インターネット

荷姿の違う荷物でも近くにあったコンテナに詰めて送ると、楽に詰め替え転送できる。ヒゲと同じ仕組みをとれば伝送形式が異なる通信ネットワークの間でもいちいち変換しなくてもデータをやり取りできる。
それがインターネットワーキングで、インターネットの言葉はそこから出た。
情報パケットという細切れにして、それに宛名を付け回線へ流し込む。その際の通信形式の約束がプロトコルだ。
回線を乗り換えるところに置かれたコンピューター(ルータ)がパケットの宛先を読み、宛先により近い次のルータに送る、そうすれば回線の混雑をかわして迂回してでも宛先へ送ることができる。
1960年代の末アメリカで開発が始まったときのそもそもの目的は核攻撃を受けた後の軍事通信の確保だった。
筑紫1970年代の中頃からまずコンピューター科学者たちがそれをコンピューターの共有やファイルの送信に転用をするようになった。
1980年代中頃から他の一般の研究者たちがメールの交換などに使い、格段に利用の範囲を拡大し、1990年代初めには世界の主な大学や研究者などがインターネットで結ばれた。
今、ウェブというテキストや図形を送受信しやすいソフトウェアが1991年に開発され、 yahoo などの検索エンジンの助けもあって、インターネットの利用が爆発的に広がった。
それを介してビジネスが展開され、さらにソフトウェアの開発によって電話やテレビに使えるところまで来た。アメリカ政府に勧告する役目を持っている national research council は1996年発表のレポートで、インターネットが未来の通信ネットワークの基盤だと明確に続けた。
ここに至る経緯で注目すべきことは、当時はトップトップダウン型だったネットワークがボトムアップに逆転されたこと。その前例がフランスで1980年代から始まったミニテルで、当初のテクノクラートの構想では中央コンピューターの中身を端末へ伝える上意下達の手段だったが、それを民間の伝言板に利用者が転用した。
今の端末数は約600万(人口の約1割強)と、よそのニュースメディアの夢がしぼんだなかで、フランスだけは定着に成功した。インターネットはそのひそみに習ったと言える。
ネットワークは利用者が自分たちの用向きに合うように育てることで伸びる。インターネットでボトムアップが可能なのは、三重に、つまり技術的に政治的に文化的にオープンだからだ。それはインターネットの特徴であり本質だ。規格が違ってもプロトコルに従えば、ネットワークに接続できネットワークが大きくなる。
インターネットを一元的に管理する機構があるわけではない。ボランティア的な委員会で運営ルールが示される。流す中身に制限がない。だから誰でもやりたい形でやりたいことができるそれでインターネットは歓迎され爆発的に伸びた。このオープン性が保たれるならば、21世紀のはじめにはインターネットにつながるホストコンピューターは全世界で1億台を超える。利用者となると少なく見積もっても数億人になるだろう。先進国で言えば世帯の半分近くが加入するだろう。
当然その結果社会のあり方が変わるその影響は近代社会がもたらした印刷術にたとみられるが、第一に影響の範囲の広さにおいて従来のメディアを遥かに凌ぐ。インターネットを何に例えるかメタファーの多様性にそれが現れているハイウェイに始まって図書館、メール、マーケット、広場、モール、学校、現実世界と別の電子世界などが挙げられる。どれも人と人との出会いとふれあいが強く含まれている。それだけ生活の各面に関わり生身に関わってくる。
そこが印刷術などを遥かに凌ぐてんだだからネットワークに参加できないものはものや精神医療面で大変な機会の不平等にさらされる。それを救うためのユニバーサルサービスとネットワークリテラシーを確保しなければならない。経済的、身体的なハンディキャップに加え、特に教育を必要とする年少者に対する配慮が不可欠である。
(世界をよむキーワード 1997)
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携帯電話は日本では1990年代に入ってからユーザーが飛躍的に増え始め1997年1月末の契約加入者数は2410万人、普及率は19.3%(phs personal handyphone システムを含む)となっているその他ポケットベル(ベイジャー)をはじめとする移動無線通信端末は現在も増加の一途にあり、流行ファッションとして若者にもてはやされている。
その反面、航空機や病院内における電磁波障害、自動車運転時の使用における事故多発、電車や公共空間における「おしゃべり騒音」、「電子音公害」などそのマイナス面も急速にクローズアップされつつある。いわば、途上、渦中、旬のメディアとあるといえよう。
ここでは文化、思想面における影響を述べたい。
現在携帯電話ポケベルをはじめとする移動無線通信端末だけではなく、あらゆる電子情報機器が重さ50~500g という、常時携帯可能なまでにダウンサイジングしつつある。重いものから順にネットワークコンピュータカーナビテレビゲーム av 入力機器av 端末pda 電子手帳電子玩具書の腕時計などであるそれらが複合的に細い組み合わさった携帯メディア端末(mmd モバイルメディアターミナル)は新しい市場とユーザーを獲得しつつある。そこから携帯電話やポケベルだけを分けることは事実上不可能に近く分類上のナンセンスである。
データ通信機能、データ入出力機能、独立電源、液晶表示を持つハードソフト合計500g 以下の電子情報機器は全て mmt とみなす。ntt によるポケベル向け試験放送や、メサージュ、パセオ、ザウルスなど pda 向け商業放送が可能な今日、mmt はパーソナルな通信端末だけではなく各種プロバイダーからのコンテンツを受け取る放送端末でもある。
日本人の戦国電子生活の象徴であった三種の神器テレビ洗濯機冷蔵庫や3 c (車、カラーテレビ、クーラー)、それに av機器、電話、パソコンに至るまでが全てが、「家電(ファミリー向け固定据置式電化製品)」イデオロギーになって普及してきたのに対し mmt は最初から脱家電=個電すなわち家に依存しない個人向け可動式電化製品という対抗文化を担っていた。特筆すべきなのは mmd の若年層への普及によって個電が外電へ意味転換した点である。
ちょうど「営業マンを会社に帰属させる手綱」としてのポケベルが、女子高校生の手によって「路上社交メディア」に変換されたように、個電は、家、会社、学校という固定メンバーの支配する屋内閉鎖空間を離れ、通勤通学途上という路上開放空間で情報交換するためのツールになったという点が、リュックサックを背負う mmd を手に路上を移動する新遊動民(ノマド、ネオノマド)というライフスタイルがここに完成を見た。
家、学校、会社に依存しない「遊動民」はビジネスや衣食住に関する情報資源のすべてを路上で獲得すべく、戦略的情報主体としての個人集団の高度な能力を獲得し、その能力はあらゆる情報資源を家にストックし家のパソコンから情報を遠隔操作する在宅メディアリテラシーとは対照的に、常に路上に立って mmd を頼りに情報資源の現地調達動員を図る在野モバイルメディアリテラシーである。
国民のモバイルメディアリテラシーの高さは国家統制の強さと反比例する。例えば近年まで戒厳令下にあった台湾、中国ではハイテク立国が奨励されつつも、携帯電話やポケベルの生産使用は厳しく制限されていた。日本においても有事、例えば家、学校、会社を強制的に奪われた阪神大震災において、一時的であれ、被災者は「見舞い電話を自粛せよ」という疑似戒厳令下におかれ、甲羅のない蟹として、マスコミ行政情報に振り回された。mmt はこうした情報孤立阻害戒厳令状況から自衛するための市民メディア武装であり水携帯食料懐中電灯に次ぐ第4の震災非常時グッズであるかつてアメリカのフロンティア時代には女性弱者までが巨人に行って市民武装したが、今日では、高齢者、障害者といった情報弱者こそが、市民メディア武装として自前の mmt 所持を真に必要としている。
(世界を読むキーワード 1997)
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