ワシントン事件
2010/10/20(水)午後4:04
太陽系と地球の真実その他超常現象
■UFOの目撃事件が集中した1947年
アメリカに空軍が設立されたのは1947年9月18日ですが,何故か同じ年にUFOの目撃事件が数多く集中して発生していました。
2月11日にはバード少将機が北極上空で姿を消して地球内部の亜空間に存在する世界に行って戻ってきた事件,
そして6月24日には,ケネス・アーノルドによる9機のUFO編隊を目撃した事件,
7月2日にはロズウェル事件が発生した。
ペンタゴンが空軍力を強化するために急いで空軍を設立したのはロズウェル事件の直ぐ後なのです。
■1952年7月19日,ワシントン事件
NSAが設立されたのも,1952年7月19日の夜にワシントンDC上空へUFOが飛来した後でした。
飛行物体は全部で7機で,他の目撃情報によれば8機だという話もある。
突如としてワシントン上空に出現したUFOは時速160キロ~200キロのスピードで通常の航空機に決められた飛行ルートを全く無視して飛び回り,ワシントン国際空港まで接近したところで2機が消えた。
空港のレーダー管制官は呆然としてしまったという。管制室レーダーの計器類は正常に作動しているのにもかかわらず,UFOは消えたり現れたりを繰り返し,ジグザグ飛行や急加速,それに瞬間移動を絶えず繰り返した。
この事はすぐさま防空本部にも通報され,2機の飛行物体がホワイトハウスへ向かっており,もう1機が連邦議事堂の上空で乱舞を繰り返している。
これらの地域は飛行禁止区域でありアメリカの政治中枢の場所で,このときのアメリカ政府は喉元に刃を突きつけられていたといっても過言ではないだろう。
この異常事態により,アンドリューズ空軍基地にも連絡されたが,既にアンドリューズ空軍基地にも10機のUFOが飛来していた。
つまり続々とUFOの数が増えていたのです。
当時のアンドリューズ空軍基地は改修工事中でスクランブル発進が出来ず,戦闘機の要請はデラウェア州のニューキャッスル空軍基地に預けてあったので,仮にスクランブル発進したとしても30分程度はかかってしまう。
為す術も無い状況のまま,ただ成り行きを見守るしかなかった。
そしてキャピタル航空の旅客機の周囲を1機のUFOが付きまとい始めた。そこでワシントン国際空港の管制官がキャピタル航空の操縦士に連絡を入れ,「追跡してくるUFOの正体を確認してくれないか?」と要請した。
そこで操縦士は後方から追ってくるUFOを目視するために機首をUFOの方に向けようとした瞬間,旅客機を低速で尾行していたUFOが一気に急加速し,レーダースコープ上から消えてしまったのである。
そのときの速度を計算したところ,ナント!時速8000キロ~1万2000キロにも達していたという。
だが,14分後には再び姿を現した。今度は6機が旅客機の周囲を飛び回り始めた。
旅客機の操縦士はUFOの機体下部に数個の光るライトが付いていることを確認し,今までに見たことも無い航空機だった。
一方でワシントン上空では,UFOがジグザグ飛行や瞬間移動などの乱舞を繰り返していたが,それだけではなく180度の鋭角ターンや90度の直角ターンを行い,そのときのスピードは時速1万キロ以上にも及んでいたという。
2時間にも及ぶ彼らの飛行は,悠々と科学技術の差を見せ付けるように上空を飛行した。
やっとニューキャッスル基地から当時の新鋭ジェット戦闘機F-94が現場に到着したのは午前3時を過ぎていたが,このとき既にUFOは全て姿を消していた。
レーダー上にも機影が見えず,暫く上空を飛行したが引き返したという。
戦闘機が引き返した直後に再びUFOの編隊が出現し,ワシントン上空を乱舞し続けた。
空軍関係者や空港関係者も為す術も無く彼らのアクロバティックな深夜の航空ショーを見守り続けるしかなかった。
多数のUFO群は高度な科学技術力を見せ付けた後,夜が明ける午前5時30分ごろに全て姿を消した。
この事態に空軍は何も出来ずにいたことを恥じて,一切のマスコミ会見を拒否した。その理由は「当局は何も情報を持っていない。
だから何もコメントできない」ということだった。
だが,マスコミ各社は競うようにUFO乱舞事件を取り上げたので,一時はアメリカ中が話題騒然となった。
そして,1週間後の7月26日の夜に再びUFOが出現した。
午後9時30分ごろ,ワシントンを中心にしてバージニアとアーノルド空軍基地を結ぶライン上を編隊飛行したのだ。
今回もワシントン空港のレーダースコープでUFO群を捕捉し,アンドリューズ空軍基地のレーダーにも映ったという。
2日目のなので当局の動きは素早く対応し,ホワイトハウスに陸海空の幹部が集結して対応を協議し,攻撃するかどうかを議論した。
総指揮権を持つトルーマン大統領は,この件についてを物理学者のアルバート・アインシュタインに相談したところ,
「未知なる知的生命体の科学技術力がどのようなものかわからない以上,むやみに攻撃してはならない」
と提言された。
トルーマン自身も賛同して日付けが変り午前2時40分ごろになって,積極的に攻撃しないことを前提にF‐94戦闘機をスクランブル発進させたが,前回と同様に現場に到着するとUFO群は姿を消していた。
くまなく捜索したが機影も見つからないので引き返した直後に再びUFO群は姿を現した。
戻った戦闘機が再びスクランブル発進して現場に行くと,今度は姿を消すことなく待っていたという。
戦闘機は彼らを追跡したが,圧倒的な性能の違いで追いつくことすら出来ない。
しばらく「追いかけっこ」を続けていたが,やがてUFO群は忽然と姿を消したという。
最初の事件が深夜だったので大半のワシントン市民は事件の事を知らなかったが,新聞やラジオで報道されると大騒動となっていった。
空軍には一般市民やマスコミから問い合わせの電話が殺到した。しかし,空軍や当局も事件については一切関与していないと主張した。
自然現象という可能性もあるとされ,次第に気温の逆転層により見えた幻影現象ではないかと指摘され始めた。
そのような状況で事件が少し沈静化し始めた時期に再び2回目の事件が起きた。
2回目の出現時には市民の多くがUFO見たさに興味本位で夜空を見上げていたから,目撃した市民も多数にのぼった。
こうなると,空軍も無視や気象現象ということには出来なくなった。執拗なマスコミの情報開示要請に,記者会見を開いたところ,最初から決まり文句を羅列しただけのようだったという。
要するに当局の主張は「気温の逆転層が引き起こした幻影であり,円盤などは一切空軍は確認していない」とコメントした。報道陣の中には科学技術に詳しい者もいて,事件の目撃情報を掴んでいる者もいて,質問は的確で鋭い内容だった。
これには空軍の幹部も閉口し,曖昧なコメントをするばかり・・・。
空港のレーダー室で実際にUFOの機影を確認した管制官たちは記者会見への同席は,余計なことを話す可能性があったため許されなかった。こうなると全て茶番劇のような記者会見と化していた。
ルッペルト大尉はワシントン事件について目撃者などを独自に調査したところ,上層部から圧力や妨害を受けていたから,真実が捻じ曲げられた会見を冷ややかに眺めていた。
記者会見の翌日の新聞では「空軍は自然現象と断定」との見出しが掲載され,多くの市民やマスコミ関係者も納得はしなかった者も多くいたが,大半の一般大衆は事件についての関心が急速に冷めていった。
そして,当局による恐怖の魔の手が目撃者たちを襲った。
マスコミに「実際に外に出て肉眼でオレンジ色をしたUFOを確認した」と述べていた空港の管制官が,その後のインタビューでは「あれは単なる星だった」と発言を翻した。
不審に思ったルッペルト大尉が調査したところ,彼らは空港の上層部から強く説得されていたことがわかった。
これは管制官だけでなく,スクランブル発進してUFOを近くで目視した戦闘機のパイロットも「目撃したのは,街灯が雲に反射して映った光の点だった」と述べた。
そして,大都会のワシントンならば奇妙な光はアチコチで目撃するというのである。
ワシントン事件について懐疑派が「空に映った光」だと主張するときに必ず引き合いに出される写真がある。
これは国会議事堂を背景に,多数の発光体が夜空に浮かんで見えるという写真である。
これは匿名希望の政府関係者によって,ワシントン事件の夜に撮影されたものだというが,目撃者の証言によれば,これはワシントン事件のUFOとは明らかに違うというのだ。この写真は議事堂を照らす照明がカメラのレンズの中で光線屈折を起こして円形の光の幻影を形成したものだ。
カメラ専門家には「レンズフレア」と呼ばれる現象である。こうして直ぐに偽モノと解明される写真を持ち出して当局は情報撹乱する傾向がある。この偽写真がマスコミにリークされ,直ぐに偽モノを判明した結果が報道されて「やっぱりワシントン事件は幻影だった」ということになることの目論見は成功した。
ルッペルト大尉が37歳の若さで死ぬ前に出版した本の中で述べているように,ワシントン事件は明らかに軍の上層部が動揺していた。これは記者会見からもわかるという。最初は管制官や戦闘機のパイロットが明らかにUFOだと報告していたからだ。
圧力がかかったのか,その後には何故か皆,証言を翻されているが・・・。
ワシントン上空でUFOを目撃したのは軍人や空港管制官だけではなく,一般人も目撃していた。
例えば,発電所の職員も帰宅途中で機体を目撃している。
UFOが5機で編隊を組んだ状態で飛んでおり,しばらく見ていたところ,突如として機体を上部に向けた瞬間に超高速で上空に急上昇していったという。また,キャピタル航空機のパイロットの機長は「数個の明るいライトをつけた飛行物体だった」と証言している。
このライトは飛行機やヘリコプターのライトとは明らかに違う原理で発光しており,ワシントンに出現したUFOは全て機体の底部にオレンジ色に光るライトを持っていた。そのライトは三角形を描くようにライトが光っており,その三角形の中心に少し大きなライトが光っている。
これがデルタ型UFOである。同じ型のUFOは1989年にベルギーを中心にヨーロッパ全土で目撃され大騒動となった集中目撃事件のときのホームベース型のUFOであり,そのときのUFOと同型機が1952年にワシントン上空を飛行していたのである。
そのデルタUFOの形は,詳細にはホームベース型のような五角形をしており,ワシントン上空で乱舞した多数のUFOも目撃証言を集めるとホームベース型の形状なのでした。このワシントン事件は支配者層だkでなくアメリカ軍全体にとって悪夢そのものであり,当局による本格的な隠蔽が始まったのです。
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