国技館




明治42年(1909年)
明治42年(1909年)、東両国に国技館が会館した。
これまでの技場は回向院にかわり国技館となった。
桟敷から4階まで16000人分の客席があったというから、
足掛け4年がかりの工事も無理はなく、
それだけの収容人員を予定するほどの人気があったわけで、前評判も大したものであった。
常陸山・梅ヶ谷の両横綱の全盛時代で、
2年ばかり後に、あまりに強すぎて人気が振るわなかった太刀山も横綱を張るが、
円筒形の館内はすべて鉄骨に支えられ、
まさに大きなこうもり傘をひろげた構造で、
「大鉄傘下の熱戦」という言葉もここからうまれた。
-中公文庫 石版東京図会

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