UFO乗船体験
オスカー・マゴッチ氏のUFO乗船体験
2010/10/21(木) 午前 7:37
オスカー・マゴッチ氏のUFO乗船体験
(マゴッチさんはUFOに乗せられて銀河系中心近くの星へ行ったそうです。)
第五章 世界旅行
第五章に述べられている一連の出来事が起きたのは1975年7月30日、同31日で、帰りの旅行は同年8月1日である。
トロント、ニューヨーク、中東の上空を飛行し、シリアとヒマラヤの寺院に降り立ち、翌日はペルー、カリフォルニアに飛び、
そしてオンタリオ州のハンツヴィルに戻る、という世界飛行である。
ちょっとの間、タバコを一服して休みながら、テレパシーで円盤の「心」に向かって、円盤に乗りたい、
乗る準備はできている、と念じてみた。
自分はずっと監視されている、自分の一挙手一投足が評価されているのだ、と固く信じて疑わなかった、
もっとも、例の球体は、何の動きも見せず、テレパシーの「沈黙」に包まれたままであった。一息入れた後、中に戻り、心待ちにじっと立って待った
地図でニューヨーク地域を見ながら、ちょっとそこに旅行できたらいいな、と束の間思った。と、その瞬間、
オレンジ色の点線が円盤の現在地を示す印からするすると伸びて、トロントとニューヨークを結んだ。
その点の数を数えてみると、10個有る。距離は600キロ余りだ。ほうー、私が心の中で思った飛行コースを、円盤は何て風変わりな方法で示してくれるんだろう。
ニューヨークに着くのに10分もかからなかった。
計器盤の点時計の表示で時間を計算したのだ。
民間ジェット機のスピードの約5倍の速さだ。
それでも、動きはほとんど感じられない。
この速さは音速障壁を優に超えている。
でも、なぜUFOはソニックブーム(超音速飛行による衝撃波)を起こさないのだろうか?
どんな力を円盤は吸い上げているのだろうか?
それにしても、なぜピラミッドからなのだろう?
死んだ石の集まりではないか。
また、太陽光線が必要なのは、もしかしたら、ある種の分極効果のためなのだろうか?
この不思議な充電は15分程も続いたであろうか。
チベット人らしい老僧の出迎えを受けた。
黄色い僧衣を着た老僧は、仰々しい挨拶を動作でしたが、一言も発しない。
老僧は、先に立って石の階段を上り、古めかしいドアを通って、もうひとつの部屋へと私を案内してくれた。
六章...深宇宙
他の次元では2週間だが、地球での経過時間は何と3日間であった!
次元間旅行には、私の振動率や肉体の化学的性質をいろいろと大幅に変える必要があるのは確かだ。
その面も、ひょっとしたらチベットでやってしまったのかもしれない。
多分20分位経った時だろうか。
突然、円盤がたった今切り開かれた土地に到着した、という気がした。
暗闇の中に目を運ぶと、1分位経ってから、知覚出来ないほどの光が現われてきた。徐々に光が強くなってくる!
宇宙服は私の体にぴったりだ。奇妙な青みがかかった灰色のプーツも足に合う。ヘルメットも、軽量で被りやすい。気分は上々だし、
奇妙に輝き始めた。次の瞬間、円盤はその輝きに向かって吸い上げられた。オレンジ・ブルーの色をした靄の渦巻きに飲み込まれて吸い上げられていく。渦巻きは悪夢のようだ。ぬーっと現われてくるような巨大な物が一杯詰まっていて、それが青白い影や半分姿を現わした亡霊みたいに見える。あの世のようなぞっとする感じがあり、変化の動きが速くて、捕らえどころがなく、なにもはっきりとした物が見てとれない。
それから数分間経ったと思われるころ、私を乗せた円盤は、星がさん然と輝く暗黒の深宇宙に飛び出していた。下のほうには地球がはっきりと見える。
母船から数百メートル離れたところで、字宙の一部が微かに光り始めた。徐々に円盤が物質化する。すると、その円盤はまた徐々にほぼ全体が消えていき、幽霊のような外見になる。その間、円盤はこちらに向かって漂って来る。間違いない。この母船の唯一空いている着陸室に、私たちと同じように、貫通して来ようとしているのだ。
さて、今度は、目の前の光景全体がゆっくりと消えていき、その代わりに、別の次元の深宇宙の眺めが現われてきた。荘厳な星雲と、ひしめきあう星が見える。
言うまでもなく、次元移動が完了したのだ。実際のところ、わたしたちを乗せた母船は物理的にも動いてもいる。他の星が遠ざかっていくのだから。確かに、私たちは、この異宇宙の何処かに向かっている。
目が覚めると、驚くほど気分が良く、満ち足りた感じがする。朝は機嫌が悪いのが普通なのに、これは大変珍しいことだ。部屋の中の何かが、素晴らしく心地よい気持ちにしてくれている。非常に寒い日に外から家に帰ったときに感じる、あの暖かさのような快適さだ。ピラミッド型の形状がこの満足感をもたらす効果と関係がある、という気がする。
昼寝から起きると、「外に」出て散歩がしたくなった。驚いたことに、手で触れるとドアが今度も開く。庭園に行っていいのだ。今回は、「ブースター」を身に着けるのを忘れなかった。庭園のムードと照明は、また変化している。午後の半ばという感じで、私の感覚と同じだ。岩の庭の遠いところは、大変に遠いところにある山脈みたいに見える。その実際に広々とした屋外の感じをゆっくりと味わうことができた。庭園内の事物の遠近感が異なっているのだ。これは、非常におもしろいと思った。少し辺りを元気良く散歩してから、静寂感の振動を出している門の下に座って、牧場の日没の光景を心に描いてみる。非常に楽しい。絵の具があったなら、霊感にあふれた絵を1、2枚かけるのに、と思った。
庭園には何時間とも思える間、立ち去り難くてぐずぐずしていた。じっくりと、ほかのいろいろな雰囲気や振動も味わった。後の時間を頭脳だけ使って忙しくするにはどうしたら良いか、いくつか素晴らしい方法も考え出した。何と言っても、精神機能の分野ではまだまだ学ばなけれぱならないことが多いのだ。それに、「精神活動」こそが円盤にとって重要なことのように思えるし………
思索に耽っていると、庭園の照明が暗くなり、黄昏のような感じに変わった。スイートに戻る時間だ。部屋に戻ってから、エアー・ベッドに座った。先程考えた精神活動ゲームの手始めに、ある考え方を追求してみようと思ったのだ。それも、瞑想の形で。そのためには、部屋の照明がもう少し暗いほうがいいのに。
と、思ったら、大変びっくりしたことに、部屋の照明が暗くなった。明らかに、照明が私の願いに応えてくれたのだ! その仮説が正しいかどうかを確かめるために、今度は、照明を明るく戻してほしいと念じてみた。何と、図星だ! それがきっかけとなって、照明を付けたり消したり、リズミカルにさまざまに変える遊びを始めた。それから、今度は、ひとつの壁だけ「やって」みた。その後、この照明遊びを広げて、いろんな種類の、複数の色のついた光のパターンにしてみると、何かサイケデリックなショーみたいになった。
今後は、テレビで「遊び」たくなった。光のパターンを、斜めになっている壁の一部だけに限って、そこに自分の記憶の中から何か絵を映してほしいと
徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/
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