるサイズを超え、海外メディアのカメラには否応なく映り込んでしまうのでした。
そして、人民は誰もがその存在を知ることになります。
主席の後頭部に存在する瘤は、誰の目にも見えないかのように人々の話題にのぼることはありませんでした。
まるで童話の「王様の耳はロバの耳」のように・・・。
首領様の瘤を話題にした者は、密告により処分されたといいます。
北朝鮮に到着したチャウシェスク大統領を出迎える金日成…後頭部に注目
さてさて、この醜い瘤の正体は、『粉瘤(ふんりゅう)』ではないかと思います。
粉瘤(ふんりゅう / アテロームorアテローマ)は、皮膚の下に袋状の構造物ができ、
本来皮膚から剥げ落ちるはずの垢(角質)と皮膚の脂(皮脂)が、剥げ落ちずに袋の中に溜まってしまってできた腫瘍の総称です。
粉瘤は誰にでもできるもので、除去手術に関しても、特に難しいものではありませんが・・・
国家最高権力者の背後に育ったこの醜い瘤は、飢えに苦しみ、粛清に命を落としていった北朝鮮人民の怨念なのでしょうか?
それとも主席を背後から操り、人民を恐怖に陥(おとしい)れる怪物だったのでしょうか・・・?
金日成主席最後の新年辞 (1994年)

Aufsatz
http://www.geocities.jp/kim39570741/column/Column003.html


















003. 首領様の背後には…?…
Google Earthを使っている方も多いと思います。
世界中のいろいろな場所を、上空からの衛星写真で見ることができ、また主要都市の地図や、有名な建造物の立体画像なども見ることができて重宝しますね。
さてさて、このGoogle Earthで北朝鮮の平壌にある金日成(キム・イルソン)の銅像の立体画像を見ると・・・
なにやらおかしなことになっています・・・。(´・ω・`)
Google Earthでの正面からの銅像。リアルな立体画像ですね。
背後に見える三角形の建物は柳京(リュギョン)ホテル。
側面から見てみましょう。
なにこれ…。 冷や汗2
ただの棒?
続いて後ろ側から・・・。
・・・・・・。 冷や汗2
ペラペラの板です。
正面から見たあの立体感は、どこにいってしまったんでしょうか?
しょせん独裁政権なんてものは、一度国民に革命の流れが起きればすぐ倒されてしまうことを表現しているかのような、
見事なペラペラ金日成です。
金 日成 (キム・イルソン 1912~1994)は北朝鮮の国家主席で独裁者。
北朝鮮国内には彼の銅像が、ぬゎ~んと3万5000体以上もあるそうです。
この万寿台(マンスデ)の丘にある銅像は、1972年に金日成の60歳の誕生日を記念して建立され、高さは奈良の大仏を超える23メートルあり、実在した人物の銅像としては世界一の大きさであるとのこと。
当初は37kgの金メッキが施されていたそうな・・・。
Alte Burggeschichte / 古城物語
Aufsatz / エッセー

Aufsatz
http://www.geocities.jp/kim39570741/column/Column003.html
http://www.geocities.jp/kim39570741/column/photo/r122.jpg

Reise
http://reise.sns-park.com/img.php?filename=a_2_3_1308251210.jpg 
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http://reise.sns-park.com/img.php?filename=a_2_1_1308251168.jpg














黒革の手帖


8/17(木) 18:30配信
銀座『黒革の手帖』のリアル 第1話 「物語に近いことは、現実にもある」
金太朗倶楽部オーナー、佐藤はま代さん(撮影:志和浩司)
武井咲(えみ)主演で13年ぶりに連ドラ化された『黒革の手帖』。
元銀行員の原口元子が横領した金を元手に銀座のクラブのママとなり、
その後も金持ちの客をあの手この手で攻略してのしあがっていく松本清張原作の名作サスペンスだ。
実際の夜の銀座はどうなのか? 
【連載】銀座『黒革の手帖』のリアル
「物語に近いことは、現実にもありますね」―と語るのは、40年近く銀座で生き抜いてきた金太朗倶楽部オーナー、
佐藤はま代さん。同ドラマのファンでもあるというベテランママの手帖の中身は? 
第1話は、佐藤さんが夜の銀座に身を投じ、自分の店を持つに至った背景。
「こんなに長く銀座にいるとは思わなかった」
魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)するといわれる銀座の夜の世界を生き抜いてきた佐藤さんは、
物腰が柔らく、優しげな微笑みをたたえた和服が似合う淑女。
今年、七夕の日に大きな手術をした。9月がくると70歳になる。
「こんなに長く銀座にいるとは思わなかった」と話す。
ドラマ『黒革の手帖』は、幼いころ、父親の借金を背負った母親に女手ひとつで育てられた武井演じる原口元子が、
「お金に勝ちたい。お金を支配したい」
と、お金に復讐するかのごとく男たちを次々とワナにはめていく。
元子は、ホステスとしてあまり経験豊富とはいえない状態で自分の店『カルネ』を持ち、銀座のママとして君臨する。
「私が銀座に入ってわかったのは、この街でお店を開いているママは、
元子のような黒い手段は使わないですけど、『私は銀座でママをやりたい』って、
そこは元子と同じくものすごく強い志を持った人が多いこと。
元子も最初は『燭台』という店で派遣ホステスをしていましたが、
あのように最初はどこかにお勤めして、雇われママになって、少し力をつけて、自分のお店を持つパターンが多いですね」
佐藤さんの場合は、夫を亡くしたことが夜の銀座に身を投じるきっかけとなった。
時はまだ、バブル前のお話だ。
「結婚する前は、順天堂大学病院に勤めていたの。
芸能人、力士、ドクター、インターン、看護師さん……など、一般とは違う特殊関係者という外来の事務でね。結婚して、3人子どもをもうけて、30代になってからは帝国ホテルの中にあるお寿司屋さんに社員として勤めていたんです。幸せでしたね。でもそんなとき、主人をがんで亡くしてしまったんです」
佐藤さんの両親もすでに他界、姉は高知に嫁いでおり、頼れる身内が一人もいない状況だった。
「名門ホテルのテナントですので仕事面は割と厳しくしつけられたのですが、
どうあがいても、子どもたちを高校、大学に進学させるほどには稼げない。
子どもたちを大きくするには、何かお商売をやるしかないなって漠然と思ってはいたんです。
でも、まさか銀座でお店をやるなんて想像もしていませんでしたよ」

Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170810-00000015-wordleaf-soci

アトランティス再浮上論

物質と霊が結合し、時が成就する
・・F・アルパーによるアトランティス再浮上論(6・終)
2011-10-16
フランク・アルパーのチャネリング本「アトランティス・超古代文明とクリスタルヒーリング」のご紹介をさせていただいています。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
       *****
      (引用ここから)
魂自らが、昔の(アトランティスでの)カルマのパターンを解放できるようにするのだ。
こうしたやり方で、つながりを一気に、永遠に断ち切ることができる。
それが起こる時こそ、アトランティスが完全に「浮上」する時だ。
あなた方は、どんなカルマのエネルギーを引き継いでいくのか、見極める必要がある。
なにを残し、なにを変革していくべきか見極める必要がある。
あなた方は自らにこう言うべきである。
「彼ら(アトランティス)は私の一部である。したがって、私は彼らである。」
自らの魂を信じて発達させるのだ。
神がもたらしてくれるのは、祝福と愛のみである。
1985年3月25日、アトランティスのエネルギーは完全に「浮上」しているだろう。
そしてみずがめ座の時代(アクエリアスエイジ)が、その強さと力の新世紀を迎える
長らく待ち望まれた歴史的瞬間が、ついに実現するのだ。
そのためにアトランティスで仕えたすべての人たち、アトランティス文明を地球上で再興する事業
に従事した人たちが、この新しい悟りの時代に生まれ、一人残らず肉体を持って生まれてくるだろう。
緩慢ながら着実に、すべてが実現していくだろう。
六亡星は宇宙的象徴であり、人類の二重性を表わす象徴である。
つまり物質的、霊的本質の二つの結合を表わしている。
これが「みずがめ座の時代」の象徴となり、力となるだろう。
両者はもはや分離されてはいない。
困難や不和を生みがちな弱さやカルマ的表出は、もう地球の波動から消えてなくなるだろう。
そして2組の三位一体が統合され、バランスをとられて永遠に封印される。
それが物事の秩序だからである。
       (引用ここまで・終わり)
             *****

始まりに向かって
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/c/fde627fc2e77a8e2f94aff0951939dd7



1985年が未来であった時に、このチャネリングは行われました。
前の記事で、マヤ暦はどのように祝われたかを調べた時、1987年という年が大変重視されていることを見ました。
ハーモニック・コンバージェンスの時であるとされ、世界の多くの聖地で祈りが捧げられたということでした。
二つの年はとても近いですし、そのころのニューエイジ文化は、
ほんとうに近代文明はもう今にも終焉を迎える、という気分に満ちていたように思います。
古代文明の復活とは、現代文明の終焉を意味しているとも言えると思います。
フランク・アルパーの伝えるアトランティス文明は、とても荘厳な雰囲気で、わたしは好きです。
また別の時に、フランク・アルパーの語る非西洋文明について、まとめてみたいと思います。
彼はアメリカ・アリゾナのフェニックスに住んで、人々にアトランティスについて教えていたということです。
古代アメリカに関する彼の考えを聞いてみたいと思っています。
彼の説く“霊と肉との新しい結びつき”は、キリスト教の三位一体を下敷きとして、三角形の組み合わせとしての六亡星の意味を示しています。
wikipediaでは「三位一体」は次のように説明されています。
   ・・・
三位一体とは、キリスト教の語で「父」と「子」と「聖霊」が「一体(唯一の神)」であるとする教理。
キリスト教が受け入れる中心的教義・教理である。
ギリシャ語では「聖なる三」の意)」、英語では「三にして一つの意」という。
正教会の一員である日本ハリストス正教会では「至聖三者(しせいさんしゃ)」と訳される。
教会等のミサでは「父と子と精霊の御名において」と称えられる。
この語は、キリスト教神学を離れて、3つに見えているものが本質的には同じものであること、あるいは、三者が心を合わせること、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もある。
    ・・・
霊と肉が新しい結びつきをする時、それが、人類が新しい時代=水がめ座の時代に入る時である、と語られます。
wikipedia「水瓶座の時代」には、水がめ座とニューエイジについて、次のように説明されています。
                 ・・・
「ニューエイジ」という呼称は、具体的には「水瓶座の時代」(みずがめ座の時代、age of aquarius)を意味する。
この呼称は西洋占星術に由来し、地球の歳差運動によって黄道上を移動し続けている春分点が、
ちょうど20世紀の後半に、黄道十二星座のうお座からみずがめ座に入る、との主張による。
この主張では、春分点がうお座にあった時代は、ほぼキリスト生誕から現在までの約2000年間と重なる。
さらに、キリスト教には、イエスを魚によって象徴させる慣わしがある。
このことから、「ニューエイジ」という言葉には、今こそ既存の西洋文明・キリスト教の支配する時代が終息し、
自由で解放された「新時代」(=水瓶座の時代)の幕が開いた、という意味が込められている。
ニューエイジ(New Age)とは、字義どおりには「新しい時代」であるが、
新しい世界、新しい思想を含意する。この表現の背景には、ヨハネの黙示録に見られ、一部のキリスト教徒が採用している千年思想がある。
すなわち、神と悪魔の戦いが千年続き、最後に神が勝利して、ニューエイジ=新しい世界がやってくるというものである。
基本的には、伝統的な教えの中から、古くて役に立たない教えを廃し、
真の意味での教えを明らかにしようという運動である。
ただし、現在「ニューエイジ」(ニューエイジ・ムーブメント、ニューエイジ運動)と言うときには、
アメリカ合衆国、とりわけ西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、
その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続している、
霊性復興運動およびその生産物全般、商業活動全般を指す場合が多い。
              ・・・
この説明を読むと、フランク・アルパーの説く水がめ座の時代とアトランティスの再浮上説は、
まさにニューエイジムーブメントそのものであったと考えることができるように思います。
古代の復活という教えが、ニューエイジの教えであるというのは、不思議なような気もしますが、
ニューエイジ思想のもつ奥深さと可能性の大きさに圧倒される思いがします。

始まりに向かって
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レムリア(ムー)

歴史10
2015/5/16(土) 午後 2:12
レムリア(ムー)はアトランティスの前に栄えていた精神性の高い古代文明だ。
その聖地は今のハワイにあり、アトランティスのような科学的な文明ではなく、住んでいる土地(地球)との共存を第一に考えた、とても温厚な民族だった。
精神レベルは今よりも遥かに高く、その文明の中で人々は素晴らしい生活を享受していた。
レムリアから派生して生れたのがアトランティスだが、世の中に光と影があるように、アトランティスは圧倒的な科学力によって、次第にレムリアを制圧するようになって行った。レムリアは精神エネルギーの力でその制圧から逃れようとしていたが、或る時、アトランティス人によって仕掛けられた特殊な装置によって、レムリア大陸は海に沈んだんだ。
レムリアが沈む前に、アトランティス大陸の地下深くに強力なエネルギーを据え込んだ。アトランティスが繁栄のピークを迎えたその瞬間、そのエネルギーが放射され、アトランティスは大陸諸共海の底に沈んでしまったのだ。
レムリアが沈んだ時に亡くなった魂の多くは(現在の)東の国(ムーから見ると西の方)へ移り住んだ。即ち、アジアを中心とした東洋圏だ。
アトランティスの魂達は、(アトランティスの東方)エジプトを経て西洋圏へと流れ込んだ。
今の西洋主体の時代はこのアトランティスの名残だ。一厘の仕組
レムリアの聖地とは何処か。
日本人が郷愁を感じる処だよ。
そう、ハワイなんだ。
ハワイはレムリア文明の聖地の跡だ。
その後、精神性の高いレムリアの末裔達が、西日本を中心に生れ変っているんだ。
因みにアトランティスの考えは現代の西洋の考え方に通じている。一厘の仕組 
レムリアはアトランティス文明が栄える少し前に栄えていた精神性の高い文明だ。
平和主義者が多く、物質主義に頼らず、和を尊び、とても素晴らしい文明を築いていた。
ところが、そのレムリアの一部の物質主義者が造り上げたアトランティス文明によって、レムリアは海の底に沈められたのだ。一厘の仕組

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地球には常に知覚力を持った存在がいました。なぜなら守護の存在者たちがいて、地球の命の創造に責任を負っていたからです。ウィルス、微生物から始まり、生物を次々に進化させていきました。彼らは何十億年も前に、ここにいました。コブラ、本当が一番
宇宙創造神が、魂の学びの場所としての遊星を創られるとき、その遊星には、大切な役割を担う、中心というべきポイント・湧玉の地が必ず設けられる。湧玉の地のある場所に、日本という国ができた。クイーン
 大正天皇・・・当時は大隈重信と岩倉が権力にぎっていて、大隈の子が大正天皇になる。岩倉の子は堀川辰吉郎となって御所を追放される。
 昭和天皇・・・明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。
 今上陛下・・・当時は三笠宮崇仁と徳川(尾張)義知が権力握ってて三笠宮の子を明仁に。尾張義知の子を常陸宮にした。
 皇太子浩宮・・・昭和天皇と岸元総理の権力で大室庄吉の孫大室近祐の孫を皇室に養子にして浩宮にした。
 愛子さま悠仁さま・・・日本で一番権力持ってたのが橋竜と久美子。2番目が美智子皇后と正田巌。3番目が曽野綾子。
 橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。しかし橋竜が議員辞職しなくなって橋本家がナンバー1権力者から転げ落ち美智子皇后と正田巌が日本で一番の権力者になり美智子皇后が紀子さんに「もう男の子作っていいよ」といわれ悠仁さまをつくった。大摩邇
サアラさんがイエス・キリストの娘としての転生の記憶を持つということがありました。当時もサアラという名だったそうです。
イエスが処刑された(サアラさんによるとイエスは死んでおらず、実際はヒマヤラに旅立った)後、聖母マリアとイエスの妻マリア、そして娘のサアラはヨーロッパに渡ったといいます。
サアラはヨーロッパでも色々な奇跡を起こしたということで、現在の南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールという町には、色の黒いセント・サラの銅像が立っているそうです。
 長州藩では邪魔になった者はたとえ権力のトップにあっても、毒殺できる技術が、江戸時代にはほぼ完成していた。1836年(天保7)、斉煕、斉元、斉広と、3人の藩主が相継いで変死しているが、これらはおそらく毒殺であったろう。
 長州藩主は「そうせい候」(何を言っても「そうせい」と返事をするので、こう呼ばれた)なわ
私の力を最も必要とする人達を助けるためにヨーロッパ中を歩き回りました。最後の日日には私は短期的にアメリカに住み、アメリカ精神によって独立宣言の署名に至ることを確実にしました。ジャーメイン(サンジェルマン)
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年の間神学について修行を重ね
33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、
その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。
他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、
再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、百六才長寿を以て、この地に没しました。天下泰平

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レッドドラゴンは明王朝の軍部から発生しました。
アルコンは、明の勢力を打ち砕くことを欲し、満州族をコントロールしました。
北から侵攻していた満州族は、まず明王朝を転覆させ、北京を乗っ取って清王朝を興しました。その後、清の康熙こうき帝は、イエズス会を中国に招きました。レッドドラゴンは、満州とイエズス会の侵略者に対抗すべく、朝廷と軍の内部で密かに活動していました。
19世紀にはロスチャイルドが、アヘン戦争を通じて中国を支配しました。
レッドドラゴンは目立つわけにはいきませんでしたが、八卦の秘密結社を装い、後の義和団の乱――イエズス会とロスチャイルドを中国から排斥する試み――を導きました。コブラ
米ソ・USA/USSR共同火星基地が1964年に建設され、次の数十年で拡大しました。月と火星の基地をさらに増やすことが、計画に加えられたのです。月の主要基地は、月の裏側につくられました。
 地球人側を指揮したのは邪悪な四人組です(ブッシュ・シニア、ヘンリー・キッシンジャー、ドナルド・ラムズフェルド、ディック・チェイニー)。邪悪な四人組は、実際、26,000年前に人間の体をまとったドラコニアンで、一番目立っているドラコ/人間のハイブリッドです。
1996年のアルコン侵略後、私たちの太陽系はドラコニアンとレプタリアンのエンティティーで一杯になりました。彼らの主な軍事基地はカロン(冥王星の月)にあり、小惑星帯(訳注:火星と木星の間)にはたくさんの拠点を設けていました。
1994年から2004年までの大規模な解放作戦攻撃で、レジスタンス・ムーブメント、プレアディアン、シリアン、アンドロメダンの艦隊とアシュターコマンドは、私たちの太陽系からドラコ/レプタリアンの大部分を掃討しました。
2004年から2012年の間、光の勢力は、直接キメラと共同していないすべてのドラコ/レプタリアンを、太陽系から一掃しました。
そして今ではキメラの(空)約束――キメラがカバールを地球から脱出させて大量逮捕から救ってやるという約束――につかまっています。彼らは今、足止めを食らった気分で心配し始めています。
 去年・2014年の早い時期から、光の勢力はキメラに直接取り組んでいます。物質的な、ストレンジレット及びトップレット爆弾を一掃したので、今年の1月末からは、闇の最後の残滓をこの太陽系から一掃する作戦を始めています。
ここ数日間に、重要なブレイクスルーが起こりました。MOSSが成功裏に完了した後で、そしてイベントの時くらいに、ディスクロージャーとファーストコンタクトが起きるでしょう。そしてこれは惑星地球にとって隔離状態の終焉となります。 コブラ、本当が一番
 1980年代の日本は多くの規格によって地球上で最も進んだ国だった。灼熱の経済成長の10年の後の1985年までに、彼らは地球上で最も高い一人当たりの収入と、どの先進国の中でも貧富の差が最も低く、非常に健康的な環境を持っていた。彼らはまた地球上で最大の債権国であり、地球上の他国に借用証書と引き換えに、車や電子機器その他を供給してきた。
 1985年米政府は私に言わせればただ嫉妬と追い越されの恐怖からこのシステムを破壊に着手した。当時、副大統領であったジョージブッシュ・シニアはこのシステムの解体と経済的制御をアメリカのオルガリッヒ(暴力団)に手渡すよう命じた。
 日本が拒否すると、1985年8月12日の日航123便を撃墜した。
 1985年9月22日に、日本は日本経済システムの体系的破壊の始まりを合図するプラザ合意に調印した。そのときから、日本経済は欧米の暴力団から約50兆ドルも略奪された。フルフォード、本当が一番
ユダヤ・フリーメーソンは薩摩をおだて、長州をおだて、ロンドンに留学生を招き、洋式兵器を供給し、両藩の私的利権の欲望をあおり立てた。大久保利通は、そのメカニズムを了解し受け入れた。ここに、ユダヤ悪魔教の手先となって、薩長が日本の国権を簒奪する。そして孝明天皇を弑逆し、幼帝をおのれの手中の「玉(ぎょく)」として奪うために、岩倉具視が共同謀議に参画する、という極秘の筋書きができあがったのである。
当時清国は、ユダヤに操作された太平天国の人工的動乱によって、1850年から約10年のあいだに、実に5千万人の人命を失った!。
フリーメーソンが日本の内乱を演出し、それを足がかりに日本の植民地化を図ろうとしている謀略に気づいたのではないか、そして、この秘密を知った(あるいは感づいた)日本人が、幕末に少なくともあと2人いた、と推察している。その2人とは、徳川幕府の勝海舟、そしてもうひとりが、他ならぬ徳川15代将軍を継いだ徳川慶喜である。
龍馬はこれを知った。龍馬暗殺はその1カ月後である。慶喜に大政奉還されては、倒幕派と幕府の内戦の火は消えてしまう。メーソン側としては、なんとしても戦を挑発しなければならない。太田龍、なわ
日本人は原日本人と渡来人との混血によって生じたものである。前者は数万年前に日本列島に渡来した後期旧石器時代人から生れた縄文人で、後者は弥生時代以降に大陸から新たに渡来した集団である。両者の接触によって、九州や本州では両者の混血が進んだが、北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった。一厘の仕組
今からおよそ1万2000年前に、一夜にして太平洋に沈んだと言われているのがムー文明である。その時、東の大陸・南北アメリカに渡った人々の末裔がインカ族、マヤ族、ホピ族である。一方、西を目指して逃げ延びた人々は、琉球諸島や日本本土、それに台湾や東南アジアへ渡り、その地の先住民となった。一厘の仕組
人間は地球で生まれたのではない。人類の進化論は間違っている。人類の発祥地はアフリカではない。人間の肉体に宿った霊魂(意識体)は1つの源から生まれたのではない。太古の昔から我々の霊魂(意識体)は人間の肉体に宿り地球で生きてきたが、霊魂(意識体)のふるさとは地球ではない。本当が一番
グラバーが、表立って各藩に武器を納品するのは露骨すぎる。あくまで維新は日本人が独自に成し遂げたように見せかけなければならない。龍馬はそのためのコマだった。龍馬や亀山社中の連中はたびたびグラバー邸を訪れていた。
薩長同盟成立の前、竜馬は長州へ武器輸出をした。このとき、龍馬はグラバー商会から武器を買い入れて、まず薩摩に売った。薩摩を仲立ちにする形で長州へ横流ししているのである。これが薩長同盟のきっかけとなっていくわけだ。
仕組みの末端に龍馬をはじめとする幕末の志士たちは組み込まれていった。龍馬はユダヤ系国際金融資本の手のひらで踊らされていたというわけだ。大摩邇
真の歴史を知ることにより、現在・未来の人類の進む道が見えてくるのではないか、と私は考えています。だからこそ改竄された歴史では、全く未来が見えないのです。真の歴史を知り、本来その人が進むべき道を、自ら探る必要があるのです。知っとうや
古代から日本人は支那人や中国人や漢人からいろいろ学んできたが、唯一日本人が「ちょっと~~」といって、真似しなかったこと。それが「人食い」であった。元寇の時に、モンゴル人の元の手先と化した朝鮮人は、対馬を襲い、民衆を陵辱殺害して、最後には全員を食い尽くしたのである。それが「対馬の虐殺」。大摩邇
古代エジプトの歴史は、知られている王朝をはるかに凌ぐものであり、アトランティス後期のエジプトには高度に進化した文明がありました。 コブラ、本当が一番
 地球には一万年あまり前まで、太平洋の南から北にかけてレムリアという大陸があり、ヨーロッパからコーカサスまでの地域にはアトランティスという大陸があったが、レムリア大陸は10,508年前(1960年からさかのぼって)に海に沈み、アトランティス大陸は10,200年前(同)に沈没して、当時の文明はなくなりました。エジプト文明はアトランティス大陸から残った文明です。
 地球の人々は、この太陽系の中で知的生命体は自分たちだけだと考えています。これは例えて言えば、遊んでばかりいて進級できず、同級生がみな卒業してゆく中で、何度も落第して学校に一人残った生徒が、この学校は自分だけのために用意されているのだと、勘違いしているようなものです。
 地球人類の文明は、過去に何度も滅亡を繰り返していて、今が7回目の文明。http://www.messagefromvenus.jp/theme/itibu1syo.html
男性優位社会が始められるまで、地球には愛のエネルギーが満ちていた。
 彼ら(レプティリアン)が人間との間に残した子孫はブルーブラッド(青い血)と呼ばれ、彼らとの繋がりを持つ独自の血統、「闇の血流」「闇の家族」をスタートさせました。
 彼ら神々が地球へやって来た時に、首相や法王、王様や女王様、そして王子や王女を残して行きました。さらにそれだけでなく、男性優位社会の始まりでもある家父長制度と呼ばれる階級制度も残していったのです。zeranium
文時代は栗の木で家を作っていた。軟らかくて加工がしやすい、乾くと硬くなる。
竪穴を掘り上げた土などを屋根にのせてつくられました。やがて自然に草が生え、根が張ってじょうぶな屋根になります。
ある研究者は、竪穴住居は冬の家、高床住居は夏の家と見ています。特に、土屋根の家は梅雨の頃には湿気が多くて住みにくいが、冬場は暖かく、高床の住居は通気性があって夏場に快適といわれています。るいネット
あなた方の歴史書のページには、勝利者があなた方に知らせたいことだけが書かれており、権力者があなた方に信じさせたいことだけが書かれているのです。あなた方人間の歴史は、あなた方を巧みに操作する力によって作られた偽りで埋もれており、彼らの行なった殺人や裏切り、異端審問といったものは好きなように薄められ、しかも年月とともに何度も塗り潰されているのです。zeranium
毛沢東はナチオニストからの命令のいいなりになるカバリストでした。
フルフォード、たき
マリアは誰と関係をもったのですか?コブラ:聖書から消された人物がいます。おわかりでしょうが、イエスの生涯についてはたくさんの情報が、50%と言えるでしょうか、作られたものです。コブラ
今から13,509年前に、人類の意識レベルは最高峰を極めていたものが、アトランティス、ムー文明の滅亡とともに徐々に意識レベルが下降して行き、
1,509年前に最低レベルにまで落ち込みました。大摩邇
米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。http://oyoyo7.blog100.fc2.com/

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予知情報

予知情報
[第2回]星座はめぐる
歴史の真実
宗教と科学は一見対立する概念のようですが、実は共通の要素がたくさんあります。そのなかで最も注目すべきことは、両者とも人間の本質についての真実を隠蔽または曲解し、私たちが自分の現実を自在に創ることができる創造主としての能力を持っていることを否定している点です。共に、人間がその能力を持たずその資格もないことを、幼少の頃から脳裏に刻み込むシステムとして、役割を分担しながらこの社会に「貢献」してきました。それによって、人間の現実創造能力をまったく信じない強固な集合意識が、この社会全体に形成されてきたのです。信じていない力を行使することはないし、実際に、信じないことによって能力を発現することができなくなるのです。この状況によって得をするのは誰でしょうか?ここに至るまでには、人類の創造以来の長い歴史があります。
人間がサルから進化したというダーウィンの説明は、体形や遺伝要素の共通性から一時期主流となりましたが(そして「神」が創ったという宗教界の説明を粉砕したかに見えましたが)、現代科学の枠内でもだんだん旗色が悪くなってきています。もともとダーウィンの進化論を証明するデータは何一つなかったのです。例えば、サルと現代人との(「進化」の)中間の存在はまったく見つからず、サル(例えばチンパンジー)はいつまでもサルだし、現代人は最初から現代人であったことが化石などからわかります。またダーウィンが言う「生存競争」・「自然淘汰」による「適者生存」の証拠は乏しく、木村資生博士の「中立説(分子進化の中立説)」の方が事実に合っています。いくら観察と実験を繰り返しても、進化に直接つながるような「適応」は見つからないのです。
一方、近年の分子生物学の発展を背景に、人類の起源論争に衝撃的な一石が投じられました。カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャンたちによる「ミトコンドリアDNAに見る現代人の進化」という論文(ネイチャー誌、1987.1.1号)です。
細胞の核内でなく核の外の細胞質にあるミトコンドリアのDNAは、進化の研究をするのに便利ないくつかの特徴を持っています。核のDNAに比べて塩基の置き換わり(突然変異)が起こる速度が5〜10倍速い、母性遺伝で母親のものだけが子に伝わる、そして一つの細胞に千個以上もあるので組織から大量に収集することができるなどです。
キャンたちは、世界のさまざまな「人種」に属する百数十人のヒトの胎盤を集め、抽出したミトコンドリアDNAを分析して、塩基の置き換わりの程度を比較しました。するとアフリカ人でこの値が最も大きいことがわかりました。さらに、塩基の置き換わりの少ないものから順につないでいった分子系統樹をもとに、現代人のルーツはアフリカにあると考えました。そして、この置き換わりが起きる率(いわば「進化」の速度)から現代女性の祖先は15〜29万年前にアフリカに生きていたあるグループの女性だと結論づけました。
この論文は、その内容に加えて、「ミトコンドリア・イブ」というロマンティックなニックネームとともに、学会を超えて大変有名になりました。早速「アダム探し」の研究も行われ、アリゾナ大学のM.F.ハマーが、男性だけが持つY染色体に乗っている遺伝子の解析によって、「アダム」は約19万年前にアフリカにいた、と発表しました(1995年)。
その後、ペンシルベニア州立大学の研究グループによる更に大規模な遺伝子解析(アフリカ18地域とアフリカ以外45地域の男女計1700人について3種類のDNAを対象)などでも、ほぼ同様の結論を示しており、人類のアフリカ起源説(単一起源説)はほとんどゆるぎないものになったといえるでしょう。
これらの研究の副産物として、約100万年前にアジアにいたジャワ原人や北京原人、また30万年前頃から地球にいた、ネアンデルタール人を代表とする「旧人」は、現在の人類とのつながりがなく、この間に絶滅したことがほとんど確証されました。またいずれの研究も、現代人をサルに結びつけるものではありません。単に人類の出発点を示しているだけです。サルなど類人猿については、別に同様の系統類縁関係の研究があります。そして、魚や樹木についてさえも---。
このような状況においても、人類の起源を問われると、ほとんどの学者は「サルとの共通の祖先から分化して以来、現在まで進化してきた」と答えるでしょう(サルは進化しなかったのか?)。何しろ過去140年間(1859年ダーウィンの『自然淘汰による種の起源』出版)そのように思い込み「理屈」を積み上げてきたのだし、それ以外の説明は思いつかないから。しかし100万年の間にほとんど変化しなかった「ホモ・エレクトゥス(直立原人)」とは全く異なる、現代人の祖先(クロマニョン人を代表とする「新人」)の突然の出現(考古学では5〜6万年前とされている)を説明することはできず、「ミッシング・リンク(失われたつながり)」などという造語でごまかすしかないのです。一方、多少でも良識がある学者は、「アダムとイブ(原初のアフリカ人)が、その時そこにいたことは確かだが、どこから来たかはわからない」と答えるでしょう。
いずれにせよ、高度に進化した宇宙の存在たちの地球への関わりの事実が徹底的に隠蔽されている以上、「シリウス人などの宇宙種族が、当時地球にいた類人猿の遺伝子に自分たちの遺伝子を加えて人間を創り、アフリカに置いた」という歴史の真実が、地球の学者によって明かされることは期待できません。宇宙からの情報を総合すると、「旧人(ホモ・サピエンス)」は約20〜30万年前にシリウス人などによって「種まき」され、その後さらに改良された「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」彼らによって創られたとのことです。

アセンション・オンゴーイング
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/ongoing2.html





シリウスの計画
現時点で、アセンションの時期がきていることを集合として認識していないのは地上に住む人類だけです。すでに高い波動レベルを達成し、全面的にアセンションを志向している地底(シャンバラ)の人類やイルカ・クジラは、ほとんど自動的にアセンションするでしょう。
自然界の動植物は、そのあり方がもともと地球と調和していて、地球そのものと言える存在です。
ところが、地上の人類の場合は、さまざまな認識レベルにあります。現時点で地球を実効支配している秘密組織は、もちろんアセンション(に伴なう彼らの支配構造の危機)のことは完全に理解しています。主要国の政府も、過去数十年にわたる宇宙からの働きかけを知らないわけはありません。ただ、これらを扱うメンバーを限定し、資料は引き出しの奥深くに封印してあるでしょう。マスメディアは、ごく一部の人間を除いて、まったく気づいていないでしょう。彼らは、表面的なことしか見えない「ひるあんどん」ですが、自分では全てわかっているつもりです。全体として、徹底的な情報の隠蔽が、かなり機能していると言っていいでしょう。
この状況において、シリウスを中心とする銀河同盟のプランは、かなり正鵠を射ているように見えます。それは、彼らの宇宙船の、地上への大量着陸を実現しようとするものですが、闇雲にそれをやるわけではありません。銀河同盟存在の事実を、主要国の政府に公式発表させるよう説得し、そのスケジュールなど細目について協定しようとしています。
政府が公式に発表するべきことは、宇宙の兄弟たちは何年も前からこの地球に来ており、すでに何度か折衝を持っているが、その事実を今日まで秘密にしてきた、ということだけです。これは、多くの人にとって衝撃的であるとしても、次の行動への最善の地ならしになります。その反応を見極めた上で、銀河同盟は迅速に行動するでしょう。おそらくある日、世界同時にテレビやラジオが突然切り替わり、あるいは空中からの音声によって、銀河同盟のアナウンスが流れるでしょう。
それは、彼らの素性と意図についての説明、そして大量着陸の予告になるでしょう。この着陸に対して、軍部が考えそうなことは何の意味もありません。あらゆる地球の武器の機能を、一瞬で無効にすることは彼らにとって造作無いことです。無論、着陸の際にはそうするでしょう。実は、このプロセスはすでに映画になっています。
ロバート・ワイズ監督の『地球の静止する日(The Day the Earth Standstill)』です。この1951年作のモノクロ映画は、いわゆる「宇宙もの」のなかの最高傑作と言っていいと思います。
大量着陸に続く展開は、大体予想できるのではないでしょうか。全てがオープンで公式になれば、どれだけのことが可能になるか考えてみてください。情報と技術の移転は、大きい柱になるでしょう。それによって、エネルギー、環境・公害、食料、医療などに関係する、人類の苦境の原因は急速に解消に向かうでしょう。人間や宇宙についてのこれまでの世界観は、180度の転換を余儀なくされ、ちまちました世界で争うことは馬鹿らしくて誰もやらなくなるでしょう。むろん政治も、金融機構も全く新しいパラダイムに移ります。そして何より、アセンションへのコンセンサスが形成されて、人類の集団での大量アセンションに向けて大きい歩みが始まるでしょう。これこそ、地球自身や自然界の生き物をはじめ、全宇宙が待ち望んだことです。

アセンション・オンゴーイング
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/ongoing2.html

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以上は、かなり良いことずくめのようですが、問題はないでしょうか?過渡的な社会の混乱は、ここでの眼目ではありません。それは、どの経路をたどっても避けることができない通過儀礼のようなものですから。問題は、シリウスの計画が、アセンションにブレーキをかけることにならないかどうかです。どのみち、銀河同盟でも根本創造神でさえも、人をアセンションさせることは絶対にできないのです。これは、本人の意思でやることだし、たとえその気があっても、期限までに自分の努力で一定の質(波動のレベルアップやカルマの浄化)を達成しなければ、少なくともその人にとっては、アセンションは未達に終わるのです。結局この計画のGO/NO-GO、あるいはGO のタイミングは、より上位のもの(根本創造神:All That Is)の判断で決まるでしょう。その際、全人類一人ひとりについて、目覚めの進度と、おのおのが当面の期限までに達成すべき課題の量が比較され、アセンションする人数が最大になるように、高度の判断が行われるでしょう。

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それでもアセンションは進む
現在のところ、太陽はもとより地球自身、そして動植物・鉱物など自然界のアセンションは、全体の工程のほぼ中盤にさしかかっています。地上の人類だけが遅れに遅れているわけですが、それでも例えば過去10年間の、人々の意識の変化を否定できる人はいないでしょう。この社会で、かつては考えられなかったような選択が、選挙や仕事や消費などについて、次々と行われるのはそのためです。また、人類のアセンションが現に進展していることの、もっと明白な証拠もあります。知らないうちに、肉体の変化も進行しているのです。
1950年代に、普通は2本鎖であるはずのDNAの螺旋構造に、第3の鎖があるケースが発見され、当初これは、初めて人間が創られた頃の原始的な遺伝要素の残骸だと推定されました。しかし1980年代になって、この判断に疑いが出てきました。多数の遺伝学者が、元々の2重螺旋に囲まれた4つの塩基対へ、問題の第3鎖がきちんとつながり始めていることを確認したからです。それだけでなく、第3鎖によって活性化した遺伝子は、驚くべき特性を発揮することがわかりました。
活性化した第3鎖を持つ幼児は、驚異的な知性とテレパシーなどの霊的能力を併せ持っていることがわかったのです。初めは、このような幼児は多くありませんでしたが、1990年代になると、世界的に多数見られるようになりました。その後、大人にも、塩基対につながる前段階の第3鎖を持つケースが世界的に出現し始めました。1995年に、メキシコシティーで密かに開かれた遺伝学者の会議では、もっと研究が進むまでこの事実を封印することが議論されたのです。彼らは、本質を読み取ることができず、何か恐ろしいことが起こる前兆ではないかと考えている者が少なくないようです。

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l (注)上記の第3鎖は、実験室で人為的に造ることができる三重鎖(Triplet)ではありません。なお、DNAでタンパク質の合成に関与している部分(エクソン)は全体の5%しかなく、残りの95%(イントロン)の部分の意味を、地球の科学者はまったく答えることができません(遺伝子工学の現状レベルについては、「時代の分水嶺(3)」の[補足3]参照)。
実は、これらの幼児のほとんどは「スターシード(Starseeds):スターチルドレン(Star Children)とも呼ばれる」です。スターシードは、今回のアセンションで地球と人類を支援するため、他の星、銀河、別の宇宙、あるいは別次元から転生してきた存在たちです。1990年以降に生まれた幼児のかなりの部分がスターシードで、現在17歳以下の子供の30%が、スターシードだということです。これらの子供は、遺伝子を構成する「コドン」が、普通の人より多く活性化しているのです。また、スターシードを社会的現象としてとらえると、「インディゴ・チルドレン」になります(「コドン」と「インディゴ・チルドレン」については、シリーズ第2部「アセンション(4)」《DNAの変容》および《インディゴ・チルドレン》参照)。3次元の、濃密でストレスに満ち、また親や社会の理解もないこの地球環境で、スターシード(インディゴ・チルドレン)が順調に育つことは、たいへん厳しいものがあります。一刻も早く、正しい現状認識を広める必要があります。
一方、大人の第3鎖は、アセンションへの前進を意味します。いずれ各塩基対につながり活性化するので、サンプルをもっとたくさん集めれば、すでに子供たちと同じように活性化している人が、少なからずいるはずです。そしてその数は、これからどんどん増えてくるでしょう。この人たちは、自らの努力で波動レベルを高めた結果、からだが自然に変容し始めたわけです。宇宙から送られてくる特別の波動が、この変容をサポートする仕組みが創られている---今がアセンションの時期であることの一側面です。

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